元放送【一打席のホームランが “正しい打ち方” とは限らない】
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サマリー
このエピソードでは、個人の体験と医学的知識の違いについて考察している。特に、うつ病の経験から得られた知見がすべてのケースに当てはまるわけではないことを強調し、野球のバッティングに例えながら、個別性と専門的視点の重要性を探っている。
ノートブックLMの機能
はい、おはようございまーす。 抜粋の精神科リブラでございます。
おーはようございますじゃないね。
はい、こんにゃんにゃんちは。 抜粋の精神科リブラでございます。
えーとね、僕は今日ツイートした、 ポストもしましたけどね、
今日知ったっていうかな。 今日気づいたんだけど、
NotebookLMのスタジオ機能、 日本語対応してますね。
いつから?いつのまに?ということでね、 ちょっと今日びっくりしてね。
英語でできるのは知ってましたけど、 英語版に関しては、
インタラクティブモードって言って、 会話に入り込む機能もどうも入ってるみたいですけど、
英語なのでうまく入れなくて、 インタラクティブモードはまだ試してませんけど、
日本語のスタジオ機能がね、 使えるようになってるということでね、
すごいなっていうことで、 一回ここにアップしちゃおうと思いますけど、
えーとね、これ今日アップするのはですね、 僕がね、
何個か前、今からちょっと探しますけど、
ちょっと前に、まあだいぶ前に、 うつ病の話をしたのを皆さん覚えてるかな?
まあ聞いてて覚えてる人も いらっしゃるかと思うけど、
中にはね、フリークの方覚えてらっしゃるかも わかんないけど、
自分の個人の体験をうつ病の何か、 一例自分でね、
自分で一例ね、うつ病を経験したか知らんけどね、
それがね、うつ病の専門家みたいに 言うんじゃねえよみたいな話を、
攻撃的なやつをやったの覚えてます?
で、僕はそれを野球の例えで何だっけ、
たまたま一発ホームラン打ったからといって、
野球のバッティングの専門家 ずらすんなっていうようなことで、
何か言ったような気がしますけど、
で、その配信をですね、
その音声の配信をダウンロードしまして、 自分でね、
これをノートブックLMにぶち込みます。
で、ぶち込みました。
それで、スタジオボタンを押しました。
そしたらこんな風になりましたよ、 というのをね、
ここから今からね、乗せます。
これが僕の配信、自分の配信をノートブックLMに入れて、
そのままスタジオボタンを押した結果です。
こんな風になりました。
すっごい!
ということで、いかにすごいか聞いたら分かると思います。
はい、それではね、
ここからはノートブックLMの スタジオ機能の音声に変わります。
個人の体験と専門知識
はい、それではノートブックLMの Googleのお二人、
どうぞドゥーズー!
さて、今回掘り下げていくのは、
個人の経験、特に病気の体験談ですね。
これと医学的な専門知識っていうのは、
まあ別物だという視点です。
ある精神科医の方の音声記録がありまして、
そこからご自身の体験を語ることの価値と、
あとはその一般化することの危うさ。
うーん、なるほど。
これについて考えていきたいなと。
今、情報ってたくさんありますけど、
あなたは何を信じてどう受け止めてるでしょうか?
ここで注目したいのは、やっぱりそのご自身の病気の体験。
それが必ずしもその病気全体を理解したことには、
まあならないんじゃないかという点ですね。
ああ、体験談ってすごく心を動かす力がありますけど。
確かに。
でもそれが誰にでも当てはまる普遍的な知識とは限らない、
この境界線ですかね。ここを探っていきたいです。
まずその核心部分なんですけど、
精神科医の方はうつ病を経験したからといって、
うつ病の専門家になったわけではないと指摘してるんですね。
これはどういう意味で重要になってくるんでしょうか?
それはですね、個々の体験が持つ特殊性、
それと病気そのものの多様性、
これをちゃんと区別しましょうということだと思うんです。
なるほど。
うつ病といってもですね、その原因とか症状の現れ方、
あるいは回復のプロセス、
これ本当に人それぞれ全く違うわけですよ。
一口に言えないと。
例えばですけど、特定のきっかけ、
仮に父との関係改善がきっかけで良くなったっていう体験があったとしてもですね、
それが他の誰にでも効く治療法かっていうとそれは分からない。
つまりその人だけのケースかもしれないってことですね。
そうなんです。非常に個別性が高い出来事なわけです。
なるほど、体験はあくまで個人的なものだと。
でも同じ病気を経験した人の話ってすごく心強いっていうか。
それはもちろんです。
共感できる部分もありますよね。
共感とか希望っていうのは非常に大切です。
ただ専門家というのはやはり多くの患者さんを見る中で、
もっくり広い視野からパターンを見つけようとするんですね。
パターンですか。
例えばある種の依存的な行動と、
その人の人間関係のパターンに何か関連が見られるとか。
あるいは気分の波が大きい状態と遺伝的な要因ですね。
これに関係があるんじゃないかとか。
あとは特定の食行動の問題と、
自己認識、ボディイメージの歪み、これが結びついているとかですね。
それはやっぱりたくさんの事例を見てきたからこそ分かる、
ある程度の共通項みたいなもの?
まさにその通りです。
ご自身の体験だけだと、
じゃあ何が自分固有の事情で、
どこからが比較的多くの人に見られる傾向なのか。
その区別ってなかなか難しいんですよね。
確かに自分だけじゃ分からないかも。
専門家はそこの見極めを助ける知識とか経験を持っているということなんです。
その点をより分かりやすく説明するために、
この精神科医の方は野球のバッティングの比喩を使っているんですよね。
体験談の価値と注意点
ああ、そうでしたね。
あれは面白い例えです。
たまたま飛んできたど真ん中のストレート。
これを一度だけまぐれでホームランにしちゃった人が、
バッティングの動きはとにかく1,2,3で思い切り振ることだと。
なるほど。
それをどんな状況のどんなタイプのバッターにも教えてしまうようなものだと。
実際の野球じゃピッチャーも違えば球種も違うし、
そうなんです。
試合の状況とかバッターの得意不得意とか全然違いますもんね。
まさにまさに。
それと全く同じで、精神科の治療もその人の状態とか背景に合わせて、
アプローチを細かく調整していく必要があるわけです。
だからたった一つの成功体験、つまり特定の状況でのホームランですね。
これを誰にでも効く万能薬みたいに語ることには注意が必要だよと、
この日はそういうことを示唆してるんですね。
なるほどな。
でも実際にこうやって良くなったっていう体験談、
これには理論だけじゃ得られない説得力とか、
心を動かす力ってやっぱりあるなと感じるんです。
ありますね、強く。
なんで私たちはこういう個人的なストーリーに強く惹かれるんでしょうかね。
それはやはり人は物事を理解する時にですね、
論理的な正しさだけじゃなくて、
感情的な繋がり、これを非常に重視するからだと思うんです。
感情的な繋がり。
精神科医の方も言及してますけど、
回復した人の具体的な話って、
あの人が実際に良くなったんだと。
だからきっとこの方法が正しいに違いないって、
感情的にすごく強く響きやすい。
希望を感じさせますからね。
その希望が時としてちょっと客観的な視点を
曇らせてしまう可能性もあるということでしょうか。
そういう側面は否定できないかもしれませんね。
その体験談がもしかしたら統計的に見れば、
ごく稀な一例に過ぎない可能性があったとしてもですね、
その感情的なインパクトの大きさから、
ついそれが一般的な法則であるかのように
こう受け止めてしまいがちになる。
なるほど。
では私たちは個人の体験談とどう向き合っていけばいいんでしょう。
語ること自体を否定しているわけではもちろんないんですよね。
全く否定していません。
個人の経験を共有すること自体は、
本人にとってもそれを聞く側にとっても
非常に価値のあることだと思います。
大事なのは、その精神科の方が強調しているように聞く側がですね、
これはあくまでその人個人の体験なんだというフィルターというか、
フィルター。
それを持って受け止めること。
これがまず極めて重要だと。
受け止め方ですね。
そして語る側も特に専門知識がない場合ですけど、
自分の体験があたかも普遍的な真実であるかのような、
そういう断定的な言い方を避けるという慎重さが求められると。
なるほど。
たとえそれが善意からだったとしても、
結果的に誤った期待とか混乱を生んでしまう可能性もありますからね。
うーん、難しいところですね。
つまり個人の体験難は、
共感とか気づきを与えてくれる、
まあ貴重なものではあるけれども。
ええ、そうです。
それが全てではないと、
専門的な知識とか多様な視点と合わせて考える必要があるということですね。
まさにその通りです。
これはあなた自身の経験とか、
あるいはこれから触れるであろう情報について、
どうバランスをとっていくか考えるヒントになったでしょうか。
最後にですね、あなたにも一つ問いを投げかけたいなと思うんです。
お願いします。
あなたが情報を選ぶとき、あるいは受け取るときにですね、
個人の熱意のこもった語りと、
専門家の客観的な分析、
それぞれの価値をどう評価しますか。
そしてもしご自身の経験を誰かに伝えるとしたら、
その体験の独自性と同時に限界ですね。
これをどう相手に伝えることができるでしょうか。
少し考えてみていただけると嬉しいです。
はい、ありがとうございました。
ノートブックLMのお二人でございましたね。
すごない?すごないこれ?
ノートブックLMすごない?
まもなくですね、精神のピーラインもですね、
多分愉快バージョンのノートブックLMにとって変わられます。
スカンクさん、僕と楽しくやってまいりました。
2年間ね、まもなく引退の時期で近づいてきておりますね。
まもなく我々のパーソナリティ、
我々のこの愉快な精神のピーライン、
終わるんじゃないかというぐらい、
むちゃくちゃすごいこのね、
ノートブックLMのスタジオ機能、
むちゃくちゃすごいですね。
はいみなさん、さようなり。
もう終わりだね。スタイフも終わりだな。さようなり。
10:17
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