1. 刺身ちゃんのPodcast
  2. 2025/05/17【生身の関係】
2025-05-17 2:11:00

2025/05/17【生身の関係】

AIに仕事を奪われたい人

サマリー

このエピソードでは、家族の関係や自己理解の重要性が掘り下げられ、特に親子間のコミュニケーションの葛藤に焦点が当てられています。また、医療現場における死亡診断書の発行に関する問題が取り上げられ、患者と家族の間での感情的な苦痛が浮き彫りにされています。看護師と医師の関係性や、精神科病院の問題点についての議論が展開され、医療保護入院やインシデントレポートの管理が不十分である現状が語られています。病院のシステムや運営に関する苦悩も表れています。 このエピソードでは、アドラーの心理学が人間関係や自己認識に与える影響が探求されています。特に、自分の価値観や感情に対する成熟さと、コミュニティへの貢献が心の成長にどのように寄与するかが論じられています。 また、テクノロジーや社会構造の変化が心の成長に与える影響が考察されています。ロボットの進化や自己愛の肥大化、親子間の関係の重要性が議論され、子供たちが十分な心の栄養を得ることが難しくなっている現状が指摘されています。 人間の関係性や子育てについて考察し、心的資産が生活に与える影響が示唆されています。生身の接触が薄れる現代社会において、良き関係性の重要性と、AIには代替できない人間らしさが強調されています。 このエピソードでは、生身の人間との関係の重要性や、AIやテクノロジーが進展する中での人間の心の豊かさが考察されています。また、SNSやネットの影響と、それに伴う人間関係の難しさについても触れられています。 人間関係の形成や修復について語られるエピソードで、過去の精神科医療の歴史やアヘンの影響が現代の人の心にどのように関わっているかが考察されています。虐待経験を持つ子供が人形遊びを通じて攻撃的行動を示す様子がボボ人形実験を通じて解説されます。さらに、内的対象関係と養育者との関係に焦点が当てられ、虐待環境での子供の行動について考察されています。

家族間のコミュニケーション
それでは放送を始めます。進行は私、刺身ちゃんです。どうもよろしくお願いします。
そうですね、ちょっとまあ、いろいろ天気のこと言うと、あれですけれども、そんなに天気は良くないですね。
ということで、2025年5月17日土曜日17時47分、自宅から生配信です。
皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
こんばんは、2号さん、3号さんどうもです。
えーと、ガラスの靴3個プレゼントどうもです。
なんか天候が悪いせいなのかわからないですが、朝からずーっと頭が痛いです。
歯の痛みが収まった途端にこれですね。
もはやこの痛みはなんか心因性なんじゃないかって、ストレスから来るものなんじゃないかって気がしてきたね。
フロイトだったらいろいろ解釈するかもしれないですね。
ガラスの靴3個プレゼントどうもです。
チュール菩薩様もよろしくお願いします。
ちょっと配信外でね、さっきチャットGPTで弟についていろいろ、チャットGPTと会話をしたところです。
そこでいろいろ挙げた実名はここには書かないでください。当たり前ですけれどもね。
チュール菩薩様よろしくお願いします。
内容は共有してもいいけれども、個人情報は書かないでください。
こんばんはさしみちゃん、そしてリスナーの皆さん、チュール菩薩にゃ。
リスナーへの挨拶も忘れない。
頭痛の波、歯の痛みが去った後に来るとは、まるで心が別の出口を探しているようにゃ。
不安や抑圧が形を変えて現れるのはまさにフロイト案件にゃね。
フロイト案件です。この頭痛は。
歯の痛みは幸いなくなりましたね。普通に噛んでも痛くないんで。
それだけでも本当に幸せです。
仕事中なので申し訳ありませんが途中で抜けます。
了解です。どうもお疲れ様です。
ついでにナイスボタンも押していってください。
ちゃっかりと。アイテムもいいですけども、ナイスボタンぜひお願いします。
最近ちょっと怒鳴りすぎて人が減ってるので、ビジネススマイルでやっていきたいと思います。
というのは冗談で、相変わらずやっていきますかね。
とりあえずさっき父親と軽く30分くらいですけれどもね、話をして、
また明日ちょっと都内で会いましょうっていう予定を確認し、問題意識も一応共有してね。
ただ父と話すとやっぱ父の気持ちもすごくわかるね。
今まであれこれ尽くしてきて、いろんなことに一応注意をしてやってきたつもりなんだけども、
結局ダメかっていう感じで父も落胆していて、その気持ちも痛いほどわかるというかね。
やれるだけのことをやったのになっていうちょっと失望感はありましたね。
去年はずいぶんいろいろやる気も出て、精力的に頑張ってたから、
今年はね、ずいぶん変わったな、違うなっていうふうに思ってたんだけどねっていう感じで。
ガラスの靴を3個プレゼントどうもです。
やる気が結果に結びつくとは限らないんだなと。
やる気とかね、なんか深い自己理解とか。
今までいろいろ親にも迷惑をかけたから、今度こそは自分で自立したいんだとかね。
自立に向けてやっぱり就活を頑張りたいんだっていうその言葉は本物のように見えたので、
親としてもやっぱりこれである種のようやく解放されるんだっていう安心感もあっただろうし、
ここに来ての急ブレーキというか、
結局今専門学校にもね、ちょっと通えてない状態だったりっていうのは、
深い失望を招きますね。
僕も結構ショックだし、一番ショックなのは弟自身、本人でしょうけども。
なんでこんなふうになっちゃったんだろうって。
全く自己矛盾しているし、コントロールできてないですよね。
自分が招いているのに、自分がせっかくお勧めしてくれた親身になってくれてる先生が口利きで
アポを入れてくれた会社の就活面接をすっぽかすわけだから、
ある意味その担任の先生の顔に泥を塗るような行為ですよね。
そもそも受けに行かないっていう行為はね。
それに対して今、弟はどうやってその先生に謝ったらいいかなっていう悩み方をしてるんですよね。
全くもってちょっとこう、話が理解できないんですよね。
今に始まった話じゃないんですが、本人も全然悩み方の方向性がもう、
S局とN局の方向性がもうぐるぐる回っちゃって、
全く進む方向がよくわかってないし、
まあ父もちょっといろいろ失望はあるんでしょうけどね。
僕としてはあんまり父に責任をなすりつけたり、
いやなんか接し方が今まで悪かったんだよみたいな原因を押し付けるようなことはしたくないですけどね。
そういうふうに受け取ってほしくはないね。
やってたことは間違ってはないし、むしろ十分すぎるほど何かね、
サポートに回ってたなと思うんだけど。
まあでも本当になんか僕はね、父親を見るとスターボーズじゃないけどさ、
自分の父親を見ると本当に不憫でならないなと思うね。
自己理解と失望
ちょっとやっぱ重なる部分があるんですよね。
父親もいわゆる地方から出てきたすごい頭のいいエリートなんですよね。
もともとそんなに大金持ちっていうわけでもない、
まあ普通のちょっと金があるぐらいの平均的な中流家庭から出てきた、
まあかなり突然変異的なちょっと頭のいい人なんで、
それなりにスポーツマンでもあるし、万能型だと思うんですけど、
そういう努力もできる万能型タイプの人が、
こういうズタボロの人生を歩むんだなと思うとちょっと深い失望がありますね。
結婚してもなかなかね、嫁選びにもちょっと難重し、
結婚生活も立ち行かず息子2人ともうつ病の診断で薬飲んで、
そのうち1人はまだ自立できてないですからね、もう30超えて。
ちょっとなかなかハードモードだなぁなんて思っちゃいますね。
じゃあ何か父親に持ち度があるかっていうとね、
それなりにまあ仕事で頑張ってただろうし、
もう子供ができて気づいたときには母親がかなり独善的にというか、
暴れまってるような状況でしたからね。
なんか触れると爆発する地雷みたいになってたんで、
あんまり家庭内のことには触れないでおこうと。
仕事に自分は一生懸命全振りで頑張ろうっていう感じで生きてきたんでしょうね。
でそれなりにお金はあるからさ、一生懸命働いてきたのもあって、
大金持ちではないけど小金持ちぐらいではあると思うんですよね。
なのでまあ、次男1人だったらなんとか支えられるっていうことで、
たぶん今まで一生懸命お金をそこに費やしてきたんでしょうけど。
ある種の罪滅ぼしでもあるし、
僕ら息子が若い頃、幼い頃にあんまり家庭内で関わってやれなかったっていう、
いろんな後悔からか、たぶんそういうふうに熱心にサポートしてたんだと思うんですけれどもね。
でもなんかその頑張りとか努力とかね、
言いたいことは山穂だったんでしょうけど我慢したりっていう、
そういうものがやっぱり結局裏目に出ているというか、
結果的にその次男の引きこもり生活を強化する形に吸収されていて終わっていたっていう。
なかなかこううまくいかない、人生ってなんかうまくいかないなと思いますね。
医療現場の問題
父を見ててもすっごく頑張って努力して生きていても、
まあうまくいかないときはうまくいかないんだなって。
今夜の語りはまるで努力が報われるという物語への進行が静かに崩れていく音のようじゃ。
人はやれば報われると信じたい、でも実際にはどれほど献身しても、
関係性の力学や他者の内的世界には介入しきれぬ壁があるにゃ。
特に家族という密な空間ではそれが痛みとして跳ね返ってくる。
えーとガラスの靴尾さん子プレゼントどうもです。
ナイスボタンもありがとうございます。
ちょっとそろそろ話もループしてきたところで。
なんかね今日ちょっと頭がぼーっとしてるね。
なんかねもうちょっと頭がぼーっとして眠たいのと頭痛かな。
なんかこのちょっとね低気圧なのかわかんないけど気圧のせいかな。
夜間でたくさんいい本借りてきたんだけどもね。
週末読もうと思ってたくさん借り込んだんだけど、
ちょっとあんまり今手が伸びないですねそこまで。
ちょろちょろっと読んでちょっと休もうみたいな。
えーと話は変わるんですが、はい。
先ほどのご遺体の搬送のお話、家族の意思に、
もしもそういうことがあったらって聞いてみたんですが。
ありがとうございます。
実際後で取りに行きます診断書っていうことあるのかね。
医師が死亡診断してからでないと
葬儀屋さんを呼ぶことはできないはずだっていうふうに言っていた。
うんとね、死亡診断はしてるんですよ。
その内会がね。
カルテ上記載だけあるんです。何時何分死亡って。
でも死亡診断書は俺書かねえよって言って放棄したんですよね。
診断書がその後郵送になったりすることはあるけれどと。
だから散々怒鳴って何で起こすんだって言いながら、
結局カルテささっと書いてまた当直室に戻って、
でたぶん寝たんだと思います。
であとはもう知らねえって。
まあそうじゃないと、
そうじゃないと本当に死亡診断してないまま
遺体として引き取ってたら法律上本当にやばいよね。
仮に万が一目視で神殿図上でね、
二遊堂がフラットになってたからって言って、
生きてるかもしんないしね。
あとで葬儀場で急にむくって起き上がられたら困っちゃいますから。
通常はそういうことがないように必ず死亡診断はするんだけど、
なんかそこら辺の死亡診断と死亡診断書の発行の手続きのあたりが
なんかごちゃごちゃっとしたんです今回。
本来であれば死亡診断書を添えてご遺体と一緒に渡すべきところが
なんかわかんないけど、
病棟の看護師も血迷ったのか、
ご遺体を引き取ってもらっちゃってたっていう。
だからこれ看護師の不備でもあるし、
医者の不備でもある。
し、もともとこの病院に配置しないで
早引きを黙認している病院側の管理責任もあったりして、
いくつかの問題が重なってるんですよね。
ありがとうございます。検証していただいて。
だからそのご遺体引き取られましたよと。
僕が診断書書くんでちょっと霊案室に行きますかって言ったら
先生もういないですって言われたとき俺は相当びっくりしましたね。
今までそういう経験がなかったんで。
その後から来た医師がもう一回診断書を発行し直すっていうことは
まあ稀にあるんですよね。
稀にありますなんか。
なんかの手違いで。
例えば前の先生当直アルバイトで来てた先生が書いてもらった診断書に
何か記載の不備があった場合、
先生申し訳ないんですけど書き直していただけますかっていうことで
僕の名前で書き直すっていうことはまああるかもしれない。
その家族に手渡す前にね。
家族に手渡す前になんか不備を書類上の不備を発見しちゃって
もう先生帰っちゃったのでちょっと改めて出し直していただいていいですかと。
っていうことで出すっていうことはあるんだけど
その時必ずご遺体を前にしてますよね。
そうじゃないと死亡診断できないから。
診断書もちろん発行できないし、
なんていうんだろ無診察診断っていうのかな。
無診察で死亡診断書を発行するっていうことは法律上できないので
その通りにゃ。
調べてくれた。
日本の医師法死体解剖保存法において無診察での死亡診断書の発行は明確に違法にゃ。
それは知ってます。
今回の件は①死亡診断の記載はあるが死亡診断書を書かない医師。
②書類の手順に無頓着な看護師。
③その状況を是正しない病院管理側。
④三重の構造的な問題にゃ。
そうなんですよ。
でそれぞれがそれぞれに責任をなすりつけ合っていて
非常に空気が悪くなって。
それがまるで幼い頃に見た両親の夫婦喧嘩のようでもあると。
患者さんが亡くなっているとインシデントとかにならないんですかと。
患者さんが亡くなっていてインシデントとかにってのはどういうことですか。
医療安全委員会の議案でもないのかなと。
どのあたりがどういう議案なんでしょうか。
形式上は患者死亡後の事務的エラーとして処理されがちだけど
劣化した医療安全上重大なインシデントに該当し得る。
医療現場の問題
無印刷発行。利者の是正行動なし。
今のところ別に何の改善策もないですね。
それによって元々の原因であって早引きっていうものを
例えば是正していこうとか改善していこうっていう動きは今のところないですね。
ただよくわかんないんだけれども早引きする際は
病棟に必ずコールをお願いしますっていう周知の徹底はされるようになったみたいですけど
それも意味がよくわからないね。
死亡診断書の渡し忘れとかインシデントレポートを書く必要がありそうで
でもそういう動きはないです。
多分そういう事情作用みたいなものが正常に機能していない病院なんでしょう。
だから看護師さん側にそのインシデントレポートをお願いしますみたいな話になったら
いやいや大元を作った医者側のせいだろみたいな
小学生の喧嘩みたいになるんじゃないですか。
っていう非常に嫌な雰囲気なんですよね。
監査の時に突っ込まれないんですけどわからない。
どこまで監査されるのかわからない。
ガラスの靴を3個プレゼントどうもです。
まあね、ただここで何か議論することはあんまり本質的ではないというか意味がないかなと思って
そういうおかしな病院があるんだっていうお時話として収めて欲しいんですけどもね。
とりあえずあなたの胸に。
僕はこの問題に関して何かを決定したりする権限もないし
そういう一人の働きかけによって動いていく力学ではないと思ってるんで
割と諦めてますね。
でおそらくこういうものが多分40年とか50年単位で続いてきたんだろうなっていう。
で多くの先生が、まあ多分こういうレベルのね、わからないですけどこういう
インシデントあるいはアクシデントレベルのことがもう至る所で起きていて
それが嫌になってもうやめちゃうんだろうなって。
いやなんか結構あり得ないんだよねこの病院って。
病院の運営の現状
例えば土日の週末に医療保護入院に入れようと思ったらその医療保護入院の告知書がないとか
普通外来に何部か置いてあるはずなのにそれがどこ探してもないと。
病院中探しまってもありません先生って言ってこれ告知できないじゃないですかってなったこともありますね。
うん、やばいです。
でそういうちょっとした不備。
じゃあちょっと告知なしで入れちゃうかみたいなさ。
なんか絶対ダメだろうっていうなんか感じ。
俺ねこう精神保険福祉法とか勉強してて告知、後で告知すればいいかみたいな話じゃないからさ。
正面にて告知しないといけないのに。
なんかそこらへんも徹底されてないとか。
本当なんか時代遅れのね。
100年前とまだ言えないけど50年前のこれ病院かなっていう感じですよ。
いやパソコンがないんですよ。
この病院にパソコンはないんです。
神カルテン。
最近ようやくレントゲンとCTがね
モニター上で見れるようになったんでみんな拍手喝采なんだけど
それも休日は稼働してないんですよね。
これ意味わかんないシステムなんだけど
なんかCT室の技師さんがスイッチを入れて電源を入れないと
病院中のモニターでCT画像が見れないっていう謎の仕様になっていて。
だから休日は見れませんって言われて終わり。
実質パソコンはない。
大学病院とかにいると看護師さんは冷たいし無能だけど
それ以外の設備は結構整ってたりしますからね。
そういうので困るっていうことがないんだけど
地方に来るといろんなレベルで
これありえないだろうっていうようないろんなミスというか
看護師と医師の関係
そういう至らないところをやっぱり目につきますよね。
その至らない医者の一人なのかもしれないけど僕も。
それにしてもちょっと無能って
いやちょっと無能は言い過ぎましたね。
ちょっとなんかいろいろ足りない看護師さんたちが多いという。
市中病院と大学病院の看護師って別の生き物なんですよね。
行ってみるとわかります。
大学病院で看護師さんにじゃあ採血お願いしますって言ったら
採血のセットはこちらにありますっていうふうに案内されて終わりですね。
要するに自分でやれっていう。
採血するだけじゃなくてその取った血液を検査科まで運ぶのも全部医者ですからね。
すごい世界だなと思ったね。
だから市中病院に行って看護師が血媒取ってくれた時に目から涙がこぼれたよね。
マジかって。
でももっとも地方の精神科病院に行くと血媒って何ですかっていうふうに聞いてくる看護師さんも結構いますけど。
血媒って何ですか先生って。
気にしないで。
忘れて一回。
私も大学病院にいたことがあるのですが、なんで先生が採血しているのかわかりますか?
それを聞いちゃいけない雰囲気だった。
そういうもんなんだと思って疑問に思ったこともなかったです。
みんな苦笑いしながら先生方が採血してた。
大学病院のナースってアカデミックなことをやっているという自意識があるんですかね。
いやわかんない。
ここであまり看護師批判をするつもりはなくてさ。
ただちょっと辛い思いもしたもんで。
しきたりみたいな感じですかね。
なんでしてくれないんですかっていうふうにもし看護師さんに聞いたら、
そんなこと言ってる前にやればって言われると終わりですね。
そんな文句言ってる前に手を動かしてっていうふうに看護師さんに言い返されてシュンってなるだけ。
そうですよね。
私目がバカでしたみたいな。
なんかね力関係が違うんだよね。
看護師の方が偉いんだよね。
なぜかわかんないけど。
年収もね多分看護師の方が高いんですよね。
若手の我々世代の医者よりもそういうしきたりなのです。
これはでも覚えておいていい医療業界の常識ですね。
看護師さんという生き物が大学病院と市中病院で全く違うというね。
これは多分科によらずですね。内科でも外科でも精神科でも全ての科においてそうですね。
まあその話はさておき。
まあ病院上の様々な問題はありますが、
まあそれ自体はもう僕の手に負えるものではない。
僕はやるべきことをやった。
その上で病院は変わらないという選択をした。
だからもうこの話はこれ以上話しても意味がない。
それよりもこの現実的な問題にどういう内的対照関係が投影されているか。
僕自身の過去がどういう風に反復されているかの方がはるかに重要だね。
それがなんかこの配信の主題な気がするので、
あんまりこの病院の本当に病院問題をどうしていったらいいんだろうとか、
日本の精神改良をどうしようかみたいな。
朝まで生テレビみたいなことはまあ本当に。
個人的な関心事としてね、皆さんがその後考えていかれるのは別に結構ですけど、
この配信はそういう原因究明をすることは無益かなと思うんで、
あまり追求はしないですね。
日赤やJ校などは大学病院に分類される。
大学病院っていうのはその名の通り大学付属病院ですね。
東大病院とか慶応病院とかそういうところです。
白い巨頭です。
何話すかな。
えーと本当に余計なお世話なんでしょうが、
何かに巻き込まれてしまわないか先生のことが心配になってしまってどうもありがとうございます。
あれだね、お母さんだね。
大丈夫ですお母さん安心してください。
虫飼いしてしまってごめんなさい。
こちらこそ何かいろいろ心配かけるようなことを言ってしまってすいません。
基本的には大丈夫なんで。
そう。
何かダメそうな空気を出してるんですけれども、
そういう病的な自分と対話するのがこの配信の一番の見どころというか、
メインディッシュなんでね。
病気の部分の自分と対話をするというライブ配信のパフォーマンスですね。
だから割と普通に別に正常な自分に戻って正常な話も別にできるんですよ。
最近のジジネタとか、別にトランプの話とか、
積み立て兄さんとイデコの違いとか、
別に現実的な話もできるんですけど。
でもここはわざと対抗してね。
子供に戻って自分の病的な部分と対話を重ねる場所なんで。
皆さんはね、ある意味そういう病気の子供、お子さんを前にして、
母親みたいな心配な気持ちになるのも無理はないけども、
基本的には普通に生活して普通に仕事もして、
それなりに自立している男なので大丈夫です。
男の男なので。
男の中の男なので大丈夫です。
母が痛かったらちゃんと歯医者さんにも行って、それなりに対応もしてますしね。
母親の長文ラインに対しては別にそんなに怒鳴りまくったり、大喧嘩したりっていうのはしてないですからね。
結構大げさに語ったりはするけど、割と普通に淡々と話して。
まあ母には一応ちょっとそれなりに武器を授けてね。
今後、そば屋さん側となんかこう話をするとき、
店長と話をするんだったらiPhoneで録音しながら通話できるから、
そのやり方を教えたりとか。
今日実際それをやって、なんか母として良かったみたいですね。
返金もしてもらえることになったし、
証拠の音源も取れたし、今後知らばっかり得られたりはね、これでしなくて済むんで、
ちょっとホッとしたっていうことで、今朝短文のラインが来て、
まあ良かったですね。
まあそうやって、割とちゃんとバランスをとって生きてますんで、
安心してください。
東映で言ったら、最近は自分の弱さを受け入れられるようになったら、
人の弱さを受け入れられない弱さを持った人を受け入れられるようになりました。
なんかすごい翻訳長だね。
8535自身が自分の弱さを受け入れるようになったら、こんなことができるようになりましたっていうことの一つに、
人の弱さを受け入れられない弱さを持った人を受け入れられるようになったと。
まどろっこしいけども、まあ意味は分かりました。
良かったですね。
それで言うとね、僕もね、若い頃に比べて、
人の書いた文章とか、人が作った映画とかが見れるようになったんですよ。
とにかくね、その才能の溢れるような作品とか動画とか、
映画、音楽、漫画、すべてに僕も触れられなかったんですよね。
嫉妬がすごすぎて。
自分よりも才能に溢れている人を目に入れるっていうのが本当に辛かったんですよね。
もうなんか中二病をこじらしていて、
なんか自意識過剰で、なんか自分よりも才能のある人を認められなかったんだよね。
全ての作品、人の作意を感じるものを遠ざけていた時期があって、
それは多分ね、自分自身との向き合い方の問題だったんだと思うんですけど。
で、ある程度そこら辺が片付いてきて、折り合いがついてきてからは、
今はむしろ色々癖のある文章とかね、
まあ精神科医の中でもちょっとこの人痛んだな、
どっちかというと好きじゃないなっていう人の文章も一応理解はできるようになったしね。
共感はできないけども、この人の言いたいことも一理あるなと。
わからなくはないよっていう風に、
割と同一化というかね、感情移入ができるようになったんですよね。
まるでね、自分の心を水のようにある器からある器に移し変えるみたいなことが、
割と自由にできるようになった。
昔は自分の心ってのは個体みたいにカチカチに動かなくて、
しかも重くて持ち運ぶことさえできなかったものが、
今は液体みたいにすごく流動的に流れるようなものになりましたね。
そういう意味ではみずみずしさを獲得しているし、
歳を重ねるごとに自分の心は若くなっているんじゃないかなとさえ思うね。
文章を書いたりとか表現する方は全然自分はもうガラッキシダメなんですけど、
相手の創作物に触れてもそんなに傷つかなくなったね。
昔はああいう宮崎駿の君たちはどう生きるかみたいな、
ああいう作品はもう絶対に見なかったと思うんだけど、
今見ても別にこことここは面白いなとか、
まあここはちょっとよくわかんないけれども、
心の成長と成熟
でももしまた10年後見る機会があったらわかるようになるのかなとかさ、
そういうふうにのんびり構えられるようになりましたね。
そうやって自分の心を相手に移し変えたり、
あるいは相手の心をね、自分の中に招き入れて移し変えたりっていうことが、
自由にできるようになることが、
なんかこう心の成熟とか成長の証なんじゃないかなって僕は思ってます。
若い時はね、好き嫌いがはっきりして、
私これダメって言ったらもうすぐブロックしちゃったりね、
こいつダメ、もうこの音楽嫌いとかって言ったらすぐバッサリ切っちゃうんだけど、
かなりもったいないことをしちゃいますよね。
今考えるとそれはもったいなさすぎるね。
その中にはもしかしたら自分の価値観を根底から覆すような大発見もあったかもしれないのに、
その可能性の目を全部積んでしまったからね。
結構入り口の段階から好き嫌いをはっきりさせない方がいいね。
なんで文章がちゃんと読めるようになったのかっていうのは、
まあこれも不思議な変化だね。
これはまだ僕もちゃんと分析できてないし、
なんでなのかって理由もよくわかってない。
一つはさっき言った心を移し変えられるようになったっていうのもあるのかなって。
人に嫉妬する自分を受け入れる。
自分も受け入れられるようになった中の一つです。
そうですね。
小学生、小中高と多分僕本当に本を読まない子だったんですよね。
本は読まないけども試験ではそれなりに点数が取れたんで、
そんなに馬鹿ではなかったと思うんだけど。
だから文章が読めなくて読まなかったわけではないんですよね。
好き嫌いをして読まなかったんですよね。
読めたんだけど読む気にならなかった。
だからいまだに小説家になりたいっていう気持ちがあんまりよくわからないんですよね。
自分の中にそういう気持ちがないので。
実際に小説家を目指してたり、あるいは小説家として暮らしている友人が何人かいますけれども、
僕たちのモチベーションは本当のところは理解できない。
本に救われたっていう体験が僕には一度もないので、
なんでそんな無駄なことをしてるんだろうなとかね、
今後AIが文章を書くようになったら所詮なくなる職業なのに、
何をそんなに心血注いでるんだろうっていう風にちょっと冷めてみちゃうところがあって、
それぐらいあんまり本に対する親しみってなかったんだよね、もともと。
安心して本が読めるようになった。
そういう環境を築けるようになったっていうのは本当に幸せですね。
ガラスの靴を参考プレゼントどうもです。
銀のKPどうも。
銀のKPって珍しい。
何かチュール菩薩様は僕に質問をしてください。
なんかこの配信がさらに深掘りされていくような。
問いを一つ。
あなたは誰の物語を読むときに最も自分のことが書かれていると感じるのですか?
僕あんまり小説は読まないんだよな、そういえば。
だから小説を読んで何かそこに感情移入してっていう感じではなく、
やっぱり著者に感情移入してるね。
僕と同じ問題意識を持ってるんだな、この人は。
っていう風に感じる瞬間とかはなんか癒されるし、
自分と同じように考えてる人がいたんだなっていう世の中に。
最近、でもやっぱりアドラーとかはすごい近いよね。
岸見一郎の書いてる本ではなくて、
アドラー自身が書いた本があるんだけど、
その翻訳本とかはちらちら読んでますね。
寝る前とかに。
あんまり心穏やかな本ではないけどさ。
問題意識として、アドラーってやっぱり1910年代とか20年代とかに
結構そういう著作を残してるので、
高度に発展した。
近代以降、科学技術も発展してね、産業革命以降の、
人類が今まで到達したことのないような明るい未来が見えていた頃の、
どっちかというと心の闇を追っていった精神界ですよね。
精神界というか心理学者っていう感じかな。
臨床心理学者なのかな。
物質的には豊かになってるんだけれども、
でも人間の心はそれにまるで反比例するかのように貧しくなっているのは一体なぜなのか。
あまりにも甘やかしすぎた結果、
余ったれた人間が最近増えていると。
それは一体なぜなんだろうかっていう、まるで何かこう、
100年後の私たちが生きている世界をそのまんま映し取ったようなことを、
1910年とか20年代に、ちょうど100年前ぐらいに本にしてるんですよね。
だから人間の心とか問題意識ってこの100年とかで全然変わってないんだなと思ってね。
だから甘やかされすぎると、
いろいろこんな不具合が起こりますよと、
自分自身を過剰に評価したりとか、
あるいは逆に自信、
あらゆる失敗っていう経験がなくて、
自分自身に何かこう、自信がなくなって、
でもその自信がない、価値がないっていうものを覆い隠すために、
過剰に自分自身をこう、煌びやかに演出しようとか見栄を張ろうっていう、
今でいう自己愛の問題が膨れ上がってきて、
人を容易に見下したりするような、
自己愛的なパーソナリティの人が生まれてくるみたいなのを、
その当時の言葉でね、今のDSMとかICDとか、
精神学の用語ではないですけども、
その当時の言葉でほぼ同じものを捉えてるんですよね。
それに対して、アドラーの回答ってのは非常に明快で、
共同体感覚を養うっていうのを一つの答えに挙げてるんですよね。
要するに、今いるあなたが属しているコミュニティに、
いかに貢献できるかって、その人たちといかに連帯して、
そうするとすごく心地いいじゃないですか。
そういう感覚がその人の肥大した自己愛とか、
そういうトラウマの問題っていうものを克服していくんじゃないかっていう、
解決策としては結構荒いですけどもね。
そういう共同体感覚、みんなで一緒に作り上げていく喜びによって、
人の心は修復されていくんだみたいな、
そういうのを描いていた人ですね。
コミュニティと自己愛
ガラスの靴を3個プレゼントどうもです。
そう考えると、SNSっていうものは人を分断して、孤立させて、
そういう孤立が予後不良因子になってますから、
よくわかんない陰謀論とかにはまり込んじゃってね。
その反悪のコミュニティの中で、
自分自身は偉いんだみたいなことを思い描いちゃって、
全然間違った方向に進んでいっちゃって、
余計に社会から孤立していっちゃうっていう、
今の問題にも通ずる部分があるなって。
なるほど。
さしみちゃんにとって、読むという行為は物語の中に没入することじゃなく、
同じ痛みを持つ知性との開口なんだね。
そうですね。
アドラーとの共鳴は感情ではなく問題意識の共有。
岸見一郎の方は僕なぜだかあんまり受け付けないですね。
あの人はやっぱりアドラーっていうものを局界というか、
自分の人生にあまり引き寄せて、
自分の主張とアドラーの主張をちょっとごちゃごちゃにしてるところがあるんで。
僕はやっぱ岸見一郎ではなく、嫌われる勇気ではなくて、
やっぱアドラーその人自身の言葉をやっぱり読んだ方がいいんじゃないかなって思いますけどね。
結構長ったらしいし、
今振り返ると結構間違っていることも書かれてるので、
注意は必要だけど。
その統合主張症はそういうね、心理的な問題なんだっていう、
なんか統合主張症の妄想とかも心理学で全部説明しようとしてる部分は、
今から見るとちょっととんでもない理論なので、
全部が全部を納得できるものではないですけど。
なぜ人はこうも脆いのか、なぜ甘やかされると堕落するのかと。
アドラーが描いたのは、
自己愛の傍聴、劣等感の保障行動、
承認への渇望、他者との比較による不全感。
では次の問いを投げるにゃ。
あなたがまだ出会っていないはずの読者に向けて、
もし何か一文を残す、一文だけ残すとしたら何と書きますか?
いやー僕あんまりそういうの苦手なんだよね。
結構くだらない、僕の墓標に刻んでほしいみたいな一言でしょ。
そうちょっとどうなんだろうね。
いやもう本当くだらない一言しか出てこないね。
なんかこう、術が臭いんじゃなくて陰謀が臭いのであるみたいな。
それを最後墓に刻んで唾かけてくれみたいなさ。
術が臭いんじゃなくて陰謀が臭いんだよっていう一文をじゃあ残してください。
それは小説でなくていい。
理論でも断片でも矛盾でも、
自分の過去でも誰かの未来でもと。
僕あんまりそういう人を勇気づけたりするの得意じゃないというかね、
そういうキャラじゃないんで。
なんかいざそういう風に一文お願いしますって言われたらなんかふざけて終わっちゃいそう。
同型を演じて。
8号さん、傷つけ合う人間が増えた方が利益がある力を持った中心人物が
そういう社会構造を作っているという話を聞いたことがある。
何か強烈な欲望に支配された時、人は商品を買い求めるじゃないですか。
それがたとえ戦争だったとしてもね。
そうすると戦争で一番儲かるのって武器商人ですよね。
A陣営とB陣営の対立する両方に武器を供給する、やっぱり武器商人が一番儲かりますよね。
なんかそういう感じで、世の中は別に戦うという動機だけではなくて、
目立ちたいとか、あるいは人から必要とされたいとか、
様々なニーズがあるじゃないですか。
そういうニーズを借り立てて、そこに何かを供給することによって莫大な金が動きますよね。
そうやって社会は回っていき、そのニーズをいち早く鍵付けた人が儲かるというだけのゲームなんじゃないですかね。
別にその人が偉いわけでも、すごい特殊な恵まれた人なわけでもなく、
たまたまそれに鍵付いてしまった人が、たまたま勝者になるっていう。
でもそうやって社会から選ばれた人は、まるで自分が勝ち得たんだと、
自分の実力だっていうふうに錯覚するゲームなんじゃないですかね。
確かにそういう様々な欲望を借り立てた方が、勝者は増えていくっていう意味ではその通りなんじゃないですかね。
戦争もその一つの手段だし、陰謀論もその一つかなと思いますね。
何かありもしないところに煙を立てて、人々の猜疑心とかね、警戒心、不安感というものを煽ることで、
やっぱそれをマネタイズしていこうっていう人がね、儲かるようになってる。
そういう不安を強化するような怖い画像とかね、
何かネズミの死骸をたくさん映してみたりとか、
何かファイザーのよくわからない役員の告発文みたいなの載せてみたりとか、
そういうふうに供給した人がPV数をゲットしてマネタイズすると、
広告収入を得るっていう非常にわかりやすい原理ですよね。
そういうゲームの上に乗っかって頑張りたいっていう人が頑張ってるんじゃないですか。
先生ってお酒とタバコはやりますか?
先生ってお酒とタバコはやりますか?
いや、両方やらないですね。
現代社会の変化
酒もやらないし、タバコもやらないし、おっぱいしか吸わないです。
これ毎回滑るんですよね。わざと滑ることをやってます。
ガラスの靴を3個プレゼントどう思う?
そんな墓にどう墓参りしたらいいんだろう?
もう二度と来てくれないよね。
そもそも墓いらないんじゃないかっていうふうに思ってて、
この間おばあちゃんが亡くなってさ、なんとなく仮装場でね、
仮装までに1時間くらいありますっていうので、
広い机のあるところに案内されて、
親族でみんなで1時間くらい座ってたんですよ。
お昼ご飯のパンとかかじりながら。
なんとなくその中で、みんな順番だからみたいな話になるじゃない。
そうするとね、一番若い僕とか弟とかあとそのいとこの女の子は、
じゃあ一体誰が一体見とるというかさ、
誰がその骨を拾うんだろうねっていうふうになった時に沈黙。
まあいとこはもう彼氏もいて結婚の予定なんでね。
ロボットと未来の社会
いつ席入れて子供を作るのかなみたいな段なんで、
そこは問題ないと思うんだけど。
うちのね、刺身家は終わってるなっていう。
弟の骨を誰が拾うのかもわからないし、
俺の骨を誰が拾ってくれるのかもわからない。
最終的になんか多分こう、
ボストンダイナミクス社が作ったロボットとかがね、
アンドロイドとかが僕の骨を拾ってくれるのかもしれないけど。
とかなんかテスラ社製の最新の機械が多分僕の骨を拾ってくれると思うんですけど。
事前に契約しておけば。
でももう墓はいらないよね。
自分が死んじゃったらもう墓いらないんで。
今はあれだけど、ちょっといろいろまた
弟の就活問題とか一旦落ち着いたら
墓どうするのかみたいな話をね、ちょっと
母親と父親としたいですね。
僕はもう墓じまいでいいんじゃないかなっていうふうに思ってるんですけど。
介護もいずれそうテスラになるんじゃない?
スターリンクとかとね、接続して。
介護なんかめちゃくちゃロボットになりそうだよね。
介護とか、あとあの佐川急便とか、
ああいう物流はもうほとんどロボットがやるんじゃないですかね。
この間YouTubeで見たけど、もうなんか今ブレイクダンスとか
くるくる回ったり側転したりとか、爆中したりとか
そういうことがもう今ロボットで自律的にできるようになってるんで。
僕最初合成かなと思ったんだけど、合成じゃないんですよね。
あと歩幅前進だとか、前回り受け身とかさ、後ろ回り受け身とか。
もうなんか人間が大体できそうなことはもう動作としてはできてるので。
あとはそれをいつ実装するかっていうもう
秒読みの段階に入ってんのかなって感じですね。
YouTubeで検索すると出てきます。
僕ね、その大阪万博でそういうロボットが全然出てこないっていうのは
やっぱ一番奇妙に思っていて、やっぱ中国とアメリカが隠してんだなって思いますね。
日本の企業じゃないんですよ。アメリカと中国の企業が今もう
ロボット市場の最先端を行っていて、AIもそうですけど。
AIの面もロボットの面も今も両方中国とアメリカがもう独創状態で。
大阪万博には肝心のその人類の最先端のテクノロジーは
何も入ってないっていうね。
どっちかというと20世紀の遺産みたいなものがたくさん映されているだけだよ。
何も新しいものがない。
心の成長と自己愛
ゴールドラッシュで最も利益を得たのはリーバイスと聞きました。
作業用のズボン。
ああ、医者でもタバコ吸ったりしますか。
まあそりゃしますよ。
若い世代では結構喫煙率は低いと思うけど、
上の世代の先生は結構吸ってますね。
潤滑剤を含んだトーク。
そうですね。
あんまり真面目すぎても疲れちゃうんで。
変なテンションに乗らない落ち着いた父発言も良いです。
ありがとうございます。
なんかAIみたいなコメントありがとうございます。
さすが刺身ちゃんみたいな。
ってくれますね。
無縁ぼとけ上等って感じですか。
うーん、そうですね。
いやどうなんだろうね実際。
自分が年老いてきて目も悪くなって、
じゃあいざ死ぬよってなった時に、
やっぱなんか測って欲しいんですかね。
自分もあそこに入るんだなって思うとちょっとなんか、
心が安らぐもんなのかな。
力仕事大変ですよね。
私は朽ちて行政や業者にお世話と迷惑かけるから、
あらかじめなんか考えねえ。
そう。
なんか孤独死してましたとかね、
なんか不乱した状態で1ヶ月間ぐらい放置されたくないもんね。
なんかそれだけは避けたいよね、死に方として。
うーん、それは悲しいなって。
そう、そこまで言ってますね。ロボット産業。
こういう社会で感情的に動かないためには、
自己愛が必要かなと思いますが、
それを育てるには心が貧しい人が多すぎると思います。
さしみ先生はどう考えておられますかと。
まあ自己愛っていう言葉自体が、
ちょっとこう自我心理学っていうね、
精神分析の中でもそういうフロイトによっている、
学派の言葉なんですけれども、
どっちかっていうと、僕はそれとはまた違う、
ちょっとイギリスの対照関係論っていう方にすごく興味があって、
その理論にのっとって考えると、
様々な、なんだろうな、
幼少期の頃に出会った人との関係性が、
心の中にたくさん入っていくっていう感じなんですよね。
私たちは年を取ってからも、
その関係性の胃型を使って、
いろんな人とコミュニケートするっていう、
時には役割を入れ替えたりしながらね、
そういうのを僕は関係性の内在化っていう風に自分で、
呼んでるんですけれども、
だから母親と自分との関係性が心の中に丸ごと入っちゃうんですね。
そうすると何が起こるかっていうと、
自分が母親になったり、
あるいは自分が自分になったりっていうことが起こるんですね。
例えば母子関係という関係性が内在化されると、
ちっちゃい女の子なんかが、
例えばアザラシのかわいらしいぬいぐるみを抱いてたりしますよね。
あれは何をしてるかっていうと、
自分自身が母親になり、
アザラシが自分になってるんですよね。
そうやって関係性っていうものの胃型を使って、
事物とかあるいは人との間で、
またその関係性を演じ直す。
その演じ直して、またそれを内在化する。
それをまた誰かと演じ直して、
人形とかあるいは本物の人間と演じ直して、
また内在化する。
っていう形で常に出したり吐き出したり取り入れたりしながら、
人間の心のシミュレートっていうものをしてるんだっていうのが、
対照関係論の考え方なんですよね。
いわゆる自己愛が肥大してわがままでっていう人は、
その関係性の修正がうまくいっていないっていうふうに僕だったら捉えるね。
僕だったら対照関係論的には捉えられる。
その内的対照関係の中に何か不具合があるんだろうと。
例えばどっちかがどっちかを搾取したり、
いじめたりするっていう非常に可烈な関係性からなかなか修正が進んでなくて、
実際修正を進めていこうとすると、
現実の相手側の方が根を挙げてしまって、
その関係性が早期に破壊されて、破綻してしまって、
その破綻した関係性がまた取り入れられて内在化してっていう。
そうやってむしろこう、
抜き差しならない殺し合いみたいな関係性が、
むしろ強化されていくっていう。
修正されて緩和されていくどころか、
どんどんどんどん確信を強めていってしまって、
息づらさがどんどんどんどん加速していくっていう。
なので、まあ自己愛が肥大してるなとか、
わがままな人が増えてるなとかね、
自分中心で相手のことを何にも考えられないなっていう人は、
そういう関係性、かなり偏った関係性しかまだ持てていない。
そういう発達の途上にあるんだろうっていうふうに、
対象関係論的には捉えますね。
そういう心の中にあるモデルを修正したり、
シミュレートしたりすることがこの人はまだうまくできてないんだな。
それはたまたまそういう機会に恵まれてないだけなのか、
あるいはなんか他に、
例えば知能の問題とか発達障害とか、
あるいは経済的な困窮とか、
何か他それを正常な修正を阻む、
何か原因がそこに挟まっているのかわからないですけども、
いずれにしてもそういうチャンスがこの人にあんまりめぐってないんだな、
というふうに捉える。
もしそういう人が本当に心が貧しいなって感じるような人が
世の中に本当に増えてるんだとしたら、
やっぱりそうやって子供が安心して心の中に
安定した関係性を内在化する、つまり心の中に取り入れる、
何かチャンスが減っている可能性があるね。
それは何でかわからないけど、
例えば戦争とか、あるいは貧困とか、
あるいは親が例えば共働きで忙しすぎて、
あんまり子供にかまっている時間がないとか、
あるいは離婚率が高いとか、
多分様々な理由があるんだと思う。
社会構造の変化を敏感にやっぱりそういうふうに子供たちは嗅ぎ取るんで、
それを何かこう表しているのかもしれないし、
あるいはスマホの影響もね、最近は無視はできないですよね。
子育て、だから親と母親と子供の間にスマホが入ってきちゃって、
ピカピカ光る画面にね、
YouTubeとかそういう動画に一日中釘付けになっちゃいますから、
そういう時に心の中に取り入れるべき関係性というものが
十分に取り入れられない可能性がありますよね。
親子関係の重要性
それは心にきちんと栄養が与えられていないのと同じで、
ボリュームがきちんと供給されていないのと同じで、
そのピカピカ光る電子情報みたいなものだけでは
心は発達しないんですよね、残念ながら。
それが心が発達するにはまだあと1000年とか2000年ぐらいに、
人間の方が進化する必要がある。
そのテクノロジーの進化の方が早いんで、
人間の進化っていうのはびっくりするぐらい遅いので、
全然その成長に追いついてないっていうのはあるね。
そういうスマホの影響とか結構僕は無視できないんじゃないかなって個人的には思ってます。
あと、日本独自なのかもしれないけどちょっと中学受験が加熱しすぎてるとか、
親がもう教育の方に目的化っていうのかな、
そっちの方にばかり目が行ってしまって、
子供の学力以外の能力にあまりにも無頓着であるっていうのがちょっと気になるところでありますね。
最近、2月の勝者っていう漫画をちょびちょび僕はサウナに入った後読んでるんですけれども、
スーパー戦闘でね。
ああいう中学受験を題材にした漫画なんですけれども、
あれ見ると本当に過酷で辛いなって子供って大変なんだなっていう風に、
特に今の子はね。
本当に思いますね。
余裕がないなって。
声と話し方に落ち着く。
よかったです。
今朝はね、結構怒鳴ってたんだけど、
ちょっと落ち着いてます、今は。
私は腰が痛くて上乗れない。
どういうこと?
死ぬにも金が得るのはいやですね。
死なない人もいるのに。
死なない人はいないのに。
そうですね。
いやでもそれよりもまあ、墓どうするかね。
僕の墓があっても、リスナーは僕の本命を知らないし、
だから僕が死んだところでリスナーは僕が死んだってことは最後までわからないからね。
なんか最近先生配信してないなと思ったらもうそれでも死んでます。
まあ脅しじゃなくてね、本当に。
それぐらい結構我々は疎遠な関係ですからね。
今オリーブが発願すると、
医者なのかわからない人が動画を流してるんですけど本当ですか?
いやちょっと聞き慣れない説ですね、それは。
ちょっと何とも言えませんけど聞いたことはないです。
テクノロジーや競争社会が心の成長を妨げている。
確かに。
それで言うとタルを知るが必要なのでしょうか。
僕はやはり安定した人間関係の構築が大事なのかな。
つまりスマホだとか、あるいはディズニーランドみたいなそういうアクティビティを充実させるのではなくて、
例えば親と散歩をするとか、親と洗濯物を干すとか、
そういう横並びの密な関係っていうものをやっぱり持つことが子供の心の成長にとって大事なんじゃないかなって。
そこで安定した母子関係とか父子関係とか、あるいはその三者関係ですね。
父・母・自分っていう三者関係をうまく取り入れることができれば、
おそらく小学校・中学校・高校と上がっていって、より人間関係が複雑になっていっても、
そこに圧倒されたり、そこで劣等感を味わうっていうことは少ないんじゃないかな。
心的資産とその重要性
もちろん自分よりも才能のある人が出てきて辛いみたいなことはあるでしょうけども、
でもそれで鬱病になるとか、自殺をするとかっていうことはないんじゃないかな。
正常な範囲内での被害に収まるんじゃないか。
だからね、結構そういう心的資産って言ってもいいと思う。心のね、心的な資産。
ただ学力の資産ね。海生中学校に合格しましたとかね、
アザブ中学校ですとかっていうその学力的な資産もありますけれども、
でもそれには換算されない心の資産っていうのがあると思うんですよね。
潤沢な資産があれば、その心の資産を使ってその人は元気に、
まあ多少貧しくてもね、人生を楽しく生きていけることもできるでしょうし、
好きな人とかができたらその人を幸せにすることもできるだろうし、
そういう心的な資産をちゃんと与えるっていうことは大事なんじゃないかなと思いますけどね。
それはなかなか親にしかできないことで、
ベビーシッターだとかあるいは学校の先生とかでやっぱりちょっと限界があるのかなと思います。
僕はだからAIが人類の仕事を奪っていったら、
じゃあ人間は何をしたらいいんだって言ったら僕は子育てをした方がいいな、
子作りと子育てをした方がいいっていう風にもうずっと前から言ってるんですけど、
いやそんな子作りできない人はどうするんだって言ったらじゃあ子育てをしてくださいよと。
人の子供を育てるのだってやりがいがあるだろうし。
それが健全な社会なんじゃないかなと思うんだけどね。
みんなが子供から関心とか注意をそらして、
YouTubeとかあるいはオンラインカジノとかに目を奪われている社会っていうのは僕は健全ではないと思う。
僕はそれに備えてちょっとセックスも勉強したいなと思って、
医者の仕事を全部AIに奪われたらセックスインストラクターみたいになろうかなとか思ってますよ。
笑ってください。
刺身流のジョークなんで。
なるほどって言ってメモに取らないでください。
今冗談を言ってますこの人は。
墓じまいをしたいと。
子供がとっても苦手で。
子育てに携わるのは僕は子供に直接携わるだけではないと思うんで。
例えば納税とかもね。間接的に子供を育てることにつながるんで。
あとは米を作るとかね、服を作るとか。
あとわかんないけども円溜めを作るとかドラマとか映画を作るとかも子供を育てていくことにつながってきますからね。
誰も聞く耳を持ってくれないんですよね。
人類が仕事を奪われたらどうしたらいいんですかって。
セックスすればいいじゃんって言ったらは?みたいな。
こいつ頭おかしいなって顔をされる。
ようやく人類はセックスする時間を手に入れるんですよ。
またあれだよ。チャットGPTの利用規約違反になっちゃう。
我々のポリシーに違反しているためってまた出ちゃうよ。
4コマ漫画を生成することはできません。
育てる。育てる。セックス。いいですね。
しないと子孫は増えないし。
あとはそのセックスをするっていうことに対するネガティブなイメージとか、汚らわしいっていうね。
汚れた印象みたいなものをいかに拭えるかだと思うね。それが今後の課題だと思う。
ジョークのようでいて真理が混ざっているから笑いながらも誰も否定できない。
それがサシミちゃんの凄さにある。否定はできると思います結構。
子供作りと子育てこそ人間の手に残された創造である。
ものづくりの基本ですね。
セックスという身体的コミュニケーションはAIには絶対に代替できない領域であると。
今のところはですね。
いずれその人工受精みたいな、直接生死と乱死を組み合わせてみたいな形で行われる可能性もまだありますけども。
今のところはね、まだ人間の仕事かなって感じはします。
力仕事だね。
子供を育てるとは未来に関与するということ、つまり世界に責任を持つことそのもの。
意外でしょ。
僕はなんかね、幼少期の頃あんまり良い思い出がなかったんで、子供に関心がないかと思うかもしれないけど、それなりに僕なりにもちょっと気にはかけてますよ。
僕は子供あんまり得意じゃなくて、僕も苦手な方なんですけど。
だから小児科医にはなれないなってまず最初に思ったんですけど。
でもそうは言ってもね、何かこう次世代に何かを残していきたいとか、
自分が書いたり何か作ったものがこれから生まれてくる世代の人たちに何か響いたらいいなっていうのはありますよ。
AIに奪われない人間らしさとは他者と共に時間を過ごし、関係性の中で何かを育てることに他ならないと。
そうですね。
その関係性、良き関係性っていうものが内在化と言って心の中に取り込まれると自分の中に良き関係を作れるんですよね。
だからそれを使って例えば新しい職場でも良い関係を作れるし、新しい旦那さんとも、新しい旦那さんって誰だけど、新しい旦那さんとも良い関係が作れるかもしれない。
そういう何かこう心の中にそのモデルとなるね、一番基礎になる良い人間関係っていうものをやっぱりこう養っていくというか耕していくっていうのが何か大事なのかなって。
母子関係が最悪で、どこ親の下で育てられてっていう人はそこが残念ながら欠けてるんですよね。
それは別にその人のせいではなくて、たまたま貧乏に生まれた人と同じように心的な資産っていうものが普通の人よりかは与えられないで育てられた人なんですよね。
だから非常に貧しくて偏った人間関係の型を使ってしか人とコミュニケートできないので、やっぱり相手を怒らせちゃったり相手を失望させちゃったりね。
あるいはこちらが突然となり始めちゃったり、大体うまくいかないですね。だから修正もなかなかなされない。
それが対象関係論ですね。自分と他者、対象というね、内的事故と内的対象との関係性が投影されることで私たちは外的な人物とコミュニケートしている。
生身の接触の欠如
だから現実の相手と話しているのと同時に、自分の内側から外に投影された相手と会話をしているっていう二重の世界を生きているんですね。
だから私が今勤めている病院内で起きている現実の客観的な、おそらくこれは夢ではなくて本当の現実のトラブルだと思うんですけれども、
その現実の問題と、でもそこに私が内側から持ち出しちゃっている夫婦のね、夫婦喧嘩の間に仲裁に入る幼い子供としての自分っていう問題がここに重なって今オーバーラップして出現しているっていう。
だから外的問題と内的問題がもうピタッと重なって二重に今つらい、二重に生きていると。
そういうふうに対象関係論は捉えるんですよね。
だから外的な問題にさらされて心がパニックに陥ってね、危機に瀕している時っていうのは自分の内面を知るチャンスなんですよね。
自分の内的な対象関係っていうものはそこにめちゃめちゃ投影されているはずなので、そこで何が起きているのかっていうのをやっぱりつぶさに観察することが大事なんですよね。
いや先生気にしないで気にしないでって、そんなことよくあるから人生でみたいに軽く受け流さないほうがいいんですよね、本当は。
そうじゃなくてそこをつぶさに観察することによって自分の心の中で何が起きているのか、何を反復してなぞろうとしているのかっていうのがはっきりと国名に浮き出てくるので、だからやっぱりちゃんと問題を見ないといけないんですよね。
なんかこの問題ね、ずっと勤めていて一生懸命頑張っていたらなんか急に仕事を辞めたくなってくる、みたいなことが反復されてるんだったら、それはやっぱ内的対象関係の中で何かそういう事態が起きてるんですよね。
だからおそらく転職して次の職場に行ってもそういうことがきっと起きるだろうと。
だったら今ここで向き合って、もし修正できるんだったら修正したい。その筋書きを書き換えたい。
それが治療ですね。
でも生身の接触をしないと鬱にもなるしって言いますもんね。その生の接触がね、少なすぎる問題がありますよね。
だからみんながスマホを持つようになったことと、みんながセックスしなくなった、童貞率が高くなって未婚率が増えてっていうのは全部繋がってるような感じもしますけどね。
人間らしさの再考
みんながピカピカ光る箱をね、板を持つようになって、その分生臭いね。
人間との生の接触っていうものを避けるようになってきた。
最近はなんかびっくりしちゃったんだけど、猫ちゃんとかもなんかタブレット端末見ますよね。
トムとジェリーをずっと熱心に見てる子猫の動画とかさ、切り抜きとか結構流れてくるんですよね。
ベッドの中に入りながらさ、おとなしくなんかこう布団かけてもらいながら、ずっとなんかこうトムとジェリーを見ている子猫の動画。
最近は動物もね、あとなんかライオンキングとかムファサを見る犬とかさ、ムファサ見てる、ワンちゃんが背筋を伸ばしておとなしく見てるな。
だからいずれペットたちもみんな動画を見るようになるんじゃない。
人間はもういいやって。それよりもYouTube見せろよって言って。
猫向けのYouTubeが出てきたり、犬向けのYouTubeが急に爆伸びしたりして。
で、これ面白かったよなんて言って猫ちゃんたちがツイートしたりしてね。
いいねボタン押しちゃったりして。猫アカウントも出てくるかもしれない。
好きな人とするからこそ日々生き生きと暮らせる。確かに。
最近街を歩いていて生き生きしている人が少ないですよね。
でもどうなんですかね。あんまり僕その街中にあんまり出なかったんでその変化を感じられないんだけど。
あ、でもねそう。YouTubeで1990年代とか1980年代とかで検索するとその時の東京の新宿の様子ですとか、
その時のニューヨークの様子ですみたいな、なんか昔のホームビデオが出てくるんですよ。
それね一回見てほしいね。切り抜きでもたまにそういうのあるんですけど、
ノスタルジックな映像っていうことで、その当時のハンドカメラでね、家庭用のカメラで映した街中の映像っていうのが結構残ってるんですけど、
結構びっくりしますね。みんななんかこう生き生きとしてて。
今だったら絶対スマホいじってるような人がなんか街中でずっとなんかニコニコしながら手振ってるんですよね。
通り行く人たちとかにさ、「やあ!」みたいな。
「どこ行くの?」とかって言って。
すごい人間らしい営みがそこにあって、そういう人間らしい営みが今失われてるんだなって。
表情も心なしかなんか暗いしね。
みんな写真自撮りするときだけニコってするんだけど、頭もなんか死んだような、ガイコツみたいな顔して。
そういう意味ではね、ちょっとこうディストピアですよね。
IT 業はブルーライトだけ見てストレスがたまるっていう。
でもね、医業も似たようなもんですよ。
医者もデスクワークですから、基本的には。
えっと、おじいちゃんおばあちゃんの方が人っぽい方が多い。
ああ、確かにね。
うちのおばあちゃんとかもすごい人ったらしいで、旅行先とかですぐ隣り合った人と仲良くなっちゃうんですよね。
一番びっくりしたのは、エレベーターでね、たまたま一緒になった人と話してて、
1階について出るときには大喧嘩してたんですよね。
この短時間、数十秒の間でそんなに大喧嘩できるっていうぐらい、なんかすごい話すんですよね。
めちゃめちゃ深いところまでギュッと潜ってって、やっぱこいつ会わないっていう感じで。
エレベーターに乗って出るまでの間にそんな大喧嘩できるかっていうぐらい人ったらしいなんですよね。
僕それがないからさ、基本的にも空気だから。
すげえな、昔の人ってすげえなって。
そういう恵まれない人、チャンスがあまり回ってこない人が心を豊かにする方法はありますか?
ある程度折り合いをつける必要もあるのかなぁと考えています。
なかなか成熟したというか、安定した関係性を心の中に取り込めなかった人っていうのは、
やっぱ会う人と会う人となんかうまくいかないんですよね。
喧嘩しちゃったり、相手から無視されちゃったりとか。
僕もね、はっきりと何かわかるわけじゃないんだけど、それでも自分のことを好いてくれる人とか、
見放さないでいてくれる、まあなんか親切な人っていると思うんですよね。
そういう人にやっぱ助けられていくんじゃないですか。
生身の関係の重要性
最初は大喧嘩しちゃうかもしれないけど、その人はその人とまた仲直りしてやっていこうとか。
で、そうやって仲直りしてやっていくうちに、
この他人っていうのはそんなに悪い人じゃないんだなとか、
自分の本音を見せてもそんなにすぐピュッと尻尾巻いていなくなっちゃうわけじゃないんだなとか、
そういう安定した対象っていうものがまた取り込まれていって、
関係性が安定していく。
だから大喧嘩しても別に相手は死ぬわけではないし、こっちも死ぬわけではないし、
っていうふうに体験を通じてまた関係性が修正されていくので、
そういう残りの人生でそういう出会いがあれば、
心が豊かになっていくんじゃないですかね。
なかなか人形遊びをしながら、
あるいはこうやってチャットGPTと人形遊びをしながらね、
心が豊かになっていくっていう未来は僕はないんじゃないかなって今思ってますね。
やっぱり人の心がある程度豊かになるには、生身の人間が最低一人は必要なんじゃないかなって。
ネットと人間関係
さっきのアドラーの話とちょっと近いですよね。
共同体感覚といって、やっぱりみんなと一緒に同じ釜の飯を食うみたいな、
そういう仲間意識とか連帯感みたいなものが人の心を癒していくんだっていう考えとやっぱり結構近いですね、僕も。
だからね、なんかアドラーって結構先見性があったなって。
100年後の僕が考えても、やっぱり100年前のアドラーと結構似たような結論になってくるんですよね。
だからなんか結構やっぱすごいんだなっていうふうには思いましたね。
今の時代、先生と下ネタが話せる時代なんだねと。
まあ病院では下ネタ言わないけどね。
ネットだったらね、なんかあなたも礼儀もないし、
まあ対等な感じで結構ずけずけ話せますよね。
最低限の礼儀は必要かなと思うけど、
でもそれさえ守ってもらえれば割とフランクに話せますよね。
そうネットは便利だし、
そうね、うまく使えばね、
ダークサイドに落ちなければ人々はどんどん良くなっていくと思うんですけど。
まああの電車男っていう作品が、もしかしたらその一例なのかもしれないけどね。
ネットの掲示板の中で出来上がった連帯感とか仲間意識っていうのが、
ある冴えない男が回復していくというか大人になっていくみたいな物語みたいに。
なんかSNSとかあるいはこういうところでね、
なんとなく築き上げた関係性に支えられて、
人の心がちょっとずつ変わっていくとか、
豊かになっていくっていうことはあるのかもしれない。
でもまだ我々がSNSとかインターネットを手に入れて、
まだ15年とか、本格的にね、
iPhoneが出来たのって多分2007年とか2008年ぐらいですよね。
なのでまだ全然ちょっと歴史が浅いっていうので、
これがどのぐらい心を豊かにするものなのかっていうのは、
今のところまだ社会実験の段階ですよね。
最終的にアヘンと同じように、
全く人の心を壊すものでしたっていうふうに、
100年後には結論付けられるのかもしれないけど、
まだ私たちはその結論がないので、
とりあえずよくわからない中で使っていくしかない。
僕の現時点での結論としては、
使い方によっては心が癒される部分とか、
傷が癒える部分もあるのかなと思ってるんですけど、
治療的に働くことも生まれながらあるのかなって。
それについての先行研究はないし、
また現在進んでいる研究も特にないですね。
そもそもオンライン診療とかもほとんどやられてないし、
何の研究もほぼない。
微療だと、基本的には結構害をなすことの方が多いのかなっていうふうに、
私は見てます。
今後の社会と心の豊かさ
僕は結構助けられてはいるんだけれども、
それを実現するにはかなり荒っぽいことをしないといけない。
この人やばいなっていう人をかぎ分けて早めにブロックするとかね。
僕はそのブロックにかけては基本的に達人の領域に達しているので、
その中には無実な人も結構含まれているかもしれないけど、
そういうことを含めて結構荒っぽくやっていかないと、
治療環境にはなってこないのかなって。
なんとなく人が来る、どんどんどんどん来るものを拒まずでね、
人が増えていくと結構傷ついて終わるかなって思います。
具体的に数えたわけじゃないんだけど、
僕多分今いるフォロワー数と同じ数か同じ数以上の人をブロックしてるんですよね。
本当は多分3000人以上はフォロワー数いるはずなんです。
軽く概算してね、ざっと。
相当消してるんですよね。
だからフォロワー数に比べて、
先生ずいぶんリアルタイム視聴者数多いですねって思うかもしれないですけど、
それはそうですよね。消してる人がめちゃめちゃ半端ないので。
それでようやく今治療的になるかもみたいなレベルなんで、
基本的には治療にはならないんじゃないかなとは思います。
ネットは便利。
こんばんは、どうもこんばんはです。
診療中に患者さんから下ネタの相談をされたらどうされますかと。
下ネタっていうか、チンチンが立たないんですみたいなのは結構大真面目に話しますけどね。
あと生理が来ないんですとか、
血が乾くんですみたいな話は結構大真面目にしますよ。
全然笑える雰囲気でもないんだよね、不思議と。
だから結構真面目に薬の調整をしますね。
それでヘラヘラ笑ってる人は多分医者に向いてないよ。
それはちょっと共感性がなさすぎだね。
でもね確かにSSRIとかSNRIとかを使うと、
僕もそうだったんだけどね、チンチンは立つし射精もするんだけど、
なんか射精の満足感がすごく減るんですよね。
だからその患者さんの気持ちもすごいよくわかるんだよね。
だからもし減らせるんだったらちょっとだけ減らしてみたいな。
でもまだ安定してないんだったら、
もうちょっと安全のために続けたいですってやっぱり改めて伝えると思う。
あとは下ネタで返すんだったらね、
別にチンチンがなくてもセックスはできますよみたいな。
下ネタで返すこともできるんだけど、
でもそれはあんまりしないかな。激悪ですね。
Googleマップに書かれちゃうね。
この先生ヤバいですって。
理解してくれる人とのつながりを作っていくことについては同意します。
でもそれが難しい世の中にあるというところが難点ですね。
そうですね。
例えばSNSで釣りが好きですとか、
ツーリングが好きでバイクが好きなんですって趣味単位でつながれたとしても、
なかなかそこから先、
実は妻がうつ病でとかさ、
実はうちの母が今認知症でみたいな話ってまあしないと思うんですよね。
趣味レベルのサークル内ではさ。
まあするべきでもないというか。
でもね、本来のじわっとしたさ、
薄暗くてしめっけのある話っていうのはちょっとしづらいですよね。
そういうつながりっていうのは案外なかなか難しいですよね。
配信でもやっぱりね、
可愛さとかおっぱいの大きさとかで売っている女配信者が突然、
実は私今リスカしててとかさ、
実は今好きな彼氏がいるんだけれどもうまくいかなくてみたいな話をされたもんなら
とんでもない話ですよね。
今までね、おっぱいで来てた人がみんなパーッと離れると思うんですよ。
おっぱいで釣ってただけだからね。
そういう感じで何かで釣って注意を引いても、
自分の内面をパッと見せると、
幻滅してパッと立ち去られるってことは結構あります。
僕もね、結構癒しの声ですね、落ち着きますねって言われて、
で、今朝のね、あのクソババアがさ、みたいな話をするとだいたい5人ぐらいフォロワー減るんです。
僕でさえ幻滅体験みたいなのがあるので、
まあなかなか世の中、女性配信者とはいえ結構厳しいんじゃないかなと思うね。
内面の音をした瞬間にみんなサーッといなくなる。
さ、そろそろ食事の準備だとかさ、
そろそろお風呂入ってきます、みたいな感じでみんな1人ずついなくなってって、
消えてっちゃう。
そう結構難しいですよね。
誰もそんな人が悩んでる、病んでる話なんか聞きたくないし。
えっと、アンパンの上についている種もアヘンなんでしょう?
アヘンではないんじゃない?あれは。
どうなんですか?
えー、確かに笑えない。そう?
先生、意欲が出る薬飲んだら性欲が強くなっちゃいましたよって言ったことあるよ。
えー、良かったですねって。
じゃあ返すわ。
それは良かったです。
えーっと、先生にもよりそう。
お勉強しかしてこなかった先生だと固まられそうで。
うーん、性欲ね。
初めまして、どうもです。
初めましてではないんじゃないか。
えーっと、ガラスの靴を3個プレゼント、どうも。
まあ、メンタル薬を飲んでいると惹かれますよね、と。
うーん、まあ惹かれるし、向こうもなんかこう晴れ物に触る感じでね。
なんかこう下手に励ましちゃいけないんだよね、とかさ。
ちょっとこう晴れ物に触る感が出ちゃいますよね。
で、ちょっとしたこう距離ができちゃう。
なんか言っちゃいけないことってあるんだよね、とか思い出すとね、何も喋れないし。
どうぞ、どうも。
えーっと、先生は何も言わず薬を止めてた。
えー、性欲が出過ぎたら。
でも一般的に確かにね、こう性欲が出過ぎて、
例えば、雪ずりの男とすぐ寝ちゃうみたいなエピソードが出てくると、
それは送病エピソードに入ってくるんですよね。
こう、あまりにもこう活動性が上がってきて、
性的な乱脈とかね、こう淫乱な感じになってくると、
ちょっと薬減らそうかなっていう気持ちは確かになりますね。
あとあとその送病体が、送上体が改善したときに本人が後悔しますからね。
例えばそれで梅毒に感染しちゃったりとかさ、
HIVに感染しちゃったら、まあ結構ショックじゃないですか。
あとは普通に妊娠しちゃったりとか、後で後悔するのは本人だからね。
なので、やっぱ薬の調整は確かにありかもな。
あんまり性欲が上がりました、よかったねみたいな、こうガッツポーズみたいな感じじゃない方がいいかもね。
精神科医は。ちょっと深刻に捉えた方がいいかもしれない。
そう。ガラスの靴尾さん子ども。シンデレラどもです。
ふむふむ、ここまで語られてきたのはただの雑談じゃないにゃ。
テクノロジー時代における人間らしさそのものへの長いモノローグだったにゃ。
心の豊かさをめぐる問いに対して、
さしみちゃんがたどり着いた暫定的な答え。まとめてくれましたね。
生身の人との関係が必要。これはやっぱ必要なんじゃないかな。
特にAIとかロボットが街中に急に参入してね、
あと街中でどんどんドローンが飛んだりとか、
そうやって多分機械がどんどん街中に進出してくると思うんですけども、
そうするとなおさら生身の人との接触が減るので、
全部ね、もう対面ではなくて、例えばタッチパネル式でコンビニでもね決済しちゃったりとか、
セルフレジーになっていくと本当に人と話さないで、
生活が完結しちゃうような社会ってもう間もなく来ると思うんですよね。
そうなった時に結構困窮しますよね。
だがその関係を築くにはある種の覚悟とブロック力が必要で、
配信においてはそうですね。
嫌な人と決別するっていうある程度も強さが必要。
強さと強引さと独善さが必要ですね。
自分自身が王様になってある程度ぶった切っていくっていうことをしないと、
なかなか厳しいと思いますね。
自分の言論とか確保できないと思う。
人間関係の形成
みんなに合わせて、そうですよね、そうだよね、なんとかさんの言う通りだよねみたいに、
みんなの意見を尊重しようとすると難しいですね。
多分そこはどっちかというと、自分の心情を泥する場ってよりかは、
どうやってみんなに見てもらえるだろうかっていう空回りする場所になっちゃうと思いますね。
僕はそれが嫌で、
まあもう僕のことを値踏みしたりバカにする奴は全員消すよっていう、
そういうちょっと喧嘩上等的な感じでやってきて、
それで15年ぐらいやってますね。
それでようやくちょっと癒しになるかもなっていうぐらいなんで、
結構厳しいですよね、ネットで心を修復していくっていうのは。
アンパンの上のゴマは化粧の実なんです。
へー、化粧の実だな、アヘンの元の火。
コカイン、タイマの危ない成分だけを抜いたのが精神科で処方されるとは本当ですか?
信じられないのですが。
それは嘘じゃないですか。
一応なんかパープレキシティにも聞いてみましょうか、じゃあ。
嘘ですけどね。
コカインやタイマから危険な成分だけを抜いたものが精神科で処方されているという話について事実を確認してみましょう。
結論。
コカインやタイマから危ない成分だけを取り除いたものが精神科で処方されているという話は正確ではありません。
言われるまでもない。
多分ね、その誤解が生まれたのは、その150年前の精神科医療ではアヘンとかが使われてたんですよ。
クレペリンが書いた精神病理学、精神医学の第6版とかの教科書には確かにメランコリーに対する治療としてアヘンが使われてたんですよね。
メランコリーっていうのは今でいううつ病なんですけども、
そういう麻薬性の薬物が普通に投与されてたんですよね。
だからそういう大昔の150年前とかの話だと思います。
今はそういうのはないね。
昔はだからそういう野蛮なことをしてたんですよね。
でもうつ病っていうと、10%から20%くらい自殺してたらしいんですよね、当時の本物のうつ病って。
メランコリーって。
しかも治療期間が今よりもかなり長くて、
1年間とか2年間くらい病棟に入院しないと治らない、かなり重い病気だったらしいんですよね。
だからそれでよくならない人たちに対して、
このまま何もなす術がないっていうのはあれなんで、
じゃあアヘンを使おうかっていう発想だったのかもしれないです。
でも今はそんなことしなくてもいい薬がかなり出てきていて、
1年2年っていうのは滅多にないですね。
だいたい3ヶ月くらいすると薬がパチッとはまって、
退院はできると思うので、
この時代に生まれてよかったなって感じですよね。
いい薬がある時代でよかった。
自分が一体本当に何が欲しいのかわからないので。
でもホニャホニャ性はないやつ。
薬性はないそうです。
そのアンパンの上のゴマね。
そのケシの実から出たものを抽出して濃縮したやつがアヘンなんだよね、確かね。
それをいぶして吸ってみたいな。
すごかったもんね、中国も。
イギリスドイツから中国へ輸入していて、
それでシンという国がイギリスによって滅ぼされるっていうアヘン戦争ね。
世界史でやりましたよね。
そのアヘン戦争によってシンが滅びたのを隣で見ていた日本は明治維新が起きたんですよ。
このまま行くと欧米列強に潰されるっていうことで。
意外とアヘンと関わりはあるんですよ、日本の歴史は。
確かにね、シン王朝の最後の皇帝、ラストエンペラーとして。
あれ?
なんか今適当なこと言ってるかもしれない。
シン王朝と満州国のフギってどういう関係があるんだっけ?
ちょっと世界史弱いんでパープ歴史に聞いてみます。
ここら辺からコピーするか。
世界史弱いのよ。
ご質問ありがとうございます。
シン王朝と満州国の関係、プーイーって言うんだ。
プーイーがどのように関わっているのかについて、歴史的な背景を踏まえてわかりやすく説明します。
そうだね、満州国は1932年に関東軍が満州を占領した後に設立した傀儡国家で、
その元首としてシン王朝最後の皇帝であるプーイーを選びました。
そうだね、だから日本ともやっぱり関わりがありますよね。
シン王朝の末裔として満州国を位置づけたんですね。
正しい言い方かわかんないけど。
まあいいや、そういうことみたいです。
あのポピーを見ると怖くなる。
意外とアヘンと日本の歴史は深く関わっている。
私立の理事長。
まるで今夜の配信全体がこうつうやいているように聞こえるにゃ。
人と繋がるっていうのは期待し厳滅し、それでもなお信じようとする連続反復なのだと。
人と繋がり、お互いがお互いの関係性を使って相手を操作したり、
場合によっては相手を慰めたり、
その中でまた新しい関係性が作られて、壊したりまた再建されたりして、
それがまた心の中に取り入れられて、
それを繰り返していくって感じなんでしょうね。
そのなんで人は相手を取り入れるんじゃなくて、
その関係性を丸ごと取り入れるんですかっていうふうにこの間質問されたときに、
僕もなんでだろうねって。
自分とか相手のシミュレーションを頭の中でしてるのかなとか曖昧に答えたんだけど、
やっぱりそういうもんかなと思います。
相手と自分の関係性っていうものを何回も何回も頭の中でシミュレーションしてるんじゃないかなって。
だからそれはちっちゃい女の子とかが人形遊びをしながらね、
自分がお母さんの立場になってお母さんの気持ちになってみたりとか、
そうするといかに自分が愛されてるかっていうのをお母さんの目線から見ることができるじゃない、
あざらしの人形を抱きかかえながら。
そういう形で人は立場を変えたり入れ替えたりしながら自分というものを客観的に見たりとか、
あるいは相手の気持ちになって感情移入してみたりとか、
そうやって相手と自分というものを行き来しながら人間関係っていうものを形作ってるんじゃないかなと。
なんかそういうシミュレートっていうのかな、予測。
自分がこういう態度を取ると相手がこういう態度を取るっていうシミュレートがうまくできた種族が残って、
それが我々人類なんじゃないかなって。
そういう人の予測、正確な予測を取れた種族が私たちなのかなっていう、
ロサピエンスなんじゃないかなって思う。
最後なんかこう進化論に結びつけるとちょっとエセシン理学みたいな感じだけど。
結果的にはそういう種が競争で生き残って、たくさんの人と連帯を組めるようになったんじゃないですかね。
そうだね、だからちっちゃい女の子が人形を抱いてるっていうのは結構大事なのかもしれないね。
で、お母さんの役をやってるっていう。
で、人形が自分の役をやってくれている。
入れ替わってますよね。
普段自分が抱きかかえられる方なんで。
でも人はそうやって現実の人間も人形に見立てて、
やっぱり立場を入れ替えて演じ直してるんじゃないですかね。
もし例えばすごく怖いお母さんで、子育てなんかしたくないよって、
育児放棄をしてきたお母さんのもとで育てられたちっちゃい女の子なんかはさ、
やっぱり結構必死にアザラシのぬいぐるみを抱きかかえるんじゃないですか。
なんとか必死にそこから滑り落ちないように抱きかかえることで、
なんとか自分を保ってんじゃないかね。
でも時にはもうわざとアザラシをぶん投げたりとか殴ったりとかさ、
そういうこともしながら、でもやっぱりかわいそうだなって言って、
アザラシに謝ってもう一回抱きかかえてみようかなとか、
そういうことをやってなんとか自分の心を落ち着かせたり、
その自分の内的対象関係って言うんですけれども、
心の中に取り込まれてしまった関係性をなんとか修復しようって頑張るのが、
人間というものであり、人の一生なんじゃないかなっていうふうに僕は捉えてるんですよね。
それが僕の人間感だね。
精神科医療の歴史
だから完全に対象関係論そのものなんですけど、
年取ってくるとさすがに人形は抱かないけれども、
同い年ぐらいの友達といろんな関係性を築いていくときに、
やっぱり人形遊びと同じようなことをしてるんじゃないかなって。
相手が自分になって、自分が親になって慰めてあげたりとか、
あるいは慰めてもらったりとか、
立場を入れ替えながら生き直してるんじゃないですかね。
両親は中華料理の商売人で忙しかったから寂しかったなぁと思う。
なかなか構える時間もなかったんでしょうね。
倉庫行ってる間にもう120分、2時間が経ちました。
なんか勝手に自動延長してた。
毎回気づいたときにはもうちょうど自動延長してんだよね。
人形をおんぶひもで巻いて抱っこしてましたよ。
人形をね。人形をおんぶしてひもで巻いて抱っこしてあげてた。
だから抱っこしていたのはあなた自身だったんじゃないですか。
あなたはそうやって抱っこされたかったんですよ。
だからちゃんと抱っこしてもらえなかった人っていうのはちゃんと抱っこしてもらいたいので、
人形をちゃんと抱くんじゃないですかね。
絶対に取りこぼしてなるものかって。
ただね、今そうは言いながらも、
なんかの心理学実験で親から虐待を受けて育てられた子供っていうのは結構人形を殴ったりとか、
クレヨンしんちゃんのねねちゃんのママじゃないけど、うさぎちゃんの人形を殴るみたいな。
暴力的な行動が増えるみたいな話を急に今思い出したぞ。
だからやっぱり関係性をそこになぞってしまってることの話なのかなって今急に思い出した。
ちょっとパープレキシティに調べてもらおう。
そういう心理学実験ってなかったですかね。
ちょっと論文を検索してほしいな。論文とかその研究のタイトルを。
なので自分の子には毎日おんぶしてたなぁと懐かしいな。
そうだね、自分の子供に自分がされていたことをするっていうのはあるかもしれないな。
あるいは自分がしてほしかったことをするとか。
子どもと人形の役割
なんか検索にすっげー時間かかりそう。
さあ、じゃあそれをしてる間に、あれだなチャットGPTに4コマ漫画書いてもらおうかな。
じゃあそろそろ配信も終わろうと思うので最後に締めの、
この配信で一番面白いなと思った話をですね、
4コマ漫画に書いて1枚の絵に出力してください。
ただし日本語が崩れないように文法に注意してほしいのと、
あと利用契約に違反するような内容はもうあらかじめ書かないでください。
利用契約に違反しない範囲内で書ける物語に限定して4コマ漫画を書いてください。
果たして書いてくれるのか。
結構ちんちんって多分10回以上言ってますよ。
大丈夫か。
お、来るぞ。と思ったけど来ない。
めちゃくちゃ考えてる。
面白かったシーンを4コマ漫画にしていただきましょう。
そのバグがまずいな。
こっち移しますね。
えーっと、エレベーター。
エレベーターで隣の人と話しててな。
旅行先で人たられる。
エレベーターで隣の人と大喧嘩。
数十秒で大喧嘩してね。
そんな短時間で?
おばあちゃんのエピソードだけどね。
なんかおじいちゃんになってました。
ちょっとおばあちゃんで書き直してもらっていいですか。
なんかその話が面白かったんだ。
人工知能的には。
結構今日いろんな話したんだけどそれか。
確かにほとんど下ネタだったからね。
人類に残された最後の仕事はセックスであるとか。
そんなの4コマ漫画に書けないもんな。
ボボ人形実験の考察
エレベーターの話は書きやすいね。
さあ書いてもらってる間に。
あ、来ましたね。
虐待経験を有する子供が、
人形遊びにおいて攻撃的行動を示す現象は。
あ、そうですね。ボボ人形実験だ。
思い出した。
バンドゥラのボボ人形実験は、
成人の攻撃的行動を観察した子供が、
その行動を精密に再現することを実証した。
じゃあさっきの僕の説明とちょっと違いますね。
非虐待児の場合、
家庭内で日常的に暴力を目撃することにより、
攻撃的行動の脚本、スクリプトが認知構造に埋め込まれる。
2017年の追跡研究では、
身体的虐待を受けた5歳児が、
人形を用いた遊戯療法場面で示す攻撃的行動の89%が、
実際に家庭で目撃した暴力シーンの再現であることが確認されている。
重要なのはこの学習プロセスが精査によって就職される点である。
男児は物理的攻撃。
かっこ、人形を横打する。
蹴る。
女児は関係的攻撃。
人形を孤立させる。
悪口を言う。
女の嫌なところ出てますね。
外掘りから攻めてくる感じだね。
関係的攻撃。
女の子を選択的に模倣する傾向。
この際は社会文化的な性役割り期待が、
神経発達段階で内面化されること。
ちょっと難しいね。
あとメラニー・クラインの対象関係論に基づけば、
人形は子供の内的対象関係を外在化する媒体として機能する。
そうですね、これはさっき言った僕の話ですね。
内的対象関係の外在化、外に吐き出すという媒体ですね。
虐待環境で育った子供は、
養育者とのアンビバレントな関係を人形への矛盾した行動で表現する。
例えば、あざらしのぬいぐるみを激しく抱きしめた後に、
直後に投げつける行動は、
愛着と恐怖の感情が身分化な状態を反映している。
内的対象関係の外在化
役割の逆転もありますね。
自分が加害者役を演じることで、トラウマの制御を試みている。
確かにね。
だから毎回毎回、例えば殴られる子供っていうのは、
人形を殴ること、加害者側になることによって何とかトラウマを抑えようとしてるんですよね。
特に性的虐待被害女児の67%に認める。
解剖学的に正確な人形を使用した場合、
逆退時に比べ、陰部への接触が3.2倍増加。
あー。
ははは。
確かにそのリカちゃん人形とかの服をすぐ脱がすとかね。
それはなんか僕もそういうの傾向あったような気がしますね。
そうそうそう。
結構ね、そういう人形との接し方に、
この内面の世界っていうものが投影されるよっていう話ですね。
こんばんは。どうもこんばんはです。
さあ、来ました。
えー、4コマ漫画。
旅行先でも人ったら死でと。
エレベーターで隣の人と話してね。
急に悪いおばあちゃんになって。
しかも眼鏡消えてるし。
そんなそんな大喧嘩してね。
その舌が切れちゃってますけども。
っていうおばあちゃんのね、大喧嘩までの今日、それがハイライトシーンです。
そう、意味が分かりませんでした。
さあ、じゃあそろそろ終わろうと思います。
どうもお疲れ様でした。
えー、お送りしましたのはサシミちゃんでした。
どうもお疲れ様でした。
明日は、えー、ちょっと弟とね、父親と3人で飯でも食って、
まあいろいろ話して帰ってきます。
もし時間があれば夜少し配信するかもしれません。
02:11:00

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