聞くことの重要性
喪失感は突然に、第41回目の配信です。今回は、話を聞く、訊く、聴くをしてもらえたときに、です。
発音すると、全部聞くだから、なんか意味わかんないけど、英語だと、
ask、hear、listen かな。そう思うと、日本語ってすごい勉強するの大変ですよね。
これも、私も、なんかきちんと理解してきたかなと思うと危ういんだけど、最近やっと、
心底分かったみたいな、本当分かったのかな、思うときもあって、以前、
ちょっと少し話したことあるかもしれないんですけども、遠畑海人さんという心理師の方が
書いた、聞く技術、聞いてもらう技術、これを読んでね、結構さらに深まったっていう感じで、今日はもうすぐにちょっと本題に入ろうかなと思うんですけども、
この3つの聞くというのが、人の話を聞くとか、聞いてもらうとかに、すごい重要だなと思ってて、
例えば自分が、この人本当に聞いてもらえてないなとか、本当に話聞いてくれないなと思うとき、多分どれかが大幅に欠けているとか、
多分ちょっと欠けてるぐらいだと、他の聞くで補ってもらえて大丈夫な感じがするんですけど、
より良いバランスで、この聞くができると、できているときに、普通の会話もそうだと思うんですよ。
ちょっと前に自分の話をすると、これ別に相談とかじゃなくて、会社の人で、よくご飯を食べに行く間柄ではあったんですけども、
帰りに、同じ方向で帰ると、何線で帰るの?って必ず聞かれるんですよ。
毎回答えてるんですよ。おそらく10回以上答えてるんです。何線です?って、あ、そうなんだって終わるんですけど、また聞かれたと思いながら帰るわけですけども、
私はお酒飲まなくて、相手は結構お酒が好きで、飲んでるから、覚えてないんだろうなと思って。
これまさに聞く、文構えの聞くと、語弁の尋ねるの聞くが破綻してるんですね。
だって私は何度も答えてるわけですよ。向こうは聞いてきたわけですよ。何線で帰るの?って。何線ですよ?って。
まずまず尋ねること自体も間違ってる。何度も聞いてるから。私は何線ですよっていう風に言っている。文構えの聞く。耳に入ってくる言葉は聞けてない。
ということで、もう話がね、破綻しているわけです。ただ、帰り際のね、たかが1分も経たない時間ですから、毎回答えてまたかと思いながら、すぐに忘れるんですけども、
でも、そのことで、やはりその人との話は、一向に深い話はせず。というかね、私がもうこの人に大切な話は絶対しないって思ったんですよ。どうせ忘れちゃうし。こんなくだらないね、くだらない話でも忘れてしまうわけだから、大切な話をしたところで覚えてるわけない。
というので、飲んでなくても。というので、全然関係性は深くならなかった。というところで、なんでこう、話を聞くって、よく軽調っていう言葉が出てくると思うんですよ。耳を傾けて聞くって。
文構えの聞く
ただ、それじゃ成り立たないって思ってて、その戸畑さんの本がすごく面白かったのは、まずその文構えの聞くっていうのはすごく大事で、それができないんじゃないかっていうお話から始まるんですよ。
言ったことをそのまま受け止めてもらえない。要は、逆にこれを言うってことは、他に心の中にもっと違うことを思ってるんじゃないかっていう推測みたいなのが先に出てしまうとか、解釈されてしまうとか。なので、言ったことをそのまま受け止めてもらえない。
なので、まず文構えの聞くをやるべきじゃんじゃないかっていう話をしてて、それほんとそうだなと思って、何度も何度も、さっきの例じゃないけども、ちょっとさっきの例は極端だけども、何せんで帰るって言ってるのにそれを覚えてもらえないと。
何度も同じことを言ってても、違う解釈をされてしまうと、違うことが返ってくる。そうじゃない、こうだよって言ってても、なんかそれがわかってもらえない。なると、それはその向こうとしては聞いてるっていうふうに思ってるかもしれない。聞き方がおそらく違う世界の人というか。
そうなってくると、日常会話だとしたらまあそれはそれで流せることもあると思うんですけども、自分はこう辛かった話とか、辛かったつらい話とか、なんかこうもやもやしたことを聞いてもらうってなった時に、多分そこの線はずれてくるのではないかなと思って。
だからこう前提条件というか、聞いてもん構えの聞くっていうことのその日常から、この人ちゃんと私の話を裏表なく聞いてくれてるなとか、例えば向こうが何かの解釈をした時に、これはこういうことって聞き返してくれる人も多分いると思うんですよ、わからなければ。
それが尋ねるの聞くだと思うんですね。何か言いました、これはこういうこと?って尋ねてもらって、それはそうだよって言って、そこでお互いの前提条件が決まるというか、お互い共通項として認識できて、話が進んでいく。
私もすごい自分がバーって喋ってしまう相手がいるんですけども、それは日常会話であっても、気持ちよく話せるってことは相手が聞いてくれてるっていうことでしかあり得ないから。
なので話します。それで向こうが帰ってきます。それでそれ以降に何か相違がなかったとしてまた会話が続くわけで、そこで例えば違うことが返ってきたときに、いやそうじゃないよ、これはこうだよっていうふうに話したときにまた違うことが返ってきてっていうふうに軌道修正しながら多分会話って進んでいくと思うんですよ。
そういった関係性ができるまでって、人によったらすごく早くできる相手もいれば、できない相手もいるだろうし。
そういった関係性というか、出来上がって会話して聞くっていうことが実はその傾聴の効くでもあるんじゃないかなというふうに、いろいろ話をして、訪ねられて話を聞いてっていう中で、じりと聞いてくれてるから訪ねられるっていうこともあるし。
だからこう3つのバランスで人は会話をしているんじゃないかな。だからその、傾聴するぞとかいうことではなくて、自然に傾聴になっているというふうに私は思ったりします。
ちょっと以前あるところで指導する人が、よく話聞けてますねみたいなこと言ってた時があって、え、どこがこれ今の話聞けてたんだろうって思ったやつがあったんですよ。
たしかに質問はすごいしてて、答えて、無理だって言ってんのにまた質問を重ねてて、さっきそれ無理だって言ったじゃんみたいな。それって自分がカウンセラー役とかそういうのであれば、やっちゃいがちなものなんだけど、聞いてると客観的に話聞くから、
いやいや、さっき同じこと言ったよみたいな、わかるんですけど。でも指導する人がそうやって言ってて、でその時にえーって思ったんだけど、でもその人はこの3つの聞くのどのことを言ってたんだろうって思うと、
それを尋ねるのを聞くだとしたら、まあよく聞けてたよねって言えば、変だけどなるのかなとか思って。だからこうちゃんと話を聞くって言うのって、本当集中して話を聞かないと相手が言ったことをやっぱりきちんと覚えてなきゃいけないし、
何せんで帰るのじゃないけど、言った話を覚えておかなきゃいけないには本当集中して聞く必要があると思うんですよ。だからこう、なんか話を聞いてもらうとか、人の話を聞くっていうのって、本当こう独りよがりになってると相手にそれが伝わってしまう。
先日、米津健一さんと宇多田ヒカルさん、ヒッキーが2人で対談をしているのが配信されて見てたんですけど、なんかこう2人ともね、すごいいい感じの雰囲気で喋っていて、米津さんもいいんだけど、ヒッキーのね、聞く力が本当すごいなっていう風に思ったんですよね。
対談に見る聞く力
自分の受け取ってそれを返す言葉だったりとかっていうのも、だからこう、なんか米津さんがすごい生き生きと話をしてたりとかもしてて、なんかこれが継続力なんじゃないかなっていうぐらい、なんか結構感動した対談だったんですよ。
なんかその質問も、もちろんヒッキーの興味からもあるだろうけども、そうではなくて、米津さんが自分ののぶとい声が好きじゃないみたいな話の時なんですけど、最後ね、いろいろ話してて、ああよかったっていう風な言葉がポロッと出るんですけど、それも自分の興味で聞いたっていうよりも、
なんか好きじゃないって米津さんが言ってて、でも愛宅が湧いてきたっていう風に話した時に、ああよかったっていうような、本当心の底から出た言葉だと思うんですよ。それもやはりそのぶとい声が嫌いっていう気持ち自体に焦点が当たっていて、
ヒッキーは大切なものだからこそ、そういう感情になってしまうみたいなことを言ったら、うんうんっていう風に米津さんがすぐうなずいたりとかしていて、なんかこうね、2人が分かり合ってる感じの雰囲気がこちらにもすぐ伝わってくるから、なんかね、見ててとても気持ちが良い対談で。
だからこの、なんだろう、分かり合えないじゃないですか人って。全然違う別人だし、同じ気持ちになること、すべて同じなんてありえないから。だからこう、分かり合えないから、こう分かり合おうとするところだったりとか、相手のことを想像するとか、
なんかそういった時間っていうのが、人がなんかこう少し癒されていくものだったりとか、あと私が大好きな早々のフリーレンでもよく言うセリフなんだけども、分かろうとしてくれたことが嬉しいっていうセリフがよく出てくるんですけど、
なんかこう分かんなくても、分かろうとしてくれる姿勢を見るだけで、この人は私のことを考えてくれてるんだなっていうので、やはりこう距離が近くなるとか、安心するとか、またこのうちに話してもいいかなって思える。
話を聞くときの、この3つの聞くで、独りよがりにならない、自分の興味だけで何かを尋ねないとか、なんかちょっと余談ですけど、私一度だけ世知と兄が亡くなった話をしたときに、
なんで亡くなったのは、よく出る話だと思うんですけど、どうやって亡くなったのって聞かれたことがあって、どうやって、手段みたいな、なんかちょっとびっくりしちゃって、普通に答えてしまったんだけども、後にも先にも1回だけ聞かれたことがあって、やっぱりそれは私は今でも覚えているんですよ。
だって、それって自分の興味で聞いたんでしょっていう、なんか私にその手段を言わせることに対して、私がどう感じるかとか、どう思うかとか、何にも無配慮ということだし、
まあでもそれはちょっとね、話す相手が私が間違えたなというのをやっぱり思った限りなんですよね。その、さっきから話をしている話を聞く、聞く、聞くの3つに対して、それまでその人どうだったのかっていうところを私はきちんと考えてなかったなーって思って、
そういえば、そうでもなかったっていうのを後から思ったりして、ただちょっとあの時つらかったから、なんか目の前にいる人に喋りすぎてしまったこともちょっとあったので、完全にそれ私が間違えてしまったということなので。
もしこう自分の悩みとか、ぼやむやしたこととかを聞いてもらいたいなーっていう時に、まずは身近な人に話すことが一番身近だと思うんですけども、その時に今までの話を少し振り返り、この話を聞くの3つの聞くがどんな感じだったのかなーっていうのを思い出すと、もしかしたらちょっと自分の防衛になるとか、
もし完全にちょっと怖い、人に話すのが怖いって思ったら、やはり専門家のところに行く、カウンセリングに行くでもいいし、カウンセリング急に行くって結構ハードルが高かったりとかもするので、無料の相談のとこに電話するとか、チャットするとか、
っていうので、まずやってみて、話してみて、そうすると、全然こう、友達でもなくて、全然関係性のない人が、まっさらな状態で自分の話を聞いてくれるので、もちろんちょっと相性とかもあるから、すべてにおいてこう、なんか良かったとも言えるわけではないんですけども、
なんかこう、すごい自分、困りごととか、悩みとかに焦点当てて聞いてもらえると、自分の中でこう、どんどん話す内容も出てきたりとかもしますし、
どれだけ日常会話が、ほんといろんな会話の焦点が、ほんとはここAだったのに、急にB、C、D、Eとか言って全然違う話に行ってしまって、あれ私A話したかったのにな、みたいなことにならずに、
Aのまま、A'かもしれないけども、話したりとか、もしかしたら向こうから尋ねられたことで、違うことを話す自分が出てきたりとか、することで、ちょっとでもなんかこう、突破口じゃないですけど、違う新たな視点が、話すことは新たな視点を得ることでもあるし、
あとこのね、私が思うに、話せないっていう時間を共有してくれる誰かっていうのも、なんかすごく安心できる、こう苦しい言葉が出なくてつらいなっているときに、
まあ実際横に誰かいてくれれば、それはそれですごくいいけど、電話越しであったとしても、待っててくれる相手がいるっていうか、ずっとなんかこう、つらくうずくまっていて、それを電話の向こう側ではあるかもしれないけど待っててくれる人がいるっていうのは、
もしかしたら一人でうずくまっているよりも、違う感覚になる可能性もあるので、なんかこう、いろんなやり方でこう繋がるということを試すのも悪くはないのかなと思ったりします。
悩みを話す方法
今日はこのあたりで終わりにしようと思います。
実は前回から12日も終えてしまって、本当は1週間に1回のつもりなんですけど、
まあちょっとね、録音したやつがあんまデータがおかしくなっちゃったりとかして、別にその、このポッドキャスト別にいつ聞くとか、皆さんそれぞれタイミングバラバラだと思うから特に気にされてないと思うんですけど、
私としては週に1回の更新をしたいと思っているので、この41回目が終わったら42回目はなるべく早く収録して公開したいと思っています。
決意表明聞いていただきありがとうございます。
では今日はこのあたりで終わりにしたいと思います。
またねー。