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第51回 新聞記事の紹介、母親が子どもを叱る方法
2026-10-22 11:13

第51回 新聞記事の紹介、母親が子どもを叱る方法

第51回 2023年3月18日放送

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サマリー

買い物帰りに、母親が3歳ほどの男の子を怒鳴り、頭をたたく場面に遭遇した体験から、子どもの行動の意味を理解してから叱ることの大切さを語る。男の子が一人でトイレをできたことをまず褒め、そのうえで人目のある場所でしてはいけない理由を教えるべきだったと振り返る。続いて、電車内で3歳の女の子のわがままをめぐり、紳士が親にしつけと社会的責任を説いた新聞記事を紹介する。記事を通して、子どもを甘やかさず、必要な時には叱って教えることが親の愛情だと確認する。最後に、困っている親子に踏み込めなかった自身の経験を、相談者の切なさを感じ取る現在のカウンセリングにもつながる自己洞察として受け止めている。

買い物帰りに見た親子と叱り方
皆様こんにちは。 先日、
買い物帰りに、 お母さんがお子さんを
怒鳴りつけているところに遭遇してしまいました。 胸が詰まり、
その場から動くことができないままでいました。 かといって、口をはそむこともできず、
3歳ぐらいの男の子でした。
買い物のさなか、
トイレに行きたくなったんだと思います。
男の子は、スーパーを出て、 道はざんだところでトイレをしていました。
それを見つけたお母さんが、 月相を変えていきなり頭をバシーン!
その時のお母さんの気持ちは、 こんなところで、
どうして言わなかったのか、 今が来たら危ない、
などの気持ちから、 叱ったんだと推察します。
怒鳴りつけていたお母さんの気持ちは、 きっとそうであってほしいという、私の期待です。
明らかに月相を変えて、 お子さんを怒鳴りつける様子は、
子供に対して訳がわからない、 怒りの感情のようなものを受けました。
どんな時にも言えることですが、
子供がしてしまったことの意味をまず、 母親は知ろうとしなければなりません。
この場合、トイレを一人でできたことを、 まず一番先に褒めてあげることです。
電車内の新聞記事としつけの責任
それからです、大事なしつけ、 ここでしてはいけない意味を教えることです。
見ていると、その大事なしつけは全くせずに、
お母さんの気持ちが済むまで怒鳴り続けていました。
男の子は泣いて舌をうつむいていました。
そんな時、ある記事が目にとまりました。
ご紹介させていただきます。
数年前のある日の夕方、 新潟初5時の電車に乗った。
相当混んでいた。
3歳ぐらいの可愛い女の子を連れた母親が乗ってきた。
女の子が、ママ座りたいと言い出す。
若い母親は誰か席を譲ってくれないかという様子で、
あたりを見回すが反応がない。
やがて女の子はべせをかけ始め、母親は困っている。
すると、それを見兼ねたのか、
すぐそばの通路側に座っていた60歳ぐらいの男の方が、
さあどうぞと立ち上がった。
しばらくして今度は窓のところに座りたいと言い出したが、
母親は黙っているので、だだをこね始めた。
すると窓側に座っていたこれまた60歳ぐらいの男の方が、
さあどうぞと立ち上がった。
今まで向かい側の席で本を読んでいた同じぐらいのきっとした紳士が顔を上げて、
いけません、やめなさいと威厳のある声で立ち上がった男の方を座らせた。
ざわめいた周囲が何事かと静かになり、
皆さんの視線が紳士に集まった。
続いて紳士が、わがままをさせてはいけませんと言い、
あなた方はどこまで行くのですか?お子さんは何歳ですか?と尋ねた。
はい、ニーツまでです。子供は3歳です。ニーツまでなら20分余りですね。すぐにです。
お子さんはむしろ立たせておきなさい。
ここに乗っている皆さんは、それぞれ今日一日のお仕事を終え疲れて帰るところです。
にもかかわらず席を譲ってくださった。感謝をしなければなりませんね。
あなたはお子さんがわがままを言っても叱らなかった。
昔から三つ子の魂100までといって、3、4歳の時のしつけが大切だということです。
だだをこねれば何でも通ると思う心で、やがて成長して社会に出た時、どういうことになるか、
私もあなたも新聞テレビで見聞きしているように困ることになる。
だから用事であっても叱るときにはきっちりと叱り、教えてあげることは教えてあげなければならない。
そこのところがかわいい子供のために親がしなければならない責任と愛情です。
あたかも自分の娘を悟すように言われ、今度は周囲を見回して大人社会が悪い。
子供だからと甘やかしといて今時の若い者と怒り、嘆いている。
これは自分たちが社会がそうさせたのに気づきがないでいる。
そうでしょう?と言われたのである。
私の心の中ではいと答えた。
はじめのうち誰が用事のことでそこまで肩肘を張らなくともと思いながら聞いていた私自身、
そして周りの皆さんもそうであったと思われるが、
ともすると小さかった時の自分の子供、かわいいの一年で甘やかしてきた孫たち、
そして世間の煩わしいこと、面倒なことに関わりたくない、
見て見ないふりをしている自分と社会全般の昨今の世相の中で教えとしつけの大切さを大勢の前で淡々と語り悟す。
助けに踏み込めなかった自分への洞察
その勇気に私自身もこの年になって気づき恥ずかしくなった。
やがて二月駅が近くなって、その母親は紳士に対して深く頭をたれ、礼を述べ、
周囲に恥ずかしそうに、しかし明るくえしゃくし子供にありがとうと言わせ、席を後にした。
ほんのわずかな時間であったが、心が洗われた貴重な時間であった。
降りたホームで母親が深々と一礼していた姿に熱いものを感じた。
この記事の出会いに私は深く反省をさせられました。
あの時の親子をそういう意味で救えていなかった。
あの時の男の子の気持ちを思うと、私自身が切なくなる。
あの涙している顔が忘れられない。
そのようなことは何度も何度も経験しているはずなのに、一歩踏み込む勇気がありませんでした。
これは私自身の課題でもあります。
後から切なさを強く感じるのに、その時感じた切なさに私自身が私自身に応えていない。
今こうして深く自分を洞察すると、子供の頃の私がそこにいます。
あの時の男の子のように、同じだ子育てに関して一番の意識が行くのは、自分を助けるためでした。
カウンセリングをしていると、ご相談者の切なさを胃の一番に感じるのも、このような経験があるから、そしてこのような経験があるからこそ生かされている。
このための経験だったんだと感じています。
だから私は私に、ありがとうを言い続けます。
ありがとうございます。
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