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2022-10-11 09:36

漫画家になることを止めてくれたアラレちゃん


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りゅータイルの知的迷走ラジオ、夕方の雑談です。
今日のタイトルは、漫画家にならずに済んだのはアラレちゃんのおかげという話です。
はい、これは一体どういうことかというとですね、僕は漫画家になるつもりだったんですよね。
結構本気で漫画家になろうとしていたんですね。
そうですね、僕が高校時代を過ごしたのは1970年代。
高校時代の3年間はですね、進学校だったんですけども、進学の勉強は一生懸命しながらもですね、漫画家になるというのはリアルな夢として突き進んでいたんですよね。
変な話ですけど、僕ですね、受験勉強をする机の上にペンとインクとケント紙があったんですね。
ペンとインクとホワイトとケント紙があって、鉛筆があって定規があって、それで小回りをしながら鉛筆で下書きをするわけですよ。
で、インク壺にペンを入れて、カリカリカリカリとケント紙に線を書き入れていくわけですね。
それをすることがですね、こよなくその時間を僕は愛していたわけです。
何やってんの受験勉強中にという話なんですけども、いや受験勉強ね、僕もたないんですよね、15分ぐらいしか。
1年生かみたいな話なんですけど、集中力が15分ぐらいしかないもんで、一生懸命受験の問題を解いていてもね、
1問解いたら30分は漫画を書いているみたいなね、そういう風にしないと僕は勉強ができなかったんですよね、続けられなかったんですよ。
とにかく帰って何時間も問題を解いているなんていうようなことが僕はできなくて、一生懸命カリカリカリカリ漫画を書きながら勉強をしていたということなんですね。
さすがに正月を過ぎたあたりぐらいからこれはやばいという気になったみたいで、あと2週間ぐらいしかないみたいなね。
それでちょっと漫画を書く率は減ったんですけど、それにしても安定して書いてましたね。受験の前の日だって書いてました。
それで受けましてね、僕はセンター試験の前に共通一時って言ってたんですけど、今はもうセンター試験でもないのか。
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最初ですよね、そういうのの。共通一時世代とかニュータイプだとか言われていた世代の最初に当たるんですけどね。
1979年に大学に入った人間たちが共通一時第一世代なんですよ。
散々言われました、いろいろ。新しい共通一時世代のやつは個性がないとかずっと言われ続けてましたけどね。
どの時代でも同じですね。
僕らもそういうふうに言われたんですけども、なんとか英語とかわかんないからマークシートだったことが幸いして付けていったら、後で答え合わせしたら半分合ってたんで、マークシートすげえと思ったんですけど。
それで入れるところが教育大学だったという、実によろしくないと言われるような選択だったかなと思うんですけどね。
その教育大学、いわゆる昔の一期校とかいうものの括りではあるんですけども、なんとか滑り込むことができたんですね。
当時安かったんですよね。半期で9万円くらいじゃなかったかな。僕の前の台で7万円くらいで、その前は月1,2万円くらいだったらしいですよ。
とんでもない上がり方だと怒ってたんですけど、今考えたら半期で9万円とかね、何の修行だみたいな感じなんですけど。
ここまで話が長くなってしまったんですけど、そうやって教育者になるために入ったのに、教育者のための勉強を何もせずに朝から晩まで漫画ばっかり書いてたわけですね。
かなり自分の中では上手だと思ってたんですよ。本当にかなりのものだったと思うんですよね。
そして出版社とかに持ち込んだりするための漫画とかいくつも作ってて。当時はインターネットなんてないので、自分の漫画を表現する手段というのはないわけですから、出版社とか持っていくくらいしかないんですけどね。
2,3作作ってたんですよ。1年が終わる頃ですね、2年目になる辺りくらいで、あと3年間あるので大学でしっかりモラトリアムを楽しましてもらった後、その間にしっかり漫画を書いて卒業した途端に東京行って漫画家だとか思ってたわけですけど、そこに立ちはだかったのがアラレちゃんだったんですよ。
今でも忘れないですね、1980年じゃないかな、そのジャンプの春頃だったと思うんですけど、電車の中でジャンプを見た、開いた瞬間、カラーページかなんかで出てきた絵を見た瞬間、凝転しました。
アラレちゃんが生まれたあの瞬間の漫画の第1回なんですけど、びっくりしたんですよ、世の中にこんな上手い人がいたのかと思って。
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僕が進もうとしていた絵の描き方というのがあって、線の美しさ、ペン画の綺麗さというのをずっと求めていましたからね、美しい線をいかに描くかっていう。
目で見て本当に心地の良い絵、イラストとしての絵を描こうと思ってたんですよね。
そういう人は大友克洋さんぐらいしかいなかったんですよ。そこの道を前進しようと思って。
アラレちゃんがまさにそれをしてたんですね、ロットリングペンで描いてたらしいんですけど、まさにイラストレーターとしての漫画だったんですよ、ものすごく上手かったんですよね。
僕はそれを見た瞬間、こんな人と渡りはないといけないなら、僕はもうダメだと思ったんです。
それで1年生の春に、もう自分はこの人と競争なんてするわけにはいかないと思って、ペンを折りました。
あの時の落胆ぶりというのはすごかったんですけど、でもアラレちゃんというすごいものがこの世に現れたということについてのワクワク感はすごくありましたね。
どちらにしても僕は漫画家になるのはやめたんですよ、きっぱりとそこでね。
さあ自分は一体これからどうしようかと、教育大に行ってるのにね、これから一体どうしたらいいんだって悩むようなね。
今考えたら何やってるのっていう感じなんだけど。
まあそうやって2年生の頃、自分見つけみたいな感じで北海道の牧場に行ったりとかするわけですが、
まあ教育大だから教育の勉強すりゃいいんですけどね、教育者になろうなんてみじんも頭なかったんですよね。
3年生の時に教育実習というのがあってね、1ヶ月間ね。
それで1ヶ月間現場に行かせてもらって、ガラッと脳みそが変わりました。
転職だと思ったみたいですね、その時ね。
4年生は一生懸命勉強して、試験も一生懸命受かりたいと思って勉強して、先生になりたいと思ってね、その時はやっぱもって頑張って勉強して、
晴れて83年4月からね、僕は教師になれたんですけれども。
いやー遠回りしましたね、教師になるまでにね。
教師になりたいという意識がね、3年生になって芽生えたというのもまたね、いったいいかがなものかみたいな感じなんですけどね。
僕が今こうして38年間の教育士生活を続けてきて、
その時、あられちゃんが目の前に来てくれて、
あんたは辞めたがいいよと言ってくれたおかげというね、そういうふうに思っているということでございます。
教育士生活を終えて退職をさせていただいて、
今こうして人生の二段ロケットを転化させることができているのは、
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その時あられちゃんが目の前に来てくれて、あんたは辞めたがいいよと言ってくれたおかげというね、
そういうふうに思っているということでございます。
ということで夕方の雑談でした。
これでも結構ざわざわする話ではありますね。
はい、ということでね、また何か始めたの流彩でした。
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