1. 人生を変える出会い
  2. 第278回「死と向き合う」
2022-05-03

第278回「死と向き合う」

大切な人との別れから生まれる喪失感について考えます。

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00:00
北川八郎、人生を変える出会い
今年はどんな感じになりそうでしょうか?
全く考えていない。今年は暇ですね、ゴールデンウィーク。
ほとんどこの近くにいて、この3夜と光源を楽しむって感じですね。
5月ってどんな気候ですか?やっぱり暖かいけど、まだそんな湿気もなく。
さつきにまるで、もう桜も終わってるし、爽やかな新緑の
一番いい頃ですね。
6月に春と緑が濃くなって、暑く梅雨に入ってくるけれども、
4月末から5月っていうのは、まあそういう意味では、春いっぱいっていうか、
ちょっと春過ぎかな、初夏かな。すごくいいですよね、新緑の頃で。
草原が美しい、青い空と草原と、
行楽いいなぁと思いますね、どこに行くこともない。
いいですね、でもそのね、どこに行くこともないけどって言っても、
先生のね、あの家の近くとか、先生のね、そのお風呂とか、
そのお風呂とか、先生のね、そのお風呂とか、
小国の方って、本当にもう、ちょっと、こう、歩いたり、車乗っていくだけで、
なんか、もう小旅行というか、素晴らしいですよね、本当に。
そうです、ちょっとコーヒーの沸かす道具があるんですね、
野館で。だからそれを持って行って、外でこう、豆をひいて、
みんなでゴザひいて、コーヒーとクッキー食べると、
景色とね、まあそんなもんですね、わずか、それが楽しみですね。
コーヒーとクッキーと、まあサンドイッチぐらい持って行って、
いいですね、はい、食べるっていうか。
なるほどね、歩いてね、歩いてもらって、風に吹かれる、
ああ、いいですね、まあ、そんなね、今日は5月の最初の週ですけども、
先生、今日はですね、ちょっと僕からたまにリクエストもさせていただいて、
講師混同で恐縮なんですけど、ズバリですね、
大切な人との喪失感とどう向き合うかっていうことをテーマにしたいんですけども、
はい、ちょっと前提というか、あれなんですけども、私事で恐縮なんですけど、
先生に個人的にね、以前からお伝えしてたんですけど、私の父がですね、
こう、がんでずっと2年半ぐらい闘病してて、で、ちょうど3ヶ月ぐらい前からですね、
まあいろいろ抗がん剤の副作用で、病院にまた運ばれて、その後最後も、
03:03
残りの時間短いっていうことで、実は、まあ今この収録してる1週間前に自宅でもう最後の時を迎えるっていう感じだったんですけど、
で、まあおかげさまで、この収録の実は前日、昨晩、みんなに見守られて、本当に最後の最後も僕も見ることができて、
で、家族全員も立ち会えたんで、本当にこれ以上ない、そういう意味では、最後、父も安らかに行ったので、そういう意味では良かったと思うんですけど、
ただ、後悔ないんですけど、なんか思うのが、今率直に思うのが、なんだろう、もっと話したかったな、いろいろ聞いておけばよかったな、過ごしておけばよかったなって、ベスト尽くしてたんですよ。
つもりなんですけど、それでもその湧いてくる、後悔とちょっと違うんですよ。でも、なんかやっぱり喪失感というか。
失った時間のもったいなさっていうかね。
そうそうそう。
もう取り返しのない、取り返しのきかない時間なんですよね。
だから、なんか、まあもちろんありがたいことに、僕今41ですけど、この年まで本当の身内、本当の近いところで人を亡くしたことがなかったので、そういう意味では、これ見てる方、聞いてる方はね、もうとっくにという言い方も変ですけど、先生も含めて、あの、
経験されてると思うんで、こういう質問させていただいていいのか、ちょっと分かんなかったんですけど、ただまあね、必ず皆さんが向き合う話なので、もしよかったら、その辺も含めて先生に今日いろいろ伺いたいなと思って、取り上げさせていただきました。
なんか今年、コロナのせいもありますけど、私の周りで、大事な人が3人、4人か亡くなったんですよ。
4人?
はい。
10月と1月と2月と、こんな、
やっぱ、早川君のお父さんと一緒で、私の妻のお姉さんっていう方が、やっぱちょっと、コロナをかかったのかな、なんか肺炎で亡くなられたんですね。
なんかあの、お葬式っていうのは辛くて、なんか立ておれなかったですね、その喪失感っていうのは。
ちょっと、私の場合、
はい。
あのまあ、身内と言いますと、
一等身の、ただ父とか母とかいうのを考えると、一番最初に弟を3歳の時に失って、それから次々に父親から母親、姉、それから兄、兄、それから自分の息子とか、全部で、本当に血の繋がる一番近い、7人を延びの送りをしたんですね。
はい。
もうなんか、本当に1人、うん。
うん。
なんか、見送るの嫌やな、もっと辛いなって思った時に、またお姉さん、姉が亡くなって、あの、お葬式に行くのは本当に辛かったですね。
それと同時に、喪失感っていうんですかね、あ、取り返しのつかないってことは、あるんだなっていうかね、特に息子が亡くなった時に。
06:00
いやー、もう想像つかないですね、それは。
うん。
うん。
はい。
まあ、こう、その逆仏、逆仏って言うんですけども、
うん。
自分よりも年下の人間や、
うん。
なんか、死ぬはずのない人が亡くなるっていうのは、ものすごいショックですね。
うん。
ずっとそれを乗り越えてきて、最近感っていうのは、
はい。
まあ、自分の同じ年齢の人間がいるんですよ、友達っていうか。
うん。
なんか、高校時代からとか、ずっと、20、30代からずっと、このなんか、同じ土地に住んでて、仲の良かった友達が、
うん。
同じように次々に、70ちょっとで、癌で亡くなるっていうのは、仲間を失う寂しさっていうかね、
はい。
もう、そろそろ自分も、死ぬ時期に来たんだなとかいう、そういう変な実感みたいなのがあって、
うん。
その死がすごく身近になってきて、
うん。
ああ、終わりの時間が近いんだっていうのが、
うん。
その友達を失うことによって、そっちに繋がるなんか寂しさと、
うん。
自分はやがて行かなきゃいけないっていう覚悟みたいなものを、そろそろ決めないといけないなっていう、思いますね。
うん。
ちょっと配格の喪失感とは別なんだけど、
はい。
自分が当事者になるっていうかね、
はい。
私自身、
うん。
同じ年齢の友達と仲の良い、彼が生き生きと生きてた彼が、
ああ。
突然亡くなるっていう、そういう喪失感ですね。
うん。
自分も一緒に、ツナ、同じツナの中にいて、ズルズルズルと引き込まれていくような感覚で、
はい。
もう間もなく自分も、
あの、この地球上におれないんだなっていう感覚が身近になってきましたね。
うんうん。
まあ、配格の喪失感のときは、母を失ったときと、それから息子を失ったときの喪失感か、兄を失ったときの喪失感に繋がりますね。
うん。
なんというか、もっと話しておけばよかったなっていう。
うん。
なんか今、先生がおっしゃってくださった、当事者、当事者に近いような喪失感と、まあ、僕の方のその、先生もそうですけど、その、ね。
一番近い、肉親を亡くしたときのっていう、まあ、また、あの、話違うと思うんですけど、なんかもう本当にすいません。
あの、シンプルな質問で恐縮ですけど、その、自分の中で父と、もう本当に、ね、百点満点尽くせたかって、ちょっと分かんないですけど、
ただ、できることは全部したはずですけど、それでもそういうふうに湧いてくるものっていうのは、もう、これはもう、致し方ないんですかね。
もう絶対それ無理ですよ。
うん。
例えば、配格の生きてる時間と、その、
うん。
後ろって、例えば、思うんですけど、私の母が死んだときも、私の知らない人たちがたくさん駆けついてくれた。
だから、息子が死んだときも、全然知らない人がいっぱい、その、なんていうか、惜しんでくれたって言いますかね。
だから、その、息子の、例えば、あの話なんですけども、息子の向こう側の時間って言いますかね、息子が生きた向こう側の時間っていうのは、
09:06
うん。
全く、こう、見えなかったので、ああ、こんなにたくさんの人に慕われてたんだとか、ああ、こういう時間を持ったんだなっていうのが、こう、そういう、
うん。
葬儀に駆けつけてくれた人たちの顔を見て、その向こうにある時間をこう、思い出したんですよね。あの、思いついたっていうかね。
はいはい。
私に見せてた顔と、違う顔をですね、持った姉がいたんだなっていう感じがしましたね。
うんうん。
特に母親と兄のときもそれを感じましたね。
ああ、そうなんですね。
だから、まあ、それは仕方のないことで、お父さんが早く早くの後ろの時間って言いますかね、早く早くの友達の時間、まあ、私とこういうことを話してる時間っていうのも、全然、こう、気は知らないからですね。
そうですね。
うん。
その部分の、あの、知らない空白っていうのは、まあ、我々がどうしようもない、彼自身の歴史、歴史って言いますかね。
うん。
うん。
それで、あのように持って行ってしまって、全て、僕より持って行ってしまったんだなっていう感じがしますね。
うん。
今までの知恵と、今までの体験と、今までの苦しみと、喜びと、私の知らない、こう、なんて言いますか、彼の、なんか、才能とか、知識とか、ため込んだ知識も、経験も、全部、こう、もう持って行ってしまったんだなっていう、あのとき思いましたね。
ああ。
うんうんうん。
そうか。
まあ、その一方で、先生が今おっしゃった、後者というか、ね、最近、その、もう、本当に年齢の近い、同い年の、まあ、ご友人だったりを、を、亡くされて、その喪失感っていうのは、やっぱり、どちらかというと、当然、その、その方たちを亡くした喪失感もあるんでしょうけど、やっぱり、なんか、当時は、自分も、そっちの方に、そのうち、行くんだみたいな、なんか、もうちょっと、その辺、すみません。
僕も、あの、頭では理解してるんですけど、どういう感覚なんですかね。
まあね、あの、もうちょっと分かりやすければ、その、まあ、そういう、まあ、死ぬ、死ぬこと、死に、死に対する喪失感の話をすると、今度、その、義理の姉と私の友人たちを失って帰ったことは3つあります。
おお。
はい。
それはですね、あの、一つは、こう、当然、先に行く者たちっていうのが、あの、父と母と兄とかね、あの、そういう人たちは、こう、まあ、あの、亡くなって、もちろん悲しいんですけども。
順番といいますかね。
まあ、そうですね、普通に考えたらね。
はい。
はい。
病気して、もう、お兄ちゃん亡くなったとか、病で倒れたとか、母も年齢だから亡くなったとか、まあ、そういう、その、憎しん、順番の喪失感っていうのがあったんですね。
まあ、もちろん、悲しみは深いんですけども、ちょっと、こう、あの、喪失感の種類が違うという、まあ、それが一つですね。
なるほど。
それから、2番目は、その、あの、息子っていうかね、そういう、死ぬはずのない人が死んだときの事故とか。
うん。
死ぬはずのない人たちが死んだときの喪失感っていう悲しさは、また、こう、苦しみに繋がるといいますかね。
12:02
確かに。
なんで助けてあげられなかったんだろうか。
うん。
なぜ、分かってあげられなかったんだろうかっていう、こう、もう少し深く、子供の後ろの理解と、なんか、あれを話し合ってあげればよかったなとかいう、こう、喪失感がありますね。
うん。
もう一つの喪失感は、自分と同じ時間を過ごしてきた人間が亡くなったとき。
ああ。
その3種類の違いを感じるんですよ。
うんうん。
で、それの無力感ってありますよ。父と母と、兄弟を失ったときの、今までお兄ちゃんたちとか、つつがってきた歴史が、全部聞いて、あの、誰も知らないっていうか、知ってるのは自分だけですもんね。
うん。
思い出があるのは自分だけで、もう、俺しかあのことは知らないんだっていう、なんか、あったんですけども、それは、こう、肉親と、当然、順番として先に行く者たちですよね。
うん。
うん。
うん。
で、2番目は、そういった、あの、こう、遡ったとき、行く、死ぬはずのない、
はい。
人たちが先に死んだときの、ショックと、可熱さと、深い、こう、なんて言いますか、後悔と言いますかね、もっと、助けてあげられなかったのかなっていうのが、先に行かれた人たち、先っていうかね、あの、行くはずのない人が亡くなったときの、こう、あの、喪失感って、また別の、深い、こう、なんか、深い、悲しみに繋がるものがあります。
うん。
うん。
うん。
うん。
あの、喪失感っていうのは。
うん。
うん。
で、あと、3つ目の喪失感っていうのは、あの、さっき言った、自分と同じ年齢、同級生や、
はい。
近しい人とは、一緒に過ごしてきた人たちを失ったときの、そっちはショックに繋がりますね。
なんか、そういうショックかというと、
はい。
あ、やがて、自分も…
うん。
はい。
その時期に来たんだっていうかね、あの、年齢的にね。
うん。
近しい友達がバタバタと
高校の同級生や
中学の同級生や
一緒の同僚の人たち
が亡くなった時の
親しい人の
喪失感っていうのは
やがて自分も引きずられて
やがてまもなく自分も
そういう時期に来たんだなっていう
覚悟みたいに繋がるような
ありますね
その喪失感っていうのは別な
喪失感ですね
その3つを
経験しましたね
今伺ってると
あれですね先生ほどの
いろいろねご経験とか
いろんなことされてても
なんて言うんでしょう当たり前ですけど
100%ね人は
必ず死ぬっていうのはもう間違いない
わけですけど
でもそれでも今の3つの
種類っていう意味でもそうですけどなんて言うんでしょう
慣れることは
ないというか
それはねやっぱ
なぜなら我々必ずみんな
同じように
この世から去るって言いますか
いつも言ってるように
わずかの間のトランジット
だからやがて
15:01
先に出発した人間と
今から出発
私もそろそろ出発
出発時間時刻が来たんだな
っていう
もうちょっと待たないですね
それはもう神のみじん
どうするんだけど
覚悟みたいなのに
だんだん湧いてきますね
お父さんもきっと
なんか
その気持ちの上で行った時は
顔がとても安らかだった
眠ったように感じるんですけども
まだこっちに残ったものとしては
いっぱいあれもしてあげたかった
これもしてあげたかったっていうのが
残りますね
でもね
ハヤカ君の場合は一つ
僕もそうだったんだけど
安らぎがあるんですよ
安らぎっていうのは
これは順番で仕方ないことなんですね
最初の話ですよね
順番
この父親とか母親とか
先に兄たちっていうのは
先に行く人たちっていうかね
だからこれは順番で
全ての人類は
その順番で
肉親が死ぬっていうのは
喪失感と悲しさと
物足りなさはあるけれども
それはやがて受け入れられる
受け入れられる
受け入れられるんです
時間とともにね
時々いつも語りかけていけばいいんですよ
右肩か後ろにいつもいるから
励ましているからですね
ハヤカ君の人は頑張れ頑張れ
俺応援してるよっていうのは
その例を感じると思うんですよね
だからそういう人たち
必ず右後ろ
人によっては左後ろっていう人もいますけども
必ず右後ろから見守って
背中から見守ってくれてるのを感じますね
夢にも現れてくるしね
全然困った時には励ましても
くれるし
だからそういう存在の
霊的な存在っていうのは感じられるから
そういう意味での父親とか母親っていうのは
とても嬉しいですね
もう一つは
肉体があった時の
ちょっと遠い
離れてしまうんですけど
肉体がなくなると密着感があるんですよね
いつもそばにいるっていうかね
逆にね
接着
すぐ接触できるっていうか
隔てるもの皮膚っていう
別な個人っていうものがないからですね
愛情だけを感じるから
そういう人の
父親とか母親とか
そういう人たちが亡くなった時は
間に隔てるものがないから
すごい密着感と
優しさと励ましを感じるようになりますね
悲しさをやがて乗り越えた時に
いつも共に時間を過ごしてるっていう感覚に
囚われるようになって
繋がるようになってくるから
そういう意味では
いつでも話しかけられるっていうか
距離と時間がないから
そういう感覚にきっとなりますね
18:00
ありがとうございます
なんかね
先生がおっしゃった
また異質のものだと思うんですけど
その覚悟
あのね
近しい人たちが
特に人生の
やっぱり晩年の方で
感じることが多いと思いますけど
先生にはまだまだ
もちろんいていただきたいんですけど
当然ね
もちろんみんないつか
その覚悟っていうのは
もちろん
ちょっとはイメージつくんですけど
やっぱり
恐れとかは先生ないんですか
全くないことは
ありますよ
魂的な言い方としては
どうせ死ぬんだって覚悟あるけども
生物として
死に対する恐怖感は
どんな虫でも
蚊でも
蝶々でも
トモでも
トカゲでも
殺されようとしては
みんなに逃げるって言いましたね
だから
生命を持ってるものは
みんな嫌がりますから
植物でもね
人間はまさに恐怖感ありますね
向こうの世界がどんなんだろう
っていう
覚えてないから
その恐怖感があるし
まだまだ生に執着して
この基地組みたい
まだ人間でありたい
もうちょっとこの世を楽しみたい
っていう欲求は叶わたるし
死にたくないっていうのは
ほとんどの人たちが思ってる感覚だから
それはそれでいいと思うんですね
当然だと思います
死は怖いです
そうですよね
とてもこの話
死の話だけで
もう何回分も
一番組できそうぐらい深いんで
なかなかひとまとめするのは
ちょっと難しいと思いますけど
先生ただ改めて
今日最後にですけど
これ聞いてる方
3つね
死のいろんな喪失感の話
肉親一番近いところ
逆に先に行かれてしまったり
突然死に迎えられた方
知り合い家族だったり
そして
当事者に近いというか
そういったものでもっと言うと
その4つ目
今もうご本人が
いろんな病気とかで
もう間もなくと言われてる人も
いろんな方いると思うんで
全てに共通する先生からのメッセージって
一つ簡単にするというのは
本当に非常に
それは難しいんですけど
亡くなった友達とか
父親は全てそうなんですけど
なめやむだぶとか
そういう唱え方ではなくて
宗教
を超えた
良き天性よって思いますね
私は生まれ変わりを信じて
生まれ変わりって言いますかね
また肉体を持って
別な人生を
今生きてる間に学んだことを
次の天性で生かすために
また蘇ってくるっていう
天性ね
仏教の天性を
輪廻天性を信じているので
みんなに先に行った人たちに対しては
良き天性よって祈ってますね
いい国いい仲間いい親
いい兄弟の中に生まれて
今世の学びを生かしてくださいっていうかね
いつもお墓に行っても
日の尊いも言ってきたんですけど
21:01
良き天性よと祈りますね
それともう一つは
やっぱり死というものは
まあはっきり言って
トラジットだなと思いますね
いつも社会上に行って
次の飛行機に乗って
みんな次の出発をしないといけないけど
だからこのトランディット中にできる限り
学べることは全部学べって言いますかね
でなんか
怒りや悲しみや
苦しみを超越する生き方を
少しでも
あの今世中に学べとれればいいな
と思いますね
だから今世まあ残り時間をもう少し
楽しめってことと
努力してしろって言いたいですね
そうですね
本当に改めて
もうちょっといろんなことを学ぼうではないか
っていうかね
思いました
ありがとうございます
はい本当に深いお話ありがとうございました
さあこの番組では
皆様からのご質問ご感想を
引き続き募集しております
詳しくは北川先生のホームページ
もしくはメールアドレス
北川アットマーク
kiqtas.jpまでお寄せください
さあそして来月ですね
先生の断じ機会があります
千葉断じ機会ということで
えー
6月10日金曜日から
12日ですね
203日千葉の国民宿舎サンライズ
九十九里で開催されます
店員は20名となっています
食を見直し
内臓を休め
自分自身と向き合い
罪なき生き方を改めるとても良い機会
というふうにホームページも書いてあります
先生からせっかくなんで一言いただけますか
この間あの
えっと
あのお船のマガジンで
断じ機会だはい
はいそうかそうですよねとても良かったです
まだまた来年も
お国でやるので
はいお国の春を楽しんでくださいと
全員がねニコニコして
なんかみんな最後の言葉が良かったですね
こう小さな悟りを得て
みんな全員が
なんかあの
またもう一回したい
ここでしたいって人が増えていましたけれども
断じ機というのはあの自分の心と
自分の体の両方を洗えるんだなって
毎回思うんですけども
なんか皆さんもあの断じ機をして
心と体とそれから健康と言いますか
ネスにつながる断じ機はとても良いので
まああの私たちの断じ機会だけじゃなくて
あの断じくされる機会があれば
どうかあのされるといいと思いますね
はいはいありがとうございます
ということで
今週もご視聴いただいてありがとうございました
北町の人生を借りで
また来週も皆様とお目にかかるのを楽しみにしております
また来週も皆様とお目にかかるのを楽しみにしております
また来週も皆様とお目にかかるのを楽しみにしております
北ヶ瀬さんありがとうございました
ありがとうございました

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