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こんばんは。 5月の21日木曜日、20時になりました。
楽しくおしゃべり❗まこにぃの部屋のお時間です。 と言っているんですけども、
これ収録してるのはもう20時過ぎて、20時52分でございます。
えー、今仕事が終わりまして、収録しておるわけですけども、
いつも聞いてくれてありがとうございます。 そして、いいねやコメントも本当に励みになっております。
ありがとうございます。 そして、本題が入る前に一つお知らせをさせてください。
僕が作りましたチャイルミティー絵本、 リュウとミオ〜夢の虹という作品があります。
この絵本は、ただの物語ではなくて、誰かを思う気持ちや、 応援の気持ちを届けるために作った絵本でございます。
この作品の売り上げのロイヤリティはですね、 ノトの震災支援として使っていただく形になっております。
誰かのために何かをしたい、でも何をしているのかわからない、 そんな優しい気持ちを小さく、でもちゃんと形にできる一冊になってくれたらいいなと思っております。
もしよかったら概要欄に詳細を貼っておくので、 手に取っていただけたらとってもとっても嬉しいです。
よろしくお願いします。 ペーパーパック版とデジタル版がありますので、どちらの好きな方を選んでください。
さて、ここからが本題です。 今日は応援は思っているだけでは届かないという話をしていきたいと思います。
これ少し耳が痛い話かもしれません。 応援しています。見守っています。心の中でちゃんと思っています。
もちろんそれは素敵なことです。 誰かのことを気にかける。誰かの挑戦をそっと見ている。
心の中でうまくいくといいなぁと思う。 それ自体はとても優しいことだと思います。
でも今日はあえて少し踏み込んで話したいんです。 応援って思っているだけで本当に届いているんでしょうか。
ここです。 心の中で応援している。それは嘘じゃない。
でも応援される側からすると見えない応援は存在していないように感じてしまうことがあります。
これ責めているわけではないんです。 ただ現実としてそうなんですね。
どれだけ心の中で思っていても言葉にしなければ届かないことがある。
どれだけ見守っていても反応しなければ伝わらないことがある。
どれだけ応援しているつもりでも相手には何も見えてないことがあるんですね。
ここを自分たちは忘れがちなんじゃないかなと思います。
例えば誰かが発信しているとします。
毎日言葉を出している。 活動の思いを伝えている。
イベントの告知をしている。 自分の中にあるものを勇気を出して外に出している。
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それを見ていいな、頑張ってるな、応援してるよと思う。
でもそのまま何もしない。 いいねも押さない。
コメントもしない。シェアもしない。 感想も伝えない。
もちろんそういう日があってもいいと思います。
毎回反応しなきゃいけないなんていう話ではありません。
でもずっとそれが続くと発信している側はだんだんわからなくなるんですね。
届いているのかなとか誰か見てくれているのかなとか。
この言葉に意味があるのかな。
その活動はちゃんと誰かに届いているのかな。
そうやって見えないような不安が積もっていきます。
だからたった一つの反応がものすごく大きな力になることがあるんですね。
いいね一つ、コメント一つ、見たような一言。
いいと思うよっていう一言。 応援しているような一言。
それだけでもう少し続けてみようと思えることがあります。
もう一回出してみよう。 もう少し伝えてみよう。
誰かには届いているんだ、そう思えることがありますね。
応援って大きなことじゃなくてもいいんです。
むしろ本当に活動を支えているのは大きな応援よりも日常の中にある小さな反応だったりします。
すごいことをしなくてもいい、立派な言葉じゃなくてもいい、長文の感想を書かなくてもいい、
自分が目立たなくてもいいんです。
ただ届いているよってわかる形で少しだけ返す。
これだけでも十分に応援です。
でもここで少し厳しいことを言うと、応援しているつもりは時々自分にとって都合のいい場所に逃げ込む言葉にもなります。
心の中で応援しているから、見守っているから、そのうち何かができたらやるから、忙しいから、
自分なんかが言わなくてもいいから、そうやって何もしない自分を少しだけ正当化してしまうことがあります。
もちろん事情はあります。仕事もあるし、家庭もあるし、体調もあるし、タイミングもある。
だからいつも何かをしなさいという話ではありません。
でももし心の中で本当に一言言えたな、本当に反応できたな、本当は少しだけ関われたなと思うなら、
その小さな一歩を惜しまない方がいいんじゃないかなと思います。
なぜならその一歩は相手のためではなく、自分自身の居場所の一部としていく一歩でもあるからです。
ここが今日の一番の大事なところ、応援で相手を助ける行為に見えます。もちろんそれもあります。
でも実は応援することで自分もその場所に関わっていくんですね。
ただ見ている人から一緒に空気を作る人、ただの観客からその場の温度を少し上げる人になる、
ただの参加者から共犯者になっていきます。この変化がとても大きいんです。
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共犯者という言葉は少し癖のある言葉かもしれません。でも僕はこの言葉がすごく好きです。
ただ応援する人じゃない、ただ見てる人じゃない、少しでも自分の手を添えて一緒にその空気を作ってしまった人、
そういう意味での共犯者です。居場所って誰か一人で頑張って作るものではないと思っています。
もちろん最初に旗を立てる人はいます。言葉を届ける人がいます。動き始める人がいます。
でもその一人一人、その人一人だけでは居場所はなかなか育ちません。
そこに関わる人たちが少しずつ反応する、少しずつ声を出す、少しずつ伝える、少しずつ支える。
この積み重ねで居場所は暖かくなっていく。誰かがここにいてもいいよという、それに対して誰かがありがとうを返す。
また別の誰かが僕もそう思うと声を添える。そうやって言葉が行き交うことで居場所はただの場所ではなくなります。
生きた場所になるんですね。
ヒロノムさんが伝え続けている大丈夫君の居場所あるからという言葉も、
ヒロノムさん一人が言い続けているだけでは届く範囲に限りがあると思います。
もちろんヒロノムさんの言葉だから届く人がいる。
ヒロノムさんの人がだから救われる人がいる。
それは間違いありません。
でもその言葉に触れた人が今度は誰かの場所で、誰かにその温度を渡していく。
大丈夫だよ。ここにいていいよ。一人じゃないよ。僕も応援しているよ。
そうやって言葉が人から人へ渡っていく時、活動は一人物ではなくなります。
みんなで育てるものになる。
これが応援の面白さであり、難しさでもあると思います。
なぜ難しいかというと、応援には少し勇気がいるからです。
いいねを押すだけでも、コメントを書くのも、シェアするのも、感想を伝えるのも、実はちょっと勇気がいる。
そんなこと言ってへんじゃないかな。自分なんかがコメントしていいのかな。
うまいこと言えないしな。
間違って伝わったら嫌だな。恥ずかしいな。そう思うことありますよね。僕もあります。
でも完璧な言葉じゃなくていいんです。完璧じゃなくても全然いいんです。
応援に必要なのは、上手な文章ではなくて、温度があることだと思います。
よかったです。応援しています。
今日の言葉響きました。見てます。無理せず続けてください。それだけでいい。
むしろ飾りすぎた言葉より短くても、体温のある言葉の方が相手に届くことがあります。
応援の言葉って豪華な花束じゃなくていいんです。
道端に咲いている小さな花をそっと渡すようなものでいい。
それだけで受け取った人の一日が少し変わることがあります。続ける理由になることがあります。
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ここで少し自分自身も問いかけたいです。
僕はちゃんと伝えているだろうか?応援しているつもりで見ているだけになっていないだろうか?
大切だと思っている人にちゃんと大切だと伝えているだろうか?
頑張っている人にちゃんと見ているよと言っているだろうか?
居場所が欲しいと言いながら、自分はその居場所の育てるための一言を欲しんでないだろうか?
これは人を責める問いではありません。自分を整えるための問いです。
応援って自分の姿勢が出るんだと思います。
人の挑戦をどう見るのか?人の不器用さをどう受け止めるのか?
人の一歩にどんな言葉を添えるのか?そこに自分の人間性が少し出る。
だからこそ応援は大切なんだと思います。
そして応援する側に回ると自分の中にも変化が起きます。
誰かの挑戦を見る。その人の頑張りに触れる。少し言葉を渡す。少し関わる。
そうしているうちに自分も少し動きたくなる。自分も何かやってみようかな。
自分も誰かに言葉を届けてみようかな。自分もこの場の一部でいたいな。
そういう気持ちが生まれてくるんですね。応援は相手だけを動かすものではありません。
応援する自分自身も少しずつ動き出していく。だから応援って面白いんです。
外側から見ていたつもりがいつの間にか自分の中に入ってくる。
拍手していたつもりがいつの間にか一緒に舞台に立っている。
それが共犯者になるということなんじゃないかなと思います。
大丈夫、君の居場所あるから。その言葉をただ聞いて終わるだけでなく、
自分を誰かに渡していく。そのために大きな活動を始めなくてもいいです。
今日誰かの投稿に一言返す。今日誰かの挑戦にいいねを押す。
今日誰かに応援しているよと伝える。
今日少し自分の言葉を紹介してみる。それぐらいでいいんじゃないかなと思います。
でもその小さな行動は思っている以上に大きいんだと思います。
なぜなら自分の孤独を少し薄めることができるからです。
一人で発信していると本当に孤独になることがあります。
活動している人も挑戦している人もいつも強いわけじゃありません。
表では笑っていても心の中では不安なこともあります。
大丈夫そうに見えても実は誰かの一言を待っていることもあります。
だからこそ届く応援が必要なんです。
心の中で思っているだけではなく、ちゃんと相手に見える形で渡す応援。
それがあるだけで人はもう少し前に進める。もう少し続けてあげる。
もう少し自分の居場所を信じられる。
だから今日はこれを伝えたいです。応援は思っているだけでは届かない。
でも逆に言えばほんの少し形にすればちゃんと届く可能性がある。
完璧な場所じゃなくていい。大きな行動じゃなくていい。
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毎日じゃなくてもいい。ただ惜しまない。
いいと思ったらいいという。助けたいと思ったら少し手を出す。
伝えたいと思ったら短くでも伝える。
その小さな一歩が誰かの居場所を支えることでも支えることがあります。
そして自分自身がその居場所の強派者になっていくということで
今日は応援は思っているだけでは届かないというテーマでお話ししました。
心の中の応援はもちろん大切です。
でももう少しだけ余裕があるならその応援を相手に見える形にしてみる。
いいねでもコメントでも一言のメッセージでもいい。
その小さな反応が誰かにとってはまだ続けていいんだと思える光になるかもしれません。
ここで最後に一つだけお知らせをさせてください。
ヒロドムさんの思いや活動はYouTubeチャンネルプチズムの部屋でも配信されています。
大丈夫君の居場所あるから。この言葉の奥にある思いや。
ヒロドムさんの人柄。そして活動の空気に震える場所です。
ぜひ一度覗いてみてください。概要欄にリンク貼っておきます。
今日も最後まで聞いてくれてありがとうございました。
この放送が少しでも心に残ったらいいねやコメントいただけると嬉しいです。
それではまた次回の放送でお会いしましょう。
今日のお相手もマコニーでした。
それでは皆さんお幸せに。またね。
今日もありがとう。