1. Nogitz-R(ノギツR)
  2. R308/ 今、日本には飛行船が存..
・【悲報】日本にはもう飛行船は存在しない
・ついに諏訪地方のリスナーからおメールが!
・ネットラジオの歴史を語ってよ
・何故かミニFMから始まるネットラジオ・Podcastの歴史
00:15
ノギツ一家のプレゼンツ、ノギツR。
どうもみなさんこんばんは、東横名人です。
本日はまた5月の下旬に収録しているんですが、
今日もスカイプでお届けしたいなと思います。
今日もお相手は私、東横名人と、今日も長野からスカイプでこの方です。
はい、こんばんは、坂本です。
実は結構長く今日撮っちゃって、
ちょっとネットラジオの時代、歴史を語ってくれよ、お前らって言われたんで、
頑張って撮ったんですよ。
撮ったんだけど、やっぱりおじいちゃんが昔話すると、結構お話盛り上がるじゃないですか。
盛り上がりますよね。
自分の歴史を振り返るとか、あったこれ、みたいな話になるんで、結構長くなったんで。
ネットラジオの話題はネットラジオの話題にしようと。
今の時間がすでに2時半ですから、夜中の。
昔のこと考えたら2時半じゃないですか、まだ。
そう言われたらそうなんですけど、
Twitter見てて驚いたのが、
今、日本の空には飛行船飛んでないって知ってました。
飛行船?
飛んでますよ、たまに。
飛んでますか?
昔って毎年、メットライフ有子の飛行船は飛んでましたよ、広告で。
2010年くらいまでは飛んでたんですけど。
2,3年くらい前まで見てるような気がするけど、もう飛んでないんですか?
あれを飛ばしてたのが、本当かどうか知らないですけど、
日本飛行船みたいな会社があったんですって。
その会社が潰れてたらしくて、
最近飛行船見ないね、みたいなTwitterでそういう話が出てたんですよ。
バズったりしてないんですけど。
そういやないよね、なんで?みたいな感じで、
誰かが調べたら、日本飛行船っていう会社はもう潰れてるじゃないかっていう話になって、
そこからヘリウムガスがこの10年間くらいで倍ぐらいに上がってるぞみたいな話になって。
はいはいはい、もう話題になってましたね。
そういや、アドバルーンってどこ行った?みたいな話になってたんですよ。
アドバルーン最近見ないよね、みたいな。
住宅展示場とか、そういうところに対して、デパートとか。
いろんなところに昔上がってたじゃないですか。
ヘリウムガスが使えなくなったらしいっていう噂があるんですけど。
それが一番の原因ってこと?
アドバルーンはね。
見ましたよ、日本飛行船が事故破産っていうところで。
あ、事故破産したんか。
そうなんですよ。
そこがメットライフをどうも飛ばしてたらしいんですよ。
そうですね、メットライフは東京でよく見ましたよ。
03:00
日本飛行船がなくなったんで、最近飛行船見ないねっていうお話らしいんですよ。
でもそれは2010年に今記事を見ていると事故破産ってなって。
それの飛行船は趣味というか、あとスナイピーかよくわからないけど、そういう飛行船もあったらしいんですけど。
それがメットライフです。
メットライフか。
じゃあ俺の中での飛行船ってメットライフかセッペリンしかないから、もう飛んでないよね。
震災後に見た覚えがあるけどな。
それはどっかから持ってこないと無理なんじゃないですかね。
2010年に5月31日に業務を停止したってなってますね。
そっから先はないの?
わかんない。そっから先の飛行船っていうのが外国から持ってきた?
もちろん外国から、宣伝だけじゃなくて遊覧としてあるじゃないですか、飛行船っていうのが。
ヘリウムガスの関係はよくわからないから、ヘリウムガスが高くなったから飛行船が飛ばせないっていう理屈もよくわかってないんですけど、
そういうことがない限りは、ビジネス的に宣伝的に飛行船を気楽に飛ばせるっていうのはもうないみたいなんですよね。
メットライフ生命飛行船スヌーピー号の運行停止ってなってるんですけど、これは2017年1月に2016年末の運行をもって活動を終了とすることにしたと。
そっちは日本飛行船じゃなくて、それこそヘリウムガスとかそれが原因なの?
わからないですね。
どうも日本飛行船とそこらへんのスヌーピー号がなくなって、最近飛行船が日本の空を飛んでないと。
昔は甘い生活の中でね、主人公が若宮さんのために飛行船飛ばしたことがありましたけど、そういうことが無理なんですよ、日本では。
悲しいですね。
小さい頃結構飛行船見ましたよね。
見ましたね。
YouTubeの動画で2017年12月の8日に解体迫るある日の飛行船スヌーピーJ号、長崎市上野島経由地の云々という動画が出たりとか。
テレビでは鉄太田が多いせいか最後の電車とかニュースにしてくれるじゃないですか。でも飛行船の最後って全然知らないでしょ。
鉄ペリン棒が燃えるっていうところは。
あれはね、結構昔のおばあちゃん、鉄ペリン見たとかいうやつおるからね。あれ日本にも来てたんですよね、鉄ペリンって。
そうか、飛行船でも乗れないんだ。
そう、ヘリウムガスっていうのがいくらなのかも僕よくわかってないんですけど、やっぱあれなんですね、今飛行船を飛ばしてもビジネスにもならないし、
リスクが高いっていうのはちょっとあれですけど、これは鉄ペリンのイメージで言ってるんですけど。
06:01
いや、あれはイメージ悪いですよ。
でもやっぱりいいじゃないですか、飛行船って、ある種の。
ゆったりできそうですからね。
ギガントって言ったらまた語弊がありますけど、でかい空中の、でかいのって憧れるじゃないですか。
確かに空中要塞とか空母とかね。
そう、それこそラピュタじゃないですけど、空飛ぶ島とか、そういうのに近いものがあると思うんですよね、飛行船に。
だからその飛行船が最近飛んでない理由っていうのが、実はもう飛行船っていうのがなくてねっていう話を聞いた時に今日は結構ショックだなと思って。
今ドイツでしかたぶん乗れないみたいですね、ユーランでは。
ドイツすげえな。俺ら鉄ペリンイメージ悪いねって言ってるのに。
いや、元祖だからなのかな。
やっぱすごいなドイツは。もちろんね、気球はいっぱいありますよ、特に長野なんてね、気球フェスティバルとかあったりするんで、気球は見たりするんですけど、やっぱり飛行船とはちょっと違いますもんね。
僕らがよくラジオで言うフモトッパラにはハンググライダーのパラッタがあった飛び立つ場所があるんで、フモトッパラの上にはパラグライダーの人たちがいっぱい飛んでるってね、のんびりと飛行を楽しんでるんですけど、
あんな感じで、昔だから結構僕の記憶だけかな、誰かのライブの時にそのライブのその舞台の後ろに飛行船が飛んでたりとか、あれ多分浜田翔吾やったと思うんですよね。
なんか無駄だなって思う感じもするし、スペースの大きさからすると、そんな人も乗れないのにこんな贅沢な乗り物だなっていうのを見ててね。
まあ言ったら僕の記憶が間違ってるかもわかんないですけど、浜田翔吾の渚さえんとかのライブで、J-BOYとかオン・ザ・ロードとかいっぱい飛んでたような記憶があるんですけど、
そういう贅沢な使い方、空の。そういうのがね、やっぱり今の時代には沿わないのかな、広告としても。アドバルーンもそうですけど。
アドバルーンはね、こんだけタワーマンションが建ってきたらアドバルーンを上げたって誰も見えないっていう。60階より上にアドバルーン建てたって。そもそも航空砲からしてあかんのか。
ちょっとショックですね。
やっぱりちょっと乗ってみたかったっていうのはあるでしょ。
怖いけどね。
いやそれだから、絶対輪が悪いんじゃないかな。でも結構あれね、飛行船ってでかいから、あれちっちゃく見えてるあの下の部分?大和の第二環境みたいなやつ?
第三環境ね。
第三環境もまたイメージ悪いんだけどね。
イメージよっぱいじゃん、イメージ悪いやんかも。
09:00
でもあん中で結構広いらしいです。全然僕らイメージ的に中央看護のバスぐらいかなって思ってるけど。もっとでかいんでしょ、あれ本当は。
ちょっとショックやな。
僕ね、小さい頃の夢の一つにして、ピースポートは別に乗りたくなかったけど飛行船を乗ってみたいっていうのはありましたからね。
ドイツに行くしかないか。
なんか僕2,3年前まで見てたような気がしたけどあれは幻だったんですね。
でも2017年ぐらいまではスヌーピー号はあったことはあったんでしょ?
16年かな?
だから5年ぐらいまではギリギリ飛んでたんじゃないですか?
東京よく見ましたけどね。
実際に飛んでたかどうかは知らないですけど、飛行船自体は存在はしてたんですよね。
ということでね、今日はネットラジオと全然関係のない枕をお話ししましたけど、これから地獄の60分が始まるわけですよ。
地獄じゃないな。みんな耳をカッポじりながら聞くことなみたいな。
あれ寝たらダメだよ途中で。俺寝るけどね。
ぜひ安眠学習用のね。
これ幻の最後まで聞いた人が誰もいないっていう回になるから。
いや聞いてくれるんじゃないかな。再生のロゴは残るんじゃないですか。
あれね、最近僕ようやくわかったんですけど、アップルのiTuneコネクトっていうサービスがあるんですよ。
ポッドキャストコネクトっていう。
それを見ると、このiTunesでこのポッドキャストを聞いた人はこれだけでいて、サブスクリプションでこれだけ聞いていて、何パーセントまで最後まで聞いてくれたかみたいなのがあるんですけど。
出るんですよ。母数は少ないけどね。
だいたい皆さん、うちは熱心なリスナーさんがサブスクで聞いてるような人は多いみたいで、1個の放送の再生回数110%とか何回か聞いてる人がいらっしゃるみたいですね。
音が流れてるだけで寝てるでしょ。
ってことなのかな?でもやっぱりみんな再生はほとんどみんなエンディングの曲が終わりかけぐらいでスターンって落ちるけど、みんな最後まで聞いてくれてますね。
それじゃあ、要はイニシャルGZの時とかにやってた遊びで、エンディングの後にちょっと何か付け足すみたいなのはできないですか?
やってもいいかなと思うけど、気づかれないままで終わるかな。
あれ?ゲージが異常に長くて、まだ消化5分ぐらいあるなみたいな。いつかそういうフェイクも入れたらいいかなと思うんですけど。
ってことで、今日はフェイクはないですよ。ないですよ。なんですけど、頑張って。
いやって言ったらメール送ってきてくれた人にね、申し訳ないんで。いつかこれをちゃんとした機会に、アンパーポイントか何かでね、みんな同窓会やりたいですね。
12:00
そうですね。まあね、本当に新種に住んでると人恋しくなるから、たといって友達がおらへんし、そういう機会も作っていただければね。
そうですね。いつかね、またこの資料がまとめてたらなと思いながら、ネットラジオの。
今日の資料でプレゼンやったら絶対部長から怒られますよね。
何が言いたいかよく分かれへんし、軸がブレブレやと思うんやけど、これどう思ってるの坂本君みたいな。
絶対言われますよ。もっと短くみたいなこと言われますよ。
もっと短く。世代の区切り方も難しいし。いや、全部言えるのはミクシーが悪いんやってことですよ。それだけ言えます。
ミクシーはあかんねやっぱり。
ミクシーはあかんねっていうことで聞いていただけたらなと思います。じゃあジングル破綻で聞いてください。
おメールを久々にいただいています。よしさんっていう方ですね。
ラジオ食堂を聞いていて名人を知りまして聞き始めました。
メールありがとうございます。
私は長野県諏訪地方に勤めていて地元ネタなどあり親近感が湧きます。
初めてですかね。諏訪の人から来たのって。長野の人は多分リスナーさん何人かいるとは思うんですけど。
私は長野県諏訪地方に勤めていて地元ネタなどあり親近感が湧きます。
しゃべりもうまく聞きやすく楽しいです。ありがとうございます。
ポッドキャストは5年くらい聞いていますがネットラジオの歴史なんて聞けたら嬉しいです。ということで佐藤さんいただいてますよ。
はいありがとうございます。
ありがとうございます。
私は諏訪地方にお勤めになっているということで、諏訪地方に住んでいるかどうかちょっとわからないんですけども。
多分まあおそらく僕が住んでいる近く。
なのかもしれないですね。
もう他のところと比べたらもう諏訪地方って言うだけでもうご近所さんですよ。
まあまあそうですよね。
そうそうそうもう全然ご近所さんなんで、ぜひどこかでお会いしたらまたよろしくお願いいたします。
そうですね。東予道川大学佐田正史研究会ってTシャツをこれから作るんで僕が。
なかなかね意外とねこれだけ山梨山梨にらさきにらさきすわすわって言ってるのに地元からの反響ってほとんどなくて。
ラザオークラザオークってあれだけ言っててもラザオークから全然感謝もされないし。
そろそろ感謝書くれてもええのになって思うぐらいにラザオークって言い続けてるんですけど。
15:00
本当に。
僕らのラジオを聞いて例えば日本高校に入学したことがいないのかな。いないか。
いずれ出てきてくれるかもしれないですね。
それぐらいなもんなんですけどやっぱりちょっと嬉しいですね。近くで聞いてられる。やっぱりねちょっと古い人間なんでリスナーが近くにいるとちょっとミニFMっぽくていいじゃないですか。
確かにね。
なんか届いてるね。電波が届いてるねっていう。
確かに確かに。
ネットラジオの歴史の話って過去に何回かしてるんですよ。直近だったらポッドキャストアワードを振り返るっていうのにまさに坂谷さんと一緒にラジオ職堂の坂谷さんと取った回っていうのはポッドキャストの歴史若干似てるし坂本さんと振り返ったジャパンポッドキャストアワードの話も若干ネットラジオの歴史の話をしてるんですよね。
これを体型だって喋った人は何人かいるような気はするんですが僕らなりの僕らがわかってる範囲内でのまとめっていうのを先ほどねこの開始1時間ぐらい前に坂本さんとああでもないこうでもないっていうのでその年寄りのくじ喧嘩じゃないけどもどっちだったっけみたいなんで。
別に喧嘩は全くしてないですよ。
どっちでしたっけこれみたいなことを言ってちょっとまとめてたんですよ。
そもそもネットラジオの歴史っていつからなのかっていうとネットラジオのビフォーネットラジオっていうのがあるんですけど先ほど坂本さんも言ってたみたいにミニFMマイクロFMって言われる場合もあるんですけど最近では。
最近ではコミュニティFMの違いを出すためにねミニFMじゃないマイクロFMっていうのをミニFMの歴史からつながってくるもんでもあるんで。
最初のポッドキャストじゃなくてネットラジオをやり始めた人はこれね現存最古のウェブラジオって言ってるサイトがあるんですよ。
これ散々僕らのインシャルGゼータの時はネタにしてたんですけど熊本にFMCさんっていうラジオ局があるんですよね。
そこが1976年にFMCの元になるミニFMっていうのを開設されたんですよ。
1970年代から80年代までかけてミニFMがずっと流星を極めてた時代があり、全国各地にいろんなミニFMがあったんですよね。
ミニFMってどんなものかっていうとFMのトランスミッター。よくホームセンターとかで売ってるやつですよね。
車の中でFMラジオでCDプレイヤーの音が聞けるよみたいなんてよく売ってたじゃないですか。
あれにブースターをつけると何キロか飛ぶような機械になるんですよね。
18:03
電波管理局の抜け目を見てそういうことを運用してた人がいっぱいお兄さんがいたんですよ昔。
それが1976年ぐらいからのもの。
大阪の方で僕ら分かってるのは大阪だけの話なんで大阪だけに限った話でいくと1982年あたりに大阪の大正FMネットワークっていうのがあったりとか。
大阪の話をしてたんですけど1985年これ関西大阪の人からすると阪神優勝した都市ということなんですね1985年。
大阪人は1985年で境にいろんなことが変わっているんですよね。
あの年がやっぱり僕らの年代からちょっと下の年代までやっぱり結構大きな出来事が続いた年というか。
そうですよね。
もちろん関西の人間にとっては阪神大会が優勝した年ってすごい覚えやすい年なんで。
しかもあれは20年ぶりぐらいでしたっけね。
そうですね21年ぶりとかって言ってましたっけ。
だもんでやっぱりあの年の印象があまりにも強烈すぎて前後忘れてるぐらいなんだよね。
確かに。
でここでそこもそう言ってたのが南大阪とか川千長野とかあっちの方にミニFMネットワークっていうのがだいぶ構築されてたんですね。
この主体者になってたところがFRFMさんっていうところなんですけど。
そこに対抗することに北折のミニFMネットワークっていうのができたりとか。
とにかくこの都市圏ではミニFMが連合を組んでネット放送してたんですね。
繋ぎ合わせて。
これも何回もこのうちのラジオとかで言ってた時期あるんですけど大阪から神戸に関して阪神間が全部ミニFMで繋がってた時代っていうのもあったようです。
僕はその辺にしか見てないんですけど。
ミニFMってその電波のパワー自体は小さいんですけどそのミニFM局を全部繋いでいって一つの大きなアンテナにするみたいな電波望遠鏡みたいな。
今から考えたらすごいロマンのある話です。
ロマンのある話なんですよね。
電波望遠鏡の発想に近いね。確かに。
そうそう。小さいアンテナをバーッと集めて全部繋げればでっかい電波望遠鏡になるんですよね。
野辺山とか行ってもらうと実際そういうのがあるんですけど。
そういう感じをやってたらしいんですよ。どうやら。あまり子供やったんで分かんなかったんですけど。
子供じゃない。大学生ぐらいなはずなんですけど。
僕は1988年に小学校6年の時なんですけど地元でやってる大阪芸術大学の学生がやってるミニFMにハマって。
そこが現体験になってこのネットラジオに繋がってるっていうところまで言うとやっぱりミニFMの存在っていうのは僕らからしたら離れないところ。
21:10
避けても通れない話だからっていうので今話はしています。
この時期っていうのは昭和末期なのでちょうどパソコンでどんな得意だったのかなっていうとPC98の前世ですよね多分ね。
あとFMタウンズ。
この時はまだインターネットは出てきておらず、たぶんNIFTYとかPC版とかアサヒネットとかその辺のモジュラージャックを繋いでピーガガーっていってネット繋いだ時代ですよね。
草の根ネットBBSみたいなことやってた時代なんですけど、ここから1988年とかからさらに時代が進んで1995年にこれまた大きな出来事ができます。
阪神大震災ですよね。
プラスWindows98、95の一般化って言ったらいいのかな。
95でだいぶパソコンが一般化したんですけど。
そうなんですよ。これもやっぱり震災とかこういうのがあると一気にこのテクノロジーっていうのが進んできて、どうも震災とかにも役に立ったインターネットっていうのがあるらしいぞっていうところからパソコンなりインターネットがどんどん普及したんですよね。
ちょうどこの前後ら辺で1994年、95年あたりにISDNもだいぶ普及してきたと。
まだこの時点ではスマホなんか影も形もなくて、みんなピッチとか持ってる頃ですかね。
94年、95年ではピッチもまだですね。
ピッチもまだか。
ピッチ、そうですね。ピッチの前夜ぐらいですかね。
大震災が?
大震災は95年。
95年、あ、そうですね。
まだポケベル、大学生だったらポケベルかな。
俺オリックスのピッチも持ってた記憶あるんですよ。
多分ピッチは96年とか97年ぐらいでした。ただで配ってたみたいなね。
そう、だからその頃にあの青いピッチで赤い三門星の入ったオリックスのピッチを僕買った記憶がありますね。
みんなね、いろんな思いであると思うんですけどこの辺おじさんは。
96年に先ほど言ってたそのFMCさんっていうところが
FMマンデークラブっていう名前の番組を持っていたんでそれに名前を改称した。
これでFMCになったってことで地元プロバイダーのサーバーを借りてウェブラジオFMCを開設。
ただこれが日本最初のネットラジオかっていうとそうじゃなくて国内で5局目っていう風に書いてるんですよ。
FMCさんのホームページを見ると。
まだここFMCさん元気でやられてますよ。全然僕らよりももっと年のいってる。
24:03
すげえ。
坂本さんよりもまだ上の人かな。
が5局目って言ってるんで最初のネットラジオはどこなのかっていうのこれね多分FMCさん呼ばないとわからないですね僕ら。
5局目っていうぐらいから4局あるんでしょ。
あるんですその前に。
ようわかるね日本中で4局うち5番目っていうのが。
まあその頃のネットだったらわかるのか。
そうなんですよ。
ただやっぱりねこの頃に最初ねダブルダブルウェブとかいろいろ言ってたからウェブラジオって言い方確かに僕らも最初してましたよね。
ウェブラジオイニシャルジーゼータって言い方してましたから。
なんかウェブの方がカッコええやんみたいなすごいミーハーな感じのこと言ってましたけど。
そうなんですよ。
で96年に多分95年か96年ぐらいに今のネットラジオの原型となるものは多分できている。
で98年に先ほど言ってたこの南大阪のFRFMインターネットラジオっていうところは解説したんですよミニFMからちょっと。
やっぱりミニFMの人が徐々に97年96年98年ぐらいに参入してきてその礎を作ってきたと。
またこのFRFMさんのネットラジオじゃなくてFMの記事っていうのはミニFMの記事っていうのが書かれてあったんですけど。
天才すること許さずみたいなことを言われていたのでこれはリンク貼っておきますね。
見てもらったらそうかミニFMってこうなってたのかっていうのがわかるかなと。
やっぱりその頃の僕はアマチュア無線やっててBCLとかやってたんであれなんですけどやっぱりミニFMの人たちってやっぱり基本的には電波弱いんで全国に届くことないじゃないですか。
リスナーの方はいいスポットも発声しない限りは聞くこともできなかったのがネットラジオっていうのがあれば全部解決っていうね。
その電波が届く届かない関係なくなるっていうそのフリーダムな時代が来たっていうのはどんな感じなんでしょうねミニFMからネットラジオになるっていうのは。
もう世界変わるって感じじゃないですかねそれこそあのテープで回し劇してたみたいなこともあったらしいのでその当時は。
僕らはねもう最初からそのウェブラジオっていうのでスタートしてるんであのミニFMを経験はしてないんですよねあの子供の時に遊びみたいなことをやってましたけど。
だからそういうそのミニFMからネットラジオに参入された人たちって楽しかったよなと思って最初。
もうでもはっきり言って地形っていうか喋りとかプロですからね半分。
あの頃のミニFM曲はそうでしたよね。
もう音楽かけてちゃんとマイクもノイズが入らないものっていうかそんなお金はかけなくても。
27:09
そうしかもあのあんまりジャスラックとかね気にせず。
ジャスラックフリーな時代ですからね。
もちろん気にしてたところもあると思うんですけど。
だって僕がね昔聴いたミニFM曲は好きなアルバムをひたすら流してましたよ。
まあいつかやりたいっていう夢ですよね自分の好きな曲かけるっていうのはね。
でそれを昔はミニFM曲じゃなくて普通にラジオの地上波ラジオのFM曲がアルバムが出た時はそのうちの半分以上流したりしてましたもんね。
なぜか。
だからFMファンとかっていうね雑誌が生まれ付録っていうかねディカールのカードみたいなのをつけたりとか。
カセットレーブルが必ずFMファンについてたりとかね。
レコパルが大好きだったんですけど。
で必ずみんなそれでエアチェックっていう言葉をねみんな使ってましたけど。
そうなんですよ。
まあそんな時代の境目らへんよりもちょっと後ぐらいの話かな。
でFR-FMさんが98年。
で99年に僕らでいうところを知っている人らでいうとクリラジさんは1回お会いしたこともあったし。
もともとこのヒロさんっていう人がうちにも出てきておりましたけどクリラジ系の人ではあったんですけど。
99年に山口正之でクリラジさん。
まあインターネット放送局って言ったらいいのかな。
インターネットラジオ局って言ってもいいと思うんですけど。
いろんな人がいろんな番組をするような番組があるんですけど。
そこが解局されたと。
でずっとクリラジのホームページってずっと今まで最近もまだ形も変わらずにあるんですけど。
そこでとがきですね。
1999年4月にネットラジオを始めてその後毎月多くのリスナーさんに可愛がっていただきながら。
今日の今日まで続いたクリックラジオ。
クリラジ。
もはや日本のインディーズインターネットラジオ局では死にせになった感も笑いっていうこのフレーズを15年前からずっと見てるんですけど。
まだ死にせになってないんですね。
クリラジができたのがいつでした?
99年です。
じゃあ京都でギグっていうかGRGは2002年なんでまたこの後なんですね。
そうなんですよね。
99年ちなみにこれ僕社会人1年目の年ですから。
社会人デビューした?
そうなんです。社会人デビューした年とクリラジの親って生まれたのは一緒だったのかなっていうとちょっとなかなかすごい歴史だなって感じはしますけどね。
2000年にこの辺に僕らネットラジオを利き出したんですけど。
ラジアットっていうASCIIが母体で解局された放送が2000年の10月3日に本放送開始。
30:09
ASCIIからそこで運営がソニー系のAIJに譲渡され2004年ぐらいまでやってたらしい。
ここでラジアットウルサイゾー2チャンネルとかこの時に多分山本一郎が切り込み隊長とかね。
ブログとかでよく名前出るような人ですよ。
ひろゆきとかこの辺でちょこちょこと喋ってたような気がする。
これも聞いてましたね。
この辺りまでが多分2001年にADSが多分出てきたぐらいかな。
その2000年前後に多分ラジオ13っていう関西の番組であったり、
ゴム裏星これも関西ですけど、あと僕ら何回も出る四畳半武器であったりとかホルモンライダーとか。
この辺がおそらくネットラジオ第一世代で僕らは定義してましたね、昔ね。
あくまで僕ら関西人なんで関西中心のネットラジオですね。
関西中心の世界線では出てるのが、でももはやこのホームページに残ってるのは多分ゴム裏富士だけかな。
ホルモンライダーまだ残ってましたっけ。
ホルモンライダー出てこないね。出てこないですね。
そうなんですよ。だから今ゴム裏富士の残りとか四畳半武器の残りとかラジオ13のホームページはまだあったと思うんですけど、
主に本当に僕らと同じようなフリートークばっかりする関西のラジオが2000年ぐらい。
その後で僕らの知り合いのところがいっぱい出てくるんですよね。
ヒゲメガネのパウダーバーティー2001年6月。
おそらくなんですけどモテラジオのブタオさんがシニメンボタンをやりだしたのは2001年の5日なんですよね。
2002年の春先にトリキ族ラジオ。モテラジオの前身なんですけど、これが始まった。
2002年の秋口にイニシャルGっていう僕らの一番最初の番組が始まり、
2002年秋にイニシャルGですね。無印のイニシャルGですね。
無印の漢字を使ってたようなんですね。
主因のGっていうのを自らなくさめるイニシャルGでしたね。
でもね、よくよくあるとこのFMCっていうミニFMのホームページ、改めてゆっくり見たんですよ今日。
このメールがあったから。
まあパーソナリティの名前ひどいね。アナルなんとかとか。
なんか下ネタ満載のカウパー何々とか。
33:00
あれなんでしょうね。昔のたけし軍団のノリなんでしょうね。
ラジオネームっていうかパーソナリティの名前が。
だからまあうちも同じような流れでイニシャルGっていうね。
今からだったら絶対恥ずかしくて言えないですけど。
僕らはこの第二世代で、多分ADSLになってからラジオを始めたのが第二世代なのかな、イメージ的には。
そっから2003年ぐらいからネトラジっていうネットラジオの生放送ができるサイトができたんです、サービスが。
今から考えたらものすごい多分いろんなマニアックなスポットを入れないと配信できないんですけどみんな頑張って入れてましたよね。
レイムとか。
僕らいつも失敗して怒られてましたけど。
そう繋がれねえよって。
まあ最終的にライブドアに買収されてサービスいつか終わっちゃったんですけど。
そっから先多分2004年ぐらいから出てきた、そこそこモテラジとか僕らの近辺の人たちがやってたラジエードとか関西ラジオ商店街ラジエードっていう寄り合いの組合みたいなものがあったりとか。
あとは今そのあれですね。
ナンバ、ウラナンバのみそのビルのいっぱいあの飲食店を経営している部長柏岸とかがやっていたウィングエンターテイメントっていうね放送作家の竹内義和さんっていう関西のラジオの構成作家みたいな人がいるんですけど。
その人の弟子がやっていたウィングエンターテイメント兄貴ラジオっていうのがあったりとか。
あとこの前後ですかね、三本さんね。ミクシーの洪災っていうところもいろいろあって、ミクシーで横のつながりが究極に出来上がってきて、ファンのコミュニティも出来上がってきて、それがいろんな組織の崩壊につながるとか、僕らの崩壊につながるとかいろいろあるんですけど。
まあミクシーは本当にね、疑心暗鬼増幅装置ですよあれは。足跡とか人気とかね。ありとあらゆるもので人と人との人気であるとか人間関係を可視化するようなものじゃないですか。性癖から好みから。
さっきね、ちょっとマイクの話をしてた時にいろいろ調べたんですけど、コミュニティっていうのもあって、まだあのコミュニティ一つ一つがまだ管理者が入れるとか入れないとかを決められたりとか。
招待制とかね。
例えば、その頃にパーソナリティでおられたASA明治のコミュニティには僕が入れないとか。そういうこともできちゃうわけですよ。
36:09
それはしてなかったけど、個人のコミュニティって今から考えて嫌ですね。
だから、ASA明治のコミュニティに僕が入れないってことはないんですけど、僕のコミュニティに僕が入れないとかあるんですよ。
ASA明治のコミュニティにASA明治入れないとかね。ああいう疑心暗鬼増幅装置がね、やっぱりミクシーの母体であり。
あったなあったな、でも多分モテラジンのネモロンの斎藤コミュみたいなのがあったんですよね。
そうそう、あれは斎藤さん入れないとかね。
斎藤さん元々ミクシーやってないのに、ミクシーがやってないけど勝手に盛り上がっていられるっていうね。
だからある意味プライバシーもクソ無駄みたいな部分もあるじゃないですか。
そうなんですよ。だから僕らはあの辺でちょっと大人になったつもりはいるんですけどね。
いや、だいぶね、あそこでリテラシーは鍛えられたと思いますよ。失ったものも山ほどあります。
山ほどありますけどね。
あれはね、ネットラジオとかそういったもののフードと、今考えればちょっと相入れない部分結構あったなと思うんですけど、
あの時はある意味ミクシーを利用してリスナーを集める的なところもあったんで。
知り合いの知り合いが聞いてくれるとかね。
そうそう。だからその頃はネットラジオに夢と希望を持ってましたので、ミクシーをそういうふうに利用してやってた部分もあるので、
自分が悪いんですけど、100%自分が悪いんですけど、ミクシーは辞めましたね。
まだ僕も続いてますけど、たまに見に行きますけどね。
だから、その時関西ネットラジオ商店街っていうのがあって、今はネットラジオ商店街、まだブログは残ってるんですけど、
やっぱシンソニードラジオさんとかセオイパとかジジモノジャンキーとか、いろんな放送室とか、すごい頑張ってやってたんですよね。
そうなんですよ。だから今一番ね、僕らの界隈で振る舞うのはヒゲメンヌと呼ばれるパウダーパーティーが2001年の6月からですから、
もう20年先週ですよ。ボーさんもミクさんも。
最近久しぶりに中村さんのヨーナシがちょっと戻ってきて。
ミサイルアパートですけどね、あれね。
ミサイルアパート戻ってきて、モテラジの中でずっとパーソナリティ、初期のパーソナリティで活躍されてた千里さんっていう方が、ちょっとポッドキャストを始められたりとか。
あれ?ポッドキャストなの?YouTubeじゃないですか。
YouTubeなんですか?
YouTubeですかね。
そういうのはちょっとあるみたいなんですけど、この頃が一番ネットラジオっていうものでは楽しかった頃じゃないですかね。
ミクシーの盛り上がりとともに結構花開いたって感じはしますね。
39:03
そう、だからミクシー、ネットラジオ、それからモーニング娘。みたいなね。
そうですね。モーニング娘。の親和性も高くて、おそらく一番元気だった関西の素人ラジオが元気だった時っていうのがここまでかな。
第二世代と第三世代が2001年から2005、6年ぐらいまでが一番元気だったかなって感じはしますね。それもミクシーとともにみたいな。
そう、今思うとあれですよね。ちょっと10年ほど前かに関西で衝撃弾ブームっていうのが来て、南川地だったり外場小町だったりとかね、いろいろ盛り上がってた。
もうちょっとだけ放物させるような感じになってましたね。
そうですね。凌雑迫的なとは今で言わないけども。
どれぐらいで元気があったかっていうと、東京でお一人で喋ってられたアズサイトさんを大阪に呼んでみたりとか。
はいはい。やりますね。
名古屋、僕がすごい気に入ってた名古屋の。
D'sパラダイス、栗尾京介さんね。
栗尾さんに会いにわざわざ名古屋まで行ったりとか。いろいろね、結構この頃は走行距離がすごかったですよ、僕、車とかバイクの。
遠征ですからね、言ったらね。
だって、これはイニシャルGの話ですけど、ラジオのネタとして、例えば尾道まで戦艦大和を見に行ったりとか。
そう、男たちの大和のロケを見に行くために尾道まで行ったりしましたからね。
そう、あとは今でこそ封を突破ですけど、最初のキャンプ収録は友ヶ島でしたからね。
和歌山と淡路島の間にあるラピュタっぽい寝てる戦争以降ね。
そう、あそこにテントを張って収録したりとか。
そうですね、いろんなことしましたね。
そう、あのね、やっぱりネタに金をかけてる時代ですよね。
そうなんですよね。
作り込むのが面白かったんですよね、その頃は。すごいネットラジオを作り込むっていうことが。
だから多分目的と手段はごっちゃになってましたよ。
確かに。
もう手段が目的というか、作るのが楽しくてしょうがなかった時代ですね。
そんな時代ですね。
その次から第4世代僕なのかなと思っているんですけど、2005年に2月にブログポータルサイトシーサーブログとかね、
ケロログが相次いでポッドキャスト配信サービスを開始ってことを言っているんですけど、
何かというと、今までの第4世代前までは自分でホームページを作らないとダメだったんですよ。今まではね。
プラットフォームがなかったんですね。
プラットフォームがなかったんですよ。そこからケロログとかシーサーができたことになって、
テンプレートができあがって、この仕組みにあげると、ポッドキャストなりネットラジオが作れるよっていうところで、
42:07
参入消費がすごく下がったんですね、ここで。
あれですかね、ネットランナーとかそういうのでちょっとネットラジオが取り上げられた後ぐらいですよね。
ぐらいですかね。ここからすごく増えてるって、もう正直把握できないぐらい増えています。
だからちょうど第3世代ぐらいまで10回更新ができたら、もう電動入れだよみたいな、よく冗談で言ってたじゃないですか。
僕らが勝手にネットラジオの定義っていうのを決めてたんですよね、国勢調査をやる前ぐらいに。
ネットラジオ公正勝者ね。
その時に決めてたのが、まず10回やるっていうことと、定期的に上げるっていうのを、この2つはクリアしてもらわないとって偉そうな上から目線で喋ってたんですけど。
ラジオっていう限りは定期的に上げろよと決まった時間に。
今はそんなことないですよ、ポッドキャストなんて勝手に落ちてくるんで。
でもその頃は毎週夜の9時とかそういうふうに決めてみんな上げてたんですよね、ちゃんと。
その時間だったらみんなパソコンの前に座ってましたから。
早くまだって言って自分の下ラバの掲示板とかにね、特速されて、そのまま寝落ちしてしまって翌日になるとかね。
だからその頃はイニシャルチートモテラジオは毎週日曜日の夜でしたかね。
上げてたので、必ずその2つをセットで聞くみたいな感じの時がちょっとありましたね。
暑い時代ですよ。
ここに2005年のシーサーとかケロログとかが出てきたタイミングの6月にアップルポッドキャストが開始された。
だからこの時期も僕らイニシャルGはやってましたけど、ポッドキャストのXMLファイル、RSSファイルって指令文って言ったらいいのかな。
あれ書いてましたからね、直打ちで。今から考えたよ、やってたなって思うんですけど。
2006年の8月にイニシャルGゼーターが終了して終わりました。
その前後に多分僕らが知っているところで。
さらっと流しましたね。
流しましたよ。特にトピックスないからね。
その前後ぐらいに多分僕らが知っているところで結構大手で言うとサバラジオとかね。
今ではね、僕ら足元にも及ばないような。
おそらくサバラジオとかと同じくらいに出てきたのがバックパッカー系のラジオの流星っていうのが多分2006年ぐらいから盛り上がって。
例えば鳥籠放送さんとか、ランボルギーニタコラさんとかいろんなその辺の設定あんまりないけど。
僕らが一旦終わってから、ああ、この人らが盛り上がってるなあ、やめるほうが良かったかなって思うような感じのラジオがいっぱい出てきましたね。
45:04
やっぱり。
その頃の記憶が僕はないんで。
全く。
そんなもんですよね。
おそらく今、旅ラジオじゃないな。
バイク系のポッドキャスト、農業系ポッドキャスト、バックパッカー系ポッドキャスト、歴史ポッドキャストってあるじゃないですか。
あと英会話か。
っていう中の一つのジャンルが出来上がったタイミングぐらいかな、この2006年ぐらいが。
ここで技術的に大きな進化が出てきて、これは僕ら音質が良いとか悪いとかいろんなこと言うんですけど、なかなか音質が安定しなくて困ってる中、一つの革命が起きます。
2006年か7年ぐらいに。
H2革命っていうのがあるんですけど。
H2っていう録音PCMレコーダーって言われるSDカードを突っ込んでマイク型のレコーダーを置いとけば、これでそこそこ音って良いの撮れるじゃんっていうのが出てきたのが2006年とか7年ぐらいですかね。
このZOOMっていう会社が作っていて、このZOOMって今話題の会議システムのZOOMじゃないんですよ。
ZOOMっていうお茶の水にある会社があるんですけど。
日本なんだこれ。
日本なんだ。でも資本は外資かなのかな。アメリカとかの会社なのかもしれないですけど。
2007年にインシャルZGダブルゼータ、1年ぐらいやりました。
ちょうどね、2007年にiPhoneが出てきて、日本はiPhoneの3GSからだから2008年にiPhoneが上陸するのかなと思い方としては。
僕らはインシャルZの時によく言ってたのが、携帯でラジオを聞けるようになるぐらいまでやりたいよねって夢は、タクシーに乗った時に、
あ、坂本さんですか?聞いてますよって言われるまでになりたいよねっていうのをよく冗談で言ってたんですけど。
まさにこの2008年ぐらいまでやってたらそういう時代になったのかもなーっていうのはなんか感じたところでしたよね。携帯でラジオが聞けるようになると。
それまでガジェットとしてそれで近いものはあったんですよね。これ使えるんじゃないかっていうようなのが。
ケイポンとかね。
使うようにならなかったけど。
ならなかった。
でもなんとか努力してやろうとはしたんですよね、なんとか。
僕はね、ケイポンを使うようになった一番の理由は掲示板の削除とか管理とかをせんとダメになったんで、
ケイポンブラウザーで掲示板の削除に使ってたようなイメージですね。
本当に変な買い込みがあったら消すみたいな。
2009年、2010年、もうここからも世代とかなんかよくわかんないです。
震災の前後ぐらいでまとめサイトとかニチャンカルチャーみたいなものをだいぶ一般化っていうのをだいぶしたのかなってイメージですかね。
48:10
ネットラジオのプラットフォームが震災以降いっぱい出てきて、いろんなこれポッドキャストでもなんでもないじゃんっていうプラットフォームがいろいろ出てきたりとか、
いわゆるスポーティファインにつながったりとかっていうので技術的な進化っていうのも特になくて、
YouTubeが取って変わられたっていうイメージなのかもしれないですね。
世代で言うともう第4か第5ぐらいで終わっているような気がしますね。
そこから先は別のプラットフォームでやっていて、これポッドキャストなのかネットラジオなのかよくわかんないなっていうところがいっぱい出てきています。
僕ら第4か第5ぐらいで終わったような気がしますね、世代で君は。
そうですね、今みたいなようなプラットフォームが全くなくて、しかも僕らの頃ってまだiPhoneも持ってなかったですし、僕結構ガジェット好きだったんで、ニュートンとか知ってます?
はいはい、Appleがちまよって作ったPermOSみたいなやつね。
あとZaurusとか。
クリエ、クリエ。
あとNECからもそれに近いものが出てたんですよね。みんな中にいろんなものを突っ込んで遊んでたやつがあったんですけども、そういうもんでいろいろ夢のように語ってはいたんですよね、これで音声を届けることができないかなとか。
でも結局のところ、その頃はやっぱり一般的にはそれが無理というか、みんなホームページに音声を上げるんですけど、やっぱりできるだけ音質を落としたり圧縮したりとか、何とかして軽くして上げないとねっていうやつでしたね、その頃はやっぱり。
あんまりこういう話をしすぎるとね、はいおじいちゃん、インターネットラジオ村にもいっぱい人が来るようになったからそんな協商なこと言ってたらダメなんだよみたいなことをまた論評されたりするんですよね。
はいはい。
ビットレートを高いまま上げるのはこれはユーザーフレンドリーじゃないんじゃないかみたいなこと言うと。
51:06
確かに。
そう。まあいいんですよ、いくらでもいろいろでかくても。
音声ならね。
音声ならね。それでも高いなと思うけどな、ビットレート128Kとかだったら。
そこまでいらんやろっていう。
そう。まあということでね、歴史語ったんですが多分眠くなったんじゃないかなと思うんですけどね、この先生の公式を話し聞いてるみたいで。本当はこれこそYouTube向きなんでしょうね。
これYouTube向きですかこれ。
はい、ということでFMCさんこちらですみたいなんでわかりやすいじゃないですか。
ちょっとその黒板かパワポがいりますよね。
これはいりますね。いつかやりたいですね。
これ音声で喋る内容っていうよりはやっぱ図の説明がいりますよね。
そうですね。
それぞれの力換気がわからないから多分ここでネットラジオノルマンディー上力作戦を説明してもわからないでしょ。
それは僕らの中の小さな小さな歴史ですけど、あとはこの中に言われてなかった歴史が調べきれなかったのが、いっぱい出てきたこのネットラジオのポータル構想みたいな。
構想っていうのはあれですよ。戦う構想じゃないよ。ヤクザの構想みたいなんじゃなくて。
この前のネットラジオアワードですよね。
アワード的なものであったりとか、配信プラットフォームもどきみたいなものとか。
今までネットラジオアワードの時も喋りましたけど、何度も何度もやってきたやつなんですけど、僕ら関西ラジオ商店街が前世の頃にもそういうのを考えた人たちはいるんですよ、たくさん。
マネタイズがあって言いながらね。
ある意味関西ラジオ商店街もそうですからね。そういう寄り合いというか組み合いを作って、ちょっとムーブメントというか波を作ろうっていうのもありますし、そうじゃなくてランキング形式にして、とにかくそこにみんなを集めようと考える人もいれば、
いやいやいやいや、クリラジのように独立で、その代わりに大状態にして、うちに来れば全部解決するよっていうようなことをする人たちもいれば、ちょっと下に構えてひねくれて、いやいや俺お前らと違うからみたいなイニシャルGみたいなやつもいるわけじゃないですか。
うちね。
いや本当にこれ見てると歴史繰り返すんだよなっていう話は何回かしましたよね。
ずっとしてますね。
成功した試しがないんですよ。
負け癖がついてるんですよ僕らには。
負け癖いうかね、そもそもねラジオで喋ってるやつってね、強調性ないんですよ。
ありそうでないんですね。
ないないないない、あればねミクシーごときでね、我解したりしないですよ。
本当に?
54:00
うん。
本当にYouTuberの皆さんって偉いなって思いますよね今ね。
YouTubeの人たちって、強調性ありますよね。
というかやっぱりね顔を出して、変なこと言ったら一斉に叩かれるし炎上するしっていうのもあるじゃないですか。
YouTubeというもうみんなが知ってるプラットフォームだから。
はいはいはい。
ただこのネットラジオで僕らの放送なんて問題発言としたとしても素人が喋ってるだけで、ましてやラジコだったらできるけど、
ポッドキャストでこの部分のこの発言聞いてくれ。
はい今今回の305回放送の頭出し18分50秒ごとから聞いてくださいみたいなんて、あまりできないじゃないですか技術的に。
できるのかなやろうと思ったら。
やろうと思えばね。
でもそこまでやるやつもいないし、それだけっちゃそれだけなんですよね。
いやでもねこういう話、老人の話なんで別に聞いてもらう必要全くないんですけど、
ずっと名人が出す単語をGoogleで調べながらやってるんですけど、モバイルギア2とかすげえ懐かしいな。
なんでこれモバイルギア2っていうよくわからないギアというかガジェットが流行ってたんですけど、
これみんなのめり込んでたでしょこれに。中にDOSV的なもん入れたりとかして。
モバイルギア2ね。
これがあったら外でテキスト打てるとかみんな大喜びで買ってたんですけど。
今パッと見たらポメラって感じですからね。
いやポメラの方が優秀ですよ。
これ改造してみんないろいろ遊んでたわけですよ。
Windows Cね。
Windows Cって結構最後の方のモバイルギアですよこれ。
そうですね確かね。
これがなぜかバイドコモだったりするんですよ。フォアドコモとか。
これで繋がるんですよねなんか。何に繋がってたんやろ。
やっぱりこういうギアで通信ができるっていう夢があったんですよね。
ありましたねこの頃は。
BIO Uとかね。BIOの薄いパソコンとかリブロとかね。
こういうガジェット的な博物館みたいなやつはないんですか?
案外ないですよね。ラジカセミュージアムみたいなのがあったりするんでしょうけど。
できるんじゃないですか全然。
これ今のうちに集めとかないとまともなやつ集まらなくなりますよ。
胴体保存できてるやつ。
僕もね、ポメラもモバイルギア2もみんな持ってたんですけど捨てたんですよね。
なんでかというと火水分解してベタベタになったんですよ最後みんな。
悲しいな火水分解って。
アルコールで全部落とせみたいなこと言われてアルコールで全部落としてたら立ち上がらんようになって。
57:02
もう結局諦めて捨てたんです。とにかくみんなベタベタして終わるんですよ。
ホルクスワーゲンもそうなんですけど。
とにかく日本の湿度がひどいのか。
だってシンクパッドも古いやつはベタベタしてきますしね。
火水分解はやっぱ悲しいですよね。
もちろんキャンプで使うテントも10年ぐらいすると火水分解してくるんですけど。
毎回きれいに乾かしはするんですけど。
そう考えるとガジェットを今の間にみんな押し入れに眠ってるじゃないですか。
ウィルコムのW03も坂本さんと同じ種目持ってますけど胴体保存できてますからね。
立ち上がりますからね。
iPhoneもW03とかもまだ立ち上がるんですよ、なんとか。
立ち上がる間になんとかみんな日本全国から集めといて。
そういう博物館的なものをぜひ作ってほしいなっていうのと。
やっぱりね、僕がおじいちゃんになったっていうのもありますけど。
ネットラジオ同窓会できない。
やりたいですね、やっぱりね。
出ないとね、忘れていく一方やわ、もう。
本当に。でもそういう意味ではMixiってありがたいですよね。
さっきもいっぱい坂本さんなり僕なりが持ってた機械を見ようと思ったら、
オーディオコミュニティみたいなとこ行ったら出てきますもんね。
そう、消してない限りはね。
坂本さん持ってたEDOールってかローランドのPCMレコードを持ってたけど、
片番なんやったっけ?みたいな話してたら出てきますからね、やっぱりね。
そうそう、ちゃんとコミュニティがあるんですよね。
もちろん管理者はいないと思うんですけど。
管理者おれんからもしかしたらもう入られんかもしれんけど。
でもやっぱりネット古代遺跡みたいなね。
いやあのね、Mixiはね。
Mixiの店舗情報サービスみたいなのを休止するって言ってたけど、
店舗情報サービスぐらいだったらいいけど、
Mixiのコミュニティとか日記とかは絶対残しておいてほしい。
あれね、僕別に後悔はしてないですけど、やめるじゃないですか。
退去すると消えるでしょ。
あれって復活させることはできないのかな?
金積んだらできるかもね。
そう、だからあれね、僕Mixiの一つの失敗だったっていうのは、
退去したら全部消えちゃうっていうの。
あれは休眠でよかったよね。
休眠でよかったですかね。
でもやっぱりバトンとか今やってるのいろいろ見るとMixiでもあったよなって。
1:00:00
あったあった。
でもよくね、やっぱりちょっといろいろあってやめちゃうじゃないですか。
Mixiってそういう疑心暗疑送付装置なんで、
その人の書いたテキストっていうか日記が全部消えるんですよね。
悲しいですね。
すごい資産というかデータなんですけど、
全部消えちゃうっていうのがやっぱりね、もったいないなっていう。
あれでもやっぱり昔のね、僕も10年、15年ぐらい前の書いたテキストとか見ると味わい深いですもんね。
まだあるんや。
あるある。
でもこの時の方がちゃんとした文章書いてるなお前とかね。
でもMixiぐらいじゃないですか今、文章書こうって。
今ツイッターになってるから、いかに短く効率よく人に伝えるかっていうことしか考えてないし、
話題をリツイートするなら話題のコメントするなりぐらいしかなくて、
ゼロベースで今文章を書くっていうことって逆に少なくなったような気がするんですよね。
今はノートでしょ。
そうしたらノートに行くんですよね。
でしょうね。ちょっと僕らからするとノートで資金が高いんですけど若干。
Mixiはその資金は低かったですからね、文章を書くことに関しては。
そうなんですよ。プライベートな一面がすごく見れたと思うんで。
ネットラジオをやりながら、でもネットラジオとは喋れないプライベートなものをちょっとずつ小出しにしたりとかするのに、
Mixiっていうプラットフォームはすごい良かったですよね。コミュニティと同時進行できるもんで。
そうですね。
それが罠やったんですけど。
そうなんですよ。だから本当にネットラジオ、光と影って僕らはネタでよく言いますけど、
僕らは一番元気だった頃はMixiと共にっていう感じかな。いい意味でも悪い意味でも。
だからよく、野吉ではあまり名前が出てこないんですけど、リハッシュさんっていうモテラジのパーソナリティの方がおられて、
リハッシュさんは元々はネットラジオのイベントで。
コーリング娘のイベントをね。
ネットラジオのイベントとかなんかでモテラジさんといろいろ縁があって、モテラジさんに出るようになったんですけど。
リハッシュさんが言うには、モームスのファンの人たちがそもそもMixiを一番最初に使い始めたっていうか。
早かった早かった。
3桁台とか2桁台とか2桁台が3桁台か。
3桁台がすごく多かったですね。
2桁台の本当に最初の方っていうのはMixiの社員だったんですよね、全部。
で、結構その3桁台にすごいモームスのファンの人たちが。
1:03:01
今の文化人って言われる人たちとかサブカル界隈の人たちが確かにMixiでいろいろ繋がっていてやってたよって話を今の時代になって聞くと、
俺らがわちゃわちゃしてた時代に別のところでそのわちゃわちゃしてた人らが今こうなってるんだって聞くと、なんか感慨深いですよね。
その後にネットラジオとか僕らもそうですけど、そういうMixiに招待してもらって。招待制ですからね。
仕切り高いんですよ。
僕ね、確かに一番最初のMixiに招待してもらったって、2チャンネルの人に招待してもらいましたからね。
で、僕は坂本さんに招待してもらってね。
そうそうそう。Mixi入れたやつ招待したるよって2チャンネルに書いてあったんで。
招待してもらったら消していいからみたいな。いい人おったよね、その頃2チャンネルって結構。
僕は坂本さんに紹介してもらおうかな、どうしようかな、でも自分から言うのは恥ずかしいしなーって。坂本さん、いいっすか?みたいな。
もうその頃からお抱えする気満々やからね、これ。
切ったりとかね、また繋がったりとかね、ややこしいんですよMixiの人間関係って。
忙しいんですよ、みんな。
いや、本当にね。
いや、上手く使えばあんなにいいプラットフォームないですよ、Mixiって。
僕、Twitterよりよくできてるとは思ってるんですけど。
もうやっぱり使う方の問題ですよね、多分あれは。
いや、でもまあ、そうですね、ネットラジオは楽しいですけどね。
楽しいですよ。
いや、本当に楽しいんですよ。
あのね、さっきも言ったようにYouTubeって、最近のYouTube特にそうなんですけど、画面がすごく綺麗で、敷居が高すぎますよ。
揃える機材からセンスから何から何まで。
まあ、だからそれが上手いこといかなければ最低限YouTuberでいけてないし、いいの見すぎるとやっぱり差が歴然としますからね。
だから最近よくTwitterで言うじゃないですか。
昔やったら小さいコミュニティとか学校の中で一番足が速かったり絵が上手かったらそれだけで十分自己肯定できたのに、
今はTwitterでアホみたいな紙絵師が山ほどおるから、みんな自分は絵が下手やって思っちゃうじゃないですか。
同じように写真もそうですし、文章でもそうですし、何でもそうなんですけど、
いきなり世界を相手にしてるようなもんなんで、これは問題だよっていうのがTwitterでよく言われたりしますけど。
ラジオはそうじゃないのかもしれないですね。
ラジオはね、そこまで高水準なんて求められてないですよ。
僕は昔からよくわざと言ったりしますけど、のぎつでこれ程度の音質なんですよね。
これでも十分やっていけるというか、本人らはいいと思ってるんですよ、全然。
1:06:05
もうちょっと良くしたいけど、それは機材なのか何なのか。
10年以上前から言ってるからね。
でもね、案外ね、15年くらい前の昔の音源とか聞いてる方が良かったりする場合もありますからね。
あの頃ってもうちょっとアナログでマイクスタンドにいろいろスポンジつけたりとかして、
MDだったりさっきのエディロールだったりもするんですけど、ちゃんと喋ってましたよ、マイクに。
声をちゃんと拾うためにマイクの5センチくらい離れたところから喋るとかね、安定して。
今まさに僕はそういうスタイルで喋ってますけど、H2がだいぶ怠惰にしちゃったんですよ、僕らの体を。
そうでしょうね。あの頃ちょっとでもマイクから体離そうとしたら蹴られたりしましたからね。
ブタオさんにね。
だからもう少しストイックに喋ってました。声を張ろうとか、マイクにまっすぐ向いてとか、手でサインとかもしてましたからね。
早く負け負けみたいなとかね。
切るぞここみたいなブロックサインを。
ブロックサインしながら、だから今よりもっとプロ意識高かったですよ。
確かに。
今はほんまにおっさんがただ喋ってるだけですけど。
ダメじゃないですか。
だからね、ネットラジオ、うちは別に目標とされるようなデカいところでもないですし、水準も低いんですけど、この程度でいいと思うんですよ。
アマチュアでやってるからこれぐらいだと俺もできるんじゃね?みたいな感じで思われるぐらいの方が多分良くて。
アマチュアのネットラジオなんで、自分の興味のあることを喋ってればいいですしね。
あとは声が心地いいとか、この人らの友達みたいな感覚で覗き聞きできるんじゃないかなみたいな。
親近感持ってもらえるとか持ってもらえないとか、そんなとこかな。
幸いなことに僕が聞いてるネットラジオはあんまりみんな意識高くないんですよ。
そうですよね。
確かに。
意外とYouTubeって意識高かったりするじゃないですか、みんな。
いやだって要素行きの顔を見せないとダメだから、そうなんですよ。
だからイニシャルGのGは自ら慰める主因のGなんて言えないわけですよ。顔さらしては。
すごい高い機材持ってみんなで政治の話もすれば、生き方の話もすればですね、暮らしぶりとかライフとか、そういった感じのYouTubeじゃないですか、今の流行りで。
だからFacebookとは違うけど、やっぱり要素行きの自分をもっと見せないとダメっていうのもあるし、あまり好感度を求められるし。
ネットなりポッドキャスト、ネットラジオなりポッドキャストって結構ネガティブな話でも、元からそんなちょっと僕こんな問題かかってるんだけどって言っても、だからラジオってそれは結構言えたりするんですよね。
1:09:12
ですね。
下手すると今のYouTubeってInstagramとそんなに変わらんやんって思うときありますからね。
ちょっとキラキラしてるね、やっぱりね。
やっぱりね、ちょっと僕は敷居が若干高いんですよね。もちろんね、そんなYouTubeばっかりじゃなくて、全然僕の知らん、そういうあまり人気のないところには山ほど意識の低い面白いYouTubeもたくさんあると思うんですけど。
逆にそういうところあんまり漁れないじゃないですか。
上がってこないから見えないっていうのもあるし。
見えないね。
あるとしたら、なんか分からんけどこの人のこの曲聞きたいなと思ったら歌ってみたっていうのに引っかかって、あれそんなに上手くないじゃんこの人みたいなのを聞いて、ちょっと嬉しかったりするでしょ。
ネットラジオはね、そこまで考えなくていいんで、今はポッドキャストですけどね、ぜひどんどんどんどんもっと面白い人が出てくればいいなと思いますけど、やっぱりね、野心がなくなったネットラジオっていうのは、何て言いましょうかね。
なんかこう、どっか他人事というか、自分がそうなんですけど。
最後知らんけどで済んじゃいますからね。
そう、なんかね、いろんなところで皆さんすごい熱意持って喋ってたり、Twitterで怒ってたりしても、いやー頑張ってはるわーくらいしか思わないんですよ。
確かに。
そう、これはどうなんかなーっていう、だからそのイニシャルGZの頃に持ってたその熱量と、今の熱量はちょっと比べ物にならないんですけど、まあ年齢も全然違いますし。
あの頃って僕30代でしたっけまだ。
30代ですよ。僕の今の年よりも年下ですからね。
まあ、そりゃあね。
ギラギラ押しますよね。
ギラギラギラしてましたよ。ありとあらゆることに。
今はやっぱりね、なんか、小民家探してますみたいなこと言ってますから。
いや変われば変わるもんですよね。
本当に。
今やったらうまいことミクシーも乗り切っていけると思いますよ。
今やったら多分できるでしょうね。
歴史、時代が早すぎたような気もしますね、ミクシーって。
ちょっとね。
まあでも見たくないな、またこれもあれなのかな。
ミクシーが今あったらコロナのやつにすごい喧嘩したりするのかな。
いやでもどうでしょう。Facebookの後にミクシーが出てきてたらどうなったんでしょうね。
TwitterとFacebookの中間みたいな位置づけになってくれたらよかったんですね。
なんか今ミクシーってもうね、ちょっとかわいそうな感じになってますけど。
1:12:03
逆にあの森山のショッピングモール見たり復活することないかな。
ピーリー森山。
そうそう。
意外と使えるよっていう感じにならないですかね、もう一回。
なってほしいなあ。
一本ぐらいちょっと日記上げてみましょうかね、久々にね。
いいですね。
久しぶりの更新。
ノギツアルベエって。
でもね、ノギツアルベエ始めた時に、イニシャルG難民っていうのがいるかなと思ったから
新番組やりましたっていうのを半年間ぐらいずっと上げてましたけどね。
元だってかわいいっていうので。
じゃあミクシーにノギツアルコミュっていうのもあるんですね。
イニシャルGコミュあります。
ノギツアルはない?
ないですないです。
だからたまに探しきれないっていう人が出てくるんじゃないですか。
そうなんですかね。
一番ちょっと僕悩みが、ホームページっていうか独自ドメイン取ったじゃないですか。
ノギツって検索したら当然1位に上がっていけないはずなのに、
時間がまだ経ってないのか、一番に上がってこないんですよ、ノギツで。
他におるんかな。
いや、Twitterのハッシュタグノギツが一番上に上がってきちゃうんですよ。
多分リンクの数とかで計算される可能なのかもしれないですけど。
あとはなんかよくわからん、どっかのプラットフォームの方が僕らの上よりに来ちゃおうとかね。
たまにTwitterで検索してもわけのわからん叫び声みたいなノギツが上がってきますもんね。
そうそう、なんとか富士高みたいな。
間に確かにノギツってあるけどさ、これみたいな。
あと英語の中にノギツが入ってたりとか。
たぶんノギツRって入れたら一番上まで行くんですよ。
たぶんノギツって3文字でなんか違和感のある言葉だからノギツっていいなってずっと思ってるんですけど、
SEOの対策からしたらノギツってよくなかったのかなってちょっと今。
いろんなところでダメですね。
ちょっとね失敗したかなって。
ネットラジオの歴史って、僕らはたまに思い出すためにこんな風に喋ったりもするんですけど、
よほどネットラジオとかが好きな人でないとそうは面白くないでしょうし。
面白くないような気がするな。
そもそも僕ら関西出身のネットラジオなんで、例えば関東系の明蓮寺さんとか、
アズサイトさんもそうですし、そういった一人喋り系の人たちのことってあまりよくわからないんですよね。
たぶんあっちはあっちでいろんな系譜があると思うんですよ東京の方も。
関西ほどの盛り上がりはないんですけど。
今はもはやでも、成功到底だったら逆転するような気がしますね。
今は逆転でしょうね。ポッドキャスト、東京の人が多いと思うんですよね。
だから結局のところ、あの頃のネットラジオって、僕ら3人だったり2人で喋るにはやっぱりマイクスタンドが2ついるし、
1:15:05
ミキサーがいるしっていうので、やっぱりその分敷居が高かったんですけど、
やっぱりスマホが登場したので、一人で喋れる気軽に喋れるっていうので、東京関東スタイルの一人喋りのラジオの人たちっていうのも結構出てきましたんで、
やっぱり機材は大きかったですね。
機材の進化とやっぱりテクノロジーの進化とウェブサービスの進化によって、
いろいろスタイルが変わってくる、進化できる人、ついていけない人、そのままの人っていうので、
いろいろ出てくるっていうのがこの世代間っていうのはあったのかな。
ただ、最近はあまりないかな。
なんか、新しい、革新的な出来事っていうのはあまりないような気がしますね。
今はもう動画の方ですから、TikTokだったりYouTubeだったり、そっちの方のプラットフォームで、ラジオ的なプラットフォームで言うとボイシーぐらいですからね。
まあね。
Spotifyとかそういうのもいっぱいありますけど。
思いのほか意識高い系の方に行っちゃったなーって気がしますね。
そうですね。
昔だったらそういうのはネットラジオの住民が飛びついたりしたんですけど、今は情報詳細の人が井の内場に飛びつくもんで。
だからなかなかね、僕ら目立たないんですけど。
大変なことなんですよ。人の時間を1時間以上耳を拝借するってとんでもないことですからね。よくよく考えたら。
だって24時間は決まってますからね。
本当に時間泥棒ですよ。
その中で、例えば今日みたいにネットラジオの歴史だけでこの。
1時間ぐらい話してますけどね。
話してるけど、それ誰得やねんって言われたら。
しかもこれ喋ると、うち入ってないって絶対言われますからね。
そうそう、それをね、いちも危惧してるんですよ。
Amazonプロダクツさんもいたりとかね。
そう、いやもちろんね、若い前にだって総勢もいたわけですし。
あの、シャドウ総勢と女総勢っていう人がいるんですよ。隔離空間ラジオ。
隔離空間ラジオって名前本当にいいですよね。
そう、今こそですよ、隔離空間ラジオ。
本当にいい。
今こそちょっと聞きたいラジオなんですけどね。
体重3桁台の大柄男性が海電波を発信って言ってましたっけ、確か。
和歌山からね。
和歌山からね。
和歌山から。
まあだからそういうね、今こそ聞きたいみたいなネットラジオは結構あるんですけど。
でもね、多分ね、僕なんか3年以内にポッドキャストの歴史を調べてますっていう大学生が、うちの音源にたどり着いてくれそうな気がする。
あ、そうかな。
案外ネットラジオの歴史っていうのは全然出てこないし、その時まで僕がまだ現役でこのラジオをやってるんであれば、僕ら二人は喜んで協力しますんで。
1:18:08
まあその論文で一芸入試してまた立命館とか入っていただければね。
いやいや、そんなの卒論やと思いますけど多分。
そうかそうか。
でもごめん、これ以上のこと言えないかもしれないですけど。
この音声があなたに届いていることを願って、ちょっと無駄な時間を。
いやいや、今日ぜひネットラジオの歴史が聞きたいって言われたメールを頂いた側の、側で働いてるお方は責任持って全部聞いてください。
いやいやいや、なんでそんなプレッシャーあけるんですか。
いやいやいや、あなたのためだけで喋ってるわけですから。
いやいやいや、よく分からなかったよこれ。
それは分からんと思うよ。
なんとなくややこしい大人がややこしい話をしてたんだなってことだけは分かったかもしれないです。
しかもだいたい側の人に感謝のことなんかほぼ分かれへんからねこれ。
まあそうですよね。
やっぱりね、ちょっと図で説明、ぜひなんかイベントあった時にパワーポイントにしましょうよ。
パワーポイントだったらね、刺さって作れるような気もするし、画像をふんだんに使えばね。
だからさっき明治が作った歴史表年報をパワーポイントに。
いつか、いつか。
ぜひ、それで説明をさせていただきたいと思います。
今日は本当になぞっただけですし、今日呼ばれなかったネットラジオの人たちも別に忘れてるわけではないんですけども、時間がなかったということで許してください。
いや忘れてただけかもしれない。
忘れてます、すみません。年取ってるんで。
出てこないでしょ。
名前が出てこないんですよ。
出てこないでしょ、もう本当にもう。
全部、全部、全部聞いてたんですよ、その頃は本当に。
聞ける量だったしね、まだ。
そう、シネマ舞台を越えから全部聞いてたんですよ。
潜流ステーションも聞いてましたよね、僕らね。
潜流ステーションも、セクシービームも聞いてたし、ニョソウスイさんも全部聞いてたんです。
伊豆県ラジオも聞いてましたし。
伊豆県ラジオね。
いろいろ、いろいろ全部聞いてたんですけども。
太陽梨の粒手とかね。
梨の粒手ありましたね。
KSR梨の粒手。
僕ね、だいたいね、そういうラジオね、1回目とか2回目にね、ゲストで行くのが趣味だったんですよ、その頃。
ああ、やらしいね。
やらしい。やらしい大人ですよね。
どれどれ、どれどれ、君たちネットラジオ始めたらしいじゃないかって。
いやそりゃ嫌われるわ、そんなことしてたら。
いやいや、坂本さんって言われてましたから。
それを見るたびに僕らケッって思ってたわけですからね。
でしょ?だからそういうことになるんですよ、最後には。
いいよな、坂本さんは。
まあね、あの、モテラジ事件でしたっけ、あの、モテラジのまだウィキみたいなのがあるんですよね、このサイトに。
じゃあ、ネットラジオアスリートって言葉と坂本さんっていうのを検索したら、坂本さんは近代ネットラジオの知事とか。
1:21:06
でもその頃、ネットラジオの歩き方っていうブログもありましたからね。
そうですね、あれ坂本さんやったんでしょ?
そうなんですよ。ネットラジオを優勝受けを委任としてね。
いろんなネットラジオをとにかくね、取り上げたかったんですよ、あの頃は。
イニシャルGの中でもそうですし、何とか盛り上げようって思ってたんですよね。
まあ、いつかはね、それでやるとね、時間の奪い合いになっちゃうんで、本当に良かったのかどうかっていうところはね。
まあ自分のことを考えるとそうなんですけど、でもムーブメントとして盛り上がってくれないと自分らも跳ねないっていうのもあったから。
あの頃はケーキを大きくすればいいじゃないって思ってたんですよ。パイを大きくすればいいじゃないかと。
なかなかね、もうこうなってくるとどう考えても時間を奪えないですからね。
こんなに平気で2時間とか撮ってたのあったらおかしいなって思いますもんね、今。今今回2時間くらいやってるかもしんないですけど。
まあじゃあ、ちょっと近々というかまたね、タイミングが合えばまたホテル中央でも行きますか。
大変やな、ホテル中央ね。西稲荷じゃないわ。大阪の動物園前にある飼育宿泊所ですよ。
ラジオ撮ってましたからね、昔は。
そんな時期もありましたね。
まだありますからね、ホテル中央は。
あるんですよね。確かに確認した確認しました。
また機会があればホテル中央なり梅田の東横であり、どこかで撮りたいと思いますね。
はい。
ということで、本日は。
長時間お付き合いいただきましてありがとうございました。
すみません。
はい、それでは皆さんお休みなさい。
さようなら。
01:22:55

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