ポッドキャストの歴史と意義
シニアアップデートチャンネル始まりました。
パーソナリティは、ライフコーチ、Kindle作家でオンライン講師のりゅースタイル、
Apple Podcast、Spotify Podcast、StandFMをキーステーションに、
シニアの皆さんが安心して60代を豊かに過ごせるように準備するための情報をお送りします。
メンバーシップで、ポッドキャストチャレンジやろうよというような話になったので、
僕もこのポッドキャストをずっと振り返ってみたんですよ。
始めたのが2020年の1月ぐらいで、5年経ったわけですね。
間2年間はStandFMの方に行ってたんで、賞味3年というところなんですけれども、
5年前からの放送がずっとそこに残ってました。
全部エピソード数っていうのを画面に入ったんですけど、なんと293とか書いてありましてね。
あ、290回かと思いました。
これがね、私がこれまでにポッドキャストで配信してきたエピソード数なんですけれどもね、
モンテーニュの哲学
塵も積もれば山となるとかね、よく言いますけど、
最初は本当に何気なく始めたんですよね、2020年の1月。
やってみようみたいな感じで。
でもこうして数字として積み上がってきたら、なんか非常に不思議な考えがありますね。
過去のタイトルを見てみるとね、色々なんですよね。
なんかテレビで円盤の特集があったのが面白かったとかね。
異世界のビートルスのね、まだ現役でやってるという、
そういう異世界の方に紛れ込んで、そこからテープをこっそり持ってきたという人のね、
異世界ビートルスの音源が実際にYouTubeとかにあるんですけど、
アニメを言っていたりとかね、アニメが面白いとか、
本当にそういうようなのばっかりなんですよ。
いや、もう誰得というような話ばっかりやってるんですね。
こういうリストを見てみて、何か非常に面白かったということと同時に、
このような自分の考えというのが何かぴったりくるような言葉がないのかなということで、
色々と調べてみたんですよね。
そしたらモンテーニュにたどり着いたんですよね。
モンテーニュという人は16世紀のフランスを生きた哲学者であると言われているんですけど、
エーセイという名前を聞いたことがあるよという人もいるかもしれません。
日本ではズリソロクというふうに訳されていたりもしますね。
Amazonとか見てみたらもうずらっと本がありましたね。
そのエーセイとかも第何巻まではすごい著作になっているんですけど、
その中で彼が言っているそうなんですね。
私自身が私の書物の素材であるという、
なんか非常にぴったりくるんですよね。
なんで私たちは自分自身のことを話すのかとか、
自分の考えを世界に向けて発信するのかとかね、
そういう意味をモンテーニュの言葉と一緒に考えてみたいなと思いました。
モンテーニュの発見
モンテーニュという人物について、
まとめてみたいんですけど、
彼って今から400年以上前のフランスにいた人なんです。
彼は元々非常にエリートの貴族で、
調べてみましたら裁判所の仕事とか、
なんとボルドーシの市長とかも務めたような立派な社会人なんですね。
ところが彼が38歳の時に、
突然仕事を辞めるわけですよ。
38歳くらいで市長とかずっとやってたんですね。
そして彼は自分の貴族なんでお城を持っているわけですけど、
そのお城の塔に引きこもってしまうんです。
当時のフランスは宗教戦争の真っ只中で、結構大変な世の中だったんですよね。
世の中は結構混乱していて、
いことちなまざい事件というのは続いていたと。
そんな時代に彼は疲れ果ててしまったのかなというような感じですね。
彼は塔の中にある書斎にこもったんですけど、
そこには千冊くらい本が収納してあったわけですね。
彼はそこで静かに読書をしようと、
そして残りの人生を育て過ごそうと思っていたということなんですけど、
そこで問題が起きてしまうと。
退屈ということですよね。そして孤独。
何もしないでいると自分の心が暴走し始めたんだそうです。
これはあれと似てますよね。
定年後のエラのやることがなくなっちゃって、社会と縁が切れてしまったというような時の
そういう気持ちと似てるんじゃないかなと思うんですけど、
不安とか妄想とか取り留めないような考えとかが
頭の中を駆け巡ったんだそうですね。
彼は暴走する心と言っていいのか、
そういうのを書き留めようと思ったと。
これがエッセイの始まりだったそうです。
400年くらい前の本といったらそれは立派なもので、
それは神様について書かれた神学書がほとんどですね。
歴史上の英雄の物語とか、役に立つ科学の本とか、
そういうものが書物だったわけです。
ところがモンテーニューが書いたのは全く違っていて、
彼は何でもないんですね。ただの中年のおじさんですね。
そんな彼が自分の好き嫌いとか、体の不調とかについて書くわけですよ。
親指についてとか、匂いについてとか、
私は大根が好きだとか、白ワインが好きだとか、
そんなことまで書いてるんでそうです。
300年くらい前になるんですけど、吉田健康のツレツレ草にも
似たようなところがありますよね。
本の冒頭の読者へという文章でこのように断っているんだそうです。
これは私的な家族や友人のための本だとですね。
私の欠点もありのままの姿も
隠さず書くつもりだと。
そしてこの言葉ですね、だから読者よ、私自身がこの本の素材なのだ
という言葉に続くわけです。
これって当時ものすごい革命だったようですね。
自分的な考えというのが本のテーマになり得ると宣言をしたということなんです。
今でこそモンテニーといったら偉大な人のように見えますけど、
当時の人から見れば市長だったかもしれないけれども、
普通のおっさんですよね。
そういうような人の考えが本のテーマになるということなんです。
彼はこうも言っていると、世界で最も偉大なことは
自分自身を自分のものとして知ることだと。
自己表現の重要性
これが願蓄がありますね。
私たちはつい自分以外の何者かになろうとしていることがありませんか。
もっと賢くなろうとか、もっと立派になろうとか、
誰かの役に立つようなことを言わなければならないとか、
そういうふうに身構えてしまうんですね。
このポッドキャストもそうなんです。
でもモンテニーは違っていたわけですね。
一番よく知っているテーマだからだというスタンスなんですね。
私が290回以上ポッドキャストを続けてきて、
同じことを今感じているわけですよね。
最初の頃はデタラメなことをいろいろ言っていましたよ。
興味関心に合わせて言っていたんですけど、
それでも何か役に立つような情報を話さなければならないんじゃないかと思って、
一生懸命そういうようなことも喋っていましたね。
でも長く続けていくと、
結局残るのは自分なんですね。
こうして振り返ってみると、やっぱりそうでしたね。
自分が何を感じたかとか、自分がどう考えたかとか、
専門知識はGoogleで何でも手に入るけど、
でも私という人生のフィルターがかかった、
そういうようなものは私にしか書かれないわけですね。
だからモンテに言って、自分のことを変化し続ける
頼りない存在だと言ったんですけれども、
その変化そのものを記録しようと彼は思ったようですね。
そしてこれまでの290回の配信をしてきた私とも重なります。
ポッドキャストは現代のエッセイ。
ここでエッセイという言葉に注目をしてみたいと思います。
エッセイというのは、私たちはよくエッセイと言ったりしますけれども、
これはフランス語で試みという意味なんです。
英語のエッセイの語源なんですけど、話すこと、
実験することみたいな意味なんだそうです。
モンテーニュとの出会い
なんでモンテに言って自分の書いた文章というのを完成品とか持ってなかったんですね。
あくまで自分の趣向の試し書きだったということなんです。
私は答えを知っているから書くのではなくて、
答えを探すために書くのだというニュアンス。
これポッドキャストのそのものなんですよね。
こうしてマイクに向かうときとか、
最初から完璧な台本があるわけでないことがほとんどなんですね。
今回は僕は台本を書いているんですよ。
そんなにたくさんモンテに言うことを知っているわけではないので、
普段はその場で思いついたようなことをしゃべっているんですけど、
話し始めると、話しながら
自分こう考えていたんだなとか、やっぱり気づくことがあるんです。
話すことって考えることの試みなんですよね。
エッセイなんですよ、これもね。
モンテには有名なモットーがあったそうで、
これは結構有名な言葉なのでご存知かもしれないんですけど、クセジュですね。
フランス語では私は何を知っているんだろうかというようなことですね。
昔クセジュ文庫という文庫がありましたそういえば。
今もあるのかな。
これは私は何も知らないという謙虚な姿勢なわけですね。
だから何も知らないからこそ考え続けるのだという意欲でもあるということです。
今回の私の290回の配信というのは、
まさに290回のエッセイ、試みだったんですけど、
うまくいった回もあるし、何を言っているのかわからないというような回もあるんですね。
でもその全てが今見ると、
私の試行実験だったなというように思います。
こうして見ると、エッセイと私のポッドキャストを重ねて
同じようなものだと言っているような感じがするんですけど、決してそうじゃないんで。
そこから糸口にして振り返っているというようなことですね。
さてモンテ人の言葉で、
結構よく思うことがあるんですよね。
こんなことをモンテ人は言っていたんだと思ったんですけど、
私が書物を作った以上に、書物が私を作ったという言葉があるんですよね。
これはものすごく共感しまくりですよ。
モンテ人は自分の本を何回も書き直したんだそうです。
新しい版が出るたびに古い文章を消さずに、
新しい考えを書き足していたんだそうですね。
だからエッセイの中では、若い頃の彼と年老いた彼の意見が
矛盾して同居しているんですよ。
でもあえて彼はそのままにしたんだということで、人間というのは変わるものだからですね。
それでこのようにして書き続けていったと。
そうやって彼は自分自身を理解するということを
続けていったわけです。
もともと哲学者だったというわけでも何でもなくて、
書き続けてきたという行為がいつの間にか
彼を哲学者に育てていったということですよね。
私もやっぱりそうで、ポッドキャストを始めた頃の
2020年の1月頃の自分と、5年経った今の私って
全然違うんですよ。話し方も違うし、
考え方も当然変わっていますね。
でももしかしたらその変化というのは、
ブログとか電子書籍とか、そういうもので
ずっと考え方を出しながら起きたからこそ
その変化というのは起きたんじゃないかなと思うんですよね。
アウトプットすることで、私自身も
同じことを何度も何度もいろんなところで書くんですよ。
これで喋ってみたりとか、電子書籍に書いたりとか、メルマガに書いたりとかね。
何度も何度もそうやって書いていく中で、
その変化というのは整理されていくわけですね。
なので、私自身が書物の素材であるというその言葉は非常によくわかります。
この言葉というのは決して、自分大好きという言葉ではないということは
おわかりですよね。
私たちついついいろんな発信をする中で、ネタがないなと悩むわけですね。
何か書くには特別な体験が必要だと感じてしまうということは
ありませんか。
子どもたちが夏休みの絵日記とか書くときに
何もしてないから、どこも行ってないから書けないとか悩んだりしますよね。
やっぱりそれと同じで。
でもそのモンテーニアは自分の親指の話で一生だけを書いたということですね。
非常に些細なこととか、ふと感じたこととか、
それらすべてが素材になるという一つの典型ですよね。
なので僕らの人生そのものが最高に面白いコンテンツになるよ
そういうことがこのモンテーニアとの出会いによって
さらに補強されたなというように思います。
自分自身のコンテンツ化
ということで今日は293回の振り返りと
モンテーニアの言葉について
結びつくことについてお話をしたんですよね。
私自身が私の書物の素材である。
この言葉を私の大事な言葉にして
これからさまざまなメディアで
また発信を続けていくと思うんですけれども
そういう時に思い出しながら、私のその時の考え、ありのままの考え方
借り物でない自分自身が感じたことですね。
そういうことをしっかりと語っていければなというように思います。
なのでこのポッドキャストもこれから先もそんな風でありたいかなと思います。