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はい、どうも。バス絵の精神科医、リブラでございます。
なんかあれだね、やっぱりちょっと不定期で毎日やってないと、名前とかも忘れちゃうねん。
バス絵の精神科医、誰だっけ?って一瞬思っちゃいますね。
どうやってやってたのかすぐ分かんなくなっちゃいますね。不思議ですね。
人の習慣というものは面白いもんでございます。
何の話をしましょうかね。だって、なんか話をしようと思ったから撮ったはずなのに。
あ、思い出した。
あの、そうだ、ボイシンを聞いた話をしようと思ったんだけど、その後で
スタンドエースFMを聞いて話そうと思った話を変えてしまいますけども、
本当はADHDがどうのとか、いこうのとかっていう話をしようと思ったんだけど、やめまして
不定期に上がっているスナックくらげラジオを聞いておりまして
あの、面白いなと思ってね。
目に見えないもの、言葉になんだっけな、と、語れないものだっけな、忘れちゃったけど、なんかそういうような
えっと、我らが、スナックくらげのシルママがですね、シルさんがね、何か言葉にならないものの話をしていらっしゃったんだよね。
えっと、何だったかな、ケーキ、ケーキだったかな、ケーキ屋さんが、なんか素敵なケーキ屋さんがあって
何かその素敵なケーキを食べると、食べるとなのかな、見るとなのかな、まあその経験すると何かその
えも言われぬ言葉にならないものが伝わってくるんです、みたいなお話で、自分の多分
聞いたんだけどな、もうね、人の話をちゃんとね、覚えてられない、えっと
自分の作品もそんな風に伝わるといいなって言ったかな、言ってないかもわかんないけど、なんか歌ってらっしゃったな
あなたに、あなたに、あなた、あなたに、どこの高さかな、わかんないけどさ
本当によかった、嬉しくて、嬉し、うー、らーらーらー、らーらー、まあいいや、まあいいんですけど
もうね、いいんだよね、適当で、あのね、その、それ歌ってらっしゃったね、えっと、あれもだね
はーはーはーはーはー、あの、あれだね、あの
ね、あの、サダマサシさんのね、あれだ、北の国からのやつと
えっと、小田和正さんの、なんだ、言葉にできないかな
あなたに会えて本当によかった、嬉しくて嬉しくて、言葉にできない、らーらーらーらー、らーらーらー、らーらーらー、らーらーらー、言葉にできない
嬉しくて嬉しくて、うーうーうーうー、みたいなね、なんじゃそれというところですけど
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あれはやっぱりね、あの名曲でね、と僕は思うんですよね、やっぱしね、まずね、あれを歌ってるのがね
サダマサシさんだとかね、小田和正さんだっていうのが1つポイントなんだよね
あのー、やっぱりね、小田和正、えっと、えー、サダマサシと、この辺のね、ネームはね、やっぱりね、言葉の人でしょ、あの2人とも
あのやっぱり、詩が巧みなんだよね、えっと、言葉が巧みなんだよね、歌手なんだけどさ、あのミュージシャンなんだけどさ
あの言葉の人たちなんだよ、言葉が鮮やかなんだよね、めちゃくちゃ言語化力があるんだよね、言語能がね、あのー、優れてるわけですよ
作能が優れてるんだよ、なんね、えー、言語力が鋭いわけよ、言葉にする力がすごい人たちが、自分はあんなに言葉できるんだよ
僕はこんなに言葉にできるというわけだ、ね、その、すごい言葉にできる人が、言葉にできない、ぐらい嬉しいんだという、そのメッセージ
刺さるでしょ、あの、例えば、さ、そうじゃなければ、例えば、あの、えっと、あの、あの、あんまり、あの、言葉が、あの、できない、あの、嬉しい、ラーラーラー、ラララー、これだとね、感動できないんだよね、やっぱね
あの、いろんなことを言葉にできる、この感動の言葉、いろんな言葉を使える、この言葉巧みな僕が、うー、言葉にできない、ラーラーラー、ラララー
うー、うー、うー、これがね、泣くわけだ、ね、言葉にできない、できる人ができない、それほど言葉なんだと、いうことで僕ら泣くわけです
あの歌だからそこが名曲なわけです
あのね、岡田斗司夫さんがね、前ね、あの、僕あの大好き、岡田斗司夫さんね、僕大好きなんですが、えー、YouTube、あのニコ生の放送でね、何かね言ってらっしゃった
ちょっとね、僕あのね、それをね、さっきね、一生懸命探そうと思ってYouTubeで探したんだけど、見つからなかったんだけど、どっかで聞いたんだよね、多分聞いた
あのー、なんか人生相談みたいな、あのー、コーナーで、なんかね、ちょっとはっきり覚えてないんだけど、奥さんだか彼女だか、まあ奥さんだったかな、うーん、なんだったかな、まあとにかく女の人を、なんか少しけなすみたいな論調で、その相談者が
僕はこんなに言語ができるんだけど、相手は言語ができずに感情で物を言うと、いつものあれですね、僕が言う右だとか左だとか長いだとか短いだとかっていう言い方で言うと、右側というかな、感情の物語、えーと、えーと、えーと、えーと、えーと、えーと、えーと、えーと、えーと、えーと、えーと、えーと、えーと、えーと、えーと、えーと、えーと、えーと、えーと、えーと、えーと、えーと、えーと、えーと、えーと、えーと、えーと、えーと、えーと、えーと、えーと、えーと、えーと、えーと、えーと、えーと、えーと、えーと、えーと、えーと、えーと、えーと、えーと、えーと、えーと、えーと、えーと、えーと、えーと
その俺は頭がいいから言語化できて理屈で論理で物を考えることができるが、奥さんの物語が長めの感情で考える奥さんはバカなので話が通じないのでダメですなみたいな、なんであんなに言葉が通じないんですかね、理屈わからないんですかねみたいな、なんかそういうノリの相談内容が岡田さんのところに来たわけですよ。
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岡田斗司夫さんあの、そういうのね、あの人はね、言葉の人なんですけど、よく雷言葉の人なんですけども、えーと、そういうのすっごい一瞬でイヤッとするんだよね、あの人。で、えー、もう画面を見てわかりますよね。あ、今イラッとしたってね。もちろんすぐわかるよね。えー、あのイラッとしてね。えー、そこでパーッと言い放つ、いたんですけどね。
えーとね、あなたはね、言葉が使えて論理で語れるから頭がいいと思ってるようですけど、えーと、大きな間違いですよと、僕を含め、あなたも僕もですけども、言葉で理解して論理で理解しますよねと、それは頭が悪いからなんですよと、えーと、本来の素の状態を僕らは感じて、その感じればいいのに、それが感じる力があまりないので、言葉にいったん落とし込んで、つまり、えーと、
えー、なんていうかな、つまりそのデジタル化するというかな、えーと、わかりやすい飲み込める形に、言葉の形に変えてしか、あなたはバカだから理解できないんでしょって、あなたはバカなんですよ、だから論理を使うんですよ、バカだから言葉を使うんですよ、その辺をご承知おきくださいねー、みたいな感じで、えーと、えーと、俺は論理が使えるから賢い男、奥さんは論理が使えない、感情でしか言えないバカな女みたいな理屈を、違う違う違う違う違う、そうじゃ、そうじゃない、
言葉を使う奴は頭が悪いー、お前も俺もだけどなー、みたいな変てこな歌を歌いました、えー、そういう風にね、切り切ったわけね、うん、まあ正確に言うとね、おそらくね、うんと、言葉を使う方が頭が悪いというのはちょっと言い過ぎだと思うんだけど、言葉を使うのは頭が良いって言ったからあのカチンときて、言葉を使ってね、論理でやるのは頭が悪いんだバカって言って、やり返したんだと、あのねじ伏せたんだと思うんだけれども、ね、えーとね、
つまりね、言葉をって、本来ね、物事っていうのはね、別にね、言葉でね、物事っていうのは考えたりね、あの、感じたりしてるわけじゃないですよ、もっとね、漠然と僕らはね、物事を感じたり、いろいろするわけですよ、ね、それはだから音楽だったり、もっと物語だったり、まあ物語は割と言葉だからあれなんだけど、言葉なくたってさ、映像だけで物を感じたりするでしょ、子供が動いてる映像を見てね、別にね、あの、言葉なんか関係なくたってね、いろいろ、言葉なんか通じなくたって感じることはいっぱいあるわけ、
それを人に伝えるという時に言葉が必要なんですよ、言葉っていうのはその共通の、何か何ていうかな、えー、何か人に伝える時にどうしてもね、感情そのまま伝えられないから、えー、言葉音というのがどうしても必要になる、なので、人に何かを伝える時には論理だとか言語だとかっていうものが必要なんだけど、言語だとか論理だとかっていうものに押し込んでしまったところで、えーと元の情報はね、かなり失われます、
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つまり本当の音をCDにすると情報が減るように、言葉にすると情報ってめちゃくちゃ減るんだよ、例えばですね、空がね、空の色を見てくださいよ、綺麗な空だったね、えー綺麗な空だねと感じた、うわーね、あーいいなーとね、心で感じてる、えーその色をですね、青空だとか、青だとか水色だとか、まあもっといろんな色があるけど、えーと、に変えた瞬間に、ただの青になっちゃうんだよ、
情報はね、青空の青はいろんな青なの、海の青と青空の青とね、違うの、いろんな藍色もあるしね、いろんな言葉が群情もあるしね、いろんな青があるんですよね、それはね、もうね、無限のコントラストが、無限のグラデーションなの、コントラストじゃない、無限のグラデーションで無限の色があるの、ところがね、色のっていうものにはね、あの、名前っていうのとか表現には限界があるでしょ、
いくつか種類しかないでしょ、なのでね、言葉に、これ全部が色だけじゃないの、すべてのことを言葉にした瞬間に解像度が下がるんです、言葉にするってのはそういうものなの、だけど、僕らは人に伝えるために、あるいは、自分の記憶に残すために、あるいは、自分が何か思考、それを何か考えるために、どうしたって、ある程度言葉にしなければならない場面があるわけ、これは仕方がない、脳の限界、僕らの脳が、あのー、あまり賢くないのと、
そういったことで、やっぱり言葉に落とし込むわけ、言葉に落とし込んだ瞬間に、かなり解像度が落ちて、元の状態とは全然違うものになります、それは、なので、本当は言葉にせずに、あのー、理解をね、人に伝えるというのは、さあまあ、できないから、仕方なく言葉にするんですよ、僕らは考えるのに、脳の容量が足りないから、一旦言葉に変えちゃうんですね、まあ、そうすると情報は失われるんで、だから、言葉に変えて物を考えてるってのは、ちょっとバカな、やることなの、本当に岡田斗司夫先生が言うようにですよ、ね、
それを人に伝えるときに、僕らは言葉を使わなきゃいけないんだけれども、だけど、人によって才能がある人は、たとえば、シルさんは、イラストの中に何かを込めたりすることができるわけ、メッセージを、その料理人の人は、料理の中に気持ちを込めることができるわけ、クリエイターは映像を使ったり、映画監督は映画にして、小説家は小説の中に、小説の中に村上春樹さんは、文章を書くんだけども、文章で語っている物語の筋とは違うことを僕に伝えてくる、
ださやおさむは、人間失格という物語を書くことによって、人間失格の物語の中のストーリーとは関係ない、僕の心にものすごく、思春期の時の複雑な恥ずかしさみたいな気持ちを、ぐーっと苦しくなるような気持ちを、邪気させるわけ、それは文章の物語ではないわけ、物語で僕らは感じているわけではない、文章の、何ていうかな、おー、節しちゃってるっていうね、ことでね、
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そういうね、しるさんは絵なんでしょうね、まあ人によっては歌の人もあるだろうし、歌手の人もあるだろうし、歌のメロディーの人も、絵もいろいろある、いろいろある、僕なんかはそういう才能がやはりない、と自分で思う、あんまりない、あんまりできない、で僕なんかは言葉でこうして言語化して伝えます、なので僕は言語化しかできない、これは僕の限界であって、あのー、才能でありかつ限界であるみたいなところがあるわけですよ、まあこれしょうがないわけ、こうしかできないからさ、
本当はね、まあ絵が描けるといいんだけど、まあ絵が描ける人は僕ほど喋れないかもしれないし、それぞれ、それぞれでしょ、何もない人もいるけどさ、何もない人はもっと他にあるかもしんないじゃん、それないかもしんないよ、それは知らないよ、知らないんだけど、そのように、あのー、言葉にするというのはね、実はね、そのー、本当に人に伝えるのの一面だし、言葉にするっていうのは一つ、解像度を下げること、もしかするとだからしるさんたちが、
心の中にあるものは、もっと絵を超える、もっと別のビジュアルじゃない何かなのかもしれない、それをビジュアルの形に落とし込んで、絵として伝えてきているのかもわかんない、実はその料理のパティシエの頭の中にあるものはもっと違うものなんだけど、それが自然と何かこう、料理の中に、お菓子の中に入ってきてしまうみたいなね、そういうことなのかなと思いますね、なので、
えーと、というのがちょっとね、あの、言葉にならない、えーなんだっけ、目に見えない言葉にならないものみたいな、お話をしるさんがしていらっしゃったので、ちょっとそれをね、に、感じて感じたことを、えーと、述べてみました、ね、えー、はい、今日はね、あれだ、明日、煙突待ちですね、明日は盆踊り、ね、えー、何時に行けるのかな、ね、皆さんね、また盆踊りで会場で会える人はね、会いましょう、ね、
それでは、さようなりー!
ポチー!