1. 雨宿りとWEBの小噺.fm
  2. Season -No.212 朝活「続々・T..
2023-04-14 24:30

Season -No.212 朝活「続々・THE TYRANNY of STRUCTURELESSNESS」をダラダラ読む回

はい.第212回は


THE TYRANNY of STRUCTURELESSNESS

https://www.jofreeman.com/joreen/tyranny.htm


を読みました💁

ついに読了しましたが本当に難しかった…しかし,その分の学びも大きかったので大感謝です!みなさんもぜひご一読ください.


ではでは(=゚ω゚)ノ

  • TYRANNY
  • STRUCTURES
  • group
  • value-free
  • laissez faire
  • ELITISM
  • Elitist
  • the women's liberation movement
  • organization

See Privacy Policy at https://art19.com/privacy and California Privacy Notice at https://art19.com/privacy#do-not-sell-my-info.

00:06
はい、1月5日、日曜日ですね。遅刻が昨日19分になってしまいました。
ごめんなさい、盛大にレフをしたのと、ちょっと他の作業をしてて、思いっきり時間が過ぎておりまして、今から始めていきたいと思います。
はい、おはようございます。ユメミのケース家族の原です。
ではでは、本日も朝活を始めていきたいと思います。
本日もですけどね、タイトルにあります、THE TRANNY OF STRUCTURELESSNESSという記事ですね、の続きをちょっと読んでいこうと思います。
おそらくですね、今日でさすがにこの記事読み終わると思います。
はい、実に3日に分けて今読んでますけど、とてもテキストが長いのと、やっぱり女性解放運動をベースにした組織論の話なので、ちょっと難しいんですよね、そもそもね、内容自体が。
というところで、まあまあ長く続いてきたんですけど、やっていきたいと思います。
えっとですね、自分の不手際なんですけど、昨日、前回どこまで読んだかというと正直覚えてないので、ざっくり今翻訳をしてるんですけど、もしかしたら前回と被っているかもしれないです。
その時はちょっとご了承いただければと思います。
はいはい、ではでは早速やっていきたいと思いますが、ではでは本文入っていきたいと思います。
ちょっと内容が言った通り深いというか、濃いものになってくるので、前回前々回のお話とかを知らないといきなりこれ何の話やねんっていう、ちょっとハイコンテキストな続きになってしまいますけど、
ちょっとご了承いただければ幸いです。
では読んでいきましょう。
意識改革の終焉というものがありまして、これは人々に行き場を与えず、構造の欠如というのはそこに到達する方法を失わせてしまいますと。
女性たちの運動というのは、自分たちや姉妹にほこ先を向けるか、他の行動の選択肢を求めるかがどちらかになってしまいますと。
利用できるものはほとんどないですと。
ただ自分のことは自分でやるという女性ももちろんいらっしゃいます。
これはその個人の創造性を大いに発揮させることができて、その多くは運動にとって有用ではあるんですが、ほとんどの女性にとって実行可能な選択肢はもちろんないし、
集団の協力的な努力の精神を育むものでもないことは確かでありますと。
また個人的なプロジェクトを立ち上げる気もなく、興味のあるグループプロジェクトを発見したり参加したり立ち上げたりする方法が見つからないために、完全に運動から遠ざかってしまう女性もいますと。
またこういう女性の方が現実界だなとちょっと思いますかね。
なかなか同志でそういう強いこの解放運動とか民主運動を引っ張っていくとか、自分個人のやるわっていう女性は少ないんじゃないかなと思ったりしますね。
多くの女性はその女性運動では得られなかった体系的で効果的な活動というものを他の政治団体にも求めるようになりますと。
女性の解放を、女性が時間を割くべき多くの問題の一つに過ぎないと考えている政治男性は、この運動が新しいメンバーの広大な募集の場であることに気づきますと。
そのような組織が潜入する必要はない。ただし潜入することが妨げられるわけでもないと。
女性解放運動の一員となったことで、女性の中に生まれた有意義な政治活動への欲求というのは、運動そのものが彼女たちに新しいアイディアやエネルギーの出口を提供していない場合、他の組織への参加を熱望させるのには十分でありますと。
03:06
女性解放運動に参加しながら、他の政治組織に参加する女性たち、あるいは他の政治組織に参加しながら女性解放に参加する女性たちっていうのは、今度は新しいインフォーマルな構造の仕組みとか枠組みを作ることになりますと。
これらの友情ネットワークっていうのは、先に述べたような特徴ではなく、彼女たちの共通の非フェミニスト政治に基づいていますが、ほとんど同じように機能していますと。
彼女たちは共通の価値観、思想、政治的思考を共有しているため、彼女たちはまた非公式で無計画で、無選別で無責任なエリートになってしまいますと。
なるほどね。彼女たちがそう意図しているかどうかに関わらず、結果、自分たちもそういうエリート集団っていうのを形成してしまうということですね。
しかも無計画で無選別ですからね。そもそも意図していないにも関わらず、作られているというケースがほとんどなんじゃないかなと思ったりしますね。
でなると、そういうエリート集団に対するアンチテーゼとか、いろんな考えがあって自分たち独立したものが、他のところで自分たちも同じことをやるというので、やっぱり歴史とは歴史を繰り返すということですね、これ多分。
なるほどな。まあ皮肉ではあるけど。一方でエリート集団がいるからこそ、進む集団というのももちろん団体もあったりするので、一概にエリート集団イコールはあるというわけではないんですけど、
この人の記事の文脈的に言うとエリート集団はあんまりいいように捉えられないというふうに僕は感じましたね。
ちょっと続けていきましょうか。
こうした新しいインフォーマルエリートというのは、これまで様々な運動グループの中で培われてきた古いインフォーマルエリートから脅威として認識されがちですと。
それはそうだよね。既得そうな規定がありますからね。
これは正しい認識であります。このような政治思考のネットワークというのは、旧来のものの多くがそうであったように、単なる同好会であることを望むことはほとんどなく、
フェミニズムの思想だけではなく政治的な思想も普及したがりますと。
これは当然のことではあるんですけど、女性の解放に対するその意味合いというのはこれまで十分に議論されていませんでした。
従来のエリートたちはこのような意見の違いを表に出すことは、集団の非公式な構造の本質を露呈することになるのでほとんど気が進みませんと。
そういうのを理解しているからこそエリート集団と言われたり名乗れるかもしれないですね。
でもそういう構造、無構造、構造が少ないところというのは、そういう悪しき風習とか課題というのを持っていて、それを露出してしまうことになるので、そりゃそうだよねって感じですね。
では続いて、こうしたインフォーマルのエリートの多くは、反エリート主義や無構造化という旗印のもとに身を隠してきました。
別のインフォーマルな構造からの競争に効果的に対抗するためには、彼らは公にならなければならないんですけど、この可能性は多くの危険な意味をはらんでいます。
したがって、自らの権力を維持するためには、いわゆる赤狩りとか改革剥がりみたいな、レズビアン狩り、ストレート狩りなどいろんな手法がありますけど、
などの手法で他のインフォーマル構造のメンバーを排除することを合理化することが良いとなります。
06:01
まあね、自分たちの権力を維持するため、いわゆる守るためという大義名分ができちゃうので、
割と良くない手法ですね、赤狩りとか改革剥がりって。強制的な話ですからね。
というようなやり方を正当化する理由が合理化することがすごく簡単になるとしたらそうだなと思いました。
他の唯一の選択肢は、もともとの権力構造を精度化するような方法で、
これをグループを正式に構成することであります。これが無難というか落としどころですよね。
これは常に可能というわけでもちろんありません。インフォーマルなエリートがうまく構造化され、
過去にそれなりの権力を行使してきたのであれば、そのような作業は維持可能であります。
このようなグループは過去にある程度政治的に有効であったという歴史があり、
インフォーマルな構造の緊密さがエフォーマルな構造の十分な代用品であるということが証明されているからになります。
しかし、権力構造が精度化されたことで、正式な挑戦ができるようになったのになります。
構造を最も必要としているグループほど、それを作り出す能力がないことが多い。
ないものねだりをしているということです。つまり、必要とするというのは。
彼らのインフォーマルな構造はあまりうまく形成されておらず、構造化されていないという
イデオロギーに固執することで戦術を変えることを消極的になっている。
そういうことか。構造化というところに対して、そもそもあまり良いイメージもなかったり、
構造化されていないというものそのもののイデオロギーがあって、それに固執してしまっているということですね。
ある意味、戦術とかって構造とひも付くというか、ほぼほぼセットなので、
構造化しないということは、戦術を変えることもほぼ消極になるのは、そりゃそうだよねって感じです。
構造化されていないグループほどインフォーマルな構造が欠如しており、
構造化されていないというイデオロギーに固執するほど、政治的思考の同志のグループに乗っ取られやすくなる。
どっちもどっちってところですよね。一長一短やっぱりありますよね。
ただその組織のフェーズであったり、規模感とかによっては話が変わってくる気はしますけどね。
運動全体がその構成グループの大部分と同様に非構造的であるため、間接的な影響を受けやすいのは同じです。
しかしその現象は異なる形で現れます。
地方レベルではほとんどのグループが自立的に活動できますけど、
全国的な活動を組織できるのは全国的に組織されたグループだけになります。
したがってフェミニスト活動に全国的な方向性を与えるのは、しばしば構造化されたフェミニスト組織である。
そしてこの方向性はそれらの組織の優先順位によって決定されます。
あと現在WHEELというものですかね。
そしていくつかの左翼女性コーカスなどのグループ。
現在NOWというグループとWHEELというグループと、あといくつかの左翼女性コーカスみたいなグループがあるんですね。
その辺のグループっていうのが単に全国的なキャンペーンを実施することができる唯一の組織であると。
多数の非構造化女性解放団体は全国キャンペーンを支持するかもしないかを選択することができますけど、
自分たちでキャンペーンを行うことはもちろんできない。
したがって彼女たちのメンバーは構造化された組織の指導の下で軍隊となります。
09:03
構造化されていないことを抗議するグループには、運動の膨大な資源を引き出して優先事項を支援する方法がないということで、優先順位を決める手段すらそもそもないからということになりますね。
優先順位を決めるって言うけど誰が決めるのって言うのもあるし、そもそも欺瞞の問題がありそうですよね。構造化されてないので。
運動が非構築的であればあるほど、その運動の展開方法とか政治的行動をコントロールすることはもちろんできなくなります。
だからといってその思想が広がらないということは別にないです。
メディアによる一定の関心と社会的条件の適切さがあれば、その思想はやはり広く拡散はします。
しかし拡散したからといって、それが実行されるわけではなく、あくまで話題になるにすぎません。
個人で応用できるものであれば実行されるかもしれませんが、実行については協調的な政治力を必要とするものであれば実行されることはないということですよね。
それはそうだよね。政治的なものとか協調的なものが必要であれば、個人でやれるって言っても個人に閉じてしまうってことですね。
女性解放運動が友人投資の小規模な議論グループを重視する組織形態に専念する限り、非構造化の最悪の問題を感じることはないでしょう。
しかしこのスタイルの組織には限界があります。
これは政治的に非有効的であり排他的であり友情ネットワークに結びつかない、あるいは結びつかない女性たちに対して差別的になってしまいます。
階級・人種・職業・学歴・親や配偶者の有無・性格などの理由で既に存在するものに馴染めない人々は必然的に参加しようとするのを躊躇することになってしまいます。
馴染める人は現状を維持することに既得権を持つようになってしまいます。
難しいなこれ。難しいですけど、人ってそういうもんだよねっていうので、これは僕も含めて結構ブーメなんですけど。
難しいですね。既得権っていうものの威力は本当に強くてですね。
集団であればあることは当たり前ですけど、この既得権はどんどん加速的に強くなっていくんですよね。
なおかつそこに一度入ると、使ってしまうとなかなか抜けることも結構むずいし怖いんですよね。
そしてエネルギーがいるんですよね。反発が出てくるからですね。
そういうところでここは本当そうだよなと。ただ一方でこれを馴染めない人っていうのは、
なかなか排他的になってしまうので、その組織に入れなくなる、居づらくなるってのはもちろんそうだよねって感じなので。
いやこれね、難しいですね組織っていうのは。
株式会社とか営利組織ではなくて、社会運動になってくるので、それは余計ですよね。
革命家に近いところがあるので。やっぱり革命とか、そういう社会運動が一枚割になるというのは結構大事なことだと思うので、
なかなか矛盾が生じてますね。
インフォーマルグループの既得権益っていうのは、存在するインフォーマルな構造によって維持され、
運動はその中で誰が権力を行使するかを決定する方法を用いません。
12:00
もし運動が意図的に権力を行使するものを選ばないことを続けるのであれば、それによって権力を廃することもできません。
運動は権力と影響力を行使するものに、その責任を要求する権利を放棄することに他なりません。そりゃそうだよ。
もし運動が権力を持つ者に責任を求めることができないということを知っているため、権力をできるだけ拡散させておくのであれば、
あるグループや個人が完全に支配することを防ぐことができます。それはそうね。
しかしそれは同時に、運動が可能な限り非効率的であることを保障しています。それもそうですね。
構造とか制約、しがらみとか、もっと言うとヒエラリティですけどね。
というのは、やはり指揮系統はその中で早くなるし、意思決定は早くなりますよね。
というのがあるので、ここが難しいところですね。
支配と非効果の中間を見つけることができ、また見つかなければならない、そういう構造がない組織がですね。
この問題は、運動の性質が必然的に変化しているため、今まさに頭をもたけていることですよと。
女性解放運動の主要な機能であった意識改革というのは、時代遅れになりつつあります。
この2年間の強烈な報道と現在流通している多数のオーバーグラウンドが本や記事のせいで、
女性解放は一般的なこともやられましたと。
その運動は議論され、どのグループと運動とも明確なつながりのない人々によって、
非公式のラップグループが形成されています。運動は他の仕事に取り掛からなければなりません。
優先順位を決めて目標を明確にして、強調して目的を追求する必要があります。
そのためには地元で、地域で、そして全国的に組織化する必要がやっぱりありますよねっていう記者の話が締められていると。
じゃあ最後ですね。最後、民主主義の構造化原理ってやつですね。
プリンスプルズオブデモクラティックストラクチャーリングですね。
最後、民主主義の構造化原理で締められていくと。
いろんな社会運動がありましたけど、そういう運動が無構造化のイデオロギーに固執しなくなれば、
その健全な機能に最も適した組織形態を自由に開発することができるようになります。
それはそうだよね。そもそも固執している時点で変化することはないですよね。
だからといって極端な話、従来の組織形態を盲目的に模倣すればいいというわけではないですよね。
それはあくまで従来の一つの成功事例であって、現代にそれが適用できるのは限らないということですよね。
なのでやっぱり組織は基本的には水ものなので、変化し続けるのが組織の自然ではありますよね。
しかし闇雲にすべてを否定するわけでももちろんありません。
伝統的な手法の中には、完璧ではないにせよ有用であることを証明してくれることもあるでしょう。
これもそうですよね。
なんでかというと、人というのはなかなか変わらなくて、人は歴史を繰り返すものなので、
過去に成功したものの中には、現代でも成功するものはあるというのが、僕はこう読んで感じました。
もちろん完璧ではないからやり方とか色は変える必要はあるんですけど、
根本原理は多分人ってそんな変わらないと思いますね。
使っているツールとかが違うだけであっても、同じような課題とか問題を起こすんですよね。
だから戦争はなくなるんですけど。
しかしですね、ほとんどの場合私たちは様々な種類の構造化を試し、
状況に応じて使用する様々な技術を開発する必要もあります。
15:00
ロードシステムはそのような運動の中から生まれたアイテムの一つになります。
すべての状況に適用できるわけではありませんが、もちろん役に立つ場面もあります。
構造化のための他のアイディアも必要です。
しかし私たちが知的な実験を進める前に、構造そのものには本質的に悪いものはなく、
ただ過剰に使用されているだけという考えをまず受け入れなければなりません。
それもそうだよね。
とはいえ構造化自体は別に罪はないというか悪はないんですけど、
そこに固執することはよくないし、過剰に構造化するっていうのはそれはもちろんよくはないので、
どこを重視するか、後置き組織のフェーズとか、今何が課題かっていうところに
ちゃんとずっと注目し続けるような人だと思いますね。
このような試行錯誤をしながらも、民主主義の構造化に不可欠であり、
政治的にも有効な原則を念取り起こすことができるので、
今ボワーッとリンクが貼られていますね。
いろんな原則があるんですけど、
一応ちゃんと読めますかね。
合計7個ですね、原則っていうのが貼られていて、それぞれリンクも貼られていますね。
文字だったり本だったりするんでしょうけど。
一つ目は、民主的な手続きによって特定の仕事を特定の個人に移情することです。
デフォルトで仕事やタスクを引き受けさせることは、
それが確実に実行されないことももちろん意味を示します。
もしある仕事をする人が選ばれた場合、できればその仕事に興味や意欲を示した後に選ばれた場合、
その人はそう簡単に無視できない約束をしたことにもちろんなります。
それはまあそうだよね。あなた興味関心あったんでしょっていうので、
無視はできないよねって感じですね。
続いて2つ目、権限を移情された全ての人が、その人を選んだ人に対して責任を持つことを要求します。
それもそうですね。
指揮系統があった代わりに指示した人にも責任があるってことですよね。
このようにして集団は権威ある立場の人をコントロールすることができるようになると。
逆に集団の方が権威の人々をコントロールすることができるようになります。
個人が権力を行使することもできるが、権力を行使する方法については最終的な決定者を持つのは実はグループになります。
もちろん権力を持っている人がエイヤーでやるっていうのはもちろんありますけど、
一方で集団っていうのは基本的には革命を起こすことができるので、
最終的な決定権を持つのはグループであればその通りだよなと思います。
そして権限を合理的に可能な限り多くの人に分配するというのが3つ目ですね。
これによってその権力の独占を防いで権限を持つ者は、その行使の過程で多くの人と競技することがもちろん求められます。
また多くの人が特定の仕事を担当することで様々なスキルを身につける機会も得ることができます。
4つ目、個人間のタスクのローテーションをしましょう。
公式非公式を問わず一人の人間が長く持ち続けた責任はその人間の所有物とみなされ、
グループ内で簡単に放棄したりコントロールしたりすることができなくなります。
人以上になりますからね。
ノウハウがその人にたまってしまうのはやっぱり良くないよね。
逆に仕事のローテーションの頻度が高すぎると、個人が自分の仕事をよく覚え、良い仕事をしたという満足感を得る時間もなくなってしまいます。
これがないといわゆるオーナーシップっていうところは多分醸成しないんですよね。
18:00
単なるギアとかコマにしかならないので。
それは確かにね、組織へのコミットメントが下がる気がしますね。
続いて5つ目ですね。
合理的な基準で仕事を割り当てましょう。
集団に使われるから選ばれる、嫌われるから労力させられるというのは長い目で見れば、集団にも本人にもメリットはありません。
能力、関心、責任などがこのような人生における主要な関心事でなければなりません。
しかしこれは沈むか泳ぐかではなくて、ある種の見習いプログラムによって行われるのがベストになります。
うまく扱えない責任を負うことはやる気を失わせてしまいます。
逆に自分ができることをブラックリストに載せることは自分の能力を伸ばすことにもちろんつながりません。
人類史上、女性というのは有能であるがゆえに罰せられ続けてきたと。
この方もおっしゃってますけど、やっぱり人類史上、女性って有能なんだなっていうのをつくづく感じますよね。
だから排他されてきたんだっていうところですね。
女性ほど変化をするとか、ちゃんと周りとか協調性みたいなところを使ってきたものはないですよね。
女性男性っていう2つだけに絞るっていう、別のジェンダー問題とかの議論が発生しそうなのであんま喋らないですけど。
単純に歴史を考えたときに女性の方が有能だったんじゃないかというふうに僕は捉えました。
6つ目。できるだけ頻繁に全員に情報を拡散することです。
情報は力であります。情報へのアクセスは自分の力を高めます。
インフォーマルなネットワークがグループの外で新しいアイデアや情報を自分たちの間で広めるときに、彼らはすでに意見を形成するプロセスに参加しています。
グループが参加しなくとしても結果的には形成していますよね。
物事がどのように動いているのか、何が起きているのかを知っていれば知るほど、政治的に効果的な役割も果たすことができるということですね。
この記事をずっと読んできて思うのは、政治って別に悪いものじゃないんですよね。
時にはやっぱり政治力がないと進まんものもあるし、政治力があったからこそカチッとはまるっていうのは絶対あったりするんですよね。
ただ、政治は基本的には既得権益とセットになることがかなり多く、結局その人に権力を渡してしまうみたいなところもあったりするので、そこのバランスが取れれば僕は政治はありだと思いますね。
外堀を埋めることで物事は進んだりするしっていうのはあるんで。
ただ、往々にして政治は悪い方向に使われるのが世の常ですね。
ではラスト、7個目ですね。
グループが必要とする資源への平等なアクセスを担保しましょうと。
これは常に完全と可能というわけではもちろんないですけど、努力義務ではあります。
必要な資源、例えば夫が所有する印刷機とか暗室など、これはちょっと例えが悪いな。
必要な資源を独占しているメンバーは、その資源の使用に不当な影響を与えることができちゃいます。
スキルや情報も資源になります。
スキルや情報も資源か、そっか、そうだよね、リソースだもんね。
会員のスキルが公平に利用できるのは、会員が自分の知っていることを他の人に教えようとするときに限られます。
いいですね、教えられるっていう、シェアできるっていうのは結構一つの基準にするのはありですね。
以上7個のいろんなやり方がありますよ。
これらの原則が適用されると、異なる運動グループによって開発されたいかなる構造もグループによって制御され、グループに責任を持つことが保障されます。
21:04
県にある立場にある人々の集団は、いわゆる拡散的で柔軟で開放的で一時的なものになってしまいますでしょう。
最終的な決定はグループ全体が行うため、彼らは権力を制度化することは容易じゃないです。
集団はその中で誰が権力を行使するかを決定する力を持つことにもなります。
という言葉で締められておりました。
はい、いかがだったでしょうか。
タイトルもちょっと強い言葉で使われていて、
とても長い文章であったものの、
ストラクチャーレスネスですね。
非構造化、もちろん構造化が少ないという所の組織に対しての暴挙というタイトルだったんですけど、
すごく面白かったですね。
女性開放運動をベースにしたお話で、この人はいろんなものを研究した結果を語られていたんですけど、
勉強になりますね、これ。
そしてどんな組織にも当てはまる原理だなと思ったのと、
まあちょっとやっぱりジェンダー問題出るんですけど、
やっぱり女性をいかに組織の重役につけるかって結構この先の身、
組織の進化に重要だなってつくづく感じちゃいましたね、僕は。
ただその何かね、何故かというと、
女性の有能さというのもあるんですけど、柔軟性もありますけど、
変化をつけてくれるのは男性より女性なんですよね。
男性は結局何か構造化に走る傾向が僕は何かまだまだ現代でも強いと思っていて、
いろんなその多様性のことを考えつつも結局、
エリート集団のさっきの話もありましたし、
いわゆるコミュニティ化をしてしまう傾向はやっぱりあると思っていて、
女性の方がコミュニティ化の方が強いっちゃ強いんですけど、
その変化をつけてくれるのはやっぱり女性かなっていう気はします。
とはいえ、この記事はすごくいろんな示唆に富んだお話で、
歴史のお話もありましたし、
戦争までいかないにしても、そういう社会運動でどういう原理で人は動いていったり、
どうやって人は疎覚化していくかみたいな話の具体例がすごくたくさんあって、
面白かったなぁとつくづく感じていました。
そして、つくづく人は歴史を繰り返すものってもうなんか痛感する記事だったなと思うんで、
この記事は定期的に読み返したくなりますね。
組織が何か課題を抱えたりとか、組織が変化をしたいという時、
何かあるんだなという時の分岐点でこの記事を改めて読み直して、
何を僕らは今意識しなきゃいけないかっていうのを振り返る良い材料だと思ったので、
これ素晴らしい記事だと思いました。
なので皆さんの方でも興味ある人はですね、
組織論とか組織開発に興味ある人はぜひぜひ読んでみてください。
いろんな気づきとか考えさせられることがあると思いますのでね。
というところで、今日の朝発は以上にしたいと思います。
すいません、今日はですね、僕かなり寝坊してしまってですね、
回避が遅れたんですけど、ここで今日は締めたいと思います。
今日日曜日ですね、朝からご参加いただいた、いかのこさんとれのあさんですね。
おはようございます、ご参加いただきありがとうございました。
明日はですね、何を読むか悩ましいんですけど、
一応前から読んでみたいなと思ってた記事が一個だけあってですね。
またちょっとチームの話になってしまうのと、ちょっと記事が古いんですけども、
維持可能なコードベースへのチームメンバーの貢献度を評価するルーブリックという記事があるんですよね。
24:05
ルーブリックって単語すら僕はよく分かんないんですけど。
記事があるので、コードベースへのチームメンバーの貢献度というところで評価精度に近いのかなと思いつつ、
僕はちょっとこの辺興味があるので読んでみたいと思いますので、
関心あれば明日も来てみてください。
じゃあこれで朝活は終了したいと思います。
日曜日ですね、ゆっくり休んでいただければと思います。
それでは終了します。お疲れ様でした。
24:30

コメント

スクロール