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2025-12-24 19:21

「ウチの科じゃない」は、ヤブ医者のセリフ

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サマリー

このエピソードでは、総合病院と大学病院の違いや医師間のコミュニケーションの重要性について語られています。診断が難しい病気が科と科の狭間にあることや、精神科の役割に焦点を当てて、医者としての実力をどう発揮するかが考察されています。また、精神科医が子供の診察についての経験を共有し、幼い子供を受け入れることの重要性や医者としての成長における挑戦の仕方について議論しています。

総合病院と大学病院の違い
はい、おはようございまーす。バースデーの精神科リブラでございまーす。
えー、ちょっと思ったことをね、えー、いきましょう。
えー、思ったこと、えーっとね、
ノリコンプさんと、えー、のコメントでちょっとやり、やった、やりとりしたんですけど、
えー、昨日の配信でね、んーと、
なん、えー、大学病院じゃないな、なんだっけな、えーっと、
なんの話を入れたっけな、あー、他の科の先生と、
あー、ビタミンB1の話をした話かな、まあ、そのやって、
他の科の先生とね、やるのいいですね、みたいな、やってたんですけどね、あのね、
他の科の先生と気楽に話せるのは、総合病院の、えー、いいところでね、
んーと、病院によるんですけどね、僕が勤めていたいくつかの病院、
総合病院で働いたことがあるのは、
まあ、ちょ、ちょっとだけ言ったのを含めると、
大学病院をね、除けば、
もともとの研修のところの病院でしょ、
あそこでしょ、名古屋のあそこでしょ、
あと、名古屋でちょこっとだけ行ったのがあそこと、
三河の方でちょこっとだけ行ったのがあそこと、
えー、今いるところと、
まあ、4つ、5つくらいかなと、大学病院くらいですかね、
まあ、ちょっと働いたことがあるという感じでね、
まあ、そこの常勤というか、しばらくやったという意味では3つかな、
まあ、ですけど、えー、と、大学病院ですね。
でね、んーと、病院にもよるんだけれども、
その他の科の先生と気楽に話せるのは、やっぱり総合病院のいいところで、
まあ、あんまりそういう雰囲気じゃないところもありますが、
まあまあ、大学病院とは違って、総合病院というのは結構ね、仲良くやるんですよ、
いろんな科の先生同士でね。
それはそういうものなんですよ。
なんだけどさ、んーと、大学病院ってさ、
総合病院と似てる感じがね、一般の人からすると、
するかもしれないし、いろんな科の先生がいっぱいいるから、
ね、なんか仲良くできるんじゃないかと思うかも分かんないけどね、
大学病院っていうのはね、科ごとに仲良くやったりはしないんですよ。
あれはね、巨大なビル開業というかね、
それぞれのね、えー、なんていうかな、
科が独立して存在するんでね、
他の科の先生に何か相談するなんてことはなかなかないんですね、
大学病院はね、実はね。
あのー、ま、その、
学生の時のね、同じ大学出身とかで、
コミュニケーションの重要性
学生の時からの友達とかがいると、
その友達に聞くことはできるんだけど、
ま、その程度なんだよね。
大学の時の先輩とか後輩とかにね、
ちょっと話しかけて相談することはできるけど、
そうじゃなくてね、
街の総合病院は、少なくとも僕が行ったことがあるような総合病院はね、
そういうことじゃなくて、
隣の科の先生と割と関係が近いんですよ。
ちょっとこう、何気なしにちょっと相談したりとか、
あのー、
なんか昨日も、HCUで患者さん見て、
これは退院させられないよ先生、つって、
あのー、これは精神科じゃないと無理よ無理よ、つって、
あのー、僕が何とかしますよな、つって、
言って行って隣にいた神経内科に、
先生、これ見た?この人、知ってる?って言ったら、
いやー、つって、
これさ、先生だったらさ、Bはどんぐらい入れんの?
神経内科どんなもん入れる?とか言って、
僕が200だけどどうかなー?つって、
どんぐらい入れてんの?って言ったら、
論文的にはどうなの?みたいな、
っていうふうに何気なしに関係ない、
座って別の仕事をしてる神経内科に僕突然話しかけたり、
みたいな感じで、
気楽に話しかけたりできるのはやっぱり総合病院の強みでね、
そういう人間関係を作っておくっていうのも大事だし、
何気なしに気楽に話しかけられるかどうか、
そういう医者がいるかどうか、
そういう関係の病院かどうか、
総合病院は、
そういう病院が結構あるんで、
話しかけてもいい病院だよね、
大学病院とは違うんで、
大学はまあ、難しい大学病院は、
なので大学とは違うんだよね、
大学病院とは違うんだよね、総合病院はね、
大きめのね、
僕そういうとこが大好きでね、
そういうね、
日頃からのコミュニケーションがすごい大事なんですね、
例えば、
気楽に相談できるような雰囲気を醸し出しておくのがもともと大事でね、
大事だっていうのは、
やっぱり医者としてそういうのが大事だと思うんですよ、
大事ってのは自分にとっても周りにとってもなんだけど、
僕らはね、
僕が研修の時に教わったのは、
病気っていうのはね、
えっと、
7割8割もっとかな、
8割9割の病気っていうのは、
誰が見てもなんとかなると、
だいたい、
だいたいわかるで、教科書に書いてあるとやり方なんか全部ね、
なので、8割9割の病気っていうのは、
誰が見たってアホだって、
何が見たってだいたいうまくいくんだと、
問題は、
残り1割、
残り5%、
残り1%の診断が難しいものだと、
その診断が難しいというものは、
往々にして、
科と科の狭間にあるんだと、
呼吸器内科と循環器内科の狭間、
ね、
神経内科と精神科の狭間、
ある種の病気、
うつ病となんとかの狭間とか、
とにかくそういうこう、
なんか、
これはうちの病気じゃない、これはなんとか、
これは症状が違うからうちじゃない、
うちじゃないとかそういう風に言った場合に、
うちじゃないのとうちじゃないのの狭間に病気が落ちることがあると、
これは呼吸器じゃない、
これは循環器じゃないって言われて、
じゃあ何かですかって浮かぶ時があるんで、
そこが一番診断が難しいものが隠れていて、
この1%、
9割の人、9割の病気は誰が見ても一緒、
残り1割、
1割の中でも残り5%、
1割の中でも残り3%というね、
少ないけれどもすごく見るのが難しい、
過と過の狭間、
病気と病気の狭間にある、
境界線上にある病気が一番診断が難しくて、
そこをいかに見ることができるのかっていうのが、
医者の実力だと臨床力だという風に、
研修の時に習ったんで、
なるほどなと思って、
僕は今でもそれを思ってて、
例えばだから、
暴れているけど精神科の病気じゃないものとかね、
例えば今回のアルコールで暴れているやつとかもそうだし、
ピック病とかで暴れているやつとかもそうだし、
体の病気なのに精神症状が出るやつなんかは全部そうですし、
体の病気でも呼吸器と循環器とかね、
腎臓ないかと循環器ないかとか、
そういう過と過の狭間に落ちるような病気があってね、
どっちのかとも取れないような、
これが難しいんだよね。
これをどうアセスメントしてどう治療していくかってことは、
診断の難しさ
これがめちゃくちゃ、
医者の腕の見せ所なんだけど、
ほとんどの患者さんに、
ほとんどの病気のほとんどの患者さんでは、
医者の実力の違いは見えないんだよね。
そのわずかに、
境界に挟まるような、
狭間にあるような病気の時に、
腕の違いが出てくるんだよね。
だから、
これはうちの病気じゃないっていうようなやつはね、
大した医者じゃないっていう風に、
僕は研修の時にそう習ったので、
これはうちじゃないっていう風に言うのは、
もう本当に、
これはもうやぶ医者の言い方だなと思っていて、
なるべく言わないように、
言っちゃう時ありますけど、
なるべく僕も言わないように言うと、
心がけてるね。
精神科で治るので、
精神科と神経内科の医者と一緒に、
認知症の、
いろんな病院、各病院あるんですけど、
認知症のサポートチームっていうのがあって、
チームがあると点数が取れるんでね、
お金のために半分はやってるわけですけど、
ディメンチアサポートチーム、
DSTっていうのがね、
各病院結構あるんです。
これはね、今お金取れるからね。
うちにもあってね、やってるんだけど、
ディメンチアサポートチームっていうのは、
DSTと書いてあるんだけど、
職員がオーダーしてきたり、
医者がオーダーしてきたり、
依頼してきたりするんですが、
医者じゃなくて、
職員からの依頼も全部受けましょう、
ってことにしてるんだけど、
職員でもなんだけど、
ディメンチア、認知症サポートチームって言ってんのに、
認知症じゃないけど、
眠れないみたいなやつ、
依頼してきたりとか、
政治家に頼んだ方がいいんじゃないの、
みたいなやつとか、
これって痛みの、
これ痛みの問題だよね、
これって、
食事の問題だから、
ディメンチアじゃない、認知症じゃないし、この人。
これは、
NSTじゃないみたいな、
英雄の方じゃないとかさ、
PCTじゃないみたいな、
いろいろそういう、
他のチームじゃないみたいなのが、
たまに依頼が来ることがあるんですけど、
その時に、
依頼文見て、これうちじゃないよって、
いう風に言うのはやめましょう、
って僕が提案して、
最初の頃はそういう雰囲気もあったんだけど、
そうじゃなくて、
一回受けて、
僕らで一回受けて、
一回見に行って、
見た上で、
僕らのチームとしてできることは、
こういうところで、
ここの部分はあっちに頼んだ方がいいんじゃないですかね、
って言った方がいいんじゃないかって、
そうしましょうよと。
これは違いますよとか、
あれは違いますよって言うと、
どうかなって分かんない時に、
頼まれなくなっちゃうから、
違うって言われたしな、みたいな。
そうすると、
本当は見た方がいいやつも見れなくなったりとか、
例えば両方にまたがる問題だったり、
書いてある文章は、
NSTぽい、
カブチじゃないなって感じがしても、
言ってみると、
僕らの出る膜もあったりするし、
一回見たら、
一回ぐらい見るのは手間じゃないじゃんって言って、
一人ぐらい。
しかもそんなんじゃんじゃん来ないじゃん、
間違えた依頼って。
間違えた依頼ってじゃんじゃん来ないんで、
そう滅多に来ないんで、
一旦行ったらいいじゃん、
その対して両力増えないじゃんって。
特殊なね、
やっぱり見といてよかったってやつが混ざってくるからね、
一回行きましょうよって思うんですよね。
精神科でもね、
例えば周りの病院とかだとね、
18歳以上しかダメとかね、
中学生まではダメとか、
いろいろ制限があるんだけど、
いいじゃんってそんなこと言わない、
一回見てから考えりゃいいじゃんって。
それ見ないでやっていくとね、
いつまでも見れるようにならんからねと思って。
うちは何の制限も設けてないので、
このまま4歳の子が来ましたよ、
4歳の子がうんぬんとか言ってね。
うんぬんかんぬんとか言ってね。
4歳って何よって話だよね。
4歳の子なんか来られてもね、
やりようがないからね、
見れませんと言って断ってる。
僕のどうですかね、
うちの周りの病院で精神科でね、
4歳見てるところね、
自動精神科じゃなくてよ、
普通の精神科でよ、
小さな子供の診察
4歳の子供を見てる精神科の病院はまずないね。
ですけどうちは受けてます実はね。
何歳でも。
だけどさ、
0歳が精神科に来たってさ、
絶対意味ないじゃん。
赤ちゃん。
だから4歳、
3歳もちょっとどうかなと
思いますけど、
1回見りゃいいじゃん。
そしてね、
見たことによってすぐ分かりました。
3歳、この前3歳だったかな、4歳だったかな。
とにかくちっちゃい子。
そんなちっちゃい子を連れてくること自体が
おかしい。発達障害だったらさ、
発達センターとかに連れてけばいいのよ。
なんのにうちに来たのよ。ってことは発達で連れてきたわけじゃないわけよ。
別の問題でしたよ。
医師としての成長
ね。
だけどその、
2歳や3歳の子を僕が見れると思いますか?
ね。見れないんですよ。
見れないことはない。見れる。
だけど別に、でもあんまり話すことないよね。
3歳の子喋らんもんね、別に。
なんですけど、
それを連れてきたということの事実が、
いろいろ物語るわけですよ。
それは例えばある種の、
それを連れてきてしまう
お母さんの問題が見えたりとかね。
例えばそこからお母さんに
サポートが必要だと分かったりとかね。
役所に連絡したりとかね。
そこからどうにかこうにかうまいこと
お母さんの治療に結びつけるとかね。
いろいろあるわけよ。だからさ、
1回話し聞いてみたらいいじゃん。
めったにないからそんなこと。
そんなに能力増えねえから
別に我々の。
なので、
例えば一緒にやってる先生も
大学にいるときはそういうの見たことが
多分ないもんだから
断ろうとしてたんだけど、
いや断らないよ。それは見ましょうよ。
大丈夫だって言ってみるようになって。
最近はその先生もね、
長く僕と一緒にやってますから
見るようになってると思うし、
なるほどねと思ってると思う。
だから見たことがなければ、
そんな赤ちゃん怒られたって
そんなのやり方分かんないから見れないよ。
こんなのDSEじゃないじゃん。
みたいな風に思ったりすると思うんだけど。
それは僕の
元々の研修病院でね。
研修病院の時の教えなんだよね。
そういうのは
基本的には受けろと。
そういう病院だったから。
とにかく受けろと。
いいから。1回受けろと。
受けてから考えると。
俺の領域じゃないとか
言うんじゃなくて、
受けてから俺の領域じゃないから
俺の領域じゃないパチンと跳ねるんじゃなくて、
これは俺の領域じゃなくて
あそこの領域ですよ。
あそこに行きなさいという風に
行き先を示してやれというようなことで
1回受けろと。
行き先が決められない時があるんですよ。
その行き先が
例えば循環器の先生が
見てどこどこが痛いみたいなやつをね。
心臓かなみたいなやつを見て
心臓じゃないとなった時に
これじゃあどこかなって思って
どこでもないなっていう時があるわけよね。
どこでもない
あれどこに紹介したらいいんだこれ
これこそが難しい病気で
どこに入れていいか分からない
境界の問題が
一番ここが
腕の見せ所なんで
そこの
アセスメント診断が付けられるようにならなければ
やっぱり
医者としてのレベルが上がらないので
それを診断をする
訓練をするためには
その境界の人たちを見ないといけない
それを見るためには
これ俺の病気じゃ
俺のかの病気じゃねえなと
俺の担当じゃねえなと
思っても依頼が来たとか
患者さんが来るんだとか
誰かの先生が頼んできたんだったら
なんか関係があると見えたわけだから
一回あれと思うけど
一回受けてみたらいいのよね
よく分からない
相手もよく分からず依頼してきてることもあるからね
そうだから
依頼文が違うときがあるから
精神科にかかってきたのに
内容これ全然精神科じゃないじゃんって思うときあるんだけど
それは向こうの先生が
言葉を間違えたりとか
どう書いていいか分からなくて
そう書いただけで
見てみたら精神科だなって思うときもあるし
若い医師へのアドバイス
一回受けるっていうのがね
いかに大事かっていうね
これは若い先生によく
指導する
自分僕もやっぱり
違うと思ったら断りたくなるんだけど
行くまでもねーわ
見るまでもねーわって思うときあるけども
なんだが
一回受けてみると
景色変わるときあるから
それやっていかないと
腕が上がっていかないから
僕ら医者としての
そういう風に訓練しておくと
例えば4歳の子が
3歳の子が
1歳ですとか2歳ですと言われても
そんなムリムリにならずに
0歳でも1歳でも
見ます見ますと言って
何回かやってるとパターンが見えるんだよ
1歳の子連れてくるって絶対
お母さんの問題じゃん
1歳の子が
見てもらいたいって言われた瞬間に
はぁはぁと思うよ
何パターンか頭に浮かぶよね
そういう今までの経験があるから
1歳の子自動精神科でもない
僕のとこ連れてくるってことか
はぁなるほどね
ってことはこのパターンかこのパターンかな
と思って
お母さんかなお父さんかな
何だろうな何に問題があって
何の話かなと思って
だからもうそんな
0歳の子なんか見れないみたいな
そういう恐怖が浮かぶよりかは
0歳を連れてくるってことは
こういうパターンかなみたいな
そこで僕の知らないパターンが来たら
こういうパターンもあるんだと思って
そういうことになるわけだし
最近あんまり
もう
20年以上
医者やってますから
あんまり新しいこと起こらないけど
それも
経験がなければ
新しい経験がなければ
できるようにならないから
最初から15歳以下を断りとか
っていうところでずっと働いちゃったら
永遠に4歳の子ども
永遠に3歳の子ども
見ることができないわけだし
永遠に
どういう子どもの時は結局お母さんだよね
これ問題はみたいな
永遠に分からないまま
精神科医を続けて
永遠に怖いまま
子どもが来たら怖いな
自動先進医学周りにない病院に勤めちゃって
子どもを受け去る上で亡くなっちゃったら
怖いなと思いながら
やらないといけなくなりますよ
でさ
50歳になってからさ
失敗するのは恥ずかしいしさ
若い時に失敗しとくべきだよね
恥ずかしくないから
いかにさ若い時にややこしさを
見とくかってめっちゃ大事だよねやっぱ
その時はさ恥ずかしくないもんね
今と比べて
だんだんやっぱ生活が楽
医者として暮らすのが楽になるからね
何事もそうだと思いますよね
今更年取った人に言っても
しょうがないんですけどね
今からでもさ
基本的には断らずに
見たらどうかなと思いますよということをね
ちょっとね
ノリコームさんとのやり取りをしていて思ったので
ちょっとね今日はねこれを話をして
おきました
皆さんもですね
あんまりね
何でも押し付けられると
困るとは思うんだけども
やっぱ一旦受ける
医者は特に一旦受けてから考えるっていうのが
やっぱね
自分の腕を上げる
のに大事なんじゃないかなと
僕なんかは思いますがね
ということで今日はこの辺でやめておこうと思います
それでは皆さんさようなり
チャッシャー
言うの忘れた
2026
1212精子のPライン
ナイトショーじゃない
ディナーショー開催決定
言うの忘れたから
最後に言ってきましたさようなら
ガオー
言うの忘れた
19:21

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