北川八郎 はいはい。
北川八郎 自分の中で歌を歌う楽しさとか、義芸をする楽しさを経験しなかった点もあったと思うよね。
北川八郎 はい。
北川八郎 それで、人生の最後には義芸を学べ、次の天性をつなげよう、次につなげようと言っているような部分があるんですよ。
北川八郎 言ってるんですね。
北川八郎 僕、それはずっと残っていて、自分も言葉悪いけど、義芸というか、歌ったり踊ったり、人を楽しませる、楽をしたりというのがないんだよね。
北川八郎 ちょっとクソ真面目なところがあって、クソでもないんやけど、ちょっと真面目っぽいところがあって、テレアでおどけられないっていうところがあるじゃないですか。
北川八郎 僕、今の先生しか知らないので、まさにおどけるとか、遊び心あるっていう先生のイメージなんですけど、そうじゃなかったんですかね。
北川八郎 ちょっとはあったのかなと思うんですけど。
北川八郎 本質的にはあると思う。小さい時はおどけてたりとかするのが好きだったのに、だんだん、だんだん、なんかこう、
北川八郎 見栄張るというか、なんかきちんと生きていかないといけないとかなると、そういう義芸に対する度胸がないというか、出るっていうかね。
北川八郎 歌ったり踊ったり、演奏したり、本当はギターを弾いたりとか歌ったり、絵を描いたり、なんかそういう義芸をしたかったんだけれども、
北川八郎 なんか、その思いを胸に秘めたまま起きてしまったときに、そのお釈迦様の言葉に惹かれてたっていうかね。
北川八郎 で、どうか人生の後半に、なんか歌いたいなとか踊りたいなとか思うけれども、ずーっとそのなんかね、音楽は1とか2ばっかりやったよね。
北川八郎 あ、成績がね。意外ですね。聴くのは好きですよね、先生。
北川八郎 聴くのは好きなんですけどね。音痴っていうか、歌えば、まあ本当、みんなから笑われるんですけども。
北川八郎 あ、本当ですか。
北川八郎 あの、100回歌おうと100回曲が違ってくるっていう。
北川八郎 ある意味才能ですね。
北川八郎 完全に音が外れた、外れるというのと、もう1つは、昔の話ですけど、縄跳び、女の人たち、小さい時、お姉ちゃんたちから縄跳びさせられて、みんなで縄跳びって、輪の中に入るときに、リズムが取れなくて入れないんですよね。
北川八郎 はい。
北川八郎 なかなか、いつも終わってしまうっていうか。
北川八郎 じゃあ、こんなこと言ったら失礼ですけど。
北川八郎 やっぱりなんか、音楽聴くのは好きだけど、いざ音楽とかリズム、テンポ、自分がする方になると、ちょっとあんまりいけてなかった。
北川八郎 あんまりじゃない。全くダメ。
北川八郎 運動神経はいいですけど、また別ですよね。リズム、テンポってね。
北川八郎 運動神経っていうのは、リズム感いるのかなと思うけれども。
北川八郎 とにかく、なんかね、あの、飛び込もうと思ったら終わってしまうのと。
北川八郎 あ、そうそう。
北川八郎 例えばカラオケで、ほら。
北川八郎 たいてい途中で、音楽が途中からパッと入って歌うじゃないですか。
北川八郎 あれができないんですね。入ろうと思ったら。
北川八郎 いきなり入っていくみたいなね。
北川八郎 いやいや、そうじゃなくて、終わってしまうんですよ。入るところがわかんない。
北川八郎 何回やっても、だから、そこでポンといってもらうぐらいの合図をしてもらわないと、どっから入っていいかわからないんですよ。
北川八郎 っていうぐらいの先生がってことですよね。
北川八郎 音痴っていうことですよね。音楽のあれが全く。
北川八郎 非常に。
北川八郎 3%才能がなかったんです。
北川八郎 はい、イメージは湧きました。そんな先生が、お釈迦様の言葉でっていうのはわかったんですけど、
北川八郎 とはいえ、変な話ですけど、それほどそういう遠いところにいる先生が、なんだろう、もう人生50年過ぎて。
北川八郎 うんうん。
北川八郎 やっぱり、きっかけって決定的に何かあったんですか。
北川八郎 学生時代、バンドを作ったことがあったんですね。
北川八郎 なのにバンドは。
北川八郎 そうそう。
北川八郎 でも。
北川八郎 ベース、リード、ギター、大変だったんで、もう当てて駄目だ。
北川八郎 へえ。
北川八郎 じゃあ、伴奏のあれとか、リズム取れなきゃ駄目。
北川八郎 はい。
北川八郎 じゃあ、ベース、ギターとか、それも全く駄目で。
北川八郎 結局、バンドマスターみたいな人やったんだけど、結局は、もうマネージャーやってくださいみたいになるんでね。
北川八郎 はい。
北川八郎 じゃあ、ギターは全然駄目だ。何かしたいと思ってたら、ひゅっといったことから、ある人がサックスをやってて、ものすごい下手。
北川八郎 はい。
北川八郎 っていうか、下手だったけど、やったサックスがすごい感動したんですよね。
北川八郎 はい。
北川八郎 その方がやってたの。
北川八郎 あ、これなら僕もできるかも分からないっていう、7年前にひゅっと思ったんですね。
北川八郎 へえ。
北川八郎 ギーゲート、何かやっておきたい。もう60半ば過ぎて、やれるのかなって。
北川八郎 すごい。
北川八郎 っていうのを、何とも思わなかった。いや、とにかくやろうと思って、サックスを神保町の松田先生っていう先生に出会って、じゃあ、そこで教えてもらおうって。
北川八郎 すごい。先生、今ね、ふと思ったっておっしゃいましたけど、やっぱり人生って、先生のこの場合もそうですけど、なんかそのふと思う。
北川八郎 ある意味ふとなんか降りてくるというか、こういうのってどういうことなんですかね。
北川八郎 ずっと心のどっかに引っかかって、思いが秘めてるんじゃないですか。
北川八郎 なんか、よく自分も思うじゃないですか。全く忘れてるけれども、なんかある出来事をポンと思い出すようなことあるでしょ。
先生 あります。あります。
北川八郎 何かのきっかけとか、匂いとか、同じ景色とか、人の声とかなんやって。
北川八郎 と同じように、心のどこかにその思い、お釈迦様の言葉みたいなのが、引っかかったままだったんですね。
北川八郎 やり残したことの一つみたいな感じで。
北川八郎 誰でもあるんじゃないかな。もう自分の中に、絵を描くことや、踊ることや、やりたかったことは。
北川八郎 あるでしょ。
先生 あります。それって何なんですかね。そういうタイミングで自然と降りてくるものなのか、もちろんケースバイケースかもしれないですけど。
北川八郎 でも人生の後半で、残り時間が少なくなったときにやった方がいいとか、もしくは誰かに誘われて、やろうよって言われたりとか。
北川八郎 僕、一緒にやるときに、佐藤さんという人と渡辺さんという人と、名前出しても大丈夫なんだけど。
先生 佐藤さんと渡辺さん、全国にたくさんいるから大丈夫ですよ。特定できませんよ。
北川八郎 聞いてる方、結構分かる方いると思うんですけど。
先生 山田さんという人と。
北川八郎 みんな、みんなたくさんいる苗字じゃないですか。
先生 とにかく無理矢理誘ったんですよ。彼、嫌がって嫌がって。でも、サックスお金かかるしとか言って、やり始めたんだけども。
先生 佐藤さんという人は、とても頭のいい人なんですよ。彼もドレミア、もう全然ダメだ、音符にドレミアをつけないと。私も同じくらいだった。山田さんもそうだったんですけども。
先生 だから、佐藤さんが習い始めて。
北川八郎 嫌で嫌で、たまらなかったけれども、僕から言われて、無理矢理してるうちに、ある日、ニコニコして、こう言ったんですね。
先生、人生に新しい風が吹いた。風が吹き始めた。今までと違う何かを感じ始めた。音楽始めて。
それから、今、社長業やってるんだけど、結婚式とかをやるときに、自分が出るようになったら、
みんなが見る目が感じられる。
北川八郎 変わってきた。ただ、ガチガチの経営者、お金儲けしてる人じゃないけれども、社長さん、それ以外の考えない人っていうのではなくて、音楽を楽しんでる人っていう、その人の人生の幅が広がる。
評価が全然違ってくるというか、余裕が出てくるという感じで。
山田 よく、また言葉極端になっちゃいますけど、経営者でもそうですけど、いっぱい遊べとか言うじゃないですか。
そうすると、そこの画一的なものになっちゃいますけど、でも、一理あるというか、幅というか、遊び方にもよると思うんですけど。
北川 自分の幅が、言葉悪いけども、社長業とか経営とか、お金とか数字とかいうのは、非常に狭い世界っていうかね。
山田 そうですね。
北川 利益と。ちょっと矛盾と、欲、ものに結びついてるから。
山田 ありますよ。
北川 なんか嫌な部分があるじゃないですか。でも、音楽っていうのは、音楽での人は慣れちゃう人。
向井 はい。
北川 音楽は、無償で人々を喜ばせると言うかね。まあ、下だったらあれだけど、無償で人々に喜びや元気や勇気与えるのは、すごくいいことだと思うんですよね。
北川 ちょっと話を戻して、で始めたけれども。結局、発表の場がないと、楽しみがないんですよ。
山田 あー、そうっすね。
北川 萩見がない。みんな辞め始めるのだよね。
山田 しかも、みんな忙しい人たちですからね。
みんな経営者だからもうやめたとかなるから
何か発表させようと思ったけど下手だからみんな聞いてくれない