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はい、皆さんおはようございます。NFTリサーチラジオ、こんなぎるラジジャンプへようこそ。
朝のライブ配信を始めます。
昨日はですね、コレクション作りでバッタバタだったので、本当に何もできず申し訳ないです。
温泉配信の方も、どうやって続けていくかを、今後しっかり考えて配信していこうかと思います。
というのも、私自身はですね、今ちょっと、公育園の提出する書類を作ってたんですけども、
書いてた時に、フルタイムで働くなら、もうこの時間、準備して出る準備しないといけないんですよね、ってことが判明しました。
今この時間はまだ大丈夫なんですけども、もうだって8時ぐらいから普通に出勤とか仕事を始めるってことになったら、
もうその前に、公育園に預けなきゃいけないのでってことを考えてたら、結構生活から見直さなきゃいけないな、なんてことをふと考えた、今日こんな頃でございました。
さて、本日はサクッとちょっとお話しするんですけども、NFTはアートではない?ということに関して、私の見解をお話しいたします。
というのは、やっぱりNFTが広まっていくことによって、それこそアートをコレクションをしている方、コレクターの方とか、もしくは、
あとは、そもそもイラストレーターの方とかですね、絵を生業にしている方とか、それぞれいろんな見解があるわけなんですよ。
私自身も、こういう見方があるんだなっていうところを見ながら、ちょっとへこんだりね、何だかな、みたいなことを思ったりそうか、そういうふうに思われるのか、学医みたいなことをね、思いながらやっているわけなんですけども、
それをちょっと昨日の夜中に目が覚めた時に、もんもんと2時間ぐらい考えてしまったわけですよ。
ただ、でもちょっと私の中ではこうだなと思ったのを言いたいと思います。
そもそもちょっと大前提として、アートが何たるかっていうことに関して定義を申すっていう話になってしまうと、たぶんこれ今までの過去アートが、今までのアート作品はっていうことになってしまうので、そこに関してはごめんなさい。
私まだ全くまで調べてないので、完全に感覚的な話で言わせていただきますね。
じゃあNFTはアートなんかどうなのかっていうことに関しては、これはNFTが云々と言うより、アートってもの自体が誰かが作ったもの、誰かの手によって作成されたもの、
もしくは日常の一部でも何でもいいです、写真とかもね、切り取られたもの、その人の目に映る何か、何でもいいんですけども、誰かの手によって何かの意図があって作られたものは全て芸術だと私は考えているんですね。
すっごいざっくりしたこと言います。だから、例えばですけど、炎上する、ツイッターで炎上する写真とかあるじゃないですか、コンビニの冷凍庫の中入ってみたとか、ちょっとバカ食いしてみたみたいな感じの写真とかも、
それも、極論言ってしまうとですね、私はね、何やってるのかと思うんですけど、その人がもうこういうことを伝えたいって思って、だからこういう写真を撮ったんだって言って、それに確固たる信念があって、こういう世の中おかしいと、例えばすごい極論言うと世の中おかしいで、こういうことが何でダメなんだ、悪なんだ、何でこれが炎上するのか意味がわからない、俺は伝えていくぞ、私は伝えていくわっていう人だったら、
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私はそれはそれで迷惑だとしても、一つ伝えたい信念なんだなと思うわけですよ。ただ、それが善か悪か、法律違反かどうか、人に迷惑をかけているかどうかはまた別の話。極端な話、人に迷惑をかけるアートもあるんだろうなって、人を不快にさせるアートももちろん世の中にあるんだろうなってことを感じてしまうわけなんです。私の定義だと。
で、それに関して言うと、不快、嫌なこと嫌じゃないこととか、快不快っていうのもまたある程度一定の常識のレベルがあるにしても受け取り方があるので、結局そのアートが良い悪いっていうのは音声配信でこの人の声が良い、この人の声は良くないって言ってるのと同様で、やっぱり好き嫌いって部分も必ず出てくるであろうと思うんですね。それが大前提として考えていきます。
すっごいザックリした前提なので、もしかしたら明日にはいやいやこれはおかしいだろっていうふうに言ってるかもしれないんですが、とりあえず誰かが何かを伝えたくて、何かものもしくはこととかに対して自分の手を加えたもの、その写真だったらこういうことを伝えたいってその伝えたい思いがあるってものはすべてアートだと感じているってことなんですね。
で、じゃあNヒテはアートではないかって言うと、Nヒテはアートですって話なんです。はい終わり。で、ただじゃあそこから切り取るとその私は先ほどツイッターこの炎上してるツイッターとかもじゃあアートなのかって言ったらある意味それは訴えたいものがあるからアートなんじゃないかっていうことを私は言ってるわけなんですよ。
自分でも認めたくないですよ、そこ。だって例えば何だっけ針混入するか異物混入するとかでもこれは訴えたいことがあるからアートだって言う人は世の中いるかもしれないけども、いやいるのかな?いるのかな?でもそれは非常に迷惑極まりないんですよ。私自分がされたり、例えば子どもたちがされてたら、あと身近な人とかされてたり、誰か身近じゃなくてもされてて嫌な思いをしてたらそれは嫌なわけなんですね。
だからその境界線ってのは非常に難しいっていうところを感じてます。もうそこはしょうがない感じてる。だからこういうことやっていいよってことを決して促すわけじゃなくてアートという前提をお話ししたっていうだけですね。で、じゃあ炎上してはアートじゃないかって言われたらいやアートですよってお話にもなるし、他に例えばなんですけども
音楽も私はアートの一つだと思ってますし、歌もそうだし、表現、ダンスとかもそうだし、表現と言われるものは基本的にアートに通ずるのかなと感じているわけなんです。演劇とか演技とかですね。で、そこからそのアートを
例えばNFTっていうのは結構いろんな価値とかをつけて投資、コレクションとして流すわけじゃないですか。その表現の一部をアートとして出しているものに対して価値をつけてそれを売る。まあ言ってしまえば売る行為なんですよね。売る行為に対してやっぱりちょっと懸念するところも感じるとは思うんですよ。人によっては。それそうなんですよ。
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兼謀行為というか、いわゆる同人世界にある、原価で売ってください。自分の作業の時間を入れちゃダメです。儲けちゃいけません。みたいなところが、やっぱり少しアートの世界とか絵の世界とかイラストの世界とか何でもいいんですけど、そういった部分にやっぱり多少なりでもあるんじゃないかなと感じているわけなんですね。
で、私にとってそのNFTってやっぱりすごいなって思うところが、いろんなパターンがあるんですけど、私の中では、例えば技術、芸術的な技術とか産むんじゃなくて、自分で商品を作れることだと思ってるんです。
自分で何かを作ってそれを売ることができる。そしてそれが日本だけじゃなくて海外にリーチがかけられるってことが簡単にできるということがやっぱりすごいことなんですよ。で、それはスズリとかのオリジナルグッズ販売もそうだし、
ベースとかで売るのもそうなんです。そういったことも一緒で、それと同様のことだと思ってるんですね。でもそれはあくまで私の見解だったよ。他のことはもしかすると自分の芸術、自分のアートを広めて、それに価値をつけてもらうための場所っていうふうに思ってるかもしれない。
いわゆるオークション会場みたいなところだと思ってる方もいるかもしれないし、そうじゃない方もいるかもしれないわけなんですよ。それに対して、やっぱりいろいろ思うところがあるので、どれが悪くて、どれが正義でどれが悪かということは一概には言えないし、そういう意見なんだなということで受け止めることが必要だと感じています。
NHTはアートじゃないっていう人がいれば、こういう意見もあるんだなっていい話なんですよ。NHTはアートじゃないっていう人に対して、じゃあ自分はどうかと思ったら私はこういうふうに思いますって言えたらいいわけなんです。もちろん論破してくる方とかもいらっしゃると思うんですよ。
その時に、なるほどこういう見方もあるんだなって思って、自分の考えは私はこう思ってましたけどこうでしたっていうふうに変わるのも別に全然構わないし、でもやっぱり自分はこう思うんだよねって変わるのも構わないわけなんですよ。こういったことっておそらく新しい技術とかで出てくる時も、自分が何か新しいことをやる時も絶対にあるわけなんですね。
フリーランスになるって言ったら絶対に不安定だよって言われるでしょうし、フリーターの人とかがフリーターなんて不安定な仕事やめなさいって言われるように、多分そういうことって今後もあるわけなんです。自分も実際にそう思っていた部分が大きいんですよ。
でも言ってしまえば、今このルールが日本の中のルール、海外のいろんな国の中のルールっていうのがあって、その中で稼ぐってことは決して悪いことじゃないし、でも稼ぐってことは決して悪いことじゃないってのがまず第一と。
あと、いろんな稼ぎ方、犯罪に関わることじゃなければいろんな稼ぎ方があって、いろんなやり方があって、自分はどれを選んでいくかっていうところ、そこをやっぱり自分でやりながら自信を持って、自分の考えをちゃんと意思をね、確かる意思を持ってやっていくってことがやっぱ必要なんだなってことを常に感じているっていうそんなお話でした。ごめんなさいサクッとって言って全然サクッとじゃなかったですね。
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はい、そんな形でですね、今日はNHKはアートなの?っていういろんな様々な意見から、自分のNHKはアートであるという、アートとはこういうものだと思うという見解とともに、自分で意見を持つこと、意見は変わるのもしょうがないし当たり前のことである。
ただ、言った時にはちゃんと自分の中で、これはこうでこうでこうだからこういう意見ですっていうふうに言えるように、それぐらいにちゃんと自分で土台を持っていた方がいいよ、そうじゃないとやっぱフラフラしちゃうよ、考えることは大事だし、その中で迷うことも悩むことも大事、それはもう皆さんいろいろやってきてるし、それは大人になった今でもやってきてることです。
何か言われてすぐ、ああそうかも、ああかもって不安になるんだったら、もう自分の中でどうしてこう思うんだろうってことを突き詰めるといいんじゃないかなと思った、そういうお話でした。
はい、すいません、長くなりました。
それでは今日もお聞きくださりありがとうございました。
一日頑張っていきましょう。
こんでした。
ではまた。