00:01
はい、こんにちは。人生に心地よさを。シンギングボウルで聴く。エッセイ&物語。語り手はひとみです。
つばさ通信教育という小学校受験の会社を経営したり、教材を作ったり、絵画を教えたり、またくじもぐらというドラムとキーボードのユニットで、作詞作曲して歌を歌ったりしております。
さてさてさて、今日はですね、エッセイなんですが、ちょっと詩的なものも含んでるかなと思います。
先日、ライブをしたときに、20代半ばの出演者、演者さんがですね、
なんかこう、いろいろ、人生について悩んでいらっしゃったのね。それがすごく、
私もそういう時期あったなって。なんか、何者にもなれない、何者なんだっていう時期。
私で言うと、私は漫画家になりたかったんです、ずっとね。だけど、賞に出したって、入賞しないわけなんですよ。
毎度毎度リボンをそーっと、リボンってあの少女漫画の雑誌ですね。リボンのところの、この成績が出るんですよ、投稿したら。
で、開けて、はーって言って、閉めて。そういうことをしているうちに、なんかね、あれ何でしょうね、年上の人じゃなくって、自分と同い年とか、自分よりちょっと下の子が
デビューしていったりとかすると、なんか何やってるのかなぁ、みたいな。 そういう人生の焦りですね。あったなぁと思って。
そんな話、エッセイをお届けしたいと思います。ではまた後書きでお会いしましょう。
私は、桜絵の具の藍色がとても好きだ。
まずは、画用紙がびっくりしないように、先に水を垂らしておく。
そこに藍色をポンと置くと、驚くくらいに広がっていく。 これが不思議なもので、
藍色が一番広がってくれるのである。 さて、そこで藍色を塗り続けるよりも、他の色が入った方がなお良い。
群青色とか、黄色とか。 特に黄色が入る感覚が、
深海に射した光のようで私は心地よく感じる。 遥子が言った。
まだ20代半ばの彼は、音楽で生きていくのか、 就職して音楽を趣味にするのか悩んでいた。
つまり、何者かになりたいようであった。 私も昔は漫画家になりたくて、少女漫画に応募を繰り返し、
03:11
何者にもなれない自分にずいぶん楽談したものだ。 でも今になってわかる。
その中途半端な形も、 何者かなのだ。
そういう状態をネガティブケイパビリティと呼ぶらしい。
チューブラリンの答えのない状態に耐えうる力である。 白でもない、黒でもない状態。
私が描いた深海のような色。 私は絵の具でどんどん濁していく色が好き。
だから、あまり筆を洗わない。 白の次に青をとって黄色をとって、ちょっとずつ何色でないものが出来上がっていく。
味わい深い、何者ではないと思っているものよ。 もっともっと何者ではない色を足していけ。
今の自分は過去の私にそう言うだろう。 人は何かにならなければ不安なのだ。
もっと言えば何かをしていないと不安なのかもしれない。 熊野プーさんは言う。
僕は何もしていないことをしているんだよ。
色んな色が入ってきて、 それぞれが輝いた時に、世界に一つだけの色になる。
やってはいけないことがある。 それは、洋食のレシピのように混ぜようとすること。
和食のレシピのように和えるのである。 和味という文字は、
決して焦って混ぜて、 一つの何者かになろうとしなくていいのだと思う。
それぞれの良い色を考えていくうちに、 ああ、自分はこういう色だと思える時が来るのだ。
とはいえ、まだ自分も途上であるが、
漫画が好きなのであれば、 漫画家になれなくて楽談するな。
漫画を描き続けられることを幸せに思え、 音楽も同じ。
今は言えるが、 当時はやっぱり、
何者かになりたかったものだ。 はい、ということで、このね、悩みというか、
06:05
この漢字、非常にわかるんですよね。 まず、白か黒か何かはっきりしたいなっていうのは、
人間誰しも思うことなのかもしれないですがね。 このネガティブケーパビリティ、チューブラインの、
ような状態の個体に耐えうる力。グレーな状態。 これ、そういう本を昔読んで、すごく感銘を受けたんですけれども、
なんかね、今は、 早いですね。
結果とか、情報とか、
耐えられない。
だんだん動画は短くなっていき、 文字も短くなっていく中で、
人間の集中力と言いますか、なんかこの状態でいいんだよって、 なかなか耐えられないものなんですよね。
だけど、実はね、そのものがいるんだよって言いたいんだけど、
よく私言うんですけどね、藤原和弘さんという教育課の方がいらっしゃって、
この方が、
3つのそれぞれ、
そうだな、 得意分野というか、
自信持っていけるものを作れという話があるのね。 これね、100万人に1人になる法則っていうのがあるんですけど、
例えば、私は、
漫画家になれなかったんですよ。 アニメーターになって、
だけど宮崎駿先生にはなれなかったんですよね。 だけど、
そこそこ描けるんです。 だから、絵画コンクールとか、
大人のね、美術展とか、あんなので入選するわけではない。 ないんですけど、
あの、こう、 素人の方の中では、
描けるよねって言われる人なんですね。 そういう中途半端なやつなんですよ。
音楽も同じで、 小さい頃からエレクトンずっとやってて、
だけどエレクトンコンクールに入賞するほどでもないんですよね。 でもないの。
そう、だけど、近所の小さい子たちに音楽をエレクトンを教えてたことはあるんですよ。
そう、だけど、 あのピアノのプロ、ちょっと弾ける人たちの中ではあんまり弾けないっていう。
だから、あのね、絵を描ける人たちの中で音楽を弾けると、音楽を弾くとね、「おーっ!」って言ってもらえる。
音楽の人たちの中で絵描くと、「おーっ!」って言ってもらえるっていうわけわかんない。 でまぁ、そこそこですよこれ。
09:03
そこそこできるものがあって。 もう一つ私がそこそこできるものは、喋りなんですよ。
何かというと、まぁ私は喋る。 あの、ずっと喋ってる。
あの、友達同士でもそうだけれども。 そう、この、なんかこう、和術みたいなところは、まあ親から受け継いだものもあるかもしれないけど、
かといって私芸人ではない。そう、中途半端に喋れるやつなんですよね。 まあ他にもちょいちょいとその取り巻くものがある。
例えばちょっと仏教哲学を学んでたとか、本を読んできたとか、なんかそういう中途半端なものが渦巻いた結果、
なんと世界に一つだけの色になるんですよね。 この3つが揃っている人がいるかっていうと、
まあ、絵と音楽と和術ならいるかもしれないね。でもその取り巻き。 あの、小学校受験の問題を作ってきたとか、
ね、そうだな、今言ったらちょっと仏教哲学を学んでるとか、本をたくさん読んできたとか、そういうことが合わさって100万人に一人になれるのかなって。
あの音楽のプロっていうのは、やっぱあるところまで行くと、 あ、これは天才の行くところだなっていう感じるところはやっぱりあるんですよ。
だからって落胆することないんですよ。 自分の色を作っていけばいいんですよ、そう。
っていうことをね、すごく思う。あの、 絵を描く中ですごくそれは思うことがたくさんあって、
濁していく色が何物でもない色で素敵だなって 思える感覚に似てるんですよね。
あ、なんか落ち着いたここの感覚いいなって。 ね。
なんかそういうことはすごく思うし、今でもなんかそれぞれ中途半端だなって思うんだけど、でも、
なんだろうね、あの スティーブ・ジョブスさんじゃないけれども、
それぞれ好きなことをやって点と点がつながっていくんだよっていう感覚を、今はすごく大切にしたいと思ってます。
だから、何物かになろうとするっていうよりも、面白いものがあったらやってみる。
ね。結果合わなかったらやめちゃうこともいっぱいあります。 もうそれはそれはね、たくさん。
あのなんか染め物をやってみたこととかもあって、 あと民族楽器ね、手を出したこともありますし、
なんかもういっぱいあるのね。そんなこと言ったらもう破片だらけ。 そのあたりもね。
なんだけども、でもなんかその中で、 あの、これだって思うものをそこそこ伸ばしていくことは、
12:00
あの頑張ったらできるんじゃないかなっていうふうにね、思います。 はい、ということで今日は、ああそういえばそういうこともあったなと。
でも、みんなそれぞれ一つの色作れるんだよっていうことは、 まあ確実に言えることなのかなって。これはなんか子供たちにも伝えたいことかなっていうふうに思いますね。
はい、ということで、またクジモルグラのエッセイですね。 お楽しみに遊びに来てくださいね。