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こんばんは、おはようございます。こんにちは、楽しくおしゃべり❗まこにぃの部屋です。
今日も聞いてくれてありがとうございます。
今日は日曜日ということで、ちょっとしたお話をしていきたいと思っておりますね。
本題に入る前に、いつもお知らせをさせてください。
読むだけで支援につながる絵本、竜と実を夢の虹。本当に大切なものはすぐそばにあるというメッセージと、
ミヨさんへの感謝と、そしての年への思いを込めたチャリティーの絵本になっております。
収益ロイヤリティーはすべて寄付され、ミヨさんを通じて現地の支援に使われています。
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怒りの特殊性
さて今日の本題はですね、怒りにとどまるということをちょっと話していきたいと思います。
怒ったり悲しんだり、嬉しかったり、そんな感情を抱えながら生きていると思います。
でもね、その中でも怒りや憎しみってちょっと特殊な性質を持っているんじゃないかなと思っています。
本来感情ってね、流れていくもののはずなんだと思うんですけども、
例えば悲しみは時に、時が経て少しずつ和らいでいくし、嬉しさもずっとそのままでは続かない。
だけど怒りだけはなぜかね、時間を止めてしまうことがあるんじゃないかなと思います。
例えば誰かに裏切られた、傷つけられた、大切な人の命が奪われたとかね、
その瞬間の怒りが自分の中に固まって何年も、時には何十年もそのまま抱き続けてしまうことがあるんですよね。
その時の感情にずっと自分が縛られてしまいます。
でもね、怒りにとどまり続けるって実はすごく危ういことだなぁと思うんです。
なぜならその瞬間から相手の本質も自分の未来も見えにくくなってしまうからです。
人って怒っている時はその相手の悪い部分しか見えなくなる。
その人の持つ他の面、優しさだったり葛藤だったり、過去の背景だったり、そういうものが全部ぼやけてただの悪者に見えてしまいます。
それで怖いのは、そんな怒りに染まった状態がその人らしさになってしまうこと。
本当はもっと柔らかい心を持っていたのかもしれないのに、怒りを手放せない人として自分自身を固定してしまうんです。
でもね、怒りを手放すって別に相手を許すことじゃないんですよ。
怒りを手放す意義
もっと根本的なところで自分の時間をもう一度動かしてあげるってことだと思うんです。
怒りの中にいると確かに正義があるような気がする。
でもそれは過去にしがみついているだけなのかもしれません。
こんな目にあったんだって、自分を正当化することで前に進むものを止めてしまっていることもあるんじゃないかなと思います。
誰かをずっと嫌いでいられる人って、もしかしたらその時のまま時が止まっているのかもしれない。
もし今、もうこのままでいいのかなってほんの少しでも思ったのなら、それは時計の針を動かすチャンスかもしれません。
怒りが流れ出す時、見えにくく見えなくなっていたものがまた見えてくることもあるかもしれません。
今日も最後まで聞いてくれてありがとうございました。
あなたの時間が優しく流れていきますように、今日のお相手もマコニーがお送りいたしました。
それでは皆さん、お幸せに。またねー。今日もありがとう。