1. リブラの 精神科のバックヤード
  2. 懇親会で僕が西野さんに何の話..
2023-11-14 23:51

懇親会で僕が西野さんに何の話をしたのか、大公開の巻!!


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自分と力さんとともに、この人も話題が尽きることのないアラフィ風やじだ、と既に話題が尽きた三宅さんに言われた、でお馴染みバスエの精神科リブラでございます。どうも、風少し具合が良くなってきました、どうも。
こんばんはリブラでございます。毎度どうも。
今日はさっき、自分で放送を聞いたりコメントを見ていて、ここ数日、講演会で起こった出来事に関して喋っていまして、
宇多谷さんとスカンクさんがうまくいかなくなったみたいな話の流れでの解説みたいなことをして、宇多谷さんの回答が非常に面白くてさ、面白いというのは別にバカにしているわけじゃなくて、興味深いという意味で面白いなということで、それの話もしたいなと思ったんですが、
同じような話になっちゃうんで、車に乗りました。次の仕事に行って、そこでまた、仕事中にも関わらず、スカンクさんとの放送を撮るぞ!
同じような話になってしまってもいけないので、西野さんと話した話なんか、皆さん興味あるんじゃないかと思って、その話をしようかなと思います。よろしくお願いします。
公演会の後に懇親会に行ったんですよ。結構行ってみたら懇親会だけの人が多くてね、公演会と一緒に出ている人、僕含めて3人だけだったかな。
割と懇親会だけ来る人がいるんですね。聞いたら、ただ公演会のチケットも買えなかったとか言って。懇親会に値段高いんで、いくらだっけ?5万円だっけ?7万円だっけ?なんか高いんで、買うファン層みたいな、ちょっと濃い人しか買わないのかもしれませんけど。
僕は買ったというかね、参加したというか、長本さんの旺盛のままにやっておりましたけども、ちょうどよかったら呼んでもらってね。参加してとてもとても面白かったんですけどね。
てなことで、行ってしまってね。料金400円でございます。
場の空気があんまり変な風にならないように調整する役割なのかなと思いながら参加したんだけど、ガソリンがないな。大丈夫かな。
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最後の長本さんにもよかったね、いっぱい喋れてみたいな。僕は長本さん5歳だと思われる。最近進化して中学生ぐらいだと思われてるのかな。よかったね、よかったな、西野さんと喋れてみたいな。
よかったですとか言ってもいいんだけどさ。楽しく結構喋ったんだよね、西野さんとね。どんなことを話したかの話をしようと思いますけど。
ここでも言ってますけどね、結構偉い教授とかにづけづけ物を言うのが割と得意というか、そういう性格もあんまりちょっと空気読めないところがあるんでね。
そうだけどね、学者さんで偉い教授っていうのはね、あんまりおべんちゃらっていうの、お世辞っていうの、おだてられてさ、そういうご祭りみたいな、小ビールみたいな、そういうのあんまり喜ばないというか。
いつものね、感情と理屈、感情言い方、理屈言い方っていう言い方ですると、大学の先生、教授っていうのは、ちょっとやっぱり理屈重視型の、少し偏屈で理屈重視型。
歌種さんだわ、スカンクさんより歌種さんの人が多いんですよ。やっぱりちょっとそういう形の偏人が多いんだよね。割とああでもない、あの子がこんなに言った、そうよそうよ、ぐちぐちみたいなよりかは、ただちょっとずれてるみたいな。
あるでしょ、天才はちょっと変わってるみたいな言うじゃない。天才と何かは神人みたいな。そういう神人へ的な少し変わった人たちがやっぱりね、偉い教授とかに多いんです。
まだ直りきらんな。そういう教授、結構ね、僕は割と得意にしていて、得意っていうのはね、僕はちょっと同じように空気読めないからなと思うんだけど、仲良くするのがあってね。
で、某有名な、ちょっと若いときね、某有名教授が、別のところの有名教授が僕の大学に来てるときがあって、そのときに誰かが相手しないといけないということで、僕が当時の就任教授に選ばれたんです。
学問的にも範囲が近かったのも、僕がやってたこととは近かったのもあるんだけど、近いものにも私若手なんで、そんなん関係なくて。そうじゃなくて、僕がその先生に臆せずに、づけづけ物を言うというところに、多分僕が目をつけられてですね、そこを採用してもらって、もっとね、偉い教授とね、座談会みたいな、医学雑誌の座談会みたいなのにも呼ばれたことがあるんですけど、
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それもおそらく僕がづけづけ物を言うという特徴があるんで、それを変われたんだと思う。普通だとやっぱり偉い先生に臆して物を言えないよね、自分の立場考えて。僕は空気読めないんで、少し空気読めないところがあるんで、づけづけ物を言う。
でもそのほうが気に入られたりするわけ。相手によるわけ。その人がすごい人だという尊敬の念みたいなものは僕は基本的には持っているんです。尊敬の念は持っているけど、だからといって媚びたりするわけじゃなくて、先生ここはどうなんですか、いやそれは違うんじゃないですかとガンガンに食いついていくんで、でもね、そういう偉い先生たちはそのほうが喜ぶのよ。
で、すごいややこしい教授と言われている先生に僕はくっついていて、その人にみんな怖いから、変な人だからちょっと、みんなお茶を出したりね、そういうこと気に使うのね。僕はそうじゃなくて、その学問の内容のほうに行ってガンガン行くわけ。そこに質問はするわ、いろいろぶつけるわということで。
そうすると逆に気に入られて、僕その人にご飯一緒にうちにお食事に来いって言われてね、すごい変な人なんだけど僕は絶対嫌だと思って、お食事に誘われちゃって、その時の主任教授の、僕をそこにあてがった主任教授に先生の責任ですから、その人も主任教授なので僕はその人にもそういう言い方をするんだけど、先生の責任で僕ここにお呼ばれしちゃったんだから、あんたも一緒に来いっていうことで、
僕その主任教授を無理に巻き込んで、一人で有名教授の家に行くのにすごい嫌だったから、そこで二人で話するのきっついなと思って、僕が嫌になったら帰りたいんだけどさすがにお呼ばれして帰るわけにもいかないっていうことで、主任教授と一緒に偉い先生のところに、主任教授も相当偉い先生なんだけど世界的な先生なんだが、連れて一緒に行ってステーキをご馳走になって、すごい本の量だったなみたいなね、そういう経験をしてます。
僕はもともとそういう人間なんです。これはそういう人間だ、ビッグなんとかと同じようにそういう人間なんですが、
くしくも西野さんがね、米君を叱っているところを叱っているというか、別に本気の叱っているんじゃなくてこいつはダメなんだよみたいなことを言っていることがあってね、何かというとね、米君はこびると言うんです。
俺にこびると。俺にこびてどうすんだと。こいつは社長を見るとこびると。これはダメだと。なぜなら、自分は俺は天才だと言われていると。天才だと言われている人に天才ですね、すごいですね、すごいですねと言われたって、そんなことは別に言われ慣れているし嬉しくはないと。
で、こびて喜ぶ社長もいるよと。こびて喜ぶやつはいるけど、そいつはその程度の社長だと。こびて喜ぶのやつよりレベルが低いと。米君はまだそういう社長しか会ったことないんじゃないかなと。もっとこう、なんていうかな、褒めて喜ぶようなやつダメだろっていうような話ですよね、とにかく。
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言い方はいろいろでしたけど、要するにそういうことだよ。僕もそれはその通りだと思う。さっきの話で言うと、大学の教授でもこびて喜ぶやついるのよ。やつって言ったら申し訳ないね。こびて喜ぶような教授もいる。やつっていうかな。それはそれで立派な先生なんですけども、そのレベルの人なんだけど、僕からするとなんかちっちゃいなって思うんだよね。こびて喜ぶってなーって。
僕だってこびられたら喜ぶ、褒められたら嬉しいところはあるけど、それは僕がそれの程度の人間だっていうことですよね。なんだけど、自分は大した小市民ですのでね、褒められて親父に喜ぶけど、そうじゃなくて、ちゃんと尊敬した上でこびないという、そういう姿勢があるとさらに気に入られる場合、そのレベルの人には気に入られる。また別の、もっと上のレベルの人に、上っていうのかな、またちょっと違う思考の人にはまた違うね。
ある種僕もこびてるんだけど、こび方の違いというか、ただただ褒めるというこび方を僕はもうしないと、もともとあんまりしない、得意じゃないということがあるんです。というお話がまずありまして、そういうお話もあったんだが、僕が何を西野さんと話したかというと、いろいろ話したんだけど、割と今思うとずけずけ物言ったなと思う。
西野さんが聞いてたかどうかわかりませんけど、かなり酔っ払ってたし、僕も酔っ払ってるんで結構失礼なことを言っておりますけどね。
例えばね、こんなことを言いました。ちょっと僕なりの話で。西野さんは酔っ払ってて聞いてないかもわかんないけど、皆さんには同じ話をしておこうと思うけどね。
例えばね、一つはね、これどっかに書いた気がするけど、書いたけど何を言ったかというとね、いつもよく西野さんがおっしゃるでしょ。WEB3で非中央集権というのはおままごとだとおっしゃるでしょ。
よくね、多数決で物は決まらないと。非中央集権なんてのは夢物語であるみたいな話をね、おっしゃったんで。
いや、西野さんと。これがまたね、そんなことよく言うよね、西野さんの前で。僕やっぱ頭がいかれてるな。
西野さんと。もうちょっと言い方は丁寧ですよ。西野さんに絶対怒らせないように。絶対酒をついちゃいけないぞって長本さんにしっかり言われておりますので。
それもね、長本さんに申し訳ないんだけど、僕西野さんに言っちゃったよね。長本さんがいるところで。西野さんと何か話をしてる最中に。
もう大丈夫ですよ、西野さん。僕はね、長本さんからね、もう散々言われてるんですよ。絶対西野さんに酒をついちゃいけない。怒らせたらお前ぶち殺すぞと。
長本さんからも散々言われておりますので、僕は西野さんに酒を絶対ついてないでしょ、長本さん。ほら、機嫌がいいじゃない、今日ね。僕が酒をついてないからじゃないの?みたいなね、
あの、無礼なことを言ってね、西野さん。すいません、すいませんとか言って。ちゃんと、もちろんわかってくださって。冗談。わかってくださってると思うけどめっちゃ怒ってないよね、実は。そんなことない。そんなね、そんなくだらない人じゃないよね。天才ですからね。
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ということで僕は心の中で尊敬があるからいいわけだと思うんだけど、尊敬しながら言ってるんで、尊敬してれば少し腐らしても大丈夫なんだと思うんですが。
ということで西野さんは怒らせないように酒はついておりませんよーとか言って。安心してください、酒は入ってませんけど入れてませんよ、みたいなことを言ってね、やってましたけど、そんなこと言いながらね。
何の話だっけ。そうじゃなくて酒を使わない話じゃなくて。
あ、そうそう。いやいやいや、ちょっと西野さんとね。
僕が思うに、非中央集権というのは基本的には、ガーファ的な中央がなくなって民主主義になるという話では僕はないと思います。
非中央集権というのは、王がいなくなって、王の代わりに多数決が支配する世の中になるという意味ではなくて、
逆に王がいなくなるんじゃなくて、大量の王があちこちに出てきて、大量の王が小さな国を大量に作ると。
そして真ん中に中央の大きな国家というか、大きな王による国と王国というものが崩れる。ガーファという王国が崩れ、小さなものがいっぱいできる。
三大宗教が崩れ、小さな宗教がいっぱいできる。
そしてこのオンラインサロンだとかダオだとかというものも、西野明寛というコンテンツ自体が、
そもそも西野さんが王であって宗教の競争であって、小さな、いわゆるガーファではない小さな国のこれが一つなんだと思う。
こういうことがあちこちで起こり始めているんだと思う。
これが非中央集権による、ということで今起こっていることの正体なんだと思う、みたいな話を、割と無礼でしょ。
いやいや西野さんみたいなこの無礼さね。
こんなこと言う素人いるっていうね。危なくないっていうね。
内閣に投げ込むっていうね。これちょっと僕の頭おかしいところですけども、内閣に起こってないと思うんだよね、そんなことでね。
別に怒るところないよね、とは思うんですけど、まあでもなかなかね、普通のちゃんとした社会人なら言わないかなって僕なんかは思います。
長本さんが言ってたらびっくりするもんね。辰吉さんが言ってたらびっくりするよね。
うわーこいつの人どうして頭いかれたかと思うよね。
僕が自分で言っててもね、僕は頭いかれたと思いませんけどもっともっといかれているということで、特に思いませんけども、ちょっとガソリン入れてきまーす。
はいガソリン満タン!
ガソリンを入れてきました。高いなガソリン。もう嫌だね、本当に。
もう車乗るのやめようと思って自転車乗ってましたけど、ちょっと風邪ひいたんでね、夜の夜中まで飲んでたから風邪ひいて、まあ今日はだいぶいいですけども、
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だからインフルエンザとかコロナとかそういうのじゃなかったとは思って、まあコロナはあかんでよな、もうコロナ感染したことあるから、もう今コロナになっても大した症状が出ないってことはあるかも。
まあいいやね。
非中央集権ってそういうことじゃないみたいな話をね、僕がちょっと一個しましたね。
僕は本当にそう思うんだよ。王がいなくなって多数決になるっていう意味じゃないと、それはもちろん本当の非中央集権っていう考え方はいろいろあるんでしょうけども、
僕が思うには、あれは王がいなくなって、実際最初はそう思ったのかもわからないけど、基本的には王がいなくなって民主主義というか民主化してるんだけども、
つまり多数決の世の中になるというふうなことではなく、少なくとも実際に起こっていることは、王が乱立し小さな王国一つの価値みたいな日本国みたいな国がなくなり、
三大宗教がなくなり、多数の宗教、例えば西野明弘オンラインサロンみたいな、オンラインサロンじゃないか、彼が作っているコミュニティ自体がね、
言ったら一つの国であり一つの宗教でありみたいな街を作ろうというふうなことでね、おっしゃってたことがあるけど、最近は宗教を作ろうとおっしゃったりもするけれども、
同じことなんだよな。宗教を作るも街を作るも国を作るも結局、コミュニティの形が国でもなくなり宗教でもなくなるのよ。それがどっちも違うんだよ。
新しい形に変わっていく今最中、そういう社会が変化の途中にあって、それが一つの非中央集権的な変化の形としてウェブスリー的な形になっているけれども、
それはネットの世界だけで起こっていることではなく一つの現れなんだよね。別にネットの世界だけじゃないのよ。国家ってものが怪しくなっているのも全部そうだし、ネットの登場がこういうのを加速させたと思うんだけど、まあ一つ、まあいいやね、っていうような話を一つしました。
もう一個はね、何の話をしたかな、西野さんがね、何だったかな、忘れちゃったな、忘れちゃったけど、貧困問題の話でしょ、だってその、
夢と金の話でそういう話じゃないですか、これが右か左か、これ右か、右に行こう、ね、要はさ、夢と金というもの、これもね、僕の狭いコミュニティの中ではね、どっかで言ったりネットに書いたりはして、多分ツイッターに書いたりしているんですけど、
夢と金みたいなことでもちろんそのね、ひがむなと、周りをひがんだりせずにするなという話があるでしょ、そして夢と金みたいなもので、まあまあに象徴される新しい知識を子供に与えて、子供が一人一人勝てばいいじゃないかというね、そうしたら貧困問題は解決するじゃんっていう、もちろんそういう話なんだけど、
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貧困問題っていうのはそう、もっともっとちょっと1枚2枚難しい問題じゃないですかね、西野さんと、つまり西野さんが言及していた、日本は貧困率が高いと、諸外国、先進国に比べてなんていう話は、あれはOECDのランキングは、相対的貧困率ですよねと、つまり中央値、収入の、その国の収入の中央値、本当は箇所分的なものがあるから、本当はまた違いますけど、
詳細を言うとちょっと違うけど、ざっくり言って、儲けみたいなお金、もらえるお金みたいなざっくりした言い方で言うと、中央値の半分以下、中央値っていうのは真ん中で目字じゃんね、平均値じゃなくて中央値ね、中央値の101人いたら50番目の人の、中央値のもらっているお金の半分以下のところを相対的貧困、貧困と定義した、
その率の割合ですと、つまり全体が同じ割合でお金持ちになったら貧困率というのは、相対的貧困率は一個も変わらないんですよ、みんながお金持ちだったって、つまり僕らはさ、鎌倉時代ね、縄文時代と比べれば絶対に貧困じゃないしさ、
何なら明治の世にも昭和の初期よりも絶対貧困じゃないじゃんだってか、ご飯全然食べれるしさ、めちゃくちゃ裕福じゃん、スマホもあるしさ、よく堀江門さんはそんなの言うじゃん、別に今、貧困問題とか言うけど別に問題ねーよと、スマホだってあるし、いくらだって何でも見られるし、昔見れなかったエンターテイメント見られるし、何の問題があるんだよと言うでしょ、
彼はだからね、堀江門さんなんかが言う話は絶対的貧困のレベルの話をしてるんだよね、だから絶対的貧困は、絶対的な量で言うと、世界は裕福になってるからいいじゃねえかという話なんだ、もちろんそういう側面もすごくあるんだけど、ところがOECDが出しているのは相対的貧困率なんです、それが未だ問題になってるわけよね、
つまり、相対的貧困というものが尺度として存在していて、それが高いことが問題になっていると、給食で栄養をとる子供がいるんですよってことが問題になるじゃないですか、給食で、でもかつてはおそらくね、給食というのは栄養が足りないので子供たちに栄養をつけようということで始まったシステムであって、
そして給食が行き渡ったのよ、だからご飯食べれるようになったのよ、給食で、給食がなければ何も食えなかったやつが給食があるからみんな食えるようになったのよ、よかったね、ところが今それがさらに進化して、給食でしかご飯が食べられない子がいるんだって、これが問題だってなってるわけよ、面白くないですか、給食でしか食べられないってことが問題になってるわけ、今、夏休みになるとそのネグレクト的な子供たちが給食が食えなくなる、こんなかわしそうなことがありますかって話なんだよ、
以前は給食が食べれるように世の中はなったんだ、こんな幸せなことがありますかって話だったのよ、で、それがいまだ問題、今貧困というものが日本の子供は相対的に貧困が多いなんていう話になっているのは、つまり結局人というのは、いまだというのかわかんないけど、人というのは根本的になるのかもわからませんが、人というのは人と比べて自分が貧しいと思うともうそれは貧困になっちゃうっていうようなことなのよ、
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つまり西野さんたちがおっしゃるもちろんそれもその通りなんだけど、人と比べなさんだというのはものすごく真っ当な話で僕もそう思うのですけれども、人は悲しいから人と比べるんですよ、自分を、で、人と比べて貧困だといまだ、相対的貧困なんていう言葉が存在するわけ、概念が、そしてそれがOECDでそれをランキングで並べてるわけ、つまりそれは人の心にとっていまだなのかわからないけども重要な問題だということ、
つまり一人一人が同じ割合でお金持ちになっても国家全員が同じ割合で上がってしまっても結局中央地の半分以下がたくさんいては相対的貧困の問題はなくならないし、相対的貧困の問題がなくならないと人々はそこに悩みだとか苦しみだとかを感じるわけでしょ、自分は人に比べてと、人に比べないような人間にするのが、そういう教育をするのが、あるいは相対的貧困をなくすことになるかもしれないし、
あるいはもしかしたらみんなが貧困になっちゃえば相対的貧困はなくなりますね、ね、ね、みんなが、でもどうですか、それはいいんですか、ね、それもダメでしょ、縄文時代に戻る、相対的貧困なくなるよ、全員貧困、お金なし、どうですか、そんなのが望みですか、ね、難しいんだ、貧困の問題っていうのはね、そんなね、簡単に語れる問題では実はないっていうね、非常に難しい、
だからといって西野さんの夢と金を届けるのが間違ってる、そういう話じゃないでしょ、だってね、すごく大事なことだと思う、あれはとても大事なことだと思うと同時にそういう単純には物事は進みませんよっていう話なんだよね、なんてのことをさ、本人に言うかねっていうね、本人というか別にあの人が日本の経済を握ってるわけじゃないんだけどさ、まあってな話をね、ちょっと頭のおかしい僕は堂々としてきてね、
もっと他にもいろいろ話したんだけど、もうちょっと20分超えてるからもうやめましょうね、もうちょっといっぱい話しました、はい、でも、まあそんなとこですよ、そんな話をしたのよね、無礼でしょ、面白かったでしょ、面白いでしょ、そんなことやってんのよ、もっともっと面白い話をやったので、またね、それはまた後日ということ、またね、後日にそんな講釈をいたしましょう、それでは皆様、さようなりー
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