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エドワード・ジェンナー 牛痘のうわさから種痘を生んだ20年
2026-11-05 13:05

エドワード・ジェンナー 牛痘のうわさから種痘を生んだ20年

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再生リスト「漫画「自助論」」の3本目です。

1796年の夏、イギリスの田舎の医者エドワード・ジェンナーが、家で雇っているにわしの8歳の息子の腕に、細い刃を当てようとしています。牛痘にかかった乳しぼりは、天然痘にかからない。13歳のころに聞いたその小さなうわさを、ジェンナーはずっと忘れずにいました。

医者の仲間に笑われ、会から追い出すぞとまで言われても、ジェンナーは20年あまり、一人ずつ比べて確かめつづけました。それまでの人痘接種は、本物の天然痘を植えるやり方で、かならず死ぬ人が出て、人間の手で天然痘を世の中に生かしつづけていました。ジェンナーの方法の何が画期的だったのか。笑われたうわさが、やがて世界から天然痘をなくすまでを、朗読でお届けします。

このお話は、サミュエル・スマイルズ『自助論』(1859年)の第5章「助けと機会 科学の探究」に出てくるジェンナーの話をもとにしています。原書にない場面や会話は、事実から外れない範囲で脚色しています。

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1796年の夏、イギリスの田舎のある家の一室で、男が家で雇っている庭師の8歳の息子の腕に細い刃を当てようとしています。
刃の先についているのは天然痘の患者から取ったウミです。 天然痘は、かかれば多くの人が命を落とす、その頃一番恐ろしい病気でした。
刃を持つ男の手がかすかに震えています。 この男は子供たちを天然痘から守る方法を長い間探してきました。
その方法が本当に効くのかどうかを今確かめようとしているんです。 もし効いていなければこの子は天然痘にかかってしまいます。
男は田舎の医者エドワード・ジェンナー。 始まりは父搾りの娘がもたらしたたった一言でした。
私は天然痘にはかかりません。牛頭にかかったことがありますから。 牛頭というのは牛から移る軽い病です。
この子にも6週間前にまずその牛頭を植えてあります。 娘の言ったことは本当なのか、そしてこの子は助かるのか。
ジェンナーは息を整えて少年の腕に刃を入れました。 話はジェンナーが子供の頃にさかのぼります。
その頃のヨーロッパでは天然痘で毎年40万人もの人が命を落としていました。 助かっても顔には一生消えないアバターが残ります。
目が見えなくなってしまう人もたくさんいました。 この病を防ぐ手立ては一つしかありませんでした。
本物の天然痘の海をわざと少しだけ植えて軽くかからせておくんです。 人頭摂取と言います。
けれど本物の天然痘です。 何十人に一人かはそのまま重くなって必ず死ぬ人が出ました。
その上、植えられた人から周りの人へ天然痘が移って新しい流行の元になりました。 天然痘を防ごうとして人間の手で天然痘を世の中に生かし続けていたんですね。
8歳のジェンナーもこの人頭摂取を受けさせられました。 その前に何週間も血を抜かれ、
痩せ細るまで食べさせてもらえず、植えられた後は他の子供たちと一緒に馬小屋に入れられたんです。 この時の辛さをジェンナーは年をとってからも忘れませんでした。
13歳の頃、ジェンナーはチッピングソドベリーという町の下界のところへ弟子入りしました。
ある日、親方の店に若い田舎の娘が相談に会ってきます。 話が天然痘のことになると娘はあっさりこう言いました。
私はその病気にはかかりません。牛頭にかかったことがありますから。 牛頭にかかったものは天然痘にかからない。
この噂はその土地の乳森たちの間でずっと前から言われていたことでした。 医者たちも耳にはしていました。
けれど田舎のつまらない噂だと思って誰も本気で調べようとしなかったんです。 ところが少年ジェンナーは薬を吐かれてをふと止めました。
03:03
牛の病で天然頭にかからない。本当だろうか。 この一言がジェンナーの頭から離れなくなりました。
21歳でジェンナーはロンドンへ出ます。 名高い家界、ジョングハンターの家に住み込んで学ぶことになったんです。
ジェンナーはハンターに牛頭の噂をどう確かめたらいいのかを何度も話しました。 ハンターはこういう時いつもこういう人でした。
考えるな。試せ。辛抱強く。正確に。 2年後ジェンナーは生まれた村へ帰って田舎の医者になりました。
村の近くには周りの医者たちが宿屋に集まって食事をしながら話をするという会がありました。
ジェンナーは冗談がうまくいつも場を沸かせる人気者です。 ところがジェンナーが牛頭の話を始めるとみんなの顔が曇ります。
またその話かというわけです。 それでもジェンナーは会の度に何度も牛頭の話を持ち出しました。
とうとう仲間たちは言いました。 そんな役に立たない話でこれ以上うるさくするなら会から追い出すぞ。
1780年の5月ジェンナーは親友と馬を並べて田舎の道を進んでいました。
その道すがらジェンナーは牛頭の噂よりももっと大きな望みを初めて打ち明けます。 牛頭を人から人へと植え継いでいけば
世界から天然糖をなくせるかもしれない。 そしてこう付け加えました。
人には言わないでくれ。 実験で何かまずいことが起きたら私は医者の仲間の笑い者になる。
私はみんなの標的なんだ。 親友に打ち明けた後もジェンナーの調べる日々は続きました。
往診の馬で農場を回っては乳搾りたちに手を見せてもらいます。 いつどの牛からどんな風に移ったのか
一人ずつ聞いて書き留めていきました。 ところがある日ジェンナーは困った人に出会います。
牛頭にかかったことがあるのに後で天然糖にかかってしまったという人です。 噂は間違いだったのか。
その晩ジェンナーは書き留めた帳面を何度もめくり返したことでしょう。 仲間に現れ追い出すとまで言われても続けてきたことが
ここで崩れてしまうかもしれないんです。 それでもジェンナーはやめませんでした。
考えるな試せ。 噂が当たった人と外れた人と一人ずつ比べていきます。
その牛の乳房はどんな風だったのか。手のどこにどんな海の膨らみができたのか。 何年もかけて比べるうちに牛頭と呼ばれているものには本物とよく似た別の
病が混じっていることがわかりました。 その上本物の牛頭でも海を取る時期によって効き目が違ったんです。
噂が外れた人の訳が一つずつ見えてきました。 けれど牛頭はいつも農場にあるわけではありません。
06:01
何年も牛頭が出ないこともあります。そんな年はただ待つしかありませんでした。
1796年の5月。とうとう試す日がやってきました。 ソドベリーの店で乳搾りの娘の一言を聞いてから30年余り。
医者になって本気で確かめ始めてからも20年余りが経っていました。 近くの農場で別の若い乳搾りが牛から牛頭にかかったんです。
いばれてかすった手の傷に大きな海の膨らみができていました。 ジェンナーはその海を取って庭師の8歳の息子の腕に浅い切り傷を2本つけて植えました。
まず牛頭です。少年はここの髪に少し寒気がして頭が痛いと言いましたが、次の日にはもうケロリとしていました。
それから6週間後の7月1日。部屋の中で庭師の息子が細い腕を差し出しています。
ジェンナーの手には天然糖の海をつけた刃。ジェンナーは少年の腕に天然糖を植えました。
あとは待つしかありません。1日目、熱はない。2日目、腕も変わらない。
それでもジェンナーはまだ安心できませんでした。 毎朝少年を呼んで腕をじっと見ます。何日経っても熱も海の膨らみも出てきません。
ある朝、窓の外を見ると庭師の息子が元気に庭を走り回っていました。 天然糖はつかなかったんです。
ジェンナーはすぐに親友へ手紙を書きました。一番嬉しいところを聞いてくれ。 少年に天然糖を植えたが、私が言った通り何も起きなかった。
これからは倍の熱を入れて実験を続けるつもりだ。 ジェンナーは1回うまくいっただけで終わりにはしませんでした。
2年後、ジェンナーは23の例をまとめた本を出します。 牛糖を使って天然糖を防ぐ、この手糖というやり方を見せるためにジェンナーはロンドンへ出かけました。
ところが3ヶ月近く待っても植えさせてくれる人は一人も見つかりません。 医者たちは田舎医者の言うことなど相手にしなかったんです。
ジェンナーは虚しく村へ帰りました。 それでもやがて試してみようという医者が少しずつ出てきます。
ジェンナーは海を分けてほしいと言われるたびに手紙を添えて送りました。 首都が広まり始めると今度は激しい反対の声が上がりました。
ある町では最初に首都を受けた人たちが外へ出るたび石を投げつけられ、家へ追い返されました。 首都を受けた子供は顔が牛になる、角が生えてくる、声まで牛の鳴き声になる、
そんなことまで言われたんです。 けれど反対の声が続く一方で身分の高い2人の夫人が自分の子供に首都を受けさせました。
それが首都を受け入れる人が増えていくきっかけの一つになりました。 その間もジェンナーの机は首都のことを尋ねる手紙で埋まっていきました。
09:04
ジェンナーはその一通一通に返事を書き海を送り続けたんです。 首都はジェンナーが生きているうちに世界中へ広がっていきました。
スペインの船は子供たちを乗せて海を渡りました。 一人の子の腕から次の子の腕へと牛頭を植え継ぎながら海の向こうの国々へ運んだんです。
アメリカの大統領はジェンナーにこんな手紙を書いています。 後の世の人は天然島というものがあったことを歴史で知るだけでしょう。
ここで少し今の目から見たお話をしておきます。 庭師の息子で確かめた最初の実験は今の歴史家や医学の倫理を考える人たちからは厳しく問われています。
ジェンナーは雇い主ですよね。 植えられたのは断りにくい立場にある庭師の8歳の息子でした。
しかも牛頭ではなく本物の天然島の海まで植えています。 今なら決して許されない実験ですよね。
ジェンナー自身もよその子だけに植えたわけではありません。 自分の長男にも牛頭によく似た豚の病を植えて確かめるということはしていたのです。
しかしかといってよその子の腕を使った重さは消えません。 ジェンナーもこの少年のことをずっと気にかけていたようです。
1818年の秋、69歳になったジェンナーは紙に小さな家の図面を書いていました。 22年前に実験を受けた庭師の息子はもう30歳になっていました。
暮らしは楽ではありませんがジェンナーはその男のために庭付きの小さな家を建ててやることにしたんです。
家ができるとジェンナーは自分の庭のバラを掘り起こしてその家の庭に植えてやりました。 8歳で腕を差し出してくれた子が大人になってバラの咲く家に住んでいます。
ジェンナーはしばらくその庭のバラを眺めていました。 それにしてもジェンナーの方法のどこがそれほど画期的だったのでしょうか。
ジェンナーが8歳で受けさせられた人頭摂取は本物の天然糖を植えるやり方でした。 必ず死ぬ人が出て人間の手で天然糖を世の中に生かし続けていたんです。
ジェンナーの方法は天然糖を一度も使いません。 植えるのは牛から移る軽い病牛糖です。
植えてもまず命を落とすことはなく周りの人に天然糖を移すこともありません。 しかも牛がいなくても人の腕から腕へと植え継いでいけばどこへでも運ぶことができました。
親友と馬を並べた道でジェンナーが打ち明けた望みとはこのことだったんです。 ジェンナーが亡くなって17年後の1840年、
イギリスは本物の天然糖を植える昔のやり方を法律で禁じました。 さらに40年余りのちフランスの大科学者パスツールが病を防ぐために植えるものを
ジェンナーを叩いてワクチンと呼ぼうと言います。 ワクチンの元はラテン語で牛を意味するワッカという言葉だったんです。そして1980年
12:09
天然糖は地球上からなくなったと世界の国々が宣言しました。 人の病で根絶できたのは今も天然糖だけです。
アメリカの大統領の言葉は本当になったんです。 エドワード・ジェンナーのことを辞書論に書き残したのはサミュエル・スマイルス。
スマイルスはこう書いています。発見は偶然だと言われることがある。 けれどよく調べてみると偶然であったことはほとんどない。
偶然と呼ばれるものの多くは注意深く生かされた機械に過ぎないのだ。 人に笑われても確かめてみたいと思っていることはありますか?
よかったらコメントで教えてください。 次回は製本屋の見習いから大科学者の助手になったファラデーのお話です。
チャンネル登録をしてお待ちください。 それではまた!
13:05

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