1. 人生を変える出会い
  2. 第224回「東岸の人」
2021-04-20

第224回「東岸の人」

「憎む」と「嫌う」は罪の深さが違います。

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これまで番組でお届けしてきた200回配信を超えるエピソードの中から、これからの時代を生きるヒントとなる回をピックアップ。

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北川八郎、人生を変える出会い
こんにちは、早川洋平です。
北川八郎、人生を変える出会い、今日は第224回、前回、前々回に引き続きまして、オンライン公開収録のスタイルでお届けしたいと思います。北川先生、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
さあ、今日はですね、また質問者の方から質問いただいているんですが、その前にせっかくですので、ちょっとお便りいただいているので、先に読ませていただきたいと思います。
北川先生、早川さん、いつも素晴らしい番組をお届けいただき、ありがとうございます。先日のオンライン公開収録に参加させていただきました。
あ、第1回の方に参加してくださった方ですね。当日はまさか私の質問が取り上げてくださるとも知らず、主人とのんびり2人の話に耳を傾けていました。
質問が読まれたときには、2人で目を見合わせ驚いていました。実は、質問を読んでいただいたのは初めてではありません。3年前に違うペンネームで送った、やや切羽詰まった感のある疑問に、お二人から丁寧にお答えいただきました。
そのときもでしたが、今回も多くの巧妙を得たような気がしています。以前、氏名は氏名、名前の氏名ですね、は氏名、使う命の方ですね。氏名は氏名というお話があったように思いますが、
ここ最近、もっと具体的にどうしたらいいのかという質問をいただきました。
このようなことを氏名に気づき、果たしていけばよいのか考えていました。
先生や早川さんの言葉から、新しく具体性のある方向が見え、主人ともども喜んでいます。心から感謝しています。
ということです。お便りありがとうございます。
さあ、ということで、今日またご質問者、3人目の方からご質問いただきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、早速なので、先生にお願いします。
はい、こんにちは。
こんにちは。
いつもありがとうございます。おかげさまですごく瞑想したり、光を送るということを割と積極的にやっていまして、そうすると自分も癒されてくるというか、いろいろ満たされてくるというようなことが、本当に実感として生活の中に生きてくれています。
はい。
質問というかこういう気持ちでもいいのかななんてちょっと思うことがありまして、人生の中ですごいいろんなことが起こってくる時に、自分にとってあまりにもこのつらすぎるとか、怒りが湧きすぎるとかっていう物事とか人とかっていうのがあった時に、だんだん年数がたってくるとそこと聞いてくれます。
03:03
はい、わかりました。
ちょっと距離を置こうと
人や物事に今はちょっと距離を置いて
事件のことですか
出来事から
出来事から距離を置く
人っていう人間
人ですね
一人の人
人物ですね
そういう雰囲気の成功の人
その人物に対して
身近なんですけれども
身近な人に対して
あんまりにも
自分が気持ちが
すごく感情が
悲しくなったりとか
怒ったりとか
なんでみたいなことが
いっぱいあったので
ちょっと距離を自分で置くようにして
でも身近なのに
距離を置くことで
今はすごく落ち着いていられるんですけれども
落ち着いている分
冷めた目で見てるのかな
っていう気持ちもどこかあるんですよね
その人
その人自身も
やっぱ自分がやってきたことで
今すごい辛い状態に
あるんですけれども
体も
あといろんな状況も
すごい大変だなっては
っていうのは分かるんですけれど
でも
なんかもう距離を置こうって決めてから
もう何年経ってるので
その分
自分が親身になってない
優しくないのかなとか
すごい冷めているのかなとか
そういうのが
ちょっと少し気になってるっていうか
もっと積極的に
関わっていった方がいいのかなって
でもそうするとまた辛くなっちゃうななんて
どうしたらいいかななんて思ってます
お釈迦様の言葉の中に
お釈迦様もよく
そういう意味に合ってるんですよね
あの人も人間的に
あの方ってあの人ということを
使っているんですよね
その人に対して
あの人間的に
自分の意図で
社会を維持されたり
自分のことを
与えるという
そういうことが
手前が
いっぱいで
流行ったらいいか
そういう意味で
そういうのは
本当に
やっぱり
他のことが
出てくるのではないか
みたいな
なんか
やっぱ
僕が
人にとって
相手の人が
どんな人とか
ご自宅で
自分が
いっぱいで
自分のことを
持ってくれる
というような
出会った時どうするかって言ったら
それはね
対岸の人東岸っていうかね
東岸の人だ
っていう
当時は
ガンジス川っていうのがあったので
ガンジス川の向こう岸の人なんだ
ガンジス川っていうのは
すごく遠くて声も届かないと言いますかね
つまり縁なき人なんだ
向こう側にもたくさんいるし
こっちの西側にもたくさんいると言いますかね
だからそういう人
東岸の人って
06:00
東岸の人って
お父様様が言ってるんですね
だから東岸の人と思って
それよりも西岸の人
自分の身近な人
または意思の通じる人
または助けるエネルギーを
注げる人たちの方を
大事にしなさい
そうすると
この人生は価値あるものになってきたり
生まれて生きがいとなってくるから
いくら言ってもダメな人
助けようのない人
ということを
聞くと
自分の身近な人から頑固な人から
道が違う人
全く価値観が違うんで
いろいろな言葉が当てはまると思うんですけども
自分が辛くなる人からは
一歩を引きなさいって言ってるんですね
それよりも自分の人生も向上し
相手も向上する人が必ずそばにいるから
そういう人たちから
またもう一歩コツコツやっていけなさい
そこに行きがいと
やりがいと
何か意味を見つけるだろうとか
当該の人はまたいつか来世でもいいじゃないか
みたいな
そういう意味で
当該の人っていう言葉を使ってるんですね
今林さんが言ったように
身近な人でも
あんまり入っていくと
なかなかその人が受け入れない時は
お互いに辛くなってくるって言いますかね
だからよくそれを
認知症の人の時にも
同じこと言いますよね
もう本当に前はいい人だったんだけど
全く変わってしまった人に振り回されていって
必死になっていくと
日常のうつになってしまうというかね
向こうもダメだけど
こっちも同じになっていくっていうようになるように
そこで必要なことは
一歩距離を置くって言いますかね
時間を置く
出会いを少なくしていく
その人のオーラから少し離れてみるっていうことをやるのは
とても大事なことですよね
それは決して罪あることではないと言いますかね
逆にあまり近づいてお互いに傷つけ合うことになって
罪が増えてしまうということがありますね
だからちょっとお釈迦様の方と同眼の人だよっていう
向こう岸の人
でこれ以上はもうできないという時は
さっき言ったように我々の武器は
光を送ることができるんですね
こう東岸に祈るということができるんですね
でも実際に物理的に付き合うというのは不可能なんですね
あの東岸の人
精神的にも遠い人ですよ
西岸の人と東岸の人というのは
距離が遠いというだけでなくて
精神的にも生き方にも通じ方にも遠い人の場合は
少し距離を打って
こういう西岸の人が生きがいを感じる人たちと
生きていくっていうのも大事だと思いますね
09:00
だからそれは決して罪なんてことではないと思いますね
だいたい人間って万能じゃないからですね
あのお釈迦様でもそれで苦しんでましたもんね
面白いですよ
お釈迦様もねちょっとだけ面白い話をすると
お釈迦様も二つぐらい苦しんだことがあって
お釈迦様が五十何歳と六十近くの時にね
やっぱり今と比べたら当時は
例えば十年と
十年と
多数ようなもんですよ
四十というのは今の五十みたいなもんですよね
五十というのは今の六十みたいなもんなんですね
十年ぐらい昔の方が辛いわけですね
色んな食べ物
それから気候も厳しいからですね
インドの気候も厳しいから
だから五十代ということは
こっちにとっては六十代の子はみたいなもんなんですけども
その時にお釈迦様疲れてから
誰かこう
付き人が欲しいって言ったんですよ
あの偉大なお釈迦様が
ずっと付き人なしにやってきたんですね
である時
じゃあそれではお釈迦様の荷物を持って行く人を
いつも毎回選んでたらしいんですよ
である時に
若い人がついてきたら
お釈迦様が左に行こうとしたら
その人が右がいいって言い始めた
若い人は
いや私は左に行くって言ったら
君はどうするって言ったら
いやお釈迦様
じゃああんたはそう言ってくださいって言ったら
私は右の方に行って
あの涼しいとこで
あそこで一泊して
右の道を歩きたいとか言って
でなんとお釈迦様の
蓄圧した荷物をポンとその道端に置いて
右にスタートと言ってしまって
お釈迦様はそこで
なんか立たされて
置いて行くように変わって
なんか悲しみにあったっていう場面が
一回あったんですよね
あのお釈迦様でも
若い人が捨てられたんだっていうのがあった
それからもう一つですね
やっぱじゃあもう一つあったことはやっぱり
ちょっと年いった
次のもうちょっと年いった人を選ぼうと
選んでたんですけども
彼もある時
あの同じように歩いてたら
その人がお釈迦様
私はここで瞑想したくなったって言って
いや瞑想するのは
もう少し先の木の下がいいから
もう少し歩きましょうと言っても
いや私は瞑想する
お釈迦様は自分で行ってくださいって言う
その人は自分で行くんじゃなくて
お釈迦様に自分の荷物
お釈迦様の荷物を
そしてお釈迦様の背中をして
自分は瞑想し始めたって言うんですよね
お釈迦様はこう
もう年取って
付き人って思ってる人から捨てられるっていうのが
2回もあったっていう場面があるんですよね
僕だから
あの聖なる人
聖者のお釈迦様でも
なんかそういう風にこう
なんか自分勝手な人と会わない人と
ほとらかされたっていう場面があったっていうのは
見てからお釈迦様もなんか
僕も時々馬鹿にされるようなのが
あるんですよね
12:00
北側みたいな人間で馬鹿にされるようなことがあるんですけども
あのお釈迦様が
悟りを開いた後の50代の後半で
そんなに軽んじられたってことは
ショック受けますね私はね
同じように
キリストにも同じような目があるんですよね
あの聖者ってやってるキリストも
同じように軽く扱われたり
馬鹿にされたり
いじめられたりっていう経験があるんですよね
だから
だからそこに人間っていうのは
あんなにパーフェクトな人でも
人からパーフェクトな行いを受けるってことは
ないってことがわかりますね
だから僕はお釈迦様も大尊敬されて
もう祭りあげられたと思ってたんですけども
そうではなくて
やっぱり人間釈迦
人間キリストっていうものを体験したんだなって思います
だから我々もそれくらいの
体験は当然だと思うんですね
辛い
仏法的に仰いできられたり
変な目で見られたりとか
偏見で眺められたりとか
なんか意見が合わないからと言って
捨てられたりとか言う
私もいっぱいしてきましたけどね
でもちょっと慰めは
そのお釈迦様でもそういうことがあったんだ
っていうことを
キリストなんて最後は裏切られますもんね
あの13人の一人からですね
やっぱあの
なんかそれ辛かっただろうなって思いますよね
キリストは死に追いやられたんだから
それさえもキリストは許したってことは
そこがまたすごいなって思いますけども
その一歩手前の裏切られたっていうところに
集着すると
やっぱりあのキリストでさえも
聖なる人でも裏切られるんだってなると
私たちなんか欲の多い人間だから
裏切られたりごまかされたり
文句言われたり
足取って私たちが足切りにされたとしても
キリストの辛さには
なんか及ばないんじゃないかなって思いますね
なぜなら
向こうの方は罪なき生き方をしてきてるけれども
私はいっぱい罪ある生き方をしてますよね
だから人からあきられてバカにされたり
置き去りにされるっていうのは
まあそれその罰だと思うんですけれども
あのキリストやあのお釈迦様でも
なんかそういうことが起きたってことは
ああ
救いでもあり
なんか人間ってそういう場面でも出会うんだなっていう
けれども我々はきちんと歩んでいかないといけないっていうかね
まっすぐ自分の道を歩んでいかない
その人を許して歩んでいけない
でもそのことが事件になって残ってるということは
きっとそのことをお釈迦様は一緒に調べたんでしょうね
字幕でここぐっと2人の弟子さんに捨てられたんだって
道端がこうすごい言って
あのなんか
太陽の照る道
15:01
ほこみちぼこりの中で
追い出されたんだっていう
なんかね
年取って追い出されたんだっていう場面のことを
辛くて
十代弟子の
信頼できる人に荒れてたんでしょうね
それからあの最後は
あの一人のあの弟子を与えられるんですね
なんていうか
もっから上がったりと
その人がずっとついてくるようになるんですけどね
最後には60代の後半から一人の弟子を
ずっとお釈迦様の面倒を見て
お釈迦様のことをずっと記録残した人がいるんですね
というお話ですけど
なんかせっかくだからもう少しだけ早さ
今の話にでもいいですし
なんかもう一往復ぐらいしても大丈夫ですよ
せっかくですのでよかったら
すごい勇気をもらいました
なんか冷たいのかなとか
なんか自分ってあんまり思いやりがないのかな
と思ったんですけど
その
,やっぱり距離を置かないと
やっぱり自分がダメになるっていうか
なんだなと思ったり
いろいろ本当に勉強になりました
ありがとうございました
ありがとうございました
これから私もそうなんですけど
私は与える場面になるか分からんけど
認知症っていう人の世界に入ってしまうんですよね
でその上の人たちが生きてれば
必ず認知症の世界って言いますかね
だから
そこでやっぱり今みたいにあんまり密接になってしまうと
二人ともやられてしまうっていう
経験がある
だから
相手の人を認知症と同じように思って
巻き込まれ少し距離を置くっていうのは
正しいことだと思いますね
ありがとうございます
特に相手が認知症の場合は
距離を置かないとダメだと思います
自分が憎みそうになるので
あんまりにもこう
自分にこう何でしょう重荷っていうか
なんか時間とかいろんなものが
あのもう搾取されるような感覚になっちゃって
なんか死にたくなってもいけないなと思ったので
あのね
憎むと嫌うってちょっと違うんですね
嫌うのはまだいいんですよ
罪そんな罪は大きくない
憎むとやっぱ罪が大きくなるんですね
魂まで傷つけてしまうから
嫌うっていうのは嫌だなと思うことは
あの魂の傷まではならないと思いますね
憎むまでいてしまうと
大きな傷になってしまうけれども
ちょっと嫌だな嫌いだなとか
近づかないと思うのは
憎むとは全然違うからですね
はいありがとうございます
そこで憎むと嫌うは違うってことを覚えておいたら
罪の深さが違うってことを覚えておくといいと思います
でも先生がその瞑想の中で
多分ポッドキャストの瞑想の中で
だったと思うんですけど
その私を嫌う人も私が嫌いな人も
18:02
立ち上がり深い
そうそうそう
あれが一番の一部ですね
はい嫌いな気持ちってあっていいんだって
こう認めることですごい救われて
すごい嫌だったけど
あのどうか良い人生を
あなたの一番良い人生を送ってください
そうそう
光を送るようにしてやってます
あれは楽しんかいの良い悟りですね
教えだと思いますね
楽しみの独特の教えだと思います
はいありがとうございます
とんでもないです
はいどうもありがとうございました
ありがとうございました
はいさあこの番組では引き続き
皆様からのご質問ご感想を募集しております
詳しくは北川八郎公式ホームページ
もしくはメールアドレス
北川アットマークKIQ
AS.JPまでお寄せください
さあそして今ね
瞑想の話も最後に出ましたが
先生またお便りをいただいています
この番組から生まれた先生のこの音声プログラム
瞑想の基本と実践を
実際実践した方からちょうどお便りも届いています
早速実践しています
とても良いです
時間があれば朝起きたてでやっています
先生の導きにより深く瞑想できる時もあります
YYさんという方がですね
そうですね
そして奥昼間外ウッドデッキで太陽の光を浴びながら瞑想する時もあります
その時に先生がよく話されている大いなる存在
光のエネルギーを感じることができます
先日NHKのテレビでたまたま見た内容が
スティーブジョブズとビルゲイツも瞑想やっていたそうで
こんな言葉を残していたそうです
瞑想することにより見えないものの声が聞こえるようになり
発想が花開く
この言葉ご存知かもしれませんが
これからも続けていきたいと思います
北川先生ありがとうございますというお便りいただいています
ありがとうございますお便り
この音声プログラムの方も概要欄の方にURLありますので
もし興味がある方はチェックしてみてください
さあということで今日は第224回でしたね
この番組YouTubeでご覧になっている方はチャンネル登録を
ポッドキャストで聞いている方は定期登録ボタンを押していただけたらと思っています
ということで
今日は第224回
次回公開収録のスタイルラストですね
お届けしたいと思います
北川先生ありがとうございました
ありがとうございました

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