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今期のアニメも過強に入ってきましたが、ずっとOPを飛ばさずに見ているアニメがあります。
最近はNetflixやAmazonプライムでも、基本的にはOPは落ちるとすれば飛ばせるような設定だったり、
場合によっては自動で飛んじゃうような設定だったりと思うんですが、私は好きなアニメOPに関しては必ず飛ばさないように見るようにしています。
もちろん飛ばしてみるものもあるので、全部が全部ではないんですが、その中でも特に今期で言えば2つ好きなOPがあります。
1つは鬼滅の刃で、これはMy First StoryさんとHIDEさんのツインボーカルの曲になっています。
鬼滅の刃は基本的にOPの曲が決まった時にどういうフィロソフィーでこの2人を選んだのかみたいな解説がされているんですが、
今回の場合はこのツインボーカルによって鬼殺隊と鬼側の長年に渡る歴史を表現したりというところになっていて、
この曲を聴いてみてもまさにそういう感じになっていて、すごくいい曲ですし作品にも合っていて、むちゃくちゃいいなと思っていつも聴いています。
おそらくHIDEさんの方が鬼側で、My First Storyさんの方が鬼殺隊側だと思うんですけども、
その歌詞と内容とその2人の歌声というのがよく合っているのでいいなと思っています。
もう一つが無色転生というアニメのオープニングで1期の時は結構特殊オープニングが多くて、
はっきりとオープニング曲はこれというのはなかったんですが、2期に入ってからは比較的オープニング曲が固まりつつあります。
これまでは冒険の旅路だったということもありながら、かなり冒険の雰囲気を感じさせるような穏やかだったり、
ちょっとのどかな感じだったりというような感じの曲が多かったんですが、
この2期の後期に関してはかなり大きなターニングポイントを迎えるということもあって、激しめのかっこいい曲になっています。
歌っているのはひとりえさんで、僕はこの方の曲をあまり聞いたことがないんですが、ET6の1期のオープニングも結構好きだったので合っているんだろうなと思います。
内容としてはかなり家族との向き合い方をテーマにした曲で、無色転生も全体的にそういうストーリーの話なので非常に合っています。
妻も無色転生をあまり見てはないんですが、このオープニング曲を聞いて、どこか懐かしい感じでかなりかっこよくて好きだと言っていて、
色々調べてみるとニコニコ動画とかで活動されている方だったりして、僕も妻もそういう文化圏で育ってきたので、そういうところもあってかなり親和性が高いのかなぁとか思っています。
やっぱり昔は僕は家族に対しては普通仲は悪くなかったんですが、そこまでの思い入れとかは深くなかったんですが、
自分が子供を生まれたり結婚してからっていうのは多少なりともやっぱり家族に対して思い入れが生まれてきたので、そういうところを踏まえてだんだんこういう曲も好きになってきたのかなと思います。
家族なんかは全然悪くなかったんですが、僕は結構自分の時間が好きだったというのもあって、
僕以外の両親と姉の3人で家族旅行にディズニーに行くとか、そういうイベントもあったりしましたが、決して家族仲は悪くなかったです。
かなり曲として純粋にかっこいいし、歌詞もかなり作品にマッチしているので、この曲はかなりお勧めの作品の一つだと思います。
こういう人間の営みみたいなものでいくと、ちょうど今日更新された純木生活の方で民芸品の話が出ていました。
僕も民芸品は結構好きで、純木さんはあまり買わないといったんですが、僕はついついああいうのを買っちゃいがちな人であります。
人の営みっていうのを感じることはやっぱり大人になってから非常に多くて、子供の頃はただ物とかただルールとかそういうものにしか感じなくて、
もうバッサリこういうの良くないから切っちゃおうとか、いろんなそういう端的な判断をしていたんですが、
大人になるとその背景にある歴史とか人生とかを感じるようになって、かなり考え方が変わったなと思います。
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よく最近思うのは、これも前にどこかで話したと思うんですけども、あまり現状に即してない良くないルールがあったとしても、
大抵そういうものっていうのはこれまでの歴史を踏まえて考えると、その時々に応じて最善ではないかもしれないんですけども、
できるだけベターな形を目指して解決を目指してこねこねしていった結果、変なルールが誕生して、今の実情に合ってないということがあると思います。
なのでそういうルールを変えないといけないっていうのはもちろんその通りなんですが、ただこうバッサリこのルールは良くないから変えようねっていうのではなくて、
そのルールに対してフィットしていった人、あるいはそのルールをフィットさせていった人っていうのがいるはずなので、
そういう人たちを無限に切り捨てることがないように、そういうルールが策定された歴史とかを踏まえて何か対策を打つようにしないと、
みんな幸せなことできないんだなというのが大人になって、今更40代近くなってようやくわかってきたというところがあります。
やっぱりいろんな人がいるので、自分としてはこれが正解だという判断も大抵そうじゃない人がいたりするので、
できるだけちょっと周りを一回立ち止まってみることが大事なのかなというのが大人になってから感じたことであります。
あとはいろんな仕事に就いている人のバックグラウンドというのも気になったりします。
例えばお医者さんというのは単なる医療の専門知識や技術を提供して高いお金をもらえるというだけではなくて、
病気や事故などで苦境に立ち去られた人の人生を背負って治療しないといけないというところで、
結構そういうメンタル的な負担も大きいなというのが大人になってから感じます。
それ以外にも今まではあまり意識していなかったインフラを支えてくれるような人、
そういう人たちがすごくこの世界を回していく上で重要なんだなというのは特にこのコロナ禍においていわゆるエッセンシャルワーカーという人に話が行った時に、
今まで全然意識していなかったけれども、すごく大変な仕事をされている方がたくさんいるというのも改めて意識したなというところで、
より人の営みというのを感じるようになりました。
で、もう一つは養の美という話が出てきて思いついたのが、最近私はだんだん機能美というのが好きになってきたなと思っています。
実際養の美というのは多分もっと本当は深い概念で全く別の概念だと思うんですけども、
養の美まで深くいかなくても結構機能美というのが好きで、機能性があればそれが結構かっこいいなと感じます。
で、最近子育てを始めてから小物を持って歩く時にできるだけ手ぶらに移動したいので、どうするかというと、
ユニクロでいわゆるカメラマンベストとかツリービートベストとか言われるようなポケットが大量についているようなベストを買って接着用しています。
で、そこで鍵でやったり財布でやったり、子供服用のベッティッシュだったりというのを入れて移動しています。
最近ですと日傘とかも折りたたんだら入れるので便利です。
でもはっきり言って着こなしの問題もあるんですが、僕がこれを着るととんでもなくダサくなるんですけど、
それでもいろんなポケットからシュッシュッといろんなアイテムを出せるというのは、それはそれでちょっと気に入って使っています。
こういう感じで一般的にダサいと言えばダサいんですけど、結構そういうのが好きだなと思っています。
今実は通販で注文しているのはこれも釣り用なんですけど、ウエストポーチとしても使えるようなカバンを使っていて、
これを斜め掛けにして中に本郵便とか入れないかなと思っています。
釣り用のバッグなのでポケットがついていて、ちゃんと防水性もあったり中身の溶石もあったりして使いやすいので、
意外とこういう釣りグッズとかに最適化があったんだなとかで、機能美的なことを感じています。
話は前後するんですが、人間の営みというところに関して言うと、実は僕はVTuberがイメージがはまらなくて、
それはなぜなのかなと感じていると、よく考えてみると多分表情とか体の身振り手振りが見えないからかなと思っています。
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スポーツは好きなので結構見るんですが、それを言うのと対比して考えると、やっぱり僕の関西から行くと生身の体が見えていないと、
そこに何かナラティブを感じられるかなと思っています。
最近はいろんなVTuberさんが参加する大会とかもあって、その練習過程とかを含めてかなり人間味を感じて感動するという人が増えているので、
そういうのをきちんと追えばそういうナラティブを感じられるかもしれないんですが、
自分はちょっとそこまで行ってなくて、なかなか生身の性というものを感じられないので、はまらないんだろうなと思っています。
いずれ僕の感覚もアップデートされて、そういうのが受け入れられるようになると、そういうのも楽しめるようになるんだなと思いつつ、少しずつ体に馴染ませていければいいかなと思います。
結構人間の人並みにそういうデジタルを混ぜ込むのってどこまでいけるのかなと思っていて、
例えばEスポーツとかでやると、当然ランダムスイッチとかのゲームソフトとかに依存してくるわけですけれども、
じゃあ自分の人生を賭けるような場面になった時に、コンピューターが生み出した乱数というのをどこまで信じれるのかというと、
僕は実はそこまで受け入れられないタイプの人間じゃないかなと思います。
例えば野球の試合とかだと、エラーがあって負けることもあるわけですけれども、
一緒に練習してきた仲間が意図せずにやってしまったミスというのは、
悔しい思いを言われれば皆さん受け入れられると思うんですけれども、
それがある一定の確率で発生するようにプログラミングされたエラーが一番大事なところに出た時に、
こういうこともあるかなと受け入れられるかというと、結構僕個人はやるせない気持ちになっちゃうかなと思います。
もちろんサイコロをいじってとある面だけ出やすくするとかいう不正もあると思うんですが、
そこでこのランダム性というのをしょうがないものとして受け入れられるかどうかというので、
僕はデジタルはそこまで人生を賭けないんじゃないかなという体感を持っています。
これは完全に考え方の問題なのでどうこうということはないんですが、
そういう性格なんだなというのをふと思いました。