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はい、どうも移住家族のコバヤシ家です。この番組は、東京で暮らしていた私たち家族が淡路島に移住している家庭や、島暮らし、田舎でフリーランスとして生きていく様子をお送りする、現在進行形などの田舎移住ドキュメンタリーラジオです。
今日のトークテーマは、先日同年代で淡路島に移住してきたフリーランスの子と知り合いづけに出会う機会があって、その子がすごく面白いというか、破天荒な移住の仕方をしていたので、
そこから私が感じたというか、そんなやり方もありなのかというような内容をお伝えしたいなと思います。
トークテーマとしては、面白い人が集まる淡路島。ユーは何しに淡路島へというような内容でお送りをしていきたいと思います。
私も淡路島に来てから、すごいたくさん人づけに紹介をしていただいたりとか、こうやって友達が教えてくれたりとかで、結構人に出会うことがすごく多くなったんですけども、
やっぱり淡路島に来てからいろんな人に会ったんですけど、こっちの人っていろんな人がいてめちゃくちゃ面白いなと思いました。
もちろん結構ほとんどが移住者の方で、こんなに巷に移住者の人って溢れてるんだなっていうところを感じましたね。多分移住してる人が多くて。
移住してきている人は、なんとなくですけど、私も多分方から見たらそういう人になっているかもしれないですけど、そんな理由があるんだねみたいな、背景がすごい足したようで、やってることも足したようですっていう人が多かったんですよね。
最近知り合った、私26歳って言ってたかな、26歳くらいで今フリーランス、新卒でフリーランス2年目みたいな形で、私は今会社員経験7年して、脱サラしてフリーランスとして業務委託、協力会の仕事を受けながらやってるっていう感じなので、フリーランスで言ったら先輩なんですけど、
そこの感じもすごくこれから話を聞きながら勉強したいなと思ってるんだけど、その子の移住秘話みたいなのがすごい転向だなと思って今日紹介したいなと思います。
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その子は関東圏出身でした。神奈川出身ですぐ東京に引っ越して、東京の大学、学校とか大学、高校までは高校で、大学までかな、学部までは東京だったみたいで、
その後大学院に進んだのが大阪の大学に進んだみたいなんですけど、そこで院を卒業する手前だったかな、そこまですごく勉強頑張っていて、論文もいいものが書けそうだという状況だったんだけれども、
成功して事業を考えていたみたいですね。事業を考えていて、ただもう事業に走り出したいという思いが強くなったみたいで、結局院を中退をして事業にフリーをしたっていう。
仕事をする時に東京でトライするよりも地方で、何で淡路島だったか忘れちゃったんですけど、淡路島に移住をしてトライをしようと思ったようです。
私もここはすごく共感をして、南東でやるよりも田舎ですね、淡路島も島なんで、田舎って言われるようなエリアになると思うんですけど、そっちで挑戦したいなという思い、これは私もすごく同感で、東京でやるより田舎でやりたいよねみたいな話を共感しました。
ただ彼も金もないし骨もなくて、仕事もなしの状態で移住をしたって言っていて、それすごいなと思ったんですけど、
ただやっぱり彼自身も言ってたんですけど、事業の実としては甘くて失敗したって言ってました。多分太中がなくなったって言っていて、当時はすごく甘かったし、今考えればよくそれでいったなみたいな感じで言ってたんですけど、
渋滞して事業計画とかいろいろ立てたんですけど、やっぱり1年くらいで移動しが甘くて失敗した状態になりました。
その後どうするかというと、お金がないので働く場所を見つけないといけないんだけれども、住む場所が見つからなかったらしくて、不動産行っても貸してくれないんですよ、家を。
どうするかなって感じになった時に、住み込みのバイトみたいなのをすごい探したって言ってました。何でもやったって言ってましたね。
彼は住み込み、家賃が払えないんで体でなんとかしますみたいな、労働をしますとか、そういう形で貸主さんと交渉をして、何とか住む場所をゲットしたって言ってました。
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それ自体がすごいバイタリティなんですけどね。なかなか真似できるものじゃないと思うし、トイレ掃除とかしながら他の部屋の管理人をしつつ政権を立てていたって言ってましたね。
ただ、移住してしばらくして自転車で大きな事故をしてしまって、前日1ヶ月半くらいの大怪我、足がえぐれたって言ってましたけど、そうなった時に肉体労働ができないなってなったらしいですよね。
働けない、金がない、どうしようみたいな感じで、本当にその時に死ぬかもしれないみたいな気になってたような。
ニッチもサッチも行かなくなってしまったって言ってたんですよね。
でもお金はかさがないといけないから、どうしようかってなった時に自分にできることは何かって考えた時に、やっぱウェブサイトをネタに比喩を稼ぐっていうことをし始めたみたいです。
自分ができることを考えて、肉体労働できないんですけどウェブサイトを直したりとか考えたりとかっていうところを昔吉さんとかをはじめそういう方で仕事を紡いでいったっていう風に言ってました。
当時はね、これは面白かったんだけど、当時金がなかったからお米に揚げ玉をかけて売ってたって言ってました。
それなんでって聞いたら、時間もないしお金もないから効率よくカロリーを摂取するためにはお米に揚げ玉をかけるのが一番良かったって言っていて、
いやーめっちゃそれってめちゃくちゃ追い込まれてるなって思って、すごいハングリー精神を感じたんですよね。
私、そこまで頑張れてるかって言うと、ヌルマユに使ってるなーっていうところがあって、そこまでね。
本人はお尻を叩かれないと頑張れないって言っていて、これは人によると思うんだけれども、そういう極限状態ですよね。
金ないし家もなくて、怪我して働けなくて、でも生きていかなければならないって言った時に、いろいろやることを考えつつ、
でもお金がないからお米に揚げ玉をかけて食ってるって、いやー想像を絶するなーって思ったんですよね。
その子もその状態を肌から見た時には怪我して働けないし食品を出せない状態で、死ぬかもしれないって感じたみたいなんですよね。
よく何かことを成す時には死ぬ気になってやるって言ったんですけど、その経験ができたって言っていて、
ただ死ぬ気になってやるっていうよりも、死にそうだったっていう状態の方がしっくりくるって言っていて、
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死ぬ気になるって多分難しいと思うんですよね。自分で死ぬ気になるって難しいじゃないですか。
多分どっかで甘えが出るし、何か起業をしたりとか事業を成功させたいって思った時には環境を変えるって言ってたんですけど、
やっぱり死にそうな状態を彼は作ってそれで奮い立たせて頑張るって言っていたので、
全員がそういうことをやった方がいいかっていうと全然違うとは言ってたんですけど、
私自身はすごく精神みたいなのを見習わないといけないなって思っていて、
今事業みたいなのをいろいろ計画しているところではあるんですけども、やっぱり甘えてんだというふうに彼を見てたら思いました。
何かまだまだやれることがたくさんあるし、それこそ寝る場が欲しいんでやらなければならない。
パワーをかけてやらなければならない場面もあるだろうから、やっぱり頑張らないといけないなと思いましたね。
死ぬ気でやるというよりも死にそうだったという言葉はすごく印象深かったです。
若さもあったっていうのもあるかもしれないんだけどね。
私とまた状況が違ったり家族がいたりすると、なかなかそういう踏み切れないっていう人も多いでしょうし、
彼自身も家族がいたら全然そんなことは考えられなかったって言っていたので、
これはまた私は私なりに何か頑張り方っていうのがあるのかなと思って、
そこは考えていきたいなと思いますが、
いかんせん青島っていろんなバックボーンの方がいるので、
移住者が多いってこと自体、青島に移住したい方については比較的ポジティブな、
いろんなライフスタイルが歩んでいる人がいるので、
そういう人たちに会って話したりとか、
そういう自分らしい働き方みたいなのとか生き方みたいなのが、
いろいろケーススタディみたいなのが転がっているような島なので、
それはすごく面白いかなと思いますね。
仕事も多様で働き方も多様なので、
そういう人と出会えるチャンスが多いのは、
青島としてはすごい良い文化というか、世界なのかなというふうに感じました。
今日は青島でいろんな人がいるよっていう話をご紹介までに、
お話をさせていただきましたね。
青島に興味がない人は、そんなに有益なものではなかったかと思うんですけれども、
青島に興味がある方については、何か有益なものになれば幸いです。
また次回の収録でお会いしましょう。バイバイ。