1. リブラの 精神科のバックヤード
  2. 地震の度に思い出す3.11 ミラ..
2025-12-09 30:33

地震の度に思い出す3.11 ミラコスタ被災体験談と、スカンクさんの覚悟

📻🦨スカンクとリブラの精神のPライン🐘
https://stand.fm/channels/6161e521afa93b18fcd77817

ヒーロースカンクさんのスタエフ
https://stand.fm/channels/664b1a48316143a771f4d710

リブラ X(Twitter)
https://x.com/okawari

#健康 #子育て
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/6349996e0cee2a08caf592dd

サマリー

このエピソードでは、2011年3月11日にミラコスタに宿泊中に発生した地震の経験が語られています。話者は阪神淡路大震災の記憶を交えつつ、当日の出来事や心情について振り返ります。また、2011年の東日本大震災の際にディズニーリゾートで過ごした体験も紹介され、特にミラコスタでの避難所生活や原発の爆発情報による恐怖感が詳細に描写されています。さらに、地震の記憶やスカンクさんのプロジェクトに対する思い、協力の在り方についても語られています。特に3.11に起こった出来事や、スカンクさんが主導するプロジェクトの進行に関する感情が共有されています。

過去の地震の影響
おはようございます。ノイズキャンセリングオン。 バスでの精神科、いやいやいや。
2026年12月12日、精神のPラインディナーショー開催決定しております。 おなじみバスでの精神科リブラでございます。よろしくおねがいします。
地震大丈夫なんですかね。 蜂の兵だと
僕らのイジイさんかな。まあ、とはいえ、さっきキムシオさんが
イジイさん、朝の若かつ。 いつもわからないよね。朝の若かつ。若の朝かつなのか、ミネ藤子なのか、藤峰子なのかわからなくなってね。
ミネ子ちゃんだっけな、藤子ちゃんだっけなみたいな。そうしたら藤子ちゃんかどう。藤峰子かという順番で思い出しますよね。藤峰子、ミネ藤子、藤峰子、ミネ藤子、どうしよっかな、みたいなね。
西川ミネ子。 西川ミネ子に藤子感があるのはよくないよね。ややこしい。
藤峰ちゃん、だからミネ藤子、だから若さん、朝さん、だから朝の若かつ。あれ?
わさ、わさ。 わさかつってことね。わさかつでね、イジイさん元気そうだったかっていうのはお話でしたからね。
まあそうするとね、場所によってね、もちろん蜂の部屋といってもね、いろいろあるでしょうから、大丈夫なんでしょうね、きっとね。
よかったですね。
ということで、地震ね。僕人生で2回だけ、いや1回かな、あんまり地震で目が覚めたりしないんで鈍いもんですからね、平気なんだけど、人生で1回だけ地震で目が覚めたことがありますね。
何月何日だっけあれ。 例の阪神淡路大震災の日ですね。朝5時頃だったかな。
家で寝たらグワーッと揺れて、名古屋ですけどね。名古屋まで揺れたんですよあれ。
名古屋はただ震度3とかその程度だから多分。でも大きめに揺れたんで、人生で、人生で唯一ですね、地震で目が覚めたの。
それが阪神淡路大震災の日でしたね。ウワッと思ってびっくりして起きて、まあちょっとしばらくしたら収まったんで良かったと思って、
寝たわけですけど、そしたら大阪大変なことになっていったんですね。 1年前2年前か何かにね、僕は医学部で、西日本の医学部のバトミントムでしたけど、
学生は西体と言ってね、西日本医科学生総合体育大会というのがあってね。 東には東医体と言って、東日本医科学生総合体育大会っていうね、医学部はあんまり練習ができないから弱えから、
普通の全学の学生と一緒に、例えばバトミントやっても全然勝負にならなくて、全然面白くないから、医学部だけ別大会を開いてるんですよ、日本全国80、今いくつかな、当時80大学かな。
西医体、東医体と言ってね、それで勝ち残ったチームが最後全医体と言って、全日本医科学生総合体育大会でまた競うっていうね、そういう
仕組みになってますけど、それで毎年主管大学が決まるもんだから、西医体主管が。
その行った阪神淡路大震災の前の都市化なんかが、大阪大学か神戸大学か、神戸かな、神戸に行った覚えあるから、神戸大学だったのかな、主管が。
神戸に行っててですね、三宮をうろうろしたりね、いろいろした覚えがあるわけですね。
で、そのうろついた三宮がですね、大英が潰れててね、びっくりしたよね、あの行った体育館の周りが液状化現象を起こした、あの行ったポートピアのあたりがボロボロに液状化になってるみたいなことでね、
高速道路が倒れているということで、まあびっくりしましたよね、あの行っただけにね、1年か2年前に行った場所ですからね、びっくりしたね、というようなことがあってね、あれが初めてですよね、目が覚めたのね、それからそういったことなく暮らしましてね。
ディズニーでの地震体験
もう1回地震でびっくりしたのは2011年ですよね、何時だっけ、3月、あれいつだっけ、3.14だっけ、忘れました、あの日2011年、ん?2012年?2011年かあれはね、あの時はね、うちの子供が3月生まれなんでね、長男が、まだ2歳だか、
2歳かな、2歳だから2011年かな、の時でね、誕生日だしね、旅行に行こうってことになってね、で、最初ディズニーに行こうと思ったんだけど、あまりにも高かったんで、ちょうど気仙沼にね、僕知り合いが当時、当時はいなかったからもう沖縄に転勤してたけど、
その前に気仙沼の病院にいた、あの後輩がいて、そこがね、いいとこだって言ってね、1回気仙沼に来てくださいよって話がね、ずっとあってですね、まさに結局行かなかったんですよね、で、ああと思って、もうこれね、東京、あのディズニーランドなんかもよく行ってるし、よく行くしまた、あの、あえて今行かなくてもって言って、高いし、その誕生日でね、うちの子供が3月で誕生日の祝いに行くとはいえですね、高すぎると、あのなんかバケーションパッケージ高いから、
あの、違うとこにしようって言って、ちょうどね気仙沼がね、そのいいとこだって、ものすごいいいとこだって言ってたんで行ってね、海沿いでなんかお魚とかおいしいって言うから、お魚食べてね、まあ行ったことないんで、そっからあの青葉城とかね、ちょっとの方ね、あの行ってね、仙台巡ってね、気仙沼から仙台巡って、東北ツアーいいんじゃないのって言って、1回そっちに決まりかけたんだけど、
そうしようと思ったんですけど、僕がその気仙沼の方にしようと言っている理由がですね、理由がちょっとうちの奥さん気に入らないんですけど、理由がさ、お金が高いからっていう理由だったんだよね結局、それでうちの子供がその、別に気仙沼行きたくないでしょ、でなんか誕生日でお祝いで行こうって言ってるのに、
お金が高いっていう理由で、気仙沼って何よ、みたいな話になって、ちょっと揉めかけたというかね、でまた例のごとくさしてですね、気仙沼なんか行きたくないな、みたいなことにしてですね、まあいいなと思ったんだけどね、それっきり行ってないですけど、気仙沼辞めたんですよ、辞めよう辞めようって言って、やっぱディズニーにしようって言って、
気仙沼辞めまして、東京ディズニーシーミラコスターにね、やっぱり変えて、気仙沼辞めてやっぱりミラコスターに行こうと、いうことで3月11日は気仙沼宿泊をやめまして、ミラコスター宿泊に変えて、3.11だ、3月11日って今自分で言った
ということで3月11日はそこ泊まったんですよ、で当日ディズニーランドの方に行きましたね、子供と、でなんだっけ、当時ミッキーとミニーのショーなんだっけ、ジャンボリミッキーじゃなくて、それまだなかったな、ジャンボリミッキーやってる場所でミッキーたちが踊るやつを肩車してね、見てる最中にうちの子が寝てね、肩車の上で、
寝ちゃったっていうことで、眠くて疲れて眠いんで、で3時チェックインだったんで、ディズニーシーがミラコスターが、一旦ホテルにこの子寝ちゃってるし、一回ホテル行ってチェックインして、この子起きたらまたね、ディズニーランドなりシーなりね、行ったらいいんじゃないのかってことになって、一回電話してね、ディズニーランド、
でミラコスターに向かいまして、2時半だったかな、40分だったかな、着いて、3時チェックインなんで、まだチェックインがまだだったんですけど、あれで3時チェックインだけどね、3時ちょっと前からチェックインさせてくれるわけよ、お客さんもいるしね、ということで2時50何分か40何分かにチェックイン開始になって、あれミラコスターチェックイン開始になったらいちいちファンファルみたいなやつやん、ラッパーの人たちが出てきて、
ラッパーの人たちが、パパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパ
僕は待ってましたんで、じゃあ早速ということでチェックインをしたので、2時50何分ですよね。
チェックインの手続きをしておりましたところ、
なんかね、ふわふわふわっと目眩みたいになって、ふわふわふわふわとなったんですよね。
で、チェックインのお姉さんと顔を見合わせて、
ん?って言われて、あれ?って言ったらお姉さんが、
僕が言ったのかな、お姉さんが言ったのか、あれ?今地震ですかね?みたいな。
あ、地震ですよね?って2人で。
なんか今、目眩みたいに思いましたよね?って言って。
あ、私も今目眩みたいに思います。このぐらいのタイミングで。
目眩かと思ったけど、地震ですかね?とか言って。
同時にふわっとしたってことは地震ですよね?今の。
あ、地震ですね?とか言って、お姉さんと話している最中に本物が来たんですよ。
3.11の2時50何分でしょ、あれ。
ブワーン!揺れて。
ディズニーシーの辺りはですね、震度6弱でしたね。
人生で僕がそれが一番震度6弱、あるいは震度6ぐらいかな、
そのぐらいが僕が人生で一番揺れた地震でした、あれが。
僕としてはね、今回の地震が震度6強の場所があったそうですけど、
僕としてはこれが6弱、これが人生で一番の揺れでした。
むちゃくちゃ揺れました。
人生で初めて地震で、
その場でチェックインカウンターのホテルのカウンターのところで僕がしゃがみました。
うちの子供は寝てたんで、ベビーカーの上でね。
うちの奥さんがそこにいて、シャンデリアのガールがあるんですけどね、ディズニーシーに。
シャンデリアの下で座って待ってて、僕だけチェックイン手続きに行ったんで、
僕がチェックインカウンターに行って、チェックインカウンターでもうしゃがんで、
しゃがみたいわけじゃない。しゃがまないと転ぶの。
立ってられないの。全く立ってられない。
立っていたら転ぶし、移動しようと思ったら転ぶんで、動けない。
一瞬揺れが収まった時に、うちの子供たちが心配で見に行ったら、
奥さんと子供がそこに座っていたんで、一旦安心して、
もう一回チェックインの方に戻ってしまうんですよね。
迂闊にも迂闊というか、よく分かっていなくて、もう一回チェックインしようと思って。
戻ったところでもう一回揺れが来たかな。
でもシャンデリアむちゃくちゃ揺れていて、
あれシャンデリア落ちるんじゃないかという感じで揺れていて、
シャンデリア落ちたらうちの奥さんたち死ぬわけでね。
奥さんはそこで死んだと思ったみたいですね、シャンデリア見ながら。
これ死んだわって思ったんですね。
前にも言ったけど、本当に死ぬなって思った時って怖くないよね。
人生で何回か僕はこれ死ぬなって思ったことあるけど、
死ぬなって思った時はあんま怖くないですね。
恐怖感は襲ってこないよね、面白いことに。
すごく冷めた心になって、
なんかスンって静か、心の中静かでしたね。
すっごい静かになって心の中が、
これ死ぬ、このまま死ぬのかな。
人ってこうやって死ぬのかなと思いながら、
すごい冷静に周り、でも冷静じゃない人もいて、
泣き叫んで走り出してるお姉さんとかもいて、
揺れが収まった瞬間にね。
ディズニーの店員さんがね、
売店の店員さんが泣き叫びながら売店から出てきて、
ああ、あの人は大変だなと思うから、
これ一旦収まってるけど、これもう一回揺れるなって。
これ何回か揺れたんで、どうしたらいいのかなっていう感じで。
一番揺れてる最中は死ぬんじゃないかっていう感じで、
死ぬのかなって思ったりとか、
こうなかなかあの、なかなかあの気運な体験で。
結果ね、それからミラコスさんにギリギリチェックインしてる手続きをしていたんで、
チェックイン手続きがチェックインでございますみたいなチェックイン手続きして、
名前書いたりしてる最中にだから揺れたんで、
僕がチェックインなんかされていたことになっていて、
チェックインした人だけは部屋に泊まれたんだよね、あの日。
震災後の心情
3月11日。
チェックインできてない人は、
ただのお客さんは道、
あれホテルの部屋取ってあった人はその後もチェックイン手続きしてくれたのかわからないですけど、
部屋がある人は部屋で1回泊まれたんだよあれ。
1回というか2日ぐらい泊まりましたけど結局。
お金全部返ってきましたけどその後。
結局だから僕らはその後、
ホテルでね、過ごさせていただいて、
ディズニーランドには戻れませんでしたけど。
僕はもう全然あのことの大事さがわかってなかったんで、
今日この後ディズニーシーは入れるんですか?とか聞いて、
今日は救援ですので入れませんとか言われたら入れないのかとか言ってて、
なんかそういう規模の地震じゃなかったんでね。
よくわかってなくて、この後もう一回再開するのかなとか思ってて。
再開しねえよなあんなのね。
でもね、その時わからないですよ、一体何がどのぐらい起こってるかが。
東北の方が震源地で、
あっちの方の人たちがあんなに死んでるの知らないし、
あんな津波が来るの知らないし。
で、とにかくあそこ避難所みたいになって、
それから二日間ね、だんだん食事が出ましたからね、みんなの分ね。
一旦おかわりなしで、一人一回ずつですって言って。
配給みたいになって。
全部配給が行き渡ったらおかわりがありますので、
おかわり欲しい人はおかわり取りに行ってください。
おかわりは行かなかったですけど、さすがに。
でもおかわり欲しい人はおかわりもありますよみたいな。
一回は、まず一回にしてくださいと。
全員行き渡った後で、もし余りがあればおかわりも行きます。
まずは一人一回までですみたいな。
何人も食べたか忘れましたけど、ロビーのホールね。
それで全部食べた後に部屋に行けて、
翌日の朝食もありましたよ、なんと。
最初はパンみたいなのがあって、
二日目の朝食もありましたよ。
二日目の朝食はもう菓子パンみたいな、
ビッキーパンみたいなやつだけしかなかった。
あと各ディズニーシー内に避難してる人たちもいて、
その辺では、あそこのお菓子とかも全部配られてたらしいですけど、
僕らは中に行ったんじゃなくて、ミラコスターに行ったんで、
ミラコスターの指示に従って外に誘導されて出て、
そこでも揺れたし、何回も揺れましたもんね、あの日。
怖かったよね。揺れるたびに床がぐにゃぐにゃ曲がったみたいに見えて、
コンクリートのはずなんだけど、床がぐにゃぐにゃ曲がったように見えたんで、
ちょっとその後、揺れがおさまった後に床を叩いて、
もしかしたらワンチャンディズニーシーに残ったから、
床が硬く見えて、意外と柔らかい可能性があるのかなと思ったけど、
叩いてみたけど、やっぱりコンクリートで硬いんだなと思ったりして、
ディズニーシーの中も見えたんで、中も波打っていて、
床が柔らかいように見えましたね。
すごい揺れ方をしましたね、揺れてる時はね。
で、ロビーっていうかホールみたいなの、ロビーかな、
どっかでテレビが置いてあって、
そこでテレビ見ながら、NHK見ながら、
みんなでとにかく過ごしているわけですけど、
時間潰してどうしたらいいのかな、みたいな。
ただ電車も止まってしまって、僕ら帰れない。
車だった、いやいや電車で行ったのかな、
電車で行ったんだな、あれは。
新幹線で行ったのかな。
新幹線が止まってるんで帰れないということで、
車で行けばよかったんだけどね、電車で行ったんだよな、
帰れずということで、
結局もう亡くなりました。
不安な帰路
家の奥さんのお父さんがね、車で迎えに来てくれましたね。
なんと、車は入れたんで、
タクシーもでも入ってこなかったんで、
なんとか入ってきてもらって、それに乗って帰りましたけど、
それはね、電車が再開してから帰りゃいいやと思って、
ちょっと本当は駅まで歩いたんだけど、
ものすごい混んでて、電車も止まってたんで、
最初はバスで舞浜まで、舞浜まで停まってたんで、
舞浜じゃなくて浦和じゃなくて、
ディズニーランドの近くの埼玉の駅っていうか、
なんだっけ、忘れちゃった。
そこまで行けばね、そっちの電車は動いてたんで、
それで行けばいいんじゃないかと思ったんだけど、
ピストン輸送でね、最初はバス出してたんだけど、
駅の方に、
ストップがかかって、JRじゃないか、JRはあれか、
京葉線か、じゃなくてストップかかって、
ホームに人がごった返しすぎていて、
これ以上来られたら困るということで、
ディズニーランド側にストップがかかって、
ピストン輸送を止めようということで、
駅に人を送ってくるなというふうに
ディズニーランドに指示が入ったみたいで、
ディズニーランドからはもう行けなくなって、
もう行けるようになったみたいで、
ただどうしても行きたい人だけ、
徒歩で行ってもいいということで、
徒歩で行く分にはディズニーは監視しないということで、
ディズニーが徒歩で行く道を、
ちゃんとそういう時用の地図まで用意してあるの、
白黒だったけど、コピーしたのかもわからないけどね、
ミッキーの絵が描いてある地図を渡されて、駅までの、
そこに赤い線が、
そこにディズニーランドの地図を渡されて、
ミッキーの絵が描いてある地図を渡されて、駅までの、
そこに赤い線が引いてあって、
その線に従って歩いていけば、
駅まで行けるということで、
それで帰ろうと思って、
子供をゴロゴロに乗せて、
歩き始めたんですよ、チェックアウトして。
一応ミラコシとチェックアウトして歩き始めたんだが、
これ1日目だったかな、
だから3月12日だったかな、
歩き始めたんだが、
道を歩き始めた途端に、
道がボロボロだったんですよ。
下水のマンホールが飛び出していたりとか、
高さかなりのメートルくらいまで、
飛び出していたりとかして、
歩いていいのかどうなのかっていう雰囲気だった。
ちょっと怖かったんですよね。
ディズニーシティは全然平気だったんですよ、見た目が。
一歩ディズニーシティを出たら、
ちょっと怖い雰囲気だったんですよね。
荒廃した街で、
心細くなっちゃって歩いていて、
これいいのかなっていう感じで、
怖くなって引き返して、
ミラコシタにもう一回行って、
大変申し訳ないんだが、
さっき僕チェックアウトしたんですが、
リブラと申しますが、
チェックアウトを宿泊中止して帰るって言ったのを、
キャンセルをキャンセルできませんかみたいな。
宿泊キャンセルって言いましたけど、
キャンセルキャンセルで、
もう一回止めてもらえませんかってお願いしたら、
いいですよっていうことで、
もう一回止めてもらうことになって、
帰ろうと思ったんだけど、
怖くて帰れませんっていうことで、
もう一回戻りまして、
また部屋使わせてもらって、
津波への懐疑心
さっきの元の部屋に戻してもらって、
またテレビ見ていたら、
そこでじゃなかったかな、
東北の福島の第一原発が爆発したんですよね、
目の前で水素爆発して、
ドカーンといって、
建屋が崩壊する映像を見て、
僕は、うちの奥さんあんまりピンときてなかったけど、
僕それでもうなんか、
ゾッとして、
これ放射能被害来るじゃんと思って、
ここ千葉だぞと思って、
福島の原発爆発したら、
まずいだろこれってなって、
これはまずいっていう気持ちになりましたね、そこからね。
慌てて、慌てて、
なんとかしなきゃっていう気持ちになって、
家からも、自宅からも、
僕の家からも電話がかかってきて、
どうなってるんだって、大丈夫なんかって、
家でね、
なんかね、
話をしてたらしいんでね、
そしたらうちの妹がね、
それはお兄ちゃんね、
お兄ちゃん、
ディズニーシーに行くって言ってたよ、
ディズニーランドに行くって言ってたよって、
えーってなって、
原発爆発してんぞ、大丈夫なんかって言って、
電話がかかってきて、
大丈夫かどうかわからんよっていう話をして、
なんとか帰ろうと思ってるけど帰れないよって言って、
うちの人も心配して、
そしたら、
奥さんのお父さんがね、心配して、
こちらにね、向かって走ってきてくれて、
その車に、
家族3人乗り込んでね、
当時3人でしたからね、
息子とね、
それでなんとか事なきを得てね、
帰ってきたと、
っていう風でしたね、
まあびっくりしたなあ、
ほんとに、
まあとはいえ、
気仙沼に行かなかった、
まあなんか不幸中の幸いで、
僕なんかね、
あんまりああいうのね、
なんていうかな、
言ってるだけだろっていつも思うタイプなんで、
間違いなくね、
気仙沼でね、
津波が来るから、
逃げてくださいって言われても、
たぶん僕逃げないんで、
大げさに言ってるだけだから、
こんなんで津波で死んだ人実際いないから、
いるよそれは江戸時代とかね、
そんなここ5年10年聞いたこともないわけよ、
だからね、
津波って言ったって実際来ないのこんなものは、
とかなんとか多分ね、
僕言うと思うんだよね、
警報ですとか言われてもね、
たぶん逃げないんでね、
たぶん何人もそういう人いたと思うんだよね、
津波が来ますって言われてもね、
本気にしなかった人いっぱいいると思うんだよね、
やっぱあの、
なんですか、
でそれからさ、
大げさに津波言うようになったじゃん、
それからしっかりとね、
でもさ、
あれまたああいうことになると、
また大げさに言うじゃん、
北朝鮮のミサイルもそうじゃん、
ワーンって言うと何も起こらないじゃん、
ああいうことが続くじゃん、
でこれまたね、
これ僕みたいなまたね、
狼少年みたいになるんですよ、
だからあんまりね、
大げさにやりすぎるのも良くないんだよね、
だんだん忘れちゃう、
なんか感覚が鈍るからね、
何度も何度もアラートが鳴るのに何も起こらない、
っていう経験を重ねることによって、
実際は起こらないんでしょっていうことで、
動かなくなるんだよね人がね、
ですからね、
大きめに対策を取るのもいかがなものかと思いますよね、
人っていうのはやっぱり慣れる動物ですからね、
同じ恐怖感は維持できないからね、
ということで、
僕はもともとあんまり逃げないので、
あれも気仙沼に泊まって、
気仙沼に漁港になんかお魚の食べに行こうっていう、
僕は考えていたので、
あそこで気仙沼に行ったら、
まず間違いなく津波に飲まれてると思うんだよね、
だから僕みたいな人は気仙沼の日行かなくてよかったですよね、
逃げられる人は逃げていたんでしょうけど、
地震の思い出
僕なんかは逃げなかったと思うんだよね、
あるいはものすごくゆっくり逃げたと思うんですよね、
一番最後、死んがりで逃げた可能性があるので、
死んがりは死んでますよね、
ということで、
全然どっちに逃げていいかもわからないですよね、
気仙沼なんか、
全然土地勘がないから行ったことないわけですから、
人生で初めて、それっきりだから気仙沼行ってないから、
一回行ってみるといいかもわからない、
あの日行こうとした気仙沼、
行ってたらどうなってたのかなっていうのを、
思いをはせに亡くなっちゃった人たちもいるからね、
そういうことで思いをはせにどういうことだったのかね、
僕が行ってたはずの場所で亡くなってる人も多分いると思うので、
僕はたまたま運が良かったわけですけど、
逆に運が悪く、
何かの都合で別のところに行く予定が、
気仙沼に行くことになっていって亡くなってる人もきっといると思うんだよね、
物事ってそういう運だからね、結構人生って、
ということでね、
こういうふうな大きな地震が起こるたびに思い出します、
僕は3.11、3.11だっけ、
怖かったなっていうことを思い出します、
ということで地震の思い出、
地震が起こるたびにこの話をするような気がする、
本当に印象的だったけど怖かったんだよな、
ということでそんなことを言いたかったわけじゃなかったけど、
地震の話は長くなっちゃったから今日はこれだけですね、
スカンクさんのプロジェクト
スカンクさんが配信を昨日あげてましたね、
スカンクさんの配信に対して、
昨日配信を撮ったんだけど、
中で僕間違えて自分の名前を言っちゃったりとかしてて、
そこを編集しないとと思って、
編集するのもめんどくさくてもうそれっきりになっちゃいました、
なんかそれすごい長い配信で、
あとでまた名前のところ削って出し直しましょうかね、
今日の夕方でも余裕があれば出しましょうか、
ということでスカンクさんがね、
熱量のある配信をされていたんで、
安心して僕はこの件から身を引けるというか、
プロジェクトマネージャーの一件はもう僕は、
僕がリーダーになってプロジェクトマネージャーを
選定していかないといけない可能性もあるなと、
思っていたわけですけど、
これでトップでスカンクさんがやるとおっしゃっているので、
これでだから手柄もスカンクさん、
ダメだったこともスカンクさんという感じに、
スカンクさんがやると、
ダメだったこともスカンクさんという感じに、
うまくいった部分は全部スカンクさんの手柄、
ということになるでしょうね、
よかった、
今回のベテランはちくわさんだったじゃないですか、
3人展は銀さんだったでしょ、
ということで、
どこに責任の所在があるかというのはね、
割と外から見えるじゃないですか、
外から見るとね、
今のままだと僕が責任を負ってやる形になる可能性があったかな、
と思うんですけど、
それがね、やってみてもいいのかもわからない、
一回どこかで、それもどこかでやってみるかもわからないけど、
今回はやはり、
みんなが見たいのはスカンクさんなんじゃないかという思いもありますしね、
それが面白かったら、
次僕の企画する何かを見たいこともあるかもわかりませんけどね、
適材適所じゃないですか、
人はそれぞれだと思うので、
それがあってもいいのだが、
人はそれぞれ輝ける場所があるというふうに思うので、
ここはスカンクさんなんじゃないかなって僕は思うんですよね、
ちくわさんもね、
スカンクさんが指揮するリナーションを見てみたいというふうにおっしゃっていたから、
今回はやっぱりPラインのPラインらしいものをね、
見たいというふうに、
皆さんと一緒に楽しみたいなというふうに思いますので、
今回はやっぱり精神のPラインというと、
チラッパッと見ると僕に見えると思うんだけど、
精神のPラインというのはやっぱりスカンクさんだと思うんだよね、
本当は、
本当の心臓は、
心臓は僕で頭がスカンクさんなのかな、
とにかくわかりませんけど、
僕は精神のPラインというものはスカンクさん、
あってのものだと思うので、
やっぱりあの人こそが精神のPラインだという思いが僕にはありますよね、
やっぱりあの人こそ、
あの人がなければこれ全く成立しないことだと思うんで、
そういう意味で、
皆さんにですね、
精神のPラインの魂の中心である、
スカンクさんが行っている、
PラインとしてのPラインらしい、
PラインとしてのPラインらしいディナーションをやりたいなと思いますよね、
やっぱりあの配信重かったよね、
マサイさんがね、
頼もしい、成長したいよね、
みたいな僕のコメントに書いてくれたけど、
全くだなと思って、
頼もしいなと思って、
ちょっとうるっときますよね、
グッときますね、
どんなものになろうがね、
なんかこう、
いいことになるんじゃないかなって、
楽しいことになるっていうか、
いいものになるっていうのはもう少し見えたなっていう感じがしてますよ、
1212めちゃくちゃ楽しみになりましたね、
つまんなかったらつまんなかったでめっちゃ面白いよね、
なんかもうよかったねこれ、
どっちにしろ、何が起こっても何が起こらなくても、
なんか楽しいですね、
ということでね、
楽しみですね、
そういう配信をあげたんだけど、
内容被ってたらもうあげませんけどね、
ということでこんなへんにしておきましょう、
地震の思い出ですよ、
大丈夫かな、仲間たちのね、
地震の話長いわ、
ではみなさんさようなり。
30:33

コメント

スクロール