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ジョージ・スチーブンソン 笑われた機関車 15年後に鉄道の始まりをつくるまで【漫画「自助論」】
2026-11-03 11:40

ジョージ・スチーブンソン 笑われた機関車 15年後に鉄道の始まりをつくるまで【漫画「自助論」】

こんにちは。Lyustyleです。

夕方の道ばたで、26歳のジョージ・スチーブンソンが声を上げて泣いています。妻を亡くしてから1年あまり、やっとためたお金まで、すっかりなくしてしまったんです。学校へ行けず、18歳で夜学に通いはじめ、19歳でやっと自分の名前が書けるようになった炭鉱の機関手でした。

31歳で機関車を作りはじめてから、笑われ、広まらず、議会で問い詰められて技師の役を外されても、ジョージは機関車をやめませんでした。1829年10月、レインヒルの競技で、技師になった息子と作ったロケットが走ります。15年のあいだ、ジョージが何をやめなかったのかを、漫画と朗読でお届けします。

このお話は、サミュエル・スマイルズ『自助論』(1859年)の第4章「勤勉と粘り強さ」に出てくるスチーブンソンの話をもとに、第5章と第11章に書かれた若いころの姿を合わせています。原書にない場面や会話は、事実から外れない範囲で脚色しています。朗読は私Lyustyleが地の文も台詞も1人で読み、漫画はAIで描いています。

YouTube版:https://youtu.be/iHcBu9OVrC0

■チャプター
道ばたで泣いた26歳
字が読めなかった機関手
やめる理由は、いくらでもあった
それでも、やめなかった
1829年10月、レインヒルの競技
スマイルズが書き残したこと

■次回
牛の病で天然痘を防げると言って、医者の仲間に相手にされなかった、エドワード・ジェンナーの話です。

■関連リンク
前の回:ジェームズ・ワット https://youtu.be/bfqps8L0RXU
ブログ:https://idea4u.net
note:https://note.com/lyustyle

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夕方の道端で、体の大きな男が声を上げて泣いています。 妻を病気で亡くしてから1年余り、悲しみをこらえてやっと貯めたお金まですっかりなくしてしまったんです。
男が26歳。イギリスの北の炭鉱で石炭を引き上げる機械の盤をしています。 それから20年ほど後に、世界の鉄道の始まりをつくることになるジョージ・スチーブンソンです。
何度見放されても15年の間、機関車をやめなかった男。 けれどこの夕方のジョージは、そんな先のことは何一つ見えていません。
後年、ジョージは子を打ち明けています。 あの道で私はひどく泣いた。自分がこの先どうなるのか、まるでわからなかったんだ。
貯めたお金は目が見えなくなった父の借金を返すのに使いました。 その上、兵隊に取られるくじにも当たってしまい、代わりに行く人を雇うともう何にも残らなかったんです。
いっそ炭鉱も機械も捨ててアメリカへ渡ってしまうか。 けれどそのフナチンさえもうありません。
家ではまだ小さな息子が父さんの帰りを待っています。 ジョージは袖で顔を拭ってまた歩き出しました。
どん底の男がここからどうやって鉄道の始まりを作るまでになったのでしょうか。 話はジョージが子供の頃に遡ります。
炭鉱の家父の家に生まれたジョージは学校にはいけませんでした。 鳥家は力比べの強さと仕事熱心なことぐらいだったそうです。
17歳になるとジョージは炭鉱の機関を受け持つようになります。 機関が好きでたまらず休みの日にはバラバラにして仕組みを覚えました。
もっと知りたい。 ワットの蒸気機関のことは本に詳しく書いてあると聞きました。
ところがジョージは字が読めなかったんです。 18歳の頃ジョージは村の夜学に通い始めました。
中にいるのはほとんど交付の子供たちです。 そこへ大人の体をした大きな若者が背をかがめて入っていくんです。
恥ずかしくなかったはずはありません。 それでもジョージは通い続けました。
昼は機関の火のそばで先生が石板に書いてくれた問題を解き、 夜になるとそれを見せて次の問題をもらって帰ります。
19歳でジョージはやっと自分の名前が書けるようになりました。 その後何年もジョージは学ぶことをやめませんでした。
食事の合間に少しでも時間が空くとそばに泊まっている石炭の箇所に近づいてチョークを取り出します。
すすで真っ暗な箇所の横バルに白い数字が一つまた一つと並んでいきます。
やがて馬が箇所を引いて動き出すとジョージの書いた計算も箇所と一緒にごとごと運ばれていきました。
21歳でジョージは下宿先で働いていたファニーという娘と結婚します。 四季の後ジョージは教会の帳簿に自分の手で名前を書きました。
ペンを握る手に力が入りすぎてインクのシミが一つ落ちてしまいます。 それでも2年前までは書けなかった自分の名前でした。
03:08
間もなく息子が生まれました。名前はロバート。 ジョージは小さな息子を見て決めました。
自分は字が読めずに苦労した。 この子にはちゃんと学校へ行かせてやる。
けれど家族揃っての暮らしは長く続きませんでした。 単行を移って間もなくファニーは肺の病気で亡くなってしまうんです。
その後貯めたお金までなくしてジョージは道端で泣きました。 それでもジョージは単行に残りました。
息子を学校へやるために夜は近所の時計を直して少しずつお金を貯めていきます。
1812年ジョージは31歳で単行の機関をまとめて受け持つ技師になりました。
そしてジョージは馬の代わりに蒸気の力で石炭の華奢を引く機関車を作りたいと言い出します。
単行の持ち主がお金を出してくれましたが笑われたのはその持ち主の方でした。
あんなものに金を出すなんてバカだと言われたんです。 腕のいい職人もいなければ道具もありません。
ジョージは職人たちに一から作り方を教えました。
1814年の夏ジョージの一台目の機関車が単行の線路を走りました。
ガタガタガタガタとひどく揺れます。 歯車もうるさくなります。
それでもちゃんと石炭の華奢を引いて走ったんです。 ところが1年経って勘定してみると馬で引くのとかかるお金がほとんど変わりませんでした。
これではわざわざ機関車にする意味がありません。
ジョージは諦めずに工夫を続けました。 次の年の機関車では使い終わった蒸気を煙突の中へ上吹きに吹き上げるようにしました。
すると火が勢いよく煽られて機関車の力が倍になったんです。 けれども機関車は広まりませんでした。
それから8年の間他の土地には機関車の走る鉄道が1本もできなかったんです。
遠くの炭鉱へ送った機関車は重さで鉄のレールを割り続けて結局馬に戻されてしまいました。
それでもジョージのいる炭鉱では機関車が毎日石炭を運びました。 広まらなくてもジョージは走ることをやめなかったんです。
やがてジョージはリバプールとマンチェスターという2つの大きな街を鉄道で結ぶ仕事を任されます。
1825年の春。 鉄道を通すには議会の許しがいるのでジョージはロンドンの議会に呼ばれて証言台に立ちました。
ジョージには北の炭鉱の強い鉛がありました。 反対する側の弁護士たちがわざと答えにくい問いを次々に重ねてくるとジョージは言葉に詰まってしまいます。
それでも一度だけジョージが場を沸かせたことがあります。
機関車が走ってくるところへ牛が迷い込んだら大変困ったことになるでしょう。
そう聞かれてジョージは目をキラリとさせて答えました。
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ええ、困りますな、牛の方が。 けれど笑いが収まるとまた問い詰められます。
議員の一人はあなたは外国人かねと尋ねました。
別の議員はこの男は頭がおかしいのではないかとまでほのめかしたんです。
それでもジョージを本当に追い詰めたのはこうした悪口じゃありませんでした。
部下に任せていた土地の測り方に間違いが見つかったんです。 弁護士たちにそこを突かれてジョージは答えられませんでした。
鉄道の計画は取り下げになりジョージは議士の役を外されます。 友達からも信用を失ってしまいました。
ジョージは後にこれが一生で一番辛い試練だったと振り返っています。
穴があったら入りたかった。 それでもどんな仕打ちに耐えても決して負けないと思った。
翌年道筋を変えた計画が認められジョージは議士に戻りました。 けれど戻った先で待っていたのは底なしの沼だったんです。
入れても入れても土は沈んでいきます。 見ていた人たちはこんなところに鉄道なんて無理だと首を振りました。
それでもジョージは沼の側を離れません。 ジョージの口癖はやり抜けでした。
働く人たちにこう言います。埋め続けるんだ。 入れた土は見えないところでちゃんと働いている。
そして沼の上に少しずつ線路の道ができていきました。
1829年の春、鉄道の完成が近づいた頃、最後の大きな壁が立ちはだかります。
国で一番と言われる議士たちが鉄道は作るとしても貨車は機関車で引くのではなく、
線路の脇に据えた大きな機関で砂で引っ張る方がいいと報告したんです。
ジョージに味方する人はほとんどいませんでした。 それでもジョージは言い切ります。
機関車の鉄道はいずれ世界の大通りになる。 鉄道の重役たちは機関車が本当に使えるのかを競技会で決めることにしました。
機関車で貨車を引くやり方が使えることを今度こそ走りで見せる。 ジョージは競技会に向けて動き出しました。
競技に出す機関車を作ったのは今では議士になっている息子のロバートでした。
字の読めなかった父がヨノペで時計を直して学校へ行った息子が今は25歳の議士になっていたんです。
父のジョージはリバプールで工事を見ながら手紙を書きました。 息子はニューカスルの工場でその手紙を読んで機関車を組みます。
父が機関車を走らせながら重ねてきた工夫を息子が受け継ぎました。 その一つが1815年に父が見つけた
使い終わった蒸気を煙突へ吹き上げる仕組みです。 息子は細い管を何本も通した新しいボイラーと
父のこの仕組みを組み合わせました。 父の15年が息子の機関車の中で生きていたんです。
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名前はロケット。 1829年の10月リバプールに近いラインヒルというところで機関車の競技会が開かれました。
まるで競馬の大レースのような人で、着飾ったご夫人たちの席が設けられ、線路の脇には場所がずらりと並んでいます。
勝つ条件は平らな線路を20往復、合わせておよそ110キロです。 それを平均で時速16キロより早く、最後まで走り切らなければなりません。
けれどロケットには人気がありませんでした。 見た目がパッとしないというので集まった人の9割より多くが他の機関車を押していたそうです。
10月8日の朝、ロケットの番がやってきました。 火を入れてから蒸気が十分に上がるまで1時間近く待ちます。
父と息子は並んでじっとロケットを見ていました。 やがて合図がかかりロケットは13トンの箇所を引いてゆっくりと走り出します。
1往復、まだ走っている。 5往復、まだ走っている。
10往復で半分、それでもまだ走っている。 早いところでは時速およそ47キロに達しました。
20往復、ロケットはとうとう走り切りました。 観覧席の前にロケットが止まります。
それまで機関車に反対していた鉄道の重役が両手を挙げて叫びました。 これでジョージス・チューブンソーもとうとうやってのけたぞ。
ジョージは隣の息子の方を向きました。 息子も父さんの顔を見ています。
若い頃、貨車の横腹にチョークで計算を書き続けた手で、 ジョージは黙って息子の肩を抱きました。
2人はしばらくそのまま動きませんでした。 ジョージ・スチーブンソンのことを辞書論に書き残したのはサミエル・スマイルス。
スマイルスはこう書いています。 スチーブンソンは若い人たちに話すとき一番の助言を
いつもこの一言にまとめていた。 私がしてきたようにやり抜きなさい。
スチーブンソンは機関車の改良を15年ほど続けて、 レインフィルで決定的な価値を収めたのである。
あなたが何年もやめずに続けてきたことは何ですか。 よかったらコメントで教えてください。
次回は牛の病で天然痘を妨げると言って、 医者の仲間に相手にされなかったジェンナーのお話です。
どうぞチャンネル登録をしてお待ちください。
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