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ライフトラベラーカフェ
ライフトラベラーカフェへようこそ。マツダミヒロです。
若奈です。
この番組は、世界各国で暮らしている僕、マツダミヒロと若奈が日々感じたことなどをお伝えしていきます。
お寿司行ってきました。
いつもどこでも行ってるから、今どこで何しても。
ホノルルでお寿司行ってきました。
おー、いいですね。
すごかったね、若奈。
美味しかったね。
びっくりしたよ、ほんとに。
寿司屋の息子が。
寿司屋の息子が感動してたね。
いや、びっくりして美味しくって。
何が物語ってるかって言ったら、
私、お寿司はだいぶ前よりは大好きになってきたけども、
でもちょっと結構食べれないものあるよね。
食べないものというか。
生のお魚。
背景を言うと、若奈は結婚する、僕と結婚するまで基本的にお寿司は食べない人。
お刺身も食べないね。生魚も食べれなかった。
だからお寿司屋さんに行ったら、
かんぴょう、卵、蒸しエビ、ツナマヨ。
それないから、普通寿司屋は。
ツナマヨってないから。
回転寿司も。
いいの、私は回転寿司で育ったんだから。
そうなの?
うん。
だってそんなお寿司屋さんに行ったことない子供の時。
うちは実家で育った。
いいものを食べてきたんだね。
それで、ホノルルのトキワっていうお寿司屋さんに行ったわけ。
それが本当にびっくりしたんだよ。
どうびっくりしたの?っていう話でしょ、今日は。
そうそう、でも若奈は感動したわけでしょ。
お話に。
あのなんか、時間とお寿司にまず感動した。
食べれるっていう。
結構私たちは、ミヒがお寿司が本当にソウルフードっていうこともあって、
あとはプラス、いつも今までしたことがない体験を求めてるじゃない。
食に関しても。
っていうこともあって、
多分すごくいろいろなお寿司は、
トラディショナルなものからちょっと凝ったものまで、
世界中でいただいてきてるんです。
だから、それとその中で見た時に、
その今回のお寿司は全然違うメニューだったのかって言ったら、
そうではないよね。
とても本当にトラディショナル。
おまかせのトラディショナル。
本当に日本でいただくような。
全然際照らわない。
そうそうそうそう。
正統派のお寿司なのに、
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あの、ウニはちょっとどうしても食べれないんだけど、
ウニ以外、全部私いただいたの。
びっくりしてたね、ミヒ。
なんで食べるのかなって。
なんで食べるのかなっていうのは、
若が食べなかったら、僕が食べるわけよ、それを。
そうそう。
全然、楽しみにしてたよね。
回ってこなかったでしょ、今日。
そう。
すごいね。
すごかった。
ちょっと自分でもびっくりして。
で、あの、
ま、ちょっとあの、なんていうの、
消化がそんなに得意じゃないっていうのは、
あったんだけど、
なんか、その方、目の前で作ってくださるじゃない。
それを見ていた時に、
もうこれは食べれる。
これは食べれるっていう。
わかるの、それ。
わかるの、内側の声があって。
内側の声?
そうなの、お腹の声があって。
これはちょっとやめといた方がいいとか。
っていうのがあったんだけど、
あのね、で、
スピリチュアルじゃないの。
食いしん坊の感っていうのはそういうもんで、
で、なんか、
え、本当に?ってちょっと脳は言うわけ。
思考は。
ま、そうだ。普段は食べないからね。
そんなにちょっと、結構だいぶ食べてるけど、
大丈夫っていう声は聞こえても、
うん、あの、大丈夫だよって来る。
で、食べてみるじゃん。
すごい感動するんだよね、一個一個。
感動するよ。もう一個一個がすごい感動した。
で、感動度共に、
めちゃくちゃこう、自然に受け入れられていくから、
すごい美味しくて豊かな、
お寿司として消化されてって、
どんどん元気になってたの。
っていうのがすごかった。
すごいね。
で、
あの、握られてた方のストーリーもよかったでしょ。
いや、よかったよね。
その方は、
あの、ずっと野球をされてて。
そう、大学までね。
で、結構もうプロの方に行くかみたいな、
社会人では、そう思われて、
で、なんか北海道の方だったね。
そうそう。
北海道の方で、
で、結構その、
ま、お家も、
ま、商売をされてるようなね、
お家だったんだけど、
その、お父様、お母様に、
あの、野球の道に進みたいと思うって、
言った時に、
あの、それまで、
ソファーで寝っ転がっていたおじいちゃんが、
寝っ転がってたの?おじいちゃん。
って言ってたよ。
あ、そうなの?
うん。
いきなり起き上がってきて、
あの、これからは、
手に食をつける時代だから、
野球はやめて、寿司屋になれって言ったの。
そんなこと言わないよね、普通。
普通言わないよね。
いや、普通の家の人は言わないんじゃないかな。
寿司屋をやってるならば。
そうそうそうそう、そうなのよ。
で、しかも手に食をつけるって言っても、
いろんな形があるのに、
寿司屋って言ったの、おじいちゃんが。
で、おじいちゃん何してるかって言ったら、
不動産とかで、
結構ビジネスね。
その当時されてて、
なるほど。
そういうセンスをお持ちだったらしいんだけど、
そういうビジネスをされてる方って、
寿司屋って本当に大変じゃん。
いやー、大変ですよ。
お金もさ、ビジネス的観点からしたら、
大変、大変。
効率的ではないっていうのも、
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寿司屋だから分かるじゃない。
なのに、そのおじいちゃんが、
寿司屋になれって言って、
で、結構そのおじいちゃんが力を持っている家だったんだって。
だからお父さんもお母さんも何も言えず、
で、寿司屋に修行に行っちゃったと。
その子も、じゃあ分かりましたって言って、
野球を引っ張り辞めて、
すごいね、その決断がすごいね、勇気っていうか。
そう。
それで、
最初から、本気で寿司屋で頑張れたのかって言ったら、
もちろんもう、耐えて耐えてっていう感じだったらしいんだけど、
6年目くらいから本気出したって言ってた。
あー、だから最初はちょっとね、
無理矢理じゃないけど、いやいやじゃないけど。
なんでこんなのやってるんだろうって。
大変だからね、本当に寿司屋って。
しかも13年前くらいからって言ってたから。
昔のさ、なんていうの、
コンプ・アライアンスもない時代だから。
そう。でもそれは野球部だったから耐えられたんだって。
その野球部もすごい厳しいじゃん、先輩言うと。
どっちも無理なのか。
いや、無理だよ、右仲間。
無理無理。
無理だよ。
で、でもそうやって耐えて、
でも6年目で、なんかすごいちょっと本気で頑張ろうって思えて、
銀座の寿司屋さんに行ったんだ。
北海道から銀座に。
行って、まあ多分いい対象に会えたんだよね、多分。
それもあったと思うんだけど、
で、そこでやってたと。
で、まあすごい信頼も得て、対象から信頼も得て、
まあやり切った。
そうだよね、やり切ったってことだよね。
言ってた。
10何年後ね。
で、もうなので、そろそろ北海道に帰ろうかなと。
両親のこともあるし。
じゃあ何しに北海道に帰ろうとしたんですかって聞いたら、
寿司屋を辞めて運送業者を継ぐっていう。
あの家のね、普通なんか自分でお店出すのかと思った。
そうでしょ、だって銀座の。
素直なんだ、素直っていうか純粋というか。
素直。
でも本当に両親とかその、おじいちゃん、おばあちゃんっていうを大事にしてたんだろうね。
いやすごいよね、銀座のしかも多分結構有名なお寿司屋さんで。
で、なんかまあその時に辞めるって言った時、ギリギリぐらいに、
ちょうどそのホノルルのサントリーの、もちろんサントリーさん日本の大きな会社だけど、
そこの会長さんか社長さんがホノルルでお寿司屋さんをやってるんだけど、
なかなかちょっとうまくいかないから、1ヶ月だけメニューの見直しとか教育に来てほしいって言って、
それで彼に話が行ったんだよね、大正の前で。
運送屋の時に。
運送屋の前に、辞める前に、1回行ったの。
だけどもうあと1ヶ月で辞めて、運送屋さんもう継んでって言って断ったのって。
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で、1回辞めて北海道に戻って運送屋さんをね、手伝い。
やってたと。
そう、始めたぐらいにまたその1ヶ月後ぐらいに連絡が来て、どうしてもお願いできないかって。
で、それが大正がやってみたらって言ったから、僕は大正を信じてたから、大正がそこまで言ってくださるんだったらって言うので、
で、お父さんたちにも言ったんだって。
そしたらお父さんたちも、そんな海外でお寿司屋さんをね、手伝いを握れたりとか教えたりするっていうのが、
そんな経験はないから行っておいでっていうことで、
まずは1ヶ月っていうことで、ホヌルルに来たのがきっかけ。
で、そこからもう本当に大人気になっちゃって。
今の海外の方たちっていうのは、本物の日本のお寿司を知っている人も多いから、
だから、そういうトラディショナルな日本のお寿司の握り方や、それだけじゃなく全てじゃない?
皿洗いとかさ、一つ一つ物を置くとか、そういうのにも全てに意味があるっていうのも全部わかる人がわかってくるわけ。
魚とかも日本人より詳しい。
お皿もね、素敵だったしね。
そうやって知っているお客さんたちの信頼をたくさん得て、
で、なんかもうあと2年延ばしていらっしゃったっていうのがきっかけだったんだけど、
もっとそこでまた感動した話があるんだよ。
おじいちゃん。
あのおじいちゃんが、おばあちゃんから後から聞いた話らしいんだけど、
おじいちゃんはその13年前に野球なんかやめて寿司屋になれって言ったものの、
何度もずっと心配してたんだって。口には絶対出さないけど。
で、ずっと孫のことを心配して。
で、お給料はいくらもらってんだって。6年か7年経った時に。
これぐらいだったら、それしかもらえないのかって。
その年でってなって、
なんかそれもあって、自分に責任を感じてたらしいのね。
でもすごい孫のことが大好きで大切で、
でも直接は絶対言わないけど、ずっと心配していたんだけど、
病気になられて、入院されてて、
で、看護師さんから、もうちょっと3日間ご飯がもう食べれない、食べないんですって。
ただ、お孫さんが握ったお寿司が食べたいって言うんですって。
だから私たちは許可させていただくので、握ってきてもらえませんかって電話が来たんだって。
それで、大将がお寿司を10貫ぐらい握って持ってったら、全部食べたの。
食べてないのにご飯。
食べれるもの体じゃなくなってたんだけど、
それでも食べたの?
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食べたんだって。全部食べて、その後亡くなられたんだって。
で、亡くなってからすぐ、そのホノルルの3鳥の話が来たから、きっとおじいちゃんが助けてくれたんだなって。
ということで、初めてその時に13年以上経って、
お父さんもお母さんも、そのお孫さんも大将も、
おじいちゃんの本当の偉大さ、あの人やっぱり本当にすごかったんだねっていうことで、気づいたんですよねっていう話。
いい話だね。
いい話だったでしょ。
いい話もあり、美味しいこともあり、気持ちの良い場所でもあり、素晴らしかったね。
素晴らしかった。
また行きたいね。
ちょっと高価だったけどね。
だけどなんかそれ以上のすごいエネルギーチャージというか、
なんかそれを頂いたような素晴らしい豊かな、なんか一つのなんかね、勉強会に行ったような。
本当本当。でもね、これからの活動もどうなるのか楽しみだね。
そうだね、そうだね。
また変化があるかもしれない。
まだお若いしね。30代だったね。
言ってたよね。
というハワイのお寿司体験でした。
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