本多静六と江原校長の教え
こんばんは。もう夕方5時半になりましたが、お夕食の準備とか、お風呂の準備とか、もうすっかり、あたりもだんだん暗くなってきて、涼しい風が吹いておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
本多静六の続きなんですけれどもね。
156ページまでまいりまして、ここで、人を使うには、人に使われるには、というふうな章になっているんです。
そこを読み進めていきますと、お人方の、麻布中学校の校長先生の話が出てくるんですね。
寄宿舎というのがその時あったみたいですね。寄宿舎の窓から生徒が面白がって紙くずを投げ散らすらしいんですけれども、
それをね、そこの江原校長先生という先生が、もうなんかニコニコしながら拾い集めてらっしゃるんですって。
一人ね、早起きの生徒がそれを見つけて、寄宿舎一堂に話して、みんながね、それから一切紙くずを外に投げないようになったというお話をされているんですよ。
それを真似しましてね、本田生録もね、するのですよ。
その時にはね、寄宿舎の監督、どこの寄宿舎でしょうね、そのお名前は出てないんですけれども、
本田生録が当時監督をしていた大学勤務やその他の関係でだんだん忙しくなって、ごめんなさいね、この時間大やかましいです。
寄宿舎の仕事がね、だんだん忙しくなった頃らしいんですけれども、江原先生の真似をしてね、その汚い寄宿舎の掃除をしようとするんですよ。
あまりにも汚かったらしいですね。江原先生のようにうまくいくと思いながらね、したんですけれども、その一瞬だけで全然きれいにならない。
何が違うのかなって、その時真剣に考えるんですね。そしたら失礼しました。お客様の車がしかとぶつかったらしくて、夫から急遽連絡がありました。
明日は朝稽古を休まなくてはいけないということで、どこまでお話ししましたっけ、あの、その時監督していた寄宿舎をね、あんまりきれいにもならないし、江原先生のようにもうまくいかないから、やめようと思って奥様に、
あの役はちょっとやめようかなってお伝えしたんですって。そうしましたら奥様がね、とんでもない。他の方をやめてもこれだけは続けてくださいって。
あなたは若い人々を監督しているつもりだったかもしれぬが、私は若い人々にあなたを監督してもらっているつもりなんですからっておっしゃったらしいんですよね。
まあ奥様にしてみたら、若い方に夫をちょっと見守ってもらって、ちゃんとできてるかしらみたいなことをどこかで誰かに聞いてたのかもわからないですね。そのお気持ちはよくわかりますね。
ですので、これだけは続けてほしいと。他の役はやめてもいいからと奥様に止められたんですって。そこで止めることをやめるんですけれどもね。
あさぶ中学校の江原校長と自分はどこが違うのかということを真剣に考えたときに、江原先生はニコニコしてやってらしたらしいんですよ。でもご自身は非常にムカつくと思いながらやってたらしいんですね。きっとそこら辺だと思うとご自身で分析されておりましたですね。
部下との関係構築
で、それと部下と上司という関係になった場合に、上長たる者は部下についてその特徴を発見するに努め、機会あるごとにまずその長所を褒め、
しかるのちほんの添え物程度にもし欠点があればその欠点を指摘し強制するように注意してやることである。ほんの添え物なんですね。
上役が自分の長所を認めてくれていると知れば誰しも悪い気持ちのしないのが人情であるというふうに書いてらっしゃいますね。
部下の仕事ぶりなどを見て、表面的に華々しい能率を上げることよりも、むしろAAとして縁の下の力持ちを続ける人を他とし、できるだけその労に報いるに努めてきたが、いずれの会社でもそうした人々の働きが見落とされがちなので、
上に立つ者は怠らず常に何事にも裏の裏まで見通していることが大切であるとおっしゃってますね。
長所と交われば悪有なしという言葉をかぎ括弧で囲っておりまして、その長所のみを探り上げ、その長所のみを利用すればどこにも間に合わぬ部下というものは一人もいないというふうにおっしゃってます。
若い人々に何かを頼む場合は、無理にならない程度に必ずその人の地位や力量に非して少し上のものを選ぶようにということですね。その能力より少し上のものを与えてあげる。そうですよね。
そうしましたら、さらにやる気は出てまいりますよね。棒高跳びの選手にあと1センチ高くバーを上げてあげるようにですよね。
とにかく話を聞いてやれということですよね。
部下と自分の心をつなぐには、何かの頼まれ事や約束を忘れず必ず実行することなど最も有力な手だというふうに書いています。私はこのために手帳を用意していちいち国名にメモを取っていた。
ごめんなさいね、やかましいこと。
部下に対しては、なるべく柔らかく笑いを忘れず、時にはユーモアたっぷりのくぜつで、雑談の仲間入りなどもすべきである。
無表情、無愛想であってはならないということを書いていますね。
上役の起源といったことに心を奪っているようではだめだと、部下がね。
部下に対して小言が言いたくなり、叱りたくなった場合、まずそれを自分の上に当てはめてみて、自ら第一に反省するぐらいに慎重を刻めばならない。
これもすごい言葉ですよね。
由来、称賛は春の雨のごとく、失責は秋の霜のごとくごとしである。
褒めることは人を生き返らせ、のびのびとさせるが、小言はすべてを萎縮させる。
本当にその通りですよね。本当にその通りです。
自己反省と成長
私が高校生で支援学級にいる高校生が剣道の稽古に来たときに、私がふらふらになっちゃったのも本当にこのことだったんですよ。
結局、成功体験しか蓄積されないということを知らずに、私は1年間何百回も同じことを教えたのですが、結局は何にも身になりませんでした。
できたわねというふうに褒めてあげるべきだったのです。
こうしてはだめよ、ああしてはだめ、これはだめでしょう、あれはだめでしょう、そういった指導の仕方だったのです。
それを結局もう一度、支援学級の経緯の方にお尋ねしたときに、先生これは一般の我々にも言えることなのでしょうかとお尋ねしたのです。
私はかなり罵倒されて落ち込んでいたときがありましたので、そう申し上げたらいいところに気がつきました。
全くその通りなんです。
それを知っているか知らないかで、こちら側のメンタルが保たれるのです。
彼は何にも変わっていない、この3年間何にも変わっていないのですが、私はふらふらになってまた元気になったのです。
結局私の問題だったのです。
だからそれを知っていたら、ふらふらになることも何にもなかったのです。
私の心の中で彼を認めていなかったのです。
なぜこのような体はでっかいけれども、何もできない子を大人の稽古に一緒に入れるのかしらと考えていました。
今日はこれぐらいにして、明日は何だか朝稽古をサボってくれと夫から連絡があったので、
朝稽古を休んで、明日は慌ただしそうなので、朝稽古はいけそうにございません。
もう一度夫と打ち合わせをしないと、お電話ではなかなか理解できなかったので、
朝あそこに行って、今度こっちに行って、あっちに行ってみたいな、そんな明日の予定でございます。
明日が終われば、あさって土曜日ですので、土曜日は画学の音合わせがありますので、
そこまでにはどうにか一番難しい曲をアンプしたいです。
もう楽譜を見ながらは、ちょっと私のプライドがとか言っていますが、結局は譜面が読めないからなんですよ。
画学の譜面が全く読めないから、もうアンプするしかないんです。
ですので頑張ります。皆さんも頑張ってくださいませ。
いろいろあると思いますが、では良い週末をお見ます。ちょっと早すぎますが、
明日も素敵な金曜日になりますようにお祈りしております。ではごきげんよう。