音声配信への安心感
こんにちは、マナミです。0歳から3歳までの3人の子供たちを育てながら、SNS発信やコンテンツ制作を中心にお仕事をしているママフリーランスです。
今日は産後ケアの施設から直撮りで撮っているので、ちょっと声がエコーかかった感じで、普段よりもちょっと雰囲気が違うかもしれませんが、ご容赦いただければと思います。
今日は音声配信の話をしようかなと思います。自分の声や話し方に自信がなくても全然OKな理由、というテーマでのお話です。
私は結構、音声配信を毎日やっているということが一つのアイデンティティというか、マナミさんボイシー毎日やっているみたいなところがあるかなって思うんですけど、
毎日やっててすごいですよねっていうことも言ってもらえたりもするんですけど、やっぱり音声配信できるってすごいですよねって言われることの理由に、
自分の声が嫌いだから音声配信できませんっていうのを言ってくる人が割といるんですよね。
自分の声が嫌いすぎて音声配信はちょっとできないです、みたいな。
それに関してすごい共感しつつも、声だけじゃなくて話し方とかもそうですね。
あんまり気にしなくても大丈夫だよって結構私言ってて、自分の声とか話し方に自信がないっていう人は音声配信できないのかって言ったら、実はそんなことなくって、
ちょっとその思い込み的な部分とか発信とか音声配信ってなると、自分の声とか話し方っていうのはちょっと違う角度から見ることができるんだよっていうのも思ったりするので、
ちょっとそんな話です。
まず自分の声が好きな人ってあんまりいないですよね。
これほぼほぼ私自分自身もそうなんですけど、自分の声別にそんな好きじゃないですね。
好きじゃないですねとか言って。
自分の声が好きだっていう人に会ったことないな。
ブロガーのたけしさんぐらいじゃない?
あの人好きって言ってたかなどうだったかわかんないけど、大体の人は自分の声あんま好きじゃないんですよっていうふうに言うんですよね。
これに関して何でだろうっていうふうに思って調べたりしたんですけど、なんかどうやらその自分の頭の中で響いてる音っていうのと、
頭の中っていうのはその頭蓋骨的なそっちの骨の中みたいな頭の中で響いてる音と、
あと他の人に空気を通して伝わってる自分の声っていうのが違うんですよね。
それがなんか嫌いもそうなんですけど、どっちかっていうと違和感みたいな感じ。
自分の中で響いてる音と、自分の声を例えば音声配信やってみようかなと思って収録してみたとか、リールで声取ってみたっていう時に聞いたらうわキモ!みたいになるっていう。
それは嫌いとか気持ち悪い、キモとかもそうなんですけど、基本はなんか違和感なんですよね。
思ってたのと違うっていう違和感から来るなんか嫌だなみたいな感じなんですよね。
だから自分の声が嫌いっていうよりかは、自分はこういう声だと思っていたのに聞いてみたら違ったっていう違和感の方が強いっていうことをまず認識して欲しいなというふうに思いますね。
私の場合は自分の顔とか声とか別に好きじゃないし、全身の撮影とかするともう本当猫背すぎるって言って、猫背すぎてカットしたことある。
撮り直したこととかいっぱいある。
なんか本当自分のこと客観的に見てなんかイライラすることの方がめちゃくちゃ多いですね。
ただなんかその自分の声とか見た目とかもそういうことが嫌いだからっていう理由で、じゃあコンテンツ出さないっていうのもなんか悔しいなっていうのもあって、
なんか私は自分の声とか見た目とか色々別に好きじゃないんですが、
なんか自分の中の好き嫌いっていうのとコンテンツを出すっていうのをちょっとなんか切り離して別で考えるっていうのにしてます。
で、あとその自分の声とかが嫌いでもいいっていう理由のもう一つのあるんですけど、
なんかやっぱ声質の好みっていうのあるじゃないですか。
で、私はなんかこの人の声聞いてられるわーっていうのが大事だなって思うんです。
でもこれは本当にあの好みの問題なので、
私の声を好きになってくださいと言って好きになるものでもなし、私の声が嫌いな人は多分どう頑張っても私の声って好きになれないと思うんですよ。
なんか大脳変園系とかでしたっけ?なんかねあの脳みそになんかダイレクトに響くんですよね。
その声の好みみたいなやつってなんかパキって分かれるみたいで、
なんかパッと聞いた時になんか音声配信いろんなの皆さん多分聞いたりとかする。
なんかあのこんにちはなんとかですとかっていうその冒頭挨拶の部分だけでなんかちょっと一目惚れじゃないですけど、
この人の声いいとかこの人の声あんまりっていうのが結構パッと直感的に分かれたりすると思うんですよ。
でこれなんかその人がすごいインフルエンサーだからとかその人の話がめちゃくちゃプロだったとか関係なく声質の好みみたいのがあって。
だから逆に言うとなんかその人の声に抵抗がなければ最後まで聞ける。
で抵抗があるとどんだけ話があっても話でも聞けないみたいなそういう世界線なんですよね声って。
だから自分の声が好きじゃないとか自分の声が嫌な人がいたらどうしようとかいう以前に自分の声が嫌いな人はそもそも放送聞かないよねみたいな世界線に言いますね。
音声配信の魅力
でなんかこの話で言うと実はまぁちょっと話それるようですが、うちの旦那本業牧師なんですけど教会の牧師ね。
声めちゃくちゃ褒められるそうなんですね。いい声して、別にねイケボじゃないんですよ。
イケボではない。あの間違ってもイケボではないんですけど。
なんていうかな、んーと親しみが持てるようなまあ優しい声なんかな。
まあ合体もがっしりしてるのでまあ熊さんが喋ってるイメージじゃないかな。
なんか私の中ではそんな感じなんですけど。
でなんかそれうちの旦那はなんか僕よく声褒められるんですよねとかっていろんな人にも言ってて。
私が声はいいけど中身は大したことないって話じゃねとか言ってひどいですね私ね。
そうそうそう。なんかちょっと思ったりするんだけれども。
でも結構これなんか理にかなってるっていうかなんかこの人の声いいなって思うとやっぱり聞いてられるんですよ。
それこそ牧師だったらその教会の礼拝のお話とか聖書の話とかをすることがまあうちの音はなりわいなんですけれども。
なんかこの人あのなんか今からする話抵抗なく聞けそうみたいなね。
声の第一印象で決まるとかっていうのはあるかなと思うんですよ。
でこれ逆に言うとなんか声の第一印象でなんかハマらなかった場合めっちゃボソボソしてるとかボソボソって話すとかなんかすごく高圧的な態度が声に出てるとかね。
だとなんか聞く側もちょっと緊張しちゃったりこの人何言いたいのかわかんないとかなんかこの人怖そうとかってそういう印象を与えちゃうみたいなとこがありますね。
だからまあ中身なくてもいい声出しとけとは言わないんですけどそれぐらいその声の好みとかなんだろういい声っていうのが結構いい声。
声の相性みたいな聞いてる側としゃべる側の声の相性みたいなのも割となんか大事なのかなっていうふうに思います。
だからそうですねなんかそんな感じで声の聞きやすさとか声の好みとかっていうのも結構影響してるかなっていうふうに思います。
話し方に自信がなくても全然OKっていうのは私別になんか話し方に関してなんかめちゃくちゃ勉強したとかプロですとかそういうの全然ないですね。
うちの父親なんかは話し方とかにすごくこだわる小学校の先生でしたけどね。
話し方の授業みたいのもよくやってました。
で別にそれのなんか影響を受けたわけではないんですけれどもただ音声配信においてのこの話し方のスキルっていうのはなんかそのいわゆるアナウンサーのように話すっていうことが大事なんじゃないんだなっていうのをすごく思います。
なんかあのやっぱり親しみが持てるとかなんかその隣で話してるような感じとかね。
なんかそれってなんかアナウンサーのように抑揚とかあのなんていうからそういうとかここの上手にここで区切ってとかブレスはとかなんかそういうことじゃない音声配信のなんか魅力というかなんかその人が私の生活の中で話してくれるみたいななんていうかななんかそういう生活に馴染む音声配信っていうのはまたちょっとそのアナウンサー的な綺麗な話し方とは別の世界線なんかなっていうふうに思います。
で、あのまあちょこっと私なりに気をつけてることとかなるべく聞きやすいなと思ってもらうために気をつけてることとしてはまず結論なるべく結論から言うっていう今から話そうと思ってることを少し前倒しで言うっていうこととかあと今からちょっと話変わるんですけどっていうこととかちょっと脱線しちゃうかもなんですけどっていうふうなちょっとなんか区切りみたいのをつけたりとかとかそれまでの内容を短くまとめるとかっていうのを意識してますね。
そんな感じで他にもいろいろ意識してることとかはあるんですけどいろんな人にやっぱりあの音声配信っていうのは挑戦してほしいなというふうに思いますね。何よりやっぱり自分との対話っていうので外に向けててもそうだけど自分の内側で起きる対話っていう意味でもあの音声配信していくとすごく考える力とか伝える力とかいろんなスキルも総合的に伸びていったりするもんだなというふうに思ったりするので
音声配信ね是非いろんな人に挑戦してほしいなというふうに思います。自分の声とか話し方に自信がないっていう人も今日の放送を聞いてちょっとやってみようかなって思ってくれたら嬉しいです。今日は音声配信のコツというか自分の声話し方に自信がなくてもOKだよっていうお話をしました。お昼の更新になりましたが皆さんここからも頑張っていきましょう。ありがとうございました。