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2026-03-09 07:23

「それでいいよ」って言ってほしくなる。

動けなかった頃や、不安でいっぱいだった時の経験をもとに、無理をしない考え方や、日常の中で選んできた小さな行動を話しています。
心や人との距離、毎日の過ごし方が、少しずつ楽になっていく過程の記録です。

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#自分らしく生きる  #心が疲れたときに  #小さな気づき  #等身大の言葉  #自己肯定感  #日常のひとコマ  #やさしい時間


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サマリー

このエピソードでは、新しいことに挑戦する際や、自分の考えを発表する際に、「それでいいよ」という他者からの肯定的な言葉を求めてしまう心理について語られています。これは、自信のなさからではなく、真剣に向き合っている証拠であり、誰か一人でも理解してくれる人がいれば良いという思いが根底にあることが示唆されています。最終的には、他者の承認に依存しすぎず、自分自身で自分の行動を認め、応援することの大切さが語られています。

「それでいいよ」と言われたくなる心理
はい、おはようございます。まこやんです。この配信では、不安で動けなかった頃の経験を元に、無理をしない考え方や小さな行動をお届けしています。
今日はですね、誰かにそれでいいよって言ってほしくなりませんか?ということでお届けしようかと思います。
誰かにね、大丈夫だよ、それで大丈夫だよって言ってもらいたいことってね、結構あの自分の中ではすごくあって、
で、これってどういう時かっていうとね、何かこうやろうとした時、チャレンジとか、まあ仕事とかでもね、こう
なんか自分で考えた案を
上司とかにあげたりする時に、なんかそれでダメ出しくらわないのかなーとか、なんか批判されちゃうかなーとか、なんかいっぱいあるんですよね。
で、まあそういうのってなんか意外と大したことなくて、今回ね、割と最近あったのが、
うちの会社にちょっと休憩所が2つあって、休憩所に集まってくださいとかっていうと、どっちで集まっていいかがね、分からないっていうのがね、
すごいね、大したことない悩みなんだけど、そういうのがあって、じゃあその名前をね、
じゃあつけちゃおうと思ってね、こうやったことがあって、ただその名前を一個出すだけにしても、なんかその
違う名前の方が良くないとか、あのポップの色がね、あのもっと明るい方がいいんじゃないとか、地味じゃないとか、なんかすごいいろいろ考えちゃうんですよね。
それで、なんか
出すことで、なんかこう言われたりしないかなーっていうのはね、すごくやっぱり感じるんですけど、
やっぱそれがね、やっぱりそういう時に、ちょっと誰かに見てもらって、いいんじゃないって、この一言がね、欲しくなるんですよね。
誰か一人でもいいよとかって言ってくれると、めちゃくちゃね、やっぱ安心するし、
大丈夫かなって、背中を押せられるんだけど、それでね、やっぱりこう、何だろうね、結構
他者からの反応と自己肯定感
いろんな場面でね、やっぱ言って欲しくて、こういう配信したりする時も、やっぱりこう、何だろう、いいねとか、コメントとかね、やっぱりこういただくことで、なんかこれやってて、ちょっと良かったなとか、
やっていいんだなって思える自分もいるし、それが逆にね、何も反応とかなかったら、
なんかやっちゃ、これ全然やってる意味ないのかなーとかね、そう思ったりもするし、そう、新しいね、何かをチャレンジする時も、なんかね、小さなね、ことであれば、まあいいかーってね、なるんだけど、ちょっとこう大きくね、
こう新しい、何だろう、方向を変えようとか、そう、なんか、新しいね、こう仕事を、とか、職業を始めてみようっていう感じになった時に、やっぱりこれでいいのかなーって、
まあ正直ね、やっぱり思っちゃう部分もあったりして、で、その時に、それで大丈夫ってね、こう、なんか嘘でもいいから、なんか言ってもらえると、なんかね、こう良かったりするっていうのはね、本当に、あのー、正直なところなんですよね、そう、でもそれって、こう、自分がちゃんとしてないからとかね、そう、ちゃんと、自分で自信を持ってないからとか、なんかそういう風にね、こう、思っちゃうかもしれないけど、
行動に向き合う証拠としての承認欲求
でも、あのー、本当は、それってちゃんと一個一個に、やっぱ向き合ってるから、だと思うんですよね、そう、なんかそれが適当なことで、どうでもいいやって思ったら、別に、そのー、そこにね、こう、背中押しなんか、別にいらないし、あのー、欲しくもね、それでいいよって、なんてね、欲しくもならないしね、そう、ちゃんと、まあ、考えてる、まあ、証拠って言ったらあれですけどね、うーん、そういうことなのかなーって思ったらね、
もう、思うしね、うーん、だから、自信とかね、まあ、そういうのもね、まあ、多少あるのかもしれないんだけど、まあ、誰かとね、こう、一緒にね、こう、それを分かち合いたいというかね、うーん、見ててもらいたいとか、なんかそういうのもね、あるのかなーって思います。で、仮に、あのー、本当にね、何も、そういう言葉もね、やっぱ、もらえなかったり、反応がなかったとしても、やっぱり、自分でね、うーん、その自分で、この自分を今、
動いたことに対して、うーん、それはね、よくやった、うーん、自分でちゃんと選択して、進んだ一歩だよってね、こう、言えることが、あのー、結構大切なのかなともね、やっぱり思うんですよね。うーん、自分を、誰がね、一番近くで見ているかって言ったらやっぱり自分なんですよね。そう、で、その自分が、自分に対してね、こう、なんか、う、嘘をつくというか、うーん、なんか、反、まあ、それを
批判、否定してしまうと、まあ、やっぱりね、こう、何もできなくなっちゃうし、
ちゃんとね、考えた一歩であるからこそ、自分だけはね、その一歩を応援してあげるっていう中で、うーん、気持ちがあってもいいのかなって思います。だから、こう、失敗するかどうかっていうのは、出してみないと分かんないし、で、10人いてね、10人がその
行動に対して、あの、イエスってなるわけじゃないんですよね。そう、あのー、一人一人考え方もね、こう、やっぱ違うし、そう、だから、何、全員を納得させることなんかまず無理だから、そう、もう、
納得させられ、納得というかね、そう、理解してもらえないっていう前提で、うーん、その中の一人がね、あのー、届いたらいいなとか、うん、分かってもらえたらいいなっていうたったたった一人をね、こう、
まあ、探すっていうのもね、ちょっと違うんだけど、まあ、届けばいいかなーって、うん、思いながらね、自分もこう発信したりしています。
自分自身で自分を認めることの大切さ
そもそもね、あまりこう、あのー、聞かれてないのでね、まあ、やったところで、誰も見てないみたいなのがね、先にまああるんですけど、だから今はこう、割と何でも出せるっていうね、まあ部分もあったりして、
まあこれがね、もう本当にいろんな人に届いて、そう、見られてるっていう状況だったらね、また全然多分きっと違うんだろうなーって思うけど、うーん、でもね、やっぱり人は不安だしね、それが、なんか、保険、保険というかね、あのー、安心がね、やっぱ欲しくなるんですよね、そう、だから何気ない一言を、こう、そのね、
行動行動にね、もらえる、もらえると、そう、やっぱね、こう、嬉しくなるなって、うん、それに依存しすぎちゃうのもね、あれなんですけど、そう、だからね、結構、あのー、それは普通なあのね、心なのかなーって、えー、思いました。はい、ということでね、今日はあのー、それでいいよっていうね、安心を、まあ、欲しくなるよねっていうね、そういうお話をしていただきました。
えー、自分もね、こう、あのー、配信しながらもね、こう、本当に迷いながら、うーん、毎日いいのかなーってね、思いながらやってるんですけど、まあ、自分をまず認めて、それで、あのー、みんなにね、少しでも届けばいいなと思い、えー、動いてますので、えー、これからもね、えー、聞いていただけると嬉しく思います。えー、本日はありがとうございました。
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