1. 人生を変える出会い
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2024-02-20 12:18

第372回「大いなるもののお手伝い」

具体的な5つの心掛けとは。

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サマリー

北川八郎は、人生を変える出会いを経験しています。2024年、神のお手伝いを続けるためには、動機の純粋性を確認し、福良くない顔を持たず、争わず、笑顔で接し、人を評価せず、人の失敗を貶めず、他者を許すこと、福良い顔で生きることが重要であると言われています。このエピソードでは、「大いなるもののお手伝い」というテーマで、争わない生き方や戦うべき時、国や家族を守るという大事な意識について話されています。

神のお手伝いとは
北川八郎、人生を変える出会い。
こんにちは、早川亜佑平です。
北川八郎、人生を変える出会い、この番組はPodcast YouTubeでお届けしています。
番組のフォロー、チャンネル登録、よろしくお願いします。
北川先生、今回もよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
さあ、北川先生、今回はですね、少し時間が経ってしまったんですけど、
北川先生から僕が個人的に、2024年明けた時にですね、
信念の言葉というものをですね、ちょっといただいて、そこのところで、
いろいろありがたい言葉をいただいたんで、全て紹介したいところなんですけど、
その中で今日一つ、ちょっとわからないところがあったので、
伺いたいんですけども、
2024年、毎日の生活の中で動機の純粋性を確認し、
神のお手伝いを続けましょうという言葉をいただいたんですね。
当然、動機の純粋性の重要性は先生から解いていただいているので、
意識をしているつもりなんですけど、
神のお手伝いを続けましょうというところが、
神のお手伝いって何だろうという、すいません、今さらなんですけど、
神のお手伝いについて教えてください。
簡単なことは、具体的には寄付をするとか、
人に贈り物をして人を喜ばせるとか、
そういうことだと普通の方は思うと思うんですけども、
神のお手伝いというのは何かと言ったら、
あなたは日頃から穏やかで、
福良くな顔をしていて、争わないで、
光に満ちて生きているだけでも、
それが神のお手伝いになるんだと言いたいんですよね。
何か具体的なことをしなくてもですか、極端な話。
具体的なことといえば、そのために争わない、戦わない、
いつも平和でいる。
2番目はいつも笑顔で接することを心がけていくから、
3番目は人を評価しないというか、
その中に人を評価しないということの中に、
福良かな顔とは
特定の人を嫌わないというか、
嫌った場合はその人に光を送るということをやるとかですね。
4番目はとにかく人の失敗を維持くらい、
いつまでもしつこくしつこく維持くらない。
その人を貶めないという心がけですよね。
そうすると自分が世の中から争いと怒りと
人を嫌うという心がなくなるから、
福良かな顔でおられると言いますかね。
穏やかに暮らしていけるし、
人を許すことができるようになっていく。
それくらいのことは人生いっぱいあるよね、みたいな感じで、
受け流すとか水に流すということができるようになっていく。
そういう存在になること自体が、
神のお手伝いなんだって言いたいんですよね。
神様じゃないんでもちろん想像ですけど、
でもやっぱりそういう状況で地球人間を見てたら、
神様も嬉しいですよね。喜びますよね。
神ということは具体的な神じゃなくて、
宇宙というか大いなるものという、
地球環境とか人間関係、
頭上の光でもいいんですけれども、
そのお手伝いをするというのは、
私たちが福良かであるかと穏やかであること、
少し高貴な顔で生きていること、
多くの人々の悩みは受け入れて、
自分の人生も豊かに、
相手の人生も豊かに生きていく、
たっかんしていくこと自体、
そういう存在自体が、
神のお手伝いだと思うんですよね。
そういう人になって生きていくということが、
神のお手伝いだ。
寄付をするとか、
具体的にどうのこうのではないと言いますけど、
物を贈るとかいうのではないと言いますかね。
それはこの大前提があった上での、
あくまで出てきた行動の話ですよね。
その通りですね。
先生からこのメッセージをいただいた時に、
個人的に僕が不勉強なだけかもしれないですけど、
ちょっと面白いというか、興味深かったのが、
先生が今この中で福良かって言葉を使われているじゃないですか。
福良かって言うと、僕どうしてもふっくらしているみたいな、
そういう方のことを福良かって言うじゃないですか。
先生が書いた福良かっていう字が、
幸福の福だったので、
改めて先生から福良かってどういうことなんでしょう。
優しい笑顔に見せた顔と言いますかね。
ちょっと高貴な顔。
人を許して生きているなという顔をした人のことを言うんですけどね。
いつも争いの中にいて、いつもとがめていて、
いつもキンキンしている人は、
顔で眉間にシェアをやって、目がすり上がっているという、
脳の働きがあるんですよね。
怒りっぽい人、いつもキンキンしている人は、
いつも緊張しているから、
顔がすり上がっていると言いますかね。
眉間にシェアもね、僕も昔指摘されましたよね。
そうですね。
やっぱり福良かな顔というのは、
顔が痩せていても、
超えていなくても、
すごい穏やかなお年寄りの顔がありますね。
この人、とってもいい人生を送ってきたんだなという方の顔というのがありますよね。
その顔を福良かな顔と言うんですけれども、
そういうものを目指していって、
その存在になるだけでも、
神のお手伝いができるんだと私は言いたいんですね。
福良かな顔。
今日先生から今お話しかかっていて、
具体的にいろいろお言葉をいただきましたけど、
やっぱり神様のお手伝いというのは、
アクションというよりも、何をするか、やっぱりどうあるかというか。
そうですね。
あり方の方の話ですね。
そうですね。平和感と優しさを持つ心をちゃんと堅持すれば、
それからいろいろなことができる余裕が出てくるから、
余裕が出てくると、生活も下手かになるんですね。
不思議なことに、金銭的にも困らなくなるという、
世の中の仕組みがあって、
キリキリキリキリしている人や、
いつも怒っている人ほど金銭的には苦しいという、
何ですかね、そういう仕組みがあるんですよね。
そのことに気づけばいいなと。
金銭的にゆとりがあるから、心にゆとりが出るんじゃなくて、
今日の話を実践して、先に心を服御化になる、
表情を服御化になることで、後からついてくると。
後からお金って本当、昔から言われたように、
向こうにあげると帰ってくるみたいなもので、
取ろうとすると逃げていってしまいますけれども、
あれは事実であって、
自分があげていたりさせさせていると、
どんどんそういうものがやってくるという、
それを体験していくのがこの人生かなと思いますね。
争わない生き方
この世の仕組みを知るという意味ではね。
そういう意味では最初に、あまり人をいじめない、
キリキリしない、イライライしないで、
ちょっと穏やかに生きていくということに気安く人生を送ることが大事だと思いますね。
すみません、先生が最初に争わない、戦わないというところもおっしゃってましたけど、
実はこれ、先生がくださったメッセージで、
争わない、戦わない、戦わなければならない時が来るまでというところで、
先生がいつもおっしゃっているように、
日本人、僕もまさにそうなんですけど、
やっぱり戦うのが嫌い、苦手なので、
例えば、100かゼロかじゃないんですけど、
誰かと諍いがあった時に、
じゃあそれが自分が引けばいいやとか、
一切口に出さなければ相手も気づかないしみたいになって、
いわゆる、何て言うんでしょう、すごい我慢をして、
僕も逆にさせていることあるかもしれないですけど、
戦いを避ける傾向があるんですね。
それは悪いことじゃないんですけど、
ただどっかで、これでいいのかなって、
その境目が難しいじゃないですか。
そうですね。
戦わなければいけない時ってどういう時?
やっぱり家族を守る、国を守るという時は、
戦わないといけないと思いますね。
そういう危険なものから、
みんなを守るという時は、
戦いモードに入らないと、最後の最後なんですけども、
国を守る、家族を守る、
弱き人を守らないといけない時が来た時は、
毅然と立ち上がるということが大事ですね。
昔の人はそうやって国を、また人民を、
また人々を救った人たちがたくさんいたんですね。
だから日頃は戦う必要はないんですけども、
戦わないとき、戦わなければならない時が来た時は、
立ち上がって毅然と立ち向かう覚悟が必要だと。
そういう時は立ち上がろうと思っていることが大事だと思いますね。
いつまでも背中を向けて逃げ回るのでは、いやしいと言いますかね。
男の場合は、最後は毅然と立ち向かうんだという気概があると、
その人の背筋が伸びているし、
言っていることもしっかりしてくれていると思うんですよね。
だから毅然と立ち向かうとか、
きちんとするべきことはする、伝えるべきことは伝えるというのは、
戦うとはまた違うということですよね。
戦わないといけない時も来るかもしれませんということを言いたいですね。
万が一、国を守る、人々を守る、子どもたちを守る、
家族を守らないといけないという時は、
国や家族を守る
戦うという形をとっていいと思いますね。
火事で大火事があって、自分の家も崩壊するという時は、
ここで戦うという感覚のような立ち上がって、
みんなを守ってリードして、
命を救ってあげるという行動を起こすと言いますかね。
仮に国同士の争いの中に起きたときは、
国を守る。
国が崩壊したら、本当にその国は惨めなんですよね。
国というのはまだまだ人間にとって必要な存在で、
国という政治を安定させるというのはとても大事なことなので、
政治ということはちょっと難しいんですけども、
国を守るというのは、きちんと意識を持っていた方がいいと思いますね。
ありがとうございます。
すごくよく理解できました。
神のお手伝い、こういうことだったんですね。
はい。
さあ、この番組では引き続き、
皆さまから北川先生のご質問、ご感想を募集しております。
詳しくは概要欄からお寄せいただけたらと思います。
そしてもう間もなくですね、2月28日から、
名古屋で新月の勉強会が全5回で開催されます。
ぜひホームページのほう、そして概要欄チェックしてみてください。
そして4月12日から14日、小国で男児機会が開催されます。
北川先生の住まわれる小国で、
北川先生が直接男児機を学べる貴重な機会ですので、
ぜひお早めにチェックしてみてください。
そしてこの番組と連動している、
瞑想の基本と実践音声プログラムが引き続きリリースされています。
こちらも概要欄をチェックしてみてください。
ということで北川先生、今回もありがとうございました。
またよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。
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