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2026-02-09 11:21

モンテーニュと徒然草、枕草子

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サマリー

このエピソードでは、モンテーニュと日本の随筆、特に『枕草子』と『つれづれ草』が考察されています。モンテーニュが自分自身を素材にしたエッセイを発表する一方で、清少納言が女性としてその形式を早くに確立し、個人の視点を文学に反映させていたことが語られています。

モンテーニュのエッセイの革命
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前回は、モンテーニュを例にとって、私自身をコンテンツにするというお話をしました。
今回は、この自分のことを書くというテーマについて、もう少し掘り下げていこうかなと思います。
まず、モンテーニュについてのおさらいをしておきましょう。
ミシェルド・モンテーニュ。16世紀のフランスを生きた哲学者です。
彼はエッセイという有名な本を書いています。
日本では随葬録と訳されています。
この本が文学の歴史において非常に革命的だったと言われています。
なぜ革命的だったのかというと、それはモンテーニュ自身がこう言ったからです。
それは、私自身が私の本の素材であるということです。
これは当時としてはとんでもないことだったわけです。
神様のこととか、歴史的な英雄の話を書くものとか、そういうものだったからですね。
ところがモンテーニュは自分自身のことを書いたわけです。
自分の好き嫌いとか、自分の体の調子とか、自分の弱さとか不安とかね。
ごく普通の一人の人間としての自分というものを、そのまま本の内容にしたわけですね。
これがエッセイというジャンルの誕生でもあったということです。
王様でも英雄でもなくて、一般の人間が書物の主人公になり得るということ。
そのことを示した点で非常に歴史的な転換点だったんだというように、このエッセイという本は言われているわけですね。
日本の随筆の先駆者
枕草子とつれづれ草。
さてここで少し視点を変えてみましょう。
日本ですね。日本の文学史を振り返るとですね、あることに気がつきます。
モンテニューがエッセイを書いたのは16世紀の終わり頃ですね。1580年ということです。
日本ではどうだったのかというと、実はもう少し前に似たような本があるんですね。
枕草子です。あるいはつれづれ草ですね。
これらは随筆と呼ばれてますよね。英語で言えばまさにエッセイ。
時代を確認してみると、清少納言が枕草子を書いたのは西暦1000年頃。平安時代の中頃ですね。
吉田謙光がつれづれ草を書いたのは西暦1330年頃と言われてまして、
鎌倉時代の終わりから南北朝時代にかけての頃ということですね。
モンテニューよりも数百年も前ですよね。
鎌倉の草子に至っては500年以上も前ということになります。
モンテニューが自分が本の素材だと宣言する遥か昔に、
日本では当たり前のように個人の感想が書き残されていたということです。
これって結構すごいことだと思うんですよ。
西洋で革命的だって言われたことが、日本ではすでに定着したわけですからね。
吉田謙光は普通の人か。
ここで一つの疑問が湧いてきます。
モンテニューの功績というのは、一般の人間が自分のことを書いたという点にありましたよね。
ではその日本の彼らっていうのはどうだったんでしょうか。
吉田謙光とか鎌倉の草子とか、彼らは一般の人と言えるんでしょうか。
まずは吉田謙光について考えてみましょう。
吉田謙光は謙光法師とも言われてますよね。お坊さんです。
彼は元々は役人だったんですよ。
でも世の中の無情を感じて出家をしたんです。
そして世間から離れて隠れ住んでいたわけですね。
権力の中枢にいたわけではなくて、
偉大な政治家として開講録を書いたわけでもなくて、
彼はただ隠居した普通のおっさんですね。
そうやって世の中を見ていたわけです。
最近の若者はーとかね、家の作り方はこうしたらいいとかね。
友達にするならこんな人がいいとかね。
例えばこんなのがあります。第34弾。
貝甲はホラ貝のような貝なんだけど、それよりも小さくて、
口のあたりが細長で突き出している貝の蓋だ。
こちらはフンフンと思いながら読むんですね。
武蔵の国、金沢という裏にあったが、土地の人はヘナタリと申しておりますと言っていた。
それで終わりなんですよね。
なんだこれと、何のつもりで書いたんだみたいなものがあるんですけど、
そういうものがたくさんあるんですよね。
本当に普通のおっさんが見聞きしたものを、
本当に個人的な意見ばかりが書かれているという。
そういう意味では彼もまた自分自身を素材にしたと言えるんですよね。
そして一般人の考えとか美意識とかね。
それが一冊の本として成立するということを証明をしていたんですね、すでにね。
門邸には一般の人とはいえ、ボルドー市長までもしたような人です。
また家の中に一千冊も本があるような、そして閉じこもれる塔があるような、
それなりのお金持ちな貴族だったんですよね。
ボルドーの市長を引退をしたとはいえ、
それなりに有名な後人であった時代があったわけですね。
後人というのは公の人と書くわけですね、ボルドーの市長だから。
ところが吉田健吾なんて本当にただのオッサンですよ。
今、その本が残っているから有名になっているだけであって、
当時の人にとっては、前は役人で今はイントンしている坊さんだという、
その程度のことでしかないわけですね。
それから考えるとですね、
そういう一人の人間の視点がこうやって700年も後に読み継がれているというのは、
これはすごいことですよね。
まさにエッセイの元祖ですね。
女性の視点の重要性
枕草子と女性の視点
さらにもう一冊、枕草子についても考えてみましょう。
こちらはさらに時代を遡りますね。
著者は清少納言、彼女は女性です。
ここが非常に重要なポイントなわけですね。
1000年前の世界を見渡してみると、
女性が自分の名前で自分のことを書き残した本なんて、
そんなのはないわけですよね。
ヨーロッパではまだラテン語が中心の時代で、
それなりにしっかりと学ばないと読み書きできなかったような時代なんですけど、
女性が自分で自分のことを書いて主役になるなんてことは、
まずなかったわけです。
でも日本では違ったわけですね。
清少納言は宮廷に仕えてはいたんですが、
基本的には一人の女性です。
彼女は日々の生活の中で感じたことを書き続けましたよね。
春は明け物がいいわよねとかね、
説教をする坊さんはイケメンの方がいいわとかね、
セクターらしいものリストとかね、
そういうものを作ってみたりとか、
非常に彼女の視点というのは主観的で自由なわけです。
確かに彼女は一般人とか庶民とかいうわけではないですよね。
彼女は貴族社会の中心にいたわけですけれどもね、
でも女性が書いたという事実というのはもう厳然としてあるわけで、
これは門庭に以上に画期的だったんじゃないかなというふうに思うんです。
男性中心の社会の中で、
女性が自分の感性だけで一冊の本を書き上げたという事、
そしてそれが評価されて1000年も読み継がれているというね、
そのような事です。
これは世界文学の奇跡ですよね、これね。
自分自身を素材にするという点において、
彼女は誰よりも早くそれを実践したという事です。
モンテニューが生まれる500年も前に、極東の島国で女性がそれを成し遂げていたという、
この事実というのはそれなりに高く評価をされていますよね。
ということで、今日はモンテニューと日本の随筆ということについて考えてきました。
自分自身を語るということですね。
これはもう西洋では16世紀になってようやく発見された概念だったということなんですが、
それが近代的な個人の始まりとされているわけなんですけど、
でも日本では平反時代の昔からそれを私たちはやっていたわけですね。
私たちは自分の心に浮かんだことを書き留めるというのはみんな好きなんですよ。
取り留めのない感想とか、日々の愚痴とか、ふとした発見とかね。
それが随筆という名を与えられて一冊の本になり得る。
私たちはそのようなメモとかをブログとかSNSとかの形で表すことが今はできるようになりましたね。
これってやっぱり現代の枕草紙とかね、つれづれ草だったりするとも言えますよね。
本当にね、1000年前から相変わらず自分を語るというのが僕らは好きなんですよ。
文庭にはですね、私が本を作るのではない、本が私を作るのだというふうに言いました。
私はですね、シニアアップデートプロジェクトの中で10年ブログというものを提唱しているんですね。
これは収益化ブログではなくて、ただただ長く書き連ねるブログ。
収益化、つまり広告収入とかを得るためではなくて、
ただただ好きなことを書き続けていくというような、そういうブログをみんなで書こうよということを言っています。
好きなことを書いているうちに、だんだん自分の好きなことというのが形になっていって、そして自分の考え方に成長していくんですね。
これがですね、モンテニューが言った、私が本を作るのではない、本が私を作るのだという、そういうことに通ずるものだなというふうに思っています。
書くことによって自分が何者かが見えてくるということです。
そしてそれをモンテニューよりも先に日本人は昔から知っていたということは、なかなか誇らしいことではありますね。
はい、ということで今日はですね、皆さん日記を書いてみてはいかがでしょうか。
誰かに見せるわけでもなく、ただ自分自身を素材にして書いてみるということですね。
もしかしたらそれが千年後まで読み継がれて、誰かに影響を与えることになっているかもしれませんね。
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