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こんばんは。
ザ・ピースを頭の中で再生しているうちに、いつの間にかラブレボリューション21に変わってしまう。
いつの間にかわった?の、バスエンの精神科リブラでございます。どうも。
いやー、ねー、なんかちょっとやっぱり、ねー、少し緊張しますね。まだまだ先のことだけど。
まだまだ先って言ってもさ、もう1ヶ月ちょっとじゃないですか。
このおじさんでダンスをしたことがない僕がね、ダンスを覚えるには十分すぎるほど短い時間だと思いますけどね。
行ってその場で何か睡眠の話をしろとか、発達障害の話をしろって言われたら、いくらでもやりますけどね。
いくらでもはやらないか。でも踊るのは大変だな。
洋服じゃない、なんていうのかな、洋服じゃないな。
ウェアみたいなものをね、チームの服?踊りの服みたいなやつをね、買っていくように、
ナンちゃんから連絡が来ていたんですけどね、これ全員に来るんですけどね。
僕のツイッターあらためXを見ている人はもしかしたら知っているかもしれませんけど、
身長的には僕ちっちゃいのでMなんですよ。
だけどね、M入らないの最近太っちゃって。お腹ピロンってなったりするんでね。
MにしようかLにしようかななんてことをツイッターで書いてたら、
アズさんはMにしろと。ピッチピッチが面白いと。お腹がプルンと出るくらいが面白いよと言われて。
まあそうだなと思ってM買うかなんて。ちょっと迷って買おうと思ったらもう売り切れ。
早いなあ、みんな早いなあ。
多分ですけどね、ポニーテールとシュッシュの人たちが買ったんだよね。
やっぱり早い人はポニーテールとシュッシュ買うよね。
多分40代だな、30代の終わりから。ポニーテールシュッシュ世代だな。
それでね、多分遅れて40代の中盤以降から50代あたりの前半くらいの人がね。
おそらくですけどね。
モーニング娘。世代が青春の時の人がやっぱりザピース買ってると思うんだよね。
踊るポンポコリンは知らん。
まあそういうことでね、ちょっと年が上だと思うんですよね。遅れて売れてる方ね。
やっぱりちょっと反応が遅いんだよね。どうしようかなと言ってるうちに多分売り切れたんだよね。
僕はそう思っている。で、売り切れました。
売り切れたんでね、もう何かちょっと買えないんですけど。
またね、追加生産できるかダメなら色違いっていうね。
まあでもそうだね、ポニーテールとシュッシュの人で色違いは多分目立つけど、
我々多分みんな遅いからね。
ザピース世代の人はね、モーニング世代の人はね、
この新しい色かね、そっちの後で買ってるやつの方が多いんじゃないかなと。
そんな風に思っておりますね。
まあそれはそうとね、
僕の玉ねぎの話は昨日したか一昨日したか忘れましたけど、
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人間っていうのは玉ねぎみたいなもんでね、
芯なんかはないかあるんだとするとね、
あるんだとしてもちっちゃなもんだと。
人間っていうのはそういう玉ねぎの皮の塊が実なんじゃないかみたいな、
皮と実の連続性みたいな話をね、意識の話はしてねえな。
でしたら、仏教のことがお好きなんだよね。
いつも三宅園さんが放送で僕の放送をちょっと引用して、
カルマを玉ねぎで説明してらっしゃったけどね。
僕ちょっとカルマの構造とかよく知りませんけどね。
よく僕の書いたことに三宅園さんが原始仏教ですねってコメントされることがあるんだけど、
僕は原始仏教よく知らないですね、本当のことを言うとね。
僕はあんまりよくわからないんだけども、
なんか多分ね、共通するところがあるんでしょうね、いろいろと。
僕なんかは日本に住んでるからっていうのもあるのかもしれないけど、
仏教の影響は多分に受け入れるでしょう。
仏教って哲学ですもんね。宗教でありながら哲学でしょ。
式則是空とか哲学じゃん。空則是式はちょっとわかんないけども。
式と空が同じだってめっちゃ哲学だと思うんですけど。
だから知らずに影響を受けてるのかもわかんないけど、
ちょっとそういうことで原始仏教かちょっとわからないんですけど、
でも言ってることはなんとなく同じだなと思うわけですよね。
その中で意識のことが書いてあったんだよね。
だから今このAI時代になってですね、
魂とか意識ってものがどういうものなのかってよくわからない、
それを考えざるを得ない世界になってきましたね。
魂ってさ、あるのかないのかね。
これはですね、もちろんわからないんですよね。
僕らの脳っていうのは電気信号なんですよ、あくまでも。
医学的に僕らの知識で言うと、
あくまでも人間の意識っていうのは電気信号なんだよね。
じゃあね、同じ電気信号がね、
同じようにね、コンピューターの上に再現したらね、
同じように意識が出るのかどうかですよね。
出る、出れないっておかしいでしょ。
では出ないんだとすると、
人間の意識とかっていうものは神の息吹ですかっていう、
僕ら科学的にものを考えれば、
じゃあ神様の息吹ってことですよねってことになっちゃうわけですよね。
よくわからないんですよね。
そもそも人の意識っていうものがですね、
どこから発生してるか僕らは実はわからないんですよ。
意識の中枢っていうのはわかってないんですよ。
おそらくないんでしょ。ないのに僕ら意識があるでしょ。
ある意識っていうのが何かっていうのは実は全然わからないんですよね。
これは僕らの、
医学の限界だとかそういう話じゃないんだよな。
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ちゃんと科学を勉強してみたらわかると思うんですけど、
科学って厳密には何も証明しないんですよね。
よく科学的に証明されているとか、
医学的に証明されているとか、
医学的にはこうなんですっていうふうなことを言う人はいるけど、
あれ嘘ですからね。はっきり言って。
相手が科学のことをわかってないと思っているときに、
機弁で使っているだけのことで、
医学的に言うとといった後に来る言葉は全部嘘ですよっていう、
枕言葉ですよね。今から嘘を言いますっていうときに、
医学的にはっていうようなことを言いますよね。
僕も言いますけど、
これは後ろに嘘が来ますというね。
あなたに都合のいいフィクションを今から語りますっていうことですよね。
西野さんが腹割って話すとって言ってから作り話をするでしょ。
そういうのと同じだよね。
本音話すとって言ってから嘘が始まるでしょ。
そういうのと同じですよ。
医学的に言うとって言ってからフィクションが始まります。
それが意識的にやってらっしゃる先生と、
無意識の先生がいると思うんだけど、
これはそういうものです。
だって医学的に言うと、
医学ってことは科学でしょ。
科学的に言ったら科学って何も証明しないじゃない。
前、何だっけ、
なんとか研、日、
立派な研究所にいた、
おぼかた先生っていう女の子が、
スタンプ細胞があるとかないとかってやってらっしゃってね。
スタンプ細胞、結局スタンプ細胞はあるんですかとか言って、
スタンプ細胞はありますとかって言ってましたね。
あの、なんていうかな、
質問してる記者自体が、
科学リテラシーが低いよなと思うわけですけど、
スタンプ細胞があるかどうかは、
科学では分からないでしょ、だって。
科学って何だと思ってんのと思うんですけどね。
何さそれ、科学で証明してるって。
科学というものを使うと何かが分かるっていう風に思ってる人っていうのは、
科学という宗教にどっぷりはまって、
あんまりものを考えていない人なんだと思うんだけども、
科学っていうのはそういうものじゃない。
科学というのが宗教だとすると、
科学というものの教義は、
すべてのことは分からないっていう教義の宗教ですね、
科学っていうものはね。
科学を宗教に例えればそういうこと。
すべてのことは永遠に分からない、
我々には分からない。
っていうのが科学の教義だよね。
それを分かると思ってしまったら、
それは宗教なんですよ。
これはこうであると言い切るでしょ。
科学というのは常に言い切らない。
常に必ず科学というものは前提があって、
何とかであると仮定するとこうであるという、
ある種の仮定を設定して、
その仮定に対して結果を言うんですよ。
そこがある程度繋がっているということを、
それは証明と言うんですよ。
学校で習いませんでしたっけ、証明って。
必ず数学でやったでしょ。
みんなやってるんじゃないかな。
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証明をやるときに最初の文章に、
〇〇であると仮定すると、
みたいな仮定を書きませんでした。
書いたでしょ。
そうすると必ず仮定が存在するんですよ、
証明するためには。
その仮定がそもそも正しいかどうかの
証明がいるじゃないですか。
それを事実だと。
間違いないんだと言うんであれば。
だからそれを科学でやろうとすると、
僕がさっき言った、
例えばAであるとすればBであると。
言った場合に、
AであるとすればのAを証明しなくちゃいけなくなる。
そうすると今度、
また別の命題。
CであるとすればAであるというね。
どんどんどんどん、
〇〇であるとすればが、
どんどんどんどんできてくるんだけれども、
その〇〇であるとすればの、
そのすればというところを、
科学では、
正しいという風に言えないので、
宗教とかしか言えないので、
科学というものは最終的に、
何かを正しいということは言えない。
何かであればなしの、
注釈なしの、
かけねなしの正しいということは、
科学では実は証明できないんですよ。
だから〇〇ということが、
科学で証明されています、
医学的に証明されていますと言っているものは、
全部嘘ですよ。
何かであるとすれば何かであると、
誰々がこういう理屈で説明しました、
証明しました。
その証明が正しいかどうかというのは、
いろんな人がいろいろ検証して、
そうなっております。
それは正しいかどうかというのは、
その人に聞いてみない、
聞いたって分からないんだけど、
そういう理屈で言っています。
仮説が、
割と強めの仮説、
最もらしい仮説です、
より最もらしいです、
みたいな競争をしているのであって、
科学というものは何かの真実を、
見つけることができるものではないんですよ。
科学というのは、
真実を見つける学問ではなくて、
科学は、
真実を見つけようとする学問なんですよ。
そして、同時に科学というのは、
真実は我々には見つけられない、
という前提に立っているんだよ。
ということを、
科学をやったことなしで、
多分分かっていないんだよね。
だから真実を見つけられるのは、
宗教だけであって、
科学の立場は、
宗教的な真実を見つけられるということに、
会議的なわけです。
だから、あのものを言っているのが、
科学という宗教なんです。
科学を宗教であるとすればね。
ミヤケンさんの話に、
意識の話をしようと思ったんだけど、
ちょっと別の話になっちゃったね。
まあいいや、もう10分過ぎましたからね。
今日はこの辺にしておきましょうか。
久しぶりにまた、
スカンクさんとの放送がありますので、
またしばらくしたら上がると思いますよ。
お楽しみにでございます。
では、さようなり。
今日はこの辺で。