リフレクションの重要性と自己リフレクション
今回のnoteのタイトルは、「改めてリフレクションを考える」です。
ワークショップの終盤に実施することの多い振り返り、リフレクションは、
学習や体験の定着化という意味で重要です。
特に大人の学びは、知識を覚えるというより、
意味を生成することが目的である場合が多いので、
リフレクションの役割が大きいと思います。
しかし改めて考えると、リフレクションって意外に難しくないですか。
とりあえず、今日会ったことを話すだけになってしまったり、
次は頑張ります、宣言になってしまったり。
今回は、自分で振り返るときと、
ファシリテーターとして参加者に振り返ってもらうとき、
それぞれ話してみたいと思います。
まず自分で振り返るときについてですが、
ワークショップなら、ワークショップの内容に本当に集中してないと
良いリフレクションができないなと感じています。
そして本当に集中していると、
自分にしかわからないかもしれないけど、
新しい発見というものが出てきます。
それはゼロから出てきた新しい論や知識ではなく、
自分の中で新しい意味に気づくというようなイメージです。
具体的には、あの人の言っていたことは全然文言は違うけど、
この人が言っていることと同じかもしれないなとか、
あの発言をしたときって自分はこんなことを考えていたのかも、
というようなことです。
そうすると、自分ってこういう活動が得意なのかなどに気づけることが
良いリフレクションなのではないでしょうか。
一方でファシリティエーターとして参加者に振り返るときは、
いかに良いことを言わせないかということに気をつけています。
どういうことかというと、
誰が聞いても良いことというのは、
どこかで見たり聞いたりしたことがあるような内容だったり、
他人から借りてきたような言葉であることが多いです。
やはり、せっかくリフレクションをするのであれば、
誰かの言葉ではなく、自分の言葉で語ってもらうのが
重要だなと思います。
ちなみに、自分がリフレクションする場合でも、
ワークショップの参加者にリフレクションしてもらう場合でも、
参加者への振り返り
そのリフレクションで出てきた内容というのは、
他人に分かってもらう必要はないというふうに思います。
というのも、リフレクションによって掴んだ感覚や
出てきた言葉は本人のものであって、
内容について他人がどうこういうものではないからです。
そこには正解や不正解、良い悪いという
客観的な価値基準は存在せず、
リフレクションした本人が主観的にそう思った、
そう感じたという事実のみが存在します。
これこそがまさにリフレクションによって獲得したい内容です。
しかし、仕事上の振り返りでは、
今後は同じ失敗しねえよなとか、
もっと上手くやるためにはどうするんだ?
というような圧をかけてしまうことがありませんか?
この圧がかかった状態のリフレクションで出てくる言葉は、
言わされている言葉であって、
自分の言葉ではなく、全く本質的なリフレクションには
なっていません。もはやただの反省会です。
振り返り会ではなく、反省会が増えてしまうと、
本人は評価者の顔を見て反省し、
評価者に気に入られるような発言をし、
しまいには失敗をしないように、
実践してしまう。
そんなことが増えていきます。もったいないですよね。
そしてもう一つ、ノートの中では、
他人と一緒にリフレクションすると良い、というように書いています。
他人にわかってもらう必要はないのに、
他人と一緒にリフレクションする意味があるの?
というふうに思われるかもしれません。
リフレクションには、違和感がとても重要です。
その違和感を感じるためには、
同じ事象に対して違う感覚を持つ他人の存在が重要です。
他人と自分が違うということから、
なぜオフかボリし、
違和感を感じることで、新しい意味の発見に繋がります。
最後に、このノートは、
音声入力を使って作成してみました。
これもある意味、自分とは違う他者なので、
自分の発話をこんな風に文章にしてくれるんだ、とか、
こういう単語は聞き取りづらいんだな、
もっと滑舌よくなりたいな、などの
リフレクションをすることができました。
皆さんもぜひリフレクションしてみてください。
というわけで、今回のスキマはここまでです。
ではまた。