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アートの片隅で、こじらせシアター。
この番組は、いろんな意味でこじらせてしまった表現に携わる3人が、
さまざまな問いを持ち寄り、あだこだ言いながら、
現代社会にも通じる気づきを照らし出せたらいいな、という番組です。
パーソナリティの俳優、コマツ ダイスケです。
俳優の佐藤 優希です。
劇作家のジェシカです。
この番組は、目黒にありますスポーツバースタコ屋さんで収録しております。
ということで、なんか面白いこと言って。
いやいや、でも今日であれですよ。
このスポーツバースタコ屋さんというのが、
最後の収録です、皆さん。唐突のお知らせですが。
僕たちは終わらないんですけど。
はい、私たちはどこかでまた喋り続けますけど、
今日この場所での収録が最後で。
そういうのは寂しいよね、結構ね。
寂しいですね。なんやかんや思い出が。
どれくらいやってますっけ、この番組。
だからプレイというかテストも含めると、
3月、4月くらいからやってる。
4月くらいか。
毎月。
3年くらいやってる。
そうですね。
だいぶ深いですね。
収録場所はちょっと変わるかもしれないんですけど、
我々は引き続きこじらせていこうかなと思っております。
こじらせなくなる日は来るのだろう?
無理でしょ。
こじらせないってことは我々考えなくなるってことだから。
売れてもこじらせてるんですかね、僕たちって。
もちろん。
基本的にこじらせてるんじゃない?
まっすぐシアターになるってこと?
素直シアターです。
素直シアターになる。
無理でしょ。
そんな感じの今回のお題は、
前回ちょっと分かんなかったんだけど、
結城さん、お願いしていいですか。
今回のお題は、
舞台演劇の可能性について考える。
キャッシャー。
キャッシャーでしょ、これは。
だいぶ演劇人寄りのテーマになってしまった感じがありますけど、
ぜひ見たことない方も聞いてほしいですね。
ぜひそういう方にこそ。
舞台演劇ってすごく限定的なコンテンツなのか何なのかみたいなところから、
いろいろ考えていきたいし、
誰のためにやってるのとかもある。
その誰のためにが可能性につながってきたりするのかなとかね。
いろんな方向性があるんじゃないかと思うんですよね。
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舞台演劇だけってことですか。
舞台、例えばコンサートとかダンス発表とかも除いた舞台演劇の…
そうそう、その辺がね。
舞台演劇のどこまでくくるかっていうのはすごく難しいんですけど、
ダンスとか歌とかっていうのも入れるかどうかで言うと、
ちょっと入れないかな。
歌舞伎とかは入る?
歌舞伎とかは入るかな。
だからちょっとこの話テーマを聞いて、
ちょっとかなり範囲が広いというか、
話の方向性を定めるのは難しそうだなと思って、
ちょっと考えたんですけど、
舞台演劇の可能性を考えるというテーマで、
じゃあ舞台演劇ってなんじゃって話になるじゃないですか。
今言ったみたいに。
そうすると、まずストレートプレイ。
2.5次元の含めたミュージカル。
おっしゃったように古典芸能、農家舞伎。
あとは例えば演劇という観点で言うと、
人形劇とかも入るよね、舞台でやる。
ダンスや歌は演劇とは今回切り離して考えると、
この辺りかなという感じがするんですね。
あとは朗読劇とかね、舞台でやったりするから、
この辺も含まれるかなという感じで。
可能性を考えるじゃないですか。
何の可能性を話せばいいんじゃらほいってなるんですけど。
そこもね、やっぱりいろいろこの3人だったら
何か出てくるんじゃないかなと思うんですけど、
僕はまず一つはやっぱり社会との繋がりみたいなね、
可能性とかもあるわけじゃないですか。
僕たちは単純に、僕は学校公演っていうものをやってて、
だからそういう意味でこの演劇を使って
子どもたちのコミュニケーション能力を向上させようみたいな
可能性の方ですね、やってたりするんですけど、
単純に見せる、お金を取ってお客さんに見せるっていうところの
見せ方の可能性とかも考えてみたいし、
このコンテンツ、この演劇っていうものが
広くこの社会、人にお見せするときに何になるのかっていう。
単純に存続の可能性というか、
ぶっちゃけね、社用産業というか、
ちょっと見方下がりな感じはしておるので、
その可能性について考える。
だってやってる本人たちは金ないじゃないですか。
大体の人がね。
まずそこがダメだね。
いわゆるビジネス展開としてと切り分けられるよね。
社会とのつながりが一つあって、
それはビジネス的な展開としての可能性みたいなことと、
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あと俺が考えたのは、当然表現方法の拡張。
単純にできること増えてきたよね。
みたいなことはプロジェクションマッピングなんかで、
いわゆる目に見える表現方法としては増えてきてるから、
そういう可能性が一つ。
もう一つは、舞台演劇のグローバル化。
例えば千と千尋の神隠しが、
英国でも非常に高い評価を得るみたいなことが、
割と簡単に行われてきた。
だから文化や言語の壁が越えやすくなってきている。
今度は向こうの演劇をこっちに持ってきて、
そのまま見るみたいなこと。
壁の低さみたいなことが、
可能性としてこれから融合していくのかな、
みたいなこともあって。
もう一つが、ネット、デジタルに対するアンチ程度、
アンチ程度としてのアナログ表現としての舞台演劇、
という可能性みたいなことがあるかなということで、
どこから切り取っていくか、
切り口をつけていくかみたいなことで、
第一回目は最初に結城さんがおっしゃった、
舞台演劇と社会とのつながりの可能性。
そこからいっちゃいますか。
これは結城さんが今言ったように、
教育、コミュニケーション技術の向上として、
演技指導みたいなこと。
演技指導なのか、そこに巻き込んでいくっていうか。
学校では具体的にどんな活動してるんですか。
僕が去年までやってたのだと、
僕たちが本番をしに行くわけなんですけど、
それより前にワークショップを2回ぐらいしに行って、
本番になったら出演するシーンがあるからねっていう。
その子たちにそこの演劇の台本を渡して、
どういう風にするかっていうのを、
本番の時にまたワークショップするから考えてみてねっていうのを渡してある。
他のみんなに対しても歌とかを教えたりして、
あとは実際にワークショップ行ってないけど、
例えば僕たちがシアターゲームやるじゃないですか。
シアターゲームを使って遊びながらコミュニケーションを取っていくみたいな。
だからいじめっ子といじめられっ子が仲良くなるみたいな光景があるらしくて、
そういうのをすると。
素敵素敵。
イマーシブですね、すごく。
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参加型、それはすごく社会に残りやすい形で提供できてるなってとても思うし、
これからのトレンドに入ってくるやり方をしてて、
そんな活動してたの?教えてよやりたいって感じです、今。
すごく興味がある分野でした。
教育の分野と演劇だとやっぱりコミュニケーション能力とかいうことがパッと出てくるよね。
はいはいはい。
芸術として扱われることが多いじゃないですか。
学校の期間だと。
お芝居とか、演劇が来ると演劇観賞会とかいて。
じゃなくて、自分が普通に行うコミュニケーションの一環として演技術を学ぶとか、
いうことっていうのは確かにこれから一つあるんじゃないかなっていう気はするね。
いや本当に、ただね、本読んで道徳の時間を過ごすより、
より体験してもらう人の痛みとか喜びをっていう体験になって、
すごい教育の分野ではめっちゃICOいいなって思ってます。
ただその、日本って演劇的な技術体系が体系化されてないじゃない。
はい。
劇団ごとに教え方違うとか、
そうなんです。
出すもの違うとか、表現方法違うとか。
割合ね、ゆきさんが言ってた新国立劇場の研修なんかだと、
一番まともなんじゃないかなと思うんだけど。
それこそ、新国はいろんな劇団の先生方が来るんで、
どっちかっていうと、もしかしたら散らかってる方かもしれないですね。逆に。
でも、国立だからこそできることしてますね。いいな。
だから、コミュニケーションの根本って別に、大きい声が出せるとか、
滑舌よく話せるって俺が言うなんて話なんだけど、
そういうことだけじゃないじゃない。
自分の気持ちをきちんと整理したり、
思ってたことってこういうことなんだみたいな、内省とか。
そういうことなんだけど、わりと日本の教育的な感覚で言うと、
芸術によっちゃってて、あんまり技術とかコミュニケーション能力みたいな感じで使われることってあんまりないよね。
なるほど。
それを演劇的な、ゲームミュニケーション。
ゲームでやることはあって、例えばロールプレイングみたいなことはすると思うんだけど、職場で。
それ以外はあんまり使われないなーと思ってて。
どういうことをね、文学座とか、文学座の西川さんとか、
もうなんかね、岐阜県の加護市ってところだったかな。
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名前間違ってたらすみません。
岐阜県の方すみません。
すみません。
市区町村、自治体と一緒に協力して、高校以降、
蟹、蟹市だ、ごめんなさい。蟹市です。
蟹市でした。すみません。
そう。
失礼いたしました。
失礼いたしました。
はい、蟹市。
そこの、演劇を使ってその、なんかコミュニケーション。
あれ、演劇を使ってって言い方があんまり、もしかしたらよくないのかもしれない。
演劇の、じゃあ演技の技術を渡してとかっていうよりは、やっぱりね、たぶん、
僕たちが演技を作る、演劇を作るために用いてる道具を渡してるんだと思うんだよね。
なんか平田さん、平田織司さんが、演劇の教育現場で行われる演劇指導と、
そのプロの演劇指導をちょっと分けてて、その時に、
演劇的な手法を用いる教育って名付けてたと思います。
それは、まあ、完全に違うもんね。
そう、だからそういうところで、もう何て言うんだろう。
演劇学んで良かった部分とかね、その辺やって。
だってお芝居はあれだけど、別に学芸界が好きなわけじゃないからなぁと思って。
つまりなんかその、自己表現するためのツールにしてもらうってことだから。
そうですね、本当に。
私ね、ここが最近確かに悩みで、見せるための演劇と、
自分たちの演者のためにやってる演劇の指導が2種類あるじゃないですか。
見せるための演劇の方と今お芝居を作ってるんですけど、
私結構自分のためにというか、演者のために作るお芝居のワークショップとかもよくやっていて、
そこの境界線が割と、よりお客さんに見せるってなると厳しくならないといけないというか、
自分たちが楽しいだけではなくてもう一個先に行かないといけないっていうところの意識の差が。
目的が違うもんね。
そうなんですよ。
例えば、感情表現とか感情解放が目的ですみたいな場合は、
それが目的だから別にお芝居がどうたらこうたらみたいなことは、
見てる側にとってどうでもいい状態だけど、
お金取ってみたいなことになってくると話が変わってくるんで、
求められたことを提供できないとそれはプロの技術としておかしくなっちゃうっていうことなので、
そこは何が目的かっていうのはきっちり分けないといけないですよね。
ここがやっぱプロとアマの完全なる差。
そこのプロとアマっていうところもさ、
今週だけに留まらせずあれにするけど、
やっぱプロとアマってどこで線引かれるのはこの日本には絶対にあるよねっていうのを落としておいて、
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教育以外の社会とのつながりこれ話しておいていいですか?
一週目だからもうそろそろかなと思うんで。
他に何あります?社会と。
例えばシニア劇団。
二永さんがお作りになった埼玉のゴールドの劇団。
ちょっとコロナのあれでなくなっちゃったんだけど。
っていうものと、例えば後は逆に子どもミュージカルですよね。
あとはね、障害のある方でも行えるみたいな。
障害のある方でも表現の立場に立てるみたいなこととか、
あと俺の友人が認知症の講演で演劇的なものを取り入れるっていう。
この言葉だけじゃなくて認知症に対応するみたいなこと。
講師として演劇的なものを使ってたりするので、
その演劇的な技法とか演劇を通じて社会参加するみたいなことは、
多分一定のニーズがあるんだと思うんですよね。
めちゃくちゃあるし、万能ですね演劇。
すごい老若男女、どこへでも効果的面。
そういう部類だと祭りみたいなことなのかな。
近いと思うよ。
確かに。
舞踊とかの辺の、あれと同じなんだと思う。
圧倒的に演劇って、特に集団でやるとなると、圧倒的に時間のコストがかかる。
みんなで集まって、何回も稽古して、何時間も稽古してみたいなことが必要になってくるじゃないですか。
作品を作り上げる上で。
これが例えば一人でダンスをやるとこだと自習練で終われるから、
歌だってそうですよね。
リハーサルを1日やってだいたい終わるじゃないですか。
そういうのは別に圧倒的にコストがかかるので、
それが壁なんだろうなと思ってる。
時間がかかるってことはお金もかかるってことだから、
それが壁ですよねと思ってはいるんですよね。
例えばお笑いだと圧倒的に低いじゃない、そのコストが。
漫才をやるとかコントをやるとかだと。
そうなんですか。
人数が少なくてすごいじゃない。
なるほど。
こういうシニア劇団とか10人とか20人で毎週末集まってみたいなことで、
一人でもかけると投資ができないみたいなことになるじゃない、基本的には。
そうですね。
そういう拘束時間がすごく長くなっちゃうじゃない。
本当に作ろうと思うと。
そういうのがちょっと壁ではあるかなという気がする。
そういうのだければ、
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その参加というか表現の方法としては非常に広いっていう感じがするな。
あと多分企業の人たちのね。
研修ありますね、企業研修とか。
あります。
私看護師時代に、
演劇とまでは名付けてはないけど、そのロールプレイはとってもやって、
今思えばあれめちゃくちゃ演劇だったなって思って。
嫌なお客さんの役がめちゃくちゃ上手いやつとかね。
そうそうそうそう。
すごい盛り上がるし、新人研修とかでやると仲良くなるし、
上の上司とかとのコミュニケーションの場にもなるから、
すごい良い時間だったし、
ああいう感じで社会には実は結構浸透してるかもしれない。
演劇的なものは。
だからここからどこにさらに僕たちは広げられるのかっていうのをね。
基本的にはそのマグジとしてはあると思うんです。
自治体とかの市民演劇グループみたいなことは必ずあって、
趣味で演劇的な表現に参加することはすごく可能だし、
ハードルは低くなってるんだけど、
それが直接的に社会にこういう影響がありますって言いづらいっていうのが、
難しいところなんだろうなと思って。
そうですね、今劇場とかが一生懸命、10年くらいかけてデータを取ってて、
それもね、やっぱりちゃんと地方自治体が運営してる劇場だから、
ちゃんと足がついて調査できてるけれども、
市劇団とかがやろうとしたら本当にとこもない。
例えば同じような自治体の活動で、絵を描くグループがありますってなって、
地元の方が20何人とか20人とか30人参加してます。
じゃあ半年に1回発表しましょうって言って、
その自治体の何とかセンターで絵が出ます。
そこだとなんか文化的なことをしてる感じするじゃん。
そうですね。
いい絵だなとか素敵な催しだなって思うんだけど、
演劇だとなかなかそういうのって、
しづらい。
これを一つ作品作りました、半年で1回公演打ちました、
で、みたいなことになりやすいよね。
そうなんですよね。
そのモチーフがコメディとかだと、
やってる人が面白いだけじゃんみたいになっちゃって、
そういうことじゃないんだけどなぁみたいな。
やっぱり民間以外の国もやっぱりコスパ求めますから。
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そうそうそうそう。
圧倒的に、何回も言うけどコストかかる表現なので、
そこのリスクを自治体とかは取らないし、
分かりづらいよね。
ドラマとかテレビドラマで見ると、
いい映画とかって結局面白いとか、
感動したとかそういうのが一般的な価値観で判断されることが多いから、
そうじゃないと、なかなか伝わりづらい表現方法ではあるんだろうなと。
しかも生物だから拡散しづらい。
そうそうそうそう。
これが例えば子供ミュージカル劇団とかだとすごく分かりやすく、
いい感じがするじゃん。
とってもよく歌えましたみたいな。
発表会で大きな声で歌えました。
なんか今全然関係ないですけど、
もしかしたらフラッシュモブとかも演劇的要素なのかもしれない。
あれは演劇っぽいね、生物で一回きりの。
拡散力は動画撮ったりしてあるけど、
インパクトとか尺とか短いから。
この可能性を考えるっていう上で、
考えたいのは演劇そのものを使うんじゃなくて、
演劇の中の要素で社会に使える部分は何なのかっていうところ。
なるほどね。
個人的に先ほど大輔さんが一例としておっしゃってた中にあった、
デジタル社会へのアンチテーゼとしてのアナログ的な芸術っていうのが
めっちゃ面白いと思って。
確かにアンチ生まれてくるというか、ちらほらいるけど、
そろそろ矢になってくるんじゃないと思ってるんですよ。
そのムーブあるよね、多分。
その時のアンチテーゼとして、
矢が立つのが演劇っていうのはめっちゃ面白いし、熱い展開。
これを次回の話にしますね。
やったー。
第1回目はこんな感じですかね。
はい。ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとう。