1. まなびのはなし
  2. #004 - 「まなび」とは
2023-03-09 23:17

#004 - 「まなび」とは

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気軽にこのポッドキャストですでに何度も使っている「学び」という言葉が指すことについて考えていることを話しました。

  • それぞれの仕事において「学び」ってどういうことを指す?
  • 「学びとは」を意識するとき
  • 「学び」の定義を日英で調べてみて感じたこと
  • 学習者の方々から自分たちが学ばされるとき
  • 無知の知
  • 学びと勇気(learning at the/on the edge)とそのサイクルと
  • それぞれが大人になってから学んだ印象的なことtop 3の共有


関連エピソード

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このpodcast「#まなびのはなし」では、大人の学びをサポートしている二人が、それぞれ見つけた・考えた、ことを、話したいから話しています。話している二人はemi (ウェブサイト)とtomoko (ウェブサイト)。自己紹介エピソードはこちらです:#001 - 自己紹介

00:09
このポッドキャスト、「まなびのはなし」では、大人のまなびをサポートしている2人が、それぞれ見つけた、考えたことを話したいから話しています。
はい、今日もよろしくお願いします。
お願いします。
今回のテーマはですね、ポッドキャストのタイトルが、「まなびのはなし」って言っていて、今までの3回のエピソードでも、「まなび、まなび」っていろんなところで言っているんですけど、
改めて、「まなび」という単語のですね、定義について話してみようか、というのが今回のテーマになっています。
はい、まなびとはって、ともこさん、考えたりします?
仕事で考えることがありますね。
だいたいお仕事が来るときって、対象者がある程度決まっていて、こういうふうになってほしいっていう、期待値みたいのもなんとなくあることが多いんですよね。
こういうふうになってほしいという情報があると、こういうふうにどういう行動とか、どういうスキルとか、またその背景にどういう考え方とか価値観があるとそういうのがあるのかな、みたいなことを考えて、
一方で対象者の方々、その方々は今どういうことを考えて、どういう行動をしていて、というギャップは何なんだろうな、みたいなのを考えるという順番ですかね。
そういう情報が必要なんですよね。
じゃあ、どういうまなびを起こすのかなとか、これからどういうまなびにこの人たちを出会わせてあげようかなとか、そういうときにまなびを考えるっていう感じですかね。
そうですね。これはインストラクショナルデザインというゴールがあって、まなびを設計するときに考えるやり方なんですけど、
多分、このポッドキャストのタイトルにまなびを入れたときのまなびのイメージはそれよりさらにちょっと広くて、
そのゴールが必ずしも明確でもなくても、体験することによってまなびをそこから達成させるみたいな、ワークショップみたいな、研修とワークショップの間違いみたいなイメージですけど、
こう、圧差的にやるっていうのもまなびだなとは思っているので、私もえみさんも人生経験を積む中でいろんなまなびを、ただ生きてるだけでえみなんですか、ああいうのをまなびの中で入っているというイメージでした。
英語学習の文脈で言うと、例えば文法が理解できるとか語彙が増えるっていうタイプのまなびと、
英語を学んでいくってこういうことなんだとか、英語を使って私ってこういうことがしたいんだとか、そういうのと両輪で走っている感じがあるので、そういうようなことなのかなって感じました。
ただあれですよね、われわれこのまなびの話ってタイトルにサクッと使っているけど、あんまりやっぱり厳密にこのまなびについて話そうって決めてないですよね。
03:03
全部混ざって。
根本的には何しててもまなびになるっていう考え方なのかなっていう気がしますね、私自身はね。
あとそのどういう時に考えるかっていうことで言うと、やっぱり教師向けの研修とか教育大学院とかもそうですけど、教育者が集まる場ってまなびとはみたいなのを結構語ったりする機会があるんですよね。
なので一般的にはあんまり考えたことないよっていう人が多いかもしれないですけど、意外とこの先生って呼ばれるような仕事をしている人たちって、まなびとはを話し合ったり考えたりする機会ってあったりするんですよね。
そうですよね、学習理論の世界とかね、詳しく勉強されている方とかは常にまなびとは、知識を受け取るものなのだろうか、それとも意味を見出すものなのだろうかとかね、いろいろありますよね。
今回こういう機会なのでね、まなびとはって世の中ではみんなどんな風に定義してるのかなっていうのをね、私とトモコさんでザーッと出してみたんですよね。
こういうので世の中にいっぱいありますけど、いろいろ検索してみると定義が無限にあるっていう世界。
あとね、無限ですね。
英語両方で見たからなおさら無限にいろいろ出てくる。
そう、だから日本語の場合は学び、英語の場合はラーニングっていうのですけど、学びとラーニングもね、全く同じとはちょっと言えないところもありますけど、ここでは定義としてどちらも見てみたっていう感じで。
もう今すでに話に出てきた、例えば変わるとかね、行動するとか、なんかそういうのが割と入っているものが多いのかなっていう感じですかね。
そうですね、定義の中でもね、そのプロセスについて書いているものもあれば、何が起きたかに軸を置いている、例えば変化が永続的に残るとか、なんかそういう英語で書かれたり、トランスフォーマティブとかね、変容的なことを書かれたりとか、あと知識とね、スキルみたいな、ワットについてね、書いている違いの部分もあったりとかもしますよね。
あと学びのね、段階とか、教科の基準とかも、学びの定義によってまたいろんな使い方があるとか、定義を追求するとなんかネマですよね。
そうですね、定義を追求したり、定義を議論したりするっていうのは、答えを何か出すことが目的ではなくて、それについて考えて、自分はこの方向で学びっていうのを語ってるんだなっていうことに気づくことが目的なので。
なんかけどやっぱり仕事の中でもいろんな学びに関わっているんだなという気はしますよね。自分たちの体験ももちろんそうですけど、その仕事をしている相手の学びもいろんなタイプの学びに関わることができているっていうことなんだなと改めて思いましたね。
06:12
私の場合は英語を学びたいっていうモチベーションを持ってこられることがほとんどなので、英語とは切っては切れないっていうところはあるんですけど、でも一方で持ってくる方の専門っていうのがいろいろなので、
例えばお医者さんだったり、海外で営業している方だったり、大学の研究をしている方だったりっていう、そういういろんな分野を持ってきていただいて、そこで使う英語を私は学んでるっていうところがあるので、学習者の方に世界を広げていただいてるっていう感じはすごくありますね。
素敵ですね。理想ですよね。その学びに関わる人間として、なんか学びを届けてるつもりが自分が学ばされているみたいなっていうのはすごく起きることがあるなぁと思いながら、それがたくさんできる人と、そこまでその機会を活用しないままでもね、その場を作っておしまいともできるっていうのもあるので、ゆみさんの世界は広がるっていうのはすごい濃い体験を双方がしているんだろうなと。
ありがたい。
あとマンツーマンですもんね。
濃いですね。
そこはもうなおさら、内面の話とかスキルの話とか、その人に合わせて縦に全部カバーできるっていうイメージがあって、いいな、学びに関わる専門家としては濃くて楽しそうっていう印象があります。
学びとはっていう本を読み出して、私の解釈ですけど、私の言葉になっちゃいます。
学びっていうのは新しい学びを呼んでくるみたいな言い方をされていて、本当にそうだなぁと思っていました。
知識を暗記することだとか、何か覚えることっていうものではなくて、生きた知識を使っていくことによってまた新しい学びが生まれてくるみたいなね。
あやふやですけどね。
なるほど、それは本当そうですよね。
それとすごく近いかなと思うのは、学んでる人、賢い人は自分の知らないことを知っているみたいな。
無知の知。
そうそうそう、そういう話にも重なるところがあるなと思っていて、自分が学んでいくとどんどん自分の領域が広がるわけじゃないですか、
そうすると広がった領域と一歩先の暗闇が見えてくる。
その暗闇何があるんだろうって、またちょっと歩くことで自分の領域、明かりが灯されているところが少し広くなってくる。
永遠に黒い世界は目の前にすぐあって、っていうところにも少し離れる話かなと思いましたね。
そういう暗闇とか光とかっていうイメージで自分が自分の足で歩いてるっていうような映像を思い浮かべると、
09:05
学びっていうのは結構勇気がいることなのかなっていう気がしますか。
そうですよ、そうだと思います。
いろいろなタイプがありますけど、私結構英語のフレーズで好きなのが、
learning at the edgeっていうフレーズ。
なんかでも怖い。
怖いんですよね。
エッドのエッジというあれですよね、私の中で崖のイメージなんですけど、崖の近くで学ぶ。
またさっきの光と闇の間に立ってる。立ってるだけでも結構怖いじゃないですか、一寸の暗闇だと。
そのlearning at the edgeだよっていうフレーズが結構好きだったのと、
居心地が悪いとか心がソワソワドキドキするっていうところは今学びの機会にあるんだよみたいなことを言われたり。
コンフォートゾーンもね、いつか話しましょうね。
そうですね、確かに。
そういう意味で勇気っていうのはなんかすごくわかるなと思ったんですよね。
そうですよね、学びをするということは自分の知らないことを自覚して、なおかつそこに飛び込んでいく行為なので、
学ぼうと思っている人はもう勇気があるっていうことでしょうね。
それに加えてもう一つのパターンは、勇気を持って別に学ぼうと思っていないんだけれども、
何らかの形で暗闇にポトンと落とされた場合ですね、
その時に必死でキョロキョロしながら、自分で火でも焚いて足元を照らしながらキョロキョロして、
とりあえずサバイバルみたいなところは後から振り返るとものすごい大変だったけれども、
自分の足元の光の領域が広がった経験になるっていうパターンもあります。
別に全部準備OKだった場合じゃなくても学んだケースって結構あるなっていうのは。
気づいたら崖をもう落とされていった。
そういうのも全然ある。どっちの方が多いんですかね。
事前にその勇気持ってよいしょっていうそんなガッツがある人ばかり世の中にいないんじゃないかなと思うんですよね。
やらなきゃいけなくなったからか。
環境としてはやらなきゃいけなくなったとか、何か会社とか誰かの要請によって学びの世界に突き落とされたとしても、
やっぱりその中での自分の中での発見とか学びのプロセスの中にやっぱり崖っていうのは常に発生していくような気がするので、
やっぱりその度に崖を発見する度にやっぱり勇気を出さないといけなくなるんじゃないですかね。
多分それがだんだん楽しくなる人がいるんだと思うんですよね。
新しい世界が広がることがいくつか重なることで、こういうのが楽しいっていう学び体験がそもそも好きになる人っていうのがいるんだろうな。
それはたくさんいるような気がするんですけど、そういう自分の身体感覚でなんか気持ちいいみたいなことが積み重なってるかどうかが、
12:05
その暗闇にチャレンジし続けるかどうかにつながってるような気もしますけどね。
その勇気を出すために前勇気を出してみて、あんないいことがあったなーだったり、
他に一緒に勇気を出してる人がいて、一人じゃないならいけそうかなーとか、
あるあるある。
そういうことでしょうかね。
そうだと思います。そうするとだんだんと勇気を出すみたいなそんな意識しなくて、その間にか楽しくなってるっていう人もいるだろうなと。
そうやって勇気があんまりいらなくなってくると、学びに飛び込むなんかハードルが下がってくるっていう、そういう効果がありそうですね。
そうですよね。
ちなみにそんな学びから落とされた経験、または自分の暗闇照らしに行った、
うみさんなんか大人になってから印象的ななんかありますか?
いっぱいあると思うんですけど。
いっぱいないですって。
いっぱいないんですよ。
ともこさんにトップ3あげておきましょうかって軽めに言われて、いやそもそも3個もあるかなって。
いやいや投げた割に自分で考えてない。
思いつく3つでもよかったのかもしれない。
そうそう。なんでちょっと無理矢理3つ出してきたんですけど、大人になってから学んだこと一つは辛いもののおいしさ。
性格現れますね。どういうものですか。
何を学びと思っているかっていうのもね、これ現れてくるエクササイズだなって思ったんですけど。
すごい興味深い。辛いもの。
私ね、子供の時辛いもの一切食べられなかったんですよ。
大人になっても食べられなかったんです。全然。
なんですけど、ここ数年ですね、こういうことかって急に分かって、
なんかわさびとか唐辛子とか。
何があったんでしょうかね、学びの体験って。
なんかふとそれが降りてきたんですかね。
これが世の中で辛いものがブームになっている理由かっていうのが、なんか急に理解できて。
それで食べられるものも増えて。
光が広がった。
今好きな食べ物、キムチ鍋とか言えるぐらいの、なんか楽しくなりました。
さっきの定義のどっかにあった変容じゃないですか、まさに。
変容が起きてます。
変容が起きました。なんか別の人になった感覚ですね。
そりゃそうでしょうね。
今まで食べられなかったものがそんなにあったら世界変わりますよね。
最近って言いました?
最近、2、3年ですね。
これからの人生、楽しいですね。
広がった。
なるほど、面白い。
2つ目は自分の特徴がよくわかるようになってきたなと思います。
自己理解。
他の人と自分ってどこがどう違うのかなとかっていうのを考える機会が大人になってからすごく多くなったので、
15:06
知ってはいたけれど明らかになったっていう感じが性格でしょうかね。
例えば、私はシャイなんだなとか。
なるほど。
注目されていないとリラックスできるなとか。
あと、目標を立てるより振り返りをする方が得意だなとか。
先に行動して。
あとは時間の感覚。
私の時間の感覚って時計よりは早いんだけど、カレンダーよりは遅いんですよね。
何ですか、それ。
ポエム的な。
初めて聞きました。
本当?
どっちが早いんでしたっけ?
時計は早いんです。
だから1日の中で、まだこの時間だったらこれができるみたいな風に行動することができるんですけど、
カレンダーになると他の人がこれ1年ぐらいで到達できることに、
私は5年10年かかるなみたいな、そういう遅さ。
取り組んでることが大きいんじゃないですか?
いやいや、辛いものとかもそうです。
みんながすぐ分かることが、分かるまですごく時間がかかるなっていう、
そういう感覚の違い。
だから長くなっちゃいましたけど、
自分の特徴っていうのが分かるようになってきたかな。
で、3つ目はちょっと名言、クォートみたいな感じなんですけど、
命とは時間っていう言葉を学んだことかなと思いました。
これ、日野原茂明先生の言葉なんですけど、
命の使い方、時間の使い方、自分に使っていた命を他の人のために使うとか、
そういうどう使うかが自分にかかってるんだなっていう風に知ったっていうことで、
何か自分の行動とか考え方が変わったっていうのはあるかなっていう風に思いました。
最初の辛いもので一体どんなことになるのかと思ったけど、
つながってますね。
ご自身に対する理解っていうのがすごく多かった印象があります。
自分のことの解像度がすごく高まったみたいなのが学びの特徴としてあったのかなと聞いてて思いました。
トモコさんの大人になってから学んだこと聞きたいです。
全然違う感じなんです。
違うでしょうね。
一つはですね、人は変わる。人は多面的である、多層的っていうのかな。
いろいろなパーツが全部含めて人間であるみたいな、人間論みたいなところが一つあります。
この人はこうだっていうのが3年後は変わっているかもしれないし、
また環境によって変わるかもしれないし、
強さを出している部分の裏には弱さがあってとか、
18:01
たまたまその人を見かけた角度によって見えたものが、
同じ再現をされることはほとんどないかもみたいに思うようになった。
すごい極端ですけど。
それはいろんな人に会っているトモコさんならではの発見っていう感じがしますね。
そうですね。だから結構外的刺激によった気づきっていうのがやっぱり多くて、
長い間付き合っていく中で友人とか、自分自身もそうですけど、
見て抽出された学びっていう感じですかね。
発見したことに喜びを感じるみたいなのがあるんですよね。
この人はこんなところあったんだ、みたいなことですか。
そうそうですね。それもそうだし、
この人、他の人にはこう思われているけど、本当はこう思われたいところもあるんだなとか、
こういうところもあるんだなみたいなのを、
いろんなパーツを知っている方が、
友人関係とか友情とか同僚関係とかが強まる。
結びつきが強くなる。
それが自分に戻ってくるクラスのエネルギー。
そういうのを体感しているっていうのもあるんですよ。
その結果として結びつきが強くなるっていう部分大事ですよね。
ただ知りたがってねほりはほり聞いたのでは関係性にはつながらないので。
そんなに私、他人にキャブになるので。
自然に付き合っていく中で見えてくる争性とか多面性っていうことですよね。
そうなんですよ。それが一つ目。
二つ目は、これちょっと自分のことに近いんですけど、
すごく影響されやすいんですね、自分が。
なので、どういう環境に自分を置いていくかっていうのがすごく重要っていうのは、
自分の中で学んだことです。
なぜそうなんだろうなって思った時に、
やっぱり環境が変わるとそこの中にいる人が変わるじゃないですか。
そうするとその人たちにすごく価値観とか影響を受けるんですよね。
そういう意味で自分が多様性のあるごちゃごちゃしたニューヨークにいるのが
比較的たぶん心地よいのも、そういう環境の中で触れ合う人たちからもらう刺激が好きなのもあると思いますし、
家離団体で8年働いた時も、たぶんそういう団体の中で、
そこから得る自分に対する刺激とかもすごくやっぱり重要で、
環境を置くっていうのが私の二つ目の学びですかね。
これもやっぱり外から受ける刺激。
そうそう、なので外なんですよ。
外の刺激を踏まえてちょっと自分のことについて気づくんですけど。
トモコさんの世界は刺激がすごく多いのと、
トモコさん自体がその刺激を受け取るだけの受容体みたいなのをたくさん持っているから、
すごくいい化学反応が起きるんでしょうね。
そうですかね。もうちょっと若い時は軸がないなっていうのがすごくコンプレックスではあったんですよね。
なるほどね。
いろんなところで環境にブレンドしていくというか、カメレオン的になれるので、
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それはそれでなんかちょっともっと軸がある同世代の仲間を見ると不無理と思った時もありましたけど。
なるほどね。そういう解釈が変わっていくのも学びでもありますよね。
そうですね。
最後が、最後はやっぱり日本ですね。
日本で生まれたことについての意味とか、
日本で生まれ育った、女性として育ったことっていうのは、
世界の相対的にどういうことなのかみたいのは大人になるまで全く考えたことはなかったんですけど、
これも外部の環境はすごく大きいと思うんですけど、
外に出て日本のパスポートを児童にもらえた国籍を持って生まれたということはどういうことかとか、
生まれた時から電気と水が普通にあった屋根がある家で生まれたということはどういうことだろうかみたいな、
ちょっと極端に聞こえるかもしれないけど、
あまりにも世界でそういう自分にとって当たり前だったものがない人たちが多いことを知ったことで思っているのと、
女性については意識することもほとんどなかったですけど、
東アジア人の女性、日本の女性ということで、
無意識のうちに自分が培っていた価値観とかってあるんだなみたいな、
外からの視点でどういうふうに見られるんだろうとかっていうのは、
外にいるから観光のこととかあるって感じ。
なるほどな。
ご自身のアイデンティティだったり、
世界の中にいる自分っていう宇宙から見た時の視点みたいなものだったり、
そもそも学びとはなんていうのを語れるっていうこと自体が、
いろいろなラッキーが重なっていないとここにたどり着かないことなので、
それは本当にラッキーなことなんですよね。
本当にラッキーですよ。
本当にね。
じゃあ今週はこんなところでしょうかね。
はい。いろいろな話が出てきましたね。思った以上に。
学びの話は毎週1回配信予定です。
それではまた次回。
23:17

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