1. 刺身ちゃんのPodcast
  2. 2025/10/26【観察する自己/心..
2025-10-26 1:49:20

2025/10/26【観察する自己/心のリソース】

観察できない時にいったい何が起きているのでしょう?

サマリー

このエピソードでは、頭の良さや自己理解についての経験が語られています。特に、学業や家庭環境による自己評価やコンプレックスについて深く掘り下げられ、知識の受け止め方や他者との関係性も考察されています。このエピソードでは、家庭環境や教育が子どもの興味や好奇心に与える影響を探ります。また、AIの進化が医療分野における知識の更新やコミュニケーションのあり方に変化をもたらすことについて考察されます。心のリソースや自己観察についての議論が展開され、特にパニック障害や不安症に関連する心のメカニズムが詳しく掘り下げられます。効果的な理解と対処法を通じて、自己観察の重要性が強調され、診断や治療に関する新たな視点が提案されています。このエピソードでは、パニック障害や不安および回避の問題について議論し、それに立ち向かうことで自己変容のプロセスが探られます。特に、待たされることへの恐怖や、自らを曝露することで脳を変えるというアプローチが提案されています。このエピソードでは、自己観察や心のリソースの重要性が強調されており、引きこもりの弟に対する具体的な状況を通じて、個人の心の機能や治療の困難さが掘り下げられています。また、心のリソースや自己観察についての考察が行われ、人との交流が心の資源を豊かにすることの重要性が語られています。さらに、様々な経験や思い出が内的世界を形成することに対する気づきも示されています。

放送の開始と自己紹介
それでは、放送を始めます。
こんばんは、いちごうさんどうもです。
信仰は私、刺身ちゃんです。
どうもよろしくお願いします。
こんばんは、にごうさんどうもです。
2025年10月25日土曜日23時12分。
えーと、自宅から生配信中です。
皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
インフル自体は治ったんだけれども、なんか頑固な咳というかね、
喉の粘膜のアレみたいなのが若干残ってます。
体も軽くなったし、頭もだいぶ軽くなったね。
物を食べようという気持ちになって、今日は久々に自炊しました。
マルチャン製麺、味噌味。
それに野菜炒め乗っけて食べました。
味噌ラーメン。
久々にちゃんとしょっぱい味のするものを食ってうまかったですね。
で、その後特に気持ち悪くもならなかったし、
食欲に関してはほぼ9割9分戻りましたね。
それがまず嬉しい。
よかったです、どうも。
頭の良さについての考察
さて、何話すかね。
最近なんか本読んだりもしてないしね。
なんかアニメの話とかも得意じゃないし、
なんかワールドシリーズも言うほどちゃんとよくわかってないしね。
全体的に曖昧なまま生きてます。
日本の政治のこともなんか曖昧なままだし、
チェン・ソーマンの細かい設定も曖昧だし。
チュール菩薩様、なんか話題ないですかね。
特にもうなんか盛り上がる時間帯でもないと思うので、
このままなんかまったり1時間ぐらいダラダラ話して、
それで寝ようかなと思うんですけど。
アサシミちゃんどうも。
先生こんばんは、サンゴーさんどうもです。
とりあえずなんか弟の話とか家族の話はもういいよね。
とりあえず1時間ダラダラモードで言って、
で、今日はもうこれで寝ます。
夜更かしもせずね。
月曜に響いちゃうんで。
久々にラーメン作ったよって話と、
あとコーヒーを入れたよって。
コンビニのコーヒーですけどね。
久々にコーヒー飲んで。
まあ本も読めたし。
ちょっとずつ戻ってきましたね感覚が。
サンゴーさん、先生に聞いてみたことがあったんですが、
頭の良さと他人の頭の悪さって感じることはありますか?みたいでした。
聞いてみたいことがあったんですか。
自分の頭の良さと他人の頭の悪さ感じることはありますかって。
意外に思うかもしれないけど、
意外に思うかもしれないけど、
僕自分の頭の悪さの方が気になっちゃうんですよ。
これはなんかね、頭の良い人の特徴らしいんだけど。
こいつバカだなって思うよりも、
自分バカだなって思う頻度の方が明らかに多い感じが、
ずっとちっちゃい頃からあるんですよね。
あんまり他人に興味がないのか。
でもそうみたいですよ。
結構能力の高い人は自分の能力を低く見積もりがちだし、
逆に能力の低い人ってのは自分の能力を高く見積もりがちだって。
過大評価しがちだって。
そのくらいです。
だからその質問に対しては頭の良さを感じることもないし、
逆にこいつバカだなとか頭悪いなって感じることもあんまりないかな。
まぁあんまりないね。
セブンイレブンのコンビニのレジとかでさ、
カゴからピッピって取り出して、
そのテーブルに置くぐらいだったらそのまま袋に入れろよとかさ。
先に袋いりますかって聞いてさ、
袋に入れてけよみたいな。
なんかこう容量悪いなこの人はっていうふうに気づくことはまあまあありますけど、
でもそういう頻度って少ないよねそんな。
コンビニに行ったときぐらいとか。
自分がバカだなっていうふうに恥ずかしくて、
仕事したくないなと思うことの方がはるかに多いね。
自称頭が良い人がいて他人がバカすぎて生きづらいという話を聞かされたんですが、
どう考えても先生の方がダントツに頭が良さげなので聞いてみました。
サンゴーさんはちょっとそいつのことを小バカにしてるんですね。
ちょっと何とも言えないね。
その人がどのぐらい賢い方なのか分からないな。
サンゴーさんはちなみにどういうときにこの人頭いいなっていうふうに思います?
何をこう見たり聞いたりしたときに。
サンゴーさんなりの頭の良さとは。
バカすぎてってあたりであーねーってなりました。
頭の良い人は他人をどう使うかっていうところまでちゃんと考えるからね。
自分が想定していない回答をしてくる人にすごいなーってなります。
そこまで考えるんだーとかそういうやつか。
あんまり今自分の身の回りのことを言うとなんかいろいろバレちゃいそうだけど、
結構東大出身の先生とか周りに今いるのね。
当然理算を勝ち抜いた受験会のトップみたいな人たちじゃん。
ものすごくいろんな知識を持っているし、
その知識を一つ一つ披露してくるんだけれども、
僕なんかあんまその先生は頭いいと思えないんですよね。
白色だしたくさんのものを知ってるんだけれども、
なんか僕がイメージする頭の良い人ではないなって。
だからなんかお菓子を食べるとか団子を食べるとかさ、
ちょっとこうお昼の時間におやつ食べるっていうときに
何かうんちくみたいなものをいつも披露してくれるんですよね。
で、その瞬間、おーさすが先生、物知りですねみたいになるんだけど、
あんまりそれは別に頭の良さとは関係ないしなって感じで、
すごく物知りの人だなと思うけど、
なんかそれはね僕の基準では頭いいではない。
ガラスの靴を3個プレゼントども。
先生は他人の気持ちも汲み取って考えているように感じるんですね。
そういうところもすごいと思い感じる。
あーまだ説明が上手とかね、そういう人は確かに頭が良さそうですよね。
聞いている側がどこでつまずくかなとか、
どういうところがね分かってないんだろうなとかっていうのを
ちゃんと先回りしてというか相手の側を考えて、
こう説明する人っていうのはすごく上手だし、分かりやすいしね。
うん、確かにそれはそうだね。
相手の立場になって感情移入して、そこでちゃんと物を考えられる人ね。
そう、それは確かに僕の定義では結構頭の良い人に近いかも。
で多分その知識を披露してくる系の白色系の先生は、
結構自分が言いたいことに夢中になっちゃって、
あんまり僕らの話は聞かないんだよね。
だから僕らが実は、
まんじゅうの味に集中できてないこととかにあんまりその先生気づいてないんだよね。
自分のうんちくを披露することに手一杯で。
で、僕が何かこう間違った質問というか、
多分その先生があんま想定してないようなさ、
こうこうこうなんですかとかって、こうこうこうなんで面白いですねとかっていうと、
いやこれそうそう、こうこうこういう面白さじゃなくて、
実はこっちの面白さなんだよとかっていう風に、
いやそういう面白さで今言ったんじゃなくて、
こういう意味で面白いなっていう風に思ったんだけど、
どう思うって聞かれて、ああそれは面白いですねみたいな。
なんかすごく、なんかこう肩にはめて、
なんかこううんちくを語りたい先生なんだ。
だからなんかその作法にのっとってないと、
その先生がちょっと機嫌悪くなるんで。
僕としても少し注意しながらね。
この先生は今何をオチで話したいんだろうなって。
あんまその用意されてるオチに外れないように、
ちゃんと協力しながら、
こう知らない感じのリアクションを取らないといけないんだなと。
それが少し技らしいなって思うし、
ちょっとその相手の立場になって物を考えるっていうことに関してはあんまできてないよ。
別にその先生のこと嫌いだったり、
家庭環境と学びの影響
別にそれが悪いとかって言いたいわけじゃなくて、
そういう感じの先生っているなと思って。
世の中で頭がいいって言われてる人にね、
結構こういうタイプの人いるな。
うんちくの人は自分が大好きなんだろうなーでしか見えません。
うんちく先生の気持ちまで考えている先生の方が上手で、
僕もそんなに読めてなかったりするんだけど。
そのなんかね、それに合わせるのがちょっと大変だなと思う。
結構小学校中学校ぐらいまで結構万能感があったんですよ。
だってもう学年を見渡しても自分より頭のいい人がいなくて、
その先生も含めてね。
なんかかなり万能感があったんだよね。
これは結構自分はだいぶ頭がいい方なのではみたいな。
で、高校ぐらいから鬱状態になっちゃって、
その家庭の問題に結構巻き込まれてね。
例の母親の横やりの問題とかね、
ねじ曲がった解釈とか、
じゃあお母さん死んだらいいんだみたいなあのヒステリーとかね、
ああいうものに結構巻き込まれて、
だいぶ時間と労力を浪費して、
そうするとどうしても鬱状態の時ってあんま頭の回転が上がらなくなるんで、
複雑な問題も解けなくなってずいぶん成績が落ちちゃったんですよね。
で、そっからもうなんかグズグズの人生というか、
そっからまあなんとかね、
持ち帰して医学部にはまあ現役合格しましたけども、
もうなんか、
そう、そっからはもう持ち帰せずって感じだね。
万能感はもうない。
だから自分はなんてダメなんだろうなとか、
あれもできてないしこれもできてないし、
いやー全然ちょっともうダメだなっていう感じで、
今に至ります。
もう17、8歳ぐらいからずっとそうだね。
まあやればいいんだけどね、なんかわかんねえな。
何回読んでも頭に入らないし。
足りないを知るって大切ですよね。
僕の悪いところが、
その本当はよく知らないくせになんか知ったかぶろうとしちゃうんですよね。
ああ、それですよねみたいに。
だから鬼滅の刃とかもちゃんと読んで、
見たふうにしようとしちゃうんですよね。
それは多分僕側の恥の感覚とかね、
結構強い人間だから、
その無力感とか無能感はやっぱ隠さなきゃっていう。
で、知ったかぶると後々苦しくなるじゃん。
自分をただ苦しくしてるだけなんですよね。
首絞めてるだけで。
なのでその咄嗟に出ちゃう嘘の見栄えとか、
そういうのがあって、
自分の悪いところがあって、
首絞めてるだけで。
なのでその咄嗟に出ちゃう嘘の見栄えとか、
そういうものをどう取り外していこうかっていって、
どうやって嘘を解除して、
自分なんかやら全然本当によくわかんないんですよっていうふうにね、
あの、恥をかいていくかっていうのが結構ずっと課題でしたね。
いまだに取り組んでいる課題ね。
あんまりよくわからないんだよね。
ガラスの靴、どうも。
ダラダラ配信してますんで、
寝る準備の方は寝ていただいて。
初見です、どうも。
精神科医のさしみちゃんと申します。
インフルエンザ治りたてで、
ちょっと咳がうるさいかもしれません。すいません。
特に今これっていうテーマもなくぐだぐだ話してます。
恥をかいたっていいじゃないっていう。
先生が知るべきことはちゃんと勉強したりチェックしたりしてるんで、
鬼滅の刃がいらないのかもですよと。
僕なんかその、頭がいいとかさ、
学校の成績がいいと言われてきたんだけど、
まあそれでね、医者になったわけだけど、
でもいわゆる世間で言われている、
教養、基礎教養みたいなのが全然ないんですよね。
それってたぶん友達もいなかったし、
あんまり横のつながりで耳から入ってこなかったからなんですよね。
そこに結構ね、ちっちゃい頃からコンプレックスがあって、
まあ家庭の問題に巻き込まれちゃうと、
どうしてもあんまり世間一般のファッションだとか音楽だとかね、
なんかこう芸能ニュースだとか、
そういうものがもう全然耳に入ってこなくなっちゃうんですよね。
まあそういうのもあり、
勉強に忙しくて、
まああんまりそういう芸能ネタみたいなのもよくわかんないし、
あとはそもそももう興味関心がね、
こう家庭の方に釘付けになってしまって、
もともと小学生の頃とか天体望遠鏡を買ってきて、
なんか宇宙とか好きだったんですよ。
月面のクレーターだとか火星の大石巾だとか、
ああいうの、父親と夜公園に行ってさ、
家庭と子どもの興味
暗い中、夜空を見上げるのが好きだったんだけど、
両親の仲が悪くて、
もう宇宙を見上げる余裕が自分の中になくなったんですよね。
もういつしか宇宙飛行士になりたいとも言わなくなったし、
まあもう天体望遠鏡も埃をかぶって、
多分アメリカに捨ててきちゃったんだよね。
日本に帰ってくるときに、
全部天体望遠鏡も捨てて帰ってきたんですよね。
家庭の問題がある程度ちゃんと落ち着いてないと、
安心して人は夜空に興味関心を持てないし、
子供って健全な好奇心を世界に向けられないんじゃないかなっていう気がするね。
そういういろんな理由からね、
だいぶ興味関心が狭くて、
雑談とかも苦手なんだよね。
新聞とかニュースとか、アヒドルとかドラマ知らなくてもさ、
政治とかちょっとした社会情勢とか、
まあ子供の頃はまだしもちょっと大人になったらやっぱり多少は知っといたほうがいいじゃない?
大谷が今何やってるのかとかさ、
その浅い知識でもいいんだよ。
そこらへんがねずっと弱くて、
AIがいろいろなことを調べてきてくれるようになって、
AIと医療の未来
ようやくそこらへんの知識が僕の中に入るようになってきたんだけど、
うん。
AIってそんなことを教えてくれるんですね。
うん。
AIはね、分かんない。
難しいニュースも一回チャットGPTにコピペして、
分かりやすく書き直してって、
やると、分かりやすい記事に書き直してくれますからね。
ちょうど僕がね、
自分の知識の中に入るようになってきて、
うん。
多分そのうんちく型のね、あの東大の先生は、
昔はああいう人がやっぱり、
頭がいいっていうことだったんだと思うね。
物をたくさん知っている時代、
昔ってのはつまり、まだ分かりやすい知識の中に入るようになってきて、
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
そうやってなんか、時代ごとに人間の知性っていうものはそのテクノロジーの進歩によってむしろ変容していくという説があります。
その的確な知事って賢さなんですが、
記憶力と知識のインプットで頭の良さと言われていた時代は終わってしまった。
そうです。僕も医学部にいた時に、もう僕が医学部にいた時代、だから2010年とかそこら辺ですね。
にはもう言われてましたね。もう君たちはスマートフォンの時代だと。
当時まだAIとか言ってなかったけど、もうスマホの時代は到来してるんだと。
だから3つの愛が大事だって。
愛っていうのは、愛するの愛とかじゃなくてなんだ。
まずインテリジェンス、知識と、あとインサイト、観察と、そしてインターネットである。
だからもし今後、全ての最新の知識を頭の中に入れておくことができないから、
これからの医者は、白衣のポケットにスマートフォンとかその電子端末を入れておいて、
その場でガイドラインを調べたりとか、その場で的確な情報をね、最新の情報を、正確な情報をゲットして、
それを患者さんに分かりやすく翻訳する。
それが今後求められる医者像なんだとかっていうのが、学部の頃そういう風に教わりましたね。
だからもうね、知っていることというかも調べることが大事だと。
でもなんかもうAIが来るとね、今度次の何か知性というか医者の役割が求められそうですよね。
知識の伝達とコミュニケーション
だって調べるだけではなくて翻訳することも今もAIできるようになっちゃったんで。
そうすると医者に残された能力というか、期待される役割って何なんだろうなって。
また考え直さないといけない。
でもすごいドクターは知識のアップデートができているから尊敬している。
いやほとんどできてないですよ。
僕も言ってできてないし、
現場で働いている臨床されている先生のほとんどは、
もう本当に1日5分とか10分の読書とかで、
何かちょっと引っかかるものを摂取していくっていうぐらいのアップデートだね。
それぐらいなんかいわゆる雑用が多すぎて、
書類作りに追われて、ほとんどカチャカチャカチャカチャキーボードを叩いて1日が終わるんですよ。
分かりやすい説明ができる人も賢いポイント。
もうおそらくAIがそのガイドラインとかを調べて分かりやすく翻訳する、
英語で書かれている論文を日本語で、
しかも中学生とか高校生にも分かるような簡単な日本語に翻訳して解説するみたいなのは、
今後も人間がやることはないだろうから、
AIがやるんでしょうけど、
でも人間ってそういう翻訳とか情報収集よりも、
感覚に訴えかける言葉を使って、
感覚的に人に伝えるっていうのは結構得意かなと思うんですよ。
例えばこれピョンと飛ぶといいですよとかさ、
これギュッとやってみてくださいとか、
オノマトペっていうかね、
擬音語、擬態語、
そこら辺ってAI結構弱いと思うんですよね。
例えば、前導運動っていう言葉があるんだけども、
前導運動って何ですかって皆さん思うじゃない。
医者は前導運動ってああってすぐ分かるんだけど、
こんばんは初見ですどうも。
よく使われるのが、
例えば大腸をイメージしていただいてね、
小腸、大腸、腸をイメージしていただいて、
腸の中に弁が入っていて、
弁が口側から肛門側に向けて進んでいくじゃない。
腸の内部をね。
あれが前導運動なんですけども、
あれをすごく端的に説明するいい比喩があって、
歯磨き粉ってあるじゃない。
歯ブラシの歯磨き粉をぎゅーって絞り出す。
してピュッて出すじゃない。
あれが前導運動なんですよね。
だから人間の腸っていうのは、
ああいう風に歯磨き粉を絞り出すみたいに、
弁を直腸側に、肛門側に絞り出していってるんですよね。
あれが前導運動です。
って言った時に人間はパッと理解できるんですよ。
別に英語の論文とか読まなくてもね。
だからあの前導が落ちてると便秘になるんだなっていうのが、
体感でわかればいいんですよ。
で、その運動を上げるのが、
さっき言った漢方でいうとこの大剣中刀なんですよね。
って言うとさ、おーみたいな。
わかるじゃない。
でもこういう説明って意外と多分AIって苦手なんだと思うんですよ。
もっと厳密で、
いやその歯磨き粉みたいなのはちょっとあんま科学的ではないですとか、
エビデンスがないですとかって言って、
精密になればなるほど、
結局よくわかんない説明になっちゃったりするんで、
そういう時思い切って、
まあ本当は嘘なんだけどね。
本当は歯磨き粉と前導運動は少し違うんだけど、
まあでも思い切って簡略化しちゃったり、
思い切って無駄な部分を省略して説明しちゃった方が、
人にばっと直感的に伝わることってあるんですよね。
そう。
すごいわかりやすいですよね。
そうやって絞り出すように、
便っていうものは肛門側に押し出されていくし、
まあもう一つ言うと、
ふくらはぎに溜まっている腸脈血とかも、
このふくらはぎのね、
筋肉のとか、
あと血管の周りについている平滑筋という筋肉によって絞り出されているんですよね。
だから血液の腸脈血の流れも実は前導ではないんですけれども、
そうやって筋肉の収縮によって絞り出されて、
心臓側に戻ってくるように進んでいっているんですよね。
心臓のポンプの力で押し出されるのは動脈血だけで、
腸脈血っていうのはそうやって平滑筋の収縮によって絞り出されるように、
心臓側に押し出されてくるんですよね。
そういう絞り出す、歯磨き粉のイメージを持っていれば、
なんで血液がちゃんと心臓に流れつくのかとか、
なんで便がちゃんと出てくるのかとかっていうのがイメージがつくんですよね。
平滑筋は今初めて知った。そうなんですよね。
なんか心臓って、血液って心臓でポンプで動いているっていうふうに小学校の理科でやるんだけど、
あれは半分本当で半分嘘で、
動脈血は確かに心臓の押し出す、押し出されるポンプの力でビューッと全身に行き渡るんですけれども、
心臓出た血液のことを動脈血って言うんですけど。
あれって真っ正まで行くと、つまり指先に行ったり体の先端まで行くと細かい脳細血管に入りますよね。
脳細血管に入り込む頃にはもう心臓の勢い、心臓のポンプの勢いってもうゼロになってるんですよ。
当たり前ですけどね。そこでもポンプの力が働いてたら脳細血管ぶち切れますから。
だいたいもうほぼゼロになってるんです。
だから押し出す力はそこでゼロになってる。
そうすると血が戻ってこれないじゃない。
その戻ってくるときに、さっきの閉活筋っていう筋肉の力を使って絞り出すように戻してるんですよね。
あとはその腸脈血には逆流防止弁がついていたり、
あとは心臓がこうバクバク動く過程で、実は掃除機みたいに腸脈血を吸い上げてるっていう、
今言ったような作用で腸脈血ってのは複雑に動いてるんですよね。
でも大事なのはその絞り出されていくイメージ。
その絞り出しが悪くなったりすると、腸脈流っていう形で鼓舞ができる。
たまにいません?
ふくらあげのあたりにものすごい血管が浮き出てる女性とか男性とか。
あれは血がこう溜まってってる状態ですよね。
絞り出す機能が落ちてるんだな、何らかの理由で。
だから専門家が今僕の話を聞くと、たぶんお前嘘言ってんじゃねえよって批判すると思うんだけど、
でもこういう簡略的な曖昧なんだけれども、
人に分かりやすい説明ができるのがやっぱり人間の感性なのかなと思うんだよね。
必ずしも科学的な正確な記述じゃなくても良いっていう。
別に数式もいらないし、統計もいらないしね。
体を理解するのに実はそんなに複雑な数式はいらない。
8号さん、ごめんなさい、コメントちょっと下から読んでいくと。
あ、そう、だから知識のアップデートはそんなになくても何とかなるんですね。
古い知識でも日常臨床だったら別にそんな大した問題にはならない。
書研です。パニック障害を持っていますが治りますかね?
パニックは良くなっていくんじゃないですかね。
割と希望を持っています。
治療法も確立しているしね、ある程度。
あとはそれを着実にゆっくりこなしていくことじゃないですかね。
世の中に正確でとにかく長ったらしい本が多すぎて、
今みたいに感覚的で直感的で、別に極論でもいいから、
そのイメージをパッと思いつくイメージを教えてくれって思うんですよね。
なんかそういう本も少ないし、
やたらと書店で並んでいる本を買うとさ、
やたらと細かく優しい言葉で長々と書いてあるんですよ。
で、結局何が言いたいのかよくわからないし、
時間だけが無駄になったっていつも思うんです。
すごく満足しているんです。
でも今みたいな直感的な言葉とか、一言で言える例え話というかね、
何かものに置き換えて腸の働きとか血管の働きとかを、
それさえ言ってくれれば、そのイメージさえもらえれば、
別にそんな長々と本を読まなくていいんじゃないかなって。
で、今も皆さん応援してるんですけど、
でもこういう応援みたいな知識が現場でたくさんゴロゴロあるわけです。
医学部では習わなかったけど、実際に医者になって研修員になってみると、
先輩からこういう感じの金言をね、たくさんもらい受けるわけです。
で、応援みたいな。
そういう教科書にどこにも書いてないっすね、みたいな。
でもその意味では、
イメージを教えてくれると助かります。
かいつまんで表現してくれるって本が欲しい。
そういうイメージがちゃんと持てるようになると、
なんか臨床がうまくいくような感じがして、
生かされるんですよね。
やっぱりなんか現場に出ないと、ちょっとこう掴めないというかね、
教えてもらえなかったり、
本だけ読んでても、なんかなかなか掴めないものがあるんですよね。
パニック障害の理解
イメージを教えてくれると助かります。
かいつまんで表現してくれるって本が欲しい。
僕もそういう本が欲しかったですね。
解剖学でも例え話が使えるし、
パニック障害みたいな精神科の疾患でも、
いろいろ簡単に肝どころを抑えれば、
これをやればいいんだなっていうふうに分かりますよね。
僕なんかだからこの配信でパニック症も、
不安障害とか身体表現性障害とか脅迫性障害とかも、
結局ある中核にある不安と、
それを回避する行動っていう、
単純にこの2つの要素ぐらいで説明してますよね。
認知行動療法の本を読んだりして、
パニック障害の治療法とかも書いてあったりしますけど、
結局この2つの要素を抑えとけば、
依存症とかパーソナリティ障害とかも結構説明がつくんだなって。
パニック障害だったら、電車に乗ったりバスに乗ったり、
ある特定の状況に陥ったときに、
自分、動機が起きて、
額から汗が流れて、
自律神経症状が急激に起こるわけですよね。
そうすると、もう間違いなく死ぬ、
っていう死の恐怖ですよね。
その死の恐怖とか、その絶滅的な不安を回避しようとして、
バスに乗らないとか電車に乗らないとか、回避行動が起こる。
回避が起こると、その不安とか恐怖っていうものは強まるので、
より症状が強く出る。
だからまた以前よりもさらに強く回避しよう、
っていうことが起こる、っていうこの悪循環だよね。
そのイメージがつかめていれば、
自己観察の重要性
そんなに複雑に覚えることってないような気がする。
パニック発作は死なないっていうのは心のお守りになっています。
最近起きなくなりました。
あとは起きてもいいんですよね。
今後またもしかしたら、
全く予期しないときに起こることもあると思うんですけど、
起きてもなんとかなる。
人間の体っていうのは不思議なもんで、
そんなに簡単には死なないようにできてるんで。
たまに心臓をドキドキしても誤作動だなって思うと、
そのまま短期間で治ります。
それは心理学的に言うと、
ドキドキしているご自身と、
そのドキドキしているご自身をまた観察して、
そばで観察している自分っていう。
2者自分の中で持てるようになったっていうことなのかなと。
ドキドキしている自分と、それをそばで見ている自分っていう。
うつ病とかパニックの人とか、
観察する自分が非常に弱いんですよね。
弱いっていう言い方は表現として強いかもしれないけど、
なかなか観察する自分があまり育ってない感じがして、
もうどうしようどうしようっていう自分に
べったりくっついちゃうんですよね。
あまりにもパニックとか、
上着いたどうしたらいいんだろうみたいな不安とか焦燥感の
感情にべったり引き寄せられちゃうんですよね。
べっちょり。
でもそれと一体化しちゃうんですよ。
だからすごく距離がないなって。
巻き込まれたらもうバックアップの自分がいないんで終了みたいな。
知識を持つ。
僕の配信を聞いてもいいですし、本を読んでもいいし、
増田先生の動画見てもいいし。
知識を得ることっていうのは観察する自分をちょっとずつ作り出していくことなんだよね。
今自分はこの自立神経症状の渦の中に入ったな、
っていうふうにもし思えたら、
もうすでに観察する自分がいるんですよね。
だから問題の解決をどうしたらいいかっていうふうに
解決を慌てると結構ドツボにはまるんで、
まずはその問題を冷静に観察する自分を
訓練で作り出していくと。
そのためにはある程度、
心理学的、精神学的に理にかなった知識が必要で、
変な宗教とかね、変なスピリチュアルみたいなものに頼らない。
これはなんか先祖の呪いなのだ、みたいな。
そういう観察の仕方だと後々いろんな矛盾を抱えることになるんで。
できれば精神学的、脳科学的に
ちゃんと理解されている通説になっているもののほうがいいですね。
それも確かにフィクションかもしれないけど、
まだいろんな矛盾に耐えられる、
説得力のあるフィクションだと思います。
8号さんはもういないかな。
初見ですっていう人は歯ブラシの話が嫌になっちゃったかな。
一応ちょっと8号さん向けに話したんだけど、
いなければじゃあちょっとブロックしちゃいますね。
うちの配信はワンチャンスしかないんだ。
僕が話しかけたときにそこにいなかったらそれまでですね。
8号さんはブロックしました。
パニック障害で緊張が常に取れないのはどうしたらいいでしょうかと。
緊張感が常に取れない。
その常に取れないっていうふうに決めつけちゃってるところあるんじゃないかな。
緊張感を取ろうとすると緊張感が増えちゃうので、
緊張感のままなるべく自分の中に新鮮に維持してみようってやったらどうですかね。
実際それを曝露反応妨害法っていうんですけれども、
自分が一番緊張して不安でもう嫌だなって避けたい状況に
しばらくずっと身をほったらかすっていう感じ。
そこで自分自身を観察してみるっていう、そういうやり方があるんですよね。
そうすると実際はね緊張感って取れてくるんですよ。
ある一定のポイントを過ぎるとピークアウトするんですよね。
1分とか2分だと緊張感はずっと上がってくるんだけども、
15分とか20分くらいすると結構ピークアウトします。
以前はこれはいけないって焦る気持ちが悪化させていたと。
こんばんはどうも。もう体調は良くなったんですか。
だいぶ良くなりましたね。
精神疾患があり作業場で作業中にトイレに行きたくなったんですが、
みんなが座っているときに立ってトイレに行くという行為ができないのは何なんですかね。
誰に相談してもそんなん言ったらAで終わる。
作業中にトイレに行きたい。
行為を催したときにみんなが座っている状況でなんか自分だけ立ってトイレに行きづらいと。
誰に相談してもいいじゃん。行けばいいじゃんって言われると。
あんまり理由を掘っていっても何もない気がしますけどね。
なんで自分だけこうなってしまったんだろうって言って理由を掘っていっても別に解決にも向かわないし、
ただ疲れて終わるだけなんで。
何なんですかねって追求していくことは程々になさったらいいんじゃないですかね。
とりあえずそういう状況になっちゃったんだから。
しょうがないじゃないかって。
一旦原因追求のところはもうやめちゃう。
まずそれでエネルギーの浪費を避ける。
パニック症の人もなんで自分は電車が苦手なんですかね。
なんで電車ダメなんですかねとかっていうので、
そのなんでだろうどうしてなんだろうっていう答えのない問いに巻き込まれて、
それで辛くなっちゃってる人が結構いるんですよね。
パニック障害でこの人は辛いんじゃなくて、
結局原因追求というある種の思考のパターンがこの人をすごく疲れさせてるんですよね。
僕はどっちかというとパニック障害そのものよりも、
原因をクリアにして前に進んでいこうっていうあなたの思考のパターンというかね、
ある種の脅迫的なパターンですよね。
これが解決しないと次に進めないんだみたいな。
そういう癖みたいなところの方がむしろ今害を成してる可能性があるから、
ちょっとそれに取り組んでみるのはどうですかねっていうふうにチャレンジしていく方法がありますね。
別に原因がわかんなくてもいいっていう考え方に、
もし置き換えることができたらだいぶ楽になるじゃない。
原因がわかってもわかんなくても結果パニック障害は良くなっていくんだよ。
あんまり拘らないっていうふうに楽な考え方に置き換えられたら、
だいぶそのエネルギーの消耗を減らせると思うんですよね。
これね、鬱病でもいるし不安障害でもいるんですよ。
なんで、どうして、なんでなんだろうって。
なんか徹底的にネットで調べてみるとなんかいろんな怖い情報が出てきたりして、
わけわかんなくなってきて、もうなんか疲れました、先生みたいな。
それはね鬱病でもないし不安障害でもないし、
その人独特の多分ストレスコーピングなんでしょうね。
何か調べまくるっていう。
答えがある問いだったら調べれば答えが出てくるんでいいんだけど、
答えのない問いって結構あるじゃない、世の中に。
パニック障害がなんで起こるかっていうのも実はあんまりよくわかってないし。
はっきりとね。
もともと何の理由もない自立神経の乱れの可能性も結構あって、
だから理由なんかなかったっていう問題に対して、
なんか過剰に意味をそこに見つけようとして、
なんか一人で疲れちゃってるんですよね、独りずもをとって。
そういう癖を一旦手放すとか、あるいはそういう癖が始まったら、
今自分はその癖が始まってきたぞっていう風にやっぱ観察する事項を持つことですね。
あまりにもその不安とか原因追求をする自分とべったりくっついちゃってるんで、
やっぱそこと距離を置くような観察する自分というものはやっぱりいかに置いていくか、
育成していくか訓練していくかっていうのが必要になってくる。
今自分はめちゃめちゃ調べたがってるな、スマホで、
Wikipediaで調べたがってるぞ、
でもこれっていつもの消耗パターンだから、
一旦Wikipediaで調べるのやめよう、
原因追求とその影響
そうすると疲れがどう変わっていくかちょっと観察してみよう、
みたいになる。
で、そこで疲弊とか疲労をちょっと減らすことができるんだ。
これは口で言うの簡単なんですけど、実際やるとすごく難しいので、
やっぱり訓練が必要ですね。
もう癖になっちゃって調べるのが。
そういう人世の中に本当にたくさんいるんだよ。
でもそれによって鬱病とかパニックとか不安とかが結構治りづらくなる。
そういうちょっと不適切なコーピングスタイルが身についちゃってる人、
答えがない問いに対して答えがなくていいんだっていう風に思えない人たちっていうのは、
やっぱ少し予防を悪くしてる気がしますね。
ガラスの靴を3個プレゼントどうも。
少し休めることができたなら良かったです。
なるほど。
ガラスの靴どうも。
他に障害があるのかないのかというのも気になってまして。
ガラスの靴3個プレゼント。
本当に原因追求で疲弊していたんですが、
電車だったら10回電車に乗ってみる方が早かったです。
結局ね、原因はあんまり関係ないんですよね。
精神分析とかはね、だから今ちょっとそこら辺は否定的なんですよね。
昔は電車に乗れないのは、
昔父親とのエディプスコンプレックスが解消されていない、固着しているからだみたいなさ。
そこに過剰に身づけをして、その意味に触れることでカタルシス療法っていってね、
症状が取れるみたいに信じられていた時代があったんだけど、
今はそれ否定されてますね。
今現場の精神科医でそれを真面目にやってる人多分いないと。
本当の意味みたいな、症状の裏側に潜んでいる本当の意味みたいなものに
固執しない方がいいですね。
ガラスの靴どうも。
10回目に急に手応えがありました。
手応えが何なのかうまい説明がないんですが。
すごいね、サンゴさんはすごいね。
自力でご自身の不安とか恐怖に立ち向かっていって脳の回路が書き換わったんだね。
それってなかなか勇気のいることだし、やっぱすごく尻込みしますよね。
私も結構長い列に並ぶのが本当に苦手で、
列に並ぶぐらいだったら死んでやるって思ってた時期がね。
大学生の頃とかあったんですけど。
結構つい最近まであったんですけど。
でもこの間ね、先日言った通り、
もう列に並んでストップウォッチを測るようにしたんですよね。
もう徹底的に並んでやろうと。
そうすると一体何十時間俺は待たされることになるか分からない。
どれだけの人生を今後無駄にするか分からないけど、
まずはしっかりと数値化しようと思って。
あえて長蛇の列に並んでストップウォッチでピッて測ってみたら、
待たされることへの恐怖
2分30秒だった。
あるスーパーの長蛇の列に並んだんだけど、別に大した時間じゃなかったんですよね。
永遠に思えた待ち時間が実はたった2分半とかだった。
2分とか3分ぐらいだった。
その瞬間本当にバカバカしくなりましたね。
俺は一体なんでその列を避けて生きてきたんだろうみたいな。
本当にバカバカしくなって。
でも以前ほどの避ける感じはなくなった。
でもだからといって長蛇の列が好きになることはないけどね。
だからあらかじめ、混んでるって分かってる時間帯は未だに避けますけど。
でも以前のように腹を立てて下打ちをしてね。
こんなスーパーなんか二度と来るかみたいには、
もうあれ以来なってないですね。
もし列に巻き込まれたら、その時は腹をくくって並ぼうっていう気持ちを切り替えられるようになりましたね。
ガラスの靴3個プレゼント。
バクロ両方は自力でやりきったすごい人だね。
3号さん。
そうですね。
知識を身につけて、観察する自分を身につけて、
で、症状を克服していった方だね。
症状の裏側の本当の意味は分からないし、今度は別の症状が出るかもですが、
もう親の呪いに振り回されるのはもう嫌なんだって突然思いました。
なんでレジに並ぶのはあんなに怖いんですかね。
僕は怖いんじゃなくてね、なんかムカつくんだよね。
レジに並ぶじゃない。
まず待たされる。
で、待たされた上に金取られる。
これどういうことって。
ふざけんなって思ったんですよ。
なんで時間まで取られて金も取られなきゃなんねんだって。
ふざけんなって思ってたんですよ。
だから僕本当にあの、長蛇の列ができる人気のラーメン店とかも理解できなかったんですよね。
なんで1時間ぐらい店の前で並んで最後金取られなくちゃいけないんだよって。
俺が並んでんだぞって。
時給1万で働いてるお医者さんが並んでんだぞって。
並んだ時間で金払わせろと。
俺が1時間並んだんだからラーメンぐらい無料にしろっていう思考だったんですよね、もともと。
結構ジャイアンみたいなところがあってズーズーしかったんですよね。
俺が並んだ時間を時給に換算してくれと。
そしたらもう多分ラーメン代になってるからって。
頭おかしいね。
自分で言いながら頭おかしいなと思うんですけど。
でもその当時は僕は別にそれが理にかなってると思ってたんです。
理解できない方がバカだと思ってた。
ガラスの靴を3個プレゼントと思う。
精神分析的にはいろんな意味合いがあると思いますよ。
だから母親に振り回されて待たされた人生だったみたいなさ。
だからその人生の反復がここで起きているからとかね。
推し関係の再現だなんだっていう風に。
裏の意味を読もうと思えばいくらでも読めるんだけど。
でもそういう精神分析的な演劇的な解釈っていうのは別に症状を抑えないんですよね。
どれだけ母子関係の理解が深くなっても別に僕はやっぱりラーメン屋に並びたくないわけですよ。
症状の改善には繋がらないんだよね。そういう裏の意味の解釈って。
だったらもうやっぱり曝露反応妨害法でいくしかないんですよね。
じゃあ並んじゃえっていう。思いっきり並んでみようって。
それがやっぱり一番直接的に脳に効きますね。
宗教関与された時に俺の時給で話聞くから金払えって言ったら逃げてった。
それはいいね。僕も今後払ってもらおうかなお金を。
時給1万だったら効きますよって。
自分は誰もレジしていないとこに一番に行くのはドキドキしてすごく緊張。
なので誰か一人でもレジをしているところに並ぶ。
対人緊張だ、じゅうごうさん。そうですね。列を見るたんびに避けたくなる。
ガラスの靴を3個プレゼントどうも。
並ばなくても全然人生に支障ないけどレジは並ぶことができた方が便利ですよね。
結局僕もあんまラーメンは食べに行ってないんですよね。今も。
だから僕も今日ラーメン作ったんですよね。
自分で作っちゃえって。そしたら意外と美味しくて。
でもね、スーパーのレジはやっぱ避けては通れないですよね。
ある程度自分を変えた方が楽なこともあります。
並ばないスーパーを探すこともできるし、人口の少ない村に移住することもできるけど、
でもそうやって環境を変えることよりも、自分自身を変えちゃった方が早いですよね。
早いし楽だし、そう、結果楽なんです。
楽な選択をすることが大事ですね。
自分を変えるプロセス
そう、ネットスーパーはね、本当に使ってました。
都内に住んでた時にね。本当に時間がなくて、当時。
もう多少倍ぐらい金払ってもいいから、ネットスーパーでいいやって言ってた時期もありますけど、
でもそれも結局お金かかるじゃない。
だからどっちが楽かっていうふうに天秤にかけた時に、
当時はね、もう医者の仕事が忙しすぎて、そっちが楽だったからネットスーパーにしたんだけど、
今って別に並ぼうと思えば並ぶぐらいの時間もあるし、
お金かけたくないんだよね。
お金かけない選択をしたい。
じゃあ並ぼうって感じ。
天秤にかけて、どっちが楽か。
どっちが傷が少ないか。
ガラスの靴、どうもです。
ガラスの靴3個プレゼントどうも。
今日はパニック障害について、不安と回避の問題についてね。
これは結構定番ネタなんで、せっかくうちのリスナーやってるんだったら覚えて帰ってください。
僕の目標はこの1000人以上いるフォロワー全員にこの話を伝えることなんですよね。
これは本当に難しい話じゃないんだよね。
不安っていうのは避ければ避けるほど大きくなっちゃうので、
どっかで立ち向かうってこと大事だよって。
意外と立ち向かってみると最初苦しいんだけど、
でもその苦しさって無限じゃないんだよって。
だんだん人間って循環っていってね、慣れてくるんですよ。
高所恐怖症の人も高いところにずっと1時間もいると慣れてくるし、
平所恐怖症の人も1時間ぐらいずっとそこにいると慣れてくる。
じゃあなんで彼らが治らないかっていうと、途中で出ちゃうからね。
平所恐怖症の方は怖くなってもう1分も経たずにすぐそこ出ちゃう。
そうすると失敗体験が強化されちゃうんですよね。
やっぱあそこ危ないところなんだって脳が覚えちゃうんで、学習しちゃうので。
だから治らないんだよね。
単純にそれだけなんですよね。
列が怖いんだったら列に並ぶ。
苦しいかもしれないけどね。
でも死ぬことはないし、不安があったらその不安の中に飛び込んでいくことで、
自分がどんどん変わっていくわけです。
だからある意味楽しいよね。
不安の中に飛び込んでいくと自分の脳が変わっていくんだから次々に。
別にインドまで行って人生観変えなくても、
スーパーに行って列に並べば僕の脳が変わるわけですよ。
お金もかからないし。
日常にたくさんの不安を見つけてそれを1個ずつ潰していくっていうのを趣味になさったらいかがですかね。
めちゃくちゃ自分を残りの人生で変えることができると思います。
先生はパニック障害ではないんですよね。
僕はパニック障害ではないです。
そういう患者を今何人か治療してるっていう感じですね。
パニックと広場恐怖の人と。
あと脅迫性障害とね。
あとは病気不安症。
昔で言うところの心機障害ですね。心機障。
僕は暇ない移動時間とかはオーディブルで本を読んでいました。
オーディブルで本を読むとか音楽を聞くっていうのも結局内部では回避になってしまうんですよね。
例えばバスは苦手だけどどうしてもバスに乗らなくちゃいけない時もガンガン音楽を聞くとかあるじゃない。
イヤホンの音量MAXにして目つぶってみたいな。
それは回避になっちゃうのでバスを降りるのと同じ効果になってしまうので結局暴露にならないんですよね。
キャンセルされちゃうんで。
だから不安を乗り切ったことにはならない。短期的にはね。乗り越えた風にはなるんだけど。
不安をより強める方法なんですよね。
損得じゃなくて天秤にかけてどんな時もどっちが楽か。で考えたら楽に生きれますか。
と思いますね。なんかどっちが合ってるか間違ってるかじゃなくて。
こっちの考え方もできるしこっちの考え方もできるしどっちが楽か。
で最後選べばいいね。
別にどっちかを否定しなくてもいい。
ここで相手に怒ってもいいし逆に相手に優しく出てもいい。
どっちも正解だけどどっちの方が自分にとって楽かな。
時間に遅れてきた友達をここで厳しく怒鳴る、叱責する方が楽なんだったらそれを選べばいいし。
でも後々その日残りの半日一緒にいるのが気まずくなるなって思うんだったら怒らずにとりあえず優しく指摘するだけにとどめた方が楽じゃないですか。
理解と回避行動
っていう感じでどっちが楽かで選ぶ。
ニック障害も長期的に見たら楽なのはやっぱりある程度辛い状況を持ちこたえることだと思って。
やっぱ積極的に暴露していく方向の方が楽かなと思うんだけどね。
キャンセル界隈乗り越えることが大事なんだよねと。
でも乗り越えなくてもいいんじゃない?別にフロアね必須ではないですから。
別にフロアキャンセルしても別にかまわないし。
本当に別にどっちでもいいんじゃない?克服するべき症状というわけでもないし。
考える前に突発的な方に向くんですよね。向くんでね。
考える前に動いちゃってるとやっぱ感情とか思考とかにもうべったりくっついちゃってるんだよね。
そこからいかに観察する自分というのを引き剥がすかっていうのが結構人生において大事なんじゃないか。
アンガーマネジメントとかもそうですよね。
もうすぐ瞬間誘惑式みたいにバッとこうもう爆発して怒鳴るってなっちゃうとやっぱ怒りにべったりくっつきすぎなんで。
ここで怒鳴るとどういう影響があるのかなって考えて、怒りを8割ぐらいに抑えることもできるしさ。
観察する自分がいればね。
あるいはあえて怒りを少し押し殺して褒め殺しちゃった方が、相手をうまく転がしちゃった方が事態が早く収集するんだったら、そっちの方がいいこともありますよね、結果的に。
観察する自分がいればどっちにしようかなってこう選べるんですよね。
褒めちぎって適当に終わらせるか。
あるいはこいつのことをもうコテンパに再起不能ぐらいに怒鳴るか。
どっちが楽か選べばいい。
ガラスの靴を参考。どうも。
割と臨床ではね、こういう系の話をちょっと図示しながらね、紙にこう書き出したり。
大体自分の患者にね、一冊ノートを買ってきてもらって、大学ノートね、一冊買ってきてもらって、そこにこういろいろ書き込んだり、宿題を書き込ませたりしてるんですよね。
不安と回避と、さっきの原因追求の渦、そういうのを反数思考って言うんですけどもね。
なんで地球は丸いんだろうとかさ、なんであの人あんなに怒るんだろうとかさ、いずれも答えないじゃないですか。
答えのない問いをずっと抱き続けて、なんかぐるぐる回っちゃうのを反数思考って言うんですよね。
それ自体が一つの回避行動なので、目の前の問題から遠ざかるための内部の回避行動だね。
それをやめることは結構大事なんですよ。
今こうやって皆さんに話すと、別に皆さん精神科医じゃないけど、理解できたじゃない。
でもね、なんか不思議なんだけど、こういう簡単な話を誰も教えてくれないんですよ。
精神科医になってから、この今の言った話、誰からも教わったことないんですよね。
世の中の精神科の先生はどうやってこれを理解なさってるんだろうって、ほんと不思議です。
ガラスの靴どもが話したのは、話っていうのは、
曝露療法とかね、決まったところは結構解説動画が上がってたり、いろんな本で解説されてるんだけど、
でもこの反数思考自体が回避行動に使われちゃってるとか、
そうすると不安とか怒りっていうものがなかなかね、打つっていうものが収まらないとか、
こういう話って誰もどこにも言ってないんですよね。
僕が個人的に本を読んで、さらにチャットGPTで聞いて、
一つ仮説として出てきたこと。
原因追及によってだいぶ予後悪くなるよなって。
観察する自己の重要性
そういう目でネットで検索したり、ツイッターとかで検索すると、そういう風に言ってる精神科の先生もポツポツいらっしゃるんですよね。
でもまとまった文献としてそういうのが書いてなかったりして、
大事なことって人は自分に教えてくれないって感じることってありますよね。
先生は教えてくれるのになぁと。
みんな出ししぶってるのかもね。
ただでは教えたくないって。
確かにマジシャンが種を教えるみたいなもんですからね。
あんまりこういう話をするとみんな精神科に来なくなっちゃうもんね。
自分で治し始めても。
そう、医者が少なくとも儲かるような話じゃないからね。
こういう風に不安と回避があって、回避が起こると不安が大きくなるよねと。
例えば宿題とかを先延ばしにすると、宿題への不安ってどんどん強くなるよねみたいにさ。
不安は回避すればするほど強くなると。
分かりましたと。
って言って、すっとさっきの3号さんみたいに克服されていく方と、
なかなかね、うまくいかない方がやっぱり臨床上いるんですよ。
で、そのなかなかうまくいかない人っていうのが、その典型例がうちの弟ですね。
僕もそうなんだけど。
やっぱ引きこもりの回避の仕方はやっぱりもうかなりすごい強力なものがあって、
こういう知識を入れて訓練しても、やっぱべったりくっついちゃうんですよね。
不安とか恐怖心と。
それを引き剥がして観察したり、思い留まる自分っていうものがほとんど、なんか本当に作れないんですよね。
ここまで来ると本当に精神分析的な理解が必要になるのかもしれない。
幼少期の頃の家庭環境とか。
ちょっとね、曝露両方でやってきゃいいじゃないっていう単純な話じゃ進まなくなってくるんですよね。
こういうパーソナリティの問題っていうのが絡んでくると。
そういう人はやっぱりある程度精神科とか臨床心理士とかその専門家のところに来た方がいいと思いますね。
僕が今言ったような話を自己流で捉えなさって、
でもなかなかうまくいかなかったんだっていう人は、一回専門家のところに行ってもいいかもしれない。
弟さんはお前に何がわかるって先生に言いましたが、
弟の引きこもり問題
じゃあ俺の努力をお前は知ってるのかと聞いてほしいです。
そこで歯向かっていっちゃうと、また向こうはカーッとなるからね。
こっちとしてはちょっと一旦こらえて、一旦引き下がるしかないんですよ。
弟の引きこもりの場合は、面接で露呈するような自分の恥。
要するに面接官にいろいろ質問されて、それにうまく対応できない自分、恥ずかしい自分っていうのを周囲に悟られたくないっていう強力な恥の感覚があって、
それが回避行動につながってるんですよね。
それを何とか不安みたいな、恥とか不安とかっていうふうに名前をつけちゃえば見通しがよくなると思うんですけど、
そういう恥が露呈する不安とそれを何とか回避しようとして、体調を自分で悪くしたりとか、
いろんな言い訳をつくって就活しなくなる。過去問どおりに質問されなかったとか。
とにかくデッチ上げて回避すると。
じゃあこの成功法はやっぱりなるべく多くの就活面接に捉えして、たくさん多くの恥を書くことで、
だんだんだんだん慣れていくというかね。
それが、たとえ恥を書いたとしても、そんなに人生のすべてが台無しになるわけではないんだなっていうふうに。
そういうのを観察することが治療になっていくんだと思うんですけど。
理屈の上では弟もこういうふうに言うと、確かにみたいな、そうだよねっていうふうに納得するんだけど、
実際に実践に移すとことごとく失敗するんですよね。恥が露呈しそうになる不安って言ったけど、
実際には不安だけではなくてそこに怒りとかね。そもそもなんで俺はこんな人生なんだと。
親にめちゃくちゃにされたんだ俺はみたいな、過去に根を張っている恨みというか、
恨みとか憎しみみたいな感情がそこに入り込んできて、なかなか不安への対処だけじゃ進まなくなってくるんですよ。
非常にだから不安だけではなく、過去の掘り返し蒸し返しみたいなのが自動的に行われて、
本当に体調が崩れちゃうんですよ。気分が最悪になってしまう。
そこへの対処のために趣味の時間を作ろうとか、あるいはたくさん金使って高価なものを買おうとか、
そこのまた不適切なコーピングが二重三重に起動しちゃってるっていう。
こんばんはどうも。弟を見ているとちょっと単純な曝露療法ではどうにもならない人がいるんだなっていうのをすごく勉強になりましたね。
やっぱ過去に何かあったりとか、そこのトラウマみたいな問題がひとつ引っかかってる人っていうのは、やっぱなかなかこの治療のラインに乗ってきてくれない。
そもそもなんで俺はここにいるんだよみたいなところですごく歯向かってくるんだね。
俺が何か変えなくちゃいけないっておかしくないみたいな。
そもそもこういうふうにしたのって周りの人のせいなんじゃないみたいな。
そういう多席的な思考とか怒りが強い人っていうのは、なかなかさっき言った曝露療法は効かないですね。
むしろ悪化するというか、すぐドロップアウトしちゃいますね。
そう、すぐいじけて、人のせいにしてね。
で、自己正当化して、曝露療法そのものから撤退しちゃうんで。
非常に手強いな。
面接がうまくできない時って学校やセミナーで特訓するのが普通なような。
そうなんですが、その学校での特訓も全部回避しちゃうんですよね。
何か理由をつけて、体調が悪いから休みますって言って休んじゃったりして。
こんばんは、どうも。読んだか。
弟さんの利点が現状学生なので学校のサポートが受けられることが大事。
あと数ヶ月しか使えない便利なサポートを使ってほしいなと。
でも本人はあんまりもうやる気がないみたいになってるね。
親とか私が前に乗り出してさ、本人にあれやれこれやれって言っても本人は不手札れるだけなんで。
もうちょっと今、晩作尽きたかなっていう感じです。
専門学校の2年間と学費が無駄になろうとしてますね。
行動を変えるかとか就活させるかよりもまず観察する自分っていうのが育ってないっていうのがかなり衝撃的というかね。
まずそこからだろうと思うんだけど、自分の内面を観察する自分があんまり弟と話しててもいないんですよね。
僕なんか結構自分の言語化が上手だっていうふうにネットの人とかからよく言われるんですけど、
弟は本当にその真逆みたいな人で、自分が何を考えてるのかもあんまり分からないし伝えられないっていうんですよね。
内省があんまりはかどらないというか、やっぱ観察する自分っていうものがあんまり育ってないなって感じがしますね。
だからなんか割と素直に人からこれやったらって言ってうんって言ってやってみるんだけど、
その1回やったきりですぐ終わっちゃうんですよね。で、うまくいかなかったからそいつのせいだって。
もったいないけれども、そこがこの今の本人の辛さでもあるし、僕とか両親の辛さなんですよね。
強力な回避。そういう人を見ていると、サンゴさんみたいなね、パニック障害とか広場恐怖症の人には何かある種の希望を持つんですよね。
あなたは良くなるよみたいな。つまりその裏側にはたくさんの良くならない人を見てるからさ。
結構パニック症とか良くなるんじゃないかなって僕は結構本当に希望を持ってるんですよね。
本当に治るんじゃないですかって。嘘偽りなく希望を持って治療してる。
すごく精神分析的な話になっちゃうけど、おそらくその内省したり自分を観察したり、
あるいは周囲の人、人間とこうコミュニケートすることっていうのは、
おそらくすごく心の中にたくさん資源がある人だからこそできることなんだよね。
資源っていうのはたくさんの人と出会って、たくさんの人の心の機能を借りて、
自分の中で組み上げて自分の心を駆動していくような、そういう資源ですね。
人と出会って、いろんな人の良い部分とか悪い部分を吸収して人間の心ってできる、
コラージュみたいなものだと思うんですけど、オリジナルの自分というのはいないんだけれども、
いろんな人のパーツをたくさん寄せ集めることで自分というものができてくると。
そのパーツの数がたくさん揃っていれば揃っているほど、その人はたくさんの資源を使うことができる。
すごく適切な場面でその適切な自分というものを作り上げることができる。
で、おそらくそのパニック症でもこの引きこもり問題でも、
心のリソースの理解
なかなか曝露療法がうまくいかない人っていうのはその心の中にある資源が非常に貧困というか、
リソースが相当限られている人たちなんだと思う。
もう3パターンぐらいしか勝負の一手がなくて、
その自分の中にある勝負の3パターンぐらいが全部手詰まりだったらもう終了みたいな。
それぐらいなんかね戦術が非常に乏しいし、
使えるリソースがない。
だから軽い症状のように見えて実はかなり深い精神病理なんじゃないかなっていう風に、
僕はちょっと弟を見ていると思います。
普通の人だったらひょいって飛び越えられるような溝に思いっきり足を突っ込んで、
そこに溺れて死んじゃう。
ひょいってやればいいんだよっていう風に言うとみんなだいたいひょいってできるんだけど、
それはある程度定型の心の発達をした人たちはひょいっていう風に体感でできちゃうんだけど、
そういうのがうまく育ってない人っていうのはそうはいかない。
ここで初めて精神分析が出てくるのかなと思うね。
曝露療法でも認知行動療法でもうまくいかないときに、
より深い心の理論みたいなものが必要になってきて、
そこでようやく精神分析が役に立つのかなって。
だからあんだけバカにしていたフロイトとかも実はすごく大事なんじゃないかって。
さっきのね、心のリソースっていう言葉をフロイトは使ってないけれども、
元メランコリーって1923年ぐらいの論文なんですけど、
その論文を今ベースに話をしましたからね。
様々な対象を心の中に内在化するっていう。
人はね、その物作業、物仕事を通じて、
そうすると心の中に内在化された様々な人の様々な心を使うことができるようになる。
それが対人場面でたくさん活かされるわけですよね。
それがとても充実していて柔軟な人っていうのは、
なんとなくだけど相手に対していい印象を与える。
皆さんの周りにもいるでしょう。
この人がいるとパッと明るくなるんだよねとかさ。
あるいはパッとメンツ見たときには、
このメンツで旅行とか行きたくねえなっていうやつがいたりさ。
逆にこいつがいてくれたらめっちゃ楽しくなりそうとか。
それやっぱり楽しくなる人っていうのは、
なんかそういうたくさんの引き出しを持ってる人ですよね。
様々な人の心のいい面を内在化して、
心の引き出しの中にたくさん蓄えてる人ですよね。
逆に貧困な人、僕もそうだし弟もそうだし、
心が殺風景な人っていうのは人にすごく重たがられる。
こいつがいるとちょっと沈黙が怖いなと。
帰りの電車こいつと一緒か、やだなみたいな。
周りから避けられる。
だって引き出しに何も入ってないんだもんね。
そういう心のリソースっていう視点を精神分析的に持てるようになると、
より深い次元で治療の困難とかを見ることができるのかなって思いました。
先生みたいに人の痛みがわかる人もとても素敵ですよと。
でもね、そんな盛り上がらないんだよね。
俺も申し訳なくなるぐらいね。
あんまり天気の話したらそれで終わりなんですよね。
終了。
最近寒いっすね。いや寒いですよね。
終。
終劇なんだよね。
黙って横にいてそれで落ち着く人が先生って感じで。
まあそうなったらいいんだけどね。
僕もね、結構殺風景な人間でね。
やっぱり友達があんまりいなかった。
人付き合いが得意じゃないし、
それでもね、ぐいぐい外に出てけばなんか変わったのかもしれないけど、
なんかもういいやって言って飲み会にも行かなかったんですよ。
大学生の時も研修院の時も、
まっすぐ家に帰ってたんですよね。
さすがになんとか先輩のお別れ会とかそういうのには顔出したりしたけど、
基本的にはもう別に飲み会とか無駄じゃね?みたいな。
バカじゃね?みたいな感じで、完全にゼンギリしてたんですよ。
心の資源の重要性
LINEの年賀状とかもゼン無視したし、既読無視。
そしたらもう翌年から誰からもLINEこなくなったしね。
まあそういうちょっと僕がやっちゃったところもあります。
そういうのにね、なんか曲がりなりにもちょっとやっといた方がよかったんだろうけど、人付き合いみたいなね。
もうなんかそんな余裕もなくばっさりと切り落として、
その瞬間は延命できたんですけど、うまくね。
生きながらえることができたんだけど、やっぱりリソースが足りない。
僕の中の引き出しには何も残ってなかったね。
高校時代、大学時代、いろんな同世代の友達といろんな思い出を作って、
それがみんな引き出しに入っていくものなんでしょうけど、
時にはその引き出しの中に入ったものを使ってね、人に話をしたり、
あるいは人を、後輩を育てたりとか、
あるいは自分の子供を育てたりとかするのかもしれないけど、
僕にはそういうものがないんですよね。
レファレンスがない、参考文献がない、不毛ですよね。
その不毛さが結構人としては大事だったりするのかなって気もしてるんですよね。
他者との交流
だからもしできるんだったら、つまりそれが不自由なくできるんだったら、
一応社交事例として、通過事例としてしといたほうがいいかなと思いますね。
なんとなくいろんな人と会って、いろんな人と揉まれているうちに、
いろんなものを借りられるからね。
基本的な精神分析の対象関係論の考え方だと、
人は人からいろんなものを借りるんですよね。
いろんな人と別れることを通じて、その人自身の心を、
自分の中で使えるようになる。そんなイメージです。
だからこいつつまんねえなっていうやつにもちょっとした見どころがあるわけですよ。
こんな面白い見方があるんだって、その1個光るものがあったらそれを使えるようになるんだよね。
それがわかんないけれども、就活面接のある昨日聞いた一言になるのかもしれないし、
あるいは今後出会う、後に奥さんになる女性へのプロポーズの言葉になるのかもしれないし、
人っていうのは何が役に立つのかわからない様々な心の断片を
引き出しの中にしまい込むんですよね。
それが魔法の杖じゃないけれども、魔法のステッキをひと振りすると、
それが何か突然言葉になるわけです。
引き出しにいろんなものが入っている人の方が、やっぱりいろんな言葉になるんですよね。
それが僕の言ったリソースとか心の資源の意味ですね。
これは生まれた時からあるわけではなくて、生まれた後の後転的なものですね。
一番最初は母親との対話の中で育まれるものだし、
それが今度父親が入ってきて、さらに小学校の友達とか同世代の人と産まれていく中で、
だんだんいろんな言葉をもらって、いろんな心をもらって、内的な世界が豊かになっていく。
不毛に見える会話の中にも結構大事なものが転がってたりがするので、
本当は顔は出しておいた方がよかったんだろうけど。
ガラスの靴さん、子供。
僕はなんとなく人間的な深みがない、教養がないのはやっぱり、
引き出しの中に何も入ってないからだよね。
入ってたとしてもそれは自分が本で読んだり、何か映画で見た、
自分が拾ってきたものしか入ってないんだよね。
人が拾ってきたものが入ってないんで。
すごく限られた話題とかね。
僕の配信聞いてると1ヶ月間ぐらい聞き続けると大体一周すると思うんですよね。
そのぐらい限られた話題をずっと組み合わせて、
その組み合わせで話してるだけで、あんまり広がりがそこまでないんだよね。
だから僕は頭の良さも欲しかったんだけど、やっぱりそういう心の資源。
端的に言うなら、小説をパパッと書ける。
小説家だったり、作詞だったり、
そういうクリエイティブなことがパッとできる人に対してすごく尊敬の念があるんですよね。
リスペクトがあるんです。
自分はやっぱ空っぽなんだよ。
花とか見ても、おー、花がありますね、みたいな。
そんな殺風景な風景しか僕見てないんだよね、たぶんね。美術館とか行っても。
ゴッホの絵を見ると何かちょっと多少はこうね、何か思い出すことあるかもしれないけど。
他の人に比べるとあんまりそういう引き出しが開かない。
同じものしか出てこないっていうね、ちょっとそういう劣等感があるんです、実は。
だから思い出の曲とかもあんまり出てこないし、カラオケに行っても歌うべき曲が思いつかないんですよね。
だから自分が歌うべき曲をチャットGPTに聞いたりなんかしちゃうわけよ。
すごく空虚なんだよね。ギクって。
私も花を育てるって枯れるのになんでだし、山に登るのも降りるのになんでタイプです。
ちょっと殺風景ですね。ちょっと冷めてますね。
全然関係ないけど、すごいお腹空いた。
今、現在の時間0時54分です。
もう寝なきゃって言ってた時間は1時間ぐらい過ぎてるんですけど。
そろそろ寝ましょうか。まだナイスボタン押してない方、まだ間に合います。
ぜひナイス押してってください。
ラーメン食べたのに、いやラーメン食べたのは5時ぐらいだよ。
人から聞いて得るってこういうことなんですね。
人はその人と雑談したり話をしたりするときに、ただ知識を吸収してるだけじゃなくて、
その人の語り方とかその人の心も同時に吸収してるってことだよね。
っていうか、むしろ心の方を吸収してるんですよね。知識ではなくて。
心に紛れてその人が持っていた知識とか趣味が入ってくるわけ。
だからなんかね、付き合ってた彼氏と同じタバコを吸い始めちゃったりさ。
そうやって心が入り込んでくるんですよね。
何かいろんなものと一緒になって、一緒くたになって。
でも人と会わないとか、人との交流を避けて家の中にこもっちゃうと、
そういう雑多なものが入ってこなくなっちゃうっていう問題があってね。
それが非常に人生を貧しくするし、
自己の気づきとリスペクト
なんかお金持ちになっても慢性的な空虚感を持つことになる。
なんか生きている実感が湧かないとか、
何のためにお金持ちになったのかわからないとかさ。
そういう心の寂しさとか空虚さにつながってくる。
ナイスありがとうございます。
押させちゃってすいません。
押させたわけですけど。
さあ、じゃあそういうわけで。
ちょっと歌は最近もう疲れたんで、最後にたまには4コマ漫画書いていただいて、
チュール菩薩様にはね。
それで締めますか。
最後にじゃあ4コマ漫画のコーナー。
プロットではなくて1枚の画像で出力してください。
今日面白かったこととか、
ためになったところとかチュール菩薩様の好き勝手に4コマ漫画書いてください。
その代わりセリフがちゃんと絵の中に収まるようにね。
文字の大きさとかをちゃんと調整してください。
勉強になりました、どうも。
僕としてもね、やっぱ知識を得ることで勝手に良くなっていく
パニック障害の方いらっしゃるんだと思って。
非常に面白かったです。
だから僕のやってることにも少しは意味があるね。
でも大体ね、僕の言うことを聞く前にみんないなくなっちゃうんだよね。
バカだから。
急に毒づくけど。
みんなバカなんで、俺の言うことを最後まで聞かないんだよね。
そういう奴はどうしようもないです。
だって現役の医師がさ、こんなに時間使ってこんなに熱心に話を聞いてそれを聞かないとかバカじゃないですか。
それで病気が治りませんとかさ、当たり前だろって思うんですよ。
急に毒づく。
歌で聞きたい。
この何?不安と回避の歌。
ちょっと体力いるんだよね。
ごめんなさい、ちょっと今日も疲れちゃった。
また今度やりましょう。
なんか演歌で聞きたいね。
不安で、不安な中でも生きていこう。
やっぱなんだよ。
クリエイティブな人にはリスペクトがあるんです。
お、花がある。
そんな殺風景な風景しか僕に見えてということでしょうか。
なんかちょっと隠蔽な話ですね。
私はここで治ったって感じですね。
病院より役に立ってる。
病院は時間が限られてるからね。
歌で聞きたい。
じゃあそろそろ終わりますか。
じゃあどうもお疲れ様でした。
お送りしましたのはさしみちゃんでした。
どうも最後まで長時間ありがとうございました。
失礼します。
01:49:20

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