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2024-08-16 15:00

#24「海外リサーチ編 海外で家を買うという事」

オランダで家を買ったらEUエリアの人達の反応が変わった話と各大陸に家を待とうと思った話。最初はアフリカ大陸のタンザニア

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こんにちは、近藤ナオです。今日は、近藤ナオという生き物の第24回の話をさせてもらえたらなと思っています。
前回、前々回かな、2回にわたって、アフリカリサーチスタートという形で、アフリカのいろんな国の比較的、僕が
興味のある分野の活動をしている会社に、なんとか頼み込んで、その会社の中で少し働かせてもらったりとかするような旅について説明をしてきたんですけど、
その話を、そうですね、話というか、その体験をして、体験をするたびに毎月オランダに戻ってという生活をしてて、次にオランダに戻ってて、
そうですね、これアフリカと比較してって意味じゃないかもしれないですけど、オランダで暮らして、一個びっくりしたことがあって、
オランダで家を買ったので、やっぱりオランダの人たちがかなり距離感が近くなったというか、生活のサポートとかも、
この話、ちょっとしたことがあるかもしれないですけど、やっぱり日本でも他の国の人たちが、日本で家買ったとか聞くと、住んでるとか聞くと、
あれ、そんなに日本に本気でいいのっていう、家買うっていうのって、結構重たい、その国にコミットした感っていうのが、
僕も確かに感じるなみたいな、でも別に買って売ってってすればいい話だし、本当は冷静に考えたらそこまでのことではないんですけど、
でも僕もぱっと見そういう感覚を持ってて、オランダ人たちもそういう感覚を持ってるんだって思って、
なおなに、そんな本気でいいの?みたいな形で思ってくれたんだと思うんですよね。
本当にオランダにそんなコミットするんだったら、よりもっと生活していくんだろうし、いろいろサポートするよみたいなことじゃないかなっていう気がして、
他の国に家を買うっていう、借りるじゃなくて、買うっていう行為って、こんな風になるんだっていうのが興味深くて、
いろんな国に家を買ったらそうなるのかなとか思ってたんですけど、その後ポーランド行ったりとかイギリス行ったりとかしても、
おお、俺らのエリアにようこそみたいな感じで、あ、なんかEU圏っていうのは比較的1個のまとまり感みたいなのがあるんだなみたいな、
俺らの街にようこそみたいなポーランドの人に言われたりとかイギリスの人に言われたりして、
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EUエリアっていう、ヨーロッパエリアっていうのかな。EU入ってないとこも含めて、この辺のエリアに家を1個持ってればこういう感じになるんだったら、
この辺のエリアには家は買わなくていいんだなと思っていて、そうなると各大陸に家を1個ずつ持ったら、
なんか世界中の人たちがそういう近い距離感になってくれるんじゃないかっていう、ちょっと極端なことを考え始めるんですけど、
多分アフリカ大陸に1個家を持てば、アフリカはどこ行っても、おお、この国に家持ってんだみたいな感じになるんじゃないかなとか、
あとは中南米のエリアも1個あったらいいんじゃないかなとか、
あとは旧ソ連のエリア、インドのエリアというかインドだったりとか、
あとはアジアエリアですかね。アジアエリアは日本に住んでるし、日本に家があるから、
中国、韓国の人たちがようこそうちらのエリアにっていう感じは、アジアにその一体感はないかなと思いますが、
そうですね、アジアまではまあいいかなと思ったんですけど、今言った、オーストラリアとか北アメリカとかは、
家を持ったりしてみても、持ってたらそれでいろいろリサーチできるかなと思ったんですけど、やっぱり先進国側だし、仕事で何回か行ったこともあるし、
旅行も含めて行ったこともあるし、情報もかなり日本にも入ってくるし、なんとなく人の暮らしの感覚とかもあったんで、
北アメリカとオーストラリアとか、あとアジアエリアとかは家を持たなくてもいいかなと思ったんですけど、
他の、特にアフリカ大陸と中南米と旧ソ連のエリアとインドですね、には、あと中東っていうのもあったんですけど、
中東旧ソ連インドとか、細かいなっていう気持ちもなっちゃったんで、そんな感じで各大陸に一個ずつでも家を持ったら、
世界中の人たちが近い距離感で僕と接してくれて、いろいろもっと深くいろんなことを教えてくれるんじゃないかなとか、
心を開放して、僕に対してのバリアみたいなのをなくして接してくれるんじゃないかなと思って、そんなことをやろうって次は決めました。
まずは頻繁に通ってたアフリカで、一個家を咲かせないかなと思っていて、その時に偶然、
結論としてはタンザニアの経済の首都のダルエスサラムっていうところに一個マンションを家分っていうところに行くんですけど、スタートとしては。
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そこでの話みたいなのは、これから話すとして、なんでタンザニアなのって言われることはよくあるんですけど、それも本当にただただ出会いがあって、
もうそれだけなんですけど、簡単な出会いとしてはタンザニアで、もう一個リサーチ編のところで話すのを忘れてたんですけど、
前回のアフリカのインターンの旅で忘れてたんですけど、夜のバーだったりとかクラブみたいなところとか、
ナイトシーンみたいなところもいろいろ見てみたいなと思って、そのナイトシーンとかに連れてってくれた会社のメンバーとかもいたんですけど、
そうじゃないときに探す方法として、そのときちょうどよかったのは、エアビーのサービスで部屋を貸すんじゃなくて、地元の人が3時間だけナイトシーンを案内しますよ、2000円みたいな。
ツアーみたいなものも申し込めるようなのが始まったタイミングだったのかな。ちょっとタイミングごめんなさい。もっと前から始まってたかもしれないですけど。
そこに結構現地の人たちがお小遣いを稼ぐために外国人向けにナイトツアーを案内するっていうのがあって、それが結構面白くて、
本当にガチで地元の人が行ってるところを1時間おきに3軒ぐらい連れてってくれて、本当こんな情報どこで手に入れるんだろう、外国人だったらっていうぐらいのところにいろいろ連れてってもらって、
ケニアだったりナイジェリアも行ったし、タンザニアも行って、それで偶然行った先のナイトクラブ、バーなのかな。
でも音楽すごいかかってて踊ってる人もいるみたいな感じの、屋外でみたいな、雰囲気的にはかなりいい感じの場所だったんですけど、
そこで偶然、僕髪の毛長いんですけど、僕の髪の毛を急に触ってきて、あなたの髪の毛すごい綺麗ねって言って、女性の人に言われて、
何これ逆軟されてるのかなとか最初思ったらよくわからなかったんですけど、その人は単純にアフリカ人って本当に髪の毛がチリチリなんですよね。
日本人と違ってクセッケがすごくて、アフリカ人で本当に地毛でストレートにヘアにしてる人って、
例えばニューヨークだったりとかロンドンとかに住んでるめちゃめちゃ金持ちのアフリカ人が、すごいお金をかけて強い溶剤でストレートにしない限りは、地毛でストレートになるってことはないらしいんですよね。
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それでその人は中国からカツラを、ストレートヘアって見えるアフリカの女性たちのほぼ9割以上がカツラなんですよね。
それがクオリティと値段的に中国製のものが、それが一番コストパフォーマンスがいいので、中国から仕入れて、
僕に声をかけてきた方は、今まだカツラは自分で買ってる状態なんだけど、将来自分でお金を手に入れたりとか、投資家を見つけられたら中国の会社からウィッグを仕入れて、
かつお金のない人にもウィッグが渡るようにサブスクリプションモデルみたいな形で月額定額で貸し出すみたいなことをやりたかった人で、
それで本当に僕の髪の毛が地毛でこんなにサラサラなの?すごい良いわねっていきなり言って、俺の髪の毛を触ってきたってだけだったんですけど、それが俺の中では結構びっくりして、
その会話のきっかけにもなったし、その人は僕を投資目的というか、お金あったら出してほしいみたいなことでワンチャン僕に声をかけてきたっていうことだったんですけど、
それももうちょっと後でわかる話だったんですけど、それで彼女がそういうビジネスでやりたいっていうことがあったんで、
今度ご飯でも食べながらもうちょっといろいろ話しましょうよっていう話をすることになって、その後スコラという子なんですけど、
スコラとご飯を食べたりとかして、そういうビジネスの話をしているうちに、僕は逆にタンザニアで家を買いたいんだよねっていう話を相談したら、
それなんか手伝うよみたいなことを言ってくれて、それでスコラが、タンザニアって紅葉語がスワヒリ語っていうのがメインなので、
ケニアとタンザニアは紅葉語がスワヒリ語っていうんですけど、タンザニアの国のほとんどはスワヒリ語が話せるんですね。
ちょっとこれ説明があれなんですけど、アフリカって植民地時代にガーナとかナイジェリアとかって、
実は40個ぐらいの国みたいなものを強引に線を引かれて国境を作ったみたいな、アフリカの国境って直線のところとかが多いと思うんですけど、地図とかで見ると。
あれっていうのは植民地になった時にイギリスだったりとかフランスとかがバーンって線を引いたみたいな背景があるので、そうなっちゃってるんですけど、だから何が言いたいかというと、
ガーナとかって紅葉語が実は1個じゃないんですよね。本当細かく言うと10個以上とか平気であるらしいんですよ。
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それだと国として会話が成り立たないので、紅葉語を英語にしようみたいな形で、ガーナはほとんどの人が英語を喋れるっていう状況になってっちゃったって感じなんですけど、
タンザニアはイギリスの植民地になったことはあるんですけど、国のほとんどの人がスワヒギ語を喋れる状態です。
それは歴史的にはオマーン帝国っていうところの人たちが、これはあんまりただの歴史の話で僕が関わったことではないんで、あんまり詳しくは話せないし興味ある人は調べてくださいって話なんですけど、
オマーン帝国が奴隷貿易をやってる時に、今のタンザニア、ケニアエリアに奴隷になる人たちを探しに来たっていう背景があって、その時にかなり奥の方までオマーン帝国が制覇なのかな、
牛耳って言った時代があったおかげで、その牛耳って言ったエリア全体にスワヒギ語っていう一つの言葉がずっとみんなが使えるっていう状況が残ったらしいんですよね、みたいな歴史的な背景で、偶然タンザニアは国民のほとんどがスワヒギ語を喋れるっていう状態なので、
もちろん英語もできる人も、都市部にはスコラとか全然英語できて、外資系かなの銀行とかで働いてるような人だったんですけど、その時は。彼女がスワヒギ語を使って、まずは経済の首都の田舎というか、田舎で家を買う勇気はちょっとなかったんで、最初はダルエスサラームの空港からも
1時間以内というかあんまり遠くじゃないエリアで、家を買うっていうことを、スコラがスワヒギ語でいろんな人たちに聞いて、売りたい人の情報を集めてきてくれることが始まったので、アフリカのタンザニアに家を買うっていうことがスタートしました。
次回はタンザニアで家を買ったらどういうことが起こったかっていう話をさせてもらえたらなと思っています。では次回に。
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