思考の喫茶店へようこそ。
ここは、店長のつじり犬と愉快な仲間たちが、お客様と一緒に自分の思考を深めていく喫茶店です。
いらっしゃいませ。店長のつじりです。
従業員のうたです。
従業員のまりまりです。
アルバイターののりこです。
今日はですね、特別編として、酒を持ち寄って夏の慰労会でございます。
イエーイ!
ということでね、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
お疲れ様です。
もう次元の話はやめよう。
面白いよ。楽しいよ。
我々好きやん、そういうの。
次元の話ね。
好き好き。
そのうち四次元とか話し出すから。
じゃあ早速、楽しいが成立する場面ってどんな場面なんでしょうか?
そこに自分の身を置けてて、そこにしっかり自分がはまれて使ってるような状態?
自分の居場所がちゃんとある環境?
俯瞰してたら楽しめてないなって思う。
その時の自分の状態が。
俯瞰側にいると。
自分をその輪の中にいて、ちゃんとそこに存在してるみたいな状態である時に楽しいね。
前提としてその環境とか場面において自分の立場とか安全性が確保されている中でも
中だったら私は割と苦しいっていうか
部活みたいに汗ぶん流してつらい時でも
覚えられなくて頭脳内フル回転してる時でも楽しいって思えるかな。
安全性みたいなものが前提かなって思って。
もちろん身の安全もそうだし、精神的なというか心理的安全性っていう言葉もあるけどさ
自分がここにいていいんだとか
別になんかこう主体となる必要も
だって俯瞰してそれが楽しい人も多分いると思うから
俯瞰してても全然いいと思うんだけど
私がここにいていいっていう
特に根拠のない自信というか
安心感みたいなものは楽しさに必須なのかなって思っていて
だからそういう環境に出会えるというか
自分がそこに飛び込めれるかどうかみたいなところもあるんじゃないかって
結構知らない人ばっかりの飲み会とか集まりとかって
自分をどこに置いていいかみたいなのが分からなくて
やっぱ楽しくないみたいな楽しめないみたいなのは
わりと社会人になりたての頃とか
子供の頃とかでも全然知らないコミュニティとかに入れって言われた時とかって
そうかなって思うけども
そういう時に全然知らないこともコミュニケーション取れる人とかって
すごい天性に近いもの
そういうのを大人になるにつれてスキルとして
雑談スキルみたいな感じで
習得していくのかもしれないが
私はあまりそういうのを習得しないままこの年になり
それで楽しいのチャンスも逃してるんじゃないかなと思うこともあるわけ
自分で自分の居場所を作るのも時にはなのかなっていう
どうしても誰かに自分の居場所を用意されるのを待ちがちというか
そういう人がいてもいいと思うけどね
ダメではないけれども
楽しいっていう観点でいくと
その機会を逃してる可能性はあるよねみたいな
楽しいをクリエイティブするのが好きってのりこさんが言ってくれたよね
まさにコミュニティ作りに力を入れているので
そういう場を作るっていうことが楽しいんだわって思いながら聞いてた
それに乗っかってきてくれる人楽しみにしてくれる人は
私の中ではありがたいからそういう人もいていいんだよって思ったけど
まりまゆちゃんみたいな人が
例えばクラスに一人いてみたいな
そのコミュニティに絶対一人いてみたいな感じだと
結構だからみんな安心してその場にいれると思うよね
でもまりまゆちゃんみたいな楽しい場作りみたいなものに対しての
意識がない人たちで集まっている時って
多分私はどちらかといえばそんなに入っていけないというか
時と場合によるかもしれないけど
特に集団1対1とか知り合いの知り合いぐらいならまだ全然あれなんやけど
年取ったからなのか
もはや知り合いの知り合いにもなかなか
前にのりこに怒られたんやけど
興味が湧かないのよね
相手にいいってこと?
気分なのかその時の気分なのか
自分の何が作用しているのかわからんけれども
その人のことを知りたいって思う時と
どうでもいい時との振り幅みたいなものが大きいというか
そういうことスイッチみたいな
スイッチ入らないとあんまりその人のことについて
向こうが喋ってくれる分には聞くけれども
こっちから質問したりとかしないみたいな感じがあって
そこが人間味だよね
私は何を怒ったか覚えてないわ
怒られそう
人に興味がないとか言っちゃいけませんって
失礼だよね
失礼なのは重々承知なのだが
それこそだからキリがないやん
本当に
逆に私人に興味があるんですっていう人の方が何があってよ
人に興味があるとどういうこと?
なんかさ
それこそその思春期の頃とかって
人間観察が趣味ですみたいなとかって言ってる時期もあったんよ
あって
それってあくまで一対一で向き合って
喋るのが好きとかではなくて
人間観察って要は傍観者で
こういう人はこういうことするんかなとか
そうやって想像して遊ぶみたいな感じの趣味であって
リアルにその人の思考とか思想とか
そういうのを知りたいっていうわけではきっとなくてみたいな
だからって言って知りたくないわけでもなく
向こうから開示してくれる分には全然
受け入れるんだけれども
こっちから
多分その
なんていうのかな
どれぐらいインタラクションしていいのか
強さがわかんないみたいな
どれぐらい突っ込んでいいのか
加減がわからんくて
結局引いてしまうみたいな感じなのかなとも思うんだけれども
なんか楽しいからだいぶ話がずれてるんだが
私は楽しいの入り口にも立ててないっていう話ね
そんなそんな
人それぞれですから楽しむことは
イベントに行くのは好きなんですよ
あんちゃんとしゃべってるときもこんな話でした
イベントに行ってその場にいることに満足してしまって
そんなにあの人にしゃべりに行きたいとかもないみたいな
いいじゃん
そういう存在大事だよ
楽しみに行ってるんでしょ
ある意味もったいないなとも思うし
それで本人が満足してるのはもちろんそれでいいと思うんだけれども
でもその話しかければよかったみたいな後ろめとさもなんだかんだ残るんでしょ
もう一歩行きたいんだよね
別に私話したいわけじゃないしみたいな言い訳もしてない?
ツンデレ
私はこれで満足だからみたいな
別に私はこれで十分ですよみたいなの言い聞かせてませんか
もう一個破りたいからがあるはず
せっかくニュージーランドから来たのに
いや別に私そんなに私に話したいとかじゃなくてみたいな
もうちょっと触れなかった
香りの星がすごい爆発して
こういう後悔って後悔ってやっぱり後から来るもんでさ
やっぱりその場に行ったことによってやっぱ一瞬の満足感は上がって
しかもさイベントとかって情報量が多すぎて
処理しきれないまま終わっちゃうみたいな感じもあるのかなと思うし
だから終わって日常に戻って回想してる中で
これこの人にしゃべりに行けばよかったなとかって思うことはもちろんあるけれども
なんか悔しいみたいなレベルで
やればよかったみたいな感じにはならんな
哀愁にしちゃうのね
だからもうこれ何回も言ってるけど
キリがないやん
そういうのって
タイミング待ち次の機会が来たら
運命が味方したら次行くわくらいな感じかな
ある意味なんかそういうとこ
運任せ機会任せ
委ねてらっしゃるのね
なのかもしれんよね
機会があればまた
キリがないじゃないですか
そう
なんかちょっと自分が思った以上になんかあれだな
いい感じに絞り込めてんじゃないの
自分生活に必要はない程度に楽しみつつ
でもあったからそうやって気づくこともあるから
次があったら行こ
次があるかどうかはもう運命に委ねて
私は生きる
哀愁の辻裏
いいじゃないの
哀愁だもん
哀愁と楽しいって結構真逆にあると思いません
楽しいの大義語
そうかもしれない
諦めきれないことを楽しんでいるから今
諦めてられることは哀愁になるのかな