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2024-07-12 28:40

#3 車のこと・話し考えること・絶望に抗うために必要なこと

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コインランドリーで洗濯物を乾かしている間に時間があったので収録しました。

車を買ったときのことや、友人の会社のこと、社会への絶望を感じること、あえて長く話すことで世界への絶望に立ち向かうこと、などを話しています。

今回も相変わらず滑舌が悪くお聞きにくいとは思いますが、少しでも面白く想っていただければ幸いです。

なお、話に出てくるラジオについては以下の通りです。

#50 なぜ今の時代に「優しさ・共感を大事にするSNS」を作ろうと思ったか|しみこさん のっくんさん - 近藤淳也のアンノウンラジオ - LISTEN 

近藤さんに会いにいきました!〜世界に肩を預けるということ〜 - しみこのひとりごと - LISTEN 

7/6 何のために仕事をするか?野村さんとの共通点 - 朝の散歩 - LISTEN 

 

【くらげについて】

東京都の片隅で妻と二人暮らしの聴覚障害・発達障害当事者。人工内耳ユーザー。よくわからない仕事を在宅でやったり、友人の仕事を手伝ったりしながら生きている。自称デジタル日雇い。(ポートフォリオはこちら)妻も発達障害者で著書に「ボクの彼女は発達障害」がある。1984年山形生まれ。

 X: https://x.com/kurage313book 

note: https://note.com/kura_tera 

ポートフォリオ: https://note.com/kura_tera/n/n0a6c56ff56d1 

著書: https://www.amazon.co.jp/dp/4054057063

#声日記

サマリー

彼は、車について話し、考えること、絶望に抗うために必要なことについて語っています。彼は自分の願望と現実が一致しないことを理解することの重要性を強調しています。敵を倒すためには、敵を悪魔化せずに構造や現象を見つめることが必要だと述べています。彼は、自分が社会に対して障害者だから、発達障害だから、お金がないからといったことに囚われず、それらを誇りに思うべきだと考えています。

車を購入する理由
はい、こんばんは、くらげです。本日はですね、なんか2回目の収録になってしまうんですが、現在、えっと、コインラン通りのですね、駐車場にいまして、車の中から、中継というか、録音ですね、録音しております。
えっと、自分は結婚していますけど、妻の方がちょっとやっぱり体調とか悪かったり、いわゆるあったし障害ですね、まあ自閉症と言いますか、そういうのがあるので、なかなか家事とかできないもので、えっとまあ仕事と家事はほとんど自分が担当ということになっております。
まあそれで別に不満はないんですけども、結構やっぱり大変なことは大変なので、ちょっとこういう機会を見つけて、いろいろやってるんですけども、まあそういうわけで今回はちょっとあの試しに、LISTENのですね、収録をやってみようと思います。
そうですね、やっぱりまあ、何回かこう自分は貧乏だ貧乏だって言ってるんですけど、やっぱり隣で車を持つというのはかなり贅沢だと思われるんですけど、やっぱり妻が転換とかもありまして、ちょっと急に倒れたりするんですよね。
一緒に出かけるとちょっと急に体調悪くなったり、急に倒れたり倒れかけたりですね、しちゃうことがあるので、そういう意味で非常に車というのは命を守るためにも大事で必要経費かなというふうに思っております。
まあそれでも生活してすぐに変えたわけではなくて、まあ今の家に引っ越してからですね、まあ2年くらい後にかなり病状が悪化しまして、その時にどうしても必要かなというふうに、まあちょっといろんな人にアドバイス頼んだらやっぱり車買った方がいいよねっていうのがありまして、まあそれでそれがちょうどコロナが流行る直前ですね。
2021年か2021年ですね、春にですね、あのかなり安い軽バンを買ったんですけど、まあその後コロナの、ご存知の通りコロナの流行がありまして、急に必要庫価格が高くなったんで非常にタイミングで買えたかなというふうに思っております。
結局車もツールですので、ツールですね。なので結構使い方次第ではやっぱり非常に使えると。安全に、まあ人によってはあんまり車なんて意味がないって方も多いでしょうし、まあカーシェアリングで十分だという方も多いとは思うんですけど、自分にとってはやはりまあすぐに使える。
本当にその大変だった時期って本当に1週間に1回2回救急車で妻が運ばれるようなそういう状況だったので、まあタクシー代とかも馬鹿にならなかったんですよね、医療費もそうなんですけど、そうなるとやっぱりまあ安全と命には変えられないなということで、ちょっとやっぱ買ったんですよね。
まあそれが本当によかったし、これまでいけなかった、例えば山形の生まれなんですけど、山形の生まれに山形の寄生とかですね、あと妻の実家にだいぶ頻繁に買われるようになりましたし、妻の実家はあの東京の稲城市で、まあ車で1時間、電車で1時間半というところなんですけど、まあやっぱりそれの距離でも大変なことは大変だったので、まあそういう意味で非常に安心していました。
生活の幅が広がったなというふうに思っております。まあでもやっぱり維持費とかは結構苦しいっちゃ苦しいので、まあでもなんとか4月に払い終わりまして、まあ少し楽になるかなと思うんですけど、やっぱりそういうところで苦労しつつもやっぱり生活を維持するためには、車というものも自分の生活には必要だったかなと思っております。
まあそういうわけで、コインランドリーに荷物を持って行ったりですね、ちょっとした個室っぽく使ったりですね、まあいろいろ活用しております。
車の利便性と必要性
まあそんなところで、まあ車の話はさておきとしまして、ちょっと先ほど近藤さんが行っているアンノウラジオですね、いろんな経営者の方とかに話を聞いて、すごく密度の濃い内容を語っているラジオなんですけれども、リスンでやってますね、リスンでやってるアンノウラジオ。
私が手伝っている清水前子さんと株式会社まつりの副代表の野君という方が非常に語っているんですけど、まあちょっと先ほど仕事と家事をしながら聞いていて、まあ自分も結構それをずっと見ていたので、自分もよく知っていることなんですけれども、ここまであからさまに語るかってちょっとびっくりしたんですけれども、
まあやっぱり、まあいつでもおかわりというサービスをやってるんですね、株式会社まつりは。でそのサービスはやっぱり、まあ優しいSNSと言いますか、誹謗中傷のないSNSと言いますか、心の安らぎを与えるSNSと言いますか、そういうものなんですけれども、それがなんでそういうサービスになったっていうのを非常に細かく書いておりまして、やっぱり清水さんですね、清水前子さんが非常に苦労されたというか、
裏切られたりですね、本当に大変なことになってたんですけど、まあそういう中でもやっぱりつかみ取った、つかみ取って得たアイデアからできたサービスですので、非常に血の通ったというんですかね、血が通っている、心が通っているサービスなので、ぜひ自分も成功してほしいですし、まあそういう成功、まあ自分も結構広報担当という感じにはなっているので、
そうですね、本当に心の奥から応援していますし、まあ自分自身のためにも成功してほしいなというふうに思っております。それで近藤さんも非常に厳しくと言いますか、厳しく優しく質問を送ってくれているんですけれども、やっぱりそれを見ていると、やっぱり近藤さんという方が非常に優しい方というか、本当に聡明な方だなというふうに思いまして、
やっぱり人生に対して非常に肯定的であるなというか、なんでしょうね、ちょっと清水さんが別なラジオで言ってたんですけど、別なリスンのコンテンツで言ってたんですけど、世界に対する肯定感というんですかね、やっぱりそういうものが垣間見えまして、
割と自分も障害者という立場からすると、あんまり世界に対する肯定感が持てない、何かしら世界に対して裏切られたという感じが結構あるんですね。それ、まあもちろん近藤さんも経営者ということをやってますし、まあいろんな経験されてますし、年上ですからなかなか大変なこともいっぱいあったと思うんですけど、
それでも世界に対する信頼というのを失ってないというのはすごいなと思いました。まあ、でもやっぱりね、まあ自分もやっぱり世界に対して裏切られたという感じはやっぱりあるんですけど、でもそれで裏切られっぱなしかというと必ずしもそうではなくて、まあ自分金持ちも名誉もないですけど、まあたまたま本を一冊、二冊ですね、
二冊出させてもらって、なんとかこういういろんな国境界というんですか、界隈というんですか、そういうところに絡ませていただいて、非常にいろんな方に恵まれまして、まあ仕事できてるわけなんですけど、まあやっぱりそういう人にだけは恵まれましたね、本当に。他には何もないけど、まあ妻とか友達とか、まあいろんなメンターになってくれる方が大変いらしまして、そういう方に本当に救われたなというふうに思っております。
そういう意味でやっぱり世界は大変なところではあるけども、必ずしもそういうものではなくて、いろんな人がいて助けてくれる人は多分いるんだろうなというふうに、まあ自粛にはたくさんいらっしゃったんですけど、本当にありがたいことに。
そういう信頼っていうのはやっぱり捨ててはいけないですし、清水さんもやっぱり最近裏切られる中でもやっぱり信頼できる人、助けてくれる人というのがやっぱり残ったっておっしゃっておりますので、そういうところで人間というのは裏切られたと思いながらも結局裏切られたままではいられないみたいな、そういう環境にあるのかなと思いますし、
裏切られたと思っても裏切り、自分が世界を裏切ったら多分それは何かしらの悲しいことかなというふうに思っております。
まあそんなふうに世界というのは本当に大変なところではあるんですけど、やっぱりどこかしら憎しみきれないというか、おそらく憎しみきってしまったら自分の人生もやっぱりうまくいかないんだろうなというふうな、ちょっとあまりぼよんやりと思っておりますね。
ここから結構、本題ってわけではないんですけど、ちょっと最近ずっと思っているのが、7月7日に行われたいわゆる東京都知事選ですね。
あれは選挙結果で言ってしまえば小池都知事の圧勝だったわけなんですけど、やっぱりそれを見て思ったのは、なんていうんですかね、ネットっていうか青年誌っていうか、自分の見えている範疇は必ずしも性格ではないと言いますか、いわゆるエコーチャンバーって言ったら簡単なんですけど、
やっぱり自分の見ている世界が必ずしも正しい世界全体のあり方、社会全体のあり方を反映しないというのはすごく感じました。
自分が言うまでもないんですけど、本当に今回の選挙はいろいろありましたし、ネットを見ていると連邦さんを投稿だとか、小池は投稿だとか、非常に口汚いの知り合いと言いますか、そういうのが行われておりまして、見てて結構気持ちいいもんじゃなかったんですけど、
やっぱりそういうのを見ていると、ある意味自分の願望と自分がこうであってほしいということと本当の社会のあり方に差が出たときに、人間って結構簡単に怒りを覚えますし、ある意味で現実逃避、ある意味で世界のあり方を認識が歪んでしまうというのはとてもあり得ることですし、
多分自分も知らない間にそういうことは起きているんだろうなと思いまして、気をつけたいとは思うんですけど、多分そういうバイアスっていうのは気がつかないんですね、自分で。気がつかないからこそバイアスなのであって、
そうなると自分を叱ってくれる人と言いますか、それは違うよって言ってくれる人ってすごく財産だなと思いました。そういう財産になってくれる人は本当にありがたいことにこと書きませんので、結構割と自分クソだなと思っているんですけど、
自分の願望と希望
やっぱり妻をはじめとしていろんな方が自分の尻をぶん殴ってくれる、叩いてくれる、蹴ってくれるということで、何とか人間としての形を保っているかなというふうに思います。そういう、何を言いたいかというとですね、やっぱり自分の願望とか自分の希望っていうのは必ずしもこの世界に一致したものではないと。
その一致しないのはある意味当たり前で、もちろん一致したら幸せかもしれないですけど、でもやっぱり願望というのは願望であって現実ではないことも結構多いっていうのはやっぱり正確にできるだけ正確に捉えていることができれば、
そっちの方が多分最後には結構一番絶望しなくて済むかなと思っていて。さっき言ってましたけど、やっぱり世界に対して絶望しているのは結構簡単で、それに対して自分も絶望し返すというのはすごく簡単なんですけど、多分それは何かこう世界を変えたいっていう時に大きな邪魔になってしまいますし、
それで世界を変えたいって思うほど裏切られると思うんですよ。多分清水さんもそうですしね、近藤さんに対してそんなこといっぱいあったと思うんですけど、社会を信じる世界を信じるっていう時に絶対裏切られるし、なおかつそれを変えようとする時に社会というのは多分、社会を変えようっていうのは社会に不満があるから変えたいわけなんですけど、
そうなると、もともとマイナスモードなわけで敵なんですよね、社会が。社会が敵であるからこそ変えようというモチベーションが生まれるわけなんですけど、これ本当に思うんですけど、敵っていうのは思った以上に悪魔化しやすいと言いますか、思った以上にひどく見えてしまうと多分あって、
でもそのひどいものを倒してやるって勢いすぎると多分疲れちゃうんだろうなと思います。もちろん戦わなきゃいけない敵っていうのはいっぱいいますよ、自分だっていっぱいいます。例えば有性保護法に対して賛成だった方もいらっしゃいますけど、自分障害者当時は3代目なんですよね。
祖父に母に自分に弟が耳悪いんですけど、結局障害者は障害者を読むなって言われたら自己否定というか私自身の存在を否定されることになりますので、そういうことには絶対的に反対していきたいですし、障害者の存在自体を認めないっていうような動きには絶対的に抵抗していきたいですし、そういうのは自分にとっての敵だなとは思うんですけど、
でもやっぱり正確に考えてみるとそういうネットの声っていうのは必ずしも大多数ではないと。薄っ面とは思っている人は多いかもしれないんですけど、それを言葉にしてSNSに上げる人っていうのは多分自分の思っている十分の一もいないんじゃないかなと思ってて。
でもそうなると多分そういう世界全体を見てしまうと多分、そういう十分の一の声を世界全体の声だと思ってしまうと多分自分は何かを見誤って、戦うならやっぱり戦わなきゃいけないんですけど、無駄な体力を使ってしまうと言いますか。
そういう変に絶望感に襲われてやっぱり世界に絶望してしまう、絶望し返すってことが結構起きてしまうなというふうに思いまして、やっぱり多分エコーチャンバラとかそういう現象って、そういう敵に対して何でしょう、みんなでこいつは敵だっていうのは多分楽しいんですけど、
いわゆる悪口っていうのはすごく増幅していくものですから、おそらく何でしょうね、みんなで集まってみんなの敵を作ることってものすごく本当の存在よりもめちゃくちゃ大きい敵を作りかねないかなと思ってて。
逆に味方も結構何でしょう、いらっしゃいますけど、やっぱりそういうみんなですね、味方のみんなも結構思ったより多く見えちゃったり強く見えちゃったりするとは思うんですけど、そこをどうやって公平公平に見ていくかなというのは多分人生を生きていく上ですごく大きなテーマに、社会を変えていくっていう時に、
正確に見ないとやっぱり暴れるだけで終わっちゃうとか、いわゆる一家制の騒ぎで終わってしまうようなことって多分起こり得るなと思ってて、そういう意味でバイアスというかそういうのって怖いなというふうに思っております。
でもちょっと話がいろいろとたちらかってしまったんですけど、やっぱり戸地戦の話に戻るんですけど、戸地戦今選挙が終わってからも非常に揉めてるんですけどね、やっぱり次は石丸慎二さんですね。
あの方は非常に結構大変っていうか、確かにいろいろ問題がある方だとは思うんですけど、その問題がある方を投票してしまった人やばかとか、投票してしまった人に投票した方を叩くっていう、あれはちょっとムーブメントがSNSで起きてるかなというふうに思うんですけど。
まあそういうのも一つの結構、社会に裏切られたっていうそういう気持ちが極端に恐怖心というか、やっぱり絶望感というか、そういうのから生まれてると思うと、なんて言えばいいんですかね、やっぱり大変だというか。
でもやっぱり投票した人は投票した人なりの理由があって、そこを100%否定しきってしまえば社会は変えられない、本当の意味での社会を捉えられてはいないわけですから。
もちろん小池さんに投票した人がばかとか、連邦さんに投票した人がばかとか、それぞれ意見はあると思うんですけども、あまり敵を大きくしないことってすごく大事だと思いますね。
やっぱり本当に悪魔化って言えばいいんですかね。そういう悪魔化をしてみんなで倒そうっていうモチベーションを高めるのはすごく大事なんですけど。
その敵が本当に倒すべき敵だっていうのは絶対あるときはあるんですけども、それが非常に些細なところから些細なところまで、手から足まで、頭から爪の先まで全部嫌いだってなってしまうと、何かずれてしまうと思うんですよね、本当に。
ずれるっていうのは社会を全否定してしまえば、存在そのものを認めないって感じになってしまうこともあると思うので、それはちょっとやめたほうがいいかなっていうか、社会に存在しているものは何かしらの理由があって存在しているわけで、
それを全否定してしまえば、やっぱりそれで何か問題が解決するかっていうと多分しない。たぶん小池さんがこの世から消えたって小池さん的なものがなくなるわけではないし、蓮舫さんが切れても蓮舫さん的なものが消えるわけではないし、石丸さんが消えたからっていったって石丸さん的なものが消えるわけではないですからね。
そうなると、もちろんそれぞれ社会を変えようというときに、本当にその人が代表している何かっていうのもあるんですけど、変えるべきことはそういう話を知りする人たち、そういう話をやっぱりそれは正しいというふうに思う方々が本当にいっぱいいらっしゃいますので、
そういう意味で、何でしょうね、そういう人たちが背景にいてそういう人たちが力を持っているんだということはちょっと認識した上で、なおかつその力を持っている、その力の源泉と言いますかね、そういうのを見ながらやっぱり人ではなくてやっぱり現象、実証、構造を見なきゃいけないなというふうには思っております。
そのためにも、それを見るためにやっぱり人を悪魔化するのではなくて、その裏にある諸々をちゃんと見なきゃいけない。そこを変えなければやっぱり人を太り倒して社会が良くなるというのはRPGとか漫画とかラノベでよくある展開ですけど、そういうのはやっぱり分かりやすいですけどね。
敵を悪魔化せずに見つめる
分かりやすいですけど、多分それをやっても多分うまくいかないというのを多分歴史的に証明していることかなと思っていて、まあでも、だからまあ分かりやすいってあんまり良くないなと思いますね。
ちょっとまた話が長くなるんですけど、こういうなんどりが40分くらいですのでもうちょっとしたら終わりにしたいと思うんですけど、リソナルとちょっと別なラジオですね、ちょっとお名前忘れちゃったんですけど、ちょっと後で調べて概要には書いておきたいと思うんですが、
このいわゆるディスティーンって非常に長いじゃないですか、皆さん長いじゃないですか話が。話が長いんですけど、ある意味近藤さんはその長さをちゃんと狙っていると言いますか、割と効率化とか単純化とかスピードが大事にされる社会でじっくりゆっくり話を聞く。
人のちゃんと頭に残るってのも長いコンテンツなんだとおっしゃってたんですけど、それと同じで、一言こう小池は悪魔だとか連邦はちょっと口汚い言葉で罵ったりですね、そういうことをやって非常に分かりやすいですし、頭にも残るんですけど、でもやっぱりそれぞれの方の候補者の話をやっぱりしっかり聞いてみて、
聞いてみると、いわゆる連邦さんの任意ではダメなんですかっていうのは全く別な意味を持ちますし、小池さんのプロジェクトマッピングだって何かしらの意味があってやってるわけですよね。それはちゃんと裏金かどうのことじゃなくて、ちゃんと心出し目的があってやってるんでしょうけど、そういうのって長く考えなきゃいけないわけなんですよね。
自分はちょっとAIはいいぞ、AIはいいぞ、効率がいいぞとかって言ってるんですけど、でもそれはそれとして自分がこういう、ある意味20分も30分も喋ってる理由って、単純でやりたくないって一方で、AIとかが予約したり効率化をしてくれる一方で、ある程度自分は単純な人間でやりたくない、そういう一つの分かりやすさにこだわりたくないっていうことがあって、
そういう気持ちがどっかにあるんだろうなと思ってて、そのためにはちょっと前から音声で1日センジにセンジの日記書いてるって言ってたんですけど、あれはちゃんと自分の中から頭の中で考えてるっていうことを取り出すためにやってまして、
多分140字いわゆるツイッターのツイートだと頭使わなくてもできるんですけど、センジはちゃんと頭使わないと書けないわけですよ。頭の中から何か絞り取ろうとしないと。
絞り取るっていう作業が結構大事かなと思ってて、手先でパンパンって多分書くんだったら、500文字ぐらいは本当に何も考えずに書けるんですけど、多分1,000字、3,000字ってなってくるとちゃんと頭を使わないと書けない。
そうなるとですね、手ではなくて頭で書くっていうことをちゃんとやるためにはある程度の文字数が必要なわけですね。その文字数を手から自分にとっては1,000字ぐらいがそこからスタートかかってくるかなっていうぐらいで。
1寸でポイスキャットやってたら思ったんですけど、自分の中で多分3分とか5分とかは多分10分ぐらいは何も考えないでできるんですけど、多分20分、30分はちゃんと頭を使わないとできない。
そういうちょっと、今は実際頭から絞り取ってる感じがあるんですけどね。そういう意味で一つのことをある程度長く考えるっていうのは、多分こういう効率化だったり単純化だったり、ちょっと言ってしまえば何かを絶やすく悪魔化したりですね。
そういうする時段の中において、20分も30分も一人でベラベラ喋ってるっていうのは結構貴重なことをやらせてもらってるんじゃないかなというふうに思っております。
そうなると、ずっと考えよう考えようと言ってるんですけど、考えるって頭の中から何かを絞り取るようなそういう苦行でもあると思うので、そういう意味でちゃんと長く読む、長く考える、長く語る、長く書く、
そういう作業っていうのは、本当に社会を変えようとか世界に絶望しないとか、簡単に世界に絶望して簡単に絶望し返す、この世界はダメなんだって断言してしまう前にやるべきことっていろいろあるんじゃないかなというふうに思います。
絶望に抗うために必要なこと
自分の生活も非常に楽ではないですし、何度も言ってますけど、でもそういう中において、やっぱり自分が社会に対して自分は障害者だからとか、発達障害だからとか、お金がないからっていうより絶望しきってない理由って自分のある種の考えるというか書くというか、そういう癖みたいなのがたまたまあったから幸運だったかなと思いますし、
だからこそ何かしら人が助けてくれるのかなというふうに思っております。本当にありがたいことでございます。
何でしょうね、まとめるとやっぱりちゃんと考えましょう、ちゃんとしゃべりましょう、ちゃんと調べましょうということになってしまうんですが、必ずしも自分がそれをできているというとそうでもないんですけども、やっぱりそういう気持ちを持ち続けて世界に絶望しない、世界に対する絶望感に儚うっていうのをちゃんとやっていきたいなというふうに思っております。
というところで、そろそろコインランドリーの完走が終わりましたので、今日はこのぐらいでお疲れ様でした。
28:40

コメント

個人のなかにもSNSのなかにも“ネガティブ•ケイパビリティ”が求められているなぁと思う日々です。絶望の先にも希望の片鱗があるだろうと思える土壌を、これからも一緒に耕していきましょー!! くらげさんLISTEN向いてますね・:*+.\(( °ω° ))/.:+笑

ネガティブ・ケイパビリティという言葉を知らなかったので調べてみたらなるほど!と納得しました。あとで詳しく調べてみます。いつでもおかえりを通して耕していきたいですね!そしてまさかここまでListenにハマるとは思っていませんでした!(笑)

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