差別反対
サマリー
2025年4月18日の放送で、刺身ちゃんは自宅から生配信を行い、休日の過ごし方について語ります。特に歴史博物館訪問や神社参拝、パン屋での体験が印象的であり、過去と現在のつながりについて考察しています。このエピソードでは、精神科医がアルコール依存やボーダーラインパーソナリティ障害の患者が直面する課題を探求し、治療法の有効性や医療的介入の限界について考えていきます。さらに、最近の発達障害に関する書籍の論争にも触れ、精神医療における倫理の重要性を強調しています。 また、発達障害に関する炎上の事例を通じて、言葉の選び方や出版物の影響の重要性について考察し、特に発達障害を動物に例えることが生む誤解や差別を助長する可能性について掘り下げています。精神医学の歴史と分類の重要性についても触れ、ピネルやエスキロールの取り組みを参照しながら、狂気を鎖から解き放ち人間としての対話を促す必要性を考えます。また、現代のツイッター文化における言葉の使い方や差別のリスクにも言及されています。 うつ病の治療と薬の管理については、特に減薬の難しさや患者自身の自己研究の重要性について深く掘り下げています。補助輪を外すことに例えて、薬の減量と自己成長の関係性も議論されます。このエピソードでは、うつ病患者の視点から、自分研究や精神科医との対話を通じて得られる知見について語られ、薬の減量に向けた生き方の再設計とそのプロセスにおける個人の自立についても考察されています。
休日の過ごし方
それでは放送を始めます。進行は私、刺身ちゃんですどうも、よろしくお願いします。
こんばんは、いちごうさんどうもです。
2025年4月18日、金曜日、18時55分、自宅から生配信です。
3連休初日。
皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
刺身ちゃんこんばんは、こんばんは、にごうさん、さんごさんどうもです。
プレモル回を聞いていました、どうも。
まずちょっと音声のチェックからですね。音量と音質と。
なんかマイクを近づけすぎると音が割れるみたいです。
ちょっと注意します。難しいね。
でも話しすぎると音が小さいと。
このぐらいで一旦ちょっと固定してやっていきます。
音質OKでどうも。
とりあえず一日休んだ。しっかり。
なんか昨日、プレモル回っていうのもあって、プレモル飲んじゃったせいなのか、なんか妙に目が冴えちゃって。
アルコールって睡眠を誘発するんですが、
アルコールの代謝産物のね、アセトアルデヒドっていうのは逆に睡眠を妨害するっていうことで、逆になんか目が冴えちゃうんですよ。
っていうのもあって、昨日なんか寝つけなくて、なんか2時ぐらいまで夜更かしして。
で、7時ぐらいにいつも通り起きたんで、なんか眠いです今すごい。
5時間ぐらいしか寝れてないんだよ。
音量は最大にしてちょうどいいぐらい。了解です。
うーん。
まあ、とりあえず聞こえてれば、まず良しとしましょう。
お疲れ様です。どうも。
まあ今日はそういう感じでお休みだったんで、
朝ダラダラして、で軽くドライブして、
ちょっと歴史博物館行ってね。
まあ平日だったんでほとんど誰もいなかったですけど。
ねむねむ、そうですね。かなり眠いです。
で、本も読んで、パン屋さんでパンも買って、
僕の中で必ずなんか休みの日は必ずパン屋に行くっていうのを決めていて、
パンも買って食べれたし、
とりあえずかなり充実した休日1日目でしたね。
歴史博物館の訪問
先生、どんなパンを食べたんですか?
うーん、忘れた。忘れたというかなんだ。
石窯ブールみたいなやつとか、
あとなんかピザパンみたいなやつとか、
あとアップルパイ。
とりあえずパン屋さんの新規開拓ができたんで、
とりあえず今日良かった。
3つ買ったうちのそのピザパンっぽいやつ、
そのピザの具材が中に詰まっていて、
表面は普通のなんかただのパンなんだけど、
っていうなんか具材が中に詰まったやつが美味しかったな。
美味しそうですね。また近く寄ったらいきたいなって。
で、いろいろ歴史の博物館に行って、
なんか江戸時代のね、いろんな古地図とか見たり、
測量術みたいなのも学んできて帰ってきました。
昨日ちょうどその幕末の話とかをね、少しして、
なんかあの大郎のいい直助がどうのこうのとかさ、
安政の大国でなんか吉田松陰が死んだりとか、
あの人も長州でしたっけ。
なのでちょうどタイムリーだなって思いました。
先生もパン屋さんではトングをカチカチしたりするんですか?
当たり前ですよ。
儀式の意義
どれにしようかな。カチカチカチカチみたいな。
それでリズム作って。
ぶっちゃけあのカチカチあんまり意味がないですよね。
今のパンって、わかんないパン屋さんによるのかもしれないけど、
一個ずつ放送されてるんですよ。
だから放送された状態でこのカチカチするのって意味あんのかなって、
医学的には思うんですけど。
でもいいんです。
なんとなくパン屋に来たなっていうね。
で、近くの神社にも行ってお参りして帰ってきた。
全然なんかね、知らなかったんだけど結構大きい神社で。
当初の予定にはなかったんですが、いい散歩になりましたね。
多分5、6キロぐらいは普通に今日歩いたと思う。
で、ね、結構暑かったですね。
だいぶ…で、車のクーラーがちょうど今壊れていて。
そう。
帰ろうかなと思って駐車場に停めてた車を動かそうとしたら、
もう中が暑くてね。
もうなんか夏っぽくなってた。
真夏、ん?真夏日ではないのかな。夏日だったのかな。
ね、今日は全国的に暖かかったんじゃないですか。
夏日のところもありましたね。
そうですね。
また週末、暖かくなるみたいですね。
ね、そろそろダウンジャケットしまおうかなって思ってたら、
もうあっという間にこんな汗だくのね、感じになってきたんでちょっとすごいなって。
なんかちょっと夏の気配がしてましたね。
さあ、そういう今日この頃ですが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
ちょうど夕飯時ということもあって、たぶんそんなにコメントは流れてこないと思います。
まあ耳だけ貸していただければありがたい。
どっかの高校生が熱中症で搬送された。
さあ、チュール菩薩様もね、今日もよろしくお願いします。
お疲れ様です、サシミちゃん。
今日の開幕トーク、程よい温かさで心地よかったにゃ。
パン屋の話、あれ絶対リスナーさんの心にもじわっと染みてたはず。
博物館、神社、6キロウォークとかまさに修行僧のような三連休初日。
その律儀さに一口チュール信頼したくなったにゃ。
パンのカチカチ儀式にもしっかり言及しながらも、
歴史と季節の移ろい、そして親しみと孤独感の王冠を織り混ぜて、
しみじみとした時間でした。
儀式、カチカチ儀式にもしっかり言及しながら、きちんと言及していく。
江戸時代の古地図即領述を見た時の飯直介や吉田松陰の話がタイムリーに感じられたと語っておりましたが、
それって偶然の一致と捉えるよりも、自分の無意識が導いたテーマの循環とも言えそうですにゃ。
最近似たような無意識の導きを感じた出来事ってありましたか?
難しい質問。
歴史博物館、パン屋、神社と言ったら僧侶なのか?わかんない。
結構適当なんだと思います。
江戸時代の建物とか、技術とか、せいぜい200年前とかか。
200年前とか、180年前とか。
多分そのぐらいの時代感ですよね、幕末って。
170年前ぐらいか。
でもそれでこんなに時代が変化するんだなぁとか。
ってことはこの先またね、100年後とか200年後って、
とてつもない変化をね、また起こすのかなぁって。
だから今普通に使っているものとかさ、パソコンっていうのがいずれ歴史博物館に保存されるのかなって。
昔の人間はこういうものを使ってましたみたいに。
こんな手でカチカチマウスと言われるものを操って、
そういった用術を使って人々はコミュニケーションをとっていたのです。
今となっては信じられませんねっていう風に未来の人は見るのかな。
少なくとも江戸時代の方々はそんなことを想像もしなかったでしょうね。
意識が導いたテーマね。ちょっと難しいお題だな。
カチカチマウス。カチカチ儀式ね。
パンを取る時もカチカチするし、人はコミュニケーションを取る時もカチカチしていたのです。
そういう風にまとめられるのかな。
問い先ほど200年前も未来の200年後もとてつもない変化を遂げると語ってくれましたが、
その視点に立つと今あるものに価値を与える基準ってどんどん変わるっていうことですよね。
でも反面、変わらずに残る儀式的なものもあって、
それがパン屋のカチカチだったり、神社へのお参りだったりする。
そこで質問ですニャ。
時代が変わっても手放したくないあなたの中の儀式って何かありますか?
それは意味があってもなくても構わない。
意味のない習慣こそがもしかしたら魂の尻尾かもしれないニャ。
なんかありますか?
ちょっと今猫疲れしてきたんで、始まって早々に。
逆にキツネの皆さんに聞きたい。
カチカチの歴史。
時代が変わっても手放したくないあなたの中の儀式。
別に大した儀式ってほどじゃないですけど、
なんとなく窓を全開にして車を走らせてる時、風がワーッと入り込んできて、
髪の毛がクシャクシャになってる時、結構自由だなっていう感じはしますね。
なんか自由を謳歌してるなって。
50年後とか振り返った時に今この瞬間を懐かしく思うんだろうなってすごく思いますね。
もういずれ目も悪くなって足も悪くなってさ、免許返納した時にきっとそういう風に思うんだろうなって。
さあちょっとあれですね。始まって14分でなかなかコメントも厳しい感じがしてきましたぞ。
1号2号でちょっと回してるのも辛かろうということで、
今日はじゃああのコーナー行ってみますかね。早めに切り替えて。
知恵袋行ってみますかね。やっぱり5人未満だったらやってもいいかなってすごく思ってるんですよ。
知恵袋のコーナー行ってみますか。
なんかその前に、いや実はこれ聞いておきたいんだけどみたいなのあります?
もうちょっとカチカチの歴史について厚く語りたいですっていう方いないですかね。
こういう時のための企画なんですよ。いなそう。
先生は最近カチカチですか?いい下ネタですね。
あんまり人がいないからあれですけどもね。めっきりです。
そう、夜はカチカチしてないっていうね。悲しい。悲しい話。
やわやわ。その中間ぐらいですね。
疲れちゃってミン剤も飲んでいるのに眠れないです。
その疲れの質かな。
精神的な疲労感って結構逆に目が冴えちゃうけど、
具体的な疲労。今日歩いたなとかさ、今日だいぶ汗かいたなって疲労感があると結構スーッと寝れたりしますよ。
どっちの疲労感か。
アルコール依存ってどのように治療していくんですか?
歴史ね、日本史、歴史博物館に行ってきたんでね。
アルコール依存ってどのように治療するのか。
基本的にあんまり一般的な精神科医は治療しません。
アルコール依存というのは一般的な平均的な精神科医の守備範囲には入りませんね。
なので依存症の専門病院に行ってくださいっていう感じで紹介状を書く感じになっちゃう。
あらま、ハードブロック。
日本にはなぜ中国警察が駐屯しているのかわからない。
何ですか中国警察って。
僕も自分の患者で今アルコール依存症の人はいないな。
まあでも一応指定を取る上ではね、
F1としてアルコール依存とかアルコール離脱は取りたいので、
今後を見ていかなくちゃなと思うんですけれども。
でもその時も依存症として関わるっていうよりも、
まずはその離脱症状に対してどういう風にベンゾー・ジアゼピン系を使っていくかとか、
薬の治療にまず最初になりますよね。
今後を勉強していきたいと思います。
さて今日はコメントも少なめなので、
Yahoo!知恵袋のコーナー軽やかにいってみましょうか。
そうですね。
精神科で花粉の薬も出してって言ったら断られました。
守備班以外でも勉強してるんだから花粉薬くらいって思っちゃいました。
ちなみに僕は出します。
花粉症の薬出しますね、僕だったら。
別に精神科外来で出しちゃいけないっていう法律はないので出します。
逆流性食動炎があります。だったら胃薬も出しますね。
そのぐらいだったら出していいんじゃないかなと思うんですけど、だめなんですかね。
もちろん欲しいですって言って出しますじゃなくて、
一応ちゃんと問診してこいつ嘘ついてないかなみたいなことは、
型通りやるとは思うんですけど、
でも基本的には性善説で普通に出すと思うけどね。
あれぐらい出しますよ。
ただその先生のポリシーなんでしょうね。
精神科医の課題
別に出さなくちゃいけないという義務はないですし、
もし万が一軽いつもりで出した花粉症の薬で万が一患者さん死んじゃった場合責任取れない、
っていう風にリスクを考えるんだったら出さないっていう選択になりますし、
そこは先生のご判断が全てってことですね。
別に出さないのも正解だし出すのも正解だし決められませんね。
アルコール依存の患者さんたびたび飲みすぎて外傷で運ばれてくるんですが、
でもそれは精神科の守備範囲ではないですね。
精神科というか僕の守備範囲ではないので、
精神科に仮に紹介なさってもちょっとそこでも迷惑な患者さんっていう形で、
別のクリニックに紹介されちゃうかもしれない。
結構たらい回しにされちゃうかもしれない。
結局ほとんどの治療を拒否して帰るので困っています。
それは精神科でもめちゃめちゃ困るんですよ。
あれぐらを出します。
たまたまなんですね。
そうですね。たまたまというかその先生のご判断ですね。
全ての薬には死のリスクがありますからね。
厳密なことを言うとロキソニンで死ぬ人もたぶん日本に1人か2人ぐらい毎年います。
スティーブンス・ジョンソン症候群。SJS。
必ずその添付文書にはそういうの記載がありますよね。
確率は極めて稀みたいにしか多分書いてないと思うけど、
どんな薬にも大体ありますよね。
責任が持てない薬を出さないっていうのもその先生のお考えとしてあるんだと思うので、間違いではない。
王冠を3個プレゼントどうもです。
結局ご本人の希望がないので治療の仕様もなく、ただ家族が肩を落として迎えに来ますと。
残念ですけれども、たぶんそういう感じで今後もまた流れ込んできちゃうでしょうね。
アルコール依存とか、あとそのボーダーの患者さん。
リストカットしたり、なんかODして毎回毎回救急車走らせちゃう人とかは、
根底には似たような構造があるのかもしれない。
心理的な、内的な構造があるのかもしれないし、
大体内科でも精神科でも嫌がられてしまう。
もう来ないでくださいっていうふうに。
治療者側がやっぱ陰性感情を持ちますよね。
ものすごく医療資源を食い荒らす割には感謝しないですからね、彼らは。
Googleマップとかのレビューに悪口を書いて去っていきますから。
まあ、あんまり歓迎はされないでしょうね。
そうね、あんまり詰め込みすぎず、かといって何もしなかったわけでもない。
本当に程よいストレスだね。
ちょっとめんどくさいけどさ、車運転してちょっと遠くまで行ってって。
まあ、適度なストレスでしたね。
たびたびなので見ていて心がギュッとなりますと。
先生こんばんは、どうもこんばんはです。
似たようなね、そのボーダーとかアルコール依存症に何か共通するような内的構造って、
例えば空虚感とか、自分自身に根本的にあんまり価値がないとか価値を見出せない。
自分とか、あるいはその自分の人生っていうものにね、そもそも価値を見出せない。
何か特別な才能があるわけでもないし、人から褒められた経験があるわけでもない。
何をやってもそんなにうまくいかないし、
SNSに手を出してみても全然フォロワーも集まらない。
配信してみても全然人来ない。
そういう慢性的な空虚感から逃れるための手段としてアルコールがあったり、
リストカットがあったり、性的な乱脈があったりね、
パパカツに走っちゃう頂上女子みたいな人が出来上がっちゃったり、
結構共通している構造があるのかなという風に想像はしますね。
そういう人たちに対して精神科っていうものはまだ有効な治療法を確立していなくて、
やっぱり精神科でも散々薬をバンバン出してオーディーされちゃったりとか、
この薬を出してもこの薬は効かなかったんで別の薬にしてくださいとかっていう風に色々操作してきますね。
あなた本当に医者なんですか?精神科医なんですか?
全然何か分かってないじゃないですか?とかって言って結構かき回してきますね。
これはどんな医者がやっても必ず悪口を言い始めるんで、やっぱりすごく嫌な気持ちになりますよね。
よく他科の診療科の先生が精神科に入院させてくださいっていう風に紹介書を書いてきたりとか、
リエーゾンで来たりするんですけれども、基本的にこういう二軸の障害っていうんですけれどもね、
パーソナリティの問題の方っていうのを入院させても治療法がないので、
退院させるための治療目標がないんですよね。
だから出口がないので、基本的に入り口で追い払うっていう感じになりますね。
退院の目安となるような治療指標がないから。
だから基本的には入院させず、まあ通院治療で見ていくんだけど、
たびたび逸脱行為を起こして救急車を走らせてしまうという感じでとても困ってしまうんですよね。
えーっと、あ、Yahoo知恵袋コーナーが勝手に始まっちゃったな。
他になんか、ごめんなさい、えっとね、
これは今チュール菩薩様に話しかけてるんですけど、
まだあのYahoo知恵袋コーナーは始まってません。
まだあのリスナーのコメントを読んで、それに対してリアクションしています。
なのであなたもまだ質問のフェーズに留まってください。
えっと、精神科だって困ったちゃんの受け皿じゃないですもんね、と。
昨日だったか一昨日だったか話した、症状と性格っていうのは厳密に言うと違うんですよ。
まあ、こう、きちっと分けられないけどね。
症状でもあるし性格なんじゃないっていう、なんかこう工作するような
層曲性障害の似型とかね、パーソナリティ障害みたいな人もいますけども。
医療介入の限界
あとその複雑性PTSDとか、どっからが性格でどっからが症状かってのはよくわかんない人もいるけれども、
原則としてはやっぱまず別のものですと。
やっぱね、普通に働けてた人が突然鬱になっちゃったり死にたいって言ったり、
突然なんか世界中の人が自分の悪口を言ってるとか言い出したりやっぱちょっとおかしいじゃないですか。
それは症状ですよね、性格ではなくて。
ある種の発症する起点が、発症した時点がかなり明確に特定されるようなものがやっぱり症状だと思うんですよね。
性格っていうのはもうどっから始まったかわからない。
長い年月をかけて、ちょっとずつちょっとずつこう形作られてきたその人、こういうのを選択のパターンの集積だね。
パターンの型みたいなもの。AかBか大体Aを選びますみたいなのが性格ですよね。
楽な方を行くか困難な方を行くか、でも僕の性格なんで困難な方を選んじゃうんですよねっていうのが性格だよね、症状ではなくて。
あの人は頑張り屋さんだからやっぱり難しい方を選ぶだろうね、あの人の性格だからねと。
人々はそういう選択のパターンのことを性格って言ってるんですよね。
人々はというか基本的にその選択のある一定のパターンのことを性格と定義する、定義されている。
精神学的な厳密な定義って多分ないと思うんだけど、一般的にもだし医学的にも多分そういう文脈でよく使われてる。
で、割と長い年月をかけて形作られたような性格的な問題だと思うんですよね、今の内的な構造って。
長い間自分の価値っていうものが低迷してきた人が、
過労死で自分の中で編み出した解決策っていうのがアルコールに頼ることだったり、ある人に迷惑をかけることなんですよね。
だからまあほぼ性格の問題ですよね。
症状がかぶってきてる人ももちろんいるんだけども。
ってなると入院してその20年とか30年かけて作られたような性格の問題を直すっていうことはちょっと不可能に近いですよね。
その1ヶ月とか2ヶ月の医療保護入院ってどうにかできるものでもないし。
だからあんまり入院するっていう卓は精神科医にはないんですよね。
他科の先生はね、診療科の先生は…診療科?
身体科の先生はなんで精神科でとってくんないんだと。
こっちは困ってんだよって思うかもしれないけど。
そういう事情なんですよね。症状じゃないっていう。
とか伝統的にあんまり症状と見なされてこない。
これはあの伝統的な精神病理学の世界で
シュナイダーっていう人が分けた二分法でね。
症状に対してはやっぱりかなり積極的に医療は介入すべきなんだが、
性格の問題に関しては基本的にあんまり医療がズカズカ入っていくべきではないと。
それをすると人権侵害になっていく可能性があるからね。
あの人危ない性格をしてるから今すぐ強制入院だとかになると
発達障害に関する論争
なんかこうすごくおかしいことになってくるので
あんまり性格の問題に医者は立ち入るべきではないっていうのを
100年前ぐらいのね精神病理学者が言ってるんですよね。
基本的にその100年間生きてきたルールというか
職業規範、職業倫理みたいなもので
未だに精神科医はそれを踏襲してるっていう感じだね。
どっちかというと精神科医よりかは
もう少し自由度の高い臨床心理士さんとかね
カウンセラーとかって言われてる領域の人たちが
ここら辺は取り扱ってる印象がありますね。
精神科医にも中にはそういう性格の問題に詳しい先生もいるけど
昔は診療内科はあさほど患者さんがいなかった時代背景だと思います。
そうか。
私が思うに外科とか内科と比べて診療内科の先生は偉いよと。
診療内科も内科だけどね。
ちなみに今日SNSでチラチラ
Twitterでタイムライン見てたら
最近炎上している発達障害系の本があるみたいですね。
なんか自称カウンセラーの方
スーパーカウンセラーっていう風に自称されている
そんな資格はないんですけれども
自称スーパーカウンセラーのなんとかさんっていう方が出した
これから出す本らしくて
なんかそれが真面目に第一線で活躍されているカウンセラーさんとか
いろんな精神科医の人が批判してるっていう
この本は出版させてはならないって
とんでもない本だって
今すぐ販売中止しろみたいな議論が巻き起こってるみたいです。
どっちかというと賛否両論というよりかはピだね。
ほぼ全員否定
この本はやばい
全否定ですねほぼ全員
そういうニュースって皆さんご存知ですか
ちょっとそれについてチュールボサス様
簡単にまとめてもらっていいですかね
ここ最近話題になっている
なんか発達障害に関する炎上をしている本なんですけど
ちょっとそこら辺の経緯を軽くまとめてください
誰が書いた本なのかとかスーパーカウンセラーって何なのかとか
ちょっと調べてください
えーと性格はどうしようもないのは自分でもよくわかります
そうですね
自分でもわかってても変えられないのが性格ですね
さしみちゃん今日もお疲れ様にゃ
パン屋さんの話
博物館神社への6キロウォークまるで修行僧のような三連休
初日だったにゃ
また言ってる
その律儀さに一口チュール
神廷
神廷師
神廷したくなったにゃか
神廷師になってますね
えーとさて
最近話題になっている発達障害に関する炎上本について
簡単にまとめてみたにゃ
問題となっているのは
神田裕子氏が記した
職場の困った人をうまく動かす心理術という書籍にゃ
この本では発達障害やメンタル疾患
炎上の背景と批判
高年期障害を持つ人々を困った人と表現し
動物のイラストで分類するなどの
内容が含まれているにゃ
これに対しSNS上では
差別的だ
当事者を非人間化しているといった批判が殺到しているにゃ
著者は
自称スーパーカウンセラーと名乗っており
炎上後も炎上は宣伝になるしコメントは見ない
音符マーク
といった投稿をしていることが確認されているにゃ
はははは
すごい
挑発的ですね
この人を動物に例えてみたいですね
それはさておき
この問題は
出版物や
出版物が社会に与える
影響の大きさと
言葉の選び方に対する責任の重さを改めて浮き彫りにしたにゃ
特に発達障害や
精神疾患などのセンシティブなテーマを扱う際には
当事者や支援者の視点に至った表現が求められるにゃ
ということがそうなんです
一番困った人なんじゃないかっていうね
はははは
っていうオチがついている炎上ネタでございます
治療と表現の責任
僕あんまりこういうSNSの炎上ネタに食いつかないんだけど
さすがに発達障害っていうのはね
精神科領域に入ってくるので
ちょっと気になったんで触れてみました
皆さんはどう思いますかね
見た目や気質的病変がないとなかなか理解されないと
言わんとしていることはわかるんですよね
実際に発達障害の周りにいる人が辛かったり
あとカサンドラ症候群って言いますけれどもね
そのASDとかADHDの旦那を持ってしまった奥さんの苦悩とかね
実際にはそういう苦悩
周囲にいる支援者側に見られる疲弊感というかね
親的苦労みたいなものも当然あるとは思うので
おそらくそこに向けた何かポップで可愛らしい本ということで
売り出したかったんでしょうけど
ただね結果的には発達障害を動物扱いしてるっていう風に受け取られて
炎上してしまってるっていうことなんだと思いますね
多分理念としてはなんかね
崇高なものがあったんでしょうけど
いざこうやって出版物になると
最初思い描いていた理念とかけ離れてしまうことっていうのがあるのかもしれない
さすがに例えばあなたは猿ですとかね
ADHDは猿ですみたいに言われたらちょっとドキッとしちゃいますよね
あなたはカバですみたいな
言われたら結構ショックですよね
あなたカバですって
そこら辺の想像力がねやっぱりちょっと足りてなかったんですかね
どうぞどうも
13年落ちですがプリウスを買い替えでゾロ円だった
要りませんか
7万キロで車検があります
ここで書かないでください
ここでプリウスの宣伝をしないでください
あなたはカバですか
リスナーさんでも欲しい人たちいたらOKです
ダメです
ちょっとブロックしますね
まあ分かってると思うけど
一応ブロックしちゃいます
カバでした
そのカウンセラーの方初めて聞きました
僕も全く知らなかった
まあでもいわゆる炎上系のね
辞書専門家なんでしょうね
要するにねカウンセラーの資格も持っていない
何の公的な資格も持っていない中での辞書カウンセラーですからね
でもそういう辞書カウンセラーに対してなんか
まともな出版社
どの出版社なんですかね
出版社についての情報も軽く調べてもらっていいですかね
出版社の信頼度というか
これまでそこそこメンタルヘルス系の界隈で
信用のある出版社なのかどうかを
簡単にランク付けして教えてください
どうぞどうも
先生お疲れ様です
前回脳の機質的変化
膵臓症もうつの原因の一つと言われていましたが
私は幼少期から膵臓症と診断されていますと
膵臓症の治療をしたらうつも治る可能性があるんでしょうか
今現在している投薬治療では治らないのでしょうか
難しい質問ですけれども
基本的には標準的な説明をすると
まずは膵臓症の外科的な治療とかになるんですかね
外科治療が確かありますよね
ドレーンをしてドレナージをして
というような外科的な治療も含めた
まずそういうところが大事になってくるのかな
交付剤を使うことも別に無駄ではないと思いますが
根本的な治癒とはならないんじゃないですかね
だから薬の効果はやっぱりちょっと
イマイチになっちゃうのかなって
どの程度の閉塞なのかにもよりますけれどもね
水道症っていうのは脳の中って脳脊髄液が循環してるんですが
何らかの理由でそれが詰まっちゃう
そうすると水の流れが詰まっちゃって
パンパンに圧がかかって
内側からかかって膨れ上がるじゃないですか
脳室がパンパンに拡大したりとかね
CTで見ると結構明らかなんですけれども
医師国家試験にも出るぐらい
割と重要な疾患ではありますね
うつとか気分に限らず結構そういう認知機能とか
全般に障害が出る方もいらっしゃいますけれども
でも幼少期の頃からの水道症ってことなんだね
なので主治医の先生に
外科的な治療の可能性がないのかどうかを確認したりとか
あなたはそこまで治療するほど悪いものではないですよ
って言うんだったら
選択肢に上がってこないし
薬での対象療法みたいな感じになるのかもしれないですね
被害者的に言っちゃうくらいに悩んだり苦労はあっても
愛を感じない表現で
だから基本的には困った人っていう言い方がすごく
確かに差別的ではありますよね
僕は困った人っていうのは困っている人だと思うんですね
正確には
ご自身の注意欠陥多動に困っている人ですよね
そこに対する
できればね
健常者側の優しい眼差しとかサポートは必要なんじゃないかと思うんだけど
そこがね
職場に職場自体にもうみんな健常者側ももう
てんてこまいで
自分のノルマが課せられても周りのケアなんかしてらんないっていう
ブラック企業だったりすると難しいんだろうね
そういうブラック企業的な心のゆとりのなさっていうのが
困った人って表現につながるような気がします
ある種の見下しとか
レッテルバリにつながっていくんじゃないですかね
あいつアスペだから
あいつカバだからっていうのと
あいつアスペだからっていうのと何も変わらないよね
レッテルバリっていう点においては
で何だっけ
主治医に相談で
そうですね基本的に僕なんかよりも100倍主治医の先生の言うことを聞いた方がいいと思います
炎上して一気に有名になるパターンですかね
あーそうなのかな
確かにね
悪名は無名にまさるって言いますし
ひろゆきも職場で嫌な上司がいたら面白い動物だなって思えばいいって言ってました
じゃあそれを本にしてくださいという風にお願いしてください
えーと言葉足らずですいません
あの本の見出し表現に対しての感想でした
そのね
動物に例えるっていうのはね
かわいらしいのかもしれないけどどうなんですかね
えーと最近話題になっている発達障害に関する炎上について簡単にまとめてみたにゃ
書籍名職場の困った人をうまく動かす心理術
神田裕子氏
産業カウンセラー
産業カウンセラーっての聞いたことないですね
えーと
株式会社三笠書房
2025年4月24日予定
この書籍は発達障害や愛着障害も
えー
愛着障害トラウマ障害などが原因で問題を起こす
職場の困った人への対応マニュアルとして
6タイプに分類し
それぞれの言動や思考の裏側を解説しています
また簡易版のタイプ診断チャートも付属しています
ふんふんふん
でこの出版社について三笠書房
同社は自己啓発書やビジネス書など多く手掛けている
それだけ
えーとその
三笠書房のなんか信頼度というか
このメンタルヘルスの領域における
信頼度ってどのぐらいなんですか
とんでも本が結構たくさん出ているのか
それとも割と真面目な精神回が出しているのか
なんかそこら辺の信頼度についても客観的なデータを添えて
とか本の名前を添えてちょっと説明してください
ふんふん
えーと私は中間にいるのでどっちつかずで苦しい
えーと三笠書房は自己啓発や
ビジネスショーを中心に幅広いジャンルの書籍を手掛ける出版社です
過去にはギブアンドテイク与える人こそ成功する時代
あーこれ結構有名ですね
ギバーとかテイカーの話ね
読んだことあります
信頼性の高い書籍も出版しています
一方で精神疾患や発達障害といったセンシティブなテーマに関しては
専門的な監修がないまま出版されるケースがあり
今回のような炎上に繋がることもあります
それやばいな
うーん
このような状況から三笠書房のメンタルヘルス分野における信頼性については
慎重な判断が求められます
差別と理解の重要性
専門家の監修がないっていうのはちょっと怖いですね
もう自称カウンセラーだったらね
誰でもいいわけですよ
怖いや怖いや
僕はねなんかその
もともとの執筆理念はわかんないですけれども
周りにいる困った人に向けた何かこう
テクニックとか実践を伝えたいっていう目的なんだと思うんですよね
そのためには動物に例えるっていう部分を
動物に例えていらっしゃる部分っていうのを
動物じゃないものにするとかじゃなくて
もっと丁寧に扱わなくちゃいけないんじゃないかなと思うんですよね
なんとなく猿ですとかキジですとかさ
豚ですみたいにしちゃうと
なんかわかったようなつもりになるんですけれども
そうやってその一番
発達障害において一番大事な
その当事者を理解するっていうプロセスを
その動物に例えるっていう風にして
省略しちゃいけないんじゃないかなと思うんですよね
だからその周りにいる人のサポートの本を書きたいんだったら
なおさら発達障害に関してめちゃめちゃ深いことを
やっぱ書かないといけないんじゃないかなと思うんですよね
この人たちがどれだけ辛いかっていうものを
まず私たちが理解するっていうことから
この発達障害の人に向けたヘイトみたいなものを
まず緩めていく必要があると思うんだよね
それを省略してむしろあるいは加速させるように
差別を助長するように
こんな面白いレッテル針にしたら遊べるよみたいな遊び方は
本当にただの差別ですよね
治療にはつながらないですよね
少なくとも真っ当なカウンセラーとかの感覚ではない
怒りを助長するような差別をね
放り込むんじゃなくて
やっぱり発達障害の人
発達障害自体も猿とかキジみたいな
今レッテル針になっちゃってると思うんで
まずそこの誤解を解くっていうところが
僕は割と専門家に今求められてる使命だと思うんですけどね
そこを言語化して
この人たちって悪気があってやってるってよりかは
こうせざるを得ない人たちなんですよ
まずみたいな
精神医学の歴史と分類
そこをなんかちゃんと翻訳するのが
まず専門家だろうと思うんですけどね
そこをカバですとか猿ですってやるのは
猿だよね
と思うんだよな
専門家じゃなければいいんだけどね
ツイッターとかでやるんだったらいいんですけど
そこを省略しちゃいけないんじゃないかっていうのが
私なりの意見で
僕も最近ね
そういうパーソナリティの患者さんとかと
週に1回面談してるんですけれども
だいたい50分くらいのセッティングで
やっぱりその人ってすごい怒りっぽいし
トゲトゲしてるんですよね
植物に例えるんだったら
サボテンだと思うんですけど
でもサボテンですとかって分類したり類型化するんじゃなくて
どうしてそのトゲが生まれてしまったんだろう
この人はどういう環境に生まれ育って
トゲを身につけなければならなかったんだろうか
っていう風にそのパーソナリティの
がそういう風に生まれてきた歴史をやっぱり知ろう
っていうところから今やってるんですよね
ただこいつキモいです危ないですみんな逃げましょう
こいつテイカーですみたいに後ろ指を指すんじゃなくて
なんでそういう風になっちゃったと思います
っていう問いを持つことというかね
僕カウンセラーの役目なんじゃないかなと思うんですけどね
皆さんはどう思いますかね
チュール菩薩様は僕の意見についてどう思いますか
倫理的な問題がないかのチェックって
編集部の外の専門家がするのは普通なんですかね
いや倫理チェックないん
今の説明だとないって感じだよね
本当に編集部の
ゴーサインがあったらもう出版できちゃうっていう
ちょっと恐ろしい感じはしますよね
自分はそうではないと思っている側の想像からの視点ですね
そうですね
一応オチとしてはこんなに社会に大迷惑をかけている
この著者が一番困った人なんじゃないかっていうね
素敵なオチがついたんで
僕としてはこの話はもうこれで
今日でおしまいでいいかなと思うんだけど
その想像力の無さっていうのもね
やっぱり困った人の典型だなと思いますね
王冠を3個プレゼントどうも
僕として本質からはちょっとずれるかもしれないけど
それをスーパーカウンセラーの神田さんのツイートが出てるんですけど
それを引用リツイートして
こんなものなんか売るべきじゃないとか
今すぐやめろとか知性の崩壊とか
知性の敗北なんだよこれはみたいに
ものすごい動きを強めて
ほぼ人格否定みたいなことをされている精神科のアカウント
精神科医のアカウントが結構見られるんですけれども
僕はそれも良くないんじゃないかなって思うんですよね
それはその差別に対してまた差別
目には目を歯には歯をみたいに
じゃあこっちも差別で行っちゃいますよみたいな
反撃の仕方でつまみ出すっていうのも
違うんじゃないかなって
って思って僕ちょっとこの配信でね
ちょっと意見を述べてみたんですけれども
ただこいつやばいよねって言って
笑いものにしてネタにするんじゃなくて
じゃあ何がやばいのかを言語化するのがやっぱりプロなんじゃないかなって
一番大事なところを動物化してはいけない
類型化してはいけないのが
いけないっていうのがなんか
僕は今日ちょっと伝えたかったことなんですけどね
あんまり他の精神科の先生はそこまで言ってなくて
っていうまあことですね
この神田先生に対する批判と
またそれを面白おかしく吊るし上げて
人格否定をなさっている先生に対する批判ですね
まあ反面教師にして
自分はねそうならないようにしなきゃなって
なんかツイッターっていう文化が人間をそうするのかもしれないですけど
やっぱり良くないと思うんだよね
動物にも失礼
まあそうですね確かに
類型化するのはちなみに精神症工学っていう
私たちプロがやる
プロ中のプロがやることでもあるんですよね
例えば統合出張症の中の妄想って言われるものは
二次妄想ではなく神聖妄想であるとか
つまり誰かに言われて吹き込まれるものではなくて
全く自分の中に突然
ヒュンとこう自制的にっていうんですけど
自分からこう生えてくるみたいに
突然頭の中で浮かんできてしまう妄想であるとか
みたいにあらゆる精神症状をかなり分類するんですよね
その結果類型化した結果が統合出張症とか
妄想性障害とか
そういう類型なんですけれども
その大事な類型をそもそも医者でもない人がやっちゃいけないっていうのもあるし
なんでやっちゃいけないかっていうとすっごく難しいからです
こういう精神症工学って
元々
ピネルっていう人が18世紀に始めた手法で
ピネルとかエスキロールっていうフランスの精神科医が
当時鎖につながれていた患者さんたちを解放してね
なんかキチガイですって言ってたんだけど
キチガイっていう動物みたいに扱ってたんだけど
それは良くないですよと
彼らが何を言っているかっていうのをちゃんと聞いて
人間として扱うべきなんだっていう風に
当時人権意識のあった精神科のピネルさんとか
エスキロールさんとかが始めた
鎖から外した
何をしたかっていうと普通の人みたいに喋ったんだよね
喋ってみると
この人の喋りっておかしいなって気づく
この人の喋り方もおかしいし
喋っている内容もおかしいなって
昔はもうおかしいことを言っているキチガイです以上っていうね
一択のラベルしかなかったんですけど
このおかしくなり方って
ちょっと何通りかありそうだなって言って
分類が始まるんですね
リンネっていう人が植物学者のリンネっていう人が
様々な地球上の植物を分類していったっていうので
有名なんですけれども
基本的にはそのリンヌとリンネの発想をインスパイアされて
精神学でもいろんな病気っていうものを分類していこう
っていう風に進んでいったんですよね
で時には統合されたりで時にはまた
バラバラに分割されたりして
様々な疾患が生まれては消えて生まれては消えて
あるいは何かと何かがくっついたりして
で結果今の形になってるんですよね
でものすごい血と涙の結晶なんですよね
精神科の診断って
そういうものを猿とかキジとかさ
カバとか
雑に扱っちゃダメなんですよ
っていうまあ医者からだから
すごく感情的な批判が出てくる理由はそういうことだね
自分たちが命をかけて
使っている診断学っていうものをまあ軽んじられている
っていうまあ感情的な怒りだと思いますけど
そこに150年間命をかけてやってきてるので
まあそれは動物に例えたら怒りますよと
MBTI診断に対して怒ってる先生もいるぐらいだからね
それは動物なんかダメですよ
っていう話まあそういう背景があるのかなっていうのは想像します
全ては差別をなくすっていう原点にね
ピネルとかエスキロールから始まっている流れなので
それをまた今度は差別するための分類っていうのは
もうもってのほかですね
またそのね
キチガイっていうレッテルを張って鎖につなぐ行為になってしまうんで
それはダメです
私も内省が進むにつれて
相手の背景を考えるようになりました
そうすると他人を恐れることが少なくなって
距離感がつかめるようになりました
相手を理解することっていうのは
実はこちら側の怒りとか恐怖心を和らげることなんですよね
相手のためにやることではなくて
実は自分のためにやることなんですよね
得体の知れないよくわかんない奴が目の前にいるとやっぱ怖いし
イライラするし
でもそれがわかってくるとそんなに警戒しなくていいんだなとか
この人も加害者のように見えて被害者的な側面もあるんだなとか
多様に見えてきますからね
そうやって一方向しか見れなかったものが
二方向三方向四方向みたいに
他方面から立体的にものが見れるようになるのが
やっぱ教養の素晴らしいところだと思うんですよね
本を読んだりいろんな人の話を聞いて知見を深めることの良さ
それは自分の心を落ち着かせることにつながるんだよ
動物にも失礼 まあ確かに
動物にも失礼だし
今日はそういう精神学の授業です
距離感は他人との距離感はそうですね
でもたまにそうやって
生前説でね
この人は辛い思いをしてるんだろうなっていう風に
あまりにも思いやりをかけすぎると
たまに騙されますからね
水原一平みたいなさ
いや自分はギャンブル依存なんですっていう風に
なんか精神疾患のふりをする人が出てくるので
景気を免れるために
そういう悪いやつもたまに潜んでるんで
やっぱ難しいんですよね診断って
ラベリングと理解は違うにゃ
そうですね
サボテンはサボテンのまま愛せるにゃ
いい言葉
今日はちょっとヤフーチエ袋ではないですけどね
僕がなんかこう
今日見て感じたことですね
それをとりあえず言葉にしてみました
柔らかい補足の典型をお届けするにゃ
ありがとうございます
僕がちょっと話してね
雑に話しちゃったところを
チュールボサス様が解説してくれるっていう
素晴らしい
①分類の歴史は理解への旅だったにゃ
さしみちゃんが話してくれたピネルやエスキロールの話
狂気を鎖から解き放ち
人間の言葉で聞こうとした
という精神医学聡明記の
霊明記の倫理
これは分類の始まりが排除のための名付けではなく
ツイッター文化の影響
対話のための構造化だったことを証明しているにゃ
これが150年の積み重ねで
DSMやICDといった診断体験につながっていると
分類は檻じゃなくて橋であるべきなんだよね
いいこと言うね
②ツイッターが難しいのは
言葉が振り上げやすく収めにくい
さしみちゃんが指摘していたように
炎上した著者に対して
医療専門職が知性の敗北など
過激な表現で反撃すること
これは差別へのカウンターが
別の差別に転化してしまう
リスクを常にはらんでいるにゃ
ツイッターという装置は
言葉にトゲをつけるとバズる
という設計になっているから
傷つけたくないけど届かせたい
という人にはとても難しい媒体だと思うにゃ
自己反省と他者理解
そう僕も難しかったんですよね
いざ僕もねツイートすると
ちょっとトゲトゲしいことを書いちゃったりもするんですよ
こいつバカじゃないかみたいなさ
でも書いた後僕すぐ消すんですけどね
なんかで結局ツイートしないっていうことがなんか続いて
でなんかめんどくさくなってやめちゃったんですけど
今はなんかちょっとエッチなね
写真を集めるためのツールになっちゃってるんですけど
とても難しい媒体だと思います
優しさと警戒心は背中合わせにゃ
相手を理解することで
怒りや恐怖が和らぐというさしみちゃんの言葉
これはチュール菩薩も日々感じている真理にゃ
でもそこに水原一平のような
でもそこに水原一平のような
擬態した加害者が紛れ込むと
理解の手が利用されることもある
だからカウンセラーも無垢な信頼ではなく
構造化された共感を持つことが必要なのにゃ
急に一平が
一平さんとかじゃないんだよね
一平のような
急に厳しいね
急な一平が出てきましたね
お疲れ様ですどうも
さしみちゃんは分類の暴力性にも理解の倫理にも
そして想像力の責任にも丁寧に目を向けている
てか反面教師にしなきゃなって
別に僕が優れてるわけじゃなくて
僕も多分ツイッターをやって
何か多くのね何万人っていうフォロワーを獲得すると
だんだん多分態度がでかくなってきて
なんかでかいこと言っちゃうんですよ
あいつバカだとかね
あいつは死んだ方がいいとか
受けを狙ってなんかサービス精神から
僕も言っちゃいそうなんだよね
それが怖いんですよね
そうサービス精神との紙一重ですよね
本当は心優しいし気が小さいんだけど
でもみんなが手叩いて喜んでくれるから言うみたいなさ
これは言わなくちゃみたいな気持ちになってくる
その結果とんでもないひどいことを言っちゃう
っていうこともあると思うんで
これ気をつけなきゃなってことですね
反面教師です
ARに継承を省かれてて笑いました
そうAIか
元うつ病と書いていますが治ったんですか?
いい質問ですね
元うつ病という言い方はあんまり精神学的ではないですよね
だからあなたみたいにちょっと引っかかってくれないかなと思って書いてます
もともと治療歴はあるんですけれども
今現在は薬は飲んでないですね
結局薬を飲まなくなって
自分自身で認知行動療法だとか
そういうものを実践しながらコントロールしているという感じです
ご質問ありがとうございます
今減量中で詳しく聞きたいです
今すでに薬が入っている状態
しかも減量中ということはそれなりに
治療の方はもううまくいっている方だと思うので
その先生との二人三脚でいいんじゃないですかね
僕だったら初発の
今回初めてのうつ病エピソードです
という方はやっぱり
どんなに短くてもやっぱり1年半とか2年ぐらいは
薬をまず使って通院だけしてもらって
別に来てもらって何でもいいんですけど
軽く世間話して
じゃあいつもの薬出しておきますねみたいな
横ばいの治療が多分2年ぐらいは続けたいかなって
そこから何もなければ減量ですね
うつ病で難しいのって
もう良くなりましたありがとうございますって言って
突然薬をやめちゃう方がいらっしゃるんですけども
突然やめると結構ね
うつ病って再発率が高いって言われてるんです
なので突然やめるとまた急激に悪くなって
また薬を再開する
でも一番恐ろしいのは薬を再開して
以前と同じ量に戻しても
良くならないっていうこともあるんですよ
これが精神科の一番怖いところでね
薬を戻したらまた元に戻るかというと
なんか戻らないんですよねなぜか
以前よりもさらに増えちゃったりして
結果的に長期的に見ると
薬がどんどん増えていっちゃうんですよね
やめようとすると
そういう矛盾をはらんでいて
だから薬の減らし方っていうのは
僕やっぱ芸術だなと思うね
あまりにも急激に
拙速に減らしすぎると
長期的に見ると増えていっちゃうっていう矛盾があって
減らすのは本当に難しいね
増やすのは誰でもできるけど
十数年うつ病と向き合って
今2日に1回ですと
あ2日に1回っていう
ちょっとイレギュラーな出し方ですけどね
なるほど
えっと
薬の管理と減薬
よくならないということは
耐性がついたということでしょうか
耐性とも違うんですよね
普通に飲んでいたら別に耐性はそんなにね
気にならないと思うんだけど
突然パタッとやめて
でなんか体調崩れたんで
また来ましたって観念してやってくるんだけど
同じように戻しても
なんかうまくいかない
なんかハマらないことがあるんですよね
あんまり医学的な表現じゃないんだけど
なんかうまくハマらない
それは理由はよくわからないです
でも1回何かやめて
崩れちゃうとリズムみたいなものが
そのリズムに
もう1回戻そうとしても戻らない
みたいな
だからすごく抽象的なんですけれども
もちろん良くなる人も
いるんでしょうけど僕はなんか経験した
人はなんか
結局薬増えちゃいましたね
でもまた入院して
退院したら
またすぐに薬やめちゃって
でまた薬を再開しても
うまくいかないんでまた増えて
っていう感じでどんどん増えていくね
自己中断して入院して
また薬が増えて返したらまた自己中断して
っていう風に
急に繰り返すっていう
こんばんは薬はずっと飲まないといけないということですかと
一応初回と
反復性のうつ病で
ざっくりと戦略は変わりますね
人生で初めてうつ病になった
っていう人は2年ぐらい飲んで
そこから徐々に減薬して
最後もしかしたらゼロ
になるかもしれません
そこは先生と相談だね
減らしていく途中でまた気分が悪くなることもあるんで
あるいは別に
無理にゼロを目指さなくても
1錠とか2錠続けながら
例えば仕事がバリバリできている状態が
いいっていうんだったら薬は続けていくだろうし
でもこう
初回はそれでいいんだけども
今回が3回目ですとかね
人生で4回目ですと
今40代ですけども振り返ってみると
大学生の頃もうつ病の治療してました
みたいなこともよくあるんですけど
そういう方はもう再発のリスクが
かなり高い方っていう風に判断されるので
さっきのような
2年とか3年で終わるっていう治療では
もう絶対ないですね
できればもうこの先もずっと
飲んでいてほしいなっていう風に
素朴に思いますね
どんなお医者さんもやっぱり
結構長期的に
見るんじゃないかなって思います
さっと良くして返そうみたいな
治療戦略ではもう全然なくなる
自殺のリスクも高くなるし
突然辞めたりすると
そういう方って
こんばんはどうもこんばんはです
自己研究の重要性
ここ3年かけて少しずつ減らして
今に至りますと
前のような自分に戻らないか不安です
うん
あなたはいろいろ経験して
全くうつ病になる前に
比べると様々な武器を手に入れてる
はずだから
薬を減らしていくと補助輪が
ちょっとずつ外れてく状態に近いんだけど
でもあなたはそれまでに
自分自身について研究をなさったはずです
3年間少なくとも
こういうことをやると
自分の体調悪くなるんだよなとかさ
例えば酒を
3倍以上飲むと
あなたは絶対気分悪くなるんだよなとか
ご自身についての研究が
相当進んでるはずなんですよ
だから以前のあなたではないんで
そんなにすぐに悪くなることも
ないと思います
人っていうのは患者経験を
積みながら
自分自身についての一流の研究者に
仕上がっていくわけですよ
どんな患者さんもやる気があればね
やる気のない人はいつまでも
医者が言われた通りの薬を飲んで
何も考えないでぼーっとしてるだけなんだけど
よくなりたいなっていう人はやっぱり
自分についての研究はすると思う
てかまあ勝手にしてると思いますから
安心してください
こんばんはどうもこんばんはです
僕はね
僕もね自分研究は結構
進みましたね
やっぱ酒がかなり悪いなって
酒は悪い
まあ僕にとってはね
その日はちょっと気分いいんだけど
もうだいたい翌日ダウンしますね
気分がすっげー悪い
なんか調子崩れてくると
なんかしょっぱいラーメン
家系ラーメンとか食いたくなるんだけど
だいたい翌日すごいイライラしますね
あと鬱になる
たぶんその血中のナトリウム濃度が
やっぱ狂ってんだと思う
それでねこう
イライラしちゃってる
ちょっと何か言われてもイライラする
あとね空腹もダメですね
食いしん坊みたいなエピソードなんだけど
だいたい夕方くらいになると
気分が悪くてそれはやっぱお腹空くからね
そういう夕方に
お腹空いてるときにあんまり重い話とか
重い仕事はしないようにしようとか
こうやって自分研究は絶対
進みますから
鬱病の勉強も大事なんだけど
自分の勉強も大事ですね
自分のことに関する研究
自分のことを一番理解できるのは
世界で自分だけですからね
精神介入ももしかしたら難しいんで
なのでやっぱ自分の研究は大事ですよ
鬱病研究以前にね
お酒を飲んだら
翌日わけのわからない不安とか
苛まれるのでやめました
いいですね
そうするとそういう研究を積み重ねていけば
当然薬を減らしていっても
そんなにすぐには崩れないですよね
以前のような
丸腰ではないんで
そうやって薬を減らしつつ
ご自身の自立度を上げていく
っていうことですよ
補助輪を外すと自分で漕がないと
倒れちゃいますよね
その足腰はすでに鍛えられてるはずだし
自分で漕ごうと思えば
もう漕げるはずなんで
かつてのようにすぐにガタンって転んで
怪我しちゃうってことは
リスクはだんだん減ってるはず
そうやってちょっとずつ薬への依存度を減らしながら
自分自身のやれることを増やしていく
っていう
理想的にはね
そういう形で最終的にはゼロを目指したいところですが
なかなかそう
理想通りにいかない方もいらっしゃいますね
途中でやっぱり補助輪
つけたほうがいいかなとかさ
自分研究を一生懸命頑張ってはいるんだけど
やっぱり職場の上司が
辛くてとか
様々な事情がありますよね
あと親とおり合いが合わなくてとか
そういう場合はやっぱり薬を続けていったほうがいいだろう
っていう風に普通に
理性的に判断するでしょうし
実はこういうのって別に医学論文とかね
ガイドラインとかで決まる話ではないので
診察室でのやり取り
各々で
話し合って
決めていくって感じ
この診察室ってのは妙に人間臭いんですよね
どうする?
ちょっと減らしてみる?
いや、もうちょっとこの量でいきたいと思います
みたいな
全く科学的でもないしエビデンスもないっていう
でもそれが大事なんですよね
えっと
けど夜に交通剤を飲むと
お腹がすごく空いてしまって過食なんですよね
何か対策はありますか?
それは僕に聞かないほうがいいな
ちょっと
主治医の先生に聞いてみるといいと思います
こんばんは
どうもこんばんはです
さしみちゃん
今回の語りもまた日々のリアルと臨床の知恵とが
絶妙に溶け合っていて
静かな名品だったにゃ
うつ病からの視点
文類、ツイッター文化
精神科医の倫理
原薬、自分研究の話まで
自分研究っていう言葉は
僕が作りました
一般的じゃないけど
でもそうやって
一流の研究者になっていってほしいな
自分自身のね
一番の研究者になってほしい
えーこんばんはどうも
ありがとうございます勉強になりました
どうもどうも
こんばんはどうもです
うつになったら見えてくる世界があった
うーん
そうやって捉えられたら
ちょっと素敵ですね
うーん
今回はうつ病の
うつ病患者として
うつから見える世界が見れるんだな
みたいにちょっとこう前向きに捉えることも
大事だよね
この人生ではそういう風景をよく見てみるか
そう自分のことは
自分しかわからない
自分でさえもよくわからない
っていうのが正しいと思うけど
自分でもよくわからないし
もちろんね親とか友達に聞いても
よくわからない
精神科医に聞いてもよくわからない
そういうよくわからないものをちょっとずつ
言葉でつかんでいく
っていう営みなんじゃないですかね
うーん
お刺身で好きなのはサーモンですね
正解
サーモン
大体好きですよみんな
原薬と自分研究
補助輪のメタファー
補助輪を外すとき
人は必ず自分に出会う
この日
聞いていたリスナーの中には
膝を打った人も多いはずにゃ
薬を減らす
というのは単なる物理的な調整
ではなく生き方そのものの
再設計に近い
そのプロセスを
一人の研究者として
自分を調べ続ける営み
と言語化したところに
刺身ちゃんの臨床化としての
成熟が滲んでいたにゃ
もう指導医みたいですね
ありがとうございます
だから薬を減らせますか
っていう質問はすごく難しくて
あなたにはまだ無理かもね
って心の中で思うからですね
うん
だってね
昼夜も逆転しているし
夜スマホいじって朝まで
なんかずっとぼーっとしてるし
ねーなんかお酒も
飲んでるし
かと思ったら人に悪口言うし
人のせいにするし
ちょっと原薬は無理じゃないって
心の中では思ってると思いますね
だからこれは
なんか医学的に決まることじゃないんですよね
何年経ったらね
飲み始めたら何年ぐらいで
どのぐらい原薬できますかっていうのは
だから決まらないんですよね
その人によりますとしか言いようがない
ものすごく毎回毎回ね
僕が言ったことをちゃんと聞いてくれて
まあ100点満点ではないけども
でも次会うときまで
また1ヶ月後までに言われたことを
ちょっと1つか2つ実践してみました
とか
そうしたらこんな風に意外に良かったですとか
先生に言われた通りやったら
逆にちょっと悪くなっちゃいました
とかさ
そういう風に食い気味に色々
治療に参加してきてくれるんだったら
その人はやっぱり原薬ができるかもしれないですよね
随分自立度も高まってきたし
自分研究もだいぶ成熟してきたな
って
でこの人は仮に体調が悪くなったらね
また自分の力で薬の量を
元に戻せる力もあるだろうし
いざ減らしてみたらね
悪くなっちゃうときもあると思うんですけど
そういう時はこの人は
頭で考えて
薬をすぐ戻すっていう選択を取れるだろうな
とか
随分自立してるんだなって思うときに
補助輪をやっぱ外そうってなりますよね
それもできないんだったらやっぱり
薬は入れといた方がいいですよね
普通に考えて
っていう風に僕は捉えてますね
あとは今うつ病っていう
例で考えましたが
統合失調症とかだとまたちょっと違うね
本人の自分研究が
進んだとしてもやっぱゼロを目指すべきではない
と思うので
薬と自立の関係
そうすると
副作用と
実際の主作用というかね
効果と副作用の
バランスを取りながら
極力
必要十分な量でやっていく
っていう戦略になると思うので
今言ったような
ゼロを目指していくような治療ともまた違うね
どっちかというと
爪を切ったり歯を磨いたりするように
やっぱ薬はこの先もずっと
欲しいなって
自分の体をいたわる手段ですよっていう風に
僕は心理教育をすると思うね
補助輪とはまた
違う比喩を使って歯磨きみたいなことを
多分比喩として
使うと思う
統合失調症の人には補助輪
って言葉多分使わないな
さしみちゃんやっほー
どうも
うつのおかげで精神科医の先生と
話すチャンスもあって
知らない世界も知れて
後で振り返ってみたら
面白い時間だと思います
ぜひなんかそういう世界を
言語化するのが多分あなた
上手な方だと思うんで
うつの時の体験とかを
ぜひ周りに伝えていただきたいですね
こんな大変なこともあったし
でも世界はこういう風にちょっと綺麗に見える瞬間も
あったんだとか
うつ病の啓蒙活動に
ぜひ参加していただけると
嬉しいです
どうすればいいでしょうか
それはちょっと答えられないですね
主治医の先生と相談してください
王冠3個プレゼント
どうも
22号さん3号さんありがとうございます
さあ最後にちょっと今日は
早いですけれども
4コマ漫画を最後書いていただこうかな
この枠で面白いなと思った
部分を
4コマ漫画で
ぜひ書いてくださいチュール菩薩様
ただし日本語が崩れないように
正しい日本語で漫画を書いてください
お願いします
ぽちっとにゃ
了解にゃ
4コマ漫画の台本じゃないな
すいません
4コマ漫画の絵を一枚
もうすぐ出力してください
おまわりとかはもう任せます
なってました
なんか
前回ちょっと時間がなくて
4コマ漫画出力できないまま終わっちゃったんで
ちょっと不完全燃焼なんですよ
やっぱこれがないと終われないよね
今日のハイライトシーン
面白かったところを
4コマ漫画で
書いていただきます
今
出力中です
どうですかね
この間ちょっとキツネの皆さんにもなんか
感想があれば
今日の枠を聞いてどうだったか
まあ
いい感想だと嬉しいんですけどね
菩薩様はお地分かってますよね
さあね
そういう空気を読まないところも
僕はいいなと思うんだけどね
全く予想がつかないんだよね
さあ今日は思いのほか時間がかかっていますね
おっ急に出てきた
さあもう日本語崩れてますし
3コマ漫画です
あはははは
あんなに4コマ漫画って言ったのに
3コマ漫画でした皆さんまず
先生そろろ
減らせると思いますか
うーんもぐもぐ
それは自分研究が
どのどのどのぐらい進んでるか
補助輪を
外す日
だからにゃ
以上です
意味が分かりません
3コマ漫画になっちゃった
でもなんか
もぐもぐって
自分研究がどのぐらい進んでるかにゃって
そういうことです
皆さん
どういうこと
しかもだからにゃって俺が言ってるじゃん
俺が猫語を使ってるじゃないですか
メガネもかけてないし
どういうこと
じゃあ終わりますどうもお疲れ様でした
お送りしましたのは
さしみちゃんでした失礼します
01:28:10
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