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10月1日、日曜日ですね。
時刻は朝9時35分になりました。
タイムラインでは、
今日からまた新店地でお仕事しますよとか、
昨日のタイムライン、
ツイッターですね、Xのタイムラインで
最終出社日でしたとか、
今までお世話になりましたみたいな投稿が
すごいずらっと並んで、
今日から明日ですね、
今日からこの会社で働きますみたいな
投稿がたくさん流れてくるんだろうなと
思っております。
皆さんにいろいろ新しいチャレンジを
どんどんされているんだなっていうので、
僕も改めて気を引き締めて
いろいろ頑張っていきたいかな
という風に思っている次第ですね。
はい、おはようございます。
鴨川会長の名言のkkeethことくわはらです。
では本日も早活を始めていきたいなと思います。
本題に入る前にですけど、
最近一つちょっと深刻な悩みがありましてですね。
子供の頃とか学生の頃に、
例えば校長のお話とか、
親戚のおじさんおばさんとかの話とか、
いわゆる人生の先輩の話、
聞くこと何度もあると思いますけど、
その話を聞くたびに、
この人なんか同じ話を2回も3回も
1回の話に含めちゃっているな
みたいなことがあったりするじゃないですか。
さっきも言ったぞみたいなことがあると思うんですけど、
あれをやっぱりですね、
自分も年取って、
今こうポッドキャスト配信をしているじゃないですか。
で、自分の配信を自分で聞くと
同じことをやっているなってことに
気づきましてですね。
もうこれ勝てないのかなというか、
年を取るとそうなってしまうのかなみたいなところで、
すごく反省をしたいんですけど、
全然直らなくて困っているみたいなところですね。
みなさんどうやって直しているんですかね、
そういうのって。
その辺のテクニックとか、
こういうことを意識してますよみたいなことを
やり方を持っている方はですね、
教えていただければすごく嬉しいなと
思ったりしております。
さておき、本題に入っていきたいと思うんですけど、
みなさんは初めの一歩っていう漫画を
読んだことあるかたりしないでしょうかね。
結構有名なことはですね、
みなさん全然読んでいると思うんですけども、
鴨川会長と調べれば
多分スペース入れると
サジェッションの中に名言ってことが
すぐ出てくると思います。
僕はその鴨川会長の言葉やっぱ大好きで、
たくさんの名言を残されているんですけど、
その中でも多分トップ2と
呼ばれているような名言が
やっぱ僕も何らかのものすごく好きで、
すごく刺さっているし、
いつもこのことはやっぱ意識しているな
っていう言葉がありますと。
1つ目が、これは多分
一番有名なことだと思いますけど、
努力したものが全て報われるとは限らん。
しかし成功したものはみな
すべからく努力しておると。
これが1つ目ですね。
2つ目はちょっと長いんですけど、
ピックアップというか、
絞りますね。
毎日の積み重ねが貴様らを弱くする。
万全と日々を過ごすな。
この2つですね。
2つ目の方はもうちょっと言葉がつながるんですけども、
四六時中ボクサーであることを自覚しろと。
自分に足りないもの、
必要なものを常に考えて行動するみたいなことですね。
言ってるんですけど、
3つ目はちょっと自分なりの解釈があって、
ちょっと違う
解釈でこの言葉は好きだな
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という風に思ってるんですけどね。
とにかく努力に関する
お言葉ですね。
努力論と言われたりする方もいらっしゃるんですけど。
努力することは
大事なのは
みなさんもご存知だと思いますし、
いろんなところで語られてるし、いろんなところで
言われてきたとは思います。
何かを成し遂げたかったり、成功したかったりとか、
成功定義は人によってまちまちですけど、
とにかく自分の目指すところがあって、
それを得たいと思うんであれば、
それに近づくための努力
っていうのは必ずいりますよね。
という感じです。
本当は努力しなくても
そこに到達できる人もいるかもしれないし、
それはたまたま偶然による偶然が重なって、
外からいろんなものが
降ってきて、
結果成功したってことになるかもしれないですけど、
個人的にはそれはやっぱり
嘘というか、そんなことはないと思ってます。
その何かを
引き寄せるものとか
降ってくるような
自分の今までの行動の結果として
それが偶然が舞い降りてきたってことだと思うんですよね。
なのでやっぱり僕も
アクションを起こさない限りは
成功とか自分の満たされたいもの
達成したいこととか
得たいものとか
というふうには届かないというふうには思っているわけですね。
得たいものが
例えばお金とか
物欲的なものがあって、
それを本当にたまたま誰かからもらえるって
可能性はゼロではもちろんないんですけど、
その誰かとの接点を作ることであったりとか、
その人との交友関係とか
があって初めて
その人から信頼されるから
いただけるみたいなのがあると思うんですよ。
本当に偶然中の偶然で
お金だけを得ることももちろんゼロではないとは思いますしね。
家計的に
家柄的に
うまいこと資産家の家に生まれたりとかして
たまたま上の
人、両親かもわからないし
兄弟の上の人かわからないですけど
その方から遺産をいただけるみたいなのは
ゼロではないと思います。
それは確かに努力はしてないかもしれないですけど
本当偶然中の偶然ですけど
生きる努力はしてますよね。
とにかく何か努力、アクションをしない限りは
そういう成功することはできないよと。
でも
その努力自体が報われるとも限らん
っていうのがまたこの人生の妙というか
難しいところでありますよね。
努力の量もそうですし
質もそうですし
ベクトルですよね。
当たっての方向に努力してもそれは叶わない
とかありますので
努力そのものに対する評価も
自分でちゃんとしなきゃいけないっていうのはありますよね。
それがその2つ目の言葉に
つながると思っていて
毎日の積み重ねれが
貴様らを弱くすると。
万全と日々を過ごすということですね。
努力してるかもしれないですけど
努力の
今言ったように振り返りとか見直しをしないと
要は同じような努力をしていれば
結果は同じ
ということしか得られないわけですよね。
なので毎日の努力とか
頑張ること、ルーティンワークとかもあったりしますし
習慣みたいなのもあると思いますけど
その習慣の質を上げていく
もしくは良い習慣を最初から得ようとする
というところが人生の豊かさに
つながっていくという話は別であるんですけど
ただ、努力と習慣は
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僕実は別物だと思っているし
ちょっと相反するものだと思っているんですよ。
努力っていうのは常に
ブラッシュアップしたり変化をつけないと
努力にはならないと思っています。
つまり一度できたことを
ずっと繰り返す
反復をすることは努力かというと
僕は違うと思っていて
反復をするから
成長がなくなったりとか
どこかで頭打ちが
きてしまったりとか
自分の得たいものが
全然得られなくなったなというか
成長実感が湧かなくなったみたいなところがあると思いますけど
そこまでまず到達したというのを
評価しなければいけないと思います。
一旦成長の壁というのはどんな分野にも
あると思っていて
そこに到達するまではがむしゃらに
やったりとか同じことを繰り返すのも
全然良いと思いますけど
必ず頭打ちが来ると思います。
どんなことがあっても。
世界も変わりますし時代も変わってきますし
ツールとかトレンドもどんどん変わっていく
つまり人が変わっていくので
それは仕方ない話ですよね。
物事が変わり続ける限り
どこかで頭打ちが来るのは当然だと思います。
その時に始めて
変化をつけていくということはもちろん必要になるので
とにかく努力というところには
変化というものが不可欠。
その変化というのを捉えるし
その変化に対応するような
違う努力をしなきゃいけないので
振り返りもしましょうということですね。
なので
毎日の積み替えを使うルーティンワーク
習慣というところが
ルーティンワークそのものがダメって言ってるわけじゃもちろんなくて
ルーティンワークはそれはそれで必要です。
習慣というのは必ず人生の豊かさとか成功には不可欠だと思っているので
それは大事なんですけど
ルーティンワークを超えたところの
努力というのは絶対あると思います。
その努力の中に何かしらの日々変化をつけたり
自分の中の実験
チャレンジをしていかないと
万全と努力しかしていない
万全とした努力というのは
矛盾しているかもしれないですけど
同じ努力を毎日繰り返したところで
最終的に頭打ちが来るので
同じ結果しか得られない
そうすると多分自分の成長がピタッと止まると思いますので
本当に得たいものを
得るまでの努力ということですね。
得たいものが得られたのであれば
その努力はもう終わりでもいいと思います。
次のチャレンジとか
次の目標に向けて違う努力を
またしていけばいいと思いますけど
そうじゃないのであれば
たぶん到達するための何かが不可欠なんです。
それが量だったら単純に
毎日同じ努力でもいいです。
それをどんどん繰り返していって
頭打ちが来るところまでいけばいいです。
そうじゃないんだったら
新しい何かを取り入れるとか
今までのやり方を変えてみるとか
自分の負荷を上げてみるとか
そういう努力の見直しをしなきゃいけない
というところを感じます。
これはエンジニアリングとも結構
通じるものがあるなという感じで
学生さんとか
チャレンジをしている方を外から見ていくと
この人がもがき苦しんでいる
ところとか今どの辺で苦しんでいるのか
なんとなく外から見ていると
見えたりはするんですよね。
そうなった時に自分から
アドバイスをもらえるように
アクセスをする子もいれば
ずっと自分の中で閉じていて
自分の中で問題解決しようとして
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悶々として繰り返す人もいると思います。
でも後者の方がやっぱ大変なんで
そういう時は手を差し伸べようとしますけども
僕が意識しているのは
なるべく教えないように
アドバイスをするという感じですね。
これすごくバランスが難しいんですけど
なんでこれをやるかというと
僕はコーチングを勉強していて
コーチングって何かをコーチするというような言葉なんですけど
コーチというのは教えることではない
導くことではないんですよね。
ちょっと手ほどけをして
最後に本人がアクションをする
次のアクションに迎えるような
伴奏することが
コーチの醍醐味というか本質ではあるので
なるべく自分の中でやったことがある
その目の前の人が
努力を得ろうとしているものを
自分はすでに経験したことがあって
こうすればいいよという答えはすぐにパンと浮かぶかもしれないですけど
それをあえて言わない
本人につかみ取ってもらう
というのが良いコーチであり
良い教育だと思っているので
アドバイスは求められるまでは基本的にはしないです。
本人がどうしても袋コーチに入っているときだけ
一つの門を開けるように
こういう道もあるよという言い方をします。
でもそれを選ぶかどうかは別ですし
他にも道があるという風に
気づかせてあげただけで
後は本人もそこからの視点で
別の視点で気づけるはずなんですよね
それを期待するしかないんですけど
というような言い方を僕はしたりしますね。
努力ということの話を今日は
ざっとダラダラしていった感じですね。
参考になれば幸いですし
皆さんの今後の
人生の成功に向けての
一助になれば幸いなというところですね。
最近日本語全然出てこなくて困っているな。
というところで
10分以上経ったので
今日は終わろうと思います。
ありがとうございました。