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どうも杉山けいたです。このラジオでは、日々気づいたことや感じたことを話しております。
今日のテーマは、なぜ僕らは本音で関わることを避けるのか、というテーマでお送りしたいと思います。
僕を含めですね、本音を人に言えない、それはいろんなシーンで本音を言えないことってあるんじゃないかなと、
こういう人多いんじゃないかなと思います。で、僕がこれを話そうと思ったのはですね、ふとこれが頭の中、このタイトルが頭の中に浮かんできて、
で、なんでなんだろうって考えながらですね、意外とこういうことをしたら、なんか理由が見つかりそうだなっていうのが見つかったので、
見つかったというか、見つかりそうな気がしたので、ちょっとそういう感じでお話をしていきたいなと思います。
これが分かれば、何かちょっと本音で言い合えるようなきっかけになるかもしれないので、もしよかったら聞いてみてください。
で、なぜ僕らは本音で関わることを避けるのかということなんですけど、僕は常に本音だよとかっていう方は今回の会話全然聞かなくて大丈夫なんですけど、
そもそも、なぜ僕らは本音で関わることを避けるのかという問いの前にですね、
僕らはいつから本音で関わることを避け始めたのかっていうことをまずあの突き詰めたいなというふうに思います。
僕自身はですね、小学校とか中学ぐらいまでだったかな、までは、
ま、こーらまたよう喧嘩してたんですわ。
突然の関西弁が出るぐらいなんですけど、本当によく喧嘩してて、友達と。
なんか気に食わないことがあるとすぐ喧嘩しましたね。
しかも小学校とかの時とかは本当ひどいもので、僕もその言葉で伝えるとかができなくて、すぐ手を出したりして、
本当ね、あの当時の友達たちには申し訳ないなと、あのすごく今更になってですね思うので、まあこの場を借りてちょっと謝っておきたいんですけども。
そんなことを置いておいてですね、小学校中学校までは、中学校1年生ぐらいかな、までは本当によく人と喧嘩してたんですよね。
で、喧嘩して、喧嘩をしてたんですけど、
喧嘩というか、喧嘩するぐらい本音もぶつかり合ってたという感じですかね。
だったんですけど、まあいつからか、人と喧嘩をしなくなり、本音を言わなくなり、
今現在27歳になりました。
で、じゃあその小学校、高学年、中学校ぐらいで何があったのかっていうのを振り返っていきたいと思います。
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振り返る前にですね、小学校の時とかって喧嘩したり殴り合いしたとしても、
なんか、時間が経てばとか、何かの作業を一緒にしてたら、気づいたら仲直りみたいな、
もちろんちゃんと謝ったりもしてたんですけど、謝った後もそんなに気まずいっていうことを感じずに、
気づいたらいつも通りみたいな感じだったなと思うんですよね。
それが、
中学後半ぐらいですかね。から人と本音でぶつかり合ったり、喧嘩をしたりとかするたびに、
なんかその後気まずくなるとか、 なんかなかなか綺麗に仲直りできない。
仲直りしたとしても元に戻るまでに、ちょっと様子見ながら、時間がかかるみたいなのが何か増え始めたなっていう印象なんですね。
で、まぁ多分それがまずきっかけで、そこから多分多くの人、まぁ僕、多くの人というか僕がそうだったんですけど、
そこから、その気まずくなる時期とかを過ごすのがすごい嫌になっちゃったりとか、
まぁなんかその、 ちょっとしたトラブルで相手が不機嫌になったりするのが、なんかめんどくさくなっちゃうっていうのがあるんじゃないかなというふうに思います。
これ言ったら、あいつ機嫌悪くなってめんどくさくなるからな、だから言うのやめようみたいな。
本当は言った方がいいことも、なんかそのめんどくさい、不機嫌になられたらめんどくさいとか、
本音でぶつかりたいけどもぶつかった後気まずくなるのがね、まぁ大人になったらやっぱちょっとこっぱずかしいとかもあるじゃないですか。
なのでまぁなかなかないのかなというふうに思います。
でまぁ、 ちょっと話が逸れるというか、ちょっと時系列を遡ることとは違うんですけど、
本音でぶつかる時に大事ってよく言われるのが、その自称に対してものを言ってるのか、人格に対してものを言ってるのかを、
あの、受け取る側もはっきり理解できないといけないっていう。
例えば、やっちゃいけないこととか、やって失敗したことに対して何か物を言われたりした時に、自分を否定されたというふうに捉えちゃうことってよくあると思うんですよね。
僕自身もまぁそう思っちゃいますし、思っちゃってそうじゃないとわかっててもそう感じちゃう。
なので言われた方はそれで結構不機嫌になっちゃったりして、
で、言った方はその人格までは別に否定してなくても、そのいちいち不機嫌になられると、もうなんか言うのめんどくさくなってきて、もう言うのやめようって思ったりとか。
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で言う方も言う方で、その自称に対してのみものを伝えるのか、その自称から発生してその人自体を否定してしまうとかもあると思うんですね。
これはまぁ伝える側と受け取る側両方の共通理解というか、その伝える姿勢、受け取る姿勢とかも大事だなというふうに思うんですけど、
多分それができない、できなかったり理解できてない人が多くいて、
なのでまぁその本音でぶつかったときに、
なんだろう、自分っていう人間とか今までの関係とかを否定されたっていう、
なんか思考になっちゃうのかなというふうに思います。
まぁなんかそれの
それで否定された気分になってしまって、なんか気まずくなっちゃう。
でそれが多分ほとんどの人が中学、高校、大学ぐらいでそういう感じが形成されていって、
大人になってというか、大学とか高校、卒業していろいろ別の道に歩んでいったときに、
もう今までそう育ってきたから、違う環境に行っても、
本音でぶつかるとなんか気まずくなるのも嫌だしなぁっていう、
気まずくなるのが嫌っていうのは多分、
どう仲直りしていいかわからないとか、
仲直りした後もいつも通りに接することができるのかっていう、
そういう不安があるんじゃないかなと思いました。
僕は多分そういう感じがあるなぁと思いますね。
でも、
ちょっとアドラー心理学っていうやつの言葉を引用すると、
相手がどう感じるかっていうのは相手の課題なので、
自分が本音でぶつかって、その後自分がいつも通り接するっていうのを決めて、
それに対して相手がどう感じるかは相手の課題だっていうふうに、
割り切れにね、割り切れればいいかなと思うんですけど、
今までそういう考えじゃない期間が長かった分、
そんな綺麗にスパッと考え切り替えれないと思うので、
まあそんな急には切り替えないと思うんですけど、
そうやって意識して徐々に慣れていくしかないのかなというふうに思っております。
あとはですね、これは僕の悪い癖なんですけど、
あんまり人に期待してないっていうところもあるんですよね。
本音でぶつからないのもあるし、
本音でぶつかったら気まずくなっちゃうのが嫌っていうのもあるし、
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じゃあそこまで気まずくなる期間とか、
相手が不機嫌になるのも受け止められるぐらい、
この人に労力かけるほどかっていう。
別にそれだったらもう、
別にこの人ぐらいだったらその場でやり過ごすはもうよくねみたいな、
っていうぐらいのなんか言い方悪いんですけど、
あんま他人に期待してない部分も僕はあるのかなというふうに、
ちょっと思っちゃいますね。
本当に大事な人だったら言った方がいいと思うし、
言って何か伝わると期待して伝えると思うんですけど、
そこらへんはちょっと僕の課題かなっていう感じです。
あんまり綺麗に、じゃあこうした方がいいですよねとか、
ああした方がいいですよねっていう答えまではたどり着けなかったんですけど、
もしよかったら何か自分の考えがあるとか、
自分はこういうこと意識してるとかあれば、
ぜひぜひコメントやレターで教えてもらえると嬉しいです。
やっぱり人の悩みはほぼ全て人間関係と言われてるんでね、
これも多分結構大きな悩みの一つなんじゃないかと思うので、
もしよかったら皆さんの考えもシェアしてもらえればと思います。
というわけで今日のテーマは、
なぜ僕らは本音で関わることを避けるのかというテーマでお送りしました。
今日も最高の1日にしましょう。杉山ケータでした。
またねー