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2025-05-16 06:07

配信236:人と話すことは最強の娯楽だ

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人と話すのは最高の娯楽です。けど昔は違ったような。見立てでは社会人になってから、会話は娯楽になるよな、という話。


【番組紹介】
・地名が出てくる歌のコレクターによる配信。
・国内唯一のご当地ソングメディア「ご当地ソング捜索隊」(府中コミュニティFMラジオフチューズ内のラジオ番組)のバックナンバーも、時々お届けします。
・ラジオ放送は、毎月第4土曜日 ~絶賛放送中。

【パーソナリティ】
◆ワタンド
本配信のメインパーソナリティ。地名が出てくる歌のコレクター。都市と音楽が大好き。多摩地域で暮らす。
◆しゃり
ラジオ放送のパーソナリティ。ご当地ソングは素人。オーストラリア在住のエンジニアで主にリモート参加。

【Twitter】
https://twitter.com/RRwatandia
【note】
https://note.com/localsong

サマリー

人と話すことは、特に若い頃から社会人になるまでの間に、娯楽としての重要性が変わってきたと語られています。また、情緒的なつながりや距離の有無によって、話すことの価値が増すことについても考察されています。

話すことの歴史
お晩です。地名が出てくる歌のコレクター バタンドがお届けする、変愛に満ちた音声配信です。
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今回は、話をすることが娯楽になったのはいつからだろう、という話です。
子供と何か一緒に過ごしている時に、特に遊ぶものがなくて、することないよ、みたいな感じになってたんですよね。
話ししようよって言って、僕はいくらでも子供と話したいなと思ってたんですけども、
そんなのつまんない、ということを言われました。話したかったな、というようなところなんだけど。
話をするっていうこと自体が楽しいよねって思うようになったのって、いつなんだろうって思ったんですよね。
確かに小学生とかぐらいの時は、遊びと言っても何かすることがあった上での遊びで、
ただ、だべってるみたいな感じのはなかったな、というふうに思うんですよ。
一方で、今になってみると、本当に友達に久々に会った時に何がしたいかというと、話したいんですよね。
とにかく話していたい。
最近どんなことあったの、何考えてるの、あの時こんなことあったよね、って言っとくかもしれないけど、
本当に久々に会った時は、とにかく話はしたいんですよね。
他の活動とかは別にしなくて全然いい。
他の活動をするにしても、話すことが最終的な目的で、そこの時間をかく取るために一応、
後日だったりするために何か出かけるとか、バーベキューするとかあるかもしれないけど、
あくまでやっぱり話すっていうのが最終目的だなと僕は思ってます。
社会人になって時々友達に会う時も、スポーツするとか何かするとかっていうよりも、
基本的に夜飲み会で会って話すとか、喫茶店で会って話すとか、
話すっていうことが一番贅沢だったなというふうにも思うんですよね。
そう考えると社会人になってからは話すっていうのは非常に贅沢な娯楽だったなと思ってます。
もう一個遡って大学生活になるとどうだったんだろうなと思うんですよ。
大学生活の時ってめちゃめちゃ話してたと思うんですよね、友達と。
四六時中一緒にいて、もう他にすることがあればラッキーで、
することがないから埋め合わせるように話をしていたっていうのもあるのかもしれないなと思います。
無限とも言えるような時間がある中で、ただ深夜にガストに集まって、
だらだら4、5時間喋ってる。
本当に喋ってるっていうか、目についたものとかその時頭に浮かんだものをだらだら話すって感じで、
なんかお話してるわけでもないような感じではありました。
ただ話はしてた。
あれは話がしたくてというよりは、他のことが一緒にできたらよかったんだけれども、
そういうものがなかったり、手持ちぶさなの時にただ話すというところになってたのかなと思います。
話はたくさんしたけど、話が目的ではなかったなというふうにも思います。
中高時代とかは、部活とかクラスの何か行事とか、そういうのに合わせて話すことはあったけど、
例えば休日に話すために集まるっていうことはあまりなかったなと思います。
高校時代はあまり休日とかに友達と集まるってことはしなかったから、
距離と話の価値
中学の時はまだポケモンとかやってたからな。
ポケモンとかカードゲームとかやってたんでね。
マジック・ザ・ゲザリングってやつです。
そういうのやってたんで、どちらかというと他の目的やりたいことが優先。
話すってことが娯楽にはなってなかったですよね。
一方で、いとこの女性人と私の姉とかは、もう中高生ぐらいになると、
ひたすら、久々に会った人とはずっと話してたりしてた。
僕はトランプとかしてたんだけど。
そういう感じで、男性と女性によっても話が娯楽かどうかっていうのは違いはあるのかなというふうにもちょっと思いました。
ちょっとつらつら思いついたことを振り返りながら話してきましたが、
大学生活から社会人になったタイミングで話っていうのがすごい貴重な娯楽というか大切な時間に切り替わったなという気がします。
それはいつも一緒にいられないからこそ、一緒にいられない時間を埋め合わせるための娯楽、
むしろ本当に色々知っていたい存在だった人たちのことを話しという形で埋め合わせるように、
時間の代わりに話しよっていうふうなものが使われていたのかなとも思いますね。
だからそういう意味で人と話すことが娯楽になるのは、一緒にいられる時間が減ったからこそ話は娯楽になったのかなとも思います。
そういう意味では家族との時間もそうか。
親とは一緒に住んでた時とかは別にそんなにろくに話もしなかったし、話したいと思ってはいなかったよね。
だけど今大人になってたまに帰るという感じになると、会った時に色々話したいことを話したいなというふうに思うようになりました。
離れることで話すということが大切な娯楽になるのかなというふうに話していて思いましたね。
だから子供が別に僕と話したくないというかね、話してもつまらないって言われたのは今ずっと一緒にいるからであって、
またむしろ離れる時が来たら話したいと思ってくれるかもしれない。
守ってくれたらいいなというところかもしれないですね。
そんなわけで今回は話すことの価値が高まったタイミングについて色々話してみました。
またお会いいたしましょう。おばんでした。
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