移住と教育システム
僕はそうですね、もともとは、どこから遡っていますか、5畳目に移住してきました、それは2020年、2020年の3月に移住してきたんですよね。
で、ちょうど移住を決めたのは、さらにその前、約1年半年前ぐらいに、5畳目には移住を決めてました。
で、移住の準備をしていく中で、コロナみたいなのがバーっと出てきて、移住したら、自粛生活になりました。
ちょうどその時期ですよね。
そうそう、その時期だったので。
なんかこう、当時はこのほし自体は影も形もない状態で、とにかく秋田の5畳目に、まあ縁があったので、その話はこれからしますけど、しました。
で、その前は、僕の拠点、生活拠点は、東京とベトナムのホーチミンの2拠点生活でした。
で、さらになんでベトナムっていうと、
はい。
2010年に、羽ばたく株式会社というのを、最初に入った会社の同期に、僕入れて3人で立ち上げました。それが2010年。
はい。
で、羽ばたく株式会社っていう社名のとおり、世界に羽ばたく人をもっと育てたい。
うんうん。
特に2010年頃の日本というのは、
まあ、2008年にあった世界経済の、
うんうん。特に2010年頃の日本というのは、まあ、2008年にあった世界経済の、
はい。
タイプ leader shock を歌われる若いgil maidт
これからの日本あるいは、より確実性の増す世界で、
はい。
ちゃんと自分自身の足で立って価値を生みだせる人が、
まあ、人生をより豊かに、ワクワクしながら生きていけるんじゃないか、
というふうに思いました。
うん。
はい。
で、それは僕らが開いた最初の会社。
大きなグローバル企業であったものの
そうした世界経済状況をもろに受けて
新卒で入ったばかりの僕らは
グローバルな人材市場ではあんまり役立たないねと
値札だけは一丁前についているのに
海外経験もなければビジネス経験もないと
ただ高いだけで英語も喋れないやつが使えないのに
いられてしまって
実際社内でも仕事がない状況という経験がありました
全然違うけどね
メンバーさんもそうじゃないですか
人はたくさんいるけど仕事がないっていう状況
そうですね
僕らはまさにそういう状況があって
それってでも俺らのせいじゃないよねと僕は思って
なんかどっかサボったり手を抜いて
来たから仕事がないというよりは
ある意味僕らの動機含め
みんなやんちゃなやつもいるけど
基本的には成績優秀で
日本の教育システムの中では
いいことされてきた人たちが多かったんだけど
そうやって外に出た社会で
お前ら全然使えないね
それはもうシステム側が悪いんじゃん
そういうシステムそのものを疑うことなく
乗っかってきた自分たちに
そういうふうに
育てられてきた自分たちが
やっぱり世界を見て
ビジネス経験と教育システム
このままじゃいけないって思えれば
自ら行動して自分を変え続けることができたんじゃないか
そういう気づきがもっと早い段階で
社会に出るもっと前に得られていれば
社会に出てからも
そういう圧倒的な減体験って呼んでたけど
ガーンと頭を打つような経験があれば
人は自分で変わったらいいんだよって思ってたんだけど
そういう圧倒的な減体験って呼んでたけど
人は自分で変わったらいいんだよって思ってたんだけど
自分で変わっていくだろうということで
ハバダックという会社を作って
世界に出ていこうっていうのをやったんですよ
はい
で当時2010年頃は
2000年代初頭の
日本から中国へ進出の機運が
頭打ちになって
ちょっと中国以外
中国の次で
チャイナプラスワンって
まさに中国の次どこなんだって思ってたんだけど
まさに中国の次どこなんだって思ってたんだけど
というところで
ベトナムが注目されてたんですよね
というところで
ベトナムが注目されてたんですよね
なるほど
でハバダックの事業の中で
僕は海外事業展開ということで
ベトナムに行って
ベトナム工事に立ち上がって
東南アジア各国を舞台とした
日本企業の人材育成プログラムを立ち上げて
日本企業の人材育成プログラムを立ち上げて
ずっと事業を続けてきました
ずっと事業を続けてきました
はい
はい
はい
はい
それは5畳目に移住する always
riski
それは5畳目に移住する
前も
し、移住してからも続けている話
というハバダックにおける
日本から世界へという流れのスタートなんだけど
数年事業をやっている中で
やっぱり海外、海外と
言っている中で
海外でも
先ほどベトナムのように
これからの日本人と
世界との
最前線に当たるような
場所に行こうと
せっかく世界を見に行こうと
というので選んでいる
やればやるほどだんだんベトナムもそうだけど
足元の日本も
世界的にはフロンティアなんじゃないかと
世界先駆けて人口減少
超高齢化社会フェーズに
入っていく日本
というのは
実は東南アジアばっかり
東京と秋田への移住のきっかけ
やってきたけど
日本の中でも学ぶべきことがあるし
日本でもやれることがありそう
ということで
羽田区の共同代表
サニラズメタルの一人が
ええやって飽きた
決めようと
たまたま
僕らが創業した
羽田区を創業した地が
東京と千代田区
この千代田区と
五条目町は
姉妹都市関係で
五条目町が廃校なった小学校を使った
新しい松津区をしたいんだ
というビジョンを掲げていた
それ一緒にやれる仲間を集めていたのと
たまたまその秋田に行くことになる
共同代表の
奥さんの実家が秋田市だったので
そういう声に導かれて
秋田の五条目町に
田畑区の拠点ができるんです
あーそっちが先なんですね
そっちが先です
うんうんうん
それが何年前だ
7年前とか
で僕はあの
その当時は東京にも家はなくて
ただほとんどベトナムにいる状況で
年に数回日本に出張って形で
帰ってきてました
あー逆だったんですね
そうそうそう
向こうが生活家だったと
うんうん
で時々帰ってきて
来たら東京とか都市部でも仕事があるんだけど
会社の拠点の一つがある秋田県
五条目町にも
普通に遊びに行ってた
うんうんうん
でホーチミンも大都会だし
仕事のお客さんも
日本の都市部にいるんだけど
時々行く五条目の田舎
はい
静かな田舎に
いつも癒されてたし
うんうん
ちょくちょく来ると
田畑の秋田のメンバーとか
町の同世代のメンバーとかが来ると
同世代のアンちゃんたちと
一緒にお酒飲んだりして
仲間もできてた
コミュニティもねできてた
でそうやって何年か行ったり来て
遊びに行く場所だと
でそうこうして地獄も
日本で
結婚して家族もできて
はい
で付き合ってる頃から奥さんと
一緒に何回か秋田に遊びに行ってました
うんうんうん
で僕にとっては
日本って出張先なんで
はい
どうせ日本に帰ってくるんだったら
癒されたいじゃないですか
あーそうですね
居心地のいい場所で
東京も出身地ではないし
はい
奥さんはいるけど
たまに来る場所だから
そんなにこう自分の生まれ育った土地でもないし
愛着はない
だったらなんかもっと居心地のいい場所を
ホームにできたらなと思って
それが移住のきっかけというか
はい
でそのように思ってたんだけど
まあでもさらに
きっかけになったのは
はい
東京ででも仕事を持ってるのは奥さん
でも妻は東京で仕事を持って
バレバレ働いてたから
それを辞めてまで秋田行こう
とかは全く思ってなかったんだけど
うんうんうん
まあ何回か一緒に秋田行くうちに
なんか東京の仕事辞めて
なんか秋田で暮らしたいって
言い始めたのは奥さん
あーそうなんですね
なんかそういう環境で住みたいと
むしろ東京生まれ東京育ちなんで
はい
なんかそういう環境よりも
彼女はもう小学校の時
夏休みとか冬休みは
長野の山でこう
そういう
自然学校みたいなところで
過ごしてたので
なんかああいう環境を生み出すと
自分もそういうところで暮らしたい
っていう風に言い始めた
あーなるほど
だったら僕としてはね
全然コミュニティもあるし
仲間もいる
秋田に行けるの全然いいじゃん
と言って
まあすごい長く
話しちゃったけど
そういう流れで五条目町に
行くことに決めたんですよ
うんうん
でも行き続き
海外に行くよって
移住と自然の中での新たなプラン
羽ばたくのお客さん
持ったままだから
二拠点生活の
東京ベトナムが
秋田ベトナムに
変わるだけのつもり
はいはい
それで
2020年に
移住するんだけど
オリジボっていうかコロナで
僕が持ってた
海外の案件
海外研修
日本の企業の人たちを
海外に実際連れてくっていう
プログラムあるんですけど
あーそうですよね
そことかは結構制限がかかってた
頃ですね
もう全部キャンセルですよ
仕事ゼロ
という状況に五条目で
なりましたというのが
ツリーハウスと教育プログラムの企画
この星のなんていうか
エピソードゼロ
っていう
というようなとこから
五条目に行ったので
次五条目で
一旦その手持ちの何しようか
っていう状況になった時に
まあコロナ禍なんでまあ
みんなそんな状況だからさ
もちろん仕事どうしようかって
焦りもあるけど
まあ一旦
ある意味開き直って
せっかく自然に近いところに
来たからさ
なので渓流釣り
みたいな
街の仲良くなった人たちの
田んぼとか
畑の世話を
手伝ったりとか
していく中で
そういえば自然の中で
やってみたいことあったなと
思い出したのが
ツリーハウス
ツリーハウスを建ててみたいが
あったってことですか
そうそう
好きな映画は
スタンドバイミーなんだけど
見たことない
ないです
ぜひ見てください
このスタンドバイミーっていう映画は
ある街の男の子4人が
旅に出て
旅に出て
まあちょっと人から向けて
帰ってくるって話なんだけど
街ではちょっと悪ガキたち
彼らの
映画冒頭でのたまり場が
ツリーハウス
それに
憧れがあったと
この映画が好きで
なんか秘密基地みたいな
木の上に来るっていうのは
すごい
憧れが
ずっと持ってた
そんな話を
一カフェね
はい
みんなでカウンターで話してた
結構
いろんな世代男女問わず
ツリーハウスやりたい
はあはあ
いややってみたい
こんなみんなやってみたいんだ
Facebook投稿すると
うちの土地使っていいよ
っていう人も現れたりして
はあはあ
あるいは
宮城県の先輩から知り合いが
ツリーハウス作れるから
つないであげようって
すごいご縁ですね
そうそう
なんかそんなつながってさ
でクラウドファンディングを
立ち上げて
で街のみんなと一緒に
ツリーハウス作りをしよう
はあはあ
でその母体となる
はい
運動体というか
ものとして
会社を作るんだけど
結構の星なんです
はあはあ
じゃあ最初はツリーハウスのプロジェクト
のためというか
にできた会社だったんですかね
そうで
しかもそれを僕と妻の二人で作る
はあはあ
うんうん
ただこれはツリーハウス
もちろんツリーハウス作るためだけに
法人作るというよりは
ツリーハウスを入り口にして
あのさっき妻の話しましたけど
僕も小学校の時
大学に入ってて
結構ね月に何回も山行ったり
夏になると
2週間も2週間も山の中で
キャンプしに行ったりとかしてたので
自然美化での楽しみとかすごい
自分の根底にあるんですよ
はいはい
でも5畳目に行ってみると
まあ大人になって
いろんな遊び方も知ってるけど
街の子供とか見ると
まああの
まさに高齢化で人口減少してるからさ
はい
自分の車がないと
遊びに行ける場所がないから
子供たちこんなに自然いっぱいあるのにさ
結局家でゲームしてるんで
うんうんうん
なんかそれもったいない
僕ら田舎がいいなと思ってきて
田舎に行けば
いろんな自然の近くにいて
自然で遊べるわと
地域の資源となる町づくり
コロナ禍で仕事もないしって
地域のおじいちゃんとかおばあちゃんと喋ってると
この山菜は食べれるんだぞとか
こういう時は
こういう風にしたらいいぞとか
地位をいっぱい授かって
めちゃめちゃ勉強になるし
こういうことをしたかったんだよなって
感じたんだけど
あったと気づくと
地域の子供たちとそういう機会
絶対ないじゃん
そうですねなかなか
ないでしょ秋田市にいてもそんなことなかったじゃん
なかったですね
自分の親戚とかはあるかもしれないですけど
地域の方との関わりってなると
また変わってきますよね
なんでこの星で
3ハウスは
最初のフラッグシップ的なプロジェクトなんだけど
やっぱり教育なんで
もともと
蒲田区でも人の学びだったり
研修やってきたので
自然の中で
生きるとか
自然とともに暮らすとか
あるいは
我々の上の世代が持っている
いろんな知恵をちゃんと受け取っていく
という場が必要だよね
自然の教育プログラムって
その
拠点だったり
このエビとマレーで仲間が集まりやすい
場所として
3ハウスづくりに着手したりとか
拠点としてこう
旗印としてね
子供向けのプログラムやったり
奥さんは弟
幼稚園の先生もいたので
自然の中で
幼児教育もできたらいいねとか
高齢者が増えてきたとか
ポニョに出てくるさん
おじいちゃんおばあちゃんの隣にいるみたいな
ああいう
養老一体型って言うんだけど
そういう施設もできたらいいよね
っていう話を当初はした
なるほど
最初は
森林事業っていうよりは
地域の皆さんを
つなげるじゃないけど
そういう
目的が
あったんですかね
目的もあったね
つなげたいというよりは
自然があるんだから
もっとみんな自然に入ろうよ
自然に入れば
自ら
そこでの楽しみ方とか
そこに
いろんな世代の人が入ると
それぞれ世代にあった学びが
癒しが起きていくんじゃないか
という期待がある
なんもなく整備されてない森にさ
誰も入ってない
と考えると
みんなが入りたくなる
入り口が必要だなという
感じでした
うん
なんか
今は結構林業という言葉
出てきてると思うんですけど
そういうスタートでは
なかったんですか
スタートは違う
ただまあ
地域の資源として
森があるね
というのがとても
大事なものですし
この資源があるから
たださ
ツリーハウスやったって
お金にはなったよね
そうですね
一応法人化してるから
どうやってこれで稼いでいくか
というのを作って
始める
そんな中
今度はウクライナで
戦争が起きるわけです
そうですね
寒い秋田の冬も
経験しつつ
エネルギーの高騰も
正確に
見ていくわけで
自分たちの暮らしも
住民としてね
光熱費もすげえかかるな
秋田
田舎はさえ
いろいろ物価も安くて
そんなことない
そうですね
車がなきゃ移動できないし
古い家に住んでるから
光熱費は高いし
これこの先どうしてくんだい
岡信高校にいたこともあって
今の時代の
エネルギー持久能の人
そんなことも
テーマとして見てきている中で
秋田も
このエネルギーって
結構問題じゃないと思う
ちょうどその頃
京都議定省とかもあって
いろんな国や地域が
カーボンニュートルって
ことを言い始めて
これは5畳目
これだけの
地域が
自然資源に囲まれている
5畳目町であれば
外から買ってくるエネルギーで
日々売ってるけど
うまくやれば
地域の資源使って
みんなが
豊かにというか
暖かく
暮らせるんじゃないの
っていうふうに思い始めました
実際に
自治体5畳目の町づくりか
という話をしてみると
実際に高熱に上がって困ってる
公共施設
これなんとかしたくて
ボイラーの見直しとか
考えてんだよね
っていう話は
ありました
ただ
町づくりかというか
町の担当者だけでは
そこはうまく
進められないんだよ
僕ら一緒に考えますよ
町のエネルギー資源調査事業
必要なお金も一緒に
取りに行きましょうよ
と
コンサルティング事業が
始まりました
なかなか森林業に
たどり着かないんだけど
実際に
この町で
使えるエネルギー資源として
だいたいすぐみんな
森林があるから
間伐材とかを燃やして
発電とかできるはずだ
なんなら
間伐材なんかほとんど
山の中に切り捨てされてるんだから
だから
持ってくればいいだけじゃん
僕らもそう考えたし
町の担当者もそう思ってた
実際どれくらいあるのか
どれくらい山の中にあって
あるいは出してって言ったら
どれくらい出せるのか調べましょう
調べたら
その量に基づいて
町に
どんな発電設備を設けるか
設計していきましょうよ
という調査事業が
スタートしてくる
ところが
調べ始めて
すぐ
分かったのは
町にそんなに
エネルギーとして
使える資源がない
行ってこれる人がいない
事業者もそんなことやってる余裕もない
そもそも
今山がどうなってるかって
実は誰も全体像を
正しく把握してないってこともある
一応町には
農林振興課ってあるんだけど
そこも担当者一人で
やってるんで
基本町の
地域の森の管理は
森林組合に言葉選ばずに
丸投げしてる
丸投げされた森林組合は
計画を
計画が基づいて
順番に
観察をしてくるんだけど
昔ながらの林業の
どこにどんな木があるか
とかは
人が山に入って
継続していく
終わりが見えないですね
紙で管理してるんだけど
それも本当に正しいか
分からない
山主たち山を持っている
地域の人たちも
どんどん高齢化していくし
相続し
受けた人たちも
別に山いらない
ちょっとトンネル入るんで
山を管理する
気持ちもない人たちも
たくさんいる
なので実は
地域の森が
機械的に
木が切られているものの
それをうまく生かそう
という気がもちろん
今までなかったし
森の民主化の必要性
ある程度
燃料になる木も
出してるんだけど
それは隣町とかの
事業者にすでに
契約して売っちゃってるんで
町には出せません
であることが
分かってきた
ここでやっぱり
林業からやんなきゃいけないね
ようやくなるんですけど
ようやくつながるんですね
そもそもの
川上ね
木を生み出していく
森のどう作るかとか
高齢化したり
地域のため
地域のためというか
本当は有効活用できるはずの資源を
そういう視点で
森を見て
そういう視点で
木を育てたり切ったりしていく
役割を誰かになわないと
森には囲まれているが
森を使えない
という状況は
変わらないなという風に思います
だったらこれ林業
僕らが
林業
木を切るという
作業をするかは別にして
林業
インダストリーに
産業に
メスを入れていくというのは
僕は大事だねという風に思います
そこにこの星を位置付けていこうという風に
思います
今林業を変えようということで
限られた人だけが森に入る
森に入る
その状態から
より多くの人が
愛着を持ったり
森の未来について
声を上げたり行動できるような
森の民主化というのを
進めていこうということに
つながったわけです
つながりました
それが今この星が
自治体向けの
コンサルティングをやりながら
でも森づくり
の必要性と
そこから出る木々や
他の資源の有効活用に
取り組もうとしている
体験
です
ありがとうございます
結構長くなったけど
でもそんな歴史というか経緯
はい
つながりました
なんで五畳目と
なんで林業は
気になっていた点だったので
ありがとうございます
この星は今のドメインを決めている
うんうんうん
教育事業も
引き続き森の学校という形で
やっているし
そうじゃない
形で
そもそもの
川上の森を
手を入れていくということに
これから注力していきたいと思っています
うんうん
この辺ちょっとまとめ方は任せますけど
はい
その辺ギュッとしてもいいかもしれないけど
そんな感じで
はいありがとうございます
今は
自治体向けに
脱炭素コンサルティングって
ホームページに書いてあるけど
地域の資源をうまく活用して
豊かな街を作りましょうよ
っていうのが
大きいよね
うんうんうん
みんなで街をカーボンニュートラルに
しましょうが
僕たちの目的で
今世の中的にはそうすることが
お金もつくし
自治体向けに
自治体も掲げてるんですよ
はい
もちろんこの地球
この惑星としてのこの星
斜面につけてくれるので
この星のためになることとして
脱炭素化は
必要だと思っているけども
いろんな地域が
ただカーボンニュートラルになるというよりは
うまく足元にある
資源を使うと
もちろん
結果カーボンニュートラルになる
目指せるだろうし
人たちの暮らしが
豊かになると
それはいろんな世代を超えた
学び合いが起きるとかも
豊かさだと思うし
あるものでエネルギーが
まかなえるとか
自然の中で
もっと人が入って
元気になるとか
山菜を食べる人が増えて
健康になるとか
いろんな複合的な要素が
期待できると思って
やっている
大きな森なんかを使って
国は自治体という単位で
やるのもいいかなと思う
はい
ありがとうございます