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はい、こんにちは。クリスタルボウルで聞く癒しのエッセイ物語、語り手は、くじもぐらのひとみです。
つばさ通信教育という小学校受験の会社を経営したり、教材を作ったり、絵画を教えたり、また、くじもぐらというドラムとキーボードのユニットで作詞作曲して歌を歌ったりしております。
また、元日経新聞で広告のイラストを描いていたこともあり、絵も描いたりしております。
語りのバックで演奏してくれるのは、くじもぐらの相方、kbirdさんです。
さて、もう2回目の投稿になりました。いつまでこの何回目というの。私こういうの苦手なんですよね。
そう、なんかだんだんわかんなくなってきて。そう、なので、まあ今日は言えます。2回目。はい。今日はね、雨の日の不思議な種族という、少しね、不思議な話なんだけど、
ちょっと改めて考えてみたいなーっていう、今日は物語ですね、エッセイというよりは。を考えてみましたので、ぜひまずは聞いてください。そして、今日のお話を聞いていただいて、最後に少し後書きでお会いしましょう。
雨の日の不思議な出来事
大雨の日だった。外は雷が大暴れするくらい。
女の子は、学校に行くのが嫌だな、と思った。
雨の日は嫌い。だって、結構降っている日は、通学の靴の中に雨が入ってきて、
足はギュウギュウ生温かい感じもするし、顔は濡れていなくても、鞄が濡れていたりして、もうやってられない、と思うからである。
でも、やっぱり学校は、これくらいの雨じゃ、今日は止めですよ、なんて言うはずもなく、
いつもの日常に、大雨が追加されるくらいの出来事なのである。お気に入りの傘は、どこかに置いてきてしまったので、
家の住人の誰かが買ったビニール傘を差す。これもちょっとメイル。
雨の中、思い切り傘を差して、憂鬱な一歩を踏み出して、学校に出かけた。
だが、それは、いつもの日常ではなかった。
おはよう、そう言ったのは、コンビニの前で出会った友達だった。
友達は、びしょ濡れで立っていた。
え、何してるの?友達は言った。
え、え、何なの?これ何なの?と、友達は傘を指さした。
何を言ってるのか、わからなかった。
だが、傘というものを知らない友達が、そこにいた。
だが、恐るべき光景を見ることになる。
町中の人が、にこにこして、傘を指さずに、雨の中、歩いているのだった。
すごく気持ちのいい雨ですね、という会話がすれ違いで聞こえてきた。
友達は言った。
こんな素晴らしい雨なのに、こんなものいらないわよ、行こう、と友達は、私の傘を捨てた。
学校に着くと、みんな、びしょ濡れだった。
それを、タオルで拭いて、着替えるのである。
ああ、さっぱりしたよね。やっぱり雨は最高。
最高、だよね。
何度、この話をしたのだろう。
ただ、だんだんだんだん、雨の日に、思い切り濡れてみるのも悪くないのかな、と思えてきた。
考えてみると、いつぶりだろう、雨というものを喜んで受けてみたのは、
思い切り、雨に自然に飛び込み、水たまりを跳ねて、雨と一体になった日は、
帰りは、思い切り、雨になってみよう、と思った。
はい、ということで、あとがきのコーナーに参りたいと思いますが、
ゼロベースで考える
さて今日の、雨の日の不思議な種族ですがね、
沖縄の人を、ウチナンチュとか言ったりとかしますけど、
あの、沖縄の人、雨の日にあまり傘ささないっていう話を、実は聞いたことがあってですね、
これね、沖縄じゃないんだけど、私、あの、奄美大島に、あの、よく行くんですよ。
で、何だったら家族で10日くらい連泊したりとか、夏休みしてるんですけどね、
これめちゃくちゃ安い宿があって、ですよ、私が大金持ちですってことじゃなくって、
え、そんな値段でいいんですか?っていうお宿がちょっとあって、で、この方のお宿がちょっとね、
なくなっちゃって今、どこ行こうとかなってるんだけど、とにかく、奄美大島にはよく行ってました。
で、まあ、皆様ご存知の通り、独特な雨の降り方するんですよね。
あの、なんごく独特なの、スコールのようなね。
で、なんか雨、その日もバーって降ってきて、
いやちょっと傘、傘ってやってたわけですよ、傘ないかなみたいな。
そしたら、その、宿を経営してるおじさんが、ケンおじ、ケンおじって、
みんな言ってるんだけど、ケンおじがね、いやいや傘なんかもう刺さないよって言うわけ。
そこで知ったんだね。特にまあ沖縄から。
ね、まあなんごくの人。で、そうなのと。
まあもう、スコール独特だし、もうすぐ上がるっていうことだと思うし、小雨なんか気にしないみたいな。
で、まあそんなこと言うもんだから、実際もう、なんかやってみたんですよ。
別に一回みたいな。そう、私もちょっと染まってみたりしたんですよ。
そしたら、なんだか懐かしい記憶が蘇ってきたんですよね。
あれ、なんかこの感覚なんか懐かしいなあっていう。
そう、それとね、今日ね、私、小学校受験のね、講師をしてると言いましたが、私の生徒さんがある言葉を言ったんです。
生徒さんの親かな。親御さんが。
お家の方がね、毎日のお手伝いって先生あるじゃないですかと。
そう、あるんですよ。あのお手伝いしてることない、なんですかとか、
毎日お手伝い何してるとかっていう、まあ面接みたいな中でね。
その言葉ね、毎日のお手伝いっていう言葉に先生、ちょっと違和感感じるんですよっていうのね。
それ、あの、家事の手伝いのことを、まあ指すんだけど、なんかお手伝いっていう言葉なんだと思う。
お手伝いって、なんかまだお母さんがやるものみたいなことがあって、それを手伝うみたいな、その概念が、なんかもうちょっと古くなってきてるんじゃないのっていう。
うん、これまあよくよく考えてみると違和感なんだけど、うちなんか夫婦逆ですから。
そう、あの主人がご飯作ってる。そう、で、うちなんか子供4人いてですね、その洗い物とかも、ベッドの掃除とかもそれぞれがちょっとやってくれないと回らないから、そう、なんかそういうふうになってるんだけど、
だけどまだちょっと、私が仕事してて、主人が料理とか作ると、まだちょっと異質な空気感あるじゃないですか。そう、ね、だけど、なんか私ね、このお手伝いっていう言葉に違和感を感じたお家の方に感動したんですよ。
そうだよねと。なんかみんながそういうふうに使ってるから使うっていうか、ね、お家のお母さんのお手伝いをするっていう言葉は当たり前のように思うんだけど、なんかゼロベースでもう1回考えてみる力だとか、そういうところにちょっと関心をしたわけね。
そう、で、みんながそうだから、ね、当たり前になってくる。暗黙のものっていうのは結構世の中にあって、まあ例えばまあよく言われるあのマスクが外せない問題とかも日本人とか特にですけど、だからこのお話の中でもそうなんですよね。
なんか、すごくそれを、なんか当たり前でしょ、雨に。雨降ってきて傘さしていくっていうの。そこまでちょっと落とし込んでやってみたんですけど、この物語ではね。そう、当たり前だと思ったことを1回ちょっとゼロベースで考えていくってことをやってもいいんじゃないかっていう物語なんですよね。
そしてね、そのゼロベースで考えてみることっていうのは、そういう見方ができるってことは、ちょっと世界を面白くするんじゃないのっていうことなんですよね。
いろいろあると思うんだよな。例えば、結婚するのが当たり前とかね。結婚したら子供さんは?なんてね、聞く人もいるかもしれない。し、就職するのしたの?とかね。そう、そんなことだったりとか。
なんかね、そういう当たり前のことって、もう1回疑ってみて、そして、自分基準の幸せっていうものも見つめていけるきっかけになるかもしれないし、なんか、新しい物の見方ができるきっかけにもなるんじゃないかという、そんなお話でした。
ということで、また、クリスタルボールで聞く物語エッセイ、楽しみにしてくださいね。