00:03
どうも、WATAです。
お便りを久々にいただきました。なかなかお便りいただけない番組なんで、すごい嬉しいんですけど、
しゅいちさんですね。以前にもお便りくれて。
聞いていただけてたんですね。
めちゃめちゃ、すごいちゃんと聞いていただいてるんですよ。
論破の回ですね。
論破の回、ひろゆきさんの回ですね。
すごいですよ。PSとか書いてくれて、1回目から聞いてくれてます。本当に嬉しいですよね。
このお便りをもとにもう1エピソード喋れるぐらい、ちゃんと考えていただいてて。
To Be Continuedのできそうな内容なんで、僕らも勉強させてもらえる内容をいただいてるんでね。
またちょっとひろゆきの話はね、僕らひろゆき好きすぎるところもあるけど、またしてもいいかもしれないけど。
ちょっと引き続き、たまにしょうもないことも話してますけど、ちょっとよかったら。
逆にあれですね、このテーマで話してほしいとかあったら、ぜひ言ってほしいですね。
リクエストとかもしあったら、全然お答えしたいところもあるんで、またちょっとご意見ください。
ご意見いただけると、我々すぐ見る仕組みになってるんで。
そうそう、スラックに通知が来るようになってるんで、ちゃんと見てますんで、本当にありがとうございますっていうね。
ちょっとお礼まで行いますので、引き続きよろしくお願いいたします。
今回の私のエピソードは、前回の続きみたいな流れになるんですけども、前回の134でしたっけ?ちょっと忘れちゃった。
134か135のエピソードなんですけど、135ですね、確か。
過去のトラウマの話を2人でしてて、すごいトラウマにとらわれて、見えない心の傷とかトラウマにとらわれて、生きているかもしれないなみたいな、そういう話をしてて。
その影響っていうのが、どれくらい人生に影響を与えてるかとか、前回の話をして。
今週ちょっと繋げる形ではないんですけど、一冊本を読んでおりまして、本のタイトルがステレオタイプの科学という本ですね。
サブタイトルが社会の刷り込みは成果にどう影響して私たちは何ができるのかというタイトルの本で、去年ぐらいに出てる本になりますね。
クロード・スティールさんというアメリカの著者の方が書いてる本でして、ちょっと入り、この本の内容からちょっと触り説明させてもらって、本題の話できればなと思うんですけど。
まずちょっとこのタイトルのステレオタイプって言葉、知らない方もいらっしゃるかと思うんで、一応説明をさせていただくと、思い込みですよね。
思い込みとか先入観とかステレオタイプっていうのは、あとなんかこのちょっとサブタイトルにもある通り、なんか擦り込まれてるもの。
なんか意識せず擦り込まれてる価値観ってあるじゃないですか。男は力が強い、女は力は弱いみたいなとか、あとは白人イコール差別主義者だとか、学校の給食イコールまずいとか。
03:10
それ事実だ、ごめんなさい。
太ってると自己管理ができてないとかね。
事実なんですよ。ただの事実なんですよ。擦り込みじゃないですよ。本人が言ってるから。
でもよく言うやつですよね。
よく言うやつ、そう。そういうのをいわゆるステレオタイプっていう言葉でよく要約されるんですけども。
この本が訴えかけているのが、結構社会的な思い込ませる仕組みというか、潜入感を結構我々は社会的に植え付けられてる部分があって、この著者の方が黒人の著者の方で、
いわゆる結構黒人社会って本当に差別を一方的に受けてきた文化とかがあるんで、そういった意味合いで結構人種差別の切り口から相当結構擦り込みをされてて、それが結構勉強だったりとか、あとはスポーツとか何でもそうなんですけど、
そういった自分たちの取り組んでいることにちょっとネガティブな影響を与えているんじゃないかと。その結果、どういう影響があって、それをどういうふうに対処していけばいいのかみたいなところを説明している本になりますと。
この本の中で出てくる言葉として、ちょっと一つ重要なキーワードがあるんですけど、ステレオタイプ脅威っていう言葉があるらしくてですね。これ心理学とかの用語なんですかね。この著者の人も心理学者の方なんで、多分そっち系の言葉だと思うんですけど。
本当にここの言葉の通りなんですけど、結局その擦り込みによって、思い込んじゃったがゆえにいろいろ何かできてないこと、あるいは精神的であったりとか健康に被害を及ぼしちゃうことっていうのをステレオタイプ脅威と説明してらっしゃるんですよね、この本の中で。
そのステレオタイプ脅威っていうのが具体的にどういうケースがあって、この本でどういう形で紹介しているのかというところもちょっと軽く紹介をさせてもらえればと思うんですけど、ちょっとこの本の中でも実験を交えていろいろ考察というかレポーティングしてるんですね。
ちょうど一つの実験の例として、おもちゃのミニゴルフみたいな、よく僕ら子供の時プラスチック製のゴルフのおもちゃとかあったじゃないですか。あれを使って、白人のグループと黒人のグループに分けて、ちょっととある実験をしました。
その実験の内容っていうのが、白人のグループにはこのテストは、いわゆる身体能力を測るためのテストですっていう感じで説明をした人と、そういうふうに説明をしなかった人たちのグループを白人のグループの中で2つに分けて、その結果を測ったんです。
06:00
白人の、これスポーツの身体能力を測るテストですよって言われたグループの方が言われてなかったグループよりも、そのスコアというか球が入ったパーセンテージが著しく悪かったという結果が出て、それを伝えたことによって結果に差が出ちゃったと。
今度は黒人の方のグループに同じことをやったんです。黒人の方のグループは同じだったんです。黒人の方のグループにも、これ身体能力を測るテストなんですよって言っている人と言わない人たち2つに分けて検査したんですけども、黒人の方はなぜか変わらなかった。
逆にもう一つ切り口を変えたテストをしてて、これはいわゆるスポーツインテリジェンスって言って、スポーツって頭使う部分もあるじゃないですか。知能を使ってスポーツをやるって、サッカーのフォーメーションとかあるけど、そういういわゆる体力的なところじゃなくて、知能的なところを押し量るテストなんですよっていう感じで最初のテストと同じように実験をして、
それをこれはインテリジェンスのテストなんですよって言った人たちと何も言わなかった人たちに分けて、今度テストしたら全く逆の結果が出て、白人のグループの方は今度は逆に何もテストの結果が変わらなかった。言った方と言わなかった方と。
対して黒人のグループ、これがもう対照的で、今度これ知能的な方ですよ、テストですよって言った黒人のグループは逆に下がれちゃったんですよ。要は言った方が結果が悪くなっちゃったっていう、何かを伝えたことによって結果が変わるっていうテストを本の中の実験でやってて。
白人っていうと、僕らは感覚的にわからないところなんだけど、いわゆる白人社会って黒人に対して体力的なコンプレックスがすごい強い社会と言われてて、白人の人って実は黒人に対して怖いとか、あいつら強いから暴力的なイメージがあるとか、そういうステレオタイプがあるんですって。
逆に黒人は貧しい暮らしをしてる人も多かったりとか、ちゃんと教育を受けられなかった方とか多い人種の村とかもあったんで、ちょっとだから植え付けられてるところで言うと、ちょっとその白人よりも、これだから決してそういうふうに言ってるんじゃないんですけど、白人よりも自分たちちょっと知能的に劣っているかもしれないっていうステレオタイプがあると。
だからこの結果が如実に現れたっていう実験っていう感じですね。要は白人の人はこれは本当身体的なテストだからあれですよ、結果でもう明らかにそういうのが測れちゃうんで、そういうこと言われることでプレッシャーを感じちゃって、結果が出せなかった、結果が悪い感じになっちゃった。
黒人の方は同じで、ちょっとこれもう知能的なところを測るんで、っていうプレッシャーを与えられて、それを言われたことによってパフォーマンスで出ていなかった。何も言われなかった人はもう何も変わらずに、それぞれコンプレックスに思っていないところの差分っていうのはそれぞれなかったのに、それを言われただけで結果が変わっちゃったっていうね。
09:02
実験がね、面白い実験をやってて。これをいわゆるステレオタイプ脅威と言ってるらしいですと。だから思い込みによって人のパフォーマンスって変わっちゃうんだっていう実験をされておりましたと。
これちょっと面白いんですけど、もう一個ちょっとエピソードがあって。これでこの本に載ってるやつじゃないんですけど、これもちょっとだいぶ昔の話で、1950年代の話なんですけど、陸上の業界ではこの当時、1マイル4分の壁っていう絶対的な、要は1マイル4分未満では絶対人間はもう走れないっていう、そういう定説があって。
もうこの頃まで誰もそれを記録を塗り替えられなかったんですって。っていうのも、医学的にも1マイル4分未満で走ったら心臓にも負担がかかりすぎて死んじゃうよっていうふうにもう医者が言ってるぐらい、人間の能力的に無理だと言われてたんですけど。
54年の年にイギリスの伝説のランナーと言われているロジャー・バニスターさんという方が、この前亡くなられてしまっているそうなんですけども、伝説のランナーの方がおられて、54年に記録を塗り替えたんですよ。
4分未満を奇跡的に切って、3分50何秒とかでかなりギリギリの感じで切ったんですよね。奇跡だって言われて、全人未踏だし、お医者さんとかもそんなのはありえないっていうぐらいな感じで、すごい称賛されて、人類の限界を超えたぞみたいな感じで、それですごい伝説的なランナーと言われてたんですけど。
ただ、このロジャーさんが1マイル4分を切った伝説的な記録を残した数ヶ月後に、3、4人の陸上選手がどんどん記録塗り替えていくっていう歴史があって、一回限界を超えたっていう、超えられんじゃんっていう感覚が生まれれば、その記録って塗り替えられるんですよ。
それは陸上の記録とかでそうじゃないですか。昔だったら、100メートル1秒切るとか無理だとか、9秒切るとか無理だとか、いろいろあると思うんですけど、そういうのもやっぱり外していくことによって人間の限界がどんどん塗り替えられていくっていうのは、まさに思い込みの世界の話で、これすごい人間の思い込みっていうのが、いかに自分をセーブしてしまってるかっていうのを象徴している一見だと言われてるんですけど、これもまさにステレオタイプ脅威の話ですね。
というところで、本の概要もすごい話しちゃうと、一応大変ボリュームある本なんで、大変になっちゃうので、本題の方とかに入っていきたいと思うんですけど。
ちょっと前回話したときに、前回の切り口だと自分の思い込みですよね。心の中にある漠然とした思い込みが実はすごい傷になってて、それがリミッターになってるみたいな。そういうのをどういうふうに直していけばいいんだろうねみたいな話ちょっとしてたと思うんですけど、
12:08
一応この本も具体的な解決策ではないんだけど、こういうふうにすべきだっていう。これをすることによって、ちょっとこのステレオタイプ脅威からは逃げられるっていうことを言っていて、もうほんとシンプルな感じなんですけど、一つは環境を変えなさいと。
そもそもそこの自分がその脅威を感じる環境っていうもの自体が、自分にいろんなネガティブな植え込みと、いわゆるそこにいることでよって自分が思い込んじゃうっていう仕組みになっちゃってるから、そういうところから脱却できるような環境に行きなさいと。
住む場所を変えるとか、付き合っている人たちを変えるとか、そういう意味でですよね。なんかそれは確かに納得できるなというか。面白いんですけど、これの本の紹介の中では、そのパターンで言うとアメリカってもすごい白人思想主義で差別が大変な場所だったんですけど、そこで苦しんでた女性のアフリカ系の黒人の方がいらっしゃって、でもちょっとあまりにもアメリカの生活苦しすぎるから、
フランスに行って、フランスに行った途端、今までの苦しかった思いとか、自分が何ができるかとか、どういうふうに生きていけばいいかってずっと迷い続けて生きてたらしいんですけど、フランスに引っ越した途端、それが良くなっていって、どんどんいろんなことが見えてきて、周りの人もすごい受け入れてくれるしみたいな感じで言ってるんですけど、フランスって超差別大国なんですよ。
面白いなと思うのが、フランスってどういうものに差別してるかというと、アメリカ系とか肌の色っていうのも厳密なアフリカ人を差別してるらしくて、要は北アフリカの人が海を渡ってフランスに移住してきてるじゃないですか、すごいアフリカ系の人が多いんですけど、本当に特別な地域の人に対してすごい差別的な感情が強いらしいんですけど、なぜかアメリカ系の黒人には優しいみたいな。
喋り方とかで分かるんですよ、鉛とかで。だから黒人なんだけど差別されないっていうね。だからアメリカとは全く別の環境でいて、自分のコミュニティを築けてみたいな感じで、環境を変えてうまくライフシフトされたのかなっていう感じなんですけど、
あともう一つ言ってた方法で言うと、これはさっきの環境の話とか、いる場を変えるって話にも繋がると思うんですけど、やっぱり周りの協力がやっぱり必要で、いわゆるこの本の中で言ってる言葉で言うと、クリティカルマスっていう言葉があって、
要はマイノリティの人って、あるマイノリティの人の数が一定を超えると、その人たちにとってマイノリティという劣等感を感じなくなる人数の値っていうのがあるらしいんですよ。
15:00
だから5人のチームに、1人だと明らかにマイノリティだけど、5人のチームに2人いたらクリティカルマスを超えるとか、そういう基準値がらしくて、いわゆる少数派ではあるし、悩みを抱えてる人間で、人種の話だけじゃなくていろいろあると思うんですけど、
それを共感できる人を増やしていって、そのクリティカルマスを超えると、このカルマから脱却できると。なおかつその現場でそういうのを打ち明けられる人がいて、それに対してちゃんと否定も肯定もしてくれる人たちがいると、より効果的であると。
要は、さらけ出した上で建設的にその辺をディスカッションできる。過保護にならずに。結構ヨーロッパの人種差別文化ってすごい過保護なところがあって、晴れものに触るように言わないし、それについてもドントタッチみたいな感じなんですけど、そうじゃなくて、ちゃんと建設的にそれを話し合えるっていう環境に身を置くっていうのがすごい大事ですよと。
これは結構なるほどなというか、すごい大事ですよね。例えばそのいじめられてる子とかも、これでいじめられてる子がいじめられてる子同士をつるめればいいとかそういう話では全くなくて、ただその同じ境遇の人がやっぱり一緒にいて価値観を共有できるということで、そのクリティカルマスを超えて、自分の居場所を見つけていくみたいなのはすごい理解できるなみたいなと思ったんで。
確かにシンプルではあるけど、成功法だよねって思った感じです。っていう感じで、本の内容的にはこんな感じなんですけど、僕結構これで言うと本当自分に置き換えていろいろ考えてみたんですけど、これだから不幸なところはステレオタイプ脅威を抱えてる人って自分で気づいてないんですって。
やっぱり先週の見えない心の傷じゃないですけど、自分で分かんないから、言われても分かんない。人が人に。そう。し、悟されても逆にちょっと反発しちゃうというか、そんなことねーしみたいな。お前いじめられてんじゃん。そんなことねーしみたいな。結構そういうリフレクションしちゃうみたいなところがあるらしいんだけど。
僕もだから難しいけど、自分で気づいてないから分かんないんだけど、相当こういうのはあるなと思って、例えばその勉強に対してのコンプレックスとか、僕大学行ってないんで、小卒なんで、そういうね、コンプレックス。
考察しちゃう。確認できないときはやめてもいいですか?
学習とか行ったさ、本当に昔僕メンヘラとばっか付き合ってたから、本当にそういう人に弱みにつけ込まれることがすごい多い人生だったんですよ。そういう心の隙間に入ってくる人が一番悪い人たちが周りにいるみたいな。
18:02
それはなんか目に見えてコンプレックスだったから、見えてないものじゃないんだけど、でも僕そういうの相当ビクビクしながら生きてるっていうのは本当事実なんですよ。それはなんかね、若い頃だけじゃなくて、今も変わってなくて。
これによって多分僕は、人に嫌われたくないのかもしれない。だから結構それに対して恐れがあって、すごいリミットをかけちゃうっていうのがあって。
これは僕なりに、この本が言っている通り、やっぱり環境を変えながら、徐々にポジティブになってきたなっていうのは感じているところもあって、昔は前向きにこんなこと話せなかったと思うんですよ。コンプレックスだったし。
たぶん相当認めたくない事実みたいなところもあったと思うし、だからやっぱりその環境を変えながら考え方を少し解き放していって、リラックスしながらね、こういうタイミングで人に開示したりしてさ、そういう感じで良くなっていくものなんだろうなっていう実感はあって。
とりあえず田沢さん。
だからそれこそ分かりやすいところで言うと、さっきの和田さんの学歴の話とか、やっぱりそれで環境を変えて解決していくっていうようなところで言えば、まさにIT業界に入るっていうのはすごく良いことだと思うんですよ。
要するに学歴とかって話をせずに、ちゃんと実力だけでどうにかできる業界だと思うんですよね。そういう意味で言うと学歴がない人も多い業界だし、そこで学歴のことって忘れられる業界な気がしますよね。
これね、一緒にしちゃうと申し訳ないんだけど、漠然と社会に対して、言い訳っぽくなんだけど、努力しても無駄かなみたいな感覚ってすごい若い頃ありませんでした。
例えば会社とか入って、努力したところで何になるのとか、努力して勉強したところで結果として何になるんだろうみたいな、そういう感覚がすごい昔から強くて、そういうところには僕入れないなみたいな、そういうことに対しての諦めが強い人生の前半戦を送ったんですけど、
確かITの業界ってワンチャンあるじゃないですか、すごい大学ドロップアウトしてるやつとか、中卒の人がめっちゃ起業して頑張るとか、そこを確かに見せてくれたっていうのと、あとは別に何やっても大丈夫だよっていう。
だから頑張れば頑張っただけ、いろんな見返りもあるし、別に何かやっちゃいけないことないよみたいなのを教えてくれたっていうのもすごい確かに。26歳ぐらいの時に僕ミクシーの面接受けたことあるんですよ。当時のミクシーめちゃめちゃ言わせてて、すごかったんですけど、面接官も4人ぐらいで来ちゃって、バイトの面接で行ったんだけど、
21:00
すげえいい面接してくれて、本当に自分がやりたいと思うことをやった方がいいよみたいな。だからこそ君たぶんこのバイトの応募間違ってるよって言われて、今やりたいことじゃないでしょって言われて、はい、そうですねって。すごいバシッと言ってくれて。その人も音楽やってる人で。
結果自由に生きてきたけど、その自由が本当にとって自分の自由かどうかわかんなくなって、もっと違う自由を模索して今の会社にいるみたいな。ちゃんとその人生を語ってくれたりとかして、こういう人がいる業界がいいなって思ったんですよ、確かにその時に。
結構その時のイメージが僕鮮明に記憶に焼き付いてて、この業界に目指そうと思ったっていうのがあるんですけど、それですね、まさに。努力すればどうにかなるっていうのと、認めてくれそう。何をやっても。どんな見た目でもとか。
僕の場合はでもあれなんですよね、音楽からの流れでこのITにいるから、あんまそのITに対するカルチャーショックってないんですよね、全然。
あ、そっか。 だからむしろ僕、その感覚って音楽始めた時からあったから。
音楽業界自体がそういう。 逆に努力が全てだと本気で思ってたんですよ、若い頃ってこと。だから逆にそれが何でかっていうと、多分無知だったからだと思うんですよね。ステレオタイプが入り込むようじゃなかったぐらい、その無知だからこそ。
染まってないってこと? そうそうそう。それが大人になっていくにつれて、よくそこまで頑張れたなと思ったりしますよね。
よく変に業界知ってたりとか、世の中を知ってたりしたら、冷静になった気がするっていう。
ああ、なるほどね。でも徐々に染まっていくんでしょう、その。邪悪な。
なんだこの、すげえ因出な業界だなみたいな。
音楽とかで言うと、実際ライブとかし始めて、すごい人たちと出会ったりするたびに気づいたわけですよね。
そうなんですよね。わかる。そこで生まれたやっぱりあるんですか、ステレオタイプ脅威というか。植え付けられた、なんかあるの?
それってでも、それがもしかしたら今日の本題に入っていくのかもしれないですけど、ステレオタイプ脅威との向き合い方みたいな。
例えば僕の場合は、音楽で言えばね、すごい遅かった自覚があるんですよ。歌はなんか結構、大学からずっとボートで通ってたからなかったんですけど、音楽っていうもの自体がその音楽理論とかピアノとかね、結構遅かったから。
自分は遅く始めてるっていうのはすごいあった。だからいくら努力をしたとしても早くはやってる人たちには敵わないっていうのはすごいあったから、自分なりに他の人たちに勝っていける方法ってなんだろうみたいなことはすごい考えるようになってましたね。
それはやっぱり、例えば演奏のテクニックではないだろうなとか、歌唱力ではないだろうなとか、世界観を作っていくこととか、その遅く始めたがゆえにそれまで自分が向き合ってきたことが生きるようなやり方ってなんだろうとか。
それをすごい考えて工夫してた覚えがありますね。だから成功法では無理だろうっていう思いがあったんですよ。
24:00
だからそれに気づけてる尊さというかさ、やっぱり僕は、僕なんて未だにそのカルマにとらわれるけど、業界入るの遅かったんですよね。デザイン始めたのって28歳くらいだから、本気で今だね。
なんであと4年早く始めなかったのかなって。今は思わなかったけど、やっぱり5,6年くらいまでずっと後悔してて。だってもう初めてこれから上行くぜって言ってる時、もう30中盤ですからね。
いやいや、もっと前に始めたらさ、一番油乗ってる時にさ、行けたのにとかさ、後悔の年しかなくて。だからそれが結局プレッシャーになっちゃって、自分の中で。
この本で言うところの、結局そういう人って過剰努力っていう表現で言われてましたけど、自分のコンプレックスを補うためにすごい過剰に努力しちゃって、それが結局空回りに繋がっていっちゃうというか、意識してる向き先が違うから無駄なことやっちゃう。
それはそれでいいんだけど、結局その本来どたん、もうこれは絶対勝たなきゃいけないって勝負の時に本気を出せないっていうやつ。
僕もこの本実は読んだんですけど、確かにその過剰努力って書いてたし、無駄にケース圧が上がりすぎて早死にするって書いてありましたけど、それは僕はすごいわかる。僕がそのタイプだったんですけど、後ろ。
過剰努力だったと思う。
そうなんですね。たださん結構クレイバーだった。
全然全然。僕は本当にもうなんですかね、本当にむやみに過剰努力だったと思いますね。
それ空回りしてる感覚とかってある?
めちゃくちゃありました。
あるありました。
そうですね。そこじゃなかったなと思ったりしますね、今思うとね。時間かけるべきはね。
なるほど。
でもそうあるべくしてなったのかなと思ったりしますけど。
それってやっぱりさっきのあれですか、自分がちょっと入るの遅かったりとかそういったところにつながってるんですかね。
完全にそうですよ。
そうなんだ。
大学出て普通だったら音楽を続けるから就職しないけど、僕の場合は音楽を始めるために就職しなかったんですよね。
そうですよね。
だから大学出てから結構一からやったってところがあって、そのなんかコンプレックスみたいなのすごいあったから、
大学出てからのフリーター始めた1,2年とかの僕のもう歌とかピアノとかその先ほどのかける時間とか、今考えると相当でしたけどね。
ああそう。
だからそれが知らなかったゆえに、あれはあれで良かったとは思ってるんですけど、どうなんだろう。
この本でも書いてありましたけど、要は当然努力はしてるからすごいパフォーマンスはいいわけですよ基本的には。
ただキャパオーバーした時にどうしてもちょっともう自分が手に負えない状況になった時のひとつかみがしづらくなるみたいなこと書いてあって、
それはわかる気はするなっていう感じはするんだけど、ただ結構頭では理解できるんだけど、
でもなんか無理な気してて実際そんな、いやだってガムシャラにやっててさ、そんなクレバーになれないでしょ。
27:04
環境がどうとか言ってらんないじゃないですか、環境を変えなきゃとかさ、こんな冷静に考えられないからさ、本当に必死な時は。
視野が狭くなってますからその時は。
それはそれで僕はやっぱり気づきがあると思ってるから、なんかその時は大層後悔しましたよ本当に。
たださん後悔してないかもしれないけど、僕はもう本当に後悔する人生だから、あと1年でも早く行動していればよかったなみたいな。
すごいもう自分を責めましたね本当に。
今の仕事で言えば僕もウェブ系のエンジニアやってますけど、明らかに人よりは遅いわけですよ。それこそ僕も28歳くらいでやってるから。
だからやっぱ新卒とかからしっかりそういうエンジニアの仕事を体系的にスキルを積み上げてる人たちには絶対にかなわないっていう思いが未だにあるから、
成功法では絶対そういう人たちと勝負できないって思ってますよ。
まあわかるわかる。
だからこそ自分はサービスを作る方だとか、いろんな方向で工夫しながらやっていくしかないって思ってやってるから、僕なりのステレオタイプ脅威との付き合い方って感じですね。
そうなんだよね。この本で言ってる少しでも軽減させるとか、そういうのすごいロジカルでわかるなっていうのはあるんだけど、
ただ付き合っていく部分もあるじゃないですか、結局のところ。環境を変えたら変えたらまた違うそういう脅威があるのかもしれないしとか、
この本で言う心理学的なところはちょっとわかんないけど、結構人それぞれ性格とか内面的に持っている特徴とかあるから、それによって何か対処したから良くなるとか、
善処することで何か分かるとか、違うところはあると思うんだけど、とはいえ人間はそういうものと向き合っていかなきゃいけないっていう側面もあるじゃないですか。
だから完全否定はしないというか、ステレオタイプ脅威と完全にそれらを知り添えて生きていくっていう生き方。
ちょっと黒人の差別の話を比べちゃうとあれだから。
僕ねそれ思うんですよ。この本を読んでステレオタイプ脅威の解決の仕方を考えていくなら、人種差別の話するとブレる。
わかるわかる。
この本読んでずっとモヤモヤしてて。
これ一貫して人種差別の話ですよね。
そうなんですよ。いや人種差別以外の話してって僕心の中でずっと思ってたんですよ。
僕もそう思う。全く僕もそう思う。
私この本ね結構ビッシリ書いてるじゃないですか。
ビッシリ書いてる。
ほとんどいらないですよ。前半8割くらいいらない気がしてて。
わかる。
それはいいんですけど、人種差別がなんでモヤモヤするかって言ったらちょっとずれちゃうんですけど、この本自体がどんな人種であっても性別であってもいい成績を出さなきゃいけないというステレオタイプがある気がする。
30:07
それは本当に特徴的だったよね。だって学力とかさ、スポーツのパフォーマンスとかさ、なんか一貫してそこだった。
そうですよね。
押し量る指標が。
そうそうそう。別にそのいろんな人種とか性別によって得意なものがあるわけだから、
そうだね。
いい成績を取らなきゃいけないということ自体がステレオタイプな気がするから僕は。
確かに。だからそこで押し量っていいのかみたいな話はある。
だから例えばさ、芸術とかの観点になると僕結構また逆、なんか全然違うことが起きそうだなって気がしてて。
要はさ、これ僕らすごい昔から何回話すんだっていうくらい話しますけど、やっぱりそれなりにうっくずしちゃ何かがないと爆発できないものってやっぱあるから、カウンターカルチャーとして。
そこは描かれてなかったから、なんかそうなのよ。
一概にステレオタイプ脅威というものが人間のそのアイデンティティとか、その人のオリジナリティにこの本が言ってる内容として統一できるかというと、なんかそうじゃない気がした。
そうなんですよ。だってこういうステレオタイプが何で生まれてるかって背景をしっかり考えるべきで、その背景が描かれてなかったのが残念だったんですよ。
そうね。
何で黒人がそうなのか、何で白人がそうなのかって、やっぱ人類の歴史進化の過程を考えるべきだと思うんですよ。
でももっと言うと、今のこの現代の社会の文化って、白人が作ってきた文化じゃないですか。
まあ正直というかね。
っていう意味でね。だって新大陸だって言って、アメリカ大陸発見して元々そこに住んでた人がいてね。
そこで白人の文化で今作ってきてっていう中で、いろんなその人種の人たちがそこで暮らしていて、その得意なものとかがずれてくるのは僕当然の気はしたりするんですけど、それはそういうことがあってはいけないっていうステレオタイプの気はしたりしたんですよね。
確かに確かに。
だからそういう風になっちゃうから、人種の話をあんまりしないで欲しかったんですよ。
切り口はすごいいっぱいあるわけじゃないですか。それこそ個人個人のトラウマとかもあるし、やっぱりこの手の話は主語があんまり大きくない方が僕はやっぱりいいなと思ってて。
本当その個別の切り口とか。黒人の話って結構複雑だから難しいのよね。それで語っちゃうとね。確かにそれはあるね。それは僕も本当感じてて。
だからさ、さっきの話も同じなんですけど、芸術とかその辺ってさ、僕やっぱり結構黒人のカルチャーは特異なんですけど、これはだからそれを良しというか、それを受け入れないとかって全く思わないんだけど。
ただその強いたげられてたがゆえに生まれてるカルチャーってすごい多いんですよ。黒人のカルチャーって。それこそ音楽とかもめちゃめちゃそうだし。
ジャズなんていうね、その歴史がなかったらなかなか生まれなかったと思うよねやっぱり。
クラシックに対抗して生まれなかったってことね。
だからさ、なんかそれってさ、逆にそのステレオタイプ脅威が与えたパフォーマンスでもあるわけじゃない。要はその反骨精神というかさ、そういうのが人の能力を最大化させる可能性もやっぱある気がしてて。
33:12
だからなんか単純にその、なんだろうね、環境がいいから学力が上がりましたとか、そういうもので押し明かれない人間としてのエネルギーってやっぱあるから、その多面的なところで結構見ていかないと、なんかその一概に語れないなっていうのはね、すごい感想として僕もね思ったんで。
今日まあその話ができればもう僕お腹、もうあのまずい。
学力っているのかなって思ってきました。
そうなのよね、だからもしかしたらそのおっしゃる通り学力っていうものに対してのステレオタイプがこの中にすごい含まれている。
なんかMITの人がどうちゃらとかなんかいろいろ話出てきたけど、なんかそこなんかなみたいなのはね確かに。
だって地球というもので考えた場合に学力ってすごい偏ったその価値観の気がするんですよ。
そうね。
だって要するにその星の中で生き抜いていくっていう大きな能力で言ったらいろんな価値観があるから、今この地球上の中心の文化カルチャーの人種視点でのなんか話にも見えるなあとは。
確かに確かに。
だから結局僕そのこれでステレオタイプ脅威との向き合い方でいろんな解決方法っていうのは、いわゆる僕自己責任の中での、まあ自己責任という論調な気がするんですよ。
要するに元構造の話でね。
そうですね。
もう解決していくって努力を全員としていかなきゃいけないかなと思ったりもしてて。
そうなんだよね。結構だからステレオタイプっていう言葉自体がたてつけの言葉だと思うんですけど、たてつけをすごいでもそのまま意識していくと、結局なんだろうやっぱすごい深い意味でステレオタイプ脅威にずっと晒され続けるみたいなとこには繋がっていくなっていうのはすごい思ったと逆に言うと。
だから要はこの本で言うと結構学力とか身体能力とかでフィーチャーされちゃったんだけど、そうじゃない人間としての特徴というか能力、長けてるところってすごいモジュールはいっぱい、変数はいっぱいあるじゃないですか。
だからやっぱそれらをもう少し網羅的に見れれば、それとステレオタイプ脅威の関係性はすごい深まっていきたいなっていうのは思ってて。
例えばパーソナリティとかもすごい重要じゃない。人間性というかその人がどれだけ豊かな人間かっていうのも一つそれが最大限に発揮されるっていうところが、本当の意味での抑圧されてない人間のベストな能力というかさ。
そういうのがもし影響を受けたりするならね、こういうやっぱりこれらによって。それをやっぱ向き合わなきゃいけないし、その環境を変えるなり、人によって本当にもう虐げられて、もう本当に鬱屈した気持ちで生きてる人も、黒人とか関係なく日本人もいるから、それを変えていかなきゃいけないんだけど、
36:01
だから本当にその社会的にこれは優れてるよねって言われてる能力だけ伸ばすっていう向き合い方でいくと、それでさらにさらなるステレオタイプを生むから危険だというね。
辛いですよねそれは。
そうそうそう。だからもう少し広い意味で見れていくとすごいいい議論になるよねというか。
まあでもそこまで行っちゃうともう参考にならないですよね、人々が。ある程度この社会の中でどううまく生き抜いていくかっていうところが必要な知識だから、人類の話をするとかねそういう。
広くなりすぎちゃうと。
でもこれ最初にね、渡田さんが言ってた、それは事実だからっていう、あったじゃないですか。ボケとしての。
ああ事実だから。
その議論ってしなくていいのかなと思ってて。
ああはいはいはい。
だってこの本で言ってるのって、たとえばそのよく言われるステレオタイプ、いろいろ紹介されてましたよね。
いろいろ紹介されてましたね。
数学が得意なのが男性で、そういうのとかって実際どうなのかの議論っていらないのかなと思って。
そうね。確かに。
いや別に要するにそういうのって能力が劣ってるみたいなところに注目するとみんな不快感が出ちゃうけど、
得意なところがそれぞれあるっていうふうに考えたら、もう少しお互い共用し合って織りながらやっていくってことに対して寛容になったりできないのかなって。
確かにね。
まあ、いわゆる理想としての公平性ってあるじゃないですか。
本当はみんな、本当にフラットに考えたらみんなみんな一緒なんだよっていう絶対的な感覚。
それって絶対ないじゃないですか。これは事実としてないくて、本当は個体差がめっちゃあるし。
で、ヒンプのさんもそうだけどさ、もう絶対的な不公平性の中で僕らは生きてるから、だからそれを受け入れた上で、事実を受け入れた上でっていうのはあるよね。
それこそが本当の公平さっていうのはすごい理解できて本当に。
それを、いやそうじゃないっしょみたいなめくらまし方。最近よく語られるやつSDGsみたいな。
だからそれってすごい実は不公平なんだよね。すごい差別してる。
その感覚って。だって認めてないんだから。
そうそういうことなんですよ。
いやいやお前貧乏じゃんみたいな。でもさ、同じ人間だからさみたいな。
そうですね。
あの感じ?
だから差別されるべきではないって話とみんな同じだっていうのは違うことだと思うんですよ。
だからそうなんだよね。その差はあった上でそれを受け入れていくっていう。
もちろんそこの劣ってるところをディスしたりとか、そこを引っ張り出して悪いことしちゃうっていうのは絶対良くないんだけど。
ただこれちょうど話したい話があったのがすげえ長くなるから、ちょっとあれかな。時事放題に回そうかなと思いますけど。
39:05
これでもタイムリーな話ですね。今時代に求められている議論になった気がする結果的に。
でも喋りにくいですねこの話。言葉選べるの難しいわ。
難しいんだよね。そう。
だって要するに逆にそういうポリティカルコレクトネスな発言なんだろう。
大丈夫ですか。放作検証後ディズニー打ってもいいですか。
いやいやいや。だからそれこそ差別の話で言えばね。そもそも差別という感覚がないからこそわからないって話をすると。
だからそもそも差別の感覚がないからわからないのに、わからないことを否定されそうな気がするんですよ。変に言うと。
日本人って人種のことってわかんないじゃないですか。
アメリカ人の人種の感覚って僕らマジでわかんないじゃないですか。
だから黒人に対して何のあれもないじゃないですか。マイナスのイメージとか。
全くない。むしろ好きですよ。
音楽とか好きだと。
っていう観点での意見が。
いやわかるわかる。すごい言いたいことわかる。
感覚がないがゆえの意見がポリポリに完全に染まった感覚からすると、失礼な意見と思われそうで言いづらいんですよ。
お前知らねえじゃんみたいなね。お前黒人の気持ちわかんないのかよみたいな。そういう議論が勝手にするんですよ。
だからそういうことだね。僕がさっき言ってたような人種によって得意なものでいろいろ違うんじゃないかって発言だって。
際どいなと思うんですよ。捉え方によって。
まあそうだよね。でもこの議論自体は差別では絶対ないはずじゃないですか。
それだって向き合ってるんだから。そこはいいような気がするんだけど、そこをオブラートに包もうとするから、この差別の議論ってすごい難しくなるというか。
向き合って今理解しようと話してるっていう、その趣が大事で、それに対してわかんないけどもこう思うよっていうこと自体は、そこは公平性としてあっていいわけだよ。
逆差別じゃないけどさ、気持ちをわからない人のことを言うことが差別って言われたら、それに対しても逆に差別的な感情だと思う。裏を返すと。
複雑な話だけど、目に見えて攻撃的に何かをやってない限りは、差別とかそういうところに入らないとは思ってるんですよね。だからこそ、そういう不毛な議論に発展するから、こういう言葉を選んじゃったりとかさ、腫れ者に触るような感じになっちゃったりとかさ。
だからそこがあれだろうね、さっき言ったポリ恒例のさ、ほんと良くないところでさ、一番差別してるんじゃない?腫れ者として扱っていく言葉に出さないとさ。
42:01
だからそもそもその感覚ないからとしか言わなくて。
そうなんだよね、そう。
性的マイノリティの話とかね。
そうそうそう。
だからね、この本の難しいところは、結構社会的なそういうマクロなマイノリティの話で結構テーマを扱ってるんで、なかなかそこはちょっといろいろ思うところはあるなっていう。
もっと何ですかね、そういうことじゃなくて身近なところでのセロタイプとの付き合い方の話をしてほしいですね。
確かに。
文系、理系とかそういうのも含めてね。
あるね、あるね、あるある。というところでですね、お時間もいい感じになって参りましたが、これでもいい議論だったと思います。
非常に個人的には、多分結構この本で評判良くて、賞賛してる人多いんですけど、この切り口で語ってる人あんまりいなかったんで、すごいいいと思う。
まあ結構額面通り受け取ると、やっぱそうだよな、マイノリティが生きる社会を作っていかなきゃなみたいな、やっぱそのまま受け取っちゃうと思うんだけど、その変数だけで見ちゃうと結構見えない部分逆に出ちゃうっていう議論ができたから、なんかそれはすごい良かったんじゃないかなと。
もしかしたら賛否を呼ぶ内容になってるのかもしれないですけど、それは僕らの意見というところでご勘弁をお願いできればなと思っております。じゃあこの辺で締めておきますか。ありがとうございました。