柳ヶ瀬ブルースの影響
ご番です。地名が出てくる歌のコレクターは、タンドがお届けする変愛に満ちたポッドキャストの時間です。
面白いと思ってくれた方は、いいね、シェアの方よろしくお願いします。 今回は、ご当地ソングという言葉の起源でもあります。
柳ヶ瀬ブルースという曲についてご紹介したいと思います。 この曲は1966年にリリースされた三河健一さんの楽曲です。
三河健一さんというと、代表曲はどちらかというと、僕の世代からすると、「さそり座の女」とか、そっちのイメージが強いですけども、
この曲がね、柳ヶ瀬ブルースが三河健一さんにとって本当にターニングポイントになった大きい曲というところになっています。
デビューから、最初は青春歌謡路線だったらしいんですけども、この曲でグッとムード歌謡の歌手に転換するようになったというターニングポイントなんですよね。
さそり座の女にしても、結構演歌的な曲を歌うにしても、三河さんといえばそっちのイメージが強い、そっちしか知らなかったんですけども、
そういったのは、この柳ヶ瀬ブルース以降という感じになっています。
柳ヶ瀬という場所なんですけども、ここは岐阜県の歓楽街ですね。飲み屋街です。各地域ね、例えば仙台だと国分町とか、
北海道、札幌だとススキノとか、あと福岡だと、中州は本当にピンク街っていうから、ちょっと歓楽街ともまたちょっとさらに特化した感じだけど、いろんな地域ありますよね。
横浜だと野毛とかかな。東京とかだと歌舞伎町とかね。そういったいわゆる歓楽街を歌った歌になっています。
歓楽街を歌った歌っていうとね、本当に日本数知れず各地域ごとに歌われていますよね。
歓楽街って言うとね、夜の時間、男と女が酒を引っ掛けながらその後どうするみたいなくだりもあるでしょうから、そういった意味でちょっとドラマが描きやすい歌なんですね。
かつ、酔っ払った人たちに刺されば広がりやすいというところもありますので、この歌はね、結構そのプロモーションが非常にうまくいったというようなところで、この酔っ払いの街柳ヶ瀬を
ターゲットにしたというのは非常に大きかった曲になっています。この逸話がすごいんですよ。
この曲を作って流行らせようという形で、日本クラウンというレコード会社の方がやってたんですけども、その際に地元の飲食代を日本クラウンの方で負担しながら、ここの取材ツアーをメディアに対して行ったそうなんですよ。
その度に、柳瀬ブルース流行ってますよというのを仕込んで見せることで、本当にこの街でこの街の歌が流行ってんだみたいな感じで、勘違いというか、見せることに成功しまして、メディアを通じて、この柳瀬に柳瀬ブルースありというのが轟いて、一躍全国区になっていったというところなんですよね。
120万枚売れたということですから、すごいですよね。
近くだったら名古屋の栄とか、そういったところは全国区の歓楽街かなと思いますけども、岐阜に柳瀬ありというのが、この歌起点で広がったっていうんだから、歌のパワーというのがあったんだなというふうに思いますね。
このね、本当に草の根の営業活動でもあり、上手い仕込みでもあり、そういったのが交互そうして、それだけ仕込んだからこそ流行ったというところで、泥臭い営業は重要だなというメッセージにもなりますよね。
ご当地ソングの誕生
この歌がね、こういった取り組みも含めて、ご当地ソングというキーワードが生まれたきっかけにもなってます。
この日本クラウンの担当の方がご当地ソングだと、この地域で流行っている歌が、地域を歌った歌があるんだと、こういうキャッチーな言葉を使ったっていうのも影響があったんじゃないかなというふうにも思います。
その後ね、ご当地ソングというキーワードは、地域を歌った歌ということを言い換えた歌にもなっていったというところですからね、本当にすごいところですし、
そういう意味では、このムード歌謡がご当地ソングに使われた最初の言葉であったからこそ、その後ご当地ソングということは基本的にはムード歌謡に近い楽曲だとか、
あとは演歌とかを指す意味として広く解釈されたというのはあるのかなというふうにも思います。
はい、そんなわけで今回はご当地ソングを語るなら絶対に外せない曲、柳瀬ブルースについてご紹介させていただきました。
やっぱりね、柳瀬の夜にこの曲をしっぽり聴きながらグラスを傾けるっていうのがね、ぜひ僕はいつか体験したいなというふうに思っています。
はい、そんなわけでまたお会いいたしましょう。おかんでした。