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はい、みなさんこんにちは。無題のなんちゃらキャストのキョウヘイです。
このポッドキャストは、私、キョウヘイが、ないことないこと、知ったかぶって、好き勝手、しゃべる、そういった内容の30分です。
はい、えー、ハッシュタグがあります。ハッシュタグなんキャストです。なんはひらがな、キャストはカタカナ。
これで書いていただきますと、ツイッターなどにね。てか、主にツイッターですけどね。書いていただきますと、全て目を通しています。一記一遊しております。よろしくお願いします。
さて、今回は44回目ですね。先日43回目をやったばかりの気がしますが、なんとなく手持ちぶさとだったので、44回目やってるんですけど。
そうですね、今日は水曜日なんですけど、前回やったのが22日。おとといだな。いや、これちょっとやりすぎなんですけど。
明日、明後日、藤戸山競争で藤吉田に行っちゃうので、まあ、なんですか、このナーバーさんの気持ち。
藤戸山競争直前特大号みたいな感じでやろうかなと思ったんですけど、特大も平地目もございませんと。
前回も言いましたけどね、すでに神事は尽くしきったので、後は途中でくじけない心、これだけですかね。
だってね、実力以上のものは出ないんで、とはいえ途中で潰れちゃってももったいないんで、そこがちょっといまいちわかんないところなんですけど、なるべく振り絞ってやっていきたいな。
どうするのは賢いんだろうね。最初のロードは結局全力で行ったほうがいいのかね。
その後、歩きとか出てくるから若干休めるし、使う筋肉違うから、ロードでガンガン走れるとこはとりあえず突っ込んで、馬返しから先はなるべく一人でも抜けるような感じでトレイル頑張って、
ここから先はもうなるようにしかならん、みたいな感じでしょうか。知りませんが。
次回やる時には結果が出てると思いますので、その時にすでにこのポッドキャストがこの世から消滅しているか、何喋るかわかりませんが、ぜひ別に期待してほしくないんだが、今後期待ですね。
今日何喋ろうかなって話なんですけど、富士山競争が怖いって話はもう散々してしまいました。
富士山競争は楽しみなこともあって、今日はツイッターでマルさんって人が書いてましたけど、押しかけ孫をやるって言うんですけどね。
そうなんですよ。その仲間のね、たまに俺が話すユートのおばあちゃん家が、富士山競争のスタートから歩いて30分かかんないところぐらいにあるんですよね。
そこにもう2回ぐらい止めていただいて、ほんと押しかけ孫をやらせていただいてるんですけど、前回なんてユートがいないのに止めてもらっちゃったからね。
そういうわけで今回もズズしくそちらにお世話になるっていうつもりでいて、全白、紅白させていただくので、それも非常に楽しみなんですよね。
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なんか俺田舎っていうのがなかったんで、ああいうちょっとサマーウォーズとも違うんですけど、なんとなく若干雰囲気似てんだよな、広いお部屋があったりして。
お屋敷ではないんですけどね。それいいよな、田舎っていうのはいいなと思って、その子供の頃欲しかった田舎をちょっと投影して楽しませてもらってるんですけど、
正直言ってそのユートのおばあちゃんたちにしてみれば、またこいつ来たの?って思われてる可能性150%なんですけれども、来るなと言われるまではズズしくお邪魔しようかななんて思ってるんですけども、
おばあちゃんもし迷惑だったら言ってください。という感じで藤戸さん競争ね、楽しいこと考えて気を紛らわしたいんですが、
まあ憂鬱なんですけども、どうなんだろうな、あまりここで頑張ってるとかって言っちゃうと、またくじけちゃった時に負債が積もるだけなんで、やめとこうかな。
というわけでじゃあ今日は一体何のお話をしましょうかっていうところなんですけどもね、ちょっと思ったのが、なんかこれまでって、
俺がある程度おっさんになって家建てましたとか、なんかちょっと英語喋れますよとか、いい会社で働いてますよ、いい会社じゃない、面白い興味深い会社で働いてますよとか、
まあなんか前回のはこじゃれた恵比寿にある隔内でしょっちゅう飲んでましたとか、なんて言うんですか、都会風吹かせまくったいけつかない教兵像ばかりを届けていたと思うんですよね、そうじゃないですか、そんなことないですか、
で皆様になんかやっぱりこの教兵って近寄りがたいかもな、等身大の人だと思っていて身近に感じていたのに、なんか全然そんなことないからもう聞くのやめちゃおうとかって言われると非常に悲しいので、
なんで私のもっと昔のフリーターなどやってた頃の話でもしてみますかね、ということでちょっといろいろ思い出してたんだけど、あんまりね、思い出してたって言っても、帰ろうかなどうしようかな、いやナンキャスやるべーっつって、
実質5分くらいしか考えないですけど、自分でも意外に時系列がよく整理できてなくて、そうなんですよね、フリーターやってたっていうぐらいなんで、俺は大学に行ってないんですよね、なんで大学に行かなかったのかっていうとこから話さなきゃいけないな、
これすごく簡単に言うとですね、大学受験に対する努力が全くできなかったんですよね、俺これ変な話なんですけど、高校入るまであんまり家庭学習とかしたことがなくて、試験前にちょっと詰め込んだりしてたんですけど、
長期間、中長期的な学習ということを本当にしたことがなかったんですよね、なんて愚かな子供なんだろうって今思うんですけど、その辺りがちょっとスポイルされちゃってたんで、本当に大学受験みたいな超大な努力を要することですよね、
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そこで本当なんかもうあぜんとしちゃって、1年とか半年とか、知らないんですよ、だからやってないんで、どのくらい、実際どのくらい努力期間、準備期間が必要かっていうの分かってないぐらい本当に大学受験から完全にドロップアウトしてたんで、分かんないんですけど、そのトレーニングが俺にはできそうにないって思ったんですよね、
で、実際全くやらなかったんですけど、本当今となってはものすごく申し訳ないんだが、例えば降参の時にやっぱりやるかっていうような気持ちを振り絞って、当時同級生でいた大沼くん、懐かしい、20年ぶりぐらいの名前を思い出しました、
大沼が新宿の受験の専門の塾に行くとかって言って、ちょっと高かったんですよね、たぶんまとめて100万とか払わなきゃいけないの塾で、俺それ何をとっち狂ったか絶対行くんで、大学目指すんでとかふざけたことほざいて、親に出してもらったんですけど、これ言いますよ、言っちゃいますよ、本当ごめんなさい、先に謝ります、
一回も行かなかったんですよ、マジで俺の子供だったら発狂するなって思うんですけど、そんなわけでその100万円ぐらいはドブにささせたんですけど、今考えるとうちも裕福じゃなかったし、裕福な時代もあったりしたんですけど、この後話す我が家の展開がいろいろあるんですけど、
昔よ逃げしたとかいろいろ喋ったと思うんですけど、100万もの金どうやって練習してくれたんだろうなって思うと今普通に涙出そうになりますね、なんというか親の子供に対する思いを俺はめちゃくちゃ踏みにじって、じゃあその間何したのっていう話なんですけど、
当時俺が18歳でしょ、だから95年かな、だから地震になった年か、地震になった年が俺が2年生だったのか、3年生は明けて95年の4月からですよね、俺77年生まれだから95年になってるよね、だから車輪事件があったりした年なんですけど、
で、何してたか、バーチャファイターやってましたね、新宿当時スポット21とかカニスポとか、そこで有名だったブンブン丸、新宿ジャッキーとかね、そういう人たちが集まってたんですよ、お前は何を言ってるんだと思うと思うんですけど、
軍有活気の時代だったんですよね、で、俺当時三鷹に住んでて、三鷹のゲーセンではそこそこ強かったんですよ、ただ俺はなんちゃらサラとかなんちゃら影とかつくほどは強くなかったですね、で、カニスポとかスポット21とかに行きまくってましたね、塾をサボって、
というわけで私は新宿に夜遊び行く大義名も得たみたいなスタイルで、結局その塾さっぱり行かないで、大学受験受ける受けるとかつって受験申し込むじゃないですか、言いますよ、これも言っちゃいますね、これお母さんにも言ってないかもしれない、言いますよ、受験行ってないんですよ、もう全部スポ化しました、
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なんで当然、何個受けたか覚えてないんですけど、当然不合格ですよ、もうね、あ、もうちょっと今辛くなってきた、というようなとんでもないろくでなしの高校3年生だったわけです、私は、でね、当然そんなのね、因果応ですよ、そんなことしたら箸に棒にもかからない、いや待て待て今お前、だってテスト行ってねえんだから箸に棒にもかからなきゃいけねえじゃんって思うと思いますよ、そうなんですよ、なのでそこで私は完全に大学受験というもの投げ出しまして、
そして、あの親には1年浪人すると言って、あの、予備校行ってたんだっけな、いやーちょっと涙出てきそうになってきた、俺なんか予備校寸大とか申し込んだ気がする、等身ハイスクールとか申し込んだ気がする、だけど言いますよ、言いますよ、いかなかったですよね、で、浪人というステータスが欲しかっただけですね、で何をしてたか、
まあフリータですよ、要するに、浪人生がバイトするのは男子なんですけど、バイトしながらゲーセン買ってましたね、バーチャファイター2の腕を磨いてましたね、で、まあ当時高3の時とかも、まあ結構上手かったんで、たまには勝ったりしたんですよね、有名なプレイヤーにね、いやまあだからなんなんじゃいって話なんですけど、まあ今でも覚えてるのは、例えばバーチャ2になって、秒間60フレームになって、で硬直があるんですよね、格闘ゲームってのは硬直って時間があって、
例えば皆さんスト2の昇竜拳とかわかると思うんですけども、昇竜拳ってあれ外しちゃうと上に飛んでったまま何もできないダメージ受け放題の時間ができるじゃないですか、ああいうの硬直時間って言うんですけど、その当時ゲーメストっていう最高にイケてるゲーセン雑誌があって、ゲーメストがバーチャファイター2とか有名タイトルはムック本を出したんですよね、でバーチャ2のムック本俺もめちゃくちゃ読んでて、であれ絶対セガからデータ出てきてると思うんですけど、
それぞれの技の硬直時間書いてあるんですよ、そして我々はPKって技があるんですけどパンチキックっていうのは10フレームぐらいで当たる技があるんですよね、だから10フレーム以上6分の1秒以上硬直がある技をガードした場合は必ず反撃が入ってダウンを取れるみたいなことを全部覚えてて、
今までのパンチが入るとか思うんですけど10フレーム硬直があると、何の話をしてんだ俺は、そういうことばっかりやっていたので、今はじゃああなたその時バーチャファイターやってて一体あなたに何が残ったの?って言いますと経験だけですね、残ったのは、あと今たまにこうやって喋る、あと当時バーチャファイターやってたやつと盛り上がれるぐらいでございます。
それで何をしたかというと人生を棒に振ったわけですよね、人生は幸い棒には振らずに済んだんだが、大学受験はすべて棒に振りましたね、いやひでえガキだなマジで、そう考えると俺の子供たち本当に真面目にできてるな、なぜ私という人間はあそこまで親の声を踏みにじるようなクソ人間だったんだろうな、ただお母さんは許してください、今はお母さんに家を私が買って住んでいただいてますし、
あと父にはちゃんと墓を、まあ弟と割り勘ですけど墓建てましたので、なんて言うんでしょうか、そんなに親不幸ではないような方に方向修正はしているんですけども、当時の私のことだけ思い出すと本当にもう数百万単位で親には金を胴ぶりに捨てさせたんで、まあ俺の場合取り憑依なんでそこはあんま金かかんなかったかなと思うんですけど、今何で早口になってるかというとあまりにも自分がひどいので早口になっちゃってるんですけど、あの、えっと何の話だ?そう、そういうことなんです、どういうことだ?つまりなるようにして私はフリーターになったわけですね、いや違った、待てよ、
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その当時ね、あの親がまたちょっと仕事を第一おにげの後何年か経ってたんですよね、俺10歳の時第一おにげが発生したんで、今気づきました?あなた、第一おにげって言いましたよね、なのでこの後第二おにげがあるんですね、びっくりだよ俺ん家ほんと、まあそれはいいんだけど、えっと第一おにげが10歳の時ですよね、で8年後なんで結構うちの家で仕事、会社立てて、あの一時はぶり抜いて決まって、
17歳ぐらいの時にはホンダのスティードっていう単車60万ぐらい現金で買ってもらってるとか、まあそれは甘やかされてたんですよね、なのでもしかしたら高3の時の熟大はそこそこまだ会社側のお金があったのかもしれないな、ただその2年後ぐらいに潰れちゃうんで、資金売りはどのやつか俺は知らないんですけど、
えっとそれでフリーターになる前に、浪人したんだけどやっぱ大学受験なんて私には無理じゃったって話をして、親が建築の仕事をやってたので、じゃあ俺お父さんの会社継ぐわみたいなことを穂先出して、東京生徒専門学校っていう新宿にある大久保かな、新大久保にある専門学校行ってたんですよね、
まあそれも真面目に買ってたの最初の数ヶ月ぐらいで、サボったりしてあれ大丈夫かな俺これどうしようかなみたいなこと思ってる間にうちの親の会社が潰れてしまって、なのでまあ学校行く意味もなくなるし、学校もお金も払えなくなって、そっから私フリーターになるんですけどね、晴れて20歳になってたかな、1年だから浪人っていう名のフリーターやってて、それが19の年でしょ、
20歳の年に、2年生の年に、確か専門学校3年生で2級建築士を取れるような学校だったと思うんですけど、2年生まで行って、なので私の最終学歴は専門学校中退ということになってるんですけども、なんとなく中退っていう意味あるかわかんないんで、高卒って言ってた方がイケてるんで高卒って言ってるし、実際高卒野郎なんですけど、高卒フリータークソ野郎なんですけど、
クソ野郎っていうのは今のように全く努力しなくて、勉強もしなくて、塾行くっつっちゃいかないし、学校行くっつっちゃいかなくて、結果的に親の会社が潰れたんで、なんとなく定制が整ってるだけなんですよね。
はい、フリーターになりました。よかった。フリーターになりましたね。じゃあフリーター何してたかですよね。親の会社が潰れてね。最初は三鷹にあった親が借りてた家に一人で居座ってたんですけど、そこにだんだん親父の取引先の人とかが、なんだ社長どこだとかって来るようになって、結構職人とか柄の悪い人たちがいたんで、結局ビビって、
町風の仁台寺東町っていうところにね、生まれて初めて4万5千円だったかな。すんげーボロい木造のアパートの1階で、2Kだったんですよね。6畳が縦に繋がっている振り分けじゃないような部屋で、トイレは和式だった気がすんな。和式に洋式になるカバーみたいなのつけて使ってましたね。超絶懐かしいな。
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その時、親は会社潰れて第二異様人家だったんですよね。弟がまだ高校生だったんで、弟と3人でどっかにいなくなっちゃったんですよね。俺はもう20歳だし、いいやっつって、何がいいんだかさっぱりわかんないんですけど、たぶんかっこいいと思ってたんでしょうね。
そこの家に何ヶ月か一人いたんですけど、最終的に結構職人の人たちとか、夜中に来るの怖いから一人暮らし始めたんですけどね。それが今の仁台寺の話ですね。
フリーターで、何してた?あの時バイト。あ、あれはその時はずっとやってたバイトがあって、思い出した思い出した思い出したよ。三鷹にあったプチパスタとかいうパスタの宅配の店で働いてたんですよね。現地売りで配達しました。当時男子が乗ってたんで現地売りバイトに使うのがいいなと思って。
でも面白いのが、ピザ屋じゃなくてパスタ屋なんですよね。今でも結構思い出すな、そのメニューの略称とかね。ほうれん草とベーコンのパスタをほうべえとか呼んでたとかっていうのを今パッと思い出す。人間の脳みそって面白いですね。今まで一度も思い出さなかったことを喋り出すと思い出すっていうのは脳みそすごいなと思いますけどね。
バイトしてて、あれだ思い出した。三鷹の支店で働いてたんですけど、バイト先に借金はあったかもしれない。ただそういう手形とか切ってなかったんで、職人にお金見払いだったとかちょっとあったかもしれないな、その辺詳しくは知らないんだけど。
そいつらがバイト先まで来たら嫌だなとかっていうことで、もしかしたら来たのかな?ちょっともう25年以上前の話なんで全然覚えてないんですけど、渋谷にも支店があったんで、そこにちょっと移動させてもらって、渋谷でピザの配達やってたんだよな。あれは面白かったな。渋谷って言っても十二層通りからほうれん草通りを入っていったような場所にあったので、ほぼ新宿なんですよ。
新宿の中央公園のもうちょっと西側にあるようなイメージですかね。今あると多分大江戸線の駅とかある気がするけど当時はなかったな。大江戸線?駅?ないかな?ないかもしれない。まあいいや。中野坂よりは東側だったんですけど、十二層通りと山手通りの間ぐらいにあったところでバイトしてて。
その時は渋谷のセンター街とかも行くし、歌舞伎町のヘルスの店とかにパスタ配達してて結構面白かったんですけど、それでフリータイヤで生きてたんですよね。その時俺メインの乗り物が単車だったんですよね。
俺は大型限定開場してたんで、その時はヤマハのSRXの600ccっていうやつの2型っていうのが好きで乗ってて、1型2型3型って4型になってちょっと見た目が変わっちゃうんですけど、3型まではツインショックっていうリアにショックアブソーバー、ダンパーが両側についてるスタイルですね。
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3型からはモノショックって言って、フレームの下に1個だけショックアブソーバーがついてる、見た目がガラッと変わっちゃったんですけど、俺はSRXって単車が本当に好きで好きで、銀河に誇れる名車だって、田中宗吉っていうボルト&ナッツっていう自動車雑誌に、
ボルト&ナッツっていう漫画を書いてたロータス・エランっていう車をレストラしてた漫画家がいるんですけど、その人もSRX好きで、俺もSRX好きで、この銀河に誇れるバイクっていうのは田中宗吉からパクったんだよって今言いたかったんですけど、このように一人で喋るとどこに話が行くかわからんのがこのナンキャスの魅力でございます。
魅力かどうかは、すみません、私はリスナーなので実はわかんないんですけど、そういう素晴らしいバイクに乗ってたわけですよ。
でですね、それを主に交通手段としていて、その陣内寺のクソボロい借屋は庭みたいなスペースがあったんで、そこに単車置いてメンテとかしてて、俺本当に単車好きだったんで、当時は夢破れてフリータイになったんで、ぶっちゃけすみません、夢もヘチマムもなくて、なんちゃってやってた専門学生の肩書き取られちゃったんで、
あれこれ本当にこの後人生どうにかせんといかんな、考えんといかんなと。おそらく俺の予想ではフリータイということをしていると、得られるものってお金だけだなっていうことを意外に冷静に思ってたんですよね、20歳の僕は、27年前の僕はね。
なのでお金を貯めていましたと。結構真面目に貯めてたんですよね。1年にだから100万単位の金貯めてて、でフリータイってその時時給1000円ないぐらいなんですよね。
俺が高校生の時やってたアルバイトが時給850円だったんですよ。29年前ですよね。で当時だから配達員が950円とかもらってたらいい方だったんじゃないかな、1000円もらってるかもらってないぐらいなんですよね。
なのでどう考えても20万ないんですよ額面で。で手取り10万ちょいぐらいしかもらえないと思うんですよね。で4万5千円家賃払うじゃないですか。
で当時携帯もあったし、でガソリン代を捨てたり捨てたり。多分そんなお金使えなかったと思うんですよね。
まあ何が言いたいかというと、全然話つながってないんですけど、メインの交通手段がそのオートバイだったんですよね。
SRXの話はこの後一生できるんで、また1時間使って30分使ってしたいんですけど。
ちなみにSRXの話させていただくと、最初に400ccの1型っていうのをたまたま中古で買って、なんか面白そうだなと思って、そっからそのシングルシリンダーのバイクに惚れ込んでしまって。
ちなみに今でも家にSRの500っていうシングルシリンダーのバイクがあるんですけどね。シングルシリンダーっていうのは何か?それはですね、話すの長いんですが、
よく皆さん車のこと全然興味ない人でもV6とか聞くじゃないですか。V6の6っていうのがシリンダーが6つあるっていう意味なんですよね。
6気筒ということです。気筒っていうのは亀の頭ではなくて空気の筒ですね。気筒、シリンダー、英語で言うとシリンダーですね。
自動車とかっていうのは6気筒だったり4気筒だったり8気筒だったり12気筒だったりいっぱいあるんですけど、オートバイはエンジンを股の間に抱えるのでそんなにないんですよね、シリンダ数が。
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ホンダのCBXとかっていう単車は直列6気筒とかね、めちゃくちゃフレームからはみ出してる。何の話だよこれは。
とにかくシングルシリンダーっていうのはピストンが1個しかないんですよ。なんでドコドコドコドコみたいなフィーリングを重視するようなバイクなんですけど、
SRXっていうのはそれにちょっとスポーツ的な味付けがなっていて、見た目がめちゃくちゃかっこいいんだ。
何の話だっけ?フリータイムの話なんだよ。
でね、まあそういう話なんですけど、それは主に交通手段にしていて、もう本当1日だから往復50キロ最低乗ってたしっていうくらいで、
1日50キロか、今1日10キロランニングしてるからその5倍か、じゃあだから1500回2000キロくらい毎月最低でも走ったとこですよね、通勤だけでね。
もっと乗ってたな。あれより移動が短所だったからな。当時は雨でも全然移動がなかったから、
雨降ったらどうすんの?って言われて、それを気にする人っていうのはオートバイ乗りじゃないんだっていうのを何か読んだ本か何かで読んだんだけど、
これ何だっけな?何で読んだんだっけな?あのー忘れた。
彼のオートバイは彼女の島みたいなやつだっけ?片岡なんとかだっけ?まあいいや、そりゃいいんだけど。
とにかく当時は本当は雨でも全然短所に乗ってたし、全然気になかったんですよね。今ほら、俺たち雨でも別にランニング全然平気な人いるじゃないですか。
で、雨とランニングって矛盾しませんよ?って俺いつも会社で言うんですけど、雨だから今日走んないですっていう人には。
なんで当時の俺は短所と雨が全く矛盾しなかったんですよね。
で、何が言いたいかというと、そんなことしてる間に交通事故起こしちゃったんですよね。
山手通りの交差点で内奥の事故を起こしちゃって、向こうがハンター株かなんかで100ccちょいのピンクナンバーのやつで右折してきて、俺が直進だったんですよね。
で、向こうが曲がってきて正面衝突しちゃって、俺その時頭を打っちゃって、記憶全部逆行性憲法ってなって、
昼間バイトしてるところまでしか覚えてないっていうことがあって、まあいろいろあったんですけど、
で、交通事故の場合って怪我が重い方が被害者になるっていう決まりがあって、交通事故って話すところも長いんですけど、民事と行政と刑事があるじゃないですか。
で、民事に関しては保険で全部賄えたんですけどね。
で、いやたまたま保険入ってたんだよな、あの時確か。そうだと思うんだよね。
親に入れられてた保険が残ってたかなんかで入ってたんだっけな。覚えてねえな、どうしたんだっけな。
確か保険入ってたんですよね。じゃなきゃ払えるわけなかったんで、なぜなら相手の人は全知300日ぐらいの、結構半キャップだったんで顔がすごい怪我しちゃったらしいんですよね。
一回も会ってないんですけど、謝りたいって言っても会えなかったんで。
ちなみに俺はそれ、赤切符とかじゃなくて、実際裁判までやったんですよ。
で、裁判で当時刑務所刑務所刑務所刑務所刑務所刑務所刑務所刑務所刑務所刑務所刑務所刑務所刑務所刑務所刑務所刑務所刑務所刑務所刑務所
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本当交通刑務所から10ヶ月入るとこだったんですけど、まあ初犯だったんで執行費3年になって、さらにこれ刑事罰ですね。
で、行政罰は免許が取り消しになったんですよね。まあそれはそうだ。
交通事故を起こしただけで安全運転義務違反みたいのがあって、4点ぐらいつくのかな。で、交通違反自体があったか確か忘れちゃったけど今適当に言いますよ。
12点か15点ぐらいあったりするんですよね。そうするともう取り消しになっちゃって。
まあ俺取り消しになるまでの間も平気で単車乗ってたんですけどね。何でかというと覚えてないんですよ。記憶全部失っちゃったんで。
なのでオートバイ乗ることが全く怖くなくて、それでしばらく乗り続けてたんですけど、まあどっかのタイミングで、たぶんその裁判が終わった後とかで、
本来は行政罰と刑事罰、行政と刑事でリンクしてないんですよ。なので刑事が不寄層になっても免停になったりするし、この辺って不思議な仕組みなんですけど、
それで俺が思ったのは、自動車の免許ってのはあくまでレンタルビデオ屋のカードみたいなもんだなと。
まあ今レンタルビデオやってないんで、あんまりこれ例え不相応しくないんですけど、当時思ったんですよね。
要するにレンタルビデオ屋さんの考えでどうにもできるよなと。あまり合理的なもんじゃないな、一貫性のあるもんじゃないなと思いましたね。
だって別件で俺不寄層になったことがあるんですけど、それは違反でね。その時にちゃんと点数引かれたりするからな。
おかしいな不寄層なのになー、じゃあ行政副申立てしてくださいって言われるんですけど、行政副申立てって一回受け入れてから副申立てるんですけど、
だいたいトーンなかったりするし、もうめんどくさいからじゃあいいよ点数引かれちゃってみたいな話なんですけど、
そんなことやって私はろくでなしのフリーターだったんですよね。あと4年くらい正社員になるのにかかるんじゃないかな。
いつだっけな、俺が初めて正社員になったのって。前回話したインディードの前の会社の前の会社の前の会社が生まれて初めて正社員になった会社ですね。
確かそれが2002年か。まだ4年くらいありますよね。今まだ99年だからね。そうなんですよ。
で、いろんな人がバイトをしてたよっていう、そんなフリーター時代がつい四半世紀前にあったんですよっていう話を。
そんな月に10万稼ぐのに必死になって、俺は昼間に、そうだ思い出してきたぞ。で、事故ったんでそこのバイト辞めたんですよね。
そんでじゃあ違うバイトやろうってことで、近くの静岡屋っていう代営の系列のスーパーでレジのバイトやりだしたんですよね。
あれもあれで面白かったな。なんか同年代の仲間。みんな大学生だったんで、俺のコンプレックスバリバリ刺激されて、
今でも大学生、もしくは学士、大学卒業の方たちに対してとてつもないコンプレックスを俺は感じるんですけど、
それは当時に焼き付いたスティグマが今でも残ってるんですね。もうね、脳みその深いところに刻印されました。
いや別に何も嫌な思いしてないんですよ。一方的なコンプレックスです。
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でも例えば俺が当時読んだ、ノルウェーの森って今でもたまに読む好きな本とかも、
主人公大学生なんだこれが。もう羨ましいんだわ。なんで羨ましいか。それは言ってないからなんですね。
見たことないんですよ。なので結構言われるんですよ。
実際世の中大学出ててもろくでなしいっぱいいますし、俺より使えないやつ死のうでいると思うんですけど、
違うんですよ。俺が見てないものを見てきた。俺がやってないことをやってきた。
そして今から俺はそれを取り戻せないっていうところにとてつもなくコンプレックスを感じるんですよ。
これはだからコンプレックスではないんだよな。何て言うんだろう。
もう手に入らないものに対する嫉妬ですね。コンプレックスというのは嫉妬なんでしょうね。
いやーこれ俺今一人でこのマイクの前で喋ってるんだけど、結構こうやって喋ってると自分の気持ちはっきりしますね。
だから今でも嫉妬があるんだよな。
でも今は今でもう俺も大人だし、自分が社会的にどういった位置にいるかとかっていうのは客観的に分析できているので、
あと自分でやってることに自信もあったりするので、本来嫉妬なんていらないって思うんですけども、
違うんだ。19歳の時の俺が嫉妬してるんだ。
でね、さっき言ったように、自分で大学に行く権利を全て投げ出しておいて嫉妬するって本当に勝手な話だと思います。
ただね、そうなんですよ。そういう苦しい嫉妬みたいなものに、多分俺は結婚して子供ができて、30過ぎくらいまでちょっとまだ絡み取られてたような気がしますね。
それによって自分の行動が左右されるとか、上手く何かいかないとかってことじゃないんですよ。
ただ心のどこかにいつも、その後例えば25歳くらいになって初めて正社員になった会社とかでも、
やっぱり新卒3年目とかのやつと同じ年で、同じ正社員、台頭の立場になるわけですけど、
なんとなくそこでもやっぱりちょっと、コンプレックスで表現便利だよね、そういったものを感じたりしてましたね。
でも最初に話したように、全部自分のせいなんですけどね。
コンプレックスを置いといても見てこなかったってところですよね。
俺が勝手に想像している講義の姿とか、ゼミとか、あとサークル活動、コンパとかね、こういうのは羨ましいなと思いますよね。
今大人になって時間もある程度あるような仕事できていて、経済的にもできるから、
じゃあ社会人で大学行けばいいじゃんって思いますよね。それじゃ1個しか満たされないんだ。
講義の部分だけなんだ、それで満たされるのは。違うんだ。
20歳前後の自分として、キャンパスライフですよ。今ダブルクオーディション指でやってるんですけど、キャンパスライフは送りたかったんですよね。
それがなんか、自分で投げ捨てちゃったものとしてずっと引っかかってるんですけど、
そんな感じでいろんなフリーターやってたんですけど、でも今何のフリーターの話もしてないね。
事故ったって話と、ろくでなしで大学受験しなかったって話をしたんですけど、結構面白いバイトもして、
その中でバイトじゃダメだってなって、お金貯めて本当はバイク好きだったんで、バイクの整備士目指そうとかって思ってたんですけど、
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その後アルバイトから派遣でPC関係の仕事をしたりとか、その前にちょっと契約社員でちょっと製図をやってたんで、
水道館の図面を描く仕事とかやってて、割と25万とか稼げるようになって、
そうなってくると、あれ整備士ってもしかしてこれより稼げるんじゃね?とかって思ったら趣味にした方がいいんじゃないかなとかってなって、
オートバイはその後しばらく俺の趣味になったんですけどね。
で、じゃあっていうことでパソコンいじったりして、いろいろスキルつけていって今に繋がってるんですけど、
そんなわけでフリーターやってたんだよって話をしたかったら思った以上に自分が楽しかったです。
この続きのどんなバイトしたかっていうのはまた気が向いたら話そうと思うんですけど、
そういうわけでかわいそうなやつだな、ひでえ高校生だなって思ってみなさん同情してください。
それじゃあまた。