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  2. #011 - ブルームの教育目標分類
2023-04-27 23:54

#011 - ブルームの教育目標分類

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二人がそれぞれ大学院で「教育」を体系的に学んだ時に触れることがあった「ブルームの教育目標分類 - Bloom's taxonomy」について、実践者として今どういうことを考える?ということをおしゃべりしました。

  • 教育心理学者ブルームの唱えた教育目標分類について
  • ピラミッド型(ヒエアルキー)で整理されていることで誤解されやすいこと
  • (弟子?であった)アンダーソンたちによる改訂版
  • 最初に登場した1950年代、改訂版が出た2000年代、そしてこれからの時代に想いを馳せる
  • 実はブルームは認知(cognitive - mental)のことを情意(affective - emotional/feelings/attitude) と 精神運動(psychomotor - physical ability) とセットで捉えていた
  • 日本でブルームの考えを取り入れようという動きが活発になったのは1970年ごろ(50年前!)
  • 日本にブルームが来日した時に言っていたメッセージ
  • 米国の大学の入試に使われていた・いる、統一試験の一つSATが必須出なくなる・使われなくなる最近の動きについて
  • 認知よりも文化的な影響を受けるであろう情意・精神運動の世界に学びの軸足が移るとどうなる?
  • 学びの豊かさと評価の測りやすさ・測りにくさというジレンマ


エピソード内で触れた内容:


関連エピソード

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このpodcast「#まなびのはなし」では、大人の学びをサポートしている二人が、それぞれ見つけた・考えた、ことを、話したいから話しています。話している二人はemi (ウェブサイト)とtomoko (ウェブサイト)。自己紹介エピソードはこちらです:#001 - 自己紹介

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このポッドキャスト、まなびのはなしでは、大人の学びをサポートしている2人が、それぞれ見つけた、考えたことを話したいから話しています。
今日もよろしくお願いします。
お願いします。
今日の話したいから話すことは、ブルームのタキソノミと言われているものですね。
日本語では、教育目標分類学。
そうですね、今日この話をちょっとしてみようかなと思ったのは、このブルームさんってすごく有名な、
1950年ぐらいに活動していた方で、教育目標の段階っていうのが6段階ぐらいあるっていう考え方を言ってくださっている方なんですけれども、
それを参考にしながら、学びのゴールとかを考えることがあるんですよね。
あるんだけれども、意外と使われなかったりとか、使いづらさもあったりとかもあって、
すごい重要なフレームワークだけれども、ちょっと難しさを感じていることについてちょっと話したいっていうのもあります。
なるほど。
えみさんこれは、語学学習を考えるときに意識されたりとかしてました?
今回そういえば、どこから始まっているのかなっていうのを考えて、
これまたね、いつもの通りアメリカの大学院で聞いたんだろうと思うんですけど、
具体的には、私最初に入った課が、英語教育学TESOLっていうコースだったので、
そこでレッスンプランをたくさん書かされるんですね。
なので、そういうレッスンプランを書くときに、
週のスタンダードのどこに当たっているかとか、こういった分類の何をゴールに据えているかっていうので、
その時は結構意識して書くように指導されていたなっていうような記憶があります。
レッスンプランで出てきますよね。私もそうだったなと思っていて、
要は学びの場の設計をするときのゴールの言語化のときに、
これらを意識して学習目標を書きましょうっていう宿題があったときに、
すごくなんか動詞を選ぶっていうところ、プレッシャーだった記憶があるんですよね。
学習者が何々をアンダースタンドできるようにするみたいなゴールの書き方はダメで、
具体的にはみたいなところで多分考えさせられたなと思っていて、
よく1枚ペラであるタクソノミーのブルームさんの6段階、
それぞれのレベルではこういう動詞が適切ですみたいな一覧表が頼りになっていたっていうのが。
そうですね、やっぱりレッスンプランを作るっていうときには、
学習の段階を知るっていう意味と、
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いろんなタイプの学習をバラエティに富んで提供するっていうような観点で、
どちらにとっても分類してあるっていうことが結構便利に使えるっていう風なことが、
割と言われているっていうことでしょうかね。
そうですね、今エミさんがおっしゃったいくつかを混ぜるっていうのは本当に重要な話だなと思っていて、
多分ブルームさんの教育目標分類の6段階にあるやつの一つの批判っていうのは、
一番下が知識があって理解があって応用があって分析があって統合があって評価みたいな、
下から積み上がっている的な感じで言われていることの限界みたいなのが、
多分端緒としては言われているんだと思うんですよね。
複雑な本当に効果的な学びを届けるときは、
全部を使うというか活性化することも重要だよみたいな話の文脈だと、
このレイヤーを学べばよしみたいな話ではないよみたいなのが確か言われたなと思っていて、
そういう意味で自分が設計している学びの場が、
記憶の視点ではどういう風な体験になっているのかなとか、
応用する機会はちゃんとあるかなとか、
分析のところ収益するきっかけはどこだろうみたいなのを考えるときに、
少し参考になるのかなと思いつつ、
なんかあんまりこれをそこまで思い出すこともなく、
学びの場のデザインをしているよなと私は思ったりもしているんですよね。
今ねトモコさんがおっしゃった部分って、
この下から積み上げるっていうのがよくこう三角形というかね、
ヒエラルキーで表されていることがあって、
でも実際に学びを起こしたり自身が学んだりしていく中で、
必ずしもこの下から上に上がっていくっていうのはね、
やっぱり実体験として違和感があるなっていうところですよね。
そうですね、2001年でしたっけね、
ブルームさんの弟子がアンダーソンっていう方がこれを改訂したっていうのができて、
アンダーソンさんの新しいブルームの改訂バージョンを見ると、
今度なんかマトリックス形式になってるんですよね。
要はピラミッドみたいな話だけではなくて、
知識の次元っていうものが軸として追加されているらしくって、
そこになんかこう事実を認識している、概念を認識している、
パターンとか利用シーンとかそういうプロセス的なものを知っている、
自分がどのように感じているかを知っている、
メタ認識的な知識みたいな4つのレイヤーがあるよっていう風になってて、
さらになんか複雑性が高くなって、
教育目標ってどうやって使うんだろうなっていう気持ちになったんですけど。
そうですね、元になっているブルームさんのタキソノミっていうのが1956年なんですよね。
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そこから50年ぐらい経って改定版みたいな感じで出ているんですけど、
他にもね、例えばデジタルバージョンっていうのもあったりして、
例えば最初の記憶するっていうのをね、検索するとかね、
Googleするみたいなところから、
どういう風にデジタル版に適用できるだろうかとかね、
そういうバージョン違いみたいなのが2000年以降出ているんですよね。
けど、必要そうですよね。
やっぱりこういう時代の流れみたいなのに即して、
せっかくのアイデアなので、
なんか今に応用できないかって考えられているっていうところでしょうね。
もともとブルームさんが言い出した頃っていうのも、
やっぱりアメリカで丸暗記っていうのがすごく教育の中心になっていたので、
それに対してそうじゃないんじゃないのっていうところから発生していて、
でもそのこと自体もやっぱり時代の変化にさらされたり、
いろんな他の研究者の批判とかもあって、
じゃあ今に合うのはどうなんだろうって言っても、
そこからすでに20年以上があっているっていうのが現状ですね。
確かにそうですね。時代背景は大きく影響しているだろうなと思ってまして、
ブルームさんとアンダーソンさんの違いのシンプルな一つの違いとしては、
項目も6段階ピラミッドでブルームさんの時にあった、
上の2つがブルームさんの時は統合して評価するみたいなだったのが、
アンダーソンさんは評価してその後創造っていう作るっていうのが出てきて、
創造する力みたいなのを大切にするみたいなアンダーソンさんのはやっぱり
2000年以降の流れの反映している感じだなとちょっと今思ってたんですけど、
しゅみんさんがおっしゃるように2020年のこのマチャとジビリとかいろいろ出てきている中では、
もはやブルームさんのピラミッドの下の方の知識とか理解とか応用のところでも
何か少し新しいエッセンスが含められたバージョンの学習目標分類みたいなのになっていくんでしょうね、きっとね。
このブルームさんのアイディアを現代版で作るのか、
それとも全く違うモデルが必要なのか考えどころかなという気がしますね。
やっぱりこれはあくまでも知識とかスキルを吸収して、
どのように行動が変わっていくかとかできることが増えるかみたいなことをカテゴリーしている気もするんですけど、
学びとはっていろんな技術的成長と精神的成長があるよねって大人の文脈で言ってたりとかもしたんですけど、
精神的成長の部分とかっていうのはこれだけだと、
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これなんか認知の話が多分メインだと思うので、
測りきれない多分ものもあって、それを意識した新しい目標分類とかもあるのかなとか、
そうですね。
よくこの知られている分類っていうのがブルームさんが最初に作った3つのうちの1つなんですよね。
認知的側面っていうのが割と中心になって、それがみゃくみゃくと教育の方に強く出されているんですけど、
実はもともとその感情とか上位面のタキソノミと精神運動面のタキソノミっていうのはあって、
まさにね、今おっしゃった通り、実は今必要とされているのってこの上位面、エモーショナルインテリジェンスに近い部分ですよね。
あとはその精神運動面、これはまあ昔だから、例えばフォークリフトをどう動かすかみたいな、
そういう運動のことをね、なんか言ったりしているみたいなんですけど、
でも例えば英語学習の文脈で言っても、英語を使って話すみたいなのは結構精神運動面で言われていたことの方が、
今応用できそうかなっていう気はちょっとしています。
精神運動っていうのは一緒になってるんですね、精神と運動が。
サイコモーターっていう英語。
それは英語学習にどういう感じでつながるんですか?
例えば会話をしているときに相手の表情を見たり、
なんかこううなずいている雰囲気から今の会話の状況を判断して、
じゃあ自分はどういうふうに返していくと、このコミュニケーションがどう進んでいくかな、
みたいなのも精神運動面の方に割と分類されるタイプの能力というかね、スキルなので、
そういうところの方が今その認知よりも学びの中心になってきているって、
それ自体が変化しているのかなっていう気がしますね。
面白いですね。
なんか最近ここ2,3年ぐらい私も感じるんですけど、
その認知から、EQ的な話から、
すごい身体の話に近づいていることをいろんなところで聞くなと思っていて、
結局つながってたりはするんですけど、
そのちょっとおろそかにしていた、
その学びの文脈では身体の反応のところとか、身体のシグナルとか、
サイコモーターっていうところの話が結構けど重要になってきてるねっていう動きは聞きますよね。
面白い。
言語でもそうなんですね。
リーダーシップの文脈でもね、
今まではどうロジックを組み立てるかとか、
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なんか知識を持っているかとか、
ノウハウをどう知っているかとかだったりしたんですけども、
その後セルフアベネスがあったり、
EQの話があったり、
プレゼンスの話があったりとかしましたけど、
そのプレゼンスのところには、
実は自分のマインドと身体がどう一致しているかとか、
発言と行動がどう一致しているかとか、
ストレスを感じた時に、
やっぱりこう自分でコントロールできない部分がいっぱい、
自分の体に反応として起きた時に、
マインドフルネスでそれを意識して、
どういう風にそれと共存するかみたいな話だったりとか、
っていうすごい身体との向き合い方とか、
身体を自分の一部として、
ちゃんとマインドフルネスを持つみたいなことが
増えてきたなと思ってたんですよね。
3つのカテゴリーでブルームさんを考えてたっていうのは、
すごい興味深いです。
やっぱり認知がその当時は大事だったし、
それ以降もやっぱり認知が重心が置かれていた時代が長いので、
ブルームといえば認知みたいな風になっているんですけれど、
でも実は他の面にも彼はちゃんと言及はしていて、
バランスを取ることを考えてはいたっていうのはね、
ちょっと弁護的に。
勉強になります。
言えなかった。
なるほど。
だからね、ブルームのタキソノミの別バージョンが、
実はこのAIとかが発達したときには特に
再評価されてくるっていう可能性があるかもしれないですね。
確かに。
実際ね、マズローさんとかだって、
あのピラミッドだけがマズローさんの功績じゃないから、
それだけ普及してるっていうのもあったり。
有名になっちゃったので。
ちなみに今回これにあたってちょっと調べてこうって思ったのは、
日本の動きなんですけど、
日本でも、アメリカではちょっと後ですけど、
落ちこぼれっていう問題が発生した頃、
1970年頃にこのブルームさんの考え方を取り入れようっていう動きが
すごく活発になっていたっていうことですね。
なんで古い記録としては、1974年に
藤沢市の先生たちを合宿で集めて、
ブルームのこの分類を学ぼうっていう、
なんか研修会が行われていたっていうようなことがあるので、
日本でももう50年ぐらいの歴史があるものなんだなっていうことを今回知りました。
なるほどですね。私も日本の文脈でこれを知ったのは、
文部科学省の指導要項みたいなところにも、
このタクソノミーのことが引用されてたりとかして、
世の中どう子供たちにアクティブに、
受け身だけじゃなくって主体性を持って学びに向き合ってもらうか、
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みたいな多分ことを文科省も先生たちも考えている中では、
多分このブルームのタクソノミーのどうやったら知識を暗記するとか、
そういうレベルではないところを学びを作ってあげたいか、
みたいなところを考えるときに参考にしている人がやっぱり多いんだろうなという気はします。
そうですね。ブルームさんも来日したりしていて、
そうなんですね。
で、どんなふうに日本の教育に取り入れようかっていう相談というか議論をしたときに、
先ほど言ったね、上位面なんかは特にアメリカと日本では大きく違うだろうから、
日本は日本独自のものを作った方がいいよ、みたいなアドバイスをね、
していってるらしいです。
すごい。それが70年代に起きてた話ですか?
そうですね。来日はね、2回ぐらいあるみたいで、80年代にも来てるようです。
意外と身近な人に人気になっていますけど。
そう、だからこの間なんかね、
梶田英一先生が実際にブルームさんに会ったときの話とかをしていて、
近い近い、歴史が近い。
ブルーム、私の中ではもうとっくに50年代の話だから、
すごい遠い。
歴史上の人物っていう感じなんですけど、
実はまだね、日本にも会ったことがある人が活躍していらっしゃったりするので、
そう考えるとすごくこう、身近に感じますよね。
そうですね、そのメッセージを受けた日本の教育業界の方々が、
どういうふうにこれに向き合ってたかとかも実は知りたいですけどね、
その表に今も出てないかもしれないけれども、
その日本バージョンを模索した形跡があったかもしれないなっていう。
どうなんでしょうね。
日本版みたいなやつはちょっと今のところ見つけられてないですけどね。
でもまあやっぱり認知に偏っていると、
認知って別にあんまり文化的な影響を受けなかったりするので、
絶対そのサイコモーターとかソーシャルエモーショナルのところに、
途端に多分カルチャーとかね、すごく影響がありそうですよね。
例えば教室の中で発言の仕方とかも何となく暗黙。
ルールがあるじゃないですか。
アメリカのクラスルームで良しとされていることが、
日本の教室では良くないとか、逆回り期でとか、
あと人と人の距離感とかね、
そこら辺もルールがいろいろあるので、
そこが全然違いそうだなという気がする。
だから絶対研究してる人にそうですけどね。
ね、知っててほしい。
それになんかこう認知からその感情とか精神、運動、
そういうものに移った途端に、
なんか統計が取りやすいものから、
それぞれバラバラっていう変化も起きてきそうな感じがしますね。
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確かにね、認知より難しそうですしね、
測ったりするの、定規を作るのも大変そうですしね。
なんで、よりそういうものが求められてくるっていうのが、
今後かもしれないですね。
そうですね。
もう一つだけちょっと似てる話かなと思うんですけど、
アメリカの大学の入試が、
昔は統一試験でSATとかそういうのがあって、
そのテストのスコアが結構入試に考慮されるっていう時代だったのが、
ここ2、3年ぐらいに急にバタバタとSATを外す大学というか、
必須じゃなくす大学が増えてきてて、
すごく賛否両論あると思うんですけど、
例えばSATって3度も受けるのにお金かかるから、
お金持ちの人の方がたくさん受けられていい点数を提出できるよねっていう議論とか、
SATの対策の軸とかに向けて点数伸ばせるっていう、
格差を助長してるんじゃないかっていう意見もありつつ、
それがなくなると認知面で努力したら同じ定規で戦うことができた、
それがなくなることによって、
今度はリーダーシップを発揮した加害覚悟は何でしたかとか、
そういう定義がないというか、比べにくいもので勝負しないといけなくなって、
むしろそれはさらに格差を助長するんではなかろうかみたいな話もあるのも、
ちょっとそのアンチ認知みたいになってから、
急にそこでもまた別の問題があるっていうことが、
いろんなところで起きてるのかもなという気はしますね。
認知で偏ってたのは良くないと私も思うんですけど、
認知じゃなくなったとたん、いろいろな影響が及ぼされているというところへの
想像力がすごく重要なのかなという気はしてますね。
そうですね。学びと測りやすさっていうのは分けて考えるべきことなんですけれど、
学びを提供する側がついその測りやすさに頼ろうとすると、
それこそ例えばこのタキソノミで言うところの下の方に
留めておいた方が測りやすいので、
知識とかね、理解とか。
特に大規模になった時にはね、いくつ覚えてるかとかを数えるのが
一番単純で測りやすいのでね、
上に行けば行くほど、あるいは別の上位面とか精神面っていう
別のフィルターをかければかけるほど測りにくくはなるっていうところがね、
教育者側のジレンマなのかもしれないですね。
ブルームの上の方の分析している力とか統合している力を
レポートのペーパーで採点するのも大変ですよね。
日本の英語学習の文脈で言うと、
例えばもともとは正確さっていうのがすごく強調されていたので、
単語をいくつ正確に覚えてスペルできる、発音できるっていうところを
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測っていくっていうことから、だんだん流暢さの方に
重心が移って、多少間違えていても滑らかに話せていればいいじゃないか
っていう考え方になっていくときに、ブルームの段階で言うと
上に上がっていくっていうようなことがよくね、言われているんですけども、
最近はさらに、例えば教科横断型で社会問題を英語で語れるだろうか
自分の意見が言えるだろうか、そういうところでどんどん広がっていくので、
評価は難しいけれども、学びとしては豊かになっているっていうね、
その辺りが変化の一つでしょうかね。
なるほど、ブルームさんの上の方の評価が難しいけれども、
きっとそのAIとかの今回のパラダイムシフトが起こることによって、
そこも多分変わっていくんだろうなと思う理由の一つは、
前のね、AIツールの話をしたエピソードの時にもグラマリーっていう
英語の文法を添削してくれるAIのツールの話をしましたけど、
グラマリーも切り口が性格性、言葉文法的に性格性かとか、
分かりやすいかっていうのの他に、相手をエンゲージする度合いが高いかどうかの
切り口でチェックを入れてきたり、デリバリー?
届け方っていうんですかね、メッセージ、
伝えなきゃいけないメッセージの届け方がポイントをついているかどうかっていう話かなとは思うんですけど、
それを4つの視点で、そもそもそれを人間が採点するのも大変そうなものを
AIがちゃちゃちゃちゃやってくれているんですけど、
ブルームさんの学習のレベルの上の方の複雑的だ、
分かりにくいからスケールしないで評価とかいうような、
世界もちょっと変わってくるんだろうなっていう気がしますよね。
そこがハードじゃなくなって、もっと普及する可能性もあるのかなって思ったりします。
そもそも評価って必要なんだろうかとか、
誰が何のためにするんだろうかみたいな議論も必要ですよね。
確かに、いろいろなことを考えさせられますね。
今日、エミさんに教えてもらった回だった。
いやいやいや、とんでもない。
ありがとうございます。
とんでもない。
今回はそんな感じで、ブルームの教育目標分類というテーマについて話しました。
学びの話はこんな感じで、毎週1回配信予定です。
よければ番組をフォローしていただけると幸いです。
それでは、また次回。
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