まずこのヨルゴス・ランティモス監督はですね、ギリシャ出身の映画監督です。
1973年5月27日生まれということで、今49歳。
映画監督としては中堅ぐらいの年齢ですかね。
まあまあ、まだまだ取れるよねって感じだよね。
結構メインの作品もまだ4、5作品ぐらいって感じなので、今後にかなり期待できる監督かなっていうところで。
中3階級の家庭で育ち、若い頃はコマーシャルの制作によって生計を立てていたそうです。
幼い頃に両親が離婚してるんだってね。
で、母親に育てられたらしいんだけど、17の時にお母さんも亡くなってて。
その年で展開孤独みたいな感じになっててっていう人らしいね。
結構その家族とはっていうところに疑問を投げかけてるような映画も多いんですけど、
そのあたり、やっぱり人よりもそういう立場やったからこそ、家族について考える時間が多かったのかもしれない。
あったんじゃないかな。17の時にね、そうなってて結構強烈な体験だったんじゃないのかなというふうに思ったね。
そうですね。学生ぐらいの時ね。
まあちょっと主要作品紹介していきたいんですけど、その一作目のカゴの中の乙女。
めっちゃ関西弁の発音で言ってもた。カゴの中の乙女じゃなくて、カゴの中の乙女。
映題ドッグトゥースって言うんですけど、これはね、僕も今回特集3にあったので久しぶりに見返したんですけど、
一番しんどかったね、見るのが。
まあ強烈だよね。
ざっくり言うと、社会から隔離して子供を育ててるっていう家族の話なんですけど、
なんかね、やっぱりその、本当に世界観を徹底して作り込むのが上手いなって改めて思いましたね。
その、何やろ、わざとらしさがないというか、
例えばその隔離するにあたって文字情報とかも家の中からすごく排除してて、
その中に持ち込む食べ物のラベルとかまで剥がしてたりとかさ、
そういうところとかも含めて、この人たちってマジでこうやってるんだなっていうのを信じちゃいそうになるぐらいリアルなんですよ。
まあ1点僕がすごい好きな点と言ったら、
この籠から出るっていうのに、我らがスタロン様が関わっているっていう、ここはもう最高ですね。
いやー最高ですよね、ロッキーとジョーズね。
そこにさ、抜け出す力っていうのがカルチャーであるっていうのはすごくグッとくるとこでもあるよね。
まあね、ハリウッドっていうところが、それが一つのアメリカっていう点でも見れるだろうし、
まあその辺はやっぱり色々読めるように配置してあるんだろうけど。
そうですね。
そういうフシブシに、ずっとこういう制度で持ってここはやってきたんだなっていうのがわかるというか。
世界観自体は狂ってるんだけど、でもその中にいる人たちは僕ら人間と同じで、結構恋愛あるあるみたいなものをしっかり踏襲してるんですよ、この作品って。
ただ付き合うために他人に会わせるだけの時間とかあるじゃないですか。
今回のね、ロブスターのキーとなるところなのかなというふうには思うけど。
冷徹な女っていうサイコパスみたいな女の人と付き合うために自分もサイコパスなふりをするっていうところがあって。
それがうまく成り立たなくなってしまうっていうのって恋愛でめちゃくちゃよくある話だと思うんですよ。
まあよく聞く話だよね。好きな人の好きなことを好きなふりをするみたいな話だよね。
ちょっとちっちゃくまとめてしまうと。
主人公たちがやってることってめちゃくちゃやのに、主人公の気持ちはちゃんとわかるんですよ。
なるほどね。そういうふうに見えてるんや。
だからこそ、なんか僕らの世界もそんな変わらんくないというか。
同じようにただ誰も意識しないだけで、そういう暗黙の了解みたいな恋愛のルールみたいなのってあるんじゃないってすごく僕は思ったんですよ、初めて見たときに。
だからこの物語の中ではかなりキーになってる部分があって、同じ形質を持ってる相手としか恋愛のパートナーとして配偶者として選べないっていうのがあるんですけど。
あれってそういうルールがあるっていうことなの?そういうわけでもないの?
いや、ルールがないとダメだと思いますね、基本的には。
なので、それは明言されてないんですけど、たぶんそれがめちゃくちゃ重要なポイントになってることは確かで、やっぱりそういうことなんだろうなと思うし、ラストシーンもそうですよね、結局。
やっぱり必要不可欠だったからこそっていうことだと思うんですよね。
結局冷徹な女と一緒にいたときも、嘘をつけば結局成り立たなくなるっていう風に言ってたので、それがほぼほぼ暗黙の了解であり、絶対の条件であるっていうことなんだろうなと僕は思ってるんですね。
あー、なるほどねー。
それも僕らの無意識化にある部分ではあって、誰かと共通の点が見つかったときにそれがときめきみたいになる。なんとなく恋愛で認知されている常識だと思うんですけど、
この話については、そういった共通項みたいなものが別に恋愛には直接結びつかないよねーっていう話は、前シーズンの花束みたいな恋をしたときに僕らは喋ってるんですけども。
第46回かな?花束共感自分ごとっていう回ですね。
ロブスター自体もそうなんですけど、言ったらアンチ、そういう共通項映画なわけじゃないですか。
そういったものに縛られるのってどうなんっていう話で、花束みたいな恋をしたのを最後まで見たら、要するにそういうことを肯定してる映画ではないのかなという風に思ってるんですけど。