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こんにちは。午後のひと時、いかがお過ごしですか?
今日も、あみちゃんねるここからタイム、お話ししてみようと思います。
今日は、このティータイムの時間に配信になったのはですね、
実はですね、もっと朝からしたかったんですけど、
そういうことがあって、配信できませんでした。
本当にあのね、先週末ぐらいから本当になんかこのありがたいことが重なり重なって重なりまくりまして、
もう込み上がる気持ちをもう言いたくて言いたくて仕方がなかったんです。
ブログとかフェイスブックとかそういうなんか文章でちょっと書き荒らせないぐらいだったんですよ。
それでもう、あ、FMスタンドでちょっと話したい。
これを聞いてくれる人がいて、なんか共感してくれれば嬉しいなと思って、今日は配信しました。
実はですね、昨日、うちの孫がですね、初めて我が家に来たんです。
それにまつわってですね、なんかいろんな嬉しいことがあったんですね。
前日の日、花見に行く予定をしていた私はですね、来るよっては聞いてたんだけど、
全然そのお片付けのことが頭になかったんですね。
娘はそれを聞いて、じゃあ今日は掃除しなくちゃって言ってたんです。
あ、そっかそっか掃除、あ、そっか掃除、よろしくみたいな感じで出かけたんですけど、
本当に綺麗になってたんです。
赤ちゃんが来るってことで全て洗って、うちフェレットがいるんですけど、
そのフェレットの毛が根付かないようにって気をつけてくれたんですけど、
その娘もすごくありがたいなって思ったし、
そうやって心待ちにしている家族がいるってのもいいなって思ったし、
花見も本当になんか心置きなくいろんな話ができて、
初めは朝ちょっとハプニングがあって、落ち込んでいるところがあったので、
どうしようかなって思ったんですけど、
今まで馴染んでいくのに時間がかかるところがあったので、
そういう躊躇するところが必ずあって、
それを昨日は本当に土曜日は、
やっぱりこれも私の一つの癖だなって思ったんです。
そうそう、今回のこのありがたいって気持ちは、
私の癖を改めて感じさせてもらったっていうことでもあるんですね。
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去年の終わり頃、去年が終わって、
自分のこの癖っていうもの、考え癖ですね。
考え癖っていうところに焦点が当たってて、
去年の後半に研修みたいなところに入って、
改めてその考え癖っていうのを感じ、
そこからいろんな変化があって、
長年親との関わりっていうのも少しずつ変わってきてはあきらめ、
嘆いてはあきらめ、もういいやって、
こういう事態をやめたこともあったし、
でもやっぱり心残り、このまま行くとグリーフになってしまうんじゃないかっていう、
もしくはこのままの状態で、
自分の中では多分この親との関わりを後悔することが出てくる、
悲しみが深くなるんじゃないかなっていうことも含め、
あきらめていたところがあったんですね。
でもそれが息子のことで、息子の問題を通してですね、
私が息子に思う気持ちがですね、
自分の親、自分の親が、
私に対する思いっていうところに結びついたっていうことがありまして、
そこから親に対して、
許す、許さない、そんな感じの気持ちが全然なくなり、
どちらかというと愛おしいに変わったんですね。
本当にこの変化は私にとっては嬉しくて、
なんかそんなことになれると思っていなかった、あきらめてたので、
それは嬉しい変化でした。
その次に感じたのがですね、
やはり自分を責めてしまう癖なんですね。
何かあるとは、
どうせ私なんかっていうことを思ってしまう自分がいて、
そういう自分がすごく自分を傷つけてきたなってことを気づいたのが、
気づいてはいけないんですけど、
本当に不に落ちていくんです。
本当に自分をいじめてきたな、
でもよくそういう自分をやさげてあげましょうっていう言葉とか言いますよね。
でも私その時にですね、
慰めるには、
もう一歩、もう一歩、
自分を慰めるには、
自分を慰めるには、
慰めるには、
もう一歩進まないと慰めにはならないって感じたんです。
それは何かというとですね、
自分の中で悪いことした、傷つけてきた、
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って思ってごめんね、今までのいじめとしてごめんね、
じゃなくてですね、
本当に小さい頃の私が自分に向けて、
もう安心だねって思ってもらえるようにしないと、
たぶんこの小さい頃の自分は
慰めというか落ち着かないだろうなと思ったんですね。
それで何をしたかというとですね、
自分が安心させるために、
この小さい自分を安心させるためには何ができるんだろうってことを考えて、
それを宣言をして、
その時ですかね、
お腹にドーンと軸みたいなのが入った感じをしたんです。
そこから自分のまた一つの癖が発見できて、
それは何かというとですね、
自分の思いを正直に言っていないってことなんです。
それも本当に自分を傷つけていることですよね。
自分の思いを正直に言っていなくて、
我慢して、蓋をしてって感じたことが多々あって、
それを一つ一つ言っていくってことも今しています。
本当に、
自分の思いを正直に言っていないってことなんです。
心の問題をやっている私なんですけども、
その心の問題をしていくにあたって、
やはり自分も整えていくってことをしていってはいるんです。
やはりグリーフケアとかそういうこともやると、
どうしても自分の悲しみとかにも照らし合わせてしまうところがある。
でも、摂取セッションとかそういうところは、
見せることだってはいけないので、
やはり自分を整えるっていうところで、
自分を見つめてきてはいるんですけど、
そういうことがあって、
自分の考えのせいだったんだなって思うことが、
今回の土曜日の、日曜日の午後の出現ということで感じたことがあったんです。
孫が生まれたことによっても本当にいろんなことを教えられて、
子どもにもいろんなことを教えられて、
私は本当に親にしてもらっているんですけど、
今度は本当にまた新たなおばあちゃん業への修行が始まったって感じですかね。
日曜日の日、うちの息子のおばあちゃんが、
その孫を囲んで一生懸命お世話している姿を見てですね、
ああいいなあって、こんなふうに育ってきたんだねって息子を見て思ったんです。
そこに五月人形も出してあったので、五月人形二人で、男の子なのでキャッキャッキャッキャやってたんですけど、
その横に近くに文房具屋があって、
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文房具屋があったんですけど、
五月人形二人で、男の子なのでキャッキャッキャッキャやってたんですけど、
その横に近くに仏壇があるんです。
その仏壇をですね、うちの息子がそこにちょこんと孫と一緒に座ってですね、
おじいちゃん、ばあちゃん、今日来たよって、何々ですよって、よろしくねとかって言っているんですよ。
なんかその姿もすごく、こんなことをしてくれる子になったんだって、
私何か教えたわけじゃないのになあって、それも嬉しく、
その後に私の方の実家に、おじいちゃん、ばあちゃんのところにも行くって言ったんですね。
そしてその妹にも連絡私がして、妹も時間あるかわからない、行けるかわからないけどって言いながらいたんですが、
夜、母から電話がかかってきて、その話をしていたらですね、
みんな来てたよ、兄もみんな来てたよ、と。
で、なんかその孫を囲んでみんなワイワイやってたみたくて、
その話を聞いたときに、なんかピピピってきたんですね。
なんかその家族に、自分の家族に対して私はあんまりいい思い出がないというか、
ちょっとあったんですけども、
それをですね、なんか全てが事実ではないと、事実じゃなかった思い出が、
昔の過去の思い出が事実じゃなかったことではないと思うんですけど、
なんかその、やっぱり自分の考え癖があったんじゃないかと、
なんかその、やっぱり自分の考え癖があったんじゃないかなということを思ったんですね。
なんかね、捉え方の癖っていうんですかね。
これがあったから今のようにも響いているのかもしれないんですけど、
小さい頃から兄と比べられてしまう自分がいて、
全てを捉え方っていうのかな、ひねくれて捉えるっていうんですかね。
どうせ私なんかっていうかって気持ちで捉えてしまうっていうのがあったんじゃないかなって。
それは実際の今の生活をしている中でも今気づきの一つでもあるんですね。
なんか同じ言葉を聞いても、私はやはりそれをちょっとひねくれた感じで受け止めている自分を感じて、
他の友達に同じことを聞くと、そういうことじゃないのって言われて、
そういう感じに聞こえてたって言って、私はそういうふうに聞こえてないってことは、
やっぱりここになんか考えの癖があると思うんですね。
そういうことを気づいている、アンテナが立っているからかもしれないんですけど、
今回そういうことを思ったんですね。
こうやってうちの孫が、私の孫が実家に行く。
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その実家に行ったことでみんながワイワイって楽しんでいる。
で、うちの長男も、私はちょっと線引きを稽古してたけども、素直に行く。
で、なんかそういうのを見ていると、やっぱりなんか、
本当に横のつながりもそうなんですけど、縦のつながり。
ご先祖様から自分、今自分、子供、孫っていうつながりもそうですし、
兄弟とか友達とか友人とかそういう横のつながりもそうだし、
なんかその、すべてその孫が生まれてきたってときから、
なんかその子供につながるっていうのは、
なんかその、すべてその孫が生まれてきたってときから、
なんかその人間のつながりってすごいなって、なんか何かわからないですけど感じるようになって。
それがすべてなんか、いろんなところにつながって、
なんか新たな気づきを教えてくれてるんですね。
なんか、自分小さい頃から、小さい頃からもそうですし、子供を育ててもそうですけど、
やっぱり子供が苦手で、それで子供がでも生まれるたびに、
修行みたいな感じで、一生懸命一生懸命って、自分の中でもきそ真面目みたいなところもあるんですけども、
向き合ってきた。で、それがいいか悪いかなんて全然わからなくやってきた。
で、それが今すべてなんか、全部がいいふうになったわけじゃないけど、
なんかすべてが、人生の今までのすべてのことがここでOKなんだよって言われたような気がしたんですよ。
ただ沸き上がってくる、なんかその、なんかありがとうとか生きててよかったとか、
なんかそういういろんな思いが溢れてきてですね。
これはなんか、こんなふうに思えるって絶対思わなかったんです、30代40代。
で、それが50過ぎてから少しずつそういうことを感じるようになってきて、
で、自分のなんかその弱さも認められるようになってきて、
で、なんかその一つ一つなんかそのダメなところとか自分の弱いところとかそういうところってずっと隠していたし、
隠してきたわけじゃない、私が隠したよと思ってた、もう出てはいたらしいんですけど。
で、そういうところを一生懸命なんかあの、いこちになってなんか出さないようにしてた自分がいて。
今はもう本当に止まらないくらい出てくるので、隠すこともできないので諦めたんですけど隠すこと。
そうしたらなおさらもっといいふうな流れになってきて。
で、それを知ってる友人たちはもうなんかその私はそういうことだって知ってるのに私は線を引いていた。
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見せたくないとか私はなんかその弱いところを見せるのは自分じゃないってそういうところがあった。
でもそんな自分でもいいんだって今ようやく思えてきたというか。
なんかそうしたらなんかもう本当にありがとうの一言なんです。
だから私はこの気持ちになった、なんか前にも書いたことあるんだ。
諦めないで生きててよかったって思うことがすごく今あって。
だから私よりもねすごいいろんな辛い経験をされてる方もいらっしゃるし何言ってるんだってね、
そんなくらいのことでって思うかもしれないんですけど、
なんか自分の中に生きづらさっていうのはその人その人だと思うんです。
誰でもしょうでも。
でもその生きづらさっていうことを感じる人たちにですね、今辛い思いをしてる人たちにも
辛いこと、私の言葉が辛い言葉になるのかもしれないんですが、
なんか諦めないで、なんか方法が必ずあるし、
そのお金の問題については相談する必ずあるし、
誰か助けてっていうことで変わっていくこともあるだろうし、
なんかその弱さをもっと見せてですね、
諦めないで生きていくっていうところに焦点を当ててですね、
なんか生きていくことを教えてほしいなって思うんです。
そういうサポートをやっぱり私はこれからもしていきたいと思うんですね。
なんか、
ちょっと鼻水も出てきたので、ここで終わろうかと思います。
はい、今日も最後まで聞いてくださってありがとうございます。
なんか今日の話は本当にお役に立ったかどうかわかりません。
私にとってはなんか本当に自分の思ったことを聞いてくださって、
本当にありがとうございました。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
私は本当にあのお役に立ったかどうかわかりません私にとっては何か本当にあの 自分の思ったことを語らせてもらってスッキリさせてもらったという時間でした
またあのえっと お役に立てるようなことを考えてまた投稿したいと思いあの配信したいと思いますのでまた聞いて
きていただければと思います 感想とかですねありましたらあのコメント欄とかに入れていただければとても嬉しいです
はい 今日はなんか今からすごくいい天気になってきて今
太陽が ね感じてるんですけども夕日が綺麗なんじゃないかなと思いますまた夕日を見ながらですね
自分の今日一日を振り返ってみてねなんかその中のありがとうとか感謝できることとか 嬉しかったこととかそういうことを思い出していただければと思います
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はいでは今日もありがとうございましたでは失礼致します