若者へのブログの変化
ここは今からラジオです。
はい、ここは今からラジオです。uwagakiです。
Nekoyashikiです。
どうもよろしくお願いします。
お願いします。
これ配信日で言うとちょっとね、時間は過ぎてしまってるんですけど、
収録日時点で我々が新年度を迎えましたぐらいのタイミングになってましてですね、
相変わらずネットを眺めていて、私はあんまり見ないなと思ったのがですね、
新社会人の皆さんへ的なブログをオジサンが書くっていうカルチャーが、
なんか今年あんまり見ないなと思ったんですよね。
そうだね。
ブログにそういうのをこの時期書くのを、2、3年前までなかった?と思ったんですけど、
なんかそういうブログ記事あんまり見なくないですか。
ブログ、そもそもブログって死滅したんじゃない?
ブログ自体が?
ブログ記事自体は見ないこと。
でも確かGoogleのアルゴリズムが変わって、あんまり表示されにくくなったみたいなのがあるみたいですね。
そうなんだ。
ノートはさ、ノートはブログに入る?
ノートは一応ブログサービスと紹介されてることが多いように思いますが。
なんかその手のさ、説教系のブログって。
説教系。
説教系っていうジャンルなんだ、あれ。
飴風呂とかが多かった気がしたんだけど。
飴風呂ね、はいはい。
なんかノートになると途端にそういう絵文字使えないからかな。
なんか香ばしいのがあんまりいなくなった気がしてて。
ノートはさ、なんかちょっと育ちがいい感じがするじゃん。
そうなんだよ。
いろいろだけど、でも飴風呂とは一線を隠してるよね。
平均値がよ。平均値が育ちがいい感じがするじゃん。
そうね。
若者のアドバイスブログと多面性
なんかそういう、なんだろうね。
飴風呂とかとは明らかに違うカルチャーではあるけど、一応ブログサービスなんじゃないですか。
あそこだとさ、なんか説教…
あ、ごめんなさい。今すごく言うことを考えながらすごいことに気づいてしまったんですよ。
説教、説教だと認識してない可能性がある。
言う側が?
我々が。
我々が?
つまり説教系ブログが観測できなかったってことは、
普通じゃんみたいなこととして認識してしまってる可能性があって、つまりその…
ああ、そういうことか。
我々が説教側に踏み込んでしまっている。
それはわざわざ説教として言ってるんじゃなくて、普通のことだよねと思って見てるから見つからないってことか。
そう、そう。その可能性ない。
あるかもしらんけど。
あるかもしらんけど、僕ね、このカルチャーに関しては、このカルチャーを目にするようになってからずっと一貫して自分は若者に言いたいこととか一言もないなってずっと思ってるのよ。
だから、多少はね、そういうの見たら見つけたと思うんじゃないかなと思うんだけどね。
好物だからね。
いやいや、好物でもないのよ。好物でもないけど、見つけたなって思うって今年の季節だなって思うだけで。
あれですだから、なんかタラノメみたいな感じです。
タラノメ?
タラノメ的な感じです。
タラノメ扱いしてるの?
別にもりもりたくさん食いたいもんじゃないじゃん。
タラノメとかフキノトとかそういうものですよね。
この季節だなって思うっていうだけの話。
季節のものだなって。たけのこの新しいやつね。
ちょっとエグビ強いよねっていうだけで。
っていう感じなんだけど。
いい言葉じゃないけど、結構老害という言葉が使われるようになって久しいじゃないですか。
老害化することをビビってきた世代がだいぶおじさんになってきたのかなと思ったんです、この現象は。
それを気にしないというか、ナチュラルに老害化していって、なんぼのもんじゃいの世代が今まで書いてきたけど、
その世代はだいぶ引退に近づいてきて、それをビビってきた世代が今その世代に差し掛かってきているからあまり見なくなったのかなと思ったんですけど。
あの説教っぽく見えないんだけど、そういう世代だからその上からな感じとかを消しつつ、
アドバイスとして、あくまでアドバイスとしてツイッターに書き連ねてるのはチラチラ見る。
だから本人も説教と思ってないし、周りから見てもあまりそれが説教だとは認識できないような優しい言い方をしているがってこと?
かつ人生観とか人生論とかそういうところまで踏み込まずに、新生活に当たって買っとくといいものみたいなライトな切り口でやってる気がするんだよね。
人生活に当たって買っとくといいものぐらいの感じの衣をまとってるのか?それらは既に。
たぶんそうなんだと思う。だからその衣をまとわざるを得なかったのはその上の世代のクソ説教がうざかったからであって、
そうはならないとした結果、あっちに足のついたアドバイスという形で、しかも短文でチラチラ投稿されてるんじゃないかなっていう。
SNSにね。
SNSね。
それはそうかもしれない。
めっちゃ見る。だって今年でめっちゃ見る気がするの。新生活が始まる人向けに100均で買えるナイスなアイテムを5つ紹介しますみたいなやつとか。
インカ稼ぎかなと思いつつも、見るなーとは思ってた。
新社会維持になるまでに読んでおいた方がいい本10選みたいなやつとかもあるよね。
あるねー。
そういうのは見るなー。
なんかね、その辺が、元ファイヤーしたかったぜ。
元ファイヤーしたかったぜ。
若者の絆と政治的な活動
ファイヤーとか仕切りに言ってたアカウントとか企業とか言ってるアカウントの群れがいるじゃないですか。
あの辺がよく行ってる気がする。だからうさんくさくて誰も見てないっていうさ、そういう現象が起きてる気がするんだよね。
一般論として我々世代よりももっと若くなればなるほど、30代とか20代とかになればなるほど、お行儀もいい感じがするわけですよ。
真面目か不真面目かで言ったら真面目な感じもするし傾向として個人差あるけど。
だけどその中にやっぱり一手数ちょっと油切ってる層がいるというかさ、何ですかね、彼らは何を食べてるんですかね、彼らは。
何を食べるとそう育つのかな、ポケモン的なことでさ、何を進化するとそうなるんですかね。
その油切ってる層って、僕は個人の感想としては不器用な人たちなんですよ。
ああ、はいはい。
あの、多面性をうまいこと作れなかった人たち。
で、その表面上いい子って多分裏赤も持ってて。
あるでしょうね。
多面性をしっかり保ってる人なんだと思ってるんですよ。
はいはいはいはい。
裏赤っていうものは一般的になってる世代だと思ってて。
ああ、そうかもね。
この多面性をいろんなアカウントで表現してるっていう世代なんだけど、ガツガツしてて、いろいろやりたいみたいなアカウントの人はそれしかやってなくて、不器用なんですよ、きっと。
金は金、女は女みたいな、友達は友達みたいな、いろんなアカウント作ってやればいいところを全部一緒のところでやろうとしている不器用な人っていう。
たまに会うんですよね。名刺に似顔絵が入ってて裏にめっちゃ聞いたことない資格がいっぱい並んでるみたいな人に。
たまに会うんですけど。いや、いいんですよ。別に彼はそれを頑張ってるんだろうからいいんですけど。
似顔絵入れるよね、写真とかね。
入れる、写真かね。
それも別にいいんだけど、香り高いなってすごい思ってしまうというかね。
こんなご時世ですし、生存戦略としてそういうのがあるのはしょうがないんじゃない?とは思うんだけど、
たぶんそれも不器用だから育っているんじゃないかな。
その感じの人たちがさ、自分らの今の年代ぐらいまで来るとどうなるかっていうと、結構選挙とかし始めるんですよね。
政治的なことを始める。
政治的なことを始める。
あの人こうなったかみたいな人を何人か見るんですけど。
政治家を揶揄したいわけでは全然なくて、種類としてそういう種類の生き方があるなっていうのがすごいね。
遠巻き見てて思うっていう。自分が絶対そっち側じゃないので。
いろんな人と出会いに感謝しながら生きていくとそうなるんだなっていう。
絆と出会いに感謝ですよね。
パターンとして最近見出しているんですけどね。
それはさ、来ないそうなんじゃん。
不器用で絆と出会いに感謝している人たちは昔からたぶんいて、
その範囲がインターネットを介しているのか、地元の有権者たちとつながっているのかの違いであって。
その人たちの特徴いくつかあるんですけど。
いいことなんだけど、すごいいいことなんだけど、結構人の名前とかをよく覚えてるっていうのがあって。
僕はその能力が全くないのでいいなと思うんだけど、よく覚えてるなっていうのがあって。
だからこそなんだけど、こっちからしたら何かの現場で一回名刺交換しましたっけぐらいの人だけど、
何かの初めに再会、もう一回会うとすごい近い距離感で握手とか求めてくるんですよね。
そうそうすごいよね。
お久しぶりですぐらいの勢いで、お久しぶりですも何も2回目ですよねみたいな感じの時があって。
僕はできないけど、それができる人はやっぱりすごいなって思っちゃいます。
強みだよね。
生きる力が強いなって思いますね。
しっかり思い出せたとしてもそれできないからね。
だからこっちは何かの弾みで強烈なエピソードを1個覚えていて覚えてるけど、
向こうがそこまでこっちのことを認識してないかもしれないっていうリスクを考えてしまうから、
その距離感でいけないですよね普通に。
いけないじゃん。
誰だったっけの顔ってすぐわかるじゃん。
わかるし、お互い誰だったっけではないとしてもさ、
こっちから握手を求めたことは多分人生においてない気がするなと思って。
そうだね。
求められてきたことはあるけどね。
お酒飲んでる時とかじゃない?
譲ってできるとしたら。
飲み会の場でよくわからないけど握手するみたいなのはあるね確かに。
適当にコミュニケーションが過剰になるみたいなことはあるかもしれないね。
何の話でしたっけ?
着信のにおじさんが何か言いたいっていう文化が終わったのではっていう話ですけど、
形を変えて何か言ってるってことですね、そういう人たちもね。
形と物越しが多分違うんだと思うんだよね。
でもなんかさっきの多面性の話とも繋がるんですけど、
多分おじさんが言ってるそういう物越し柔らかく言ってるそういうやつって、
若い人には届いてないんだと思うんですよね。
届いてないでしょうね。
マスタリングされてしまってるからおじさんがおじさんのやつを見るみたいな。
バーチャル美少女が中身おじさんがバーチャル美少女を見て可愛いって言ってるような現象が多分そこかしこで起きてて。
もうなんかちょっとフェイスブックとかそういう場になってるよね。
なってるなってる。だからもうそういうくんじとかいらんねんっていう世界になってることにみんな気づきつつあるんじゃないかなっていうのもあるかな。
なんか今話しながら思ったけどフェイスブックだわ。フェイスブックは長文でいいこと書こうとするおじさんいるよまだ。
フェイスブックはある。
フェイスブックいるよ。実名でいいことを長い文章で書こうとするおじさんいるもん。
なんかあれ不思議なんだけどさ。
今言ってんのってさこの4月のっていうことですよね。
この時期だからっていうね。
俺あのなんだろうすごく自己中だから自分の記念すべきタイミング。
自分的な記念すべき。例えばこの間僕は車が納車されてたんですよ。
見ましたよ車の納車。でけえの来てましたね。
でかくないんだけどちょっといい勝ち目というか。
いい勝ち目で来てましたね。まあいいや。
で、そういうタイミングでしか発言しないし。
自分的に嬉しかったこととか心が動いたこと。
僕のこれ見てっていう時ですよね。
まあそういうイベントだよ。自分的なイベントだよね。
でしか長い文を書こうと思っても多分書かないんですけど。
なんかその4月新入社員とか新入生とかその他人のイベントに対して。
確かに他人のイベントだよねこれ。
他人のイベントに対して厚かましく長文を垂れ流すっていうその根性がまずわからない。
いやだからそれも良かると思ってるんですよ書いてる側は。
なんかあったのかなその人に。
それを突き動かすエネルギーみたいなものが湧いてこないと書けないじゃん。
多分なんかいろんなパターンがあると思うけど1個は本当に自分も若い頃先輩の誰かからそういう訓示をもらってそれが生きてるって思ってるパターンもあると思うし。
あーなるほどね。
だから自分もしかるべき立場になったら訓示をしてやらねばという。
そういうのもあると思うし逆もあるんじゃないですか。
なんか自分はその若い頃なかなかうまくいかなくてでももがきながらやってきてなんとか生き延びてきたからその自分の体験談を若者に伝えて彼らはもうちょっと生きやすくしてやろうじゃないかという親心というか。
その自分語りタイミングのその突点がえらい低くねっていう。
生き地がね。
なんかの記念日とか企業した記念日ですとか、
親が亡くなって親がしてくれたことをみたいな生き地があるじゃないですか。
それと比べてさ、春ですから新入生の新入生ですからって生き地低くないって思うんですね。
いやこれはだからあれですわれわれに共通する部分でもあると思うんですけど、
猫屋敷さんを巻き込むとあれだから僕のことだけで言うと僕は基本的に他人のことに興味がないので、他人がどうやって生きていくかとかにそんなに興味ないですよ基本的に。
何度聞いても衝撃的だよね。
いや俺も大概興味ないけども、正面から言えないなっていう。
相対的にどっちが興味あるかというと自分のことの方が興味あるという。
自分の手一杯ですってことね。
手一杯余裕がないっていう話ですよ。
それはどうか。
だし仕事柄インタビューとかしないといけないこともあるから、そういう時は一応興味ある程度聞きますよ一応ね。
そうしないと話してくれないとかあるからさ。
仕事としてやりますけど、ベースとしてその関心があるかって言われるとそんなことよりも自分のことの方に忙しいとかはあるじゃないですか。
だけどやっぱり人の人生の縁目とかに何かを言ってあげようっていうのはやっぱり人のことに興味があるんだと思うんですよ基本的に。
人に興味があるっていうことはやっぱりいいことじゃないですか。
その時点では。
そのメッセージは届かないかもしれんけど。
なんか社会的な生き物ですよねそれって。
あれだよね。生きる力が強いんだよ基本的には。
やっぱり生きる力が強いなって思う。
なんかその生きる力が強いがなんか違った感じに聞こえてきた。
いいことだと思うんだよ。
生存能力が高いっていうぐらいいいことだと思うんだけどね。
そうですね。
これ今日のトークでもこれなんかあっさり終わりそうだなと思ったらこれ全然なんか帰って盛り上がっちゃってるな。
一曲お願いしていいですかこれは。
はい。
Do As Infinityで恋乙女。
ここは今からラジオです。
懐かしい。
懐かしいの来た。
Do As Infinity何してるんでしょうね。
分かんないですけどね。
新社会人におじさんが言いたい
ということで今日のトークテーマは新社会人におじさんが何か言いたいブログ文化は終わったのではっていうやつなんですけども。
形を変えてね。
生きる力が強い人たちが何かを言ってるってことがよく分かってきました。
そうそう。
生きる力強い人にどうしたらなれるんでしょうね。
やっぱり人に興味ないとダメなのかな。
人に興味ないことも含めて自分は生きる力がそんなに強くないっていう風な自己評価だからね。
逆にそういうものが目についちゃうのかなと思いますけどね。
我々二人して。
我々二人して。
なんかあれだね、これでいいのかなと思っちゃうね。
ある意味、あなたは組織の長でもあるわけじゃない?
ちっちゃいけど一応そうですけど。
君事をたれてしかるべき立場ではあらな、一面としては。
立場としては求められることもあるけど、でも別にほら、あるらしいじゃない?一般企業では。
例えば新年一発目にとかさ、新年度最初の出社日にとかさ。
うちはあんまりないけど、新入社員が入ってきたとか、そういう代表者が何か言うみたいな場あるじゃないですか。
なんかあるね。
本当に苦手なんですよ。言いたいこと別にないし。
でも場はやってくるじゃん。
だから仕事柄ですけど、年別日とか関係ないわけですよ。
大晦日も仕事してるし、元日から仕事してるから。
むしろ忙しいよね。
逆に繁忙期だし、新年だからどうかみたいなことがそういう意味ではあんまりないとかもあるけど、
場としてやってきた時はやっぱり困るんですよね。
逆にもう園内が設定されている講演会とかだったら、そのテーマのことだけしゃべればいいんだけど、
何か一言みたいな場あるじゃないですか。
何か一言ってみんなそんな言いたいことあるかって思うし、
苦手な一言お願い場
その場にいるやつも誰か知らんやつの何か一言備え期待してないだろうって思っちゃうから、難しいよね。
漫談とかしないの?
漫談。やるんだったらしょうもないことを長々しゃべるぐらいだったら一笑ぐらい撮りたいとかあるけど、
それ狙って滑るの一番寒いじゃないですか。
だからやっぱりせめて短く終わろうと思うよね。
立場のある人は大変ですね、俺。
でもあるでしょ、何か一言お願いしますの場は誰にでも。
僕はないんですよ、そんなに。
避けてきたんですよ。
避けてきたってのは前も聞きましたけど。
避けて生きてきた。だからもう社長がいるので幸いにして、
社長に全部押し付けて、
後ろでニヤニヤしてるっていう最悪の。
何かの会の委員みたいなやつもやらなきゃいけない年齢になってきたじゃないですか。
割とあるでしょ、こういうのが。
心身祝状の会の役員。
なんとか委員会とかなんとか協議会の委員会とか会員とかは一応お願いされてやるみたいなのもやらなきゃいけなくて。
でも一応テーマがあるから、これこれについて審議しましょうみたいな審議会ですとかがあるから、
一応発言求められてもそれにまっさること言っときゃいいかとは思うんだけど。
会社みたいなプリミティブな場はね、なんかちょっと。
ないです、別に。
生きる力強い人たちの発言
だいたい話は上手いとされてるおじさんの話も上手いっちゃ上手いんだが、
若者であった我々の心を食ってたかっていうとそうではない。
知らんがなって話をウィットに飛んだ感じで言ってくるだけじゃないですか。
全く覚えてないもん、だって俺。偉い人の話。
校長先生とかね。
校長先生とか、たぶん中には素晴らしい校長先生も何人かはいたのかもしれない。
なんかそういう本があるみたいですよ、校長先生向けのネタ本みたいな。
そんなん、なんかすごい校長先生が凡人化していくじゃん。
凡人さんだけど、あいつらも。
先生は人の子ですから、成人君子ではないかもしれんけど、一応教育者としてさ、
わかんないけど、中国の孤児とかから引用したりとかしなきゃいけないじゃん。
場面によっては。
知らないわけにいかないから、ネタ本とかもやっぱ必要なんじゃない?と思いますけどね。
本が売れてしまっているというあたりに、ちょっと寂しさを覚えるというか、
教育者に多くを求めすぎなんですけど、その人の経験に即した何かの方が面白いんじゃない?
そうだけど、でもほら、ブックオフとかでも一定のカテゴリーあるじゃないですか。挨拶、スピーチみたいな。
あるある。
そのカテゴリーはずっとあるから。
聞いて誰が嬉しいねんって思わない?あれ。
それで言ったら、毎回やりながら無駄だなと思うのは、メールの文面を書くときに、
相手が会社名を書いて、名前を書いて、いつもお世話になっておりますみたいな。
最近何かの会とかだったら先日はありがとうございましたみたいな、一文入れてから本題に入るじゃないですか。
でもそのワンクッションがないとメールは変だよねっていうことになってるから、世の中が。
そりゃそうだね。
一応書くけど、定型文変換したらすぐ出るようにしてあるけど、
SNS文化だとそれは逆に変じゃないですか。LINEとかでいつもお世話になっておりますから始まるの変じゃないですか。
たまにいるけどね。
たまにいるけど、そうそう。
プラットフォームが変わっていきはいずれ無くなる文化なのではという気もするけどね。
そりゃそうだね。
いきなり本題でいいんじゃないっていう気もするけど。
結婚式とかも無くなりつつあるしね。
そうね。
結婚式の挨拶とかも知恵いく文化の一つではあるんでしょうし。
結婚式のスピーチ、したことあります?結婚式のスピーチ。
友人?友人じゃないかな。乾杯の挨拶くらいはしたことありますよ。
あーね。あれもう何言っていいものやろってなるよね。
知らん人だからね。
半分以上知らん人だしね。半分以上知らん人だしね。
ただスピーチでうめえなって思う人はいるわけじゃん。
いるいる。
乾杯って言ったら、まだある程度話聞いてるわけ。
いつ乾杯って言うからこいつはと思っては見てるよね。
そこで聞きやすい話ができる人にはなりたいなとは思ってるけど、やりたいとは思ってないんですけど。
昔上手かった人の何言ってたっけとか、シミュレーションというか、それっぽいことができるにはどうしたらいいんだっけみたいなことはたまに考えてあります。
あーそうだね。でも年齢とともにそういう場もないわけじゃないから、いくつかはあるんですよね。そういうパターンのストックが。
でも僕はもうそういういくつかのパターンのストックを持っている自分に嫌気がさせてしまうタイプなので、
俺もそうやって生きていくようになったかとか思っちゃうので、もうちょっと軽やかにいきたいんですけどね。
よっしゃよっしゃ。
型にはまりたくないんか。
長い中二病を患ってるのがバレてしまいそうなので、一曲かけたいと思います。
とりあえずこれにしよう。
ムクでバイトユー。
ここは今からラジオです。
長い中二病を患ってるんですよ。我々みたいな人種は。
富士の病ですかこれは。
死には至らないからまだいいよっていう。
命を脅かす病気ではないけどね。でもたぶんじわじわと蝕んでくるんだと思うよ、おじさんの人生はこれは。
社会的な死を迎えそうな気がするよね。
それこそこの前Xで、年を取るほど軽やかになっていく生き方が羨ましいみたいな文脈で、柳沢慎吾さんと高田純二さんの名前が挙げられていましたけども、
年を取るほどに重みを増していかなきゃいけないっていうところに逆らっているんだとこの人たちは。
普通は年を取るごとに責任も増していったりとか、部下が増えたり重みを増していくものだけど、発言力とかもね。
だけどこの人たちはずっと変わらずに軽やかに生きているからこうありたいものだみたいな文脈で語られてましたけど、あれができるのは特殊能力だからねと思ってね。
確かにその軽やかと捉えるコメントはちょっと浅いなっていう気もするしね。
高田純二さんとかの奥に隠された孤独というかさ。
孤独。
なんかあの人すごい深い孤独を抱えてる気がするんだよね。
そう?あんまりそれ感じないけどな。
表層的なコミュニケーションが軽やかであればあるほど、それはあの、鉄壁のガードであってさ。
何かを守ってる感じはするかもね、確かに。
それだけ見て軽やかっていうのはなんかちょっとなーっていうのはいつも思うんだよね。
そのカテゴリーだと僕は所上司さんみたいになりたいとは常々思ってるんですけどね。
所上司さんはなんか別に闇深くなさそう。
闇はなさそうじゃない、あの人は。
おじさんと重み、髪の毛の話
多分80になってもミニカーとかいじってそうじゃないですか。
あれは子供ですよね。
子供のまま大人になってるなって感じがするのは、そうありたいもんだなと思うんですけどね。
軽やかっていうのはあっちのほうだと思うんですよ。
それはそうだね。
無質的ななんかその富があるからできる。
いやそうなのよ。
でもあるし。
だからさ、おじさんがさ、おじさんになっても年を重ねても軽やかでいるためにはさ、結局やっぱ金がいるって話な気がするんだよね、これって。
金も地位も名誉もどれもないけど軽やかにいるのはやっぱ無理だよね。
せめて重いぐらいないとってなってしまうじゃん。
どれかはいるじゃん。金か地位か名誉か重みか、どれかはいるじゃん、おじさんとして生きていくためには。
どれかはいるのよ。どれとどれで生きていくみたいな話だよ、これ。
右手と左手に何を装備しますかっていう話であってさ。
そういう意味で言うとさ、おじさんと重みってやっぱ相性はいいのよ。
重みがあれば一応生きていけるというかさ。
安くて手に入るよね。
その中では比較的。
近場の武器屋で売ってるんだよ。
そうそうそうそう。
近場の武器屋で売ってるんだよ。
だけどやっぱり軽やかさっていう武器を持っていこうと思うとさ、もう片方の手にやっぱ金を持ってる必要があるよね。
とか、昔から育てているっていう必要があって。
そうね。
庭刈り身につくっちゃう。重厚さって庭刈り多分身につくんですよ。
喋んなきゃいけないんだから。
逆もあるよね。
30代くらいでさ、逆に重みを求められるポジションに行っちゃった人とか大変だなと思うよ。
あーそうね。
それ簡単にひっくり返せないじゃん。
50になったから僕は所上司さんみたいに行きますって言うわけにいかないじゃんそれって。
周囲からはっちゃけってどうかどうしたんだみたいな感じになって。
あなたそうじゃなかったじゃんって言われちゃうよ。
そうなのよ。周りは勝手にイメージを期待するんですよね。
そうなんだよね。
こんなにしたことじゃねーよって言っていきたいんだけどなぁ。どうしたらいいんでしょうね。
突然なんか模紙館とかにガガちゃんがあったら僕は受け入れますよ。
しないけどね、ちょっとそういう願望あるのよ。
いやしないよ。現時点ではしないし、選択肢の中にないけど、自分の中の心をよく覗いてみるとね、ちょっとそういう願望はなくはないのよ。
いやロックだね。
いやこれ本当もう終わりますけど。
この話もう終わりますけど。
僕ね、年齢を重ねてくるとさ、残念なことだけどちょっと髪の毛に白いものも目立ってきたりするじゃないですか。
めっちゃ混じってきた。
面倒なことだけど、真っ黒に染めるのもなぁと思って、別にもう誰からなんとも言われる年でもないしいいかと思って、ちょっと明るい色に染めたのこの前。
何ヶ月か前に。
その時期が結構何ヶ月か3、4ヶ月あったもんだから、言っても人前に出たりすることもある仕事だからさ。
なんかね、会う人会う人に言われるのよ。髪の毛染めたんですねみたいな。こんなテンションで言われるの。
軽かったら、明るく染めたんですねだったらいいんだけど、髪の毛染めたんですねみたいなテンションで言われるのよ。
いいんですかみたいな感じ。
ぐらいの感じで言われるからさ、もうめんどくさくなってまたちょっと暗めに染めたんだけど。
僕はどっちでもいいのよ。別に明るくしたいわけでもなければ暗くいたいわけでもない。別にどっちでもいいんだけど。
しかも誰に怒られるわけでもないですね。
誰に怒られるわけでもない。だからその、その時期があってもいいかなぐらいのノリで、一回ちょっと明るくしてみましたぐらいの感じでいけるかなと思ったら、
結構ね何人もの人に割と重い感じでリアクションされたので、一体なんだと思われたの僕はと思って。
それは、何でそれをそのトーンで言ってくるのかって話だよね。
若者に何か言いたいおじさん
そうそう。どう見られていたらそのテンションでくるんだよと思ってね。
人ってその保守的なんですよね。
もしかしてあなたたちの世界線ではまだ髪の毛染めたら不良だとか思ってるとか。
上垣さんは、そういう髪の毛を染めるような鮮白な思想であってはならないっていう、周りの人が勝手に作ってるイメージがあるのよ。
まあそれから外れてしまったんでしょうね僕は。
外れちゃったんだってそのトーンは。
生きにくい世の中だなって思う。
それは抵抗したいよね、そういうのは。生きにくい世の中だよね。
だからもう次、紫とかにしてやろうかと思って逆に。
なんかあれだよ、インナーカラーとかさ、派手髪の感じにしよう。先っぽだけ色違うみたいなやつとかさ。
カラコンとかしようかなと思ってるもん。
いいですね。
なんか逆に。
Z世代みたいになったらいい。あるいはローランドみたいなZが一緒だから。
主戦場はテレビじゃなくてラジオなんで見た目はあまり関係ないんですけど。
最近それにびっくりしたんですけど。
若者に何か言いたいおじさんは一体どこに生息してるのかっていうのはよくわかりませんけど、どこかには形を変えているってことはよくわかりました。
番組へのメッセージとかトークテーマ投稿とかはいつまでもお待ちしておりますので、番組の公式サイトかXのハッシュタグ付けたコメントかYouTubeのコメント欄などにお願いします。
ということで今日はありがとうございました。
ありがとうございました。